第16話
海水浴場からの帰路。
行きは電車で。
帰りは満天の星空の中、ありすと歩いて帰る事にした。
繋がれた手はお互い熱くて、少し汗ばんでいる。
でも、お互いに手を離すという選択肢はない。
会話が途切れると、大きく腕を振って小柄で腕の短いありすを振り回して、からかってみる。
ありすは少しむっと口を膨らませるが、すぐにクスクスと笑い、俺に振り回される事を楽しんでいるようだった。
そんな風に、ゆっくりゆっくりと歩き、家路までの道のりを俺たちは噛みしめる様に楽しむ。
海岸線沿いの国道は、俺たち以外に人はいなくて、閑散としていて。
時折、国道に沿って走る電車が俺たちを抜かしていく。
通り過ぎる電車の規則正しいジョイントの音と、鈴虫の声だけが、俺の耳にリアルに響く。
その電車の先に見える街明かりを遠目に眺めながら、俺たちは少しでも長く一緒に居られる時間を大切にしていた。
「ああ、倖せだなぁ……」
ぽつりと呟くありす。
肩の開いた白のワンピース姿のありすは夜目にも服装だけがぼうっと光っているように見える。
「俺も今、超幸せ!」
本心でそう思ってはずなのに、何かが引っかかる違和感。
胸がザワザワする。変だ。すごく苦しい。
でも、それは、きっと、ありすが好きすぎて苦しいんだ。
『……タネ……』
あ……また、聞こえた。
この声。
振り返る。その先は暗闇に呑まれた黒い海。
海の向こうから、聞こえた。
「――どうしたの?」
「いや……気のせいか」
『……ヨカッタネ……』
今度は確かだった。
やっぱり聞こえる。
あの声が。
俺は黒い海をもう一度見つめた。
誰かが俺たちを見ている。
そして、良かったと言っている。
良かった? うん、良かったよ。
念願の海デート。海辺でキス。これ以上ない幸福。
なのに、なんで俺の心はこんなにも苦しいのだろうか。まるで嘘をついている時のような重苦しい気持ち。
海を見ていると、この重苦しい気持ちが少し和らぐ気がした。
すると、ありすにぐいと腕を引っ張られた。
その強い力に驚いて、ありすを見下ろす。
大きな黒目が不安に揺れている。
「だめ」
「――え?」
「行かないで」
「……ありす??」
「斗真くん、行っちゃだめ。ここに居ないと、ありすが消えちゃう」
「――え?」
「思い出さないで。私はここに居るから……!! 思い出さないで……!!」
その愛らしい顔は醜く歪み、俺を離すまいと腕に爪が食いこんでいる。
「あ、ありす? 何を言っているんだい? ありすは此処にいるじゃないか!」
「そうだよ。だから、何も考えないで。私の事だけ、考えて」
ありすは俺を抱きしめた。
俺はその小さな体を抱きしめようとして……――驚いて、手が止まる。
ありすの華奢な肩の輪郭がブレるのを見たのだ。
ジジジッとノイズ音と共に揺れるありすの体。
『……ヨカッタネ……』
ありすのまっすぐの黒髪が、一瞬、結わいたポニーテールに見えた。
『……ヨカッタネ……』
……この抱きしめた感触。
そうか……。
そうだったんだ……。
「……あいら、もういいんだよ」
俺は、あいらを強く抱き締めた。
その瞬間、ありすの居た世界は崩れ消えて、俺たちは夕日島の森林の中で抱き合っていた。
俺の胸の中で泣き叫ぶ、あいら。
俺もあいらを抱き締めて、涙が零れた。
「……なあ、もしかして、ありすはもう朝に……」
「馬鹿野郎!! お前、ほんとうに大馬鹿だろ! あの世界にいれば、永遠にお姉ちゃんと一緒だったのに!! ばか、ばか、大ばか野郎!!」
泣き叫ぶあいら。それを受け止める俺。そして、この状況を理解出来ずに呆然とする早川博士。
ひとしきり泣いた後、俺は博士に告げた。
ありすの寿命が朝の時点で尽きていた事を。
それを知ると博士は口に手を当てて黙り込んでしまった。
そして、誰が言うまでもなくありすの元へと急いだ。幸いその場所からありすの海岸は三十分も離れていなかった。
海岸へと帰る道中、博士は「ああ……そうか」とぽつりと呟いた。
「……ありすちゃん、俺たちがアオユウヒの真実に辿りつく前に、本能で抗っていたんだな」
「博士? それはどういう事ですか?」
「ありすちゃん。なんでずっと海の中にいたと思う?」
「それは、裸の体を隠すためで……」
「それもあるが、彼女は頑として海にいる事を選んだ。アオユウヒの囁く声が怖いからって。でもそれは、アオユウヒが海水に弱いと本能で分かっていたんだろうな。……ありすちゃんの願いから産まれた種は、成長する事なく、海水に浸かってしまうだろう。彼女は身を持って、アオユウヒから我々を守っていたんだ」
ありすの海岸が見えた。
テントの近くに行けば、小さくなったありすが海に浮かんで、息をひきとっていた。俺と博士は海に入り、冷たくなったありすの体を岸に上げた。
俺はもう動かない白い体に静かに薄手のジャンバーをかけた。その固まってしまった表情と柔らかすぎる質感、冷たい体温にもう二度とありすが戻らないということを突き付けられた。
目の奥がツンとなって、悲しくて、辛くて、綺麗になんて泣けない。
唸るような嗚咽と共に、咽び泣くしか出来ない。
同じように泣き叫ぶあいら。
お互いがありすを奪い合うように抱き締めて泣いた。
――こんな風に別れが来てしまうなんて。
勅使河原先生は言ったじゃないか。
ありすの寿命は一週間だって。
まだ四日しか経っていないじゃないか。
なんで……!!
