31.ナポリタンは過去の味 —遠くまで—-1

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 都会の雑踏。

 私はあまり人の多い場所が得意ではない。アシスタントのビーティーが、通りやすい道を教えてくれている。

 珍しく朝起きて行動している。たまの散歩は良いものだ。

 そんな中、通信端末に着信を告げるアラームが鳴っていた。ビーティーに依頼して通信をつなげてもらうと、私の返事を待たずに挨拶の声が聞こえた。

『ドレイクさん、おはようございます!』

 快活な、まだ若い青年の声だ。

『唐突ですが、今日明日、空いてませんか? 魚釣りに行きましょう!』


 *

 

「いやー、メンバー揃えた方がいいかなって思ったんですよ。今日のハンティング、荒野の奥なんで、狩猟小屋の使用が認められたんです。二泊三日とか、もはや合宿ですよね。しかも、近くに湖あるとかで、お魚釣れるって。ブラックバスとかいるんですかねえ。ここに乗らない手はないです!」

 べらべらと一人話す、その青年の声は、なんとはなく心地よい。何がかはわからないが、昔、ぼんやりとラジオを聴いていた時のような感じだ。

 この都市を囲むフェンスの向こう側は荒野と呼ばれる、かつての下層ゲヘナの荒れ地だ。再編されたとはいえ、そのあたりの汚染はそのままであり、泥の獣が進化した囚人は荒野により集まっている。それが都市に入らないようにフェンスを張り防止しているのだ。 

 獄卒は荒野の囚人を狩ることが仕事のうちであるが、そんな獄卒でも囚人が活性化する夜は荒野での滞在は許されていない。ただ、荒野の深くに立ち入るコースで狩猟ハンティングを行う場合は、狩猟小屋と称されるセキュリティのしっかりとした避難小屋を使うことができた。

 彼が言っているのは、おおよそそのようなことで、今回は深くまで立ち入る狩猟コースとなったため、急遽二泊三日の滞在が認められたのだということだ。

 彼はそれで、どうせなら行く人数を多くしようと、スケジュールの空いている私に声をかけてきたということらしい。

「ドレイクさんが来てくれて嬉しいです!」

 目の前の、少年からまだ脱しきれていないような、あどけない顔立ちの青年は、私に笑顔を向けてくる。

 不思議なことだが、彼といると私の目の調子は非常に良くなる。

 元の通りとは言わないが、ぼんやりと視認できる程度には見えるのだ。調子の悪いときは光を感知することもできない、ほとんど失明のような状態になることもあるのだが、彼といると本当に目の調子が良い。

 それは、私の心の調子にもよるものなのかもしれない。彼といると和む。


 唐突に私を呼びつけたのは、『獄卒』を管理する公務員である『獄吏』のタイロ青年だった。

 獄卒管理課の獄吏の彼は、我々を管理する側の人間である。とはいえ、通常、我々のような事情のある獄卒は、末端の獄卒管理課の獄吏に管理されることなどまずない。しかも、このタイロ青年は、まだ新米といっていいような若い獄吏であり、下っ端もよいところだった。

 そんな彼が私に直接連絡が取れる理由は、彼の頭に今乗っている、赤い達磨のようなロボットゆえだろう。

「えーと、スワロさん、狩猟小屋の近くに大きな湖があるんだよねえ。そこで魚釣りできそうなの。え? まともな魚がいるかどうか保障ができない感じかな? まあでも、ヤバイやつが駆除できるなら、それはそれで、獄卒の人には報酬になるからさあ。俺、フナとは言わないけど、ブラックバスとかいるといいなって思うんだけどー」

 きゅきゅっと鳴いているそのロボットの名前は、スワロという。

 それは、弟、奈落のネザアス。今はユーレッドと名乗っている彼のアシスタントだ。

 今やまるで面影がないが、そのアシスタントのスワロの原型が、あの小鳥のおもちゃのスワロ・メイであることを私は知っていた。弟が、ロクスリーにもらった設計図を使って魔女を助け上げたもの。そんな過去は、何度か危機を逃れたスワロ本人は、覚えていないのかもしれないが、弟の愛情は変わらずに注がれているらしく、いつでも綺麗にされており、帽子やリボンで飾られていることすらあった。

