第15話
聞き違いでなければ、あいらは俺に「入って」と言った。
いや、彼女でも家族でもない女の子の
「いや、ダメだよ、あいら」
「私も、寝れないんだよ。お姉ちゃんのために、寝なくちゃいけないのに。体を休めなくちゃいけないのに。寝れないんだ。だから、入ってよ!……お願いだから……!」
幼い子が母親を求める様な縋る様な、切羽詰まった声。
俺はテントの入口を開けて、中を覗いた。
すると、寝袋で横たわるあいらが居た。
赤い目をして泣き腫らしたあいらは言った。
「話して」
「え?」
「眠くなりそうな話をして。それか、羊の数を数えてよ」
「つまり、俺に寝かせろと……」
「お前も寝れないなら、いいだろ」
なんと傲慢な。しかしそれもまた、あいららしい。思わず笑みが零れた。こんな時でも笑えるんだな。笑う俺に、あいらは頬を赤らめ目を反らし「早く!」と促した。だから、羊の数を数えようとして……でも、ありすとの会話をふと思い出して止めた。
「……」
「どうした?」
俺はそのまま四つん這いで
「な、何!?」
俺は目を見開くあいらの肩辺りをポンと叩いた。
そして、歌う。
子守歌を。
それは、ありすが歌っていた子守歌。幼いあいらが眠れない時に歌っていたという、あの優しい歌。
言っておくけど。俺、音楽からっきしだから。
ありすはとても上手かったけれど、俺は騒音に近い。
声は裏返るし、うろ覚えの歌詞だし。サビしか知らないし。
でも、あいらが眠れる歌ならば、歌ってあげたいと思った。
俺のへったくそな歌を聞いていたあいら。
見開いた目が、涙で滲んでいく。
「な……んで?……なんで、この歌っ……」
唇をわなわなと噛んで、せり上がる想い出の感情に打ちのめされるあいら。
俺は泣いたなら、泣いたで良いと思った。泣くと疲れるから。その分眠れると思ったんだ。
その時だった。
外から微かに声がしたのだ。
思わず口を紡ぎ、その声に耳を傾けた。
ありすだ。
ありすが歌っている。
あいらは上半身を起こし、俺はテントの外にいるありすを見た。
ありすはうっすらと目を開けて――意識は朦朧としたまま――歌っていた。
きっと俺の歌に触発されて、夢見心地で口ずさんだのだろう。
その歌声に、あいらは一粒の綺麗な涙を地面に零し、それから静かに寝袋に戻ると瞼を閉じた。
俺はそのまま博士が眠るテントへ戻ろうとしたが、あいらが俺のシャツを引っ張った。
そして「眠るまで、隣に居て……」と呟く。
俺は横に寝転び、肘をたてて自分の頭を支えた。そして、あいらの寝顔を見つめた。
すると、うっすらと目を開けるあいら。
「ねえ、もしも……」
「ん?」
目が合って、あいらはジッと俺の顔を見つめた。
「なに?」
「……なんでもない……」
再び目を閉じるあいら。その寝顔を見ている内に、俺はそこで寝落ちしてしまったらしい。
目が覚めれば、テントは日差しで明るく光り、ぬくもりがまだ感じる寝袋だけが置いてあった。
テントから出れば、あいらが朝の光の中に立っていた。
俺の気配に気が付いて振り向けば、彼女の方から声を掛けて来た。
「おはよう!」
「……おはよ」
朝日に向かって深く息を吐いて、力強く吸うあいら。その隣にはまだ眠るありす。
「今日こそは、夕日色のアオユウヒを見つけようね」
「うん」
あいらはまだ眠るありすの頬にそっと触れた。
――すると、あいらは目を見開き、頬からそっと手を離す。何かに驚いた様に。
しかし再びあいらの両手はありすの頬に触れて微笑んだ。
その複雑な表情。
何か気になって、あいらに声を掛けようとした時、豪快なあくびをして早川博士が起きて来た。
「くわあああ!! お前ら、早起きだなぁ!!」
「おはようございます!」
「お、あいらちゃん。朝から元気だなー。さあ、飯を食ったら捜索の続きだ!」
もう、いつものあいらだった。
でも、博士と笑うあいらに。俺に生意気な口をつくあいらに。眠るありすに微笑むあいらに。違和感を感じた。そんなあいらのポニーテールを靡かせる風から『ヨカッタネ』という幻聴が聞こえた気がした。
◆
時間は残酷に過ぎていく。
あっという間に陽は傾き、空はうっすらと薄桃色になってきた。