――そんな時、頭の中で、さっきの幻の光景が過る。
幻の中でありすだと思っていた人物は、あいらだった。
あの幻を知っていて、俺の覚醒を邪魔したあいら。まるであの幻を起こしたのは、あいらだと言わんばかりに。
涙が止まり、すうっと腹の奥が冷えるのを感じた。
「……あいら。君はもしかして……」
「うわあっ!! なんじゃこりゃあ!!」
博士の声に正気に戻った俺たち。振り返ればアオユウヒの蔦に両手両足を絡まる博士の姿があった。
「博士!?」
蔦は森林の中から次々と伸びてくる。
自我を得たアオユウヒの蔦、左右に蛇の様に揺れながら、獲物を見つけたとばかりに俺とあいらに飛び掛かって来た。
「危ない!!」
あいらが俺を突き飛ばした。あいらの手足と首に蔦が絡まる。
拘束はキツく、あいらの喉からグフッと苦しそうな音が響いた。
『チガウ』
『コノコ ハ アタラシイ【お母さん】ダ』
俺にもしっかりと聞こえた。
アオユウヒの声。
あいらのことを【お母さん】だと言った。
はっきりと。
あいらを次世代の種を産む母だと認めたアオユウヒは、手足の拘束は解かないものの、喉の拘束は緩めた。
『次ハ 失敗 シナイヨウニ お母さん ヲ ツレテ イコウ ネ』
『ツレテ イコウ ネ』
「な、なに? 私を連れて行くって……きゃあ!?」
ズルズルと体を森の中へと引きずられていくあいら。俺はその蔦を一つ、掴んで叫んだ。
「あいら! 君はアオユウヒに願っていたのか。……なんで、なんでそんなバカな事を!! 誰もこんな事、望んでなんかいないのに!!」
「だ、だって。私はお姉ちゃんも……桐谷も……好きだから。こんな形で二人が離れ離れになるのが嫌だったんだよ……!! だからぁ……!」
なんて力だ。こんな細い蔦なのに、引っ張っても千切ろうとしても、びくともしない。むしろ俺の体ごと引きずられてしまう。
「馬鹿野郎!! 俺はお前の事も好きだよ! 大切な女の子だよ! お前がこんな風になって喜ぶわけないじゃないか!!」
サバイバルナイフで自分の蔦をちぎった博士が駆けて来る。あいらを拘束する蔦を切ろうとした。しかし、新たな蔦が博士の全身を拘束すると、グルグル巻きにされて、宙づりにされてしまう。
「うわああああ!!」
「博士!!」
「お、俺はいいから、あいらちゃんを!!」
蔦は博士を放り投げた。
一瞬の事で、博士は頭から地面に叩きつけられて倒れた。
「博士!」
あいらの蔦を離して、博士に駆け寄る。
右の後頭部から血が流れている。息はある。しかしこれは一早く病院にいかないと。尻ポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。しかし、そのスマホを蔦は弾いて、茂みの中に飛ばした。なんて知恵の働くやつなんだ。
そうこうしている内に、あいらも引きずられて行く。
あいらの蔦を掴もうと、駆けよるとあいらは叫んだ。
「いいの!! 私のことは放っておいて!!」
「ほっとけるか!!」
「私、ずっと嘘ついてた。……ほんとは、桐谷の事がすごく好き。好きでたまらない。だから、こんな姿になっても桐谷の愛情を一人占めしているお姉ちゃんに、すごくすごく嫉妬していた。……ね?私は酷いヤツなんだ。だから、アオユウヒにお願いしようとした気持ちの半分は、私が桐谷に愛されるためにやったの。だからこれは当然の報い。……桐谷、博士、ごめんね、色々とありがとう。……さようなら……!」
伸ばす手は届かずに、あいらは原生林の闇に消ええていった。
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