エピローグ
「ありがとうございました!」
若い男性客は精算したサイダーのペットボトルを奪う様にして、レジから離れた。
意識はスマートフォンの画面の先。
俺を一瞥もせず、空調で冷えきった店内から気温40度越えの陽炎たつ街並みへと消えていく。
――その客の後ろ姿を、最後まで見送った俺。
深く息を吐いた。今のお客がここでの最後のお客。俺は今日、このコンビニを辞めるのだ。
「……桐谷君!」
声に振り向けば、ショートカットにした笑顔の早川さんが立っていた。
「ぉはよございます!」
「バイト最終日、お疲れ様! でも、これからは受験勉強の日々かぁ」
「はい、まだ志望校への合格ラインもギリギリなんで……」
「東京の大学だっけ?」
「ありすの志望していた大学です。……俺が彼女が見れずに終えた景色を、代わりに見てあげたいと思って」
「……ん、そっか。良いと思う。きっとありすちゃんも喜ぶよ」
と、早川さんは微笑んだ。
――初夏。
あれから、一年。
俺たちは夕日島から戻り、平凡な日常生活を送っていた。
俺とあいらは、ありすのもたらした奇跡に助けられた。あいらも命をアオユウヒに取られる事もなかった。きっとあいらの願いが俺の覚醒によって中途半端な状態で中断されたからかもしれない。憶測だけど。だが、念のため定期検診には通っていると早川さんから聞く。
早川博士も頭を強く打ったものの、外傷だけで大事に至らなかった。今は大学に戻り、アオユウヒの生態についてまとめている。
そして、あいらは――。
今回の事件があって、あいらの父親が家に戻ってきた。
ありすの葬式の時、初めて会った父親。
以前見た写真でみえた威厳らしいものは一切ない、ただのオジサンだった。
本当は恨み言の一つでも言いたかった。
しかし、ありすの父親も憔悴しきっていて、ずっと泣いていた。
……だからって許せる訳じゃないけれど、ありすの母親も、あいらも、家族三人が肩を寄せ合って泣いている姿を見ていたら……何も言えなかった。
同じく同時期に俺の母ちゃんも「男に振られた!!」って大泣きしていた。
俺は落ち込む母ちゃんに毎日バイト先のコンビニスイーツを買って慰め続けた。もう恋愛なんてしない!……なーんて、いっときは叫んでいたけれど。
最近は再び気になる男が出来た模様。
――そして、あいらの家族は父親の転職を理由に引っ越しをした。
場所は東京。
だから、ありすの葬式の後……もうかれこれ一年はあいらとは会っていない。
……あいら、元気になったかな……。
◆
――晩秋。
早川さん夫婦に、待望の赤ちゃんがやって来た。
早川さんは臨月までバイトする! と意気込んでいるらしいが、博士の方は気が気じゃないらしい。
時々コンビニに遊びに行けば、つわりでコンビニの揚げ物や食べ物の匂いと奮闘する早川さんがいた。
やはり早めにバイトを辞める事になりそう、と青白い顔をして言っていた。
模試を受ける。
志望校の合格判定がCだった。
◆
――冬。
夏はあんなに暑いのに、冬は雪が降ったりもする。変な気候。今日はクリスマス。
ン十年ぶりの、ホワイトクリスマスだ。
母ちゃんは新しい男とデート。
俺はコタツで受験勉強。チキンとケーキはさっき食べた。受験生にクリスマスなんてないんだ。
俺は集中力が切れて、もう一年前以上前から更新されていないありすのLINEの画面を見る。
最後のLINEは海デートの詳細についての内容。
ありすが『楽しみだね』と打って、文章は終わっている。
コタツにつっぷして、目を閉じる。
カチコチと掛け時計の秒針の音だけが耳に響く。
――ああ。
「……会いたい」
脳裏に浮かぶのは、ありすの笑顔。
はにかむありす。
「会いたい、ありすに会いたい……」
すると、脳裏に浮かぶありすの傍に、もう一人。
あいらだ。
ありすと異なって、仏頂面で俺を睨んでいる。
メソメソするな! と言わんばかり。
思わず、頬が緩んだ。
突然やる気が出て、むくりと上半身を起こすと、俺は再び問題集に挑み始めた。
◆
――初春。
城ケ崎高校を卒業する。
奇跡的にありすが志望していた大学に合格。
晴れて東京で一人暮らしとなる。
東京。
あいらと物理的に距離が縮まる。
でも、彼女の新しい家の住所も、そもそも住んでいる場所もまったく知らない。
実家のある田舎と違って、きっと出会うことなんてないんだろう。
――上京。
人が多い。人ばっかり。雑音も多い。なのに狭いワンルームの部屋に入れば一人でカップ麺を食べて、音のない孤独を味わう。
矛盾する都会。
家と家との密度が高くて蒸し暑い。春でこの暑さ。じゃあ夏は一体どうなってしまうのだろうか。
大学が始まり、とても忙しくなった。
◆
――初夏。
同じ一年生の女の子に告白された。
しかし断ってしまった。
可愛い子だったのに。
俺の中ではまだありすの存在がとても大きい。
早川さん家に赤ちゃんが生まれた。
可愛い女の子らしい。
早川博士は赤ちゃんにデレデレで、仕事に行きたがらない博士を追い出すのも一苦労だと俺にLINEで愚痴ってきた。いや、のろけか。
俺は出産祝いは何にしようかと考えつつ、東京でもバイトしている同系列のコンビニへと足を進める。
すると、道行く一軒家に青い花が咲いていた。
ドキリとして、俺は足を止める。
なんだ、朝顔か。
似ているからな。アオユウヒに。
ぼんやりと青い朝顔を見ていると、そこの家から幼稚園くらいの幼い女の子が庭から出て来て俺に一輪手折ってくれた。
「押し花にすると良いよ」って。
押し花? 花の名前もろくに知らない男の俺が? と苦笑していると「お隣に住むお姉ちゃんがね、押し花がとっても上手なんだよ!」と、縁台から画用紙を持って来た。
そこには押し花になった青い小花や葉っぱで作られた、青い花に包まれた島の絵だった。
それはまるで夕日島――。
その絵に心臓が高鳴る。
すると……俺の空耳か?