今日も見つからなかった、くそっと地面を蹴った時、
「ちょっとトイレに行ってくる」
あいらが、そう言った。
「あ、ああ。気をつけろよ」
ここは無人島。
トイレの場合。俺たち男はその辺で用を足す。
逆にあいらの方が恥ずかしがって距離をおく。
あいらの場合は姿が見えなくなるまで奥地に行く。
しかし、万が一何があった場合に声が届く様に、俺たちがいる場所よりも風上でするように博士に言われていた。
その間、俺たちはじっと動かず、あいらの帰りを待つ。待つ。
――あいらの背中が見えなくなって、数十分が経つ。
「……あいら、遅くないですか?」
「……そうだな」
それから数分は待ってみたが、あいらが戻る様子はない。
「博士」
「声を掛けながら、あいらちゃんの所へ行ってみるか」
もし、トイレの最中だったら困るので、近づいて良いのか、声を掛けながら進む。
「あいらー!!」
「あいらちゃーん!!」
しかし進めど進めど、あいらの姿も声もなくて。
だんだんと暗い不安が胸に溜まっていく俺たち。
「あいらー!! どこだー!! あい……」
――最初、見間違いかと思った。
ありすが現れたのだ。
その姿は小さく、俺と出逢ったころのありす。
ラッシュガードを羽織り、その中は水着姿で。
森の中を彷徨っていた。
「あ…………あ、ありす……!?」
「ああっ! 良かった!! 斗真くん!!」
俺を見つけるなり、俺の胸元に駆け寄って来た。
「ど、どうして、ありす……!?」
「心配したのは、こっちだよ! 斗真くん、どこに行っていたの!?」
「え、だって、あいらが……」
「……あいら?」
そう呟き、顔を傾げるありす。
――次の瞬間、ありすの背景が夕日が差し込みキラキラと金色に輝く海辺に変化した。
「えっ――?」
振り向けば、博士も居なくなっていた。
そして夕日島でもなく、地元近くの小さな海水浴場に佇む俺。
俺はありすとのデートのために新調したブルースカイのサーフパンツ姿。
ありすは小花柄の薄ピンクのビキニにスカート姿、クリーム色のラッシュガードを羽織っている。
「な、なんで??」
「……どうしたの? 斗真くん??」
「だって、俺たちは無人島で、ありすを助けるためにアオユウヒの花を探していたのに!?」
「……何を言っているの? 今日は朝から海デートの日だったじゃない」
「……海デート?」
「そうよ。斗真くんが行きたがっていた海デート!もう楽しくって、この夏にもう一度来たいな!」
と、身を翻し、反動で砂浜にすっ転ぶありす。
俺は慌てて彼女の腕を引っ張る。恥ずかしそうに頬を赤らめて笑うありす。
可愛い。可愛い俺の彼女。
その名はありす。
――そうか。
俺はありすと一緒に念願の海デートしていたんだっけ。
……あれ?
俺、さっきまで何か大事な用事があったハズなのに。
――思い出せない。
でも、俺にじゃれつくありすが可愛くて、もうすぐ日が暮れて、帰る時間なのにそれが名残り惜しくて。ずっとこのまま二人で居たいと思った。
――でも、おかしいな。
俺たちが仲良くしていると、誰かが邪魔してくるんじゃなかったっけ……?
「あ、この貝殻可愛い!」
ありすがさくら色の貝殻を拾った。夕日に照らされてキラキラしている桜貝。
「ママにお土産にしよ。あ、こっちのごつごつの巻貝はパパ!」
「……ありすの家は家族仲良しだな」
「うん! 明日はね、パパとママの結婚記念日なんだよ。三人でイタリアン食べに行くんだー!」
絵本に出てきそうな可愛い家に、有名企業に勤める紳士なお父さんとそれを支える優しいお母さん。そして、行き交う人が振り向くような愛らしい容姿をしたありす。完璧な家族。
でも、なんだろうか。
何かが足りない気がする。
果ての水平線に日が沈む。
隣で佇むありすが、俺の手をきゅっと握った。
俺を見上げるありす。キスを待っている。
ずっと夢見たシチュエーション。
俺は屈む。ありすとの唇に吸い寄せられるように。
その時――、
『ヨカッタネ』
風に乗って聞こえた声。
うん、良かったよ……とありすと唇を合わせながら、心の中で呟いた。
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