第六話:黒い臓物
「……、つけられている。巨大な黒い臓物のドーブツ」
静寂を崩したのは、フクチの一言だった。
髑髏内裏を、この狂いきった街の中央と捉えた場合、マガガとフクチが歩いているのは、髑髏内裏より南西に下った細道だ。
先程まで歩いていた喧噪の満ちた通りとは一転して、そこは閑静な街路であった。
街路の左右に雑に敷き詰められた煉瓦の隙間には、鮮やかな藍色と琥珀色の宝石の様な苔が詰まっている。その色鮮やかな宝石の苔が、仄かにこの街路を照らしていた。
「もう少し詳しく」
マガガが、フクチにより詳細な説明を求める。
フクチの簡潔過ぎる物言いは、無口なマガガでも時にどうかと思うことがある。フクチの美点はこういった所にもあるのだが、同時にそれはフクチの汚点でもあった。しかしながら、美点と汚点が同居しているこのドーブツのことが、マガガは嫌いではなった。
別段、好きという訳でもないけど。
「土石おにぎり、その仲間のドーブツ……、違う、その上のヴァルナ・ジャーティを有するドーブツ。大きい。黒い臓物。土石おにぎり、同じ紋様を付けている」
絶妙に分かり辛さの残る言葉選びであったが、何百年とフクチを着ているマガガにとっては、さほどこの言葉の意味を紐解くのは苦ではなかった。
「紋様……、さっきの土石おにぎりは、戦士種(クセテリア)に隷属する奴隷種(シューデリア)だったか」
マガガは歩みから駆け足に切り替えると、依然として無機質なガラス細工の顔つきのまま、閑静な街路を抜けていく。それを契機に、マガガの後ろを追う者もマガガを追う速度を上げた。
ずる……、ずるる……。
どろっとした、粘着質で水分が感じられる、嫌な音と共に這い寄る怪物。
黒い臓物と呼ばれたそれは、その鈍い音とは裏腹に、異様に早い速度を以て、マガガの跡を確実に追ってきていた。地面を這って追ってきているが、その這われた後には、小魚や鼠の様な小動物の死骸と骨が、腐乱した状態で転がっていた。
「……、くる」
その、フクチの掛け声が、怪物との戦闘の合図になった。
ひゅんっ。
「っ!」
マガガの影を喰うように這って迫る黒い臓物は、その黒々とした肉塊の中から、鋭い骨を噴き出してきた。
「小骨!胴体!」
フクチの声が鼓膜に届くや否や、マガガは駆けたまま勢いよく右足を踏み出して、路地の壁に張り付いた。間髪を入れずに、先程までマガガがいた場所に鋭利な小骨が刺さる。その小骨は地面の深くまで突き刺さり、穴を穿っていた。
「間一髪」
フクチがそう言いながら、大きな口から大きな舌を出して、ひらひらと振って黒い臓物を煽った。一方マガガは、張り付いた先の壁を地面だと解釈できるような形で、そのまま壁を伝って走り続けた。その様子はさながら忍者の様でもあった。
「小骨左足、小骨右足、小骨右肩っ!」
フクチが続けて、黒い臓物から吐き出される鋭利な小骨の矢の行く先をマガガに即座に伝える。フクチのサポートを零距離で受けているマガガは、飛んでくる小骨を軽快に避け続けた。
しかし。
「っ!?腸の触手、くるっ!」
フクチが焦燥と警戒を声色に落とし込んでマガガに伝える。マガガもその雰囲気を受け取り、迫る触手を瞬時に避けた。
が、触手は自在にその軌道を変えた。
ぎゅるるっ!
