ウクライナ戦争論 プーチンとゴルバチョフ~独裁者の決断・第二のヒトラーへ~

長尾景虎

第1話 ウクライナ戦争論 プーチンとゴルバチョフ~独裁者の決断・第二のヒトラーへ~

                                             

ロシア二部作

第一部 ウラジーミル・プーチン「ウクライナ戦争論」

ロシアVS.ウクライナ侵攻のその真実!

戦争、侵略を追いかけて、プーチンもゼレンスキーも気づかなかった真犯人を暴く!今更聞けない真実の物語。プーチン大統領の『野望』

ロシア・旧ソ連のことが3時間できっと学べる 

<旧ソ連・ロシア教科書的論>



total-produced& PRESENTED written by

                   NAGAO Kagetora

                   長尾 景虎


         this novel is a dramatic interpretation

         of events and characters based on public

         sources and an in complete historical record.

         some scenes and events are presented as

         composites or have been hypothesized or condensed.


        ”過去に無知なものは未来からも見放される運命にある”

                  米国哲学者ジョージ・サンタヤナ

まえがき


 80年代後半、ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフという政治家によって世界は大変革をとげた。永遠に続くかと思われた「冷戦」による米ソの軍事競争にピリオドがうたれ、大量殺戮の恐怖もさった。ベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアのチャウシェスクが倒れ、東西が対立していた欧州大陸はゴルバチョフのシナリオどおりに、世界平和に向けて突っ走るかに見えた。少なくとも、ヨーロッパには平和がもたらされると誰もが希望に胸を膨らませていた。ただしそれには、ゴルバチョフが失脚しないで、彼の意思を政策に反映できるかぎり、という前提があった。しかし、残念なことに、世界は「新秩序」とは逆方向に激変しつつある。新思考外交を担ってきたシェワルナゼ元外相が「我が国に独裁がやって来つつある」と拳を振り上げて叫び、辞任した。そして、世界を変えた男・ゴルバチョフも保守派、党、軍らの巧みな復権によって実権を奪われ、失脚させられてしまった。その理由が、健康上の理由というのだからおそれいる。保守派は経済改革をする気もないらしかった。ソ連の人々は歴史的にいって、自由だとか私有財産制というものを経験していなかった。ボルシェビキ革命以来、70年にも及ぶ悪政に苦しめられてきた。だから、経済を知らないのも仕方がなかった。だが、保守派が権力を掌握した状況にあって、嘘っぱちのペレストロイカ路線で西側に援助してもらうとするのは、完璧に間違いだった。ドブに捨てることにしかならないし、そんな金は西側には1ドルだってなかった。民族紛争、内戦、さまざまなことが。それによって西側に大量の難民が押し寄せることになるところだった。冷戦体制が崩壊し、ソ連は消滅した。政治家ゴルバチョフは徹底した現実即応型の合理主義者で、機能するものは追及し、機能しないものは放棄する。だから、民族の反乱と経済破綻から来る保守派の反撃をしのぐために彼は権力にしがみついていたのだ。彼の最悪な点は、改革が中途半端であったことだ。保守派がクーデターによって権力を握った。だが、保守派がいくらソ連を動かし、ブレジネフの時代まで逆戻りさせようとしても、民主化や自由化のダイナミックな動きは誰にも止められはしなかった。それらのソビエトの改革がこれからスタートしようとした矢先、改革の旗手であったゴルバチョフが追い落とされてしまった。これはソ連にとって、そして全世界の平和、秩序、ブッシュのいう「新世界秩序」にとっても非常に不幸なことだったといえる。私たちは、まず、ミハイル・ゴルバチョフの人間性、成長過程、心理などを理解しなければなるまい。そして、激動のソ連、ロシア、ゴルバチョフ政治・失脚のすべてをだ。

現在、ロシアはBRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)の一翼として、経済発展著しい国となった。だが、クリミア問題、ウクライナ問題で糾弾されている。そして、ロシア軍によるウクライナ侵攻(戦争)。これで欧米が本格参戦でもしたら、全面戦争『第三次世界大戦』である。プーチン新大統領で、本当にいいのか?正しい政策を実施しているのか?歴史が判断するだろう。確かにプーチン大統領と部下のメドベージェフ首相が旧ソ連、現在のロシア共和国の経済を立て直した。ゴルバチョフは過去のひとで、昔のひとである。

だが、ゴルバチョフがいなければ冷戦終結もソ連の崩壊もなかった。

共産主義の失敗もおおきく、資本主義が勝ったのだ。だが、そこに至るプロセスを学ばないでソ連もロシアもわからない。この書は本当の意味での教科書である。

この物語を読むことによって、ぼんやりとしていたゴルバチョフ像が、読者の心に、はっきりと鮮明に刻まれることを期待してやまない。(ミハイル・ゴルバチョフソ連元大統領は2022年8月30日、モスクワの病院で死去した(享年91歳))



『ゴルバチョフ×ゴルバチョフ』 ストーリー紹介


 ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフは飢饉の最中、スタブロポリのある村に生まれた。スターリンによる「クーラック(富農)狩り」やナチス・ドイツによる侵略により、食料も底を尽きて、ある村では一歳から二歳までの幼児がすべて餓死してしまったという。 だが、そんな時代に育ったからこそ、あのサバイバル精本能と行動的・合理的なゴルバチョフが「世界の檜舞台」に現れる結果となった、ともいえる。

 モスクワから汽車で丸一日かかるこのこぢんまりした村で、ミハイル・ゴルバチョフはたくましく生き、強い母親、やさしい父親などに包まれながら暮らしていた。少年時代のゴルバチョフは野心満々、癇癪持ちだが、人付き合いがよく、欲張りで勉強好きの野心家だが、どこか憎めないものを持っている。彼は努力の末、労働赤旗メダルをもらい、ソ連のエリート大学「モスクワ大学」に入学した。そして、そこで高峰の花、ライサと出会い、学生結婚をする。そこまではよかったが、スターリンの部下「ベリヤ」が処刑されたことを期に、彼は挫折。彼は傷ついた心のまま、スタブロポリの故郷に帰る。

 だが、彼は持ち前の才能をいかして、みるみる頭角を現し出す。温泉地に訪れていたアンドロポフ(のちにソ連書記長となった)やイデオロギーの守護神といわれたソ連共産党No.2、スースロフなどに取り入り、やがてモスクワの共産党本部「クレムリン」に進出、アンドロポフ、チェルネンコの死後、ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフは共産党書記長に就任。ペレストロイカを打ち出す。

「ペレストロイカを始めよう!」 

 ゴルバチョフは「悪の帝国」というイメージを取り払うため、積極的な外交を展開、サッチャーのすすめで、レーガンとINF条約で合意、冷戦終結、軍縮、ベルリンの壁崩壊、東欧解放、ドイツ統合、さまざまな魔法の力を使い、世界を変えていった。

 しかし、民主化とはいったものの、ソ連国内は経済が破綻し、保守派が台頭、民族紛争激化と…どうしようもない状態になる。彼は生き残りのために、右旋回し、バルト「血の弾圧」などが起こる。彼は悩んだ。

「やはり我が国には、命令と脅しが必要なのだろうか……」

 ゴルバチョフの人気は急降下し、民衆は「ゴルバチョフやめろ!ゴルバチョフやめろ!」と叫び、かわりに急進改革派エリツィンは大人気となる。そしてエリツィンは、ロシア共和国大統領(当時)にまでなる。(もはや故人)

 ゴルバチョフはロンドン・サミットに出席、資金援助は得られなかったものの、ブッシュ大統領(当時)に説得され、「改革に反対するものは共産党を出ていきなさい」と強気な姿勢を取り戻す。そしてSTART(戦略核削減交渉)に調印、各共和国の独立を認める『新連邦条約』の会議を八月二十日に開催することで、エリツィンと合意をとりつけた。このことに保守派は怒り狂い、保守派はゴルバチョフから権限を奪いとりマルクス・レーニン主義を取り戻すべく策略を練った。それはとても簡単なことに思えたのだが…。      1991年8月19日、保守派によるクーデター発生。ゴルバチョフはクリミアの別荘に監禁されてしまう。保守派の命令をうけた軍隊、戦車がモスクワ市内の報道機関などを占拠。その侵略者たちは改革派や自由を求めて集まったロシア共和国最高会議ビルに迫っていた。ソ連に、再び「全体主義」が敷かれようとしていた。

 これに対し、モスクワ市民は抵抗、クーデターは失敗に終った。保守派は逮捕され、ゴルバチョフは「共産党解体」を宣言。ソ連全土のレーニン、マルクス像が撤去された。

 七十年に及ぶ、ソ連共産党の独裁体制に、終止符が打たれたのだった。


 この著書は、ゴルバチョフの人間的魅力、政治哲学、人生、世界情勢などがすべて凝縮された必読のものである(全人生についてはロシア二部作・第二部『ゴルバチョフ×ゴルバチョフ「世界を失った男ミハエル・ゴルバチョフ」』で)。この物語によって、冷戦とは何だったのか?スターリンは、フルシチョフは、ケネディは、レーガンは、サッチャーは、ブッシュは、シェワルナゼは、そしてゴルバチョフとソビエトとは何だったのか…そうしたミステリーが理解できるだろう。著者としては、「ゴルバチョフ・ゴルバチョフ」の映画化を、ぜひ望むものである。

 これほど波乱な人生を生きてきた男が、かつていただろうか。…ミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ。世界を変え、ソビエトを独裁から解放した男、ゴルバチョフ…。 この物語を読むことによって、歴史の謎やゴルバチョフ像が、はっきりと見えてくることを願う。ゴルバチョフ誕生、アメリカ・ソビエト(現・ロシア連邦)、ペレストロイカ、新生ロシア革命、今世紀最大のミステリーに迫れ!

では、See you again.Happy reading.…



第一部  (小説パート)『世界を変えた男ミハエル・ゴルバチョフ』

プーチン大統領を覚醒させた男の真実!


ウクライナ・ゼレンスキー大統領『名演説』より(ネットニュースより引用)


2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻を開始すると宣言した直後の演説です。

ロシア国民に呼びかけたゼレンスキー大統領のスピーチは、国際的にも高い評価を受けていることから、全文を翻訳し紹介することにしました。スピーチライター 蔭山洋介

「今日、ロシア連邦の大統領に電話をかけました。結果は沈黙でした。沈黙はドンバス(ウクライナ東部の都市)にあるはずなんですが。ですから今日は、ロシア市民のみなさんにお話したいと思います。大統領としてではなく、一人のウクライナの市民としてあなたに話しています。 2,000km以上の国境が私たちを分断しています。この国境に沿って、あなたの軍隊、約20万人の兵士と数千台の軍用車両が、駐留しています。あなたたちのリーダーが、他国の領土に一歩前進することを承認しました。そして、その一歩は、ヨーロッパ大陸での大規模な戦争の始まりとなる可能性があります。

私たちには、戦争は必要ありません。冷い戦争も、熱い戦争も、ハイブリッド戦争も、必要ないのです。しかし、私たちが(敵)軍に攻撃されたとき、私たちは守ります。私たちの国を、私たちの自由を、私たちの生活を、私たちの子供たちの人生を奪おうとしたときに、守ります。攻撃するのではありません、守るのです。そして、あなたが私たちを攻撃するとき、あなたは私たちの顔を見るはずです。私たちの背中を見るのではありません、私たちの顔を見るのです。

戦争は大きな災害です。そしてこの災害には大きな犠牲が伴います。あらゆる意味においてです。人々は、お金を、評判を、生活を失い、そして自由を失います。しかし、もっとも重要なことは、愛する人を失い、自分自身を失うということです。

彼らは、あなたにウクライナがロシアに脅威を与えていると伝えていました。しかし、過去も現在も、そして未来においてもそんなことはありません。あなたはNATOに安全保障を求めていますが、私たちもまた安全保障も求めています。あなたから、ロシアから、ブダペスト覚書のその他の保障から、です。

しかし、私たちの主なゴールは、ウクライナの平和と国民の安全です。そのために、私たちはあなたを含む誰とでも、どんな形式でも、どんなプラットフォームでも、話をする準備ができています。この戦争は、すべての人から[安全]保障を奪い去るでしょう。もはや誰一人として安全を保障できなくなるのです。この戦争で、最も苦しむのは誰でしょうか?市民です。もっともそれをしたくないのは誰でしょうか?市民です!それを止めることができるのは誰でしょうか?市民です。しかしその市民に、あなたは含まれているでしょうか? ………私は信じています。

彼ら[ロシア]が、私の演説をロシアのテレビで放映しないことを知っていますが、ロシアの人々は見なければなりません。そして、真実を理解しなければなりません。その真実とは、戦争をただちに止めることです。手遅れになる前に、です。そして、もしロシアのリーダーたちが、平和のために私たちのテーブルに着きたくないというのなら、おそらく彼らはあなたがテーブルに着くことになるでしょう。ロシアのみなさんは戦争を望んでいますか?私は、その答えを知りたいと思っています。しかしその答えは、あなたと、ロシア連邦にかかっています。」



   独裁者プーチンはなぜ暴挙に走ったか(徹底解説:ウクライナ戦争の深層)

   池上彰氏著作参照・要約引用


 ロシアによるウクライナ侵攻では、まるで第二次世界大戦のような映像が飛び込んできます。驚きとともに、私たちに出来ることはないのか、国連は何をしているのかと切歯扼腕した人も多かったことでしょう。

 二〇世紀、私たちは二度の世界大戦を経験し、二度と悲劇を繰り返してはならない、と決意し、国際連合(国連)まで組織しました。

 冷戦下では、アメリカとソ連による代理戦争が朝鮮半島や東南アジア、中東などで繰り広げられました。が、冷戦終結後、世界は平和になるとみられていました。

 少なくとも、汎ヨーロッパ思想でのEUやヨーロッパでは、もう悲惨な戦争は起こらないとみられていました。ですが、独裁者プーチンの暴挙により、ウクライナ戦争ははじまってしまいました。

暴挙に出る前に、プーチンはロシア国産の新型コロナのワクチンを打っていましたが、このワクチンが全く効かない……新型コロナで外出もままならず、この孤独な独裁者は執務室でロシア・ソ連関係の本ばかり読んでいたという。その本の中で、『ウクライナはソ連のレーニンが勝手に作り上げた国であり、もともとロシアの一部なのだ』という内容を読みました。

