電書化記念閑話 ルクシーダの趣味

 エルイード様は元来、無口というわけではない。


 もちろん、おしゃべりという程じゃないけどね。普通にお話は出来る方なのよ。本当は。


 でも、自分の考えを言葉にまとめるのは苦手みたいなのよね。子供の頃は思った事を支離滅裂に口に出していて、それを色んな人に「もう少しまとめて整理してお話下さい」と教育されたらしいのよ。


 で、そうしようと心がけたら、今度は考えを上手くまとめられなくて、口から言葉が出なくなってしまったらしい。


 それで、会話に付いて行けず、モジモジしてしまう事になり、側から見ると無口に見えるようになってしまったのだ。


 なので、エルイード様にお好きな軍事関係のお話を振り、私が根気強く促し聞いて差し上げると、エルイード様のお口はようやく滑らかになる。すると、楽しそうにお話をして下さるのだ。


 ただし、こんな感じである。


「そうなのだ。マケドニア王フィリッポスはそれまでの市民兵ではなく職業軍人の育成を試みたのだ。ああ、でも、職業的な軍人がそれまでいなかったかと言えばそんな事もなくてな。後年ライバルとなるペルシアのアタナトイの一部は明らかに職業軍人で、しかしアレクサンドロス大王の敵ではなくてな。イッソスの戦いでは……」


 興奮して楽しそうにお話をして下さるのは良いのだけど、話がすぐに跳ぶので意味を把握するのは大変である。


 ただ、私としては夫と円滑なコミュニケーションが出来ればそれで良いので、私はニコニコ笑ってお話をただ聞いていた。元々私は本を読むのが好きでお話を聞くのも嫌いじゃないしね。楽しんで聞いていたわよ。


 ただ、その様子を見て侍女のフレインは心配したみたいなのね。ある日エルイード様にこう苦言を呈した。


「エルイード様。たまにはルクシーダ様のお話を聞いて差し上げてはいかがですか?」


 どうも毎日毎日私がただただエルイード様のお話をただ聞いているのを見て、私が苦痛を感じていないか心配になったようなのね。だから私は即座に言ったわ。


「フレイン。大丈夫ですよ。エルイード様のお話は面白いわ」


 注文を付けられてエルイード様が萎縮したら大変だ。それにエルイード様は軍事関係のお話については本当に博識で、それに関係する歴史のお話などはポンポンといくらでもエピソードが出てくるから面白いのよ。


 この時はエルイード様は一瞬だけシュンとなってしまったけど、私が促すとそのままいつも通りに話を続けて下さった。私は内心少しホッとした。とにかく、私はエルイード様と心を通わせて、彼と一刻も早く本当の夫婦になりたかったからね。コミュニケーションが途切れるのが一番困るのだ。


 ところが、それから数日後、食後の歓談の時間でエルイード様がなんだか緊張したお顔でこう仰った。


「きょ、今日は、ルクシーダの話が聞きたい」


 私は思わずフレインを見上げてしまった。彼女が私のいないところで何か言ったのでは無いかと思ったのだ。しかし、フレインは驚いたような顔で首を振った。何も言っていないらしい。


 という事は、エルイード様がご自分でこの間のフレインの言葉を気にして、考え、そして決心してこのように言って下さったということだろう。私の心は温かくなった。この方はしっかり私の事を気遣って、私の事を考えて下さっているんだわ。


「では、今日は私がお話ししましょう。エルイード様は、私の何が知りたいですか?」


 私が言うと、エルイード様はぽっちゃりした頬を右手で撫でながら赤い顔で何やら考えていたけど、やがてこう仰った。


「ルクシーダの趣味はなんなのだ?」


 趣味? 私は目を丸くした。意外な質問だと思ったのだ。でも、考えてみればお見合いなんかでは定番の質問よね。「ご趣味は何ですか」っていうのは。なんだかお見合いをやり直しているみたいで私はむずかゆい心地がした。


 そうねぇ。私は考える。


 私は独身時代、お屋敷にほとんど引き籠もっていた。それは私が四女で、私まで社交に精を出すほど我が家が裕福でも広い交友関係を持つ家でもなかったからだ。


 それにアクティブな質でもなかった。乗馬を楽しんだり、街へお忍びで繰り出して遊び歩くような事をしたいとも思わなかったわね。せいぜいお庭で園芸をするくらい。後はお部屋でゴロゴロと本を読んでいた。


 読書と園芸が趣味と言えば趣味だ。結婚してからも庭に出たり温室に行って庭師と話をして花をもらっていたり、お屋敷の図書室から本を拝借して読んだりはしている。特にエルイード様と戦争遊戯をするようになってからは、戦略戦術の勉強の為にその手の本をしっかり読んでいるわよ。


 ただねぇ、これを趣味と言うのはどうなのか。なにしろエルイード様のご趣味は軍事の研究や武具や書籍の収集で、お部屋とは別に離れまで建てていらして、その中には古今東西の武器や防具がずらりと陳列されているのだ。何度かエルイード様に案内して見せて頂いたけど、黒光りする鎧がずらっと並び、剣だとが槍だとかがぎらっと輝き、様々な旗が色とりどりに飾られる様は壮観だったわね。


 ご本も専用の図書室から溢れんばかりに持っていらして、私には貸しても良いと言われたので何度か物色したのだけど、遠い外国の書物やあまりにも古い書籍なんかもあって、私は驚くと同時に感動したわよね。


 あれはもう専門の研究者の領域で、それを「趣味」というエルイード様に、たかだか読むだけ、たまにスコップで地面をほじるだけのあれを趣味と言っても良いものかしら。


 うーん、もう少しインパクトのある奴を「趣味」と言いたいわよね。もちろん私も家でゴロゴロしている時に本を読んで庭仕事をしていただけではない。貴族婦人の定番の趣味である刺繍もお母様としたし、お姉様方と楽器を演奏してお父様やお姉様の旦那様たちに聞かせた事もある。


