第13話(最終話)

それから半年が経ち新年を迎えた頃、僕は会社の同僚たちと混み合うなか神田明神へ初詣に行き、参拝が終えて会社に戻り業務にあたっていった。

退勤後電車を待っている時に琳からメールが来て、近いうちに会えないかと告げてきた。初めは会う事を拒んだが久々にランチでも行きたいと言ってきてそれを了承すると日程を決め折り返し返信が来て、近いうちに連絡をすると言っていた。


あの夏に起こした響との出来事に触れてはいけないと考えていた。神妙な面持ちで過ごしていきながら約束の日を迎えて、中目黒駅の近くにある店に入り琳が到着すると、二人で煮込みハンバーグのランチセットを注文した。

無言でいる僕の表情を覗いては微笑してきたので何故平気な顔をして会いに来たのか尋ねてみた。


「なんで笑えるの?」

「何事もなかったかのようにすっきりとした顔をしているから、逆に新鮮見を感じる」

「そっちは育児はどうだ?」

「私の仕事が落ち着いているからなんとか上手くやれている」

「飯のレパートリーも増やす事できている?」

「前よりかは幾分増えた。何よ、旦那じゃあるまいし細かいところまで気にしてくれているなんて。奏市はまた出張とかはあるの?」

「いや無い、内勤が多いよ。ひたすら事務整理が続いているしさ。あっても春先くらいかな」

「異動ががないからまだ良いよね……」

「そういえば旦那の赴任どうなったんだ?」

「決まったよ。家族で香港に行く」

「いつ?」

「三月。しばらく日本を離れる」

「治安もどうなっているか不安だな」

「なんとかなれば良いけどね。だから、今日奏市に会いたかったの」

「そうか。あのさ……響は元気?」

「うん。あれから言葉も覚えてきて、やっと私たちのことをパパママって呼んでくれている」

「それが一番良い。向こうに行っても大丈夫そうだな」

「色々考えていたでしょう?」

「まあな。まだ小さいしどうしているのか毎日のように考えてしまうよ。未練がましいよな」

「あれからね、旦那に打ち明けた。父親が奏市だって」

「和解できたのか?」

「時々煙たがることもあるけど、双方の親同士と話し合って離婚もしないで二人で育てていくことに決めたよ」

「いつ、日本に戻る予定?」

「まず三年はいるよ。その後の異動がどうなるか未定。連休が取れれば一時帰国するかなってところ」

「当分会えないのか……」

「連絡は取れるよ。あまり心配しなくても大丈夫。それより、あんた彼女は?」

「いるよ。同僚が紹介してくれた」

「良かったじゃん。どんな人?」

「お前より控えめだけど根は座っている。亭主関白みたいな感じじゃないからそれなりに相性も良いんじゃない?」

「そっかぁ。このままいなかったら私の寿命が縮まる感じだと思ったし……一安心だ」

「どこのおばさん面だよ。ふっ、お前も相変わらずで面白いな。安心してやっていけるわ」


琳のことをよく理解しているから任せようと決めた。響の事を思うとあの子もいつかは僕の事に気づく。一方で再会も願ってはいるものの琳たちが拒否するならばそれに応えるしかない。

もしも彼の気持ちが動いたその時に大人たちがその意見に賛同してあげればいいのだと考えている。

食事を終えて外に出ると立春に近づくにつれて身体を突き刺すような冷風もこの日だけは陽の光に照らされて少しだけ暖かく浸透していくように思えた。駅に着くまでの間も彼女と会話を続けていた。


「まだ春が来るのも時間がかかりそうだ」

「いずれかは緩和していくよ。そんなに寒がりな方だっけ?」

「今だけ感じるのかもな」

「ねえ、さっきお願いがあるって言ってたことって何?」

「仮の話だけど、今後俺が響に会いたいって言ったらどうする?」

「その時にもよるよな。あの子だって自分の気持ちもあるだろうし」

「まあその時にならないとわからないことだけどさ、良いようになるようあの子の成長を祈っている」

「うん。そうしてあげて」

「琳」

「何?」

「響を、産んでくれてありがとう」

「何よかしこまって……」

「旦那さんもあの子の事受け入れているようだし、それなりの年になったら本当の事も話すだろうしさ。俺みたいな大人にはなって欲しくない。ならないとは思うけど……やっぱり考えてしまうんだよ」

「そこまで世話を焼かせるつもりはないから、響の事は私達に任せて」

「ああ。……それじゃあこれから行くところがあるから反対のホームに行くよ」

「うん。奏市も頑張ってね」


先に来た電車に乗りドアが閉まると琳が手を振って見送ってくれた。吸い込まれていくように電車は加速して走っていく。この先に待っているのはきっと明るい兆しのある未来だと信じていたい。


僕はあの子に優しい誘拐をしたようなものだったが、そんな些細な都合で振り回してしまった僕はもう道化師でいる必要もなくなった。

垣間見た向こうの窓に写るこの姿は自分そのものだ。織りなす時間が重なってまた消化していく時に、今にはない誰にも似ることのない本物の僕が待ち受けているのかもしれない。


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優しい誘拐 桑鶴七緒 @hyesu

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