 元・KGB(国家保安委員会)のエージェントだったプーチンは、ソ連崩壊後、その後継組織のFSB(連邦保安庁)のトップとなり、その後、当時のエリツイン大統領に気に入られてロシア共和国の大統領の座に着きました。周りをFSBのエージェントやイエスマンの側近たちで固め、独裁を極めました。自分や体制に反対するものは暗殺し、殺害し、独裁を強めました。

 新聞記者や報道者や政敵を次々と殺し、こうなるとプーチンに逆らう者はいなくなりました。ウクライナ侵攻も、そうした一連の独裁体制のプロセスの一部でした。

 最初は「軍事演習だ」と言っていましたが、その後、ウクライナ戦争を起こしました。

「ウクライナなどすぐに降伏するだろう」プーチンはそう考えていたようだ。

 だが、ウクライナはNATO(北大西洋条約機構)には加盟してはいないが、NATOの軍事演習を受けていた。けっこう手強かった。そこで、活躍したのが、ウクライナ政府の最年少閣僚のミハイロ・フョードロフ副首相兼デジタル転換大臣(三十代)だ。

 インターネットを衛星接続でつなげるように、イーロン・マスク氏にツイッターで呼びかけて、ウクライナ側が、氏の所有する衛星ネットの接続を提供してもらった。

 まるで、台湾のオードリー・タン氏のようだ。だが、日本にこのような優秀な三十代閣僚がいるのか? と不安になりますよね。

 ウクライナは八〇年代には、チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故などがあり、第二次大戦ではロシア(旧ソ連)は二六○○万人もの最大の戦死者も出した。

 ソ連崩壊によって、ウクライナが独立した時、東側のひと(親ロシア派住人)はロシアから切り離された……という感慨を持った。だからこそ、ロシアは、〝親ロシア派住民を助ける〟という大義名分で侵略行為を正当化したのだ。

 紛争解決のカギは『ミンスク合意』だったが、うまくいかなかった。

 ウクライナの飢餓経験のトラウマ『ホロドモール』もみなさんのご存じの通りである。

 ロシアのプーチン大統領は、ウクライナを『ネオナチ』と呼ぶが、ナチスはどちらか?

ウクライナのゼレンスキー大統領の、当時のイギリスのチャーチル首相の言葉を引用した演説は見事であった。ロシア側には、経済制裁とSWIFT制裁など(いろいろの詳細は後述しています。それを参照してください)。

プーチン大統領はロシア正教会を利用し、侵略戦争を続けて、政治では院政を敷こうとしている。日本人の中には、「ロシアのプーチン大統領は暗殺される」とか嘯くひとがいる。

だが、甘いというか。そんなことはプーチン大統領自身が一番用心していること。そんなに簡単に暗殺されるくらいなら、もうとっくに暗殺されている。

それは北朝鮮の金正恩と同じことである。

すべてはクリミア半島併合から戦火ははじまっている。

我々は、すぐにウクライナ戦争がおわる……と見ているが、それは甘い、ということ。

そう簡単に、戦争はおわらない。西側がジャベリン(対戦車ロケット砲)だけでなく、ハイマース(対空ロケット砲)まで武器提供をした。ロシア軍人は大殺戮や集団レイプの戦争犯罪をやらかしている。プーチン大統領がヒトラーなら、ロシア軍はナチスである。

だがしかし、NATO軍は、戦争参加はしない。

それは第三次世界大戦に繋がってしまうからだ。

ウクライナ戦争は許せないが、第三次世界大戦だけは防がねばならない。

 それこそ、大事なことである。ましてや、ロシアが核兵器を使う……などもってのほかである。それだけはあってはならないのだ。

また、プーチンのロシアは核兵器は流石に使えないとは思う。何故なら、核兵器をウクライナに使ったら北朝鮮以外の世界を敵に回し、インドや中国も敵に回りロシアは完全におわるからだ。だが、プーチンのような悪魔には常識が通じない。

 よく、先進国では「どっちもどっち論」というか、「プーチンのロシアは当然、悪いが、ウクライナも悪かった」のような「善悪二元論は幼稚だ」というような論が流行る。

 だが、今回はプーチンのロシア(一般ロシア人ではない)が悪魔だし、ウクライナ(のゼレンスキー大統領)が正義だ。実際に、ロシア軍はウクライナ各地で集団虐殺や集団レイプを犯している。それで「ウクライナも悪い」論は、いじめられるほうも悪い、レイプされる方も悪い……のような暴論である。

 プーチンのロシアが悪いからこそ、欧州や東欧でNATO加盟ドミノが巻き起こっているのである。しかも、プーチンがウクライナ侵略を成功させてしまったら、中国は迷わず台湾に侵攻するだろう。それでもいいのか?という単純な話である。

 もう、プーチンの失脚か暗殺か、それしか戦争のおわりはみえない。

 ウラジミール・プーチンは21世紀のヒトラーである。

「ウクライナはネオ・ナチの国で、ロシア系の住民を侵略し虐殺している。彼ら同胞を救い出し、ロシアは正義の戦争をしよう!」そんなプーチンのプロパガンダを信じたらそれこそ馬鹿である。『善悪二元論』は幼稚などではなく、まさにプーチンは悪魔であり、ウクライナこそ正義だ。

 それもわからず、デマや文句だけをこね回すだけなら死んでしまえ。いらないから。

 まずは、ウクライナ侵略の意味をよく考えることだ。

 その歴史的な意味をよく考え、自分の頭で考えて、正しい主張や行動をしてほしい。

 それだけがわたしの願いだ。

 また、せっかくなのでここでもう少しロシアのウクライナ侵攻について、語りたい。

 日本では保守・リベラルを問わず、ロシアを擁護する意見が一部であるが驚くしかない。「どっちもどっち論」で、国際法という視点がない。日本はNATO(北大西洋条約機構)陣営にいて対ロシアの制裁に足並みを揃えて参加しているのだから戦争の当事者であるのに、こういう責任は投げ出して、無責任にロシアを擁護しウクライナを批判するのには呆れるしかない。ロシア軍は山賊よろしくウクライナ国内で集団虐殺・集団レイプを犯している。

 また、忘れている人がいるようだが、日本とロシアは未だに、平和条約も結んでいないような敵国関係であるのだ。北方領土も不正に占領されている。

 太平洋戦争後、日本がポツダム宣言を受け入れて降伏した一九四五年(昭和二十年)八月十五日、その後に、当時のソ連軍は樺太や満州に攻め込んできた。

 日ソ不可侵条約がまだ有効で、条約を締結していたのに、宣戦布告もなく千島列島や樺太、北方領土に攻め込んできたのである。

 しかも、ロシア軍がウクライナ国内でやっているのと同じく、日本の領土でも大量虐殺や大量レイプをやらかしている。そういう国なのだ。常識が通じない。条約を締結しても平気で破る、そういう国なのだ。外交交渉で領土が返還される筈もない。

 プーチンを頂点とする「盗賊国家体制」(クレプトクラシ―)の国。政治家や官僚、オルガルヒ(新興財閥)、シロヴィギ(軍や警察、情報機関出身の政治エリート)などの権力者が国家資産を着服・横領・私物化し、それが軍部まで浸透している。

 実はプーチンは2011年にはロシア軍を近代化した筈であった。

 だが、実はその資金(19兆ルーブル(当時の為替ルートで53兆2000億円))も軍部や官僚などが着服・私物化し、近代化にならなかった。

 中国やインドがロシア産の天然資源や石油・ガスなどを買っていて『経済制裁』がまったく効いていないといわれる。だが、そんなことはなく、確かに、石油や天然ガスで金を得ているが、制裁で輸入が減ったので貿易赤字になっていないだけ。制裁は効いている。

 ロシア軍は兵器も半導体も物資も足りていないし、兵隊も足りない。

 なんと軍服も軍靴も足りていない。

 ロシアの刑務所に服役していた殺人鬼どもを兵隊にして、ウクライナ侵攻戦に投入、六か月生き延びれば「無罪放免」とかいうまるで漫才みたいなことまで実施している。

 よく、「NATOが東方拡大路線を敷かなければ、プーチン大統領はウクライナ侵攻をしなかった」という意見があるがトンでもない。

 あの国は、戦争がしたければどんな屁理屈でもこねて戦争をする国だ。

 プーチンの思想「ユーラシアニズム」。その正体は攻撃的拡張主義なのだ。

 緩衝国家化しても、ロシアはウクライナ侵攻をしていたのだ。クリミア半島の侵攻後のミンスク合意もロシアは一方的に破棄した。そういう国であり、条約など無意味なのだ。

 対ロ宥和論者は、ロシア軍(当時・ソ連軍)が北方領土や南樺太・千島列島の日本領土を略奪した歴史を忘れているのではないか?

 今後は、ロシアは欧州などにエネルギー資源を人質にしての揺さぶりをかけてくるだろう。

 ロシアは「困ったときは東側へ」の戦略があるものだ。すぐに、ロシアが日本の北海道とかに攻めてくるということではないと私は見ている。

 だが、自衛戦争も出来ない国を守ってくれる国家などはない。

 在日米軍が「日本の代わりに戦ってくれる」と思っている日本人も多いが、そんなことはない。まずは日本の自衛隊が「自衛戦争」をやり、その後で、後方支援を在日米軍がやるだけだ。

 専門家は、ロシアでは「テレビVS.冷蔵庫」の戦いになるという。

 つまり、テレビではプロパガンダ(大衆操作・噓情報)でプーチンの都合のいいロシア国民洗脳の情報が流れ続けるが、冷蔵庫の食料がなくなっていけばマインドコントロ―ルも効かなくなるということだ。だが、モスクワにミサイルが飛んでこなければ一般ロシア人が戦争の当事者意識を持つことはない。

 まあ、それは第三次世界大戦になってしまうので駄目なんだが。

「ウクライナがかわいそう。もっと武器や資金を!」

 みたいな思考が一番危ない。

 それこそ第三次世界大戦である。

 もちろん、ロシアのプーチンが悪いのは百も承知だが。

 とにかく、日本国はもう「戦争当事者」なのだ。ということだけは頭に入れておいてほしい。無責任にデマを飛ばしたり、対岸の火事をきめこむ愚だけは犯してはならない。






FNNプライムオンライン

「奇跡の勝利」と「最悪のシナリオ」 プーチン氏の野望がもたらす未来とは

FNNプライムオンライン 2022/03/18 21:30

© FNNプライムオンライン(インターネット記事より引用)

2月24日から開始された、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は3週間を迎えた。

アメリカのシンクタンクや国防総省の分析によれば、ロシア軍は圧倒的な武力を背景に電撃戦で首都キエフを制圧し、ゼレンスキー大統領を捕獲また殺害し、親ロシアのかいらい政権を樹立する「斬首作戦」を計画していたようだ。しかし、ウクライナ国民の反撃によってロシア軍は前進を阻まれ、戦線は膠着しているとされる。

一方で、当初の目論見が外れたロシア軍は、民間人の犠牲も厭わないミサイル攻撃や空爆を行うなど、事態はさらに悪化している。今後、この戦争はどういった結末を迎えるのか。様々な意見も飛び交うが、アメリカで発表された2つの考察からその行方を見ていきたいと思う。

終結の4つのシナリオ

アメリカのシンクタンク「アトランティック・カウンシル」の研究者は、この戦争を「ここ数十年で最悪のヨーロッパ安全保障の危機」と警鐘をならしつつ、終結の4つのシナリオを提起している。

シナリオ1「奇跡のウクライナ防衛成功」(最も楽観的なシナリオ)

1つ目は、アメリカなどNATO諸国の防衛支援によって、ウクライナ軍がロシアの侵攻を食い止めるというシナリオだ。戦線が膠着状態に陥り、ウクライナ側が有利な状況となる。プーチン大統領はロシア軍の撤退を命じ、ウクライナは民主主義国家として存続する。戦争に敗北したロシアでは、プーチン氏への不満が増大し、絶対とみられていた権力が脅かされ始める。NATOにとっては、ウクライナが欧米に接近することで、安全保障面で環境が改善される。

ただ戦争は、ロシアとウクライナで何千人もの命を奪い、お互いの憎しみは残ったまま。しかも、プーチン氏が指導者として残り、より権威主義的になるか、別の指導者が生まれるのかは不透明だ。いずれにせよ、ロシアの動向が世界の平和と安全に与える影響は大きく、危険性をはらんでいる。

シナリオ2「戦争の泥沼化」

2つ目は、ロシアがウクライナ政府を倒し「かいらい政権」を樹立。しかし、ウクライナの人々は降伏せず、侵略者に対して武装闘争を続けるシナリオだ。

研究者は古代ギリシャ王ピュロスが、ローマとの戦いに次々と勝利するも、「払った犠牲と勝利」の対価が釣り合わないという故事を挙げて、「ロシアの勝利はピュロスのようなものだ」と考察している。ウクライナ国民の抵抗は、ロシアに多大な人的・財政的な負担を強いることになり、ロシアは予想をはるかに超える長期間の資源投入を余儀なくされる。アメリカなどが水面下で防衛支援を行うことで、ロシアは疲弊し、多くの暴力と犠牲の後に、最終的に撤退を迫られる。

旧ソ連がアフガニスタンに侵攻して、泥沼化したパターンと類似した状況になり、ウクライナは荒廃するが、国際社会におけるプーチン氏の威光は失墜し、国内でも側近の心が離れる。経済的な苦境などに対するロシア国民の怒りや不満が高まり、プーチン氏の立場が不安定となる。

実際に5日、アメリカの「ニューヨークタイムズ紙」は、アメリカ政府が、ウクライナの首都キエフが陥落し、ゼレンスキー大統領が拘束または殺害され「かいらい政権」が樹立された場合に備えた対応を検討していると報じた。アメリカ政府が別の指導者を擁立して「正統な政府」とし、その政権に対して軍事支援を行い、「かいらい政権」との間で戦闘を継続させる狙いがあるとする内容だ

「新冷戦」や「第三次世界大戦」を引き起こすシナリオも

シナリオ3「ロシアの属国化」

3つ目は、ウクライナ政府がロシアの侵攻により崩壊し、ロシアが支配に成功して「属国化」するというパターン。ウクライナ人の抵抗運動は起きるが小規模でロシアに鎮圧され、バルト三国から、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアと国境を接して、新冷戦とも言える「新たな鉄カーテン」が下ろされる。

ロシア経済は犠牲を強いられるが、戦争の勝利でプーチン氏の権力は強固になる。NATOとロシアが国境を挟んでにらみ合うことで、偶発的または、意図的に直接衝突する可能性が高まる。明確な成果も平和的解決の保証もないまま、長く膠着状態に陥る。

シナリオ4「NATOとロシアが戦争」(最も危険なシナリオ)

4つ目のシナリオは「最も危険なシナリオ」であり、NATOとロシアが全面戦争に陥るというものだ。ここに至る経緯も詳細に考察されている。

1.「NATOが飛行禁止区域の設定など直接的な介入」

現状ではアメリカも含めて、各国は飛行禁止区域の設定は拒否しているが、考察ではロシアが民間人への爆撃などをエスカレートさせれば、考えが変わる可能性があるとする。その場合、ロシアは撤退するか、NATOと戦争を開始するか、決断を迫られることになる。後者を選べば、NATOとロシアの武力衝突がエスカレートする危険性が大幅に高まるとしている。

2.「ロシアがNATOを誤って攻撃」

ロシアがNATO加盟国の領土を不正確なまま標的としてしまったり、敵味方を誤認して攻撃してしまう可能性だ。その場合には、ウクライナの国境地帯などで戦闘が始まり、攻撃と反撃の応酬が繰り返され、エスカレーションしていくというものだ。

3.「プーチンがさらに戦争を拡大」

「恐るべき」とも記されているが、プーチン氏がウクライナ以外の国まで手に入れようとするシナリオも挙げられた。ロシアがウクライナを支配した後に、旧ソ連の領域と同じ勢力圏にまで目を向ける可能性がこのパターンだ。「プーチンの思惑とNATOの覚悟を試すには、バルト三国(いずれもNATO加盟国)が有力であろう」としていて、プーチン氏がNATO加盟国にも軍事侵攻を始めると想定されている。

アトランティック・カウンシルはこの4つのシナリオを提示した上で、この戦争が「3つの理由から西側諸国に有利になりつつある」と指摘している。

1つはウクライナの勇敢な抵抗がヨーロッパ全体の支持を呼び起こしたこと。2つめに、プーチン氏やロシアがウクライナの覚悟と世界の怒りを過小評価していたこと。3つめが欧米の民主主義国家の明確な目的で強化されたことを挙げている。このような理由から長期的な見通しは西側諸国に有利に傾く一方で、戦争の不確実性によって、今後の見通しは不透明であり、楽観視できないとの考えも示している。

プーチン政権転覆も?NATOの軍事介入は変化するか?

続いてアメリカの元外交官のエステル・テトリアシュリー氏が17日、外交専門誌フォーリン・ポリシーに「ウクライナ戦争をどう終わらせるか?」との題名で寄稿した今後のシナリオを紹介する。

テトリアシュリー氏はウクライナの抵抗や、西側諸国による制裁は効果を上げている一方で、プーチン氏は、今後も攻撃をエスカレートさせ、ゼレンスキー大統領と国民にとって、屈服しないことの代償は非常に大きくなっているとして、3つのシナリオを提示している。

シナリオ1「痛み分けの膠着状態(部分的敗北)」

1つ目のシナリオは「最も可能性が高い」とされる。西側諸国がロシアの撤退と引き換えに制裁の段階的な解除に同意する。これ以上の犠牲者を出さないために、ゼレンスキー大統領も停戦に応じるというものだ。ウクライナの犠牲者を減らし、制裁を受けるロシア国民にも命綱を投げかけることになる。ロシアとは関係改善のために、経済と安全保障の利益を確保するための交渉が必要となる。ウクライナはEUに加盟する可能性はあるが、NATOの加盟はロシアとの終わりの見えない軍事サイクルに陥る可能性があるため見送られる。

ウクライナでは親ロシア派の政治家や市民などが粛正される懸念もあり、300万人を超える難民危機を収拾するのは困難な状況だ。ロシアは国際社会から完全に孤立し、戦争犯罪に問われる可能性もある。アメリカなどNATO諸国は、戦争をしないまでも、EU加盟国に対する抑止力として、軍事介入のオプションを示し、制裁を即時実行。平和維持軍をモデルに一定数の地上兵力の投入が含まれる可能性があるとしている。

シナリオ2「プーチンが目的を達成」

こちらはロシアがウクライナを破り、圧政を敷くシナリオ。その結果、ロシアは孤立し、ウクライナとベラルーシを囲む鉄のカーテンが再構築される。ウクライナでは長期にわたり反乱が起きる。さらに、国連総会で非難決議を棄権した国は、中国やロシアで構成する「上海協力機構」の加盟国とほぼ同じだとして、ロシアの同盟国となる可能性に言及している。

ロシアと中国の関係は深まり、欧米の制裁に対抗する動きも生じる。ロシアがヨーロッパの主要な石油・ガス供給国であるため、エネルギーに関する懸念が欧州の分裂を促すことも指摘している。この場合には、ロシアがモルドバやジョージアなど他の非NATO諸国に手を出す可能性があるため、NATOは条項を改訂し、軍事介入の在り方を変更する可能性に迫られるとしている。例えばとして、NATO加盟国と隣接する国に展開する監視軍や平和維持軍の創設を挙げている。

シナリオ3「プーチン政権の転覆」

こちらは、プーチン政権がクーデターや民衆反乱で倒れる可能性だ。民衆反乱で政権が変わった場合、民主派の指導者が後継につく可能性はあるが、実際には後継者はプーチン氏の側近が有力としている。中でもプーチン氏を支えていた側近や、「オリガルヒ」とよばれる富豪や有力者が血みどろの権力闘争を展開する。

その結果、ロシアは激しいポピュリズムとナショナリズムに傾倒していくと思われるとしていて、プーチン政権後のロシアがどのような姿になるにせよ、それは西側民主主義諸国が望むロシアではないかもしれないと考察している。

ゼレンスキー氏「世界のリーダーとは平和のリーダーである」

アメリカやヨーロッパ諸国などは、経済制裁を次々と繰り出しロシアを追い詰めるほか、ウクライナに対して軍事物資の支援も積極的に行っている。一方で、NATO加盟国ではないウクライナに軍隊を派遣すれば、核兵器を持つロシアとの間で、「第三次世界大戦」や「核戦争」の懸念がある。

バイデン政権も軍事侵攻前から「アメリカ軍はウクライナに派遣しない」と繰り返してきており、この発言が軍事的なオプションを捨て、プーチン氏にウクライナ侵攻を決断させたと批判の声も挙がっている。ゼレンスキー大統領のSNS動画などは、アメリカ国民にも「ヒーロー」として人気を博しているものの、最新の世論調査を見ても、アメリカ人の大多数は同盟国ではないウクライナに対するアメリカ軍の派遣に反対している事情もある

ゼレンスキー大統領は16日のアメリカ議会での演説で「バイデン大統領、あなたが世界のリーダーであることを望む。世界のリーダーとは、平和のリーダーである」とバイデン大統領にこの軍事侵攻の解決に向けた指導力の発揮を訴えた。

上記に記載した7つのシナリオのどれが実現しても、別の結末に至ったとしても、ウクライナの国民が苦しむことには変わりはない。そして、この戦争の結果が、これからの世界に、大きな変化を生じさせることも間違いない。ウクライナとロシアの断続的な停戦交渉や、各国首脳による外交努力は今も続けられている。一刻も早い戦争の終結に向けた世界の団結が問われていると感じる。

【執筆:FNNワシントン支局 中西孝介】


  ロシア・ウクライナ侵攻における世界情勢

(『一気にわかる!池上彰の世界情勢2023』池上彰著作・毎日新聞出版・より引用・参照)


だいぶ前のことになるが、2022年は激動の一年でした。

ロシアがウクライナに軍事侵攻し、夏には、長期政権をほこりキングメーカーとして政界に存在感を増していた安倍晋三元首相が応援演説中に銃撃され、暗殺されるという事件。

これに尽きるというか、暗殺後に、旧・統一教会の問題が噴出……

新型コロナウイルス騒動がかすむほど、それに尽きた一年であったということです。

2021年にロシアがウクライナの国境に数十万の軍隊を集めているということが伝わった。だが、ロシアや東欧の専門家たちは、「まさかロシアがウクライナに攻め込むことはないだろう」と見ていました。それだけ、侵攻は、「合理的ではない」と思われていた。

が、侵攻を開始した。それでも、ロシア側もウクライナ側も戦争は長期化するとは思ってもいなかった。戦争は始めるのが簡単でも終えるのが難しい。

今のまま、戦争を終わらせれば、ウクライナは東部の州やクリミア半島をロシアに奪われてロシア領土にされる。ロシアからしたら、ウクライナ東部の州やクリミア半島を完全に支配した訳ではない。

今、ウクライナ難民を東欧諸国が受け入れているが、過去にシリア難民やアフガニスタン難民は受け入れていない。日本も、ウクライナ難民は〝避難民〟として受け入れている。が、ミャンマーのロヒンギャ難民は受け入れない。避難民を受け入れるのは必要なことだが。白人だから受け入れる……というような人種差別がチラチラ見て取れる。

プーチン露大統領は、新型コロナウイルスで、執務室に籠り、ロシア帝国の歴史書を読みふけった。その結果が、ウクライナ侵攻、である。

「ウクライナは元々、ロシアの一部であり、旧ソ連時代の偉大さをロシアに取り戻す」

プーチンはそんな考えで、侵略戦争をはじめたという。

ウクライナへのロシア侵攻で、プーチン大統領はNATOに対する抑止を考えた。核兵器使用である。結果として、この脅しは功を奏した。例えば米国などがウクライナに武器支援する際、榴弾砲などの大砲、ハイマースや長距離ミサイルなど、ウクライナを守るための武器はいろいろ送っているが、ロシア本土の攻撃のための武器はない。もっと長距離のミサイルやジェット戦闘機は送らないんです。「ロシア本土は攻撃するな」NATOは釘を刺します。そうなると第三次世界大戦だから。

その理屈で、ドイツの高性能戦車も送らない。それでいい。(ウクライナは戦車がないと)さらなる殺戮の拡大につながる、という。つながらないので、そこはドイツには自制することを望む。ロシアは自給できる国で、戦争は確実に長期化する。だが、長期的には半導体がないので、2023年夏ころに弾切れで、終戦講和にのってくる。そこまでの辛抱だ。戦争はおわるのだ。

 また、安全保障というのは武力だけではなく、「食料」「エネルギー」だったりでも同じことだ。ウクライナ侵攻で、トウモロコシや小麦の価格が高騰し、日本もサハリン1、2の天然ガス採掘開発がストップしている。国際紛争とはそういういろいろなジャンルで国家は危機に陥ることになるんですね。

 ロシアでスターバックス・コーヒーがなくなればロシアの若い人は困るけど、すぐに「スターズコーヒー」とか、マクドナルドから「フクースナ・イ・トーチカ(おいしい、それだけ)」のような店がすぐにできる。現在のロシア人高齢者は、旧ソ連が崩壊したときの1991年頃の悲惨な生活を体験していて、現在の生活はそれに比べればそんなに酷くない。

 ウクライナに、東部の州とクリミア半島は「諦めろ」とは言えない。それをすればゼレンスキー大統領は失脚してしまう。だが、ロシアはロシアとベラルーシとカザフスタン、アルメニア、キルギスが2011年に「ユーラシア連合」というEUのように関税を撤廃した「ユーラシア関税同盟」を構築、CSTO(集団安全保障条約)という軍事同盟もある。

 中国はロシアとその中央アジアの国々(カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン)と「上海協力機構(SCO)」という軍事同盟もつくっている。

 上海協力機構にはインドやパキスタンやイランが加盟し、中国の『一帯一路構想』な訳です。日本を含めた欧米VS.ユーラシア連合……という。これを「新しい冷戦構造」というのか、「新しい世界秩序」というのかはわかりませんが。

 極めて逆説的ですが、トランプが米国大統領だったら、ウクライナに「ロシアの属国になれ」と言って、戦争は起きなかったかも知れません。トランプは大統領選挙のとき、ロシアに助けられていましたから。

 ロシアは今、北朝鮮から砲弾を大量に購入しているといいます。北朝鮮の武器は元々、旧ソ連製ですからすぐに使える。戦争前は、ロシアは北朝鮮をいぶかしがっていましたが。

 現在はウィンウィンな関係だと言います。

 また、日本のことでいえば、安倍晋三さんが暗殺されて、岸田首相は自由に政治課題に取り組めるようになったと思います。安倍さんがいるうちは、憲法改正やLGBT問題、核の削減などに邪魔するので本腰を入れて取り組めませんでした。

 ですが、安倍さんと言う重石が取れて、岸田首相は思い切りできるようになった。

 その結果が、元首相補佐官や杉田水脈氏の更迭、黒田東彦氏の後任に、植田氏……という一連の流れな訳です。

 中国と台湾の事でいえば、中国は孫子の兵法の上策『戦わずして勝つ』でいこうとしています。台湾に何万回も領空領海侵犯をして何度もスクランブルをかけさせて疲弊させ、くたくたになったころに軍事侵攻か外交的な侵略……戦わずして勝つのはまさに最上の策です。中国はそこまでやるとわたしは見ています。

                        おわり






          ゴルバチョフ大統領の略歴

1931 北コーカサス・スタブロポリ郊外の農家に誕生

1950 モスクワ大学法学部入学

1952 入党(21歳)

1954 哲学科のライサ・ティトレンコと結婚

1955 モスクワ大学卒業、スタブロポリへ帰郷、同地方コムソモール宣伝副部長に 1958 スタブロポリ地方・コムソモーム委第一書記

1962 スタブロポリ地方・党委組織部長

1966 スタブロポリ市党第一書記

1967 通信教育でスタブロポリ農業大学を卒業

1970 スタブロポリ地方党第一書記

1971 党中央委員就任(40歳)

