第40話 歩いていく

「一緒にこれ飲もう」

「それは?」

「シードル。リンゴのお酒だよ!すごいでしょ?もらったの」

「明日のことあるからやめようよ。ユリィは全然お酒飲めないんだから」

「だから……ね?ジェイクが9割飲んで」


 ね?のところでユリィは瓶を壁に強く押し当て、一瞬でコルクを抜き去った。よく割れなかったなとユリィの手元を見ると、いつの間にか布巾を持っていた。壁と瓶の間に挟んだらしい。


「ユリィはお酒飲めないのにそういう小技、良く知ってるよね」

「これの知識は……前世由来!前の体は飲めたから」


 脚部が赤い色つきガラスになっているグラスに注ぎながら、ユリィは笑う。シードルには色がなく、気泡と甘い香りがパチパチと弾けた。


「はい、じゃあ……私たちの独身最後の夜に、乾杯」

「それを僕らで祝うの?乾杯」

「えへへ……」


 少し興奮状態になるのも仕方ないか、とジェイクはユリィに合わせてグラスに口をつけた。何せ明日がふたりの結婚式なのだから。周囲にうるさく言われて、やっと結婚式が決まった。


 シードルの香りはリンゴジュースのようでいて、アルコールと炭酸の刺激が快かった。ただ少しずつ酒を嗜むようになったジェイクは、このくらいでは全く酔わない。酒に強い体質だった。


「隣で食べようっと」


 ユリィは対面から椅子を移動させてぴったりジェイクの横に座った。髪を半分結っているので露出している耳が赤く染まっている。一口で酒に酔ったらしい。


 それに、広がった身長差のおかげでユリィの服と胸元の隙間が見下ろせた。食欲とは違う欲を感じて、ジェイクは一気にシードルを飲み干した。


「飲むね!ジェイクも今日はそういう気分?ねぇ、食べさせてあげようか?新婚の練習」


 ふふっと余裕の笑いをするユリィに、たまにはやり返したい気持ちが芽生えた。


「僕がユリィに食べさせてあげるよ。はい、ここに座って」


 ジェイクは少し椅子を引き、テーブルと距離を空ける。自身の腿を叩いた。


「えっ?!そこ?」

「うん。ユリィに食べさせてもらうのは結婚してからにする」

「そ……そういうものなの?」


 ユリィはそれでも既に酔ってるのか、言われた通りにジェイクの腿の上に座った。重いがふわっとしているという矛盾した感想を心に刻む。


「痛くない? 重くない?」

「大丈夫。はい、口開けて」

「ん……」


 上体を傾けてテーブル上のピクルスを手でつまみ、ユリィに食べさせる。指が唇に触れて、思ったより達成感があった。


「……私達、何やってるんだろうね?」

「僕は楽しいよ」


 ユリィの顔は見えないが、耳と首筋まで赤くしている。ユリィの恥ずかしがりは、あまり変わらない。

 このあとは食材への冒涜は良くないとユリィが言い出し、普通に座り直して食べ終えた。



 そうして食後の片付けをして湯浴みをして、ベッドに潜った。もう一緒に寝るのも当たり前になっている。蝋燭を吹き消した暗闇の中、静かなユリィの寝息に耳を傾けて眠るつもりでいた。


 ユリィはいつも蝋燭を消すと、十数えるかどうかで寝入ってしまう。その警戒心の無さに最初は衝撃を受けた。いくら幼馴染でずっと一緒とはいえ、意識されてなさすぎではとまた不安が闇から現れて吸い込まれそうになった。


 でも、枕に肘をついて寝顔を見ているとそんな不安がかき消えるのだった。無防備な姿をさらしてくれる嬉しさが勝つのかもしれない。それに、手を触ると必ず握り返してくれるし、たまには寝言で名前を呼んでくれる。それに――


 閉じていたユリィの赤い瞳がぱちりと開いて目が合う。


「!!」


 たまにこうやってユリィは寝たふりをして、ジェイクをおどかしてくれる。最初に一緒に眠った日も寝たふりだったと後から知らされた。


「ユリィ、寝なくていいの?」


 ユリィの瞳はいつも暗闇の微かな光を反射させた。それが妖しく瞬くと、急にジェイクの心臓の鼓動が速くなる。


「今夜は何だか眠れないかも」


 見つめてくるユリィの瞳が、しっとりと艶を帯びていた。彼女の心が求めるものについて、ジェイクは答えを出してから二重線で消した。まさか。


「明日は結婚式だよ、早く寝ないと」

「だから、明日はみんなで村の大きい家に泊まると思うから、ふたりでゆっくりできないし……」


 ユリィが手の繋ぎ方を変えて、指を絡ませてきた。ユリィは暗闇だと少し積極的になる。


「本当にいいの?」

「結婚するならいいんじゃないの?ジェイクはそんな気分じゃない?」

「僕はいつでも」


 ジェイクは彼女に覆い被さった。受け入れる甘やかな手が背中に回される。


 






