****の友人
「おやじ。ここ、なんかあったのか?」
村から出て少し歩いた森の入り口に小さな野営跡が一つ。それだけなら気にも留めなかったのだが、その周辺の地面が擦れてえぐれているのだ。生えていた野草は踏み潰されていて、静かながら当時の非常を物語っている。
例えば、大きな何かが暴れ回ったかのような。
ちょうど村を出ようとしていた顔見知りの石炭商人に声をかけると気のいい小太りの中年はのんびりと質問に答えた。
「ああ、そこはねえ。最近この辺で悪さしてたでかい鳥が現れたとこだよ」
「鳥……? おい、何かあるなら相談しろって言ってるじゃねえか」
責めるように彼を振り返ると怖い顔をしていたのだろうか、商人は慌てて両手を上げ、弁明を口にする。
「いや、そうは言っても旦那、この数ヶ月あんたご無沙汰だったじゃないか。どこの村にも顔出してないって、心配されてたんだぜ」
そう言われると確かに、ここ最近は国の方が忙しかったのもあって麓の巡察が疎かになっていたかもしれない。時間の感覚を人に合わせるのは難しい。
「ぐる、悪かった」
「ああほら旦那も忙しいだろうからさ、謝らなくったっていいんだけど」
ごほんと咳払いして取り繕い、肩をすくめている商人にさらに話を促した。
「それで、鳥ってなんだ」
「二、三ヶ月くらい前からかな、この辺の平原にでっかい鳥が棲み始めたんだ。卵どころか巣を作ってる様子もないのに子供がそいつのくちばしに引っ張られたりするから不気味でねえ。しばらく対応しあぐねてたんだ」
「一羽でか」
平原に見慣れない一個体がドンと棲みつく時点で十中八九妖精である。
「それが先日、とある旅の子供達が偶然ここにテントを張ってね。危ないから村の中にいなさいって言ったんだけど。案の定朝方に彼らを狙って件の鳥が襲いに来てな、だけどそれを彼らはすぐに追っ払っちまったんだ」
「…………」
眉間に皺を寄せ考え込む。
「旦那あ?」
「子供だけで旅してたってことか? 子供だけで、その妖せ……でけえ鳥に立ち向かって勝った、って?」
「うん、十五もいかない女の子と男の子だよ。女の子の方の身のこなしが尋常じゃなかった。たぶん、あれはどっか軍の訓練でも受けてたんじゃないかねえ」
断片的な話を聞いているだけでもただの子供でないことは明白だ。石炭の商人は子供というが、はては人間であるとも限らない。位置関係を考えても、砦から見えたあのスパークに何らかの関わりがあっても不思議ではないだろう。調査するに越したことはない。……何より早く終わらせたいし。
次の目標が定まったところで顎を上げて石炭商にまた質問を投げかける。
「そいつら、今はどこに?」
「さあ、自分の足で行くってもう出てっちゃったからねえ。なんでもとりあえずはビガイル炭鉱街に向かうとか」
「そうか、あんがとうなおやじ」
「もう行くのかい、旦那。荷馬車が開いてるけど、乗ってく?」
前傾姿勢をとって村を発とうとすれば商人が己の馬をポンポン叩いている。
「フン、これが見えてないわけじゃあるまい」
ニヤリと笑って腕を掲げてみせると、商人はそりゃそうかと肩をすくめてささやかな善意を取り下げる。
「それじゃ、気を付けて……ああそうだ」
翼を十分にはためかせたドイルがいざ地を蹴ろうという瞬間、商人が何か思い出したのか手の平を叩いた。
「あの子達、妙なキツネも連れてたな。」
「……キツネ?」
ドイル卿は目を細める。
ドラゴンの友人に、至って平凡な商人はこんなことを付け足して述べた。
「なんていうか……毛皮がちょっと光るんだ。格子をはめた暖炉みたいに」
○
「結び名をつけてあげないとね」
「こいつの? 私がつけるの」
ビガイル炭鉱への道中。行商の荷馬車を断ったので根気強く二日半の一本道を歩く。
「もちろん」
ルカはジェシカの驚いた様子にちょっと戸惑って、もちろんそうだよと首を傾げた。
「ジェシカの妖精なんだから、君が名付けなきゃ」
結び名は契約主が妖精を呼ぶための名。リツェビエルが契約によって血管同士が結びつくといった例えを挙げたが、名前こそがその赤い紐を守り補強する役目を担うのだ。契約主と妖精の絆と言っても相違ない。
「あんたたちはじゃあ決めなくてよかったの」
「容易く神に名をつけられると思うなよ、恩知らず」
そこまで言われなきゃいけない?