1972 ベルギー訪問

1978 書記局入り、農業担当書記に

1979 政治局員候補

1980 政治局員に昇格(49歳)

1983 国会代表団団長としてカナダ訪問

1984 イデオロギー、組織部門掌握、ナンバー2の座に。英国訪問、サッチャー       首相と会談

1985 チェルネンコ死去により書記長就任

1986 第7回党大会でペレストロイカ政策を

1988 最高会議幹部会議長を兼任

1989 人民代議員大会導入。最高会議議長に就任

1990 一党独裁規定を修正、初代大統領に就任

1991 ロンドンサミット出席

     米ソ首脳会議・START調印(モスクワ)

     ゴルバチョフ失脚(八月一九日)復権(八月二十一日)

     党書記長を辞任し、共産党・KGBを解体する。

     中東和平会議開催(スペイン・マドリード、十月)

     ソ連崩壊 ゴルバチョフ大統領辞任

2022 ゴルバチョフソ連元大統領死去(享年91歳)

     プーチン大統領、ウクライナ侵攻を決断し実行


第一章 ソ連とゴルバチョフ




    ゴルバチョフの『わたしの閣下』


 農業担当書記クラコフの死は、政治局と書記局に空席を生んだ。だが、空席を埋める決定は、すぐにはなされなかった。

 葬儀のあと、スタブロポリに帰ったゴルバチョフは何週間もうちひしがれていた。口数も少なかったという。

「しっかりしなさい!」不意にライサがいった。

 夕食にも手をつけず、ゴルバチョフはうつ向いたまま首を振った。「ライサ…」妻に凍ったような表情を見せた。「いままで私がやってきたことは……なんだったのだろう?」「しっかりしなさいな!」ライサは頑固にいいかえした。「いつまでも悲しんでたって仕方がないでしょう?元気を出しなさい!…あなたには立派な教養があるわ。それに若いし、才能がある。後押ししてくれる人がいなくたって大丈夫よ。あなたなら、出世は間違いないわ!」

彼女は片手をさしのべ、自分がそばについていることを思い出させようと、やさしく彼の肩に振れた。ライサは夫のために胸を痛めて、夫の髪をなで、母親が子供をなだめるように、愛情を込めて夫をなだめた。

「しっかりなさい。あなた」彼女が髪をなでる感触こそ、彼の崩壊を防ぐ唯一のものだった。しばらくして、彼は傷つきやすい孤独な心で、ライサに抱きついた。彼女は彼の頭を胸に抱き寄せ、彼の髪に頬を重ねた。

「ライサ」かすかな、悲しげな微笑みとともに、彼はささやいた。

  一九七八年九月、ミネラールヌィエ・ボドィ駅の二階にある党の要人専用の待合室で、ゴルバチョフはアンドロポフとぴったりくっついて立ち、ブレジネフ一行を出迎えた。

ブレジネフと忠僕チェルネンコが温泉地の駅で一時下車したのは、アンドロポフが時ふせたからだった。ゴルバチョフにとってはすべてを賭けた出会いになる。ここで気に入られなければすべてが終りだ。今度は本当に…。彼はショックを投げ捨て、激しい緊張と野心で胸を高鳴らせ、そしていよいよ勝負を開始した。

「スタブロポリ地方党第一書記のミハイル・ゴルバチョフです」

 専用列車から降りて、きれいに片付いたプラットホームをゆっくりと歩いてきた二人の人物にゴルバチョフは頭を下げた。ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフ…ソ連を順番に統治することになる四人の男たちが一堂に会いする瞬間だった。

「彼は優秀な農業専門家で、農業経済学の学士免状を受けています…」アンドロポフは穏やかな口調でいった。

「ほう…」ブレジネフのゲジゲジ眉毛がピクリと動いた。

 ここぞとばかりにゴルバチョフはいままでの自分の農業改革における成功、記録的な収穫高について熱心に説明した。しかし、ブレジネフは表情ひとつ変えなかった。

 ゴルバチョフはさっそく持参した分厚いアルバムをブレジネフに手渡した。ブレジネフの写真の下に、ブレジネフの本(ゴーストライターが20人くらいで書いたもの。レーニン賞をとった)から引用した言葉を書き込んだ手製のものだ。

「何だ、これは? こんなこと…私はいわなかったぞ」ブレジネフの太い眉が、またピクピクと上に動いた。だがこの御機嫌とりにすぐに態度をやわらげた。

「私としては、故クラコフ同志の後継に、このミハイル・セルゲイビッチを推薦します」アンドロポフはすかさず切り出す。まさに絶妙なコンビネーションだった。

「……君はいくつだ?」

「四十七歳です。同志書記長」と、ゴルバチョフは熱っぽい口調で答えた。

「書記局の重要なポストにつくには若すぎるのではないかね? 他のものとのバランスを欠くことになりはせんか?」その問いにアンドロポフは冷静に答えた。

「ご心配には及びません。彼は知的で礼儀正しい人物です。スースロフ同志らも彼を高く買っています」

「うむ……」ブレジネフはもう一度、アルバムに目を通して、ゴルバチョフいった。

「こんなに頭がいいのなら、君は政治局の一員になるべきなのかも知れんな」

 アンドロポフらと別れ、列車に揺られながら、チェルネンコはブレジネフの耳元でいった。「農業担当ポストは難しい職業です」

「そうだな。手の汚れる政治的には危険なポストだ」

「だからこそ彼のような人間が最適かもしれません。もし、ゴルバチョフが我々に敵対したとしても恐れるに足りませんしね。仮に脅威となればクラコフと同じ運命を与えれば…」「うむ。そうだな。…その時はクラコフと同じように始末してやろう」

 ソ連の農業はいつも天候不順で不作続きで、かりに豊作になっても能率の悪い集団システムと劣悪な輸送手段によって収穫物は腐り、よって市場にはものがない状態となる。せっかく実ったリンゴやジャガイモが置き去りにされている。運ぶトラックがないからだ。 統計上はソ連は小麦の生産高では世界一となっていた。それでいて、ソ連は毎年アメリカから「家畜用」といって麦を輸入していた。もちろんそれはすべて食用にまわされたという。それもこれもせっかくの作物を放っておく農民のせいだ。いや、農民ではない、彼らはコルホーズ員、ソホーズ員、という共産党農奴である。かれらは畑に来さえすれば、都市部より安いが、給料がもらえる。だから、トラックがこなくても収穫しなくてもいいか、と考えてサボってしまうのだ。だからこんなソ連農業を担当するのは本当に手が汚れる。スターリンのせいで農業は死んだも同然なので、短期間で立て直すのは無理なのだ。しかし、それがわかっていても、地方政治家はモスクワ生きのチャンスを蹴ったりはしないのである。

 それから二か月後、ゴルバチョフは中央委員会の農業部門の書記に選出された。部門ごとのポストは九つしかなく、しかも地球の表面の六分の一の農場の代表となったのだ。

「大学を卒業して以来、モスクワに戻るのは二三年ぶりだなぁ」モスクワ行きの列車に揺られながら、ゴルバチョフは嬉しそうにいった。

「ずいぶんかわったでしょうね」ライサもつられて笑った。


 ゴルバチョフが舞い戻ったモスクワは、あいも変わらず仕事をサボった人間や主婦などの行列がいたるところで出来ていた。彼らが働くのはワイロのみで、やる気のない労働者の飲酒癖、劣悪な公共医療、貧しい食事などでソ連経済は昔よりいっそう下降線をたどっていた。

「あぁ、スターリン時代がなつかしいよ」

「あの頃はもっと物価が安定していたもんな。大元帥が健在なら、俺だってこんなに酒を飲みはしないよ」

などという、およそ経済のことをなにも理解していない言葉があちこちで囁かれたという。八O年代の始めには、ソ連の経済はアメリカの三分の一にまで縮小した。

にもかかわらず軍備におけるGNPの割合はさらに増えて、経済は悪化する一方だった。

 ポーランドではレフ・ヴァウェンサ(ワレサ)の指導のもと「連帯」が発足した。この政府からの独立労働組合が発足した要素は、食肉の一斉値上げである。政府が経済危機を乗り切るために大幅値上げを強行し、それに抗議して労働者が立上がり、幅広い反体制勢力が労働者と一緒になり「連帯」を結成。権力の独占の反対、経済危機の責任追求などを党に突き付けた。これによりギエレク政権(当時)は退陣に追い込まれ、同時に「連帯」は政府によって公認されることになる。

 アンドロポフは反ブレジネフの策略を大胆な手段で実行に移した。汚職をくり返し、警察を牛耳っている内務大臣ニコライ・シチョロコフを逮捕した。こんなやつがいたのでは警察は汚職のやり放題だからだ。(彼は裁判の前に自殺した)そして同時に、ブレジネフの娘ガリーナ(五八歳、ぶくぶくの豚のような色情狂という)とボリショイサーカスのスターとの情事、毎週外国にいって山ほど買い物をしてくることなどを徹底的に調べ上げ、マスコミに流しまくった。ブレジネフが寝首をかかれないようにKGBに送り込んだ義弟、KGB第一副議長セミョーン・ツヴィグーンを自殺にみせかけて暗殺した。そしてそのすぐ後、アンドロポフに「スキャンダルをもみ消すように」と主張し対立していたスースロフが冠状動脈硬化で突然死亡した。

…ゴルバチョフはこうした権力闘争の渦に巻き込まれないように慎重に気をくばったが、一九八二年一一月にブレジネフが亡くなる頃、彼はアンドロポフの弟子として、この保護者である先輩が後継書記長の地位を確保するのを助けた。そしてアンドロポフが権力を握るや、ゴルバチョフは党内のNO・2イデオロギー担当の政治局員兼書記長のポストを与えられた。

「生産性を向上するには、まず労働規律の強化・改善が必要だ」

「はい、同志書記長。私もそう思います! ソ連経済システムの欠陥は改善していかなければ、生産性が上がるはずがないのです」

「うむ!君には国際経済とりわけ農業問題について学んでもらいたいな。機会があれば海外に出掛けていくことだ」

「はいっ同志書記長!」

 こうしてゴルバチョフは一九八三年五月、カナダの農業と食料生産現場の視察のため現地を訪れ、のちに右腕となるアレキサンドル・ニコラエビッチ・ヤコブレフ(駐カナダ大使)と出会った。ヤコブレフは西側で一O年過ごしただけに、ゴルバチョフより豊かな学識があり、理論的な思考ができる。ソ連カナダ大使館に戻ってから、

「さっきのような豊かな暮らしをできる人間は、ごくわずかなんだろう? 中流階級の人口より、もっと多くの人間が飢えに苦しんで生活しているはずだ」

と、ゴルバチョフは北アメリカの富にびくつくことはなく、にやりと自信あり気にたずねた。

「え? どういうことですか」ヤコブレフは不思議顔で尋ねた。「飢えに苦しんでいる?」「そうだ。『プラウダ』(党の機関紙)に書いてあったから、私に隠そうとしなくてもいいんだよ。私は知っている。アメリカなどの西側は、飢えかかった人々の大群で構成されている、その中で裕福な暮らしをできるのはごく一部の人間だけだ、ということをね」

「……そうですか」ヤコブレフは静かに答えた。もちろん彼は、それはすべて間違いであり、単なるプロパガンダということも知っていた。ゴルバチョフはそれからテレビコマーシャルに興味を示し、何度もヤコブレフに質問を投げかけた。その度に明確な答えが返ってくることをゴルバチョフは感心し、彼のことを高く評価したという。

「アメリカや西側の世論は、テレビや出版物などに巧みに組み込まれ、操作されているのです」二人は政策の話しもした。

「超大国間の軍事技術も変わったよ」ゴルバチョフはきっぱりいった。「両国ともこれだけ多くの核ミサイルを持っているというのに、戦車だの、装甲車だのが何になる?」

 ヤコブレフは深くうなずいた。

「これからは、経済力の時代となるでしょう。そのためにはいまの祖国のやり方、軍備の拡張に力をいれるようなやり方はあまりにもマズい。二つの大国は、ほかの分野だけでなく政治的にも話し合い、協力しあわなくてはならないでしょうね。もちろんヨーロッパや日本などの経済的に成功している国ともです」

「うむ。……ソビエトもアメリカも、あまりにもヨロイを重くし過ぎてしまったのかも知れないな。そろそろ、わが国にも本当の改革が必要だと、私も思ってはいたのだが…」

「私も同感です。ソ連経済は破綻しかかっています。改革は一日でもはやい方がいいでしょうね」ヤコブレフは冷静に、それでいて熱っぽい口調で答えた。

「しかし、君ほどの人物がなぜ、カナダ大使などをやっているのかね?」

「それは……七一年の当時、私はブレジネフの親友であり地方党第一書記であるラシノフからのワイロ受けとりを拒否し、ブレジネフ一派の不興を買ってしまったのです。…その結果、私は政治的な島流しにあった…というわけです」ヤコブレフの声がしぼんだ。嫌なことを思い出したらしい。いや、屈辱はけして忘れはしない。くそっ、ブレジネフめ!

