第37話 雲を散らして
ジェイクの部屋から逃げるようにヴィース村に帰った翌朝、ユリィは謎が全て解けた気持ちになった。
目の前には、食事中であるにも関わらずいちゃつくアウグスとハンナの姿がある。
「ハンナ、ユリィが見てるから」
ハンナはアウグスからスプーンを奪い、わざわざ食べさせようとしていた。アウグスは娘の視線を気にして、落ち着きがない。
「いいじゃないの。私たち、もう結婚して夫婦になるんですから。ユリィちゃんは受け入れてくれたんだし、夫婦が仲の良い姿を見せる方が教育にいいと私は思います」
「あ、うん。気にしないでお父さん」
「ほら、ユリィちゃんもいいって。あーんして」
ハンナはアウグスに口を開けさせ、スープを含ませた。
「おいしい?」
「ああ、うまい」
「じゃあキスして」
「……」
アウグスがハンナに従う気配を見せたので、ユリィは俯いた。
昨夜のキスを思い出すような音が、ユリィの鼓膜を震わせた。無邪気な子供であれば、何も思わずにじっと見ていられるだろう。仲睦まじい、喜ばしいものとして吸収できるかもしれない。
しかしユリィは難しい状態にあった。そもそも、ユリィは25歳まで生きた記憶を引きずって転生し、現在の体は15歳になった。肉体が成長の途中にあるせいか、精神が不安定になることがある。
――こういうのをジェイクが理想の夫婦としてたらどうしよう……。
あからさまにならないよう、そっと視線を目の前の皿から、アウグスとハンナに移動させる。しかし、目尻の下がったアウグスの表情は見るに耐えないものだ。
むりむり、と声に出さずに呟いてユリィは席を立ち上がった。
何となくジェイクと気まずくなり、会わないまま一週間が過ぎた。
人間の始祖エズリと、モンスターの頂点に立つ祖竜ヴェプナーが、エミリアーノ王と面会するという一大儀式の日がやってきた。
ユリィは愛犬ミルに乗って空を駆け、雲を散らして移動する。
当然ユリィは同席する必要があり、招待されていた。双方の顔繋ぎが出来るのはもちろん、ユリィだからである。
場所は、王城の南側にある荒地で行う。毎年夏にユリィが黒嵐竜というモンスターを鎮めているので大きな祭壇が設えられてあり、都合が良かった。
設立されたのは9年前だが、黒嵐竜が呼ぶ風雨により既に古代の神殿跡のようになっていた。太い柱には細かな傷がつき、隙を見つけた蔓性植物に呑まれかけている。
今回はエミリアーノ王が珍しくも王都の城壁外に出るというので、警備は厳重になり、野生のモンスター対策専任の、防衛軍も出動していた。200人近くの人員が集まっている。
バーフレム国は100年近く他国との戦争を行っていないが、国内に住まうモンスターの脅威は常にある。今後の展望が変わるかもしれないと皆期待と不安に浮き足立っていた。
もしかすると、エミリアーノ王が世界を統べる王になるかもしれないのだから。
ユリィは、近衛騎士に案内されて国王が待機するために設営された立派な幕舎の内側に通された。エミリアーノ王は面白がって、予定よりずいぶん早くに到着していたようだ。こんなことでもなけれぱ、普段王城から出られないからだろう。
「遅かったではないか」
エミリアーノ王は波打つ金髪を微風になびかせ、用意された椅子に腰かけていた。王家の紋章の入った赤いマントは背もたれに流している。左右に近衛騎士のカストとネイが控えていた。ユリィは、ジェイクの姿がないことを不思議に思いながら膝を折って挨拶をする。
「陛下、ご機嫌麗しく存じます。ご立派な出で立ちですね」
「そうか?格好などどうでも良い。自然の風が気持ちいいな。王都とは匂いが違う」
最近はすっかり威厳ある振る舞いが板についていたエミリアーノ王だが、今日は珍しく少年のようにはしゃいでいた。緊張感はない。