道案内をしているつもりなのか、ジェシカたちの少し先を駆け足で行進している妖精の小さな小さな背中を眺めて。……簡単に思いつくものでもない。それこそへたに適当な名前をつけてしまったら、いつか後悔しそうだし。
「まったく……わかったよ。考えとく」
そう言って頭を掻くジェシカに小人が駆け寄って、困ってる? 困ってる? とお得意の問いかけをしてくる。あんたに困ってるんだよと思いつつ足首にまとわりつく手をぽいっと剥がした。
「こいつめちゃくちゃ呑気だけど、何かの役に立つの?」
「もうちょっと優しくしてあげなよ」
細い腕でジェシカの足首にくっついては剥がされ、くっついては剥がされる妖精はルカの心配をよそにきゃいきゃいとはしゃいでいる様子だった。手近な遊具にされている気分だ。
「こいつブラウニーだし痛くないでしょ、これくらい」
〈いたぁイ?〉
「ほら」
「いや、今言ったよ! いたいって言った」
了解も聞かずに使い魔にしたのに、とうの妖精はずっとこんな調子。たしかに抵抗されたら面倒なのだけれど、誇りはないのだろうか?
「言っとくけど優しくする意味なんてないから。ルカ、あんたと違って
ジェシカの鋭い切れ味にルカの口がもごもごと塞がっていく。
「…………」
生来の体質に加えてこの年齢にそぐわない人の良さのせいで、思い返さなくても昔から悪戯っ気のある妖精によくちょっかいをかけられていた。ルカは彼らにある種の親しみを持っているようだった。ウィローや修道士たちがいくら諭しても認識は変わらず今に至る。仲良くなったからとジェシカに妖精を紹介したことさえあった。当然、そのせいで危ない目に遭ったことも少なくはない。
「試しにやってみたらいいんじゃないか」
しばらくルカの肩口で子供の言い合いを見守っていた神がふいに囁いた。
「なにを?」
「これが役に立つか気になるんだろ? ちょっと命令してみるといい」
リツェビエルは小人へ目配せして言う。
「命令っていってもこいつにやってほしいこととかないけど」
この妖精がジェシカの言うことを理解しているかどうかもよくわからない。見るとジェシカの妖精は道の野草を結んで遊んでいる。
「本性が複数ある……生まれながらふたつの姿を持つものは多くない。こいつがどうかはともかく、鳥は友人にするならいい相手だ。鳥程度には喋れるようだしな」
「妖精って友達にできるものなの?」
「おまえの好きにするといい。おまえのやることを縛る規範など、今はないんだから」
雲間からのぞいた光が目を差して。思わずジェシカは目を細めた。
「……ちょっと、妖精」
〈ン〉
妖精と呼ぶだけで小人はジェシカの方へ顔を上げる。
「あんた、いま鳥になれるの?」
〈困っテル?〉
「いいからなりなさい」
すると小人は自分のお面を両手で覆い、微かに顔から浮かせる。と、お面の下から白い影がブワッと溢れ出した。小人を包み込んだ影は蒸気のようにどんどん広がって、瞬く間にその姿を形作っていった。
はらりと白い羽根がジェシカの手のひらに落ちる。
〈なった!〉
意気揚々と報告し、くちばしがジェシカの手に人懐っこく触れた。
「おお……結構お気軽になれるもんだね」
改めて見ても、小人形態に比べて体の大きさの変化が著しい。首をかがめ翼を折りたたんだ今の状態でも、聖医堂のジェシカの部屋より一回りは大きいだろうか。ジェシカの部屋が小さかったといえばそうなのだけれど。あの部屋で形態変化を試みたら、苦しいくらいぎゅうぎゅう詰めになるだろう。
「図鑑でも見たことない形だね。ライチョウかな?」
「さあ」
首が長いから水鳥なんじゃない、と適当に返事をしつつ、水場といえば湿地しかないこんな平原に雁だって寄らないんじゃないだろうかと頭の中で取り下げる。かといってライチョウほど華奢でもない足とくちばしは、子供の手足くらい容易にもぎ取れるくらいには鋭く重々しい。
とはいえ真っ白で綺麗な羽と、首を傾げる仕草は愛嬌があるし撫でればすり寄ってくるのは正直可愛い。妖精のくせに人に慣れすぎているけれど、これから信頼関係を築く相手として懐かないよりは良い。
