第38話 烈日
ユリィはひとつ息を吸う。天幕により日光を遮られた、薄青い陰りの中でも、ユリィの赤い瞳は燃え盛るように煌めいた。
「陛下、お覚悟を決めて下さい」
「何の覚悟だ」
ユリィは物騒な笑みをこぼす。その気になれば、周囲一帯を火の海と化すことも簡単な彼女が、黙って笑うのは相当な迫力があった。
しかし、ユリィは暴力は好まない。
その代わりに、ユリィはラウラリア王妃の秘密を告げてしまいたくなった。既に公然の秘密状態になっている。今でなければ遅いのだという大自然の声すら聞こえた。というか、することをしているのなら、察して然るべきなのだ。
「陛下、私にこのようなことしてる場合じゃありません。あなたは父親になるかもしれないのですよ」
「は……?」
いくつかの事象が、エミリアーノ王の脳内で渦を巻いて現れては消える。彼にとっては難しいことではなかった。ラウラリア王妃の妊娠を告げている。
「まさか」
まさか王妃の懐胎を告げるのが、獣を内に秘めた少女だとは。予想もしない現実にエミリアーノ王は奥歯を噛み締めた。
見回せばネイやカストまで、知っていたような顔で俯いている。特にネイは、動揺を隠しきれないでいた。ジェイクに伝え、画策させたのはネイだろうとエミリアーノ王は察した。知らぬは王ばかり、まるで裸の王だなと自嘲の苦い味がした。
祝福の喇叭は鳴らない。ラウラリア王妃から直接伝えられることもない。それはとりもなおさず夫として、父としての不信を表している。
「そうなのか……」
「そ、そんなにショックを受けなくても良いではありませんか、おめでたいことです」
ユリィは小さく唇を動かす。やってしまったかと急いでこの後の対処を考える。こんなときにジェイクが居てくれたらと、空白の肩が冷えた。
「不安だ」
エミリアーノ王は、短く答えた。ラウラリア王妃に愛されていない気がした。ただ親の言いつけに従って結婚し、王妃の責務だから身を任せていたのかと、昔からの問いを虚空に投げる。
「陛下、しっかりなさって下さい。ラウラリア王妃陛下も不安に思われています」
「そうだな。だから私には教えてくれないのか。そんな男の子供を、ラウラは真に愛するのか?母から愛されない、自分のような子供を私は作ったのか?」
「ああ、陛下」
いつの間にか足に力が入らず、腿から膝に手をつきかけていたエミリアーノ王の肩を支えるようにユリィが触れた。珍しく素直に感情を露呈するエミリアーノ王に、心底焦っていた。
「ですから、これから新しい関係を作れば良いのです」
出来る限り優しく微笑み、宥めるようにユリィは語りかける。なんとかいい感じにしなければ、と頭を全力で回転させた。
「陛下は存じ上げないかもしれませんが、私や、陛下の体を動かす筋肉……これは負荷をかけると簡単に切れるものです。そして切れたものは、より強固に修復される。人間関係もきっと同じです」
「破壊と再生を繰り返すのか」
「ええ、その通りです。陛下とラウラリア王妃陛下の関係も、何度も壊れて、強く太い結び付きになりますよ。帰ったらラウラリア王妃陛下に優しくしてあげて下さい」
ユリィは瞳を潤ませて熱弁をふるう。胸が激しく痛んだ。
「陛下はラウラリア王妃陛下に、あまり御自身のお気持ちを話されないのでは?だからラウラリア王妃陛下もあまり話されないのでしょう。人と人とは、鏡のようなものです。相手への自分の態度や言葉が、そのまま返ってきます」
「はは……その通りだな。私が招いた事態だ。だが、近しい存在こそ何故かうまく気持ちを言えなくなる」
「わかります」
ユリィはわかりすぎて抱擁したくなった。
――本当にその通り。私なんて、どっちかというと陛下に近いタイプなのに、偉そうに何をお説教してるの?
ジェイクと現在うまくいっていないユリィは、自分自身の言葉に先ほどから何度も胸を突き刺されている。
世界を変えるなんて大それたことをやって、何かが変わったと思った。なのに、些細なことでうまくいかなくなる。筋肉に例えたが、関係が千切れた状態がつらくてしょうがない。失敗した関係は本当に強固になるのか、そのままになるのか、いつも闇の中に感じた。
「……陛下に不安な気持ちがおありなら、それも私が叩き斬って差し上げます。私は陛下に忠誠を誓った陛下の剣です。如何なるものでも壊しましょう」
心を持たない剣になりたくユリィは誓った。殺戮と破壊で心を埋めたい。ユリィの精神は瀕死状態であった。
「ふっ、ユリアレス」
「何でしょう」
「お前が私の剣だとして、いつも抜き身では困る。何でも斬るからな。鞘が来ているぞ」
エミリアーノ王の視線の先をたどって振り返ると、ユリィがこの世で一番、見つめてきた姿があった。猫柳に似たふわふわの髪に、大きな栗色の瞳。ジェイクだった。
「ジェイク!」
ユリィは一足飛びに駆け、胸に飛び込んだ。一瞬の加速ののち最後の一蹴りで威力を殺し、柔らかくぶつかる。ジェイクの日向に似た匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。精神安定剤のようで、これが無ければ生きていけない気がした。
「ユリィ、どうしたの?陛下に何かされた?」
「ううん……私が勝手に自滅しただけ」
しがみつくユリィに、たった今到着したジェイクは喜びと驚きに心臓を高鳴らせる。嬉しいが、何かあったのかと思わせる。ユリィから抱きついてくるなんて全く想定外だった。そこにエミリアーノ王の視線が、じっとり絡み付く。
「ジェイク、遅かったではないか。私の完璧な計画が若干狂ったぞ」
「はあ、陛下の御指示された仕事の内容が膨大だったもので。何の嫌がらせかと思いました」
「愚かな。嫌がらせなどではない。お前らが仲違いをしているようだから、わざとジェイクが遅れるようにして、ユリアレスにひと芝居打ったのだ。効果はてきめんだろう」
本当はユリィをネイに拘束させて、迫っているところにジェイクが来る予定であった。ジェイクに存分に嫉妬させ、燃え上がらせようと考えていた。いつかの仕返しとして、最高のものになるはずだった。
「そ、そうだったんですね。すごいです、陛下への尊敬の念を新たにしました」
ユリィはやっと全体がわかり、口に手を当てた。
ジェイクは何があったのかと心配で、カストやネイと目が合わせるも、真顔で頷かれるだけだ。
「うむ。そうであろう」
エミリアーノ王が乾いた笑い声を上げ、姿勢を立て直した。ジェイクが来たことで、男の自尊心が膨れ上がった。いつからか、ジェイクを絶対に負けてはならない存在としていた。侍従に負けるようでは国王として務まらないと常に力が入る。
「とにかくジェイク。これでラウラのときの借りは返したからな」
「陛下、あれを覚えていらしたんですか」
ジェイクはいつかの、ラウラリア王妃の部屋を訪ね、関係を匂わせた下りを思い出した。エミリアーノ王とラウラリア王妃の溝を埋めるために、かなり損な役回りを演じた。
「返すと言っただろう。私は嘘はつかんのだ」
幕舎の外から兵士たちの大歓声が響いた。全員が本来の仕事を思い出す。エズリ達が到着したようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます