第17話 ホームズとワトスン

 何か、柔らかいものが頬に触れた気がした。


    ※


「なんで、市ノ瀬は部費に手を付けたりしたのかな。」

 帰り道、隣を歩く天ヶ瀬にオレは尋ねた。居眠りをしていた所為で、まだまだ日が長いはずの太陽も大分西に傾き、夕焼けが鮮やかに輝いている。どうやら、明日も晴れるらしい。


「どうしても欲しいものがあれば、つい手を出してしまうという経験ありませんか?」

「あんまり、オレはないかな?」色々と考えてみるが、理性と欲望を天秤に掛けた時、欲望が勝ったという経験がオレにはない。「天ヶ瀬は、欲望に負けたりすることあるのか?」


 イメージだけで言えば、彼女は理性の人であり、欲望に秤が傾くようには思えない。しかし、今回の事件を通じ、人のイメージなどその人間の一面でしかないことを知った。ならば、天ヶ瀬にも、オレが抱いている印象とは別の顔があるのだろうか。


「知りたい、ですか?」


 天ヶ瀬は足を止め、じっとオレの顔を見詰める。その大きな瞳に赤い夕焼けが映え、オレは美しいと思い見惚れてしまった。


「知りたい、ですか?」

 黙っているオレに、彼女はもう一度尋ねてくる。

「まあ、今後の付き合いもあるから、教えてもらえるなら、知りたいかな?」

 まっすぐとこちらを見る彼女の視線から、オレは逃げるように視線を外しながら答えた。


「顔、見てください。」

 手鏡を手渡され、オレは自分の顔を確認する。

 そういえば、さっき寝ている時に何か頬に触れた記憶が薄っすらとある。あれはもしかして……、


「やられた、」


 鏡に映る自身の顔を見て、オレは一人呟いた。いつの間にか、天ヶ瀬はいなくなっており、文句を言う相手がいない。


 オレはもう一度鏡を見て、溜息を吐く。

 頬には、マジックペンでこう書かれていた。


『ワトスン』と。  

  

                               了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天ヶ瀬結の事件簿 文芸部事件 乃木口正 @Nogiguchi-Tadasi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