悲観のらせん階段 🛝

上月くるを

悲観のらせん階段 🛝





 なんとなく疲れたなと思う、曖昧な笑顔で狂騒の潮流に漂っていることに……。

 自分が自分にジュウリンされているような、またはハクガイされているような。


 じりじりした焦燥感にいたぶられつづけている、こんなことでいいのか、自分。

 もっと真摯で濁りのないものを目ざしていたはず、いつの間に道を逸れたのか。


 


      🪶




 そんなとき、ふと立ち寄る気になった古書店に、一冊の文庫が待っていてくれた。

 芥川賞が真っ当な敬意をはらわれていた時代(笑)の芥川賞作家・南木佳士さん。


 寡作で知られる作家なので、残念ながらすべて拝読しきったと思いこんでいたが、『海へ』と、素気ないタイトルを付された作品だけは、幸運にも未読のままだった。


 キリスト者が聖書に向かうような敬虔な気持ちで(たぶん)、うすい文庫を開く。

 懐かしい文体に、冒頭の一行から全身がかっと熱くなり、まぶたが自然にうるむ。


「真夏の夜の隙間のない闇」「悲観のらせん階段を下り始める」「時のふるいの粗い網目にひっかかっていまも残っている」「もう何かをふんぎらなきゃあいけない歳」


 かくも研ぎ澄まされた表現、たれに出来るだろう、塗炭の呻吟を舐めた人以外に。

 まったく及ばずながらだが、自分もこういう方向を目ざしていたはずなのに……。




      🦗




 仕事時代、多生の縁を得て数度の手紙の交流はあったが、お会いしたことはない。

 お会いしたいとも思わないほど、その緻密な作品群は雄弁に人生を物語っていた。


 自分と同じパニック障害を患い、それも相当に重篤だったことは承知していたが、今回の小説で初めて知った峻厳な事実(むろんフィクションではあるが)があった。


 末期がん患者の看取りが総合病院勤務の医師の主たる仕事ゆえに、生死の境界線で危うくバランスをとる歳月に疲れたのが原因だろうと、作家自身、思いこんでいた。


 だが、同僚の心療内科医に「あらかじめセットされていたタイマーがオンになっただけかも知れませんね」と指摘され、そのことばが身体の芯にしみとおったという。


 読者のヨウコさんも深く首肯する、ピンポーン、まさにそれにちがいない。(*_*;

 自分の身に起きたことは自分が一番よく知っている、それ以外の正解はないよね。




      🌼




 南木さんの作品はいずれもポジティブとは言い難く、むしろネガティブシンキングの極みなのになぜか気持ちが安らぐのは、偽の煌めきが混入していないからだろう。


 読者は、少なくともヨウコさんは、南木さんですらそうなんだから自分も大丈夫と安心する、今回の作品にもそんなふところの深いものが内包されているように思う。


 だいじに十数頁読み(なにしろ未読はこれだけなのだから)眼鏡をケースに収めてカフェのソファを立ち上がると、なんだか少し心身の呪縛が弛んだような気がした。




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悲観のらせん階段 🛝 上月くるを @kurutan

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