「ぐっ!?」
いつの間にか距離を詰めていた巨大な黒い臓物は、その不気味な肉体から細長い触手の様なものを勢いよく発射させて、マガガの右足を捉えていた。
壁を駆けていたマガガは、地面に引きずり落される。
「動物の腸……、自在に操る、黒い臓物」
フクチが冷静に分析する。どうやらただの触手だと思っていたそれは、動物の細長い腸であったらしい。にしても、強靭であった。マガガの右足に巻き付いたその腸は、マガガが力任せに逃げる事を許しはしなかった。
——おおお、捕まえたぞ、『星屑の子』! いと珍しき骨董かな! 伯爵が喜ぶぞぉぉぉ!!——
巨大な黒い臓物から、不気味な声が聞こえた。肉と肉、その中に在る骨と骨、あらゆるものをぶつけてなんとか複雑な音を作っているようなまがい物の声は、どうにも不気味で気持ちの悪いものだった。
「フクチ」
「嫌だ、不味い、喰いたくない」
「土石おにぎりは喰っただろう」
「見切り発車、誤算だ、失敗」
——、誤算も何も、計算などできる頭などないくせに。
足に絡みついた気色の悪い腸、それを喰う事を拒否するフクチに呆れつつ、マガガは既に次の策を考えていた。
「……、フクチ、鉄を吐き出せ」
「うむ。……んぼぇっ」
必要最低限のやり取り。だが二人にしては言葉を交わしすぎたくらいだ。
フクチがその大きな口から吐き出したのは、大きな鉄の塊であった。
その、けた外れの咬合力のある口内で鉄の塊を弄っていたのか、大きな鉄の塊はあちこちを凹ませて、歪ませていた。
「よし」
吐き出された鉄の塊を、マガガは左の手の平に乗っけていた。自分よりも何十倍も大きいその鉄は、マガガの手の平に乗ると、瞬く間にどろりと溶けて、個体から液体に変容していった。
——おおお、鉄が溶けよる、奇怪なり、奇怪なり!——
腐肉と死骸の骨をぶつけた音で作られた声が、路地に響く。
その声を契機にして、マガガの右足に巻き付いていた腸が、あり得ない程に強い力で引き戻された。
「うぉっ!」
思わず声がでるマガガ。
踏ん張ってみてもその抵抗の意味は皆無に等しく、思いっきり空に打ち上げられた。そしてそのまま、黒い臓物の本体まで勢いよく腸が引き戻される。このままでは、マガガも黒い臓物の身体に、腸ごと吸い込まれてしまう。
しかし。
「——、『八幻可現』……」
マガガは本質を違えない。
腸に足を巻き付かれようと、異常な力で引き寄せられても、今まさに、黒い臓物の中に引きずり込まれようと。
マガガは、狼狽もしなければ困惑もしていなかった。
ただ、目の前の敵を倒す——、否、殺すために、躊躇なくその力を行使する。
「——、『堕落鉄』」
マガガが、その力の一端を口にした直後。
ゴォオオオォオオッッ!!!
マガガの掌にあった大量の鉄が、ダムに穴を空けたかのように一気に決壊し、大量の液体となって黒い臓物めがけて流れ込んだ。
——っ!?——
黒い臓物はその異様な光景に一瞬たじろぐも、すぐさまその黒々とした肉塊の内側から大量の触手を飛び出させて、鉄を食い止めようとした。
——ぎげぇぇええぇえっっ!!!——
気色の悪い、濁った高音を更に磨り潰した金切り声が、あたりに響き渡る。
瞬く間に大量の触手が空中に張り巡らされて、防波堤の役割となって鉄の波を抑える。大量の触手が鉄の波と衝突し、激しい音を立てていた。それは、どろどろに溶けた摂氏凡そ千六百度の金属の暴力と、無数に張り巡らされた腐肉の触手の暴力が拮抗している事を示す音でもあった。どろどろに溶けた鉄が、触手を縦横無尽に焼き尽くしていく。しかしその先から腐肉の触手が壁を形成して、押しとどめている。
——ひひひひひっ!!まだ、まだ耐えよるぅっ!——
下卑た恍惚の声が、更に触手の数を増やす。拮抗している様に見えたその境界は、次第に腐肉に侵蝕されて、大量の鉄が段々と覆われていく。
——ひひっひひひっ!おお、我が触手が覆うぞっ!今に覆うぞ!——