 ……あー。そういえば、子供の頃から続けている習慣があるわね。それと、付随してやっている事。あれは誰にも秘密にしている事で、多分お母様もお姉様達も知らないし、身近で世話をしてくれているフレインや実家の侍女も知らないわよね。


 ちょっと恥ずかしいけど、これを明かしましょう。愛しの旦那様には私の全てを知っておいて欲しいからね。


「実はですね。エルイード様」


 私が無意識に声を潜めると、エルイード様が身を乗り出した。私はちょっと頬が熱くなるのを感じながら言った。


「私は日記を書いているのです」


「日記?」


 エルイード様が目をパチクリとさせる。私は頷く。


「日記です。もう十年以上書いているのですよ。毎日の出来事や、感じたこと、嬉しかった事や感動した事を書き続けているのです」


 最初は軽い気持ちで書いていたのだけど、段々とこれが面白くなったのだった。


「普通に書いたら面白くないので、その日の出来事を物語、小説みたいにして書くこともあるんですよ。そういう時は多少誇張して書いたりもします」


 大げさにしたり、想像で裏側を書いたり、完全に嘘ではないけどフィクションに近いものになっている部分もある。


 なので大昔の部分なんて、どこからどこまで本当なのかが分からなくなって、後で読むと記憶と全然違う読み物になっていたりするのよね。


 終いには些細な出来事が、私がなんだか大活躍するような出来事に改変されていたりする。出来事の当事者が読んだら怒り出しそうなものになっている場合もあるのではないかしら。そうなると私を主人公にした小説よね。


 もちろん、エルイード様に出会って結婚してからの事も書いているわよ。楽しい生活だし大変な事も色々あるから、沢山書く事があるもの。


「その日記を書くのが趣味といえば趣味ですね」


 私言うと、エルイード様は感心したように頷いた。


「私も日誌は付けているが、あれは本当に業務の事しか書いていないからな。ルクシーダのように書いたら日記も面白そうだ」


 そうですね。まぁ、誇張や嘘も含むアレを日記と言っても良いものか。表紙に「この日記はフィクションです」と書いておくべきかもしれない。まかり間違って後世に伝わって、歴史資料にでもされたら大変だもの。


 お茶を飲みながらそんな事を考えていたら、エルイード様がポツリとこう呟いた。


「読んでみたいな。ルクシーダの日記を」


 危うくお茶を吹き出すところだったわよ! なんとか堪えて、私は思わず大きな声で言った。


「な、なんてこと言うんですか!」


 エルイード様はびっくりして目が丸くなってしまっている。いけないいけない。私は彼を拒絶するような言い方にならないように、慎重に言葉を選んで言った。


「あ、あれは、私の、その、非常に個人的な日記でして、いろいろ他人に見せるのは不都合があるというか……」


 エルイード様はしょんぼりと目を伏せた。


「そうか……」


 あんまりがっかりした様子だったので、私はなんとか心を落ち着けてから尋ねた。


「どうして私の日記なんかをご覧になりたいのですか?」


 すると、エルイード様はポツポツと仰った。


「それを読めば、君の事が分かると思ったのだ。私は君の事を全然知らない。君の事をもっとよく知りたいのだ……」


 うぐっ! 私は胸を押さえた。効いた。滅多に聞かれない我が夫からの惚気言葉に、私は思わず悶えてしまった。


 エルイード様のお言葉には飾り気がないだけに、胸の奥底までに届いてくる。彼が私を理解して愛しようとしてくれている事がよく分かるのだ。


 私の日記を見たいというのだって、心から私を知りたい、理解したいというお気持ちから自然に出た言葉に決まっているのだ。けして興味本位ではなく。


 ううう、私は困ってしまった。エルイード様のお気持ちがよく分かるだけに、そのお気持ちには妻としてお応えしたい。でも、さすがにあの日記は……。


 私が葛藤して頭を抱えていると、フレインがそっと助け舟を出してくれた。


「エルイード様。ルクシーダ様について知りたければ、今日のようにお尋ねすれば良いのですよ。ルクシーダ様はきちんとお答え下さいましたでしょう?」


 ああ、そうか。私もハッと気が付く。別に日記を見せる事に拘る事はない。今のようにエルイード様が知りたいと思ったことを聞いて頂けばいいのだ。もちろん、私は包み隠さずなんでもお答えするわよ。


 フレインの言葉に、エルイード様も気を取り直したように顔を上げて頷いた。


「そうだな。すまぬルクシーダ。無理な事を言って。確かに個人的な日記を見せよなど、失礼な事だった」


「いいえ。大丈夫ですわ。日記の代わりになんでも聞いて下さいませ」


 私が意気込んで言うと、エルイード様はうーんと考え込まれるような表情になってしまった。咄嗟には思い付かないのだろう。彼を悩ますのも本意ではない。私は優しく言った。


「大丈夫ですわ。ゆっくりお互いに知っていけば良いのです。時間はいくらでもありますから」


「……そうだな。私たちは夫婦なのだから、これからずっと一緒だ。時間はいくらでもある」


 私とエルイード様は視線を合わせて、お互いに微笑み合ったのだった。



 結局、私の日記帳をエルイード様が読む事はなかった。だってそれからの日記帳はエルイード様の良いところや素敵なところ、夫としての素晴らしさで埋め尽くされるようになってしまったからね。とても本人には見せられなかったのよ。


______________

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え? 私がぽっちゃり公爵の嫁になるんですか? 宮前葵 @AOIKEN

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