「君はモスクワに戻ってくるべきだよ!」ゴルバチョフは猛烈にいって、椅子から飛び出した。「君のような人間が、ソ連の改革には不可欠だ!」

 ゴルバチョフは、カナダの豊かな農業や酪農などを見てまわり、いたく感銘するのと同時に、ソ連でこうした状況を作り出せるだろうか?と不安になったりもした。二人は小型機でカナダを横断し、遊説してまわった。ゴルバチョフは田舎臭い政治家の典型のようだったという。

「ゴルバチョフさん、カナダの広告に何が掲載されているかお見せしましょう。どうです?スーパーマーケットの広告はこの通り特価品だらけだ。これこそ自由主義経済の素晴らしいところなのです。もちろんあなた方の国のように長い行列なんて出来ませんよ…それに」

飛行機の座席でカナダの新聞をぱらぱらめくっていたゴルバチョフに、カナダの農相ジーン・ウェランが自慢気な笑顔のまま声をかけた。するとゴルバチョフは早口で、その言葉をあっさりさえぎった。

「ジーン、私を資本主義者に転向させようとしないでもらいたい。そうすれば私も共産主義を押しつけたりしないから」

 グルジアでは大事件が持ち上がっていた。中央の圧力で、共和国憲法からグルジア語を公用語と定めた条文が削除され、それに反対するデモが発生し、死者がでた。このときシェワルナゼ地方第一書記は世論調査を行った。これをゴルバチョフは見ていた。この男も、ペレストロイカを行う上で、どうしても必要だ、と。


 1983年3月23日、レーガン大統領(当時)は、全米向けのテレビ演説で、SDI戦略防構想をぶちあげ、研究の開始を提唱した。それは宇宙空間の全域で、レーザー光線などにより核弾頭を迎撃防御するもので、スターウォーズ計画とも呼ばれる。レーガンはこの構想に五年間で350兆円という予算を計上し、「悪の帝国」と彼が考えていたソビエトにブラッフを仕掛けた。ソ連はICBMの増強でこれに対抗しようとしたが、国内経済は破綻寸前であり、膨大な軍事予算を割く余裕はまるでなかった。この時、アンドロポフはどうしていいかわからず、ただ両手で顔を覆うばかりだったという。

 同年九月、アリューシャン列島上空から飛んできた一機の飛行機が千島列島に侵入した。即刻スクランブルがかけられたが、真夜中で分厚い雲にはばまれ、その機とのラジオ無線交信は不可能だった。侵入機はサハリンをさしかかり、もうすぐ日本海まででてしまうというのに、最高指導者アンドロポフが病床にあるという理由で、モスクワからは何の支持もでなかった。そこで極東軍の司令官は撃墜をパイロットに命令。…その機が、二百六四人を乗せた大韓航空機007便だった。

 アンドロポフの見舞いにきていたゴルバチョフはこれを聞いて、大変なショックを受けたという。もちろん世界にとっても同じだった。大韓航空機撃墜はソ連による野蛮な行為として世界中が驚き、そして怒りまくった。まさに、ソ連外交の危機だった。

「KAL007便はアメリカのスパイ機として領空を侵犯し、撃墜された。…あくまでもそう主張することだ!」ゴルバチョフは会議の場で、猛烈にいった。

「しかし……そんなことを西側が信じますかねぇ?」

「そんなことはこの際どうでもいい!」ゴルバチョフは怒りにわれを忘れて、耳を貸すどころではなかった。「とにかく強い姿勢を貫くことだ!オルガコフ軍参謀総長に、わが方の言い分を公開説明させよう!」

 こうして記者団を相手に説明がおこなわれたが、もちろん誰もそんな説は信じなかった。だが、効果もあった。これはソ連が過去のやり方を改めたもの、と見られたことだった。

 アンドロポフはクリスタルのシャンデリアや東洋のじゅうたんに囲まれながら、病室から一歩も出れず、あるくことも困難になっていた。ミハイル・ゴルバチョフは毎日、アンドロポフのそばに来ていた。病床の身でありながら、彼が国を動かしていたのだ。

「よくやってくれたゴルバチョフ。我が国が、撃墜事件について知らん顔でもしていたなら、もはや誰にも相手にされなくなっていただろう。公開説明は正しい判断だった。  

 …あぁいう公開制がソ連全土で実現すれば、党や政府はもっと国民の利益や要求に合った活動ができるようになる。……いまのソ連の歳入はおよそ五OOO億ルーブルだが、なさけないことにそれはすべてワイロで消えていく金額なのだよ。私はこの腐敗をなんとかしようと、指導者になってから…いままで頑張ってきたのだ」アンドロポフは弱々しい表情で、瞳だけをぎらぎらさせていった。もう病状はだいぶ進んでいた。

「はい、そのことはよく知っています同志。私も同じ考えです。農民は返還に一一O年もかかる借金を抱えて、労働者も子供も、まずいジャガイモや固いチーズで空腹をごまかしているのが現状です。近代化に取りかかり、何かを変えなければ…」

「うむ…」

「ですが私は、情けないことに、まだ迷ったままです。我が国を軌道に乗せなければいけないとはわかっていますが」ゴルバチョフは嘆いた。「党には、その改革のできる、教育を受けた立派な人材がほとんどいないのです」

「ミハイル・セルゲイビッチ。……私はあまりにも年を取り過ぎたよ。もう余命いくばかりもない。いま自分がやろうとしている計画をやりとげるのには、ほかの人間がどうしても必要なのだ」アンドロポフはゴルバチョフの目をじっと見ていった。「新しい世代はその前の世代よりも力強いことを、そろそろ認める時期にきたということだな。…新しい世代は古い世代より多くを知り、先を見ているということを」

「アンドロポフ議長……」

  アンドロポフは一九八四年四月、息を引き取った。後継者はチェルネンコとなったが、高齢のため、事実上はゴルバチョフ第二書記が書記長としてふるまっていた。

「自分で立ちあがらなくては!」ゴルバチョフはテーブルをたたきながらいった。









 



第二章ペレストロイカと保守派の操り人形






         サッチャーとレーガン「冷戦の終結」


 イリューシン62機がヒースロー空港に着いて、ゴルバチョフはライサとともに元気な姿を見せた。夫と肩をならべてタラップの最上段に立つ夫人に、報道陣は驚いたという。

いままで、ソ連のファーストレディーといえば夫の葬式にやっと国民の前に姿を見せる、ブヨブヨの醜いオバさんばかりだったからだ。しかし、ライサは違った。かなり洗練されていた。髪は赤茶色で、目はきらきら輝いていた。非常に堂々と落ち着いた態度だった。 ゴルバチョフ夫妻はイギリスで大歓迎を受けた。………

「カールマルクスは『資本論』の著作のために、調べものの大半を大英博物館の読書室出行ったのです。マルクスが嫌いな人は、大英博物館を非難すべきです」ゴルバチョフは博物館を見てまわりながら、そんなジョークを飛ばしたという。

「しかし、ソ連はさまざまな宗教を迫害しているではないですか」英保守派議員はいう。

「私の国のことは私たちにまかせて、あなたは自分の国を治めなさい」ゴルバチョフはやり返した。

 ゴルバチョフはスーツをあしらえるために、王室御用達の紳士服の店に足を運び、ライサはアメリカン・エキスプレスを持って売り場をかけめぐった。ダイヤのイヤリングから高価な服まで。彼女が誰にでも気軽に質問するので、報道陣はまたビックリしたという。  

サッチャーはゴルバチョフを首相の公用別荘「チェッカーズ」に向かえ、会談にのぞんだ。鏡張りの暖炉のある客間で。ただ一人同室したのはヤコブレフだった。

 ゴルバチョフはいままでのソ連官僚たちのように用意してきたステートメントを読み上げ、質問に関係のない官僚的答えしかできない政治家とはまるで違っていた。サッチャーは彼を違ったタイプのロシア政治家と受け止めた。こうなると話しは早い。

「私は共産主義が大嫌いです」サッチャーは何の遠慮もなくいった。これに対して、ゴルバチョフも「私も資本主義が大嫌いです」とやり返した。しかし、そうした激しい感情も一瞬で、すぐに機嫌をなおして愛想のいい態度に戻った。サッチャーはうなずいた。

「私は、我々西側のシステムの方がはるかに優れているし、またそれを守るためなら命を賭けます。もちろん……同時に、あなたの信じるシステムをあなたが守る権利があるということも認めます」サッチャーは強く主張した。それから二人は軍事の話しをした。

「軍備拡張主義はまことに愚かしいものです。アメリカの戦略防衛構想など馬鹿馬鹿しいかぎりです。イギリスはアメリカがヨーロッパに核ミサイルを持ち込むのを黙認しましたね? こうしたことは世界平和という観念からいっても間違いなのではないですか?」

「いいえ、それは違います。核ミサイルは四十年間平和を維持するのに役だって来ました。もし、あれらのものがなければ、ヨーロッパ全土が、ソ連にせいで経済がたち遅れてしまった東欧のようにされていたでしょうね。それはヨーロッパにとっても、民主主義にとっても大変不幸なことです」サッチャーは鋭く反論した。

「……ソ連は核兵器を大幅に削減する意思があります。それによって平和の時代が訪れることになるでしょう。ただし、アメリカがSDIやスターウォーズ計画を断念し、イギリスとフランスが核兵器を廃棄するならですが」

「私とレーガン大統領の仲を引き裂こうとしても無駄である。私はレーガン氏および合衆国、そして自由世界の最良の盟友であって、中立では決してない。私自身SDIには大賛成で、その推進をレーガン氏に進言しているのです」

 サッチャーはキッパリといった。ゴルバチョフはそれに対してあまり反論しなかった。

「…でも、レーガンは最後の任期に入ったところだから、東西緊張を緩和する方向に向かわせることも可能ではない。軍縮への話し合いに応じる心構えがあるかも知れない」

 しばらくして、サッチャーは母親のように、やわらかい口調でいった。

「ミセス・プライム・ミニスター、イギリス国家と国民はあなたのような指導者を持てて幸せですね」ゴルバチョフはお世辞をいい、そして経済を分権化するのに知恵を借りようとした。

「……イギリスはどうやって植民地を手放し、帝国から連邦へと変わったのか、教えて頂きたい」

 ゴルバチョフはソ連の衛星国を切り離すことを考えていたようだ。話題はソ連の持っているS20、膨大な通常兵器の量や、経済などにも移った。このことはゴルバチョフにとって貴重な経験だった。ゴルバチョフはサッチャーのいうことを理解し、サッチャーはゴルバチョフのいうことを理解したのだ。だからこそ会談後、記者に質問された時、サッチャーは明言したのだ。

「私はゴルバチョフさんを気に入りました。私はまだソ連という国は信用できません。しかし、この人となら共にビジネスができます」

 モスクワに戻ったゴルバチョフは言われた通り、学者グループを招いて、国の経済情勢を分析し報告書を出させた。それらの人々は西側の高度な技術をもった人たちであり、すぐにゴルバチョフの元に報告書を提出できた。きれいごとばかりの政府の報告や見解、統計とはうらはらに厳しい現実がくわしく書いてあった。それ目を通したゴルバチョフは眉をひそめたという。それほどひどかったのだ。

経済学者のリーダー、アベル・アガンベギャン教授はいった。

「ソ連では年間七億足もの靴が生産されています。しかし、それらは棚に並んだまま、誰も買いません。ところが外国製の靴が入荷したとたん、店先には行列ができるのです。なぜか? それはソ連製のものはあまりにも品質が悪くて消費者が満足しないからです。どうせ数時間でやぶれて履けなくなるからイラナイ、というわけなのです。これでは経済がうまくいくわけがありません。我々は、量よりも質、ということを考えなければならないでしょうね。ですが、いまのような政府が経済をとりしきるやり方ではダメです。それでは質どころか、労働者のやる気さえおきません。だからこそ、市場経済の移行が不可欠なのです。今、世界経済は国境のない世界であり、クォリティー(品質)を高めれば、どこにいっても売れます。ドイツ、スイス、日本などがいい例です。彼らの製品はさまざまな国に広がり愛されています。そしてそれにより経済が潤っているのです。経済を高めるには品質を高めること、これが重要なのです。農業についても、集団農場システムではダメです。私営農業を認めてやらなければ。…もちろん、あまりにも多い軍事費についても、考えなければならないでしょうね」

 ゴルバチョフは死にかけているチェルネンコの後継者となるために準備をしていた。スターリン時代の外相、二五年も在任している七五歳のドミトリー・グロムイコ(外交におけるソ連の強行路線代表のような人物。笑顔ひとつみせない、岩のような顔で、国連において数十回も『ニュット!』(No!)と拒否権を述べたことから、ミスター・ニュットと呼ばれていた)のたいくつな思い出話しやくだらない演説を、ゴルバチョフは熱心に聞いているフリをしてうなずき、ご機嫌をとっていたのだった。もちろん無能とささやかれていたチェルネンコに対しても、公の場では「傑出したリーダーであり、政治家である」といっていた。

 一九八五年三月一一日の夜、ついにコンスタンチン・チェルネンコが死去した。書記長の座にあることわずか一年余りに過ぎなかった。

「私が選ばれるかも知れない」ゴルバチョフは歩きながら、ライサにいった。夜中の散歩から帰ると、彼はいよいよ興奮した。ひたすら待ち続けた、御機嫌とりもやった、自分の信念をねじ曲げもした。それもこれもトップになるためだった。その苦労が、やっと実ったのだ。

「私にも、やっと運がめぐってきたのだ」ゴルバチョフは思わず声をあげた。

 そうだ! やっとミハイル・ゴルバチョフに運がめぐってきた。今度こそ、ゴルバチョフの出番なのだ!

