■ 終 ■


 内裏の北門近くで、ちょっとした騒ぎがあってからほぼ一カ月が経った。

 年が改まったこともあり、正月の宮中行事に追われる日々の中で、『あかずや』に関わる噂話は、新たな別の噂話の中に埋もれていった。

 そんな世の移ろいやすさを憂ういとまもなく、ただただ慌ただしく過ごしていた梓子は、なぜか、かの右近少将から後宮のぎようしやに呼び出された。

 みかどはべる女性たちが住まう後宮は、内裏の北側にある七殿五舎から成っている。ここ後宮に数多あまたの女御、こうがいらしたのは、今は昔のこと。娘をじゆだいさせられる家が限られた昨今の後宮は、帝のきさきも東宮の妃も片手で数えられる。歴代でも特に妃の少ない今上の帝におかれては、三年前にちようあいされていた中宮が崩御し、現在女御が三人いるだけだ。入内された順に、『右の女御』、あるいは賜った殿舎から『殿でんの女御』と呼ばれる右大臣家より入内された姫。次に、梓子が写本作業を手伝った承香殿の女御で、先々帝の末の内親王であった『おうによう』と呼ばれている姫。最後に入内されたのが、ここ凝華舎を賜った『左の女御』、あるいは『うめつぼの女御』と呼ばれている、左大臣家より入内された姫である。

「よくきてくれました。右近少将殿からあなたのお話は伺っていますよ」

 左の女御が、御帳台の内側から梓子に言葉を掛けてくれた。

 そう、少将からの梅壺への呼び出しは、左の女御への紹介だったのだ。急なことで、緊張するばかりの梓子を、少将が楽しそうに見る。

「解決に協力してくれたほうろくのようなものだよ。君が仕え先を探している話を写本作業中にしていただろう? その中で、左の女御様の殿舎に……という話も出ていたのでね。本決まりになったら話そうと思っていたのだけれど、この際驚かしたくなって、今日の今日まで黙っていたんだ」

 いたずら好きの子どもか。梓子は、内心で悪態をつき、頭を下げたままの姿勢を保っていた。それを御帳台の横に控えていた年配の女房が笑う。

「本当によくきてくださいました。字の美しさだけでなく、早く正確な筆記にけていると聞いています。女御様の記録係となる者を探していたので、少将様のご紹介をありがたく思います。……わたくしは、女御様にお仕えする女房たちの統括役であるはぎ大納言と申します。慣例に従い、『萩野』と呼んでくださいな」

 娘を入内させられる家が限られているということは、まつりごとの要職を占めるうじに偏りがあるということも意味していた。位階が三位以上のぎようどころか、殿上人(基本五位以上、六位でも一部許されている役職もある)の七割が同じ氏であり、残り三割のうち、半数が賜姓皇族で、これもまた氏が偏っている。

 かつては氏に近親者(だいたいは、父親。正妻格なら夫)の役職をつけて女房名としていた後宮も、同じ氏ばかりで氏をつけることに意味がなくなった。一時期は、近親者の役職だけを女房名としたこともあったが、出仕の時期や勤続年数によっては同じ女房名が生じてしまう混乱もあり、女房のあるじが雇用時に氏の代わりとなる個別名を付与し、個別名に近親者の役職をつけて、正式な女房名とすることになっていた。

「あなたは、本日より女房名を『ふじばかま少将』と改め、女御様にお仕えなさい」

 萩野に言われ、梓子は左の女御に平伏した。

 平伏したが、そのままの体勢で首を傾げる。個別の女房名を賜ることは、後宮において、特定の主を得たことのあかしであり、以後は、個別名で呼ばれることになる。だから、藤袴はわかる。萩野と藤袴とを並べて考えると、おそらく梅壺では、左の女御より秋の草花から選んだ女房名を賜ることになっているだろう。だが、その個別名の後ろが、なぜ『小侍従』ではなく『少将』なのか。

「あの……なぜ、藤袴……『少将』なんです?」

 梓子は、萩野に尋ねた。

「そりゃあ、君が私の『北の方』だからだよ」

「はあ? な、なぜ、わたしが少将様の『北の方』に?」

 思わず叫んだその言葉が、宮中の隅々まで届くのに、半日とかからなかった。

『輝く少将』とあやしの君改め『モノめづる君』。噂のタネに事欠かない二人に、また新たな噂のタネが加わったのである。


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この続きは、角川文庫より2023年6月13日刊行予定

『宮中は噂のたえない職場にて』(天城智尋・著)

にて、ぜひお楽しみください!



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宮中は噂のたえない職場にて 天城智尋/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

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