第39話 光の方へ
カストが天幕を捲し上げ、揃って外に出る。秋の終わりだというのに、目を灼くような眩しい日だった。
鎬模様の太い柱に張っていた緑の蔦は、黄金色に変わっていた。兵士達の視線の先には、巨大な黒い翼を広げた竜と、その上に乗る人の姿があった。
全ての人類の親であり、始まりの人と言われる始祖エズリは長い髪を風に踊らせている。黒から亜麻色、金色と幾度も濃淡を繰り返す織物のようだった。
黒い竜、ヴェプナーは音もなく翼を翻し、兵士達の輪の中央に着陸した。石造りの舞台の上である。
「やあ、人がたくさんいるんだね」
エズリは柔らかく響く声で、誰に話しかけるでもなく、何でもないことを言った。それでも年齢が若い兵士達はどよめいた。神秘の象徴とも言える存在の声を聞いた――興奮するには十分だった。
エミリアーノ王、近衛騎士のカストとネイ、ユリィとジェイクが舞台に上がる。その後ろには神学者や神官なども控えていた。
「ああ、あなたがこの国の王?服を作ってくれてありがとう」
エズリは、ゆったりとしたローブを着ていた。動く度に計算されたヒダが関節部分に織り込まれる、優雅なデザインだ。幾何学模様が筋で描かれた金のブローチで上に重ねた短いケープを止めている。
ジェイクとユリィによって体の計測を行い、エミリアーノ王付きの服飾士が作った服だった。
「いかにも。私がバーフレム国王エミリアーノだ。服は大したことではない」
「私はエズリで、こちらがヴェプナーだよ。ヴェプナーは言葉を喋らないけど、挨拶してくれるかな?」
エズリは傍らの黒い竜、ヴェプナーの首を撫でて微笑んだ。
「挨拶だと?どのように?」
「危険はないから、触れて欲しい。そうすれば私達はあなたのことが全てわかる」
ヴェプナーは赤く巨大な瞳を一度瞬かせた。恐れもせず、エミリアーノ王は大きなヴェプナーの体に歩み寄った。黒真珠のような鱗が輝く首元に、そっと手を伸ばす。
また、兵士達がどよめいた。この記念すべき瞬間に立ち会えた喜びが波のように広がっていく。
常に恐れるべき対象であったモンスターに、国王が触れた。しかも世界中のモンスターの頂点とされる、祖竜にだ。それは国王が全てのモンスターを従えるという始まりかもしれないと、期待のさざめきは静まらなかった。
「……ありがとう。王よ。よくわかった。やはり神は我々を見守って下さっている。あなたが国を治めるこのときに私が目覚めたのも、全て神のお導きに違いない」
「どういう意味だ?」
ヴェプナーの体を通じて、エズリはエミリアーノ王の記憶を読み取った。エズリのオーロラのように色彩が揺らめく瞳が、遠くを見て微笑んだ。
「あなたは、真実を求める人だ。そして嘘を許さない」
「ほう。祖竜の能力とはすごいものだな。触れるだけでそこまでわかるとは」
エミリアーノ王はすっと目を細めた。人智の及ばぬ力によって、自身の内側の、隠したい部分まで瞬時に知られたかという恐れに背筋が冷える。
「真実を求める心は人を成長させる尊いものだ。だけど危険でもある。ときにあなた自身を傷つけるだろう」
「そんなことは何度も経験した」
先程も、と言いかけて公の場でする話ではないのでエミリアーノ王は口を閉じた。ユリィとひと悶着して、実はかなり消耗した。おかげて緊張せずに始祖エズリと話が出来ているが。
「うん、それも記憶を読んだけどね」
「……!!」
「王よ。どうか、許しの心を持って欲しい。そしてその考えを広めて欲しい」
「随分、簡単に言うではないか」
形のないものを流布するのは難しい。そもそも、自身の心にすら持ちようがない。顔をしかめるエミリアーノ王だが、エズリは超然とした笑みを崩さなかった。
「あなたが許せないと思っている人に、許すと、言ってあげるといいよ」
「私は嘘などつかん」
「言葉にすることで、嘘ではなくなるんだ。そしてそれは、あなたを許すことに繋がるから。憎しみの檻に長くいることはない」
エズリは特別難しい言い回しはしなかったが、エミリアーノ王にとっては呑み込みにくい内容だった。何について言及しているかはわかっている。エミリアーノ王の母だ。一度もエミリアーノ王を愛さず苦しめてきた存在で、とても許せるとは思えない。
「私の話はこれで終わり。では、王にこれを授けよう」
エズリは右手を高く掲げた。目映い光が四散して、集まった人々は一斉に顔を背けたり、目を覆ったりした。
「うーん……このくらいかな」
人々が視力を取り戻したとき、エズリは杖のようなものを指先でまだ調整していた。何もない空中から取り出すように、光輝く宝石を杖に取り付け、金色の枝で飾り付ける。エミリアーノ王の王冠をちらっと見ては、装飾を複雑化した。
「はい、出来た。王笏だよ」