「私はモスクワ党第一書記ビクトル・グリシン同志を書記長に推薦する」

「いや、反対だ。彼は経済犯罪に関わっていた疑いがある」

「悪質ないいがかりだ!」

「私はその件に関する書類をもっている、なんなら公開してもいい!」

「同志諸君、私はミハイル・ゴルバチョフを推薦する。彼にはみごとな分析力があり、問題を分析して一般論を引きだし、結論をはじき出すことができる。さらに、いままでの指導者とは違い、メモを見なくても要人と話しができるのだ。彼は若いが、同時にあらゆる面で優れている。彼が指導者となればソ連はきっとよくなる」グロムイコはほめちぎった。「しかし、若すぎるのではないか? なにやら経済改革だとかいってるようだが……せっかく安定している経済をぶち壊すかも知れない。彼では危険過ぎる。もっと経験を積んだ人間でなければダメだ!」ロマノフは怪訝な顔でいった。

「経済について、彼は西側を視察してよく勉強しておる! それに若さこそ彼の美点だ。ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコが老齢と病気のため次々に亡くなった。だからこそ、これからは健康に心配のない若い指導者が必要なのだ。最も聡明で、最も能力のある指導者がね。その条件にあっているのがミハイル・ゴルバチョフなのだ!」

「しかし…」ロマノフは食い下がろうとした。だが、グロムイコは続けた。「同志諸君、この人物の笑顔はすばらしい。だが彼は鉄の歯をもっている。…彼なら年長の指導者にも堂々と立ち向かえるであろう」と。

 この重要な会議によって、ゴルバチョフは書記長に就任した。いよいよ、ゴルバチョフの出番だった。しかし、初めのうちゴルバチョフはかつての指導者とまるで変わらなかった。「共産主義の気高い理想と偉大な目標に向かって!」などといってたし、「この五年間でソ連国民の生活水準は著しく向上した」というでまかせまでいっていた。国民のほとんどはそんな話しにうんざりしていたので、相手にしなかった。彼は変化を好むと同時に、体制派人間だったので現体制の保護下から踏み出す勇気がなかったのだ。(だからこそ保守派に妥協し、経済改革があいまいだった。国民はそれを知っていたのでエリツィンを支持したのだ)ゴルバチョフは外交は華やかだが、国内政策は中途半端なままであった。

「国民がまじめに働き、もっと自由な、いい生活ができるように精一杯努力する」これが、ソ連をどうしたいか? の答えだったのだ。


 一九八五年七月ゴルバチョフは、グロムイコを解いて、最高会議議長に指名した。そして新外相にエドゥアルド・シェワルナゼを選んだ。外務省の汚職・腐敗を掃除してもらおう、それが済んだらヤコブレフを外相にすればいい、ゴルバチョフはそう考えていた。しかし、いざ世界の檜舞台にたつや、このギョロ目のグルジア人は大活躍することになる。ロシア語はグルジア(現在・ジョージア)訛りがきついが、いってることはいいな、と国民からの反応があったのだ。しかも、外交もグロムイコなんかよりずっと上手、と。ゴルビーの嬉しい誤算だった。

「前任者は妥協しない人間だったで「ミスター・ニュット」と呼ばれていた、私は「ミスター・ダー(YES)」になるように努力したい」シェワルナゼはいった。

 もう一人のゴルバチョフのブレーンが、ヤコブレフだった。おもて舞台にこそでないが、西側を知り尽くした彼がゴルバチョフの外交政策を考えていたのだといわれる。


 ゴルバチョフは演説をするために一歩一歩、歩いていった。この日が偉大なる瞬間となるだろう。ソ連の民主主義の始まりだった、とのちのちまでに語りぐさとなるはずだ。…毎晩、夢に見るんだ。お前が、いつか大勢の人々の前にたち、指導者として喝采をあびる光景を。人々を正しい道に導くお前の姿をね。…祖父の言葉が脳裏によぎった。

「我々は改革をはじめないかぎり世界の超大国としての地位にとどまることはできない!…ペレストロイカを始めよう! もはや、一握りの大国が他国を分断する時代は終わったのだ」ゴルバチョフは中央委員会の会議で、熱心にペレストロイカ(立て直し)案をうちあげた。単に市場経済を導入しようというものではなく、政治を民主化し、自由にしようということ。政治が自由にならないかぎり経済の自由化も不可能だと考えたのだ。

 ゴルバチョフは意識改革から変えていくのがベストだ、と思った。そこで、今まで三時間くらいしか働かず、あとはウォッカ(酒)ばかり飲んでいる労働者に「ちゃんと働かないと経済は少しもよくならない。豊かな暮らしもぜったいにこないのだよ」と説き始めた。しかも彼は民衆の中を歩いて、少年のように快活に情熱をぶつけたのだ。「自分の収入には自分が責任を負う。みんながそうならなくてはならない。これだけの金がほしいと思ったら、各自がその分だけ働くことだ」ゴルバチョフは親しみのある口調で続けた。「いいかね、私をあてにするんだったら、そんな考えは捨てなさい。ほんとうに必要なものが手に入るようにするには、一人一人がやる気を出して働くことだ」

 ライサはかたわらでしきりにうなずいていた。

 ゴルバチョフは工場に視察にきたとき、きれいごとばかりならべる工場長に対して彼は軽蔑をこめた口調でこういっている。「そんなきれいごとを聞きにきたわけではないんだよ!」その迫力ある言葉に、工場長はタジタジになるばかりだった。ペレストロイカは、ウォッカだけでなく、軍縮やアフガニスタンからの撤退、軍民転換、グラスノスチ(表現の自由)、東欧の自由化などに及んだ。ゴルバチョフは外国の指導者とまったく対等に話ができた。話題も豊富で、人当たりもよく、あらゆる指導者を魅了していった。

 一九八五年、ジュネーブでの首脳会談が開かれる。かつてソ連を『悪の帝国』と呼んだレーガンとゴルバチョフの会談が実現したのだ。これはサッチャーがレーガン大統領(当時)を説得したからだった。

「我々がこの小さな町で、どちらも将来何か大きなことをしでかすとは誰に思われていないかもしれないが、この二人が、世界が間違っている、ということを証明することもできるのです。我々はそういう立場にいるのですから」

 ゴルバチョフはじっと座りながら熱心に耳を傾けていた。

「私たちは次の二、三日に何か偉大なことをなすか、さもなくば……楽しい時を過ごすか、ツバを吐きかけ合うかです。すべてはあなた次第なのですよ」

 ゴルバチョフは満足気に深くうなずき、それから説得力と情熱をこめていった。

「核戦争は普遍的な破局であり、最悪の犯罪である。核戦争に勝つことはけしてできないし、またそれはあってはならない。…それなら両国は、古い核兵器もけして使うことができないのに、どうしてより多くの、より新型の核兵器をつくりつづける必要があるのだろうか」

 八六年四月、テロ国家のリビアをアメリカが爆撃した。世界中のテロ行為を操っていたリビアのカダフィ(リビアの独裁者・すでに内戦で殺されて故人)を叩かなければ世界を、自分自身をまもることができない。これが理由だった。もちろんこの爆撃は正しいにきまっている。十二月、ゴルバチョフがカザフ共和国党第一書記兼政治局員のディンムハメド・クナーエフを解任し、後任をロシア人のコルビンにしたことから反ロシア暴動がおこる。汚職でやりたい放題のクナーエフでもロシア人よりましだ! という民族主義からの暴動で、死者を多数出してしまう。のちに「アルマ・アタ暴動」と呼ばれる、ゴルバチョフ最初の黒星である。


 サッチャーはモスクワに訪れ、ゴルバチョフとクレムリンのホールの小さなテーブルでふたたび議論をぶつけあった。

「古きロシアはキリスト教によってヨーロッパと結ばれてました。ウクライナ人、ロシア人、そしてその他の民族はヨーロッパ史に多大な寄与をなしたのです。私は、西側の一部の人々がソ連をヨーロッパから『排除』しようとしていることを遺憾に思います」

ゴルバチョフは力づよくいった。

「西側を攻撃するよりも、スターリンがヒトラーと結んだ排他的な条約こそを非難すべきです! ナチスとソビエトの条約があったゆえにイギリスとフランスは独力で戦わなければならなかったのですよ!」サッチャーは激しく、応酬した。………

「これからも東側ブロックを、ブレジネフ・ドクトリンをもとにブロック化していくというのなら、統合などありえませんね」彼の「太平洋からウラルまで」というヨーロッパ共通の家の概念をきいて、サッチャーはとてもゆっくりと、はっきり説いてきかせた。

「鉄のカーテンは時代遅れです! お互いヨーロッパ文明を共有していながらブロックに分かれて対決するというのは不自然なことです。ヨーロッパは私たちの共通の家なのですから」ゴルバチョフはリベラルに、そう答えた。

 しかし、彼には欠点もあった。傲慢でひとりよがりなところだ。レーガンの「もし良い社会をつくろうと思うなら、人権、開放性、旅行したり、意見を好感しあう権利をとりいれなければならないでしょう。…というのも、それがあなた方の利益になるからです」という感じの説教をがまんして聞いていたが、それが政治的に対等ではないシュルツやベーカーに同じように説教をされたとき彼は怒りを爆発させた。

「そんなことはもう聞きあきました。今度は私の考えていることを聞きなさい!」

と、怒鳴ったのだ。

「核戦争に勝つことはできないし、また起こしてはならないのです」記者団の前で、レーガンの目をみながらゴルバチョフはいった。「これが私たちが達した合意なのです」


 一九八六年四月、ウクライナの首都キエフから約百20キロ離れたチェルノブイリ原子力発電所の第四号炉が制御不能に陥り、大爆発を起こした。キエフ州すべての消防者がやってきたが消化作業は難航、この事故で放射性物質の巨大な雲が大気に巻き散らされた。ゴルバチョフはひどくショックを受ける。西ヨーロッパを突き抜け、食物や人間などに死の放射能をあびせかけた。近隣諸国や自国民に何も警告しなかったのは、国民の怠慢さからきていた。指示系統が約に立たず、すばやい対応ができなかったのだ。ゴルバチョフは長い時間、苦悩に頭をかかえたあげく「うんざりするほどの嘘が…」と偽りの演説をした。(現在、この近くの大人や老人、子供にいたるまでに白血病や癌などが多く見られる)

(2022年のロシア軍のウクライナ侵攻(戦争は第二部で詳しく述べる))

アンドレイ・サハロフと妻エレーナ・ボンネルが幽閉されている部屋に、ある夜男たちが訪ねてきた。「電話工事に伺ったんですが…」「電話?とっくに取り外されてしまったよ」「いや、取り付けにきたんです。すぐに終わりますから…」男たちはそういうと作業を始めた。「これはどういうことだ?」サハロフはとまどったという。それはそうだ。反体制としてブレジネフやフルシチョフに食ってかかり、彼は幽閉されてしまったのだから。 ノーベル平和賞を授賞した、反体制の不屈の指導者サハロフは受話器をとった。

「ミハイル・セルゲイビッチがお話しをしたいそうです」女性の声がそういった。

「もしもし、ゴルバチョフです」

「もしもし、サハロフです。…聞こえています」

「手紙を受けとりました。検討の結果、モスクワに戻ってきてもかまわないことになりました。エレーナ・ボネールも一緒です」

「私の妻じゃないか!」サハロフは思わずいった。

「あなた方は自由にモスクワに帰れます。愛国的な職務に戻ってください」ゴルバチョフは熱意を込めていった。サハロフはとりあえず謝意を表してから「信念をつらぬき政治犯としてつかまった仲間は大勢います。この国の法律をもとに下された判決はすべて無効であり、不公平です。彼らもすべて釈放されるべきでしょう!」

「私は…そうは思わない」と、ゴルバチョフはいった。しかしサハロフが解放された三か月後には、約三百人の政治犯が釈放されることとなる。

 ゴルバチョフがワシントンを訪れ、すべての中距離核兵器を廃絶するINF条約の歴史的調印が行われた。固く握手を交わすゴルバチョフとレーガン…しかし、ホワイト・ハウス前ではアフガニスタン撤退の抗議運動がおこっていた。こうして彼は、ソ連軍をアフガニスタンから撤退させることになる。

 グラスノスチ(情報公開)はいよいよ波に乗り、新聞もテレビも一斉に政府批判をしたりした。また、ソ連初の美人コンテストやロックコンサートなども国内で行われていった。しかし、経済面では悪くなる一方で、アメリカにベトナム帰還兵が麻薬をもってきたように、アフガン帰還兵がソ連に麻薬を流行らせたりし、KGBを弱くして国民を弾圧できなくした為か(?)犯罪が急増し、マフィアなどが勢力を拡大する結果となる。

(その旧ソ連・ロシアの経済を資源外交で立て直したのがプーチンであった)

東欧諸国にも民主化の嵐が吹き荒れた。ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア…。東ドイツを訪れたゴルバチョフは「ゴルビー!ゴルビー!」という民衆の歓迎の声を聞くことになる。彼は、東ドイツの独裁者ホーネッカーを辞任に追い込んだ。

「ゴルビー! 我々は自由を必要としている!」何十万もの人々は、そう叫んでいた。


 ボリス・エリツィンはゴルバチョフ書記長就任の頃、まだ故郷ウラル地方スベルドロフスクの党第一書記だったが、ゴルバチョフに呼ばれてモスクワ市の第一書記兼政治局員になる。エリツィンの役割は、モスクワ最大のマフィアといわれたモスクワ市共産党の大掃除と、徹底的に保守派に噛み付き急進改革を主張することだった。彼は、横流し、横領などを取り締まり、ほとんどの大店舗の責任者をクビにして、モスクワ市民の大喝采を浴びる。

「あまりにも改革が遅い! それもこれもゴルバチョフ書記長が保守派の連中を全員クビにしないからだ! なにが綱渡りだ、そんな生ぬるいことを考えているから諸改革を遅らせることになる!!保守派をクビにしろ! 政治局に巣食うガン、リガチョフ(政治局員)をクレムリンから追い出せ!」

「…君は管理者として無能だ! 職務にふさわしくない!」

何をこの馬鹿が、という感じで、リガチョフは言い返した。エリツィンは負けてはいない。

「リガチョフは『赤い貴族』の特権階級連中の操り人形と化し、改革を邪魔している! リガチョフがいたのではいつまでたっても何もよくならない、特権もなくならない、誰も将来の希望など持てない。いまこそ、特権階級をたたきつぶすチャンスなのに、リガチョフが邪魔しているのだ! さらにいうならば、ゴルバチョフ書記長の個人崇拝も諸改革の妨げになっている。…書記長夫人は国費を無駄使いしている、あの女をなんとかすべきだ!」

 エリツィンは次々とゴルバチョフ、保守派批判論を打ちだし、ついに脱党を宣言、理由はソ連共産党に失望した、というものだった。

 彼は党中央委員会の壇上から降りてきた。そして、ゴルバチョフらに冷たい視線を送ってから、そのまま出ていった。こうして彼はモスクワ共和国最高会議議長の職に専念し、のちにロシア共和国大統領にまでなる。

 ゴルバチョフがユーゴスラビア訪問中、リガチョフ政治局員はクーデターを起こす。 


 保守派の有力紙『ソビエツカヤ・ロシア』に、ニーナ・アンドレーエワという女の学者(リガチョフの情婦という)の論文をリガチョフが掲載させたのだ。

「諸君はこのニーナ・アンドレーエワ女史の論文をよんだかね?ここには、いき過ぎた改革路線、ペレストロイカを批判し、スターリンこそすばらしい政治家である、と論じてある。これこそまさに愛国主義、マルクス・レーニン主義の神髄である!」

リガチョフは壇上でわめいた。「ペレストロイカはソ連を崩壊に導いている! いまこそ祖国のために立ち上がるべきなのだ! ペレストロイカをストップさせよう!!」

その後、彼は情婦の論文を地方紙にも掲載させ、こうしてペレストロイカを否定する声も大勢現れ始めた。

 帰国したゴルバチョフは内戦の気配を重視、ただちに手を打った。

「ペレストロイカに抵抗している反対者は、自分の命令でなんでもできるという、過去のノスタルジアにひたっている! どんなことがあろうとも、ペレストロイカ政策、民主化路線は不変だ! 私は今後も強力にこの政策を押し進める!!」

 ゴルバチョフは民衆の前で、堂々と熱意を込めて訴えた。そして、一人一人の政治局員に会い、粘り強く説得を行った。だが、なおもリガチョフの攻撃は続いた。

「改革路線の急進化へりの転換は、明らかに社会主義の原則を逸脱している! 私はスローダウンを求める!」

目を火のようにぎらつかせて、壇上でリガチョフはいった。

「資本主義者にこびを売り、ローマ法王の祝福をもとめるなど、ゴルバチョフ書記長のやっていることは間違いだらけだ! 証拠に、経済は悪くなる一方ではないか!」

 ゴルバチョフはキッとリガチョフを見た。「承服できない。あなたのいっていることに根拠はない!」憤慨して叫んだ。「経済が悪くなっているのはシステムの欠陥のせいだ!だからこそ改革が必要だといっているのだ!」

「ペレストロイカは絶対に失敗する!」リガチョフは切り返した。「ゴルバチョフ書記長は改革を急ぎすぎるからだ! おかげで国内の秩序が乱れてしまった…それもこれもゴルバチョフ書記長のせいだ!」

「改革を押しとどめることは出来ない!」ゴルバチョフの言葉に、保守派から批判の声が次々に上がった。「ペレストロイカを中止し、国に秩序を取り戻そう!」と。

 秩序? KGBや独裁者に見張られて、言いたいこともいえない秩序か? まったく保守派ときたら自分の特権を守りたいがためにおかしなことばかりいいやがって!

