第10話 くっついている、本当に
近い。
距離感がおかしくないか、彼女。
授業中、隣に座ったスカーレットはぴったりと身をくっつけてくる。
その体温を感じながらエドは閉口していた。
現在エドの右腕はギブスで固定されているし、左腕も指先はほぼ動かない。
だから彼女は身を乗り出し、エドが広げた魔導書に授業内容をまとめてくれている。
いやありがたいけど、あとで授業ノートの複写品をもらえば良いし、別にエドの魔導書に直接書き込まなくたって良いじゃないか。
というか書き込むにしたって、本を彼女の手元に持っていけば良いのでは?
……と、思いつつも口にすることができなかった。
「ふむ……こちらの単位はしばらくぶりですが、意外と覚えているものですね」
理由は単純。
授業を受ける彼女の横顔は真剣そのもので、このような状況を一切茶化すような色が見えなかったからだ。
真面目に集中している者に何か告げるのも、エドとしては気が引けるのだった。
というか勝手に授業に集中しているせいで、こちらを全く見ていない。
ただくっついたまま、時折カリカリとペンを走らせる音が響く。
エドもまた授業に集中しようとするのだが、どうにも落ち着かない。
わざと――ではないと思うが、やたらと腕に胸部を押し付けてくるし。
【思うに、十中八九わざとだな】
ふいに、エドの魔導メガネにじんわりと文字が浮かんできた。
【初手は胸か。割とデカい胸を押し付けてお前の反応を伺う。
なんともあざとい真似をする。思春期のオスに何が効くのかを良く心得ている。
なるほどこれが帝王学か】
文字は形を変え、踊るように文章を紡いでいく。
初歩的な魔法の一つであり、近い距離ならばこうして言葉を投げつけることができる。
【どこか浮世離れしていて性欲の薄そうなお前だが、それでも男だ。
スカーレット嬢の情熱を秘めた身体にはひとたまりもないだろう。
君の純潔が奪われる日も近い。ああ……】
「…………」
エドはスカーレットとは逆。左隣の席に座る少女、椿姫を見た。
どこでどう許可を取ったのか、指定の制服とはまるで違うひらひらとした軽装(本人曰く“侍”のいでたち)をした彼女は椿姫はすました顔で授業を受けている。
このメッセージは十中八九彼女がおくりつけたものだろう。
エドは息を吐き、彼女の魔導書へと文字を飛ばした。
【茶化すんじゃない。彼女は真面目なんだ】
【……本当に何の裏もなく、彼女がお前にくっついていると思うのなら、さすがに純粋すぎるな。女の子を舐めている】
【なんで君はそんな自信満々なんだ】
【そりゃあ私だって年頃の乙女だからだ】
【似つかわしくないね】
【ひどいな、こう見えて私は一応、故郷ではなかなかの人気者だったんだぜ。名前の通り姫だったしな】
そこで椿姫は少しだけ笑みを浮かべた。
もちろんこちらは見ていない。彼女は色々と遊んでいるらしい。
のらりくらりとかわすなぁ、と思いつつ、それでもスカーレットとくっついている状況で話し相手ができたことは正直ありがたかった。
真剣に授業を受けているスカーレットには悪いが、この状況だと真面目に授業を受けるのは難しい。
【まぁでも、さして目立ってないのはよかったじゃないか。
不幸中の幸いという奴だ】
「…………」
言われて、エドは周りの様子がいつもと違うことに気づいた。
錬金の授業は学院のホールで行われ、自由に席に座る形式な訳だが、座る学生の数は普段以上にまばらだ。
そこまで人気のない授業という訳でもなかった筈だが――とそこまで考えて、エドは気づいた。
【いなくなった人もいるってことか】
【……ああ、悔やむべきことに】
先の“X学級”としての活動。
機械の国に与して、妖精の国と戦うため前線に相当数の学生が赴いた。
そこでいなくなった者……命を落とした者もいた。
【死者、という意味ではさほど多くなかった筈だがな。
あちらの国の捕虜になった者が大半だ。だが……】
【後遺症……身体にも、心にも】
エドのように身体に重大な怪我を負った者も多いが、それ以上に心に影を遺したものも多いだろう。
理屈としてはわかっていたが、こうして空席の目立つ授業風景を見ると、自分たちは戦場に行ったのだということが実感として湧いてきた。
【君は今後どうする? また行けるか? 戦場へ】
【……行くよ。腕だけどうにかしたいけど】
戦争が激化していることは、流れてくる噂でも明らかだった。
エドはそうした風聞に詳しい方ではないが、それでもこの魔法学院の立場も日に日に難しくなっていることは伝わってきていた。
後ろ盾も何もない魔法士であるエドとしては、再び戦場に赴くことを選ばざるを得ないだろう。
【腕ならそこにいるじゃないか、君の代わりとなってなんでもやってくれる見た目麗しいお嬢様が】
茶化すように椿姫がそんな言葉を投げてきた。
思わず隣――スカーレットの横顔を見てしまう。
彼女は変わらず真剣な表情で授業を受けている。
白金の髪を赤い髪留めでまとめ、普段と違って小さな眼鏡をかけている。
戦場では浮足立っていた彼女だが、今ここで見るその表情は理知的なものだった。
やはりこちらが普段の彼女なのだろう。
『……でも、怖かった。本当のことを言うと、震えていた。
だって、いざ戦場に来ると、自分はまだ子供で、何かを知った気になっているだけのものだってことがわかってしまったんですから。
理論ばっかりで浮足立って、何より自信が持てなくて……だから、ごめんなさい。貴方や椿姫さんに、当たってしまって……』
あの時、戦場から脱出する際、そんな声を聴いた気がする。
ぼんやりとした記憶で、細部はひどく曖昧だが、それでもあの時彼女が見せた弱々しさと、その奥にある芯の通った意志は、エドの中にしっかりと刻まれていた。
――あんなものを聴かされたらな。
エドがスカーレットの態度に困惑をしつつも、本気で振り払えない理由がそこにあった。
「――――」
……と、じっとスカーレットの横顔を見ていたせいか、視線に気づかれてしまった。
一瞬身構えるが、彼女はぷいと視線を逸らし、エドとは逆の方向を向いてしまった。
表情は見えなかったが、絡んだ指先は少し震えているように見えた。
神憑き学生魔法士。隊長になったお嬢様を一応助けてたら勝手に相棒認定された、ずっとくっついてくる @ZEP
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