大量の鉄はみるみると触手に包まれてゆき、辺りに腐肉の焼かれる匂いが充満する頃。
「——、『退廃玉鋼』」
マガガが、感情を想起させない口調で呟くと同時。
「うむ。……んぼぇっ」
フクチが口からまた、鉄を出した時の様に金属を吐き出した。
今度は鉄の時よりもずっと小さく、両掌にのるくらいのガチャガチャとした鉱石だ。
その鉱石がマガガの右手に渡ると同時、それはみるみる内に形を変えて、遂には粗悪な剣が形成された。それはただ、鋭そうな金属を適当に見繕ったかのような、雑な剣であった。しかし、目の前の怪物を倒すには充分過ぎる代物でもあった。
「触手を吐き出しすぎたな、黒い臓物」
鉄の波を抑えることに必死であった黒い臓物は、思わず内包する肉塊を吐き出しきって、その体積を著しく減らしきっていた。
——ぬぅっ!?——
黒い臓物は、気が付けば随分と肉体を損失していた。肉は剥げて内側から様々な骨や魚の死骸が飛び出ている。注意深く黒い臓物の肉体を観察していたフクチは、その雑多な汚物の中に、確かに意思を以て蠢く何かを捉えた。
「マガガ、見つけた。臓物の中、蠢くもの。黒い臓物の心臓、または肉を操る本体」
マガガは、黒い臓物の中心にある蠢く何かに向かって、何の感慨も無く出来の悪い剣を振るった。
鋭い一閃。
——ぎぃやぁあああぁっっっ——
直後、黒い臓物の中で動いていた何かは真っ二つに裂けて、臓物をその場に残して地面に吹っ飛ばされた。何度か地を跳ねて、汚い声をあげながらそれは転がっていく。
「……、なんだ、こいつ」
地に転がり、真っ二つになった黒い臓物の中にいたドーブツを、マガガは無機質な心持で窺った。
——ぎぃ……、おのれ……、星屑め……——
今にも息絶えようとしているそれは、大きなシデムシの姿をしたドーブツであった。
醜いクワガタの様な頭に、気色の悪い、浅ましい形状の口。頭に続くのは、黒い甲殻を幾重にも重ねた黒光りする胴体、そしてその甲殻の隙間に不気味に生えた細く脆い、無数の足。
マガガはこのシデムシを真っ二つに切り裂いていた為、甲殻は途中で分断されており、半身からは醜く体液があふれ出ていた。
「シデムシのドーブツ。黒い臓物は死肉を集めたもの。臭い」
フクチが半ば雑に、黒い臓物の怪物の本体について説明する。しかし、マガガにとっては倒した相手の情報など、大して重要ではない。
それが、これからトドメを刺す相手であれば、なおさらだ。
「確かに、臭い。もう殺そう」
——ひっ、ひぃ……伯爵……、ミガツイ伯爵ぅ……——
シデムシのドーブツは、必死に頭のついた方の半身を動かして、逃げようとする。
「えいっ」
グサッッ!
甲殻をつぶしながら、肉を刺す感覚がマガガの手を伝う。
「ん?」
マガガが右手に握った剣で貫いたのは、真っ二つに切り裂いた半身の内、頭のついていない方であった。
「半身。頭の無い方」
興味を失ったフクチが、猶も雑に説明する。
「間違えた。こっちだな」
そういって、頭のついた方の半身を、今度は間違いなく捉えるマガガ。逃げようとするシデムシの胴体を、勢いよく足で踏みつけて、其の場に抑える。
——ぐぇぁっ——
「こっちか。よし」
そういって、剣を振り上げて半身を貫こうとするマガガ。
その目には、やはり何も感慨を窺えるような要素は一切、見当たらなかった。
グサッッ!
甲殻が潰れ、再び肉を刺す感覚を受け取ったマガガ。頭の中に生じたのは、僅かばかりの、一抹の達成感だけだった。
「半身。頭の有る方」
そういったフクチは、欠伸でもするように大きく口を広げて震わせてから、のっそりと口を閉じた。
マガガとフクチは、何も無かったかのように、閑静な街路を再び歩いていく。
奈落禍楽徘徊記 加賀 安芸 @akizhong
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