31.ナポリタンは過去の味 —遠くまで—-2

 弟は憮然としていた。

「くそ、兄貴といいお前といい、勝手にタイロに変な連絡先教えやがって! まだタイロは青少年なんだぞ。お前らみたいな奴と付き合うのはよくねえ。お前ら、存在が教育に悪いんだから自重しろよ」

 それはお前もそうだろう、とふと思ってしまう。が、それはわかっていて言っているのだろう。いっそのこと、面白いが。

 現にアシスタントのスワロが、きゅっと主人の顔を見上げ「何を言っているのか?」という反応をしている。

 そんな弟にロクスリーが急にニヤつきはじめる。

「おや、ネザアス、嫉妬かい?」

「は? なんだって」

「わたしとタイロくんが仲良しだからって、すぐヤキモチ焼くなあ、キミは」

 ロクスリーは楽しげにタイロ青年の頭をなでつつ弟を煽る。

「なんだ、てめえ、喧嘩売ってんのか」

「おやおや、突っかかっちゃってかーわいーいーなー。昔からそうだねー、変わんないなあ」

「ぐぬぬぬ」

 ロクスリーに本気になっても、弄ばれるだけだ。弟はこのまま煽りに乗るのをやめて、ふん、とそっぽを向く。

「お前、機械音痴じゃなかったのかよ」

「コミュニケーションツールは、スマートに使えた方がデキる男度が高いだろ。頑張って覚えたよ。ま、ほとんどうちのレディ・マルベリーがやってくれるんだけど。女の子は流行りに敏感だからね。最近はマルベリーが『映える』とかいうケーキの写真を集めるのにハマっていて、写真を色々撮ってくれるんだよね」

 と、ふとフワッと金魚のマルベリーが、弟のほうに向かって空中を泳いでいく。まるで挨拶するように弟の左手に頭を寄せると、弟は思わず相好を崩して彼女をなでやった。

 そうしている内に、弟の怒りは解けていったようだ。

「アンタのことはムカつくが、相変わらずマルベリーは可愛いな。ちっ、しょーがねえ、マルベリーに免じて許してやる」

「キミのそういうとこ、わたしはすきだねえ」

 弟は相変わらずかわいいものに弱い。

 うちの妻、ビーティアとは、過去の因縁からか、スワロやマルベリーをかわいがるようにはしないが、それでもひらひら飛ぶ彼女を猫の目みたいな目で見ていることがある。そういうところは、少年の姿の頃の変わらない。

 マルベリーがスワロと挨拶し、ビーティーとも挨拶をして、するりとロクスリーの元に戻る。

 弟はため息をついてタイロ青年を見た。

「しかしお前の連絡用SNSすげえな。なんか、心配になってきた。ほら、チェックしてやる! 見せろ!」

「えー? そんな大した人脈ないですよー」

 そういわれてタイロ青年は通信用端末を、抵抗なく渡す。見られて悪いものはない、といことらしい。弟が一目で眉根を寄せた。

「うわっ、ヤベー奴しかいねえ!」

「失礼ですよー」

「げっ、エリックまでいる」

「エリックさんとつながっていると便利ですよ。だって、いざとなったら直談判できますもんね」

「じ、っ、直談判すんなよ。そりゃあ、俺らはアイツにも要望平気でぶつけるけど、アイツは……」

 弟は首を振ってそういいかけたが、

「まあでも、スワロにくっついてるキーホルダーとも相変わらずつきあってんだもんな、お前。上層部がどうのこうの、とかどうでもよさそうだよなあ……」

 と深々とため息をつく。

「お前、薄々感じていたが、ある意味大物だよな」

「えー、そんなことないですよー」

(いや、私も大物だと思うが)

 エリッククラスの大物や、あのキーホルダーと、平然と話ができる。しかも、まだしもロクスリーはともあれ、私や弟のようなとっつきにくい男にも平気で甘えて、話をしてくるのだ。並みの神経でできることではないだろう。

 そして、彼は我々の力を使うことができているのに、まったく偉ぶる気配もなく、末端獄吏としてあれこれと先輩にこき使われているらしいところも、何となく好感が持てた。

 願わくば、彼はこのまま、素直なままで年を重ねて行ってもらいたい。



 そんな無駄話をしている間に、テーブルにはナポリタンの大皿やホットサンドなどの食べ物が運ばれてきた。

 ナポリタンは、トマトケチャップの赤めのオレンジ色が鮮やかで、ピーマンの緑とゆで卵で彩りが添えられている。丸いものはソーセージであろうか。

 少し酸味のある甘やかな香りは、さほど食に興味を持たない我々黒騎士の食欲ですら、刺激するものだ。

「ちょうどよかった。ロクスリーさんも来たことだし、食べましょうね!」

 こういう時だけ、引率の職員らしくなるタイロ青年だが、自分が率先して何か食べたそうだった。

 私は、取り分けられたナポリタンの皿を手にした。

 ナポリタン、か。私は相変わらず小麦の食べ物が好きだ。もちろん、このような食べ物も好きだ。あまり一人で喫茶店に入るようなことはないため、こういうところではめったと食べないが。

 フォークに巻き付け、一口口に入れると、近ごろは以前より味がわかるようになってきた私にとって、好ましい酸味のある甘い味が感じられる。

 しばらく無心で食べ続けていると、いつのまにか、弟が私の顔をじっと観察してきていた。

「なんだ?」

「いやあ、別に」

 弟は肩をすくめた。

「相変わらず、うまそうに食うよなって」

「おいしく食べられるのはいいことですよお」

 とタイロ青年が言う。

「ユーレッドさんも、もっとおいしそうに食べましょうね」

「お前らの食いっぷりを見てるだけで、もう腹一杯だ」

 弟はそれでも、小皿程度の麺を食べたようだった。

「ナポリタンて、なんとなく懐かしい感じはするよな。俺はケチャップの味くらいしかわからねえけどよ」

「昔からある料理って聞きました。気軽にたくさん食べられますよねえ。おいしい」

「タイロくんのいうとおり、ナポリタン美味しいね」

 同調したロクスリーの袖をマルベリーが引っ張る。

「……なんだい、レディ。食後のケーキがかわいい? ああ、そうだね、食べ終わったら頼もうか?」

 メニュー表を広げてやるとマルベリーがそれをじっとみる。それをロクスリーがいとおしそうに彼女を見つめていた。

「そうだ。ヤハタ女史……じゃなかった、ドレイクの奥さんも、ケーキ好きでしょう。確か、彼女イチゴのショートが好きだったんだよ。頼んであげたらどうかな?」

 かつて、ヤハタ・ビーティアだったころの彼女と、ロクスリーは面識がある。どうやらその時のことを覚えているのだろう。

「彼女たちはもう食べないけれど、ケーキ見ると楽しいらしいんだよ。うちのレディなんか特にそうだ」

「そうだったか。それでは、あとでお願いしよう」

「ネザアスもスワロくんに頼むよね。スワロくんには、可愛いのがいいなあ」

 弟に尋ねると、彼は首を振る。

「俺は甘いのは苦手なんだ。味覚調整訓練したら、甘いのますますダメになった」

「大丈夫だよ。食べられなかったら、タイロくんが食べてくれるよねえ」

「任せてください!」

「それに、わたしもなんでも行けるクチだし、ケーキならホールいけるから」

 そういえば、ロクスリーは別に少食でもなんでもなかった気がしたが、力こそがすべての彼だ。実は私のように、いや、私以上にたくさん食べられるタイプの黒騎士だったのではないだろうか。と、私は少し思ったものだった。

「そういえば、狩猟小屋に泊るんだったねえ」

 とロクスリーが不意に尋ねてきた。

「ええ、そうですよ。なんだっけ、C13ポイントの狩猟小屋です」

「ああ、あそこの小屋は時々使うんだよな。迷って一日で帰れなかったときに便利だし」

 といったのは弟だった。

「あそこは管理者の人工知能のシステムがあるから、室内もきれいでいいんだよなあ」

 と、ロクスリーがにやりとした。

「あれ、そんなに使ってるのに、気が付いていないのかい? あれ、わたしが管理していた13号基地のゲートキーパーくんをそのまま再利用したものなんだよ」

「え? そうなのか? そ、そういやあ、なんかナレナレしいなとは思ったが」

 と弟がロクスリーの態度に嫌な予感を覚えているのか、珈琲をすすりながら引き気味になる。

「あそこの彼は優秀な子だからさあ、……ふふ、せっかくお泊りなんだし、それじゃあアルバムデータ開帳しちゃおうかなあ」

「アルバム?」

 タイロ青年がきょとんとした時。ロクスリーが、一枚の写真をテーブルの上に投げ置いた。

 目の調子が良い、今日の私には、その写真が見えていた。それは、三人の人物の写真だ。大人の男と二人の子供。金の髪をした男と、黒髪のまじめそうな少年、そして、可愛い帽子を被ったまだ小さな……。

「ぎゃあああああああッ!」

 弟が唐突に声を上げて、慌てて写真を隠す。

「大声上げちゃお店や周りの人に迷惑でしょ。すみませんねえ」

 とロクスリーが代わりに周囲に謝っているが、どうもその態度が白々しい。

「え、今のなんです、何?」

 見られなかったタイロ青年が尋ねる中、弟はそれを胸の内ポケット深くに隠してしまう。アシスタントのスワロまでが視認できなかったらしく、きゅきゅ、と驚いて鳴いている。

「なな、なんだ、なんで、ッ、なんで、こんなもんが、残ってんだ」

「なんでって? だって、ゲートキーパーくんは、データそのものが引き継がれてるんだよ。あの時のデータも残っているからね。記念写真とか動画とか、さんざん撮ったもんねー。管理者権限で閲覧制限かけているけど、わたしならどうにでもなるわけ」