「私は6歳以来だぞ、城壁の外に出て来られたのは。他国が戦争をしたがるのもわかる気がするな、王ともなると全く城から出られん」
「そんな、お戯れを」
「今日の話し合いでモンスターがいくらか大人しくなってくれれば、私も自由になれるかもしれないな」
「少しずつですが、もう変わりつつありますけどね……」
ユリィが北の山の頂上に封じられていたエズリを解放して以来、世界を取り巻く魔力のバランスは変わった。世界中のどこにでも満ち溢れる魔力は今まで、モンスターのみに与えられ、いびつを極めていた。
それをユリィは、力など失くしてもいい勢いで壊し、直したのだ。一度全てを失ったユリィだが、目覚めたエズリによって幸運にも再び力を与えられた。
だがユリィは、この世界での自分の役目はもう終わったと感じていた。あとはジェイクと静かに余生を過ごしたいと、15歳の肉体ながら燃え尽きた感覚でいた。
「ふん、そうであろうな。防衛隊から報告は聞いている。ところで、ユリアレスは体の具合はどうなのだ。力は戻ったのか?」
「ええ、少しだけ戻りました。けれど以前ほどには戻らないでしょう」
とにかく静かに平和に暮らしたいので、ユリィは視線を下げて嘘をつく。エミリアーノ王に目を見られると真偽を見抜かれる恐れがあった。
「そうか」
「……ところで、ジェイクはいないんですね」
ユリィは、辺りを見回してつぶやく。
「ああ、ジェイクは城で仕事をさせている。近頃わざと仕事を夜まで残して私とラウラの仲を邪魔してくるのだ。欲求不満で私を羨んでいるのか?なあ、ユリアレス。ジェイクの婚約者としてそれを放置するのはどうなのか」
「えっ……」
それはラウラリア王妃がジェイクに頼んだことである。その理由まで知っているユリィは困り果て、自身の両手の指をもじもじと動かしてしまった。
「何だその反応は。何か知っているんだな?ネイ、ユリアレスを取り押さえろ」
「はっ、はい」
ネイは悲痛な顔でユリィを後ろから羽交い締めにする。
「ユリアレス様ごめんなさい、私は騎士。王命に逆らえないんです……」
「気にしないで下さいネイさん……あの、ジェイクは私に何も言ってないんですけど、私、あのときバルコニーで盗み聞きしてて」
「ああ! そうなんですね。流石、ユリアレス様です」
「おいその状態で仲良く話をするな!」
ただ密着してお喋りしているように見えてエミリアーノ王は唸った。
「それで、何なのだ? 何を私に隠している! ユリアレスは私に忠誠を誓ったのに嘘をつくのか!」
ネイに腕を後ろから拘束されているのをいいことにエミリアーノ王はユリィの顎をつまむ。
ユリィは屈辱と驚きに目を見開いた。エミリアーノ王とは、身分を超えて親しくしているが、この距離感は嫌だった。
「ふっ、いつまでも私に隠しごとをするからこのようになるのだ。どうだ、どんな気持ちだ」
「とても屈辱的ですね、陛下はひどいです」
ユリィは強い光を湛える赤い瞳でエミリアーノ王を睨み付けた。獣のように、今にも噛みついて来そうである。負けじとエミリアーノ王は碧の瞳で睨み返す。
「何だ、私の目を見られるではないか。それでこそユリアレスだ。私に戦えと、父の亡霊と戦い続けろと言ったお前だ」
「ええ、あのときの闘志を思い出して来ました。何もかもぶっ壊してやりたい気分です」
ユリィは軽く腕を振り、ネイの拘束を解いた。ネイは後ろへ数歩たたらを踏み、靴の踵を地面に埋めながら転倒を免れた。
「くっ……ユリアレス様、見事な力です」
「ごめんなさいネイさん」
ユリィはエミリアーノ王へと歩を進めた。
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