 スワロは弟にとって非常に大切な存在だ。だからこそ、そんなスワロをボディーガードとして貸し出されていることは、タイロ青年が弟に愛されているということの証左だった。

 タイロ青年は、彼自身の体質のこともあり、エリックの仲介もあって、近頃、我々黒騎士上がりの特殊な獄卒を担当する獄吏になっていた。

 そのようなことから、彼は弟だけでなく、私の連絡先も把握しており、さらにこの性格から気さくに声をかけてくるため、街中で遊ぶことも少なくない。

 たいていのものが話かけづらい、このような風貌の私に対しても、タイロ青年は全く気後れすることなく話かけてくる。私には、弟が彼をかわいがっている理由がよくわかるのだ。

『囚人狩りのついでの魚釣りかあ。いいなあ』

 とどこからともなく声が聞こえる。それは、スワロの首のあたりのキーホルダー状のアクセサリから聞こえているようだ。その本体は、上層アストラルの彼の執務室にいるのだろう。仕事中なのに、こうしてリモートで時折遊びに来ていると見えて、ずいぶんタイロ青年とは親しげだった。

『いいなあ。僕なんて、会議ばっかりだし、魚釣りいきたーい』

「じゃ、キーホさんもリモートで参加してくれてもいいですよ」

 話しかけてきた何者かに、タイロ青年が気軽に声をかける。

『えっ、まじ! でも、僕が参加したら、なんか白けないかなあ?』

「大丈夫ですよー。是非ってみんな言ってますよ、ねえ、ドレイクさん」

「私は構わない」

「ほらー。いけるいける」

『本当? ドレイク、僕、行って良いやつ?』

「うむ。ネザアスも喜ぶであろうし」

 キーホルダーの中身が何者であるのか、私はうっすらと知っている。

 かつてに比べ、これでも、ずいぶんと大人びた話し方をするようになったものだと思うし、実際、今の彼は成熟した大人の男なのだろう。かつて自分を無数に分裂させてしまった末に、残った彼自身。それがこのキーホルダーの男なのかもしれない。

『それじゃあ、行かせてもらおかなー。タイロくんと遊ぶ……もとい、タイロくんの任務について行く時は、僕は会議休んでもいいことになってるんだよね』

「えっ、なんです、それ。俺、利用されてる?」

『そういうわけじゃないよー。いやほら、僕がタイロくんたちに役に立つことも多いからー』

 何となく言い訳めいたことを言うキーホルダーの男が、楽しそうなので。

 私は、自分が絶対に救えもしなかった、かつての心残りがとけていくようだった。その片鱗がしっかりと正気を保ち、幸せに生活している事実で私は救われるのだ。

 

 待ち合わせ場所の喫茶店では、すでに弟が待っている。

 今は十時半。まだ昼食の時間には早い時間。

 夜型の弟にとっては、まだまだ朝なのだろう。珈琲を何倍も飲みながらあくびをかみ殺しているらしい。

「ユーレッドさん、お待たせしました」

「おう、結構遅かったな……って、おいおい、待てよ」

 と私の姿を見た弟がむっとする。

 近ごろの弟は、白いジャケットスーツに変な模様の入ったネクタイ、派手なシャツ、というのがいつものスタイル。獄卒であるゆえに携帯が許された刀をさしているものの、見た目の柄が以前に増してよくない。髪は短髪にしていることが多く、往来を歩くときは目の保護を兼ねてか、眼帯ではなくサングラスをかけていることが多かった。

 そんな近づきがたい風貌の弟に、平気で声をかけていくタイロ青年だ。

「あれ、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、お前、なんでこんな奴呼ぶんだよ!」

「なんでって? ドレイクさんも行きたいっていうし、泊りがけの時は人が多いほうが盛り上がりますよね?」

 弟はやや独占欲が強いため、男女有機物無機物問わず、かわいい気に入ったものに対して多少嫉妬深いところがある。早速、タイロ青年が、私を呼んできたことにやきもちを焼いている様子だった。