「ふ……」
「かわいいね。僕も撫でていい?」
「ダメ」
「なんで!」伸ばそうとした手をジェシカにバシッと止められ、ルカは抗議した。ダメにしたってもっと普通に止めてよ、と。そんなルカへ詰め寄って腰に手を当てた彼女は言う。
「本当こりないね、あんた、腕が食われかけたばっかだってのに」
「でも、」
この妖精に襲われたのはつい先日のことだ。契約をしたとはいうが契約魔法なんて一方的なもので、飼い慣らしたわけではない。あれからジェシカはずっと見張っているのに、ルカはすっかり友達になった気でいるらしい。
そうやっていつも騙されるのに。
「こいつに限った話じゃない。ルカはなにかと妖精の肩を持つよね」
「そんなつもり……」
「自覚がないなら余計にたちが悪いよ。あんた、妖精にでもなりたいの?」
「ちが……、ぁう……」
もっとこの子が危機管理をしっかりしていて、もっとちゃんと否定してくれたらこんな馬鹿な質問なんてしない。けれどこうやって問いかけてもちゃんとした返事が返ってきたことはないのだから。
外に出てまでうるさいことなんて言いたくないってのに。
「…………」
「ともあれかわいいだけじゃただの愛玩動物でしょうが。あんた、なんかできることないの?」
話しかけると妖精は丸い目でじっとこちらを見つめて、翼をちいさく広げてみせた。
〈とぶ〉
それは知ってる。
「何人までなら乗っけて飛べるの?」
頭上の背中を見上げて問うジェシカに被さる、リツェビエルの軽やかな笑い声。
「ま、子供をさらうような悪がきだったんだからおまえ一人くらい余裕だろ。なんにせよ貧弱性はこいつ次第だな。小さな鳥の妖精でも馬鹿力を出すものもいるし」
「そうだよ。能力面じゃなくて悪さしてたのが引っ掛かってるんだけど」
「きっと大丈夫だよ、ずっと離れずついてきてるんだから」
じろりとジェシカの視線が刺さってルカは身を縮めた。本当にこりない。
「……背中に乗るよ。いい?」
〈いいよ!〉
臆病な妖精に念の為声掛けをして、ジェシカは鳥の背によじ登ってみる。馬に乗ったことなら何度かあるけれど二本足に乗るのは初めてだし、ちょっと座り心地が良くない。人を背中に乗せた経験がないせいで勝手がわからないのだろう、バランスを取ろうと足踏みするだけで大きく揺られる。羽ばたくとなればもっと揺れるのだろうから背中に張り付くのさえ大変だ。ジェシカだけならなんとでもなろうけれど、空の上で落ちそうになるルカを支えて耐えられる気がしない。
「どう?」
「却下だね。これに全員が乗ってビガイルに行くのは無理」
〈び、が、い、る、って?〉
「ここから西にある町だよ。ドラゴンの国に一番近いから関わりがあるかもしれないし、調べに行くの」妖精が口を挟んでくるので進行方向をまっすぐ指差して見せる。「あっちの山、見える?」
どこまでわかっているのか知らないけれど、鳥はジェシカが示す方角の空をじっと見つめた。
〈あっちに行くの?〉
「そうだよ」
指し示していた手を下ろしても妖精は同じところを見つめ続ける。
「もういいか、降り……」
大鳥の背から降りようとしたジェシカは、しかし慌ててしがみつくことになった。先程までののんびりした動きじゃなく明らかに飛翔のための予備動作で舌を噛むところだった。
〈わかった!〉
「ちょ……!?」
ばさ、と翼がはためいて空気を掴む。二本の足が血を蹴る振動が伝わってきて、制止する間もなく大鳥はジェシカが指した方をめがけて飛び立った。
「じ、ジェシカー!」
地面に取り残されたルカの声も、あっという間に遠く聞こえなくなった。
ソニヤジニアの歓びの魔女 端庫菜わか @hakona
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ソニヤジニアの歓びの魔女の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます