天井桟敷の僕②

「なにかな」


「あ。いや、その。よく似合ってますね」


「やっぱり? アタシもね、かなり気に入ってるんだ」


 彼女はブロンドの毛先を僕に見せつけるようにして弄ぶ。レンズ越しにあらためて目にしたその顔も、その声も、疑いようもなく笹木先輩その人だった。なのにさっきまで、僕の頭には笹木の“さ”の字すら思い浮かんでこなかった。なぜか。

 前々から彼女にはそんなフシがある。

 

 笹木先輩を始めて見たのは櫻井先輩に心奪われた、あの新歓公演。そのとき彼女は高慢ちきなメスネコの役をやっていて(と言っても泥棒とかそういうんじゃなく、本物のネコ。いや、人が演じてる以上もちろんそれは本物ではないのだけれど、つまりその舞台の上では彼ら彼女たちは本物だったという意味)、たびたびほかのネコたちや、唯一の人間である櫻井先輩の役の日常を引っ掻き回した。

 だから上映中ずっと、僕は彼女が登場するたび、またひと波乱あるのではないかとハラハラさせられっぱなしだった。正直、ちょっと腹を立てていた。登場人物からも、観客の目から見ても、彼女は目の上のタンコブみたいな役回りだった。


 明くる日、初めて演劇部の部室へ足を踏み入れると、櫻井先輩の姿が真っ先に目に留まる。櫻井先輩のまわりだけ、昨日の舞台からずっと地続きで世界がつながってるみたいだったから。だけど、あのメスネコを演じていたはずの彼女はどこにも見当たらない。待てども待てども一向に現れる気配がない。

 話によれば今日は一名を除いて、部員は全員この場所に集まっているのだという。

 

 もしや僕が目の当たりにしたあのいさかいはちっとも台本どおりなんかじゃなくて、本当に仲違いしてしまったのではと、よけいな心配だとは思いつつ僕はたまたま隣に居合わせた黒髪の女の先輩に、思い切ってくだんの彼女の居所を尋ねてみた。それが笹木先輩だった。


 笹木先輩自身は笑いながら、むしろ役者冥利に尽きる的な発言をして喜んでくれていたけど、初手で盛大につまずいてしまったせいで、彼女のとの関係にいまだに少し気後れしてしまう僕がいる(そこには笹木先輩の見た目が、おそらくだれの目から見ても可憐な女性然としていた影響も少なからずある)。それに櫻井先輩以上に、笹木先輩はなんだか底が知れない感じがするのだ。

 

 舞台に上ったとたん、ものすごい剣幕で喚き散らかしたり、むせび泣いたり、時に一切の表情をかなぐり捨ててまるで別人みたいに彼女は役を演じてみせる。反対に普段の笹木先輩の人となりこそ演技なのではと、その本心を勘ぐってしまいそうになるくらい(あるいは突然、態度を豹変ひょうへんさせて、「なに言ってんのお前。黙れよ」と口汚く罵られる未来もどこかに存在するかもしれない)。

 そんな彼女だから、知り合ってまだ日も浅い僕がその顔を見誤ってしまうのも、当然といえば当然ではある。


「おーい。どうしたの、なんか今日は心ここにあらずって感じだね。寝不足?」


「いえ、そんなこてゃ」


「こてゃ?」


「だ、大丈夫です。その、よく眠れました」


「そりゃよかった」


「あの。でも、その髪、怒られたりしないですか」


「だれに」


「だれにって、その。先生とかにです」


「だってこの髪は、さっきも言ったけど役作りなんだよ。髪の色を躊躇ちゅうちょなく変えちゃうくらい、このごろは寝ても覚めても演劇のことばっか考えてるんだから。自分で言うのもなんだけど、これってアタシにしてはめずらしいっていうか、すごいことだと思うんだ。教師たるもの、そういうひた向きに部活動に取り組んでる生徒の背中は、押して然るべき。でしょう」


 笹木先輩の言い分もたしかに一理ある。一理あるにはあるけど、その理屈がはたして大人たちに通用するのか。いや、笹木先輩ならあるいは。うん。彼女にはそんなフシもあった。


 笹木先輩のあるところ、事件のにおいアリ。とはさすがに言いすぎだけど実際、彼女は話題に事欠かない人だった(そういう意味ではあの舞台のネコの役とよく似ていた)。

 

