死神勇者と強引令嬢の馴れ初め

平原誠也

馴れ初め

 その日は雨が降っていた。

 桶をひっくり返したような、そんな土砂降りの雨。いつもなら憎いぐらいに燦々と輝いている太陽も、今日はお休みらしい。

 誰もが家に閉じ籠り家族と過ごしたり、恋人と過ごしたりするのだろう。


 ……まあ、オレには関係ないがな。


 路地裏に住む、薄汚れた孤児。それがオレだ。

 今も、雨に濡れながら蹲っている。


 なぜ孤児になったのか。

 大層な理由はない。オレは生まれつき孤児だった。親の顔なんて見たこともない。

 物心がついたときには泥水を啜り、残飯を貪っていた。

 

 生きる為ならなんでもやった。

 空腹で死なない為に盗みもやったし、オレのことを攫って売ろうとした大人はみんな殺した。

 十人殺したあたりからは数なんて数えちゃいない。

 今や返り討ちを恐れて、オレに手を出す奴はいなくなった。

 

「そんなの所で何をしているのですか?」


 視線を上げれば、傘を差し出す女がいた。

 汚れを知らない白い髪、空のように蒼い瞳。身に纏っているのは煌びやかなドレス。

 こんな場所には似つかわしくない、貴族令嬢サマだ。歳の頃は同じぐらいだろうか。それかすこし上にも見える。


 そのドレスに付いた宝石ひとつでも剥ぎ取れば、一体何日の空腹を紛らわすことができるだろう。


 思考が暴力的になる。たぶん空腹のせいだ。三日前から何も食べていない。


 だがそんなことはしないし、できない。

 きっと周囲にこの女を見張っている護衛がいる。手を出した瞬間にオレはゴミのように斬り捨てられるだろう。

 狙う相手は見極めなければならない。それがこの薄汚い路地裏で生き残る術だ。


「……なにも」


 それだけ言うとオレは女から視線を外した。

 普通の女はそれで去っていく。だがその女は普通じゃなかった。

 あろう事か隣にしゃがみ込んできたのだ。

 鬱陶しそうに視線を向けてもニコニコと笑顔を浮かべている。

 無性に腹の立つ顔だ。イライラする。


「そっちこそなにかあったのか? 貴族サマのお遊びなら――」


 皮肉を込めて、吐き捨てるように聞いた。聞いてしまった。それをすぐに後悔した。


「聞いてくださいますか!?」


 オレの返事も聞かずに女は話し続けた。

 愚痴、愚痴、愚痴の嵐。話の大半がオレには理解できない内容だったが、女は女で苦労しているのだとわかった。

 オレから言わせたら毎日飯が食えて、暖かいベッドで寝られるだけいいだろうと思う。


 そこで以前殺した男の言葉が脳裏をよぎった。


 ――オレにはオレの、テメェにはテメェの辛さがある。それは比べるもんじゃねぇ。


 どういった場面で言われたのかは記憶の彼方だ。

 だけど耳に残ったのでよく覚えている。

 男の言葉が正しいのならば、この女には俺のわからない辛さがある。その辛さはオレの不幸と比べられる物ではない。


「……すみません。私ばっかり話してしまいましたね」


 女は咳払いをすると頭を下げた。


「別にいい。それでオレに聞かせてどうしようと言うんだ?」


 わざわざこんな場所に来て薄汚い孤児に話を聞かせたのだ。何かあるのかと思い、聞いたのだが、女はぱちくりと目を瞬いた。

 