 ロクスリーが、ナポリタンスパゲティをフォークに巻き付けて、口に入れながらニヤリとする。

「おおおおお、こ、こんなもん保管しやがってええええ。何が目的だ」

 弟が真っ赤になりながら、ロクスリーに尋ねる。

「別に。目的はないよー。アレー? キミ、あの時のことなーんにも覚えてないんじゃなかったっけー。何を焦る必要があるの。ここに写ってるボウヤが別人の可能性もあるのに? 覚えてるの?」

「あ、あああ、その、お、覚えて、ねえ、覚えてねえけど、その」

 と弟が言いよどむのを彼は楽しげに見た。

「まあまあ、合宿は昔話で盛り上がるのは一番だよね。キミの昔話なら、タイロくんだって楽しめるし、あー、これは魚釣りだけでなくてお泊りも楽しみだ」

「え、なんですかあ? なんですかあ? すっごい気になるんですが」

「あとで教えてあげる。っていうか、現像してばらまいてあげる。ばらまくほどあるから」

「て、てめえ、このオッサンがあああ。また汚泥の沼に沈めるぞ!」

 真っ赤になった弟の態度を楽しみながら、ロクスリーは食後の珈琲を楽しみ始めていた。勝てないと悟った弟もまた、げっそりとして、苦い珈琲をすすっていた。

「……そういや、タイロ。コイツとはちゃんと契約したんだろうな」

「契約?」

 タイロ青年がきょとんとすると、弟は言った。

「ロクスリーのおっさんは昔からさぼり魔だから。コイツがいると雑魚狩るのが楽になるんだが、サボるからさあ、ちゃんと働かせるために”呪文”を唱えるようにしろよ」

 それはかつて剥奪された恩寵システムによる、創造主アマツノの使った、我々の能力を解放するための”魔法の言葉プロンプト”だ。もはやだれにも扱えないはずのそれを、タイロ青年はたまたま使える体質であった。

 かつて創造主は、それを用いて我々を使役した。しかし、彼の場合は。

「あー、アレですね。大丈夫、バッチリっすよ!」

 自信満々なタイロ青年はそう言い置いた。

「Mr.ロクスリー、I’m calling you!ってやつですよね。発音以外はバッチリです」

 タイロ青年はケーキをかじりながら、にっこりとした。

「でも、基本的に俺は自主性を重んじちゃうタイプなんで、好き勝手やってほしいですねえ」

「それじゃあ、絶対サボる。結局、一番動く俺が全部相手しなきゃならなくなる。ちゃんと命令しろ」

 弟が真面目な顔でタイロ青年に言う。それは言い得て妙で、確かに機動力の高い弟は、このメンバーで戦うなら、まず一番走らなければならないだろう。

「えー、指示するの難しいですよ」

「やり出したら慣れる」

「でも、普段の言語でも難しいのに、A共通語喋るの難しいー」

 そんなやり取りをする二人を、ロクスリーはほほえましげにみえているようだ。私はそんな彼に視線を向けていた。その視線に気づいた彼は、肩をすくめた。

「どうしたんだい、長兄殿」

「いや、……その」

 と私は少し言いよどみ、

「あの件は、夢なのかもしれないと思っていたので……。写真があるとは思わなかった」

「ははは、あれは複数枚あるよ。あとでキミにも一枚こっそり横流ししてあげる」

 くくく、とロクスリーは笑った。

「そうだねえ。夢みたいな楽しい時間だったよ、わたしにとっても。でも、まあ、今も楽しくて幸せさ」

 ロクスリーは、そういってふっと息をつく。

「思えば、わたしたちも遠くまできたものだね。こんな風な時間が過ごせるなら、わたしは思うんだよ。いろいろひどいこともあったけど、生きててよかったなあって」

 そういうロクスリーの言葉に、私は一拍おいてうなずいた。

「ああ、私も、つくづくそう思う」

「おや、マルベリー。キミのケーキが運ばれてきたよ。写メを撮っておこうね」

 食後のケーキが運ばれてくるのを、ロクスリーが見やってマルベリーにそう声をかける。

 今から、荒っぽい任務に行くとも思えない、そんな平穏な時間が流れていく。

 私が穏やかな気持ちでいるのがわかったのか、私に寄り添っているビーティーが、きらりと小さく美しい音を立てた。


カインの逡巡:完

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カインの逡巡 —黒騎士少年紀行— 渡来亜輝彦 @fourdart

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