 翌日、少し寝不足で起きたふたりは、揃って朝食を食べ、準備の人たちが来るのを待った。結婚式はこの研究所の噴水前で行うこととなっている。


 設計段階でユリィの希望を取り入れて、色とりどりの花が周囲に咲き乱れる噴水と、白亜の階段があるのだ。結婚式にはとても良い場所と言えた。


 着付けや会場設営の人で続々と賑やかになる。


「ジェイク、今さら言うけど本当にかっこ良くなったよね」

「そう?ありがとう」


 燕尾服を着たジェイクを見て、水色のドレス姿のユリィはため息をついた。カストに鍛えられ、見映えがするくらいには筋肉がついた。


「本当に……子供の頃の面影ないくらい。きりっとしてるし、逞しくなったし、だからいつもドキドキしちゃう」

「僕は子供の頃のユリィも、今のユリィも、この先のユリィもずっと好きだよ」

「それ、式で言うやつ」

「何回でも言うから大丈夫」


 ジェイクは周囲の人の目を盗み、さっとキスをした。人前でのキスを恥ずかしがるユリィを慮ったのだかすぐに赤い顔で睨まれた。




 結婚式にエミリアーノ王とラウラリア王妃が出席するとなると警備が大変になるので欠席となった。代わりに祝辞と豪華な贈り物が会場に飾られている。もっとも警備の人員など、最強の花嫁であるユリィだけで本来十分なのだが。


 近衛騎士のカストはジェイクの養父として出席している。なお同じく近衛騎士のネイは、カストと二人してエミリアーノ王から離れる訳にいかないので出席出来ない。ここ数日はずっと泣き言を言っていた。


 ポン、アミルも当然出席して笑顔であちこちに顔と愛想を売っていた。今も金融業で大いに稼いでいる。それから城内でジェイクが世話になっている役人も数多く出席してくれた。


 ユリィ側の出席者は、ユリィの養父グラソー子爵と子爵夫人、ユリィの義理の弟二人、それから牧場関係者、研究所関係者とかなりの人数だ。


 ユリィの父アウグス、ジェイクの母ハンナ、それから二人の妹マルティナは足をばたつかせて座っていた。


 空から黄金色の花吹雪が舞い、始祖エズリと祖竜ヴェプナーの到着を知った。エズリに神父のような役を頼んだのだった。


「やあ、ジェイク、ユリィ。素敵な格好だね。それが今の結婚式の服装なんだ」


 エズリは長く生きたけれど、結婚式の大事な役を任されたのは初めてだと張り切って来ていた。周囲を見回して、自分の服を魔法で作り替える。


「それでは、二人の結婚を祝って――おめでとう」


 更にエズリは噴水から水を引っ張り、氷の神殿を作り出す。出席者は驚き、歓声を上げた。


「ユリィ、私からひとつ質問がある」

「はい」


 エズリが何を言うのか、事前の打ち合わせはしていない。少し緊張してユリィは答えた。


「君はジェイクを愛しているかな?」


 エズリの質問に、ユリィは微笑んだ。皆ががその美しさに息を飲む。ジェイクもまた、一生忘れられないものとして大事に記憶した。


「はい。愛しています。心から。会えて良かった。幼いときから、隣にいてくれたのがジェイクで良かったと思います」


 ユリィは照れもせず、ジェイクの目を見て答えた。しかし言い終わってから頬を染める。


「ジェイク、私からひとつ質問がある」

「はい」

「君はユリィを愛しているかな?」

「はい。愛しています。……本当に、僕の人生の全てをかけて愛して来ましたし、これからも変わりません。いつも、そのときの僕に出来る最大限の愛を尽くしたい相手はユリィです。この世界に生まれてくれてありがとう、ユリィ」


 同じ質問を受けて、ジェイクは何も考えずに答えた。まだいくらでも言いたかったが、ユリィが堪えきれない様子で感動の涙を流すので、そっと頬を、目元をぬぐった。見上げてくるユリィの眼差しに誘われ、ごく自然に口づけを交わす。


 一斉に、拍手と口笛と歓声が沸き上がった。


「エズリはキスしろなんて言ってないのに……恥ずかしいよ」

「こういうときは、キスするものだよ」


 離れながらそっと囁きあう。聞こえているエズリは肩を震わせて「そうなのか」と笑っていた。








「やっぱり式をやって良かった」


 まだ祝いの雰囲気のまま、親しいものを連れてヴィース村のユリィの邸に移動した。夜になり、ほとんどが酔いつぶれる中、今日は飲まなかったユリィがぽつりと呟く。


「もう事務的に届けを出すだけでもいいかなって思ってたけど………」

「僕はユリィの花嫁姿を見たかったよ、ユリィが忙しそうだからずっと機会を待ってただけ」


 ジェイクは周りに勧められて、いくつも祝杯を重ねた。今までで一番飲酒したが、そこまで酔わなかった。酔ったふりくらいはしてもいいかなとユリィの肩を抱く。ユリィはそっと頭を預けてきた。父も母も、皆、酒に溺れて倒れている。


「ジェイク」

「うん?」

「私が、生まれてから一番最初に発した言葉は、ジェイクの名前。ずっと呼べるのが嬉しい」

「そんなの、僕だって……」

「ジェイクはその頃あうあう言ってた」


 くすくすと皆を起こさないようにユリィは笑った。ユリィは生まれてすぐに前世の記憶を取り戻したので、ジェイクの物心つく前を覚えている。


「でも僕だって、ユリィが忘れてるような、小さいときのこと覚えてるから」

「どんな?」


 ジェイクは口を開く。とても一晩では語り尽くせない長い思い出があった。そして、これからもふたりの時間は続き、思い出は増えていく。

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幼なじみが強すぎて好きと言えない話 植野あい @ai1234ueno

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