第13話 女商人、白蘭の荷ほどき(二)

 雲雀が井戸で筆と、それから自分の顔にはねた墨を洗いにいっている間、白蘭と冬籟は二人きりとなった。白蘭が机の上を片付けていると、彼は食後の茶を飲む手を止めて問いかける。


「藍可の件は納得がいったか?」


「ええ。護符を盗んだと疑ったのはまちがいでした。東妃様は心映えの見事な方。私の親とは大違い……」


 父は己の欲望のままに妻を取り換え、母はそんな父の寵愛を取り戻す以外のことに関心を向けなかった。己の感情が第一で周囲のことなどまるでお構いなし。一方……。


「東妃様は自分の感情に振り回されず、きちんと己を律し、その役割を果たそうとなさる方。嫉妬に駆られて護符を盗むような方ではありません。私も納得しました」


「藍可は思慮深い。卓瑛だって藍可を愛おしんでいるし信頼している。どんな女が後宮に来ようとこの二人の絆はゆるがない」


 白蘭もそう思う。今と同じではいられなくとも、それでも二人は確かな心で結ばれ続けることだろう。けれど冬籟もまた東妃に思いを寄せているのだろうに。


「冬籟様はお辛くないですか?」


「終わったことだ」


 ぶっきらぼうとも言えるほどきっぱりとした口調だった。その表情からは東妃に向けていた子供っぽさが消えている。将軍職を拝命する大人の男の顔だ。


 そう、今の彼は終わりにしたことなのだ。それなのに……。


「すみませんでした」


「何を謝る?」


「私が東妃様に疑いを向けたせいで過去を蒸し返してしまいました。冬籟様が心の奥に封じ込めていたお心まで暴き出すようになってしまったこと、お詫び申し上げます」


 そう言って頭を下げようとした白蘭を、冬籟が慌てて止めた。


「よせ。そんなことを謝らんでもいい。小娘の言うことに声を荒げた俺も悪かった。藍可への疑いが晴れれば俺はそれでいいんだ。あんたはまだ子どもなんだから、大人相手にそんなに気を回すことはない」


 相変わらず子ども扱いするのにはカチンとくるが、冬籟なりに気遣い無用と伝えたいようなのでここは聞き流すことにする。


「冬籟様が陛下の北妃などと噂されても、後宮にとどまる事情が分かったような気がします」


「……」


「東妃様のお傍にいたいお気持ちだけでなく、冬籟様が後宮を出たいと言い出してしまうと陛下が困ってしまわれるから、その話題を避けていらっしゃるのではないですか?」


 冬籟の想いを知っても東妃は卓瑛を選んだ。卓瑛も、弟のような冬籟の片恋の相手を妻に迎えた。卓瑛にも東妃にも冬籟への負い目があるのだろう。


「陛下の方から冬籟様に向かって『妻を迎えたから出て行け』とは命じづらい。また、冬籟様から『後宮を出たい』とも言い出しにくい」


「あてつけがましい気がしてな」


「冬籟様があてつけるような真似などなさらないと陛下もお分かりでしょうけれど……」


「それでも、俺が後宮を出ていくと言えば、俺が藍可のことで傷ついたのではないかと卓瑛は心配するだろう」


 冬籟は苦い顔で続ける。


「俺が卓瑛に心配をかけまいとしているのだって卓瑛にはお見通しだ。だから俺から後宮を出る話を持ち掛けないのだと」


 卓瑛と冬籟は互いに互いを思いやるがゆえに心の内を読み合っている。そのために身動きが取れない。「なぜ後宮を出ないのか」と問われた冬籟の答えが「機会を逃した」だったのはこういうことか。なら、その機会というものを作ろうではないか。


