恋をするってどういうこと?

ぱのすけ

恋をするってどういうこと?

――恋をするってどういうこと?


 智香の問い掛けに、洗濯物をたたんでいた母の手がふと止まる。年を経て緩みつつある顎下に何となく母の老いを感じる。


「知らないわ。そんなこと」


 つっけんどんに言って、母は仕事を再開した。


「それよりもちゃんと勉強してるの? 次の期末は大丈夫でしょうね? 塾だってタダじゃないのよ」


 これはとんだ藪蛇。

 智香は肩を竦めて踵を返した。

 バサリ!とタオルを振る母の左手が視界を掠める。ぽっちゃりとした薬指で結婚指輪が醒めた光を放っていた。



――恋をするってどういうこと?


 スマホを弄っていた父の指が止まる。


「はぁ?」と、気のない返事をしてから父はにやりと笑った。


「何だぁ、智香? 好きな子でもできたのか」

 

 母よりは好意的な返しに少しだけ嬉しくなる。父のこういう所は大好きだ。


「そういうわけじゃない。 ただ何となく」


 父の手元のスマホがピロンと鳴る。父はちらりとスマホを見て、何気なく画面を下向きにしてテーブルに置いた。


「返事しないの?」


「いいよ、会社からだけど急用じゃない」


「ふぅん」


 今時の社用メッセージは語尾に♡マークが飛び交うものなのか。

 智香は幾分、冷めた目で父を見た。

 熱弁を奮う彼は何度目かの浮気中らしい。



――恋をするってどういうこと?


 担任の目が丸くなる。

 彼女は親指の腹で落ちて来た眼鏡を押し上げて、「恋をするってどういうこと? ……ねぇ」と、智香の質問をオウム返しに呟いた。


 担任は御年27才の独身。お世辞にも化粧っ気があるとは言えないが、肌はきめ細かくて御餅みたい。童顔なあたりも親しみを覚える。


「うぅん、そうねぇ。どういうことかしらねぇ」


 少女のごときあどけなさで首を捻り、彼女は手にした教科書を見降ろした。その顔が瞬間、ぱぁと明るくなる。


「じゃぁ、『たけくらべ』を読んでみたらいいわ」


 いかにも現国の教師らしい。智香は苦笑いで頷いた。



――恋をするってどういうこと?


 さっき知り合ったばかりの彼はファミレスのテーブルに肘をついて快活に笑った。


「えー? なんかいいねぇ、初々しくってさ」


「そう?」


「うん。大人になったらさ、いちいち考えないよ、そーいうの」


 35才サラリーマンと言っていた。

 駅前でぼーとしていたら声を掛けられた。一緒にお茶でもしないか、という。


「そうだなぁ」

 彼は首を捻り、ひとしきり考える振りをしてから、ぐいと身を乗り出した。


「やっぱりあれでしょ、身も心も捧げたくなる、感じじゃない?」

 

「どうかな」

 曖昧に笑って智香は自分の前にあるアイスコーヒーを勢いよく飲み干した。


「それよかさ、この後どっか行こうよ。カラオケなんかどうよ」


「飲んだし、いいや」

 

 お先に、と自分の分のコーヒー代を置いて席を立つ。智香の背後で盛大な舌打ちが響いた。



――恋をするってどういうこと?


 ほぉ!、と曾祖母は目を丸くした。

 独り暮らしの曾祖母宅の縁側で、気軽にぼりぼりとかりんとうを貪る。足を気ままにぶらぶらさせる智香を見守る目を細めて、曾祖母はふふ、と穏和に微笑んだ。


「智香ちゃんもお年頃なのねぇ」


「そう。お年頃なのよ」


「まぁまぁ。うふふ」


 おっとりと口に手を当てた曾祖母の目が仏壇で笑う、軍服姿の精強な男性の遺影で止まる。


「いつかまた逢えたらね、嬉しくって駆け寄っちゃう。そんなもんかもしらん」


 智香は曾祖母の視線を辿り、にんまりと笑った。


「あらやだ、恥ずかしいさね!」


 両手で頬を押えて退散していく曾祖母の背中に、「ひぃばあちゃん、乙女やね!」と呼びかけて、智香はまたかりんとうを頬張った。



――恋をするってどういうこと?


「んなこと訊いて回ってたのかよ」


 自宅近くのファストフード店。腐れ縁の悠斗は、ストローを咥えつつ呆れ声を上げた。ストローの先っちょが潰れている。ついつい噛んでしまう癖は今も治っていない。


「しかも知らんおっさんについてくとか、危ないだろ」


「お茶しただけだよ」


「危機感なさ過ぎ」


 ぽい、とポテトを口に放り込みまたストローを咥える。悠斗は、同じようにポテトを放り込む智香を見て、ぶっきらぼうに訊いた。


「で? 答えは出たわけ?」


「んー」


 智香はハンバーガーを取り上げてガサコソと包装紙をむきながら、悠斗を見た。

 彼は、「すぐ噛んじゃうんだよなぁ」とぼやきながらストローを直している。いつもの風景なのに、いつの間にか笑顔になってしまう。


「……何笑ってんの?」


「別に」


 智香は照れ隠しにがぶり、と勢いよくハンバーガーにかぶりついた。


――恋をするってきっとこういう事。

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