第9話 今度は椿姫と
「集会がありますのでちょっとだけ席を外します!
午後の授業は私は貴方の隣で受けますので、しばらくここで待っていてくださいね」
……そう言ってスカーレットは去っていった。
解放されたエドワードは大きく息を吐く。
見上げた空は青く澄んでいて気持ちが良かった。
それをぼうっと見つめてしまう。
しばらく前は何も感じなかった空。
だが同じ空なのに戦場のものとは随分違うものだった。
「やれやれ、あのお嬢様は君にぞっこんだね、エド。首ったけという奴だ」
そこに声が響いた。
振り向かずとも誰かはわかる。故にエドは視線を空に向けたまま返事をする。
「椿姫」
「お久しぶり、エド」
顔を向けると、予想通りそこには椿姫がいた。
彼女の一つに結われた長くつややかな髪が風にたなびいている。
遠い異国から来たという彼女の髪と瞳の色は独特だ。
夜の闇を思わせる漆黒の瞳を見ると、エドは不思議な安心感を覚えていた。
あの戦場で別れて以来の再会だった。
彼女とは悪友……という表現が一番近いのだろうか。学院での交友関係の狭いエドとしては、数少ない友といえる存在だった。
「生きてたんだな、良かった」
「…………」
だから率直な想いを口にしたのだが 椿姫は少し眉をひそめて、
「私を責めないのかい?」
「え?」
「君を見捨てて一人で逃げたんだぜ、本来なら呪殺物の所業だ。君が報告すれば、私の首は飛ぶだろう」
「いや、ごめん。何ていうかあまりにも、そういう発想がなかった」
見捨てて逃げた。
彼女は少し申し訳なさそうにそう告げたが、エドは考えもしなかった。
たしかに状況だけ切り取ればそうかもしれないが、あの混乱の最中での行いだ。
それ以上に彼女とまた会えたことが嬉しい。
そう思うのだが、椿姫は少し困ったように首を振り、
「君はなんというか、不安になるな。
それほど鋭敏な感覚と、膨大な魔を抱えているのに、あまりにも根が
茫洋としている。端的に言ってお人よしだ。
スカーレット嬢も気持ちもわかる。放っておけないんだな、君は」
「よくわからないけど、僕は大して能力もないよ。成績だって大してよくもない」
エドの魔法学院での成績は中の下、といったところだ。
格別劣っている訳ではないが、何か突出して優れているところもない。
出自的にも何かしら後ろ盾がある訳でもないし、学院からは特に期待されてもいない生徒だ。
「それは君がわざわざ手加減をしているからだろう?」
「全力だ。それはあまり嬉しくない言い回しだな、僕は僕なりに全力を出してこの結果なんだ、そのことを変に取り繕われるのは良い気分がしない」
「全力で手加減をしているんだろう?
ほかの者の魔力が瓶なら、君は湖だ。
こぼしてしまうと大変なことになるから、君は必死に抑えている」
「何の話だか」
「私は目だけは良くてね」
そこで彼女は、ずい、と身を乗り出してきた。
彼女の大きな瞳の中に、エドは自分自身の姿を見た。
「何に憑かれているのかは知らないが、君のそれを見逃せるほど、私は盲目してないさ。だから君に近づいていたんだが」
椿姫はそこでニッと歯を見せて笑った。
今まであまり見たことがない晴れやかな笑みだった。
「なんだか別の意味で君のことが好きになってきた。
何に憑かれているのかとか関係なしに、放っておけない善だな君は。
君がコマしたお嬢様も好敵手になりそうだし、少し本気になるか」
「……スカーレットさんは、そのうち落ち着くよ。今は戦場帰りで色々興奮しているだけさ」
「さてそれはどうだろう?
聞いたところによると、君は命を賭して窮地に陥ったスカーレット嬢を救ったそうじゃないか。さながら英雄のように」
エドは椿姫から視線を逸らして言った。
「僕は別に彼女を助けたかったわけじゃないんだ」
あの時、自分は一度スカーレットを見捨てた。
魔法士としての論理に従った正しい道のりは、間違いなくあそこで逃げることだ。
エドとスカーレット二人で生き残ることができたのは単なる結果論に過ぎない。
ただ自身の感情で、あの時エドは彼女の下に戻っていたのだ。
「だから彼女は僕に責任を感じる必要なんてない。
まぁあちらも立場というものもあるから、僕に対してそれなりに施してくれるだろうけど、そのうち落ち着くよ」
「それこそ傲慢だよ。責任というのは一方が決められるものではない」
椿姫はそこで大きく息を吐いた。
先の笑みと同じく、いつも飄々としている彼女にしては珍しい溜息だった。
「何より君はわかってないな。
その様子だと君はスカーレット嬢に何も求めてはないんだろう?
そういう態度してたら、逆に彼女を燃え上がらせる。まぁその……色々な意味で」
そんなことないだろう、とエドが反論しようとしたその時だった。
「エドワードさん! 帰ってきましたわ」
弾んだ声が屋上に響き渡った。
スカーレットが戻ってきたようだった。
白金の髪をたなびかせながらやってきた彼女は、何がうれしいのか満面の笑みを浮かべ、エドへと手を差し伸ばした。
「一緒に授業に行きましょう、次の教室は呪文形成2Aでしたわよね」
「え、いや僕とスカーレットさんって違う専攻だったような」
「だから教授の方々に許可を取ってきたのです。これから私は貴方の隣でずぅーっとといますから」
「うん……え?」
彼女はそこで胸を張って語った。
「今の貴方は満足に筆記もできない身体なのですよ?
当然じゃないですか。ささ、行きましょう」
スカーレットはそういって、エドの手を握りしめる。
それを見て、横で椿姫が笑いをこらえているのが見えた。
ほら、言った通りだろう? とでもいうように。
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