 何も考えていなかった。顔にそう書いてある。

 俺は深くため息を吐いた。


「わざわざ愚痴を吐くだけの為にこんな場所に来たのか? 危険だから早く帰れ」


 邪険に扱うと女はムッと頬を膨らませた。


「私これでも鍛えているんです。そこらの大人数人なら瞬殺です瞬殺」


 朗らかに笑う彼女から想像もつかない物騒な言葉が飛び出してきた。

 オレはまたもため息を吐くと話は終わりだとばかりに寝転がる。多分この女はオレが何を言っても聞かない。そう言うたぐいの人間だ。

 地面にたまった水溜りが服に染み込み、体を冷やしていく。


「風邪引きますよ?」

「慣れている」


 それに起きていると腹が減る。寝ていれば気にならない。

 起きたらどこかへ盗りに行かなくてはと思いながらオレは眠りについた。




 起きたら雨は止んでいた。水を吸った服が重く、起き上がるのすら憂鬱だ。しかし腹が減っている。そろそろ何か食べなくては死んでしまう。

 ただ死にたくないからと、しょうがなく身体を起こす。


「あっ! 起きました?」


 隣から声がした。一瞬で飛び起き、腰に差している短剣を引き抜き構える。

 そこにいたのは先ほどの女だった。まずいと思い、すぐに短剣を仕舞う。

 どうやら見逃されたようで、護衛は出てこなかった。


 ……いや、そもそも居ないのか?


 そんなことを思ったが、確信が持てない。そんな状況ではやはり手を出すわけにはいかない。リスクが大きすぎる。


「なんでまだ居る?」


 辺りはもう暗い。女が一人でうろつくには危険な時間だ。


「一度帰りましたよ?」

「は? なら何しにわざわざ戻ってきた」


 オレは睨みつけると、女は手提げから包みを取り出した。それをこちらへと差し出してくる。嗅いだこともない、いい匂いが鼻腔をくすぐった。

 

「……施しのつもりか?」


 やはりオレはこの女が嫌いだ。腹が立ってしょうがない。だけど空腹には勝てずに腹が鳴ってしまった。

 それを聞いて女はニコリと微笑んだ。

 

「いえ、私の愚痴に付き合わせてしまったのでお礼です」

「それが施しだと言うんだ。でも貰っといてやる」


 対価だと言うのなら受け取ろう。それに匂いで空腹が限界だった。

 しかし、すぐにむしゃぶりつくような真似はしない。くだらないプライドだが、食べているところを見られたくないい。

 そんな心を見透かしてか、少女が見つめてくる。


「食べていいですよ?」

「お前が帰ったらな」

「わかりました。では、今日退散するとしましょう」


 聞き捨てならない言葉を聞いた。

 

「待て。また来るつもりか?」

「それ受け取りましたよね?」


 女がオレが手に持つ包みを指差す。


「取引です。時折でいいのです。私の愚痴に付き合ってください」

「なんで俺が――」


 続く言葉が出なかった。女が今にも泣き出しそうな顔をしていたから。なぜか心臓が苦しくなった。


「………………わかった。食事を持ってくるなら考えておく」


 オレの言葉に今の顔は嘘だったかのような、華やか笑みを浮かべた。


 ……騙されたか?


 そんなことを思ったが既に手遅れだった。女は優雅な所作で頭を下げてきた。やはりオレとは住む世界が違う。


「ありがとうございます!」


 女はお礼を言うと路地裏から消えていった。

 もう来るなと内心で思っていると、曲がり角からすぐに顔を出した。


「そう言えば名前、なんて言うんですか?」

「……教える必要を感じない」

「そんなこと言うんですか? ここに居座りますよ?」


 女は引き返してくるもオレの隣にしゃがみ込んだ。やはり腹が立つ。イライラして頭を掻く。

 しかし女はニコニコと笑っている。本当にいつまでも居そうだったのでオレは名前を教えた。

 

「ローレン」

「ローレン。よろしくお願いしますね。私はルイーゼ。ルイーゼ・フォン・アストラムと言います」

「興味ない。早く帰れ」

「わかりました。ではまた」


 その日食べたパンの味は今でも忘れられない。




 それから女は雨が降ると必ずオレのところに来た。

 嵐のような女だ。口を開けば愚痴、愚痴、愚痴。

 貴族のしきたりだとか権力争いだとか、オレにはどうでもいいことを山のように話していった。


 出会ってから一年が経っても、その愚痴が尽きる事はなかった。

 別にいくら愚痴を聞こうが、オレには関係のない事。なにか変化が起こるわけでもない。

 メシがもらえるだけだ。

 