「もし中央委員会がこうした批判を受け入れるならば、私はこれ以上書記長職にとどまる気はない!」ゴルバチョフは癇癪を起こした。

 ふん、いまにみてろよ。フルシチョフのように政治局から追い出してやる! 私のバックには大勢の貴族たちがついているんだ、負けるわけがない。リガチョフはニヤリと笑った。しかし、結果は悲惨なものだった。保守派の長老たちは次々に指導部を追われ、リガチョフは孤立化していった。そしてゴルバチョフは「あなたならできる」と持ち上げて、リガチョフを報われない農業担当ポストに左遷させた。

「くそっ。……まだチャンスはある。あきらめんぞ」彼はほぞをかんだという。


 ソ連国内の経済は麻痺し、棚に食料が何も置いてないような状態となると、人々はしだいに夢から冷めたような気分になった。また、マルタ会談前までCIAは軍産複合体の命令をうけて、ゴルバチョフの暗殺を試みた。1986年3月黒海沿岸で静養中に複数の男たちに狙撃され、翌年にはラトビア共和国の首都リガを訪問中、ゴルバチョフのリムジンに爆弾が仕掛けられていた。毒殺されかかったこともあるが、いずれも失敗に終わった。 しかし国民の間からは次第に「ゴルビーやめろ! ゴルビーやめろ!」という声がきこえてくるようになってはいた。

 八九年四月、グルジア共和国の首都トビリシの広場では、グルジア独立をもとめる人々のデモで埋めつくされた。人々はろうそくを手にしながら、ロシアからの独立を訴えた。 パチアシビリ第一書記は事態に驚き、ボスのシェワルナゼ外相と相談し、内務省治安部隊の出動を要請した。しかし出動したが様子をみているだけだった。ゴルバチョフがクリミアで静養していたからだ。

「ヤーゾフ国防省、トビリシに正規軍を投入したまえ。民族政策とはこうやるものだというところを書記長にみせてやりなさい。これはチャンスだ。うまくいったらレーニン賞ものだよ」リガチョフやチェブリコフらがタカ派のヤーゾフをそそのかした。

 これにより正規軍が戦車で出動し、群衆に工作用の鋭い刃のシャベルで襲いかかった。拳銃や、毒ガスまで使った。「スターリンへのうらみだ!」(スターリンはグルジア出身)などと酒に酔った兵士がグルジア人に無差別に襲いかかったのだ。死者八十人、一一OO人の負傷者を出したこの事件を『トビリシの悲劇』という。

 ゴルバチョフはもちろん命令を下したわけでもなかった。議員たちに対し、「いまのところ、この詳細について話したくありません。事件の翌日まて、軍隊を派遣する話しは何も聞かされていなかった」ゴルバチョフは青冷めた顔で、弱々しくいった。

「書記長は嘘をいっている! 私は政治局の会議の議長をしており、書記長が命令を下すのをこの目で見ている」リガチョフは吠え立てた。これには多くの保守派が同調する。

「書記長はスターリンと同じだ!」

「ライサは、陰謀家の皇后ジョセフィーヌだ」

「イエスマンとその妻のおかげで…共和国は帝国と変わった! まやかしの改革はもうお終いにしよう」さらに個人攻撃は続いた。

「クリミアのぜいたくな別荘で、書記長は王のように暮らしている! 国民が食べるものも食べられないでいる時に、なんということだ!」

 ゴルバチョフは表情を変えなかったが、心は動揺していた。彼の目の下には、疲労のためにクマができて、たっているのもやっとだった。彼は、非常に疲れていた。この頃、彼はストレスに苦しみ、毎晩、糖尿病の液体薬を飲んでいたのである。


 ゴルバチョフは腐りきった内務省を一掃するために、ワジム・バカーチンを内省に任命した。バカーチンは就任後、警官たちを叱咤しながらマフィアと立ち向かわせた。そんな誠実な人柄と実直な仕事ぶりにより国民の間で人気が上がっていった。………

「中国にはゴルバチョフがいない!」天安門を埋めた学生たちは叫んでいた。ゴルバチョフは自分が中国に行くことによって少しでも改革されるだろう、という盲目的な思いとともに中国外務省の「訪中延長」を無視し、訪中した。八九年五月十五日、ゴルバチョフは空港からヘリコプターで宿舎に運ばれた。中国はメンツが潰れたと、感情的に批判したが、結局、中ソ和解が成立する。「政治改革から手をつけてよかった。経済から自由化すれば人々は政治の自由も求めるのは当然だ。…私は正しかったのだ」ゴルバチョフは心の中で、確信した。しかし、北京の指導者はゴルバチョフが思っているほどリベラルではなかった。六月四日、天安門が血に染まったからだ。やはり中国には、ゴルビーはいなかったのだ。

「大統領制だって?」ゴルバチョフは息を飲み、目を丸くした。

「そうです。ソ連のような他民族国家にとって、権力の集中は不可欠です」ヤコブレフは書記長室の椅子に腰をおろしながらいった。

「私は反対だ」彼はヤコブレフの目をまっすぐのぞきこんだ。「ひとことで言えば…伝統に会わんよ」

「党が指導的役割を放棄し、大統領職が設置されないとしたら、権力体制に混乱が生じます」

「うむ…」ゴルバチョフは苦悩の表情のまま、うなった。


 89年11月、東ドイツ官僚会議は国外旅行と海外移住を自由化する政令を発表、ベルリンの壁が崩壊した。その夜、数千人が壁を通って西ドイツに入り、西ドイツ政府から一人100マルクをプレゼントされショッピングを楽しんだ。この「ベルリンの壁崩壊」はゴルバチョフによる影響だった。一か月前、東ドイツ政府は民主化を叫ぶ民衆によって窮地にたたされ、ホーネッカーの後任のクレンツ議長はモスクワに訪れる。そこでゴルバチョフがこういったのだ。

「あなたはどうみてもホーネッカーの弟子で、今後も民衆の支持を得られそうもない、秘密警察(スタズィと呼ばれ、チャウシェスクの部隊のように残虐非道の行為をした)を握っていたこともマイナスである。…辞任する前に、歴史に大きな遺産を残してはどうか」

 こうして冷戦のシンボル、ベルリンの壁は崩壊したのだった。

 八九年十二月二日、三日、地中海マルタ沖に浮かぶソ連客船マキシム・ゴーリキー号船上で米ソ首脳会談が行われた。悪天候のため、最初はソ連軍艦で行われる予定だったが、通信ケーブルなどの故障で客船での会談となった。ブッシュと彼は握手を交わし、   「最初にすべきことは、悪天候で使えなくなるような軍艦の廃棄」ゴルバチョフはジョークを飛ばした。こうして『マルタ会談』は終結し、同時に「冷戦時代」も完全に終結した。  

ゴルバチョフはチャウシェスクに何度もあって、「あなたの国でも、民主化を進めてはどうか?!」と何度も話しあったが、ルーマニアの独裁者の答えは、

「そんなものは必要ない、国民はいまの体制で満足している!」というようなバカげたものに終始していた。ゴルバチョフは「もうこの男は救いようがない」と思い、チャウシェスクに不満を持つルーマニア国軍の幹部に会って、クーデターを起こして政権剥奪することで合意をとりつけていた。(チャウシェスクは別名ドラキュウシェスクとも呼ばれ、自分で国王となり、ヒトラーのSS(親衛隊)以上に残忍非道な私兵部隊をつくり独裁政権…というよりチャウシェスク王朝を築いていた。私兵部隊に対してこの独裁者は得に良い待遇をあたえていたが、国軍に対しては極端に冷遇して、装備も古いものしかあたえず、「安い労働力」と呼んで土木工事や鉄道工事に投入していた。よって貧困に苦しむ市民と国軍によって不満が爆発したのだ)…そして、クーデター勃発! だが…

 二二日、国軍はたった一日の戦闘で銃弾が底をついてしまった。冷遇されていたので、すぐに底をついてしまったのだ。そこで国軍はゴルバチョフに電話を入れ、銃弾支給を要請。ソ連の国境に武器を運んでいたものを、KGBを使ってすぐに銃弾をブカレストまで運んだ。そして、独裁者夫婦を逮捕、いろいろバラされたら困る人間が救国戦線評議会に大勢いたので、すぐに独裁者夫婦を銃殺してしまった。

 ゴルバチョフはこのチャウシェスク王朝崩壊を、中国、ソ連保守派、そして同じように王朝を築いている北朝鮮の金日成(故人・現在金正日(故人)の三男の金正恩が世襲)への見せしめにしたのである。







 




第三章 激変する世界

   「湾岸戦争から

    サミットまで」


           ソ連大統領とリトアニア


 クレムリン宮殿でソ連臨時人民代議員大会が開かれた。議論が集中したのは大統領制ついてであった。ゴルバチョフの予想どおり、保守派は猛烈に反論した。

「一人の人間に権力を集中させるのは危険すぎる!」

「この大統領ポストに、スターリンのような人物がつかないという保障はあるのか!」

 ゴルバチョフは眉をひそめた。「そんな問題はすでに議論し尽くされたことではないか 他の議員と同じように、人民代議員大会で物理学者サハロフは力強くいった。

「ゴルバチョフ書記長の行う民主化の実態は、共産党への信頼を回復する、ただそれだけものなのです。さらに、大統領制についていえば、たとえその人間がペレストロイカの創設者であったとしても、非常に危険なことです! このポストにリガチョフなどの保守派がつけばスターリン時代に逆戻りするのも目に見えています。書記長が新たに構成した立法機関「最高会議」にしても、大統領と政府と党機関の実権を隠すついたて、に過ぎません。さらに、中央による共和国への「抑圧」につきましては…」

 ここまできてゴルバチョフはついに激怒した。「そこまでだ! 発言はそこまでにしてもらいたい」何をいってるんだ! 私が、間違っているとでもいうのか!

「あなた方がいずれ物事はいい方向に向かうだろう、と自分自身をなだめながら流れに身をまかせているなら、その間にこの社会は緊張が高まり、ついには爆発して取り返しのつかない結果となるだろう」サハロフはゴルバチョフに警告を発した。

 しかしその三日後、サハロフ博士は突然、一人きりの自宅で急死した。死因は、心臓麻痺だった。(博士を煙たがっていたリガチョフら保守派による暗殺という説もある)

 ミハイル・ゴルバチョフが正式に大統領に選出されたのは、大会四日目の三月十五日のことであった。しかし、経済は破綻状態であり、リガチョフに代表される保守派は自分の特権をとられると困ると考えていたので、なおも反撃してきた。

「ペレストロイカは失敗した! あの政策は、ソ連に無秩序をもたらした!」

「大統領制はまるで機能してない! 党書記長との兼任はやめよ!」

「国内での民族紛争で何百人もの人間が命を落としている。さらに経済は完全に破綻し餓死者が発生し、アメリカ協調外交により軍が地盤沈下をおこしている! 我々「ソユーズ」(連邦)は、連邦制崩壊に強い危機感を抱いている。同志諸君、いまの国内の状況をみればわかるだろう? ソ連をこうしたのはゴルバチョフ書記長だ! 我々は秩序を取り戻さなければならない、マルクス・レーニン主義を離れて、党の生きる道はない! 我々「ソユーズ」はゴルバチョフ大統領の辞任を要求する」

 『ソユーズ』のリーダー、アルクスニス大佐は拳を振り上げて主張した。

「私のやってきた改革路線はすべて正しい!」ゴルバチョフは癇癪をおこした。「では、戦争を繰り返せば良かったというのか! 国民を弾圧し、奴隷のようにあつかった時代に逆戻りすればよかったというのか!? 誰か議論に応じるものはいるか!」

 議会はざわついた。しかし、リガチョフの反撃はここまでだった。

「トビリシ事件」はリガチョフのせいだとばらされ、さらにウズベスクで汚職にからんでワイロを受けとっていたことをマスコミに流され、リガチョフは政治生命を失い年金生活に入ることになる。

「あなたはゴルバチョフを信じていますか?」訪米先のジャーナリストが尋ねた。

「もちろん信じている」エリツィンは答えた。

「では、改革はどうです?」

「手ぬるい! 民主化、経済自由化を徹底すべきだ。ペレストロイカを進めるなら、もっと思い切った手を打つべきなのだ!」

「じゃあ、あなたはゴルバチョフさんと一緒に戦争にいくんですね?」

「もちろん行く! それも最前線にいく…ただし一つだけ条件がある。それは後ろにリガチョフがいないことさ」

 エリツィンは世界中をまわってゴルバチョフを批判していった。それにより国民の支持率はかなり上がった。民衆は、ゴルバチョフはもうダメだ! 今度はエリツィンの番だ!