 たとえば彼女は極度の遅刻魔で、事あるごとに約束の時間には遅れてやってきた。それはお腹が空いていたからだったり、迷子の犬を交番に送り届けてきたからだったり、道でばったり『綾野剛』に出会ったからだったり、理由は様々。その真偽は定かではないものの、毎度彼女はさも本当であるかのように事細かに顛末てんまつを語りだすから(ちなみに笹木先輩の差し出したスマホの画面にはたしかに彼女と、その隣に写る『綾野剛』がいた)、まわりのみんなも面白がって合の手を入れるくらいには耳を傾ける。

 

 とはいえ遅刻は遅刻、間に合うならそれに越したことはない。部長なんかは当然、口を酸っぱくして笹木先輩をたしなめた。

 そのときだけは、多少申しわけなさそうな素ぶりを見せるには見せるけれど、結局、次の日にはなにごともなかったかのようにまた彼女は遅れてやってくる。それはもう様式美のように。そしてその都度、彼女の引き起こしたあれやこれやは、なんとなく笑って済まされてしまうのだ。


 実際のところ、本気で笹木先輩に腹を立ててる人なんていないんだと思う。僕も彼女に対して、ほとんど悪い印象を抱いてない。笹木先輩はだれの元にもワダカマリを残すようなマネはしないのだ。そうして最後には輪の中心へするっと収まっている。


 あれは人徳? 人柄? それともあの愛らしい顔立ちのなせる業なのか。自分にもそんな才能があれば、なんて考えてしまうこともしばしば。そう。言ってしまえばあれは才能だ。百人にひとり。千人にひとり。数少ない、選ばれた者だけが持ちえる才能。僕がおんなじことをしたってこうはいかない。

 なんとも羨ましいかぎり。と同時にちょっと恐ろしくもある。


「せっかくだし、佐伯くんも金髪になっちゃう?」


 せっかくとは。


「いや、それはちょっと」


「えー、イイと思うけどな」


「似合わないですし」


「そうかな。アタシの見立てによれば佐伯くん、一気に化ける可能性あるよ」


「僕まで金髪にしたら笹木先輩が目立たなくなっちゃいます」


 あれ。

 

 僕は口にしてしまってから、自分の発言がずいぶん大それていたことに気がついた。そうじゃないんです。僕なんか、笹木先輩の足もとにも及ばないです。


「あの――」


「ならみんなで目立っちゃお。真鳴先輩とミオミオにもおんなじ色にしてもらって」


「それは、ダメです」


「え」


「だってジャンとマリィは世間から吸血鬼呼ばわりされて、忌避されるような役なんです。台本で目や肌の色に言及があるのも、ふたりが普通じゃない、異質な存在であることを強調するためだと思うんです。その意図をんであえて金髪にするのは、僕は全然アリだと思います。だからこそ、みんながおんなじ髪の色をしていたら、それがムダになってしまうというか、物語のコンセプト、みたいなのもブレてしまうんじゃないかなって」


 笹木先輩はポカンと小さく口を開けて、目を丸くして、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をする。僕はまた偉そうなことを。


「すごい。佐伯くん、演出家みたい。むっちゃ台本読み込んでるんだね」


「いや、それほどのことは」


「うん。うん。なるほどね。じゃあジャンとマリィのふたりだけが金髪にすればいいってことだね」


「まあ。そう? ですかね」


「よし。さっそく真鳴先輩にかけ合ってみよう」


「え」


「ん」


「櫻井先輩はこのこと知らないんですか」


「うん。だって昨日、帰り道で思いついたことだし」


 ああ。ああ。僕はとんでもない提案をしてしまったのでは。口は禍のもと。でも兄妹で髪の色が違ったら、観客にはあらぬ誤解が生まれてしまいそうだし。

 そのあと、なんとか笹木先輩の向こう見ずを思い止まらせようとあの手この手を尽くしてみたものの、時すでに遅し。もはや手の施しようがなかった。

 櫻井先輩、許してもらえるかわかりませんが、すみません。


 雨はいつの間にかすっかり上がっていた。

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ストロベリィボーイ+パイナップルガール 会多真透 @aidama

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