 だが女は一度だけ涙を流した。聖女だとか言っていたが詳しくは理解できなかった。

 だけどその姿を見て、オレは無性に腹が立った。何に腹が立ったのかはわからない。


 この感情の名前をオレは知らなかった。


 そうしてまた一年が経った。すると女はパタリと来なくなった。胸がモヤモヤしたが気にしないことにした。


 この感情もオレは知らなかった。


 そしてさらに半年。食糧を盗みに入った店で店主が何やら話していた。


「ルイーゼ様が聖女に選ばれたらしい。これでこの国も安泰だな!」


 その言葉に心臓が脈打った。

 聖女。

 女が泣いた日、口にしていた言葉だ。


 店主の話をよく聞いてみると、聖女は魔王だとかいうバケモノを倒す為に、勇者と共に戦う者を指す言葉らしい。

 コイツらにとってそれは大層に素晴らしく、栄誉な事らしい。


 ……じゃあなんで泣いてたんだ?


 胸がざわつく。

 

 聖女ということは戦場に立つということだ。戦場なんてとてもじゃないがアイツには似合わない。


 そこでオレは思い出した。


 ――私、戦いたくない。


 そう言ってあの女は涙を流したのだ。無性に腹が立つ。あの時と同じ感情だ。


 オレはこの感情を、まだ知らない。


 引き続き、オレは店主の言葉に耳を傾けた。


「勇者様はまだ選ばれていないのか?」

「それは一年後だとよ。予言だと魔王が復活するのが二年後だからな。一年後に王都で試験をするらしい」


 ……オレが勇者に選ばれれば、聖女なんて要らないって言えば、アイツは戦わなくてすむのか?


 オレは柄にもないことを考えていた。

 コイツらの話だと勇者に身分は関係ない。ただ強いものが選ばれる。

 

 気が付けば足が動いていた。盗み当初の目的すら忘れて、ただひたすらに。


 初めは、近隣の山に出現する魔物を殺しまくった。しばらくすると強くなり敵はいなくなった。

 そうなると山を移った。そこには盗賊団がいた。だから壊滅させた。


 盗賊団や襲ってきた魔物を殺し続けて、オレは自分の才能に気が付いた。殺しの才能だ。

 

 オレはどうすれば敵が死ぬのかが一目で分かる。


 物心ついた時からそうだった。だから他の人間もそうだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 盗賊を捕まえて聞いてみたが、バケモノを見るような目で見られた。

 

 いくつかの盗賊団を壊滅させた後、オレは傭兵団に拾われた。

 盗賊では相手にならなくなってきたので渡りに船だ。

 きちんと訓練を受けた人間を相手にする方が強くなれる。そう思った。

 

 そこで戦争にも参加した。敵味方入り乱れる最悪の戦場。いつ死んでもおかしくないような環境だ。

 周りの人間が死んでもオレだけは死ななかった。

 そうしていつからか、死神と呼ばれるようになった。


 ある日、戦場を共にした仲間達と酒を飲みながら語り合った。

 戦う理由について。

 皆が家族のため、子供のため、金のためという中でオレは女の、ルイーゼのことを話した。


「それって恋じゃないですか?」


 横から部下の男が言った。

 あの苛立ちや腹立たしい気持ちはオレがルイーゼに好意を抱いていたから感じたのだという。

 いつからかオレは恋をしていたらしい。初めは鬱陶しく思っていた人間にだ。

 だけどその言葉は腹の底にストンと落ちた。


「……笑い話にもなんねぇな」


 それからしばらくしてオレは傭兵団を抜けた。

 みんなオレのを知っていた為、快く送り出された。


 王都に辿り着くと、オレは試験を受けた。

 腕に覚えのある猛者たちは、オレにとって戦場の雑兵と変わらなかった。

 唯一苦労したのは殺さずに勝つ事ぐらいだ。殺してしまうと失格になるらしい。

 そんなこんなでオレは晴れて勇者となった。


 勇者になると初めに勇者任命の儀式があるらしい。

 そのため、オレは王城、謁見の間に来ていた。


「入れ!」


 呼ばれて部屋に入る。

 真っ赤な絨毯が敷かれ、その奥に玉座があった。そこにはいかにも偉そうな人間が座っていた。

 立派な口髭を蓄えたデブ。それが第一印象だ。

 だがそんな事はどうでもいい。


 ……いた。


 デブの隣にルイーゼがいた。

 あの頃浮かべていた笑顔は危機を顰めて、俯いている。


 ……そんな顔をさせるのはコイツらか?