『良かったね』ってありすの声が聞こえた気がしたんだ。ふと顔を上げると、その声はクリアに、その小学生の背後から聞こえた。
「さやかー! 朝顔はどんだけ押し花にす……」
お互い、言葉をなくした。
そこには、青い朝顔の鉢を抱えたあいらがいた。
見慣れない白シャツに緑地のチェックスカート。
高校の制服だろうか。
でも小柄なのも、顔立ちも、ポニーテール姿も変わっていない。
その大きな目はなんで? って言っている。
なんで、こんな所にいるの? って。
朝顔を持ったままのあいら。
その青い花が小刻みに震えている。
ただ、さやかと呼ばれた女の子だけが、不思議そうに涙ぐむあいらと俺を交互に見上げていた。
◆
そして、晩夏。
「――あ、流れ星」
隣を歩くあいらは、広がる海に瞬く空を指さした。俺が振り向けば、流れ星は月明かりに煌めく海岸へと飲まれている所だった。
「……赤ちゃん、可愛かったね」
「うん。博士そっくりでちょっと笑った」
「ぶ。それは……うん。でも父親に似ると倖せになれるっていうし」
「そっか」
――俺たちは夏休みの終わりに地元へ帰省をし、早川夫婦の赤ちゃんを見に来ていた。
ふにゃふにゃの新しい命。
その尊い命を大事そうに抱き上げたあいらを見た時、アオユウヒからあいらを救ったありすと被った。
この光景を見て、改めて思いを確認した。
あいらへの気持ちも含めて。
だから俺は、自分の素直な気持ちを告げた。
「あいら」
星空を見ていたあいらが振り向いた。
「俺、俺さ」
「うん」
「ありすの事が好きなんだ」
「……うん」
「この一年の間、ありすの事を思うとずっと悲しかった。辛かった。ずっと会いたいって思っていた。でも、最近……本当に最近だけど、ありすの事を思うと楽しかった思い出も考えられるようになって。思い出を客観的に見られるようになってきて」
「……」
「だから、少しずつだけど、俺は変わっていて。ありすはずっと変わらないのに。俺の心は変わり続けていて。だから、これから、ありすの事を過去の思い出だと思う日が来るのかもしれない。……でも、それが、いつの日になるのか分かんない。一年後かもしれないし、十年後かもしれない。だから……」
「……だから、私とはもう二度と会わない、とか言うつもり?」
あいらは俺に背を向けた。ポニーテールが海風に靡いている。
「……嘘つき」
「えっ」
「分かってたけど、ほんっと、斗真は意気地なしの嘘つきだよね!」
「え、ど、どうして? 俺はむしろ、自分の心を正直に伝えているのに!」
あいらは深くため息をついて、それから言った。
「お姉ちゃんとの約束……。私を一等、倖せにしてくれるんじゃなかったの……?」
「!」
「……私の倖せは斗真と一緒じゃないとなれない。だから、してよ。お願いだから。……私を斗真の傍で、一等倖せな女の子にしてよ」
「でも……」
「待つよ。私は待っている。十年でも二十年でも。私、斗真が近くにいてくれたら、それだけでも倖せだから……!」
最愛の姉との別れ。
渦巻く暗い感情も、思い出も、すべて飲み込んで昇華して前へ歩き出していたあいら。
その足取りは軽やかで。
俺との距離が開くと立ち止まり、振り向く優しさもあって。
じっと俺を見つめているあいら。
でも、足は、ありすを想う俺の足は、この場から動かなくて――。
――すると、誰かに背中をぽんと前へ押された気がした。
低い位置。
肩甲骨の下。
小さな手。
背が低いのをとても気にしていた、小さな小さな女の子。
もう一度、確かに押された。
目頭が熱くなる。
『――……いいの?』
『――いいよ。だって、私が世界で一等愛している、あいらだもん』
振り向かなくても分かる。俺の背中にいる。
目の前にはあいら、背中にはありす。
――ありす。
俺は君の事が好きだった。
君の事をずっとずっと想って生きていきたかった……!
でも君が俺を押す。前へ進めと。
「あいら、待っていて」
「……うん」
「いつか……いつかきっと、世界で一等倖せな女の子にするから!」
「……うん!」
肩から滑り落ちた手。
小さなあいらの手と繋がる。
『――ああ、良かったね』
ありすが俺の耳元で囁く。
振り返れば、ありすの懐かしい甘い匂いだけが、俺の鼻腔をくすぐって、ふわりと消えた。
目を閉じる度に思い出になっていくありすを胸に刻み、俺達は二人で歩き出す。
そして、思い出す。
群青の海と空の中、微笑む眩しい乙女。
――俺は、確かにあの子が好きだった。
ーENDー
群青と乙女の島で ー大きくなった僕の彼女ー さくらみお @Yukimidaihuku
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