第14話 女商人、白蘭の荷ほどき(三)
その「おいおい決めていく」という言葉を白蘭は数日単位の話かと思っていたが、彼は翌朝にやってきた。
宿の建物は中庭を囲んで四つの棟がある。白蘭は外を見たいので表の棟の二階に部屋をとったが、隊商の皆は東の
白蘭はそれぞれの部屋から品物を集めて表の飯庁に持ってくるつもりでいたが、冬籟が「わざわざ取りに行かなくても俺の方から足を運ぼう。いろいろ出して見せてもらうなら、俺が積み荷の近くまで行った方が効率的だ」と言ってくれた。
「恐れ入ります。では東の廂房にお連れします」
中庭では新緑まぶしい樹の下で隊商の一人が心地よさそうにうたたねをしていた。のどかな日差しに眠気を誘われたものらしい。
「冬籟様、今日は皆に休みを取らせてますのでウチの者がゴロゴロしておりますが、よろしゅうございますか?」
「休み?」
「砂漠を越えたばかりですから皆疲れてるんです。だから三日間の休みを取らせてます」
「あんた自身は疲れていないのか?」
「私には華都で戴家の代表として商談にあたる務めがあるので、皆、旅の間私を疲れさせないようにしてくれました。だから今度は私が彼らの疲れを取ってやらないと」
冬籟は感心した面持ちで「そうか」と呟き、一緒にいた雲雀が「お嬢様は本当に使用人思いでいらっしゃいますぅ」と白蘭を褒めるのにもまじめな顔で頷いた。
東の廂房の一階では隊商頭が卓にむかって帳簿をめくっていた。彼の名をザロという。
「あれ? ザロも休んでていいのに。冬籟様なら私一人でお相手するし」
「おはようございます、お嬢様。いや、東妃様への品物を仕入れの記録簿の中からあらかじめいくつかに絞っておいた方がいいんじゃないかと思いましてね」
雲雀はザロと初対面だが物怖じせず、手元の帳簿をのぞきこむ。
「わあ、これが琥の字! 董の字と違いますねぇ。形が単純というか……あれ? この字とこの字が同じに見えるんですけど?」
白蘭が董と琥では文字のしくみが違うのだと説明する。
「董の文字は意味を表すけど琥の文字は音を表すの。文字自体は二十六個だけなんだけど、その組み合わせで単語ができて、文ができる。雲雀が同じ字だと思うのはそれで合ってるわわよ」
「へええ。二十六個覚えれば字の勉強は終わりなんですかぁ」
ザロが雲雀に話しかける。
「その組み合わせの綴りを習得しなきゃなんねえがな。董ではそれぞれ別の意味の字が無数にあるんだって?」
「そうらしいんですよぅ。私はまだ習い始めですけど先は長そうですぅ」
「お嬢様の話じゃ親も読み書きできないそうだが、どうやって暮らしてるんだ?」
「父さんも母さんも物覚えはいいので……」
いくら記憶力があっても人間が覚えられる分量には限りがある。文字が書けなくては商いを広げられない。読み書きできない貧しい移民は小さな商売しかできず、利益の薄い商売で稼ぐには身を粉にして働くしかない。すると、親子とも勉強する余裕を持てず、ゆえにいつまでたっても読み書きできず貧しさから抜け出せない悪循環となる。
ザロも同じことを思ったようだった。
「読み書きできりゃいろんなことが楽になる。お嬢様にしっかり教えて貰うんだな」
雲雀が素直に「はい」と答えて話が一段落つくと、今度は冬籟がザロに声を掛けた。
「ザロはいい身体をしているな。背丈は俺と変わらんが、あんたほど筋骨隆々とした体つきの人間は俺を含め禁軍にもなかなかいない。商人にしておくには惜しい。どうだ、禁軍に入って武官にならないか?」
読み書きできて体格もいい。確かに禁軍将軍としてはザロのような人材を手に入れたいことだろう。だが、ザロは笑って断る。
「いやあ私は骨の髄まで商人ですよ。体を鍛えているのも商売の為ですし」
「ほう?」
「重い荷を運ぶから筋肉はいりまさあね。それに隊商は盗人と闘って荷を守らなけりゃならんので武術の腕だって磨いてます。だけど、それもこれも商売で客に喜んでいただくためでございまさあ」
ザロは焼けた肌に白い歯を見せて笑う。
「西ではありふれたものでも東では珍しいと喜ばれる。逆もしかり。『こんな品はいかがです?』と商品を見せたときに、相手の顔がぱっと輝くのを見ると商人冥利に尽きますぜ。それが楽しくて生きてるんでさあ、俺は」
ザロが「むしろ冬籟様こそ腕が立つなら隊商を率いて見ちゃいかがです?」と続けるのに、冬籟も笑って答えた。
「俺は陛下をお守りする仕事があるから商人にはならんが。商人には商人のやりがいや心意気というものがあるのは分かった」
「ええ、そりゃあもう。後宮の東妃様は東の漣国のご出身。西の品物はさぞ珍しゅうございましょう。きっとお喜びいただけると思うと運んできた甲斐がありまさあ!」
白蘭はザロと一緒に仕入れの記録から相応しそうな品物を選び出すと、それらを各自の部屋から集めて回った。