と次第に叫ぶようになっていった。経済は破綻し、食糧不足、民族独立運動激化、犯罪増加、エイズ、麻薬の蔓延など悪化し続ける状況に、ゴルバチョフの支持率は最低となっていた。「ゴルビーやめろ! やめろ!」「独裁者!」「死ね、ゴルバチョフ!」赤の広場でのデモで、こうした批判ばかりが叫ばれるようになる。

 ゴルバチョフは精神の限界まで追い詰められ、絶望的な状況に立たされていた。彼はつかれて、失意の中にあった。どこへいっても「辞めろ!」といわれ、経済は少しもよくならない。もう、どうしていいかわからなかった。

 一月、分離独立運要求が激化し、説得のためにゴルバチョフはリトアニアを訪れる。あるホールに集まった民衆に向かって、ゴルバチョフは叫んだ。「あなた方はソビエトを離れたいのか?」

「そうだ! そうだ! そうだ!」聴衆の答えは激しく、彼は一瞬怯んだ。そして次の瞬間、怒りを沸騰させた。「あなた方はどこに住もうというのか! どこに行こうというのか!」

 丸い全身を怒りに震わせながら非難の言葉をあびせた。

「そんなのあんたの知ったことか」どこかから笑い声がきこえた。

「あなた方は連邦国家がどんなものか知っているのか? 住んだこともないのに、どうして良し悪しがわかるのだ?」彼は、熊のような体を前後に揺らしながら叫んだ。

「ソ連邦は五O年間にわたって総額三三O億ドル(五兆円)もリトアニアに投資してきた。リトアニアは独立する時、それを返せるのか!?」

 聴衆はあざ笑った。そして、ザワザワと騒ぎ出した。「あなた方は聞く気があるのか!」

彼は怒鳴り散らした。彼は不意に黙り込んだ。両手で拳を作るのをやめ、やさしくふるまうことにした。

「あなた方はすぐに騒がしくなるが、お互いを敵同士だとは思ってないでしょう?」

彼は続けた。

「三年か五年のうちに独立を飲む、だからしばらく待ってほしい。今は、ソ連を立て直す正念場だ! 君らが離反したらペレストロイカは挫折してしまう。…仮にリトアニアが独立しても西側のレベルに追いつくまで30年から50年はかかるだろう。アメリカは東欧だけで精一杯だ。経済基盤をしっかりさせてから独立しても遅くない。それまでは、これまでどおりちゃんと面倒をみる!」

 それでも聴衆は、彼を嘲笑した。何をいってるんだ! そんなの関係ない、飢えてもいいから独立したいんだ! 彼の訪問も「ありがたい」演説も、問題解決にはまるで利き目がなかったのだ。この後、リトアニアは勝手に独立を訴えた。新しく元首となった元音楽教授のビタウタス・ランズベルギスなどは「すぐに西側からの援助が得られ、数か月後には独立が可能となる」とまで語った。

 ゴルバチョフはリトアニアに考えを改めてもらうため、石油・ガスをタダ同然で売るのを止めてしまった。リトアニアに外国から石油を輸入するだけの金はない。…これは兵糧攻めだった。しかし、それでも独立の熱は冷めることはなかったのである。





             

     湾岸戦争と保守派


 経済破綻。店に食料品だとか服だとかがさっぱりないのは、マフィアのせいと、保守派とシステムのせいだった。やつらが流通過程で横流ししたからだ。民族運動が激化したのは、グラスノスチのおかげであり、「大スラブ園構想」(ロシア共和国以外独立)のおかげだった。ゴルバチョフは救世主のように、世界中に笑顔をふりまいて世界を変えてきたけれど、自分の国だけは何も変わっていなかった。…彼はひどく疲れていた。

「ゴルビーやめろ! ゴルビーやめろ! ゴルビーやめろ!」デモは毎日のように続いていた。(現在、ロシアではゴルバチョフの人気は最悪で、評価も低い。西側の人間にしたら改革の父親だが。ロシア人からしたら西側に負けた政治家で。英雄でも何でもないのだ)

 一九九O年半ば、ビルバチョフはヘルムート・コール独首相(当時)をお気に入りのミネーラルヌィエ・ボドィ温泉地に招いた。ゴルバチョフのブレーン、シェワルナゼや「私の将軍」ことライサも一緒だった。彼等は楽しく語らい、冗談を言い合った。まるで昔からの親友のように。だが始め、ゴルバチョフは統一ドイツのNATO加盟を認めなかった。だからこちらにきたコールは、ゴルバチョフが譲歩する用意があるとは思いもしなかった。

 ゴルバチョフはコール首相を、自分が少年時代を過ごした土地にあるリゾートまでヘリコプターでつれていき、リラックスした雰囲気で一晩を過ごした。

 次の日、ゴルバチョフはコールとともに、自分が少年時代を過ごし、ナチスに占領されていた丘を歩いた。ゴルバチョフは丘の頂上でふと足を止めた。祖父と話した…丘だ。

 胸の奥の、数十年のあいだ抱き続けていたものが自分を打ち震わせ、彼はしばらく眼下に広がる壮大な風景を眺めていた。苦しかった少年時代、挫折、さまざまなことが頭の中によぎった。そして、祖父の言葉……本を読み、そこから哲学を学び自分自身の意見を確立して行動しなさい。もし自分が正しいと思ったら相手が何万人いようと恐れることはない。自分の考えを、誰のまえでも堂々といえるような人間になりなさい。いいかいミーシャ、そのことはけして忘れてはならないよ。お前に望んでいるのはそういうことなのだから。……彼は祖父のいう通りに努力して、やっと祖父の言葉を実行し、もう一度戻ってきたのだ。祖父との思い出の場所に。希望と期待をふくらませたこの土地に。

 ゴルバチョフは唇を震わせ、顔をそむけた。振り返ると、ヘルムート・コール(故人・メルケル氏の師匠)が大きな目で心配そうに彼をみつめていた。

「ここで死んだ祖父とよく語り合ったものです」彼はしんみりと、純粋な気持ちでコールにいった。コールが彼を見返し、ゴルバチョフの防御の壁はすべて崩れた。二人の心がしっかりと結び付く瞬間が訪れたのだ。しばらくして、

「ソ連経済済活化のために西ドイツの銀行から50億マルクを出し、その上に、東ドイツに駐留している35万のソ連兵士の住宅や撤兵、職業訓練まで一切合切ドイツが面倒を見ましょう。このために、さらに150億マルクを出します」コールはしたたかに切り出した。「これでNATO残留を認めてもらえますか」柔らかくいった。

 ゴルバチョフはうなずいた。金はほしかったし、兵士が帰ってきて失業者と化し、社会不安が広がるのも怖かったからだ。

「国際関係の一つの時代が終りつつあり、われわれは、新たな時代に入ろうとしている。力強く長続きする平和の時代に」ゴルバチョフは記者団に対し、宣言した。

 こうして統一ドイツは誕生することになるのである。

 ムリーナルはモスクワにひさしぶりに戻ってきた。ゴルバチョフが会ってくれるかどうか、確信はなかった。だが、親友は暖かく向かえてくれた。

「店がカラッポというのは何かが間違っているんじゃないか、ミーシャ」

 ゴルバチョフは旧友の素直な言葉に、「私の意識は明瞭だよ」と謎の言葉で答えた。魅力的な微笑みを浮かべながら。その顔は、学生時代の純粋な表情と変わらなかった。ふやけて、皺がふえてはいたが、まじめな二十代の顔を思い出させた。彼の青春時代を。


 一九九O年八月二日未明、イラクの六万の兵力と三五O量の戦車がクウェートに侵攻するや、わずか数時間で全土を制圧した。アメリカはイラクの経済制裁に踏切り、イラク軍の無条件撤退を求めた。EC(現・EU)も原油禁輸を決定。国連案保理が輸出入などを一切禁止するイラク制裁決議を採択、アメリカは陸上兵力、戦闘部隊のサウジアラビア派兵をきめた。 狂人サダム・フセイン、イラク大統領は「クウェートをイラクの十二番目の州とし、イラク南部のバスラ州の領域を数キロに渡ってクウェート側にひろげ、その地域を大統領の名にちなみ”サダミヤ・アルミトラ”と命名する」と大統領令を発表する。

 フセインの野望はただひとつ、全中東の石油を支配して、アラブの盟主の座につくことだった。アメリカやイギリスは真っ先に大量の軍隊をサウジアラビアに展開。一触即発の状態になった。この「湾岸危機」は独裁者が欲にかられて他国を侵略した最たる例だ。もし西側が見てみぬふりをしていたら、サダム・フセインはサウジアラビアに侵攻し、カタール、バーレーン、首長国へと雪崩れ込んでいたのはあきらかだった。そうなれば世界の埋蔵量の実に70パーセントがあの憎ったらしい独裁者の手に渡っていたのだ。そうなれば兵器はすべて動かず、世界は自由さえも守ることは出来なくなっていたのだ。

(フセインはその後、イラク戦争で米軍に逮捕・裁判で即座に処刑された)


 アルクスニス大佐はアルメニア共和国の分離独立派の指導者と対談したことがあった。「アルメニアは歴史的に見て、敵対国に囲まれている。たとえばトルコはかつてアルメニアで大虐殺を行ったではないか」彼はギロッとした目のまま、たずねた。

「そういうことが起きないようにするため独立したらイスラム教に改宗する」

「アルメニアは古代よりキリスト教徒だったではないか! それをすぐに改宗するだと?!」

彼は癇癪をおこした。「なんなんだそれは! まるでビジョンがない!」大佐はテーブルを叩くと、怒りまくった顔でその場を立ち去った。

「民族主義とは名ばかりだ! 一般の人々を騙して、自分の卑しい目標を達したいだけなのだ! 各リーダーが考えているのは己のことだけ、経済プランもなにも考えず、ひたすら感情的に訴えるだけ。これはリーダーとしての責任の回避であり、生きた人間をもて遊ぶなどもってのほかだ! …我々は千年以上この大陸で生きている。今後も何世紀にも渡って一緒に生きて行かなければならない。言語、文化、宗教など様々な問題が山積しているが、冷静になってこの混乱を乗りきれば必ずやっていける。連邦解体など決してあってはならない。15の共和国は運命共同体なのだから」

アルクスニスは拳を振り上げ、「ソユーズ」の集会で宣言した。

「シェワルナゼ路線は我々の子々孫々に多大な被害と災いをもたらすものだ! 冷戦を終わらせたのは確かだが、彼はアメリカの前にひざまずき一方的な譲歩をした。将来のことも何も考えず、あらゆる書類にサインをしてしまった。なんとイラクへの武力行使にも賛成したのだ! シェワルナゼによって今国内では大変な混乱と損失が起こっている。さらに無能な内相のおかげで治安が悪化する一方だ。バカーチンとシェワルナゼ、それにゴルバチョフには辞めてもらわなければならない! マルクス・レーニン主義を取り戻すために!」

 アルクスニスはペレストロイカを支持していた、しかし政治・経済が悪化するにつれ反動でゴルバチョフ批判をするようになっていったのだ。「ゴルバチョフは権力の亡者になりきってしまった。権力をまったく行使していないのが許せない! もしサッチャーやブッシュがゴルバチョフの立場にあったら政治的安定はとっくに達成されていたろう。彼らは力をどう使うか知っているからだ」


「もう限界です。このままではKGBは社会から抹殺されてしまいます。大統領の周辺は保守派の連中で固めました。元帥、軍も協力して下さるでしょうね」

クリュチコフKGB議長は二人きりの会議室で向かい合いながら、ヤゾフ国防相にいった。

「もちろんです。我々もこれ以上軍縮だの軍民転換だのをされては困るのです。大統領にこのまま権力をにぎってられたら困る。しかし、我々には大統領に抜擢してもらった恩がある。ミハイル・セルゲイビッチには大統領という肩書きだけは残して置いてやりましょう」

「うむ。それがいいでしょうね」

 こうして保守派は、ゴルバチョフを操り人形と化し、バカーチン、シェワルナゼを追い落とした。そしてリトアニア、ラトビアに対する武力行使が追いうちをかけた。こうした保守派の激しい攻撃にさらされていたからこそ、ゴルバチョフはノーベル平和賞の授賞式にも出席できなかったのだ。…ゴルバチョフは経済を資本主義化しようとしていた。ライバルのエリツィンも大賛成で、二人の間で合意が成立し、改革派のシャターリンの「500日案」という経済を五百日で立て直す計画でいこうということになっていた。だが自分の職と特権を失うことになると大官僚機関が猛反対にあい、脅されたゴルバチョフは妥協し、社会主義的資本主義というものに計画を変えてしまう。ヤコブレフも脱党してしまい、民衆とエリツィン、それに保守派から「辞めろ!」コールにさらされたゴルバチョフは、いよいよ苦境に立たされることになる。ゴルバチョフは右に傾きかけていた。


 ゴルバチョフはクリミアの別荘で静養をとっていた。彼が自分のために建てさせた別荘は魅力的で贅沢なものだった。すべての部屋に贅沢な雰囲気を出すため、きらびやかなシャンデリアと熱い絨毯があるという。その書斎で、ガウン姿のゴルバチョフは暖炉にまきをくべながら、椅子にすわり深いタメ息を洩らした。それはひどい疲労感があった。

「私が辞めればいいのか?」苦い顔で、誰にいうでもなくきいた。「冗談ではない。私が否定されてしまえば、反動の波がペレストロイカの成果を容赦なく洗い流してしまうだろう。それではいままでの苦労が水の泡になってしまう」グラスに茶色っぽい糖尿病の液体薬を流し込み、口をつけた。ミハイル・ゴルバチョフは空虚な、落ち込んだ気分だった。

彼がペレストロイカを打ち出して東欧を自由化し、民主化・軍縮を進めて世界を変えていったのだ。すばらしい改革者だ。だが、ソ連国内の経済・政治とも