第17話


 日が完全に暮れてた原生林。そんな暗闇の森に飛ばされた自分のスマートフォンを探すのは時間の無駄だと判断する。


 気絶したままの博士の白衣ポケットから恐る恐るスマホを取り出し、早川さんと連絡を取る。すぐに繋がった。

 状況を即座に伝えると、急いで夕日島へ救急隊を送ると答えてくれた。

 これで、博士の事はなんとかなりそうだ。


 俺はあいらだけに集中出来る。


 でも、あいらが消えてから声はおろか、気配すらなくて。思考と体ばかりが焦る。早くどうにかしなければならないのに。


 たった一人で、どこをどう探せばいいのか。


 そんな時。

 背後からぽうっとほのかな明るさを感じた。

 振り向けば、ありすの手の辺りが少し光っていた。


「……ありす?」


 俺はその光に導かれる様に、ありすの元へと戻った。

 すると。

 彼女の右手の下、そこにひっそりと小さな小さな1cmにも満たない小さな花が咲いていた。

 形状からして、これこそ俺たちが探していたもの。夕日色のアオユウヒだった。


 この花はありすの願いでありすの涙から生まれた次世代の種なのかもしれない。

 海水で死ぬことなく、生き残っていたんだ。


 夕日色のアオユウヒは俺に囁いた。


『アノコ ガ 大切 ナノ?』


「……」


『アノコ ハ ボク ノ アタラシイ お母さん ダヨ?』


「……」


『ダカラ アキラメテ』


「……」


 俺はその夕日色のアオユウヒを掴み、引っこ抜くと、海へと進む。

 ザブザブと波を掻き分けて、沖へと進もうとすれば、脳内に刺さる様な鋭い痛みと共に、アオユウヒの叫びが鼓膜の中で響き渡った。


『ヤメロ! ナニスルンダ! タスケテ! 死ニタクナイ!』


「止めないっ!……俺はもう! これ以上大切な人をなくしたくない! だから、お前たちが滅ぶしかないんだ!!」


『イヤ、イヤダ! ボクタチニ、ナンノ 罪ガアルノ!? ボク ハ お母さん ノ 願いヲ 叶えて イルンダヨ!? ボク ハ ワルクナイ!!』


「……そうだよな。お前たちからしたら、正当な理由だろう。でも、俺にとって、お前たちの存在は邪魔でしかないんだよ! 俺の大切な人の命を奪い、そして、またもう一人、奪おうとしている!!」


『ダ、ダッテ。ソウシナイト 生き ラレナイ……ボクタチ ハ 生きられないンダよ!? 死ニタクナイ……死ニタクナイヨーー!!!!』


 これはもうエゴとエゴのぶつかり合いだった。

 ありすも、あいらも、願ったのは自分の意志だったと思う。

 でも、その原因が俺ならば。

 俺の事を想ってくれて、願った結果ならば。


「知ったことか! 俺はありすとあいらのためなら……なんだってやってやるんだ!!」


『……!……!!』


 海水へと夕日色のアオユウヒを沈めた。


 しばらく、激しい頭痛と悲鳴が続いたが、しばらく経つとアオユウヒは攻撃を止めた。


 俺はそれでも、ずっと長い事、アオユウヒを沈めた。

 喋らなくなって、ふやけて、その花を、茎を、根を、ズタズタに引き割いた。


 可哀想とかそういった陳腐な感情は一切なかった。

 むしろ、ざまあみろと思った。ぞくぞくした。


 俺は興奮したまま岸に上がると、地面に落ちていた博士の持っていたサバイバルナイフを拾い、尻ポケットにしまった。さらにテントに戻り、水筒とペットボトルに入れられるだけの海水を詰めて、リュックやポケットに詰めた。


 興奮が冷めない。

 深呼吸を何度もして、両頬を叩く。

 冷静になれ。冷静に……。


 あいらを連れて行ったアオユウヒはどこへいった? 神経を凝らして、目線を落として咲き乱れるアオユウヒを凝視する。


 その時、馬鹿みたいだけど、その時になって、やっと気が付いたのだ。


 ありすの家にあったアオユウヒ。

 夕日島に咲き乱れるアオユウヒ。

 そして、今。


 目の前で暗闇の中、気味悪く咲き誇るアオユウヒの法則に。


「花弁が、次世代の母体あいらに向いている……?!」


 花弁はみな一斉に北東を向いている。


 俺は走り出した。

 走って、走って、アオユウヒの花弁が向くその先へと暗闇の森の中を一人駆ける。



 突然、何かにつまづいて転んだ。

 右頬と右腕が地面に擦れて、鈍い痛みが走る。


 振り返れば、足に引っかかったのはアオユウヒの蔦だった。


 即座に起き上がり、ポケットから転がった海水入りのペットボトルを掴んで栓を投げ捨てた。


「どけ!! ぶっかけるぞ!!」


 海水だと気が付いたアオユウヒの蔦。一瞬怯んだ隙に俺は駆け抜ける。

 そのまま海水入りのペットボトルを持ったまま、蔦を威嚇していると、目の前に全長五メートルはあろう巨木が現れた。

 巨木には大きながあり、そこから生き物の気配を感じる。


 目を凝らして見やれば、の中央から出ている肌色の手が俺の目に留まり、叫んだ。


「あいらあぁあああ!!」




「…………」



 声はしないものの、あいらの気配を感じた。


 良かった。

 まだ生きている!