ところが、それらの品々を見ても冬籟がこれと決められない。
「どれもこれも豪華で良い品なのだとは分かるが……どうも派手過ぎて藍可には合わない気がする」
うーん。確かに、地味で目鼻が小作りの東妃には西域風の豪華さはしっくりこない。
「身を飾る宝玉よりも、何か手元で使う品をお贈りした方がいいかもしれませんねえ」
冬籟は「そうかもしれん」と答えて窓から空を見た。太陽が高くなり仕事に戻る時間となったようだった。
「今日は帰ろう。俺がいないときにあんたたちでいくつか見繕っておいてくれ。あんたたち商人が人を喜ばせる職業だとよく分かった。きっといい品物を用意してくれるだろう」
「御意」
冬籟は商人に一定の敬意を払うことにしたようだ。ザロのためにも白蘭は嬉しい。
雲雀はザロと一緒に荷物の片付けに取り掛かり、白蘭は冬籟を見送りに廂房から中庭に出て表に向かった。
その表の建物の中からも扉がパタンと開いて女将が中庭に姿を現す。
「白蘭様、ちょうどお呼びしにいくところでした。崔家から春賢様のお使いが白蘭様をお訪ねで……」
春賢? あの科挙を受けるという貴族のお坊ちゃまか。昨日夕餉に誘われたが断った。話はそれきりのはずだった。
それなのに、白蘭が飯庁に足を踏み入れると、そこに待っていた粗末な身なりの初老の下男が苛立たし気な声を上げる。
「白蘭様。お坊ちゃまがいつになったら来るのかとお尋ねです」
白蘭は首をかしげた。
「別にお伺いする予定はありませんけど?」
「お坊ちゃまに招かれているのでしょう? いったいいつごろになりそうなんですか?」
「……」
「準備があるんですから早く教えて下さいよ」
「だけど……」
そんな約束などしていないし行きたくもない。当惑していると冬籟が下男と白蘭の間に割って入ってくれた。
「悪いが、この娘は後宮出入りの女商人だ。しばらく身体があくことはない」
「ですが、お坊ちゃまは……」
「商談の相手は皇帝陛下と東妃だ。いつからお前の家は天子より偉くなった?」
男はそれでもごにょごにょと小声で何かを言っている。
冬籟が「文句があるなら宮城に来い!」と一喝してようやく相手は背を向けて立ち去っていった。
「ありがとうございます、冬籟様」
冬籟が振り向く。
「念のため確認しておくが、春賢に何か思わせぶりなことなど言っていないか?」
「私があの人に会ったのは冬籟様と一緒だったあのときだけでございます」
「あのやりとりでどうしてこうなる?」
「私にだって分かりません」
冬籟は少し考え込んだ。
「あんたには色気がないがそういう女を好む男もいる。春賢殿も女は素朴なのが一番だと言っていた」
「そうでしたね」
「変に絡まれると厄介だ。彼の誘いを断りたければ卓瑛や俺に呼ばれて忙しいとでも言っておけ。あんたも嫁にいく身だというのに男と妙な噂になどなっては困るだろう」
そのとおりなので白蘭もしっかりと頷いた。
冬籟が「商人」と口にした。商人がどうしたのかと、白蘭が続く言葉を待っていると、冬籟が「おい」と白蘭の目をのぞき込む。
「あんたを呼んでいるんだ、商人」
「は? 私ですか?」
「そうだ」
「し、失礼しました。いつも私のことは『小娘』とお呼びになるので気が付きませんでした」
「小娘から昇格だ。あんたは雲雀やザロたちの主だというのに、その主が俺から小娘と呼ばれていては、その下で仕える者達の立場がなかろう」
「はあ……」
「あんたは使用人にとっていい主のようだ。それに商売上手だからな。俺もひとかどの商人と認めよう」
「それは……ありがとうございます」
冬籟は再び「商人」と呼びかけた。
「琥の商人は取引を通じて広大な情報網を持っている。だから護符についても知恵を貸してもらいたい。春賢の使いに『後宮出入りの女商人』と言ったのは本当だ。せっせと出入りしてもらおう」
やった! 白蘭は拳を握って彼を見上げた。
「励みます!」
*****
各話ごとの「あとがき」を書いております。「どの部分がどの資料に基づいているか」あるいは「どの部分が鷲生の独自設定かなのか」などについて書いております。何かのご参考になれば幸いです。
→「中華ファンタジー「後宮出入りの女商人」の資料や独自設定など。」
https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557
第14話 「四合院」「ソグド文字」について
https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557/episodes/16817330659566566645
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