 そう思うと腑が煮えくりかえる。


「これから勇者を任命する!」


 偉そうな人間、もといデブが何か言っていたが、オレは無視してルイーゼの前に歩を進める。


 ……こんな小さかったか?


 オレはここ数年で背が伸びた。前とは見違えるようになっていることだろう。

 だけどそれだけではない。ルイーゼの表情がオレにそう思わせるのだ。


 だから尊大に言い放った。


「おいおい。なんて面してやがる。オマエはずっと笑ってろよ」


 そこで初めてルイーゼが俺を見た。

 呆気に取られた顔をしていた。それを見られただけでここまできた甲斐があるというものだ。


「ロー……レン?」

「ああ。ローレンだ」


 ルイーゼの瞳に涙が溜まって零れ落ちる。彼女の涙を見たのは二度目だ。

 これからはもう泣かなくていい。その思いでここまで来た。


「え? え? なんで?」


 止めどなく流れる涙を拭いながら、面白いぐらいに困惑している。


「オレが勇者だ。だからオマエは戦わなくていい。オレには聖女なんて必要ねぇ」

「何を言っている貴様!!!」


 デブが何か言っていたが、殺気を込めて睨みつけたら黙り込んだ。

 まわりの騎士達も勇者には手を出せないらしく、困惑している。


「まさか私の為ですか?」

「自惚れんな。メシをくれた礼だ」


 素直に言うのが恥ずかしくてそんな事しか言えなかった。

 ルイーゼは小さく笑った。やはり笑顔がよく似合う。


「ずいぶん大きなお礼ですね?」

「……それぐらいメシの恩はデカいんだよ」


 ぶっきらぼうに言うとルイーゼは何やら考えだした。少しして口を開く。

 

「……先ほど聖女は必要ないって言いましたよね?」

「ああ。要らねぇな」

「それ、撤回してください」

「………………は?」


 つい、呆けた声が出た。

 ルイーゼの言葉が理解できない。戦うのが嫌なんじゃなかったのか。


「オマエ、オレが何のために……」

「ご飯の恩返しですよね?」


 あの日見たような、にこやかな笑顔をルイーゼは浮かべていた。

 オレは額に手を当てて天井を仰ぎ見る。


 ……コイツ、完全に分かって言ってやがる。


 一度大きく息を吐きだすと、もう一度ルイーゼを見た。

 

「……理由は? オマエは戦いたくねぇんだろ」

「覚えていてくれたんですね! 私はそれが嬉しいです!」


 いつもの調子に戻ってきた。

 なのに何故か、昔のような苛立ちは感じない。

 いや、じゃない。オレはそれを


「……もう分かったよ。オマエに任せるよ。だけ――」

「それはそうと、オマエではなくルイーゼです!」

「うっ……」

です!」

「わかった! わかったよ! ……ル、ルイーゼ」

「分かればいいんですよ。それで、何を言いかけました?」

「ああ。オレはオマ……ルイーゼが望むなら、それでもいい。だけど理由ぐらいは教えてもらうぞ」

「いいですよ。……ローレンが隣にいるなら、それでもいいって思っただけです!」


 ルイーゼは胸を張ってそう言った。


「……本気か? 死ぬかもしれないんだぞ?」

「守ってくれますよね?」


 純粋な瞳でルイーゼがオレを見る。


 ……ダメだ。こうなったコイツは何を言っても通じない。


 分かっていた。ルイーゼはこう言う女だ。

 自分勝手で、オレの話は何一つ聞かない強引令嬢だ。


 だからオレは諦めた。昔から舌戦で勝てた覚えがない。


「分かったよ。勝手にしろ」

「はい! ありがとうございます! ……ローレン!」


 そう言って満面の笑みを浮かべながら、ルイーゼが抱きついてきた。


「な!? オマエ――!」


 謁見の間は混沌と化した。

 突然の事に言葉を失うオレ。満面の笑みを浮かべているルイーゼ。玉座で腰を抜かしている王。あたふたする騎士達。


 もはや勇者任命の儀式どころではない。


 これがいずれ世界を救う事になる、死神勇者と強引令嬢の馴れ初めだ。

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