「行きたいって顔してないだろ」

「でも、お魚釣り好きだって」

「うむ。嫌いではない」

「ええ? そうだったっけか?」

 私がいうと弟は本気で驚いたような様子になる。

 そう、私は魚釣りは嫌いではないのだ。かつて、あの旅路でさんざん行った、狩りと区別のつかぬ魚釣り以降、私も何度か竿をもって魚釣りにいそしんでいた。

「ま、まあまあ、そ、それなら、いいけどさあー。確かに、荒野の奥で一晩過ごすときは、猟師小屋つかっていいとはいってもパーティー組んだほうがいいとされているからな」

 弟は舌打ちしながら、そう自分を納得させる。

 別に弟は本心で私の来訪を嫌がっているわけではない。味方が多いほうが良いとも考えてもいる。のだが、彼はなぜか口では悪くいってしまうのだ。

 もはや彼の性格がわかり切っている私は、そんな彼の行動が予測できるので、微笑ましく思っているが、少しでも笑おうものなら弟は怒ってしまうだろう。

「ドレイクさん、こちらどうぞー」

 そこは六人ほどが座れる流石のあるテーブルだ。タイロ青年は、私に弟の隣に座るようにすすめ、自分はその反対側に座る。

「ドレイクさん、どうせ朝ごはん食べてないでしょ。ここ、ナポリタンおいしいんですよー。もうすぐお昼ですし、お昼前には出立しますから、腹ごしらえしなきゃね。ナポリタンとか頼んじゃいましょう。あ、俺、ホットサンドも食べたいし、和風キノコスパゲティもたべたい! ユーレッドさんは何がいいですか?」

「お前の食いたいもの聞いてるだけで腹いっぱいだ」

 いまだに少食な弟は、本気でそう思っているらしくやれやれと首を振る。

「しかし、腹ごしらえって、もっと入り口近くの店でも良かったんじゃねえか。ドレイクも来たんだしさ」

「いや、実はもう一人待ち合わせの人がいて」

「は? 聞いてねえぞ」

 と、弟がスワロを手元で遊ばせながら、驚いてそう言った時、

「やあ、みなさん、お揃いで」

 ぬっと現れた背の高い男が、タイロの頭の上から挨拶してくる。

「久しぶりだね、キミ達。お待たせ」

 聞き覚えのある声。どこかキザな印象のあるしゃべり方。

 色褪せたかなり長い金色の髪の毛をまとめあげている。普通なら目立つが、若い感じはしないものの、中性的な整った線の細い外見の彼には似合っていて、馴染んでいた。

 今日の彼は動きやすい外套のある服を着ているが、妙にオシャレだった。その彼の周囲を紅い機械仕掛けの金魚が緩やかに浮かんでいる。

「ロクスリーさん、来てくれたんですねえ。道わかりました?」

「大丈夫だよ。それにしても、タイロくんはお目が高いな。魚釣りついでの狩猟ハンティングに、わたしを呼んでくれるなんて」

 そこにいるのは、かつての黒騎士、サーキット・サーティーン。ロクスリーだった。

「おおお、お前、っ、なんてやつを呼んでんだ!」

「え、なんてって、魚釣りに詳しいロクスリーさんです」

「どーも、魚釣りは玄人のロクスリーです」

 にやあと彼は笑う。

「何さ、"あれ"からキミたちと初めて会ったわけじゃないだろ。なんで、そんな驚くのさ」

 ロクスリーがいたずらっぽく笑う。

「タイロ、お前ちょっと来い!」

 弟がタイロ青年をぐいと引っ張り込む。

「えー? なんですか?」

「お前、なんて奴に連絡してるんだ」

 弟が小声で、といっても、私に聞こえているぐらいだから、ロクスリー本人にも聞こえていると思うが、尋ねている。

「なんて? って、ロクスリーさんですよ。ユーレッドさんの元同僚さんで、この間、協力してもらったんですよね」

「それはわかってる。問題は、なんでお前が連絡先知ってて、気軽に呼び出してんだよ! 俺も知らねえのに」

「だって、遊びに行く時に誘ってって言われてますし、誘ったら来てくれたんですよ。たまにチャットで雑談したりもしますよ! 連絡先は、名刺交換しましたので」

「名刺ッッ?」

「ほら、この金魚の名刺。かわいいですよねえ」

 タイロ青年は平然と答えて、名刺入れからかわいらしい金魚と小鳥の印刷のある名刺を取り出した。

「なんだい、ネザアスもわたしの名刺が欲しかったのかい。ほら、キミとドレイクにもあげる」

 とロクスリーが、金魚柄の名刺入れからその名刺を出してきた。

 そこには連絡先と確かにロクスリーの名前が書かれている。

「うちのレディを模したものなんだけど、可愛いでしょう」

「親馬鹿だな」

「ネザアスには言われたくないな。スワロくんを溺愛してるくせに」

 とロクスリーは、ふわふわ漂うマルベリーをなでやっていた。


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