「機会と言うのは思いがけない所からやってくるもんです」


「まあ、一般的にそう言うが……」


「いやいや。一般的なんてぼんやりしたことではなく。私ですよ、この私」


「あんた?」


「そうです。凄腕の女商人が登場したからには冬籟様に一人暮らしをしてもらいます」


 冬籟が身体をずらして片肘をつき足を組むと、目を眇めるようにして白蘭を見上げ、「何が言いたい?」と説明を求める。


「引越しってのはお金が動くんですよ。家具に敷物、壺に皿。そりゃもう、いろんなモノがお入り用になるでしょう?」


「そうだが?」


「で・す・か・ら! その品々を戴家からお買い上げいただきたい。そのため、この白蘭が熱心に冬籟様に一人暮らしを勧めるんです」


「……」


「冬籟様、昨夜は高価な佩玉を私に渡そうとしてましたよね。ちょっとくどかったですよ? 自分が高給取りだとそんなに見せつけたいのかと思いました」


「根に持ってるな……」


「経済力があるのに他人の家に居候しているような独身男性なんて、はっきり言いますと、商人にとってカモがネギを背負って歩いているようなものです。戴家の儲けのために私はそりゃもう冬籟様に一人暮らしをしろとかきくどきます。冬籟様が根負けするまで」


 冬籟が額に手をやった。


「で、根負けした俺は、卓瑛に『商魂たくましい琥商人に押し切られて仕方なく後宮から引越すと決めた』と言い繕えるわけだな」


「さようでございます。冬籟様が後宮を出る穏当な口実ができ私は大儲け。双方によいお話ではないかと」


「そうだな……」


 白蘭はもう一押しする。


「私の荷には女性向けの宝飾品もございますよ?」


「俺にそれを買って藍可に贈れとでも? 亭主でもない男が贈り物など……」


「西妃側の琥商人としては、東妃様と今から懇意になっておきたいのです。今、たまたま毅王子にして北衙禁軍将軍の冬籟様と私との間に繋がりできました。これを活かさぬ商人などおりません。冬籟様には、琥商人の私から東妃様に差し上げる品を購入し、琥と漣の仲立ちをしていただきたいのです。そして、これは琥の利益だけではありません。琥、毅、漣。後宮においてこの三者の関係が良好であるのは董の皇帝にとっても望ましいことでございましょう?」


「あんたから藍可へ贈る品を買えば董王朝のためになる。それなら大義名分が立つ……」


「さようです。そして私もその代金がいただけるので儲かります」


 冬籟が遠くを見つめる。どこか切なげな表情で。この無骨な禁軍将軍は恋する女性に何かを贈りたいとずっと願っていたのだろう。


 冬籟は白蘭の視線に気づくと黒曜石の瞳に一瞬含羞の色を浮かべたが、それを振り払って白蘭に複雑な表情を向ける。


「あんたは抜け目ないんだか、親切なんだか……」


 そこに雲雀が「お待たせしました!」と手巾で手を拭きながら飯庁に駆け込んできた。


 雲雀が「あ、何かお話の途中でしたらお待ちしますよ」と白蘭と冬籟の二人に笑むと、冬籟が軽く両手を挙げて降参というような仕草をした。


「小娘、なるほどあんたは商売上手だ。その話に乗ろう。俺の引越しについて何を買ったらいいのか品目を書き出しておいてくれ。あんたの言い値で買ってやる。藍可に贈る品についてもおいおい品物を決めていこう」


 白蘭はにんまりと笑って「ありがとうございます」と頭を下げた。



 *****

 各話ごとの「あとがき」を書いております。「どの部分がどの資料に基づいているか」あるいは「どの部分が鷲生の独自設定かなのか」などについて書いております。何かのご参考になれば幸いです。

 →「中華ファンタジー「後宮出入りの女商人」の資料や独自設定など。」

 https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557

 第13話 「シルクロードの交易品」について

https://kakuyomu.jp/works/16817330659369663557/episodes/16817330659566047711

(森安孝夫さんの著作から詳しい品目をご紹介しております!)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る