 まだ、助けられる……!!


 俺がジリと一歩近づくと、うろの周囲からアオユウヒの蔦があいらを渡さないとばかりに無数現れた。

 俺はその蔦に先手を打って海水を掛けた。

 ひっかかった蔦は萎れ、逃れた蔦は逃げ惑う。


「どけ! お前ら、あいらを離せ!!」


 ペットボトルが空になって。別のポケットに入れていたペットボトルの海水を撒く。

 しかし、アオユウヒの蔦はどんどんと増殖していく一方だ。

 うろに埋まるあいらの手まで、あと少しなのに。

 海水を詰めていたリュックが軽くなっていく。

 だんだんと減りゆく海水を、一瞬心配したその時だった。


 後頭部に強い衝撃が走る。


 視界が急降下し、地面が真横に見えた。

 最初、何が起きたのか分からなかった。でもすぐに理解した。



 ……ああ、俺、頭、殴られたんだ。


 両手両足にギリッと蔦が絡まる。

 体が動かない。抵抗できない。


 ぼんやりする頭。

 しかし、首に絡まった蔦によって締めつけられて、強制的に正気に戻った。

 首にギリギリと蔦が絡まる。苦しい。手足が痺れる。

 肺が息を吸えなくて、喉から変な音がする。

 苦しい。苦しい。だめだ。力が入らない……。

 だらん、と手が脱力する。




 ――ああ、このまま、俺も死ぬのだろうか。






 俺も――、あいらも――。




















 ――その時、奇跡をみた。














 それは大きな手。

 島全体を覆い尽くすような、大きな手だ。


 海辺からゆっくりと起き上がるのは、光り輝く白磁器のような裸体。




 ――ありすだった。



 確かに息をひきとったはずのありすが、生き返った……?


 いや、体が半透明に透けていて、虹色に発光している。

 霊体のような姿なのだろうか。


 起き上がったありすは信じられないとばかりに、自分の手のひらを眺めた後、ハッとし、周囲を見渡した。それから「誰か」を探し始めた。

 その目は力強い。


 ありすと視線が合う。どきりとする。


 しかし、ありすは悲しく微笑み、大きな手は俺をすり抜けて、巨木のうろへと伸びた。

 対抗するアオユウヒの蔦などびくともせず、うろの中に埋められていたあいらを救い出すありす。


 気を失っていたあいら。


 しかし、薄っすらと目を開けた先に、ありすがいると気が付けば、目を見開き、全身を震わせて姉の頬に擦り寄った。


「……お姉ちゃんっ!!」


 愛する妹を救い出したありす。それから、ありすの左手が俺を拘束する蔦を撫でると、蔦は一気に枯れた。アオユウヒから解放された俺は立ち上がり、ありすに両腕を差し伸べた。


 しかし、ありすは俺にはもう、その大きな手を差し伸べてくれなかった。


 代わりに、心に直接声を送ってきた。



『斗真くん、あいらのこと、一等愛してあげてね』



「ありす、そんな、そんなの嫌だ……!」



『愛してあげて。私のことも一緒に、あいらのこと』



「ありす……!!」



 ありすが笑う。

 すると、ありすの大きな体は風船の様に弾けて、体の中から水が溢れ出た。

 それは大雨のような海水で。

 

 ありすがもたらした海水は夕日島全体に降り注ぎ始めた。


 その奇跡の水に包まれて、滑り落ちる様にあいらが降ってくる。

 俺はそのあいらの体を受け止めた。



 ――そして二人で、巨木の下から降り続ける虹色の海水を見つめていた。

 みるみると消滅していくアオユウヒの花。

 悲鳴のような声がか細く響いては、泡の様に消えた。



 あいらは、そのありすがもたらした奇跡の光景を見て、さめざめと泣いた。

 

 その震える小さな肩を抱く。

 あいらは抵抗もせず、俺に体を預けた。







 奇跡の光景は朝まで続いた。


 やがて夜が明けて、救助隊が夕日島に辿り着いた頃――。

 夕日島は新緑の原生林に溢れる、緑の無人島になっていた。


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