「う、うむ」
「この真ん中の石は、あなたの祈りを増幅させる。モンスターについて、バーフレム国について、あなたの大切な人について、王の思いのままに」
エズリが全て言い終える前に、群衆の歓声が轟いた。興奮と歓喜の渦が広がる。舞台から遠くの兵士たちには、何が何やらわかっていなかったが、雰囲気で上手くいったのだと伝わった。
「私がこのようなものをもらって良いのか?」
「王よ。迷うときには、あなたを支える人がいる。あなたの子と、あなたの国に多くの幸があることを、私は祈る」
拍手と、大歓声が響いた。
一連の様子を見ていたジェイクとユリィも、拍手をする。どちらからともなく目を合わせて、お互いの笑顔を瞳に映した。
エミリアーノ王とは振り返れば下らないやり取りばかりだったように思うが、それでも国王として就任する前から傍についてきた。心から誇らしく感じた。
そして、3年の月日が過ぎた。
バーフレム国はかつてない繁栄を極め、エミリアーノ王は太陽王として国外にまで名を知らしめた。
多過ぎたモンスター被害は鳴りをひそめ、いくつかの保護区を設置した。そうしてユリィが主導する王立動植物研究所の働きもあり、農業や牧畜の輸出で栄える国となったのだ。小型のモンスターを家畜や、ペットにする研究も行っている。
また、エミリアーノ王とラウラリア王妃の間には、王子が生まれ、2年後には王女が生まれた。エミリアーノ王は、母との関係を自身の子供を通じて、少しずつ修復した。いくども失敗はあったが、何も知らない子供にまで憎しみを繋げてはならないと努力して、現在は良好な関係にまで至った。
ジェイクは1日の仕事を終え、薄暗くなった頃に王城とヴィース村の間に建てた、王立動植物研究所の門をくぐる。
「あっジェイク!」
ユリィが目敏くジェイクを見つけ、研究塔の2階の窓から手を振った。
「今そっちいく!」
ジェイクは声を張り上げ、王都で買ってきた軽食の袋を掲げた。この建物が建った頃から、ユリィは少しずつ、ここに泊まるようになっていた。
ユリィの父アウグスとジェイクの母ハンナが結婚してあまりにいちゃつくので居づらくなったからだ。今は2歳になった互いの妹、マルティナがおてんば過ぎるというのもある。
よってジェイクも仕事を絶対に夜までに終わらせて、ここに来るようになった。この場所は王都の城壁を出るものの、そこまで遠くないので通勤には困らない。全てジェイクの計算のうちだった。
「ユリィ、仕事はそのくらいにして。ラビオリ買ってきたから食べようよ」
「ありがとう、私も新種のカブでピクルス作ってあるの。あと、新種の鞘ごと食べれるエンドウ豆があるから茹でるね……」
ユリィがペンを置き、伸びをして椅子の前足を浮かせた。机の上には様々な植物の種が入った皿とメモが散らばっていた。18歳になったユリィは更に美しくなり、杏色の髪は長く伸びた。今日は髪の半分を使って薔薇のように編み込み、半分は下ろしている。
まだジェイクとユリィは結婚していなかった。3年前、エミリアーノ王に何事かを焚き付けられ、エズリの演説に感動したユリィは仕事に燃えてしまったのだ。
植物の品種改良と、育成指導、化学肥料の作成、家畜の交配管理、配合飼料の研究など、前世の知識を出来る限り思い出してユリィは懸命に働いた。
その姿は眩しいものであったので、ジェイクはそっと見守ることにした。ただ、研究所の設計士に指示を出し、この研究所にキッチンや寝室など私的な部分を書き加えさせた。
仕事熱心なユリィは案の定ここに住み着き、半同棲が実現した。最初はソファでジェイクは寝ていたが、『何もしないなら』とユリィが誘い、ひとつしかないベッドで一緒に眠るようにもなった。ベッドがひとつしか置けないようになっているのはジェイクの計画だった。
皆が帰ったあとの、静かな研究塔はふたりの愛の巣となった。
「いただきます」
「いただきます」
テーブルにはユリィの作った実験野菜の料理と試験農場の家畜の燻製肉、それからジェイクの買ってきたラビオリなどが置かれた。ジェイクは恐る恐る、見たことのない太いエンドウ豆を口に運び、サクッとした歯触りに驚く。
「このエンドウ豆、すごく甘いね。サクサクしておいしい」
「おいしい?良かった。私、ついてたの。品種改良って運もあるから」
ユリィは野菜について誉められると、我が子を誉められたかのように大いに喜ぶ。いつか子どもが出来たらどうなるのかなあとジェイクはつられて笑いながらふと考えた。
「あ、そうだ」
ユリィが席を立ってどこかに行き、小瓶を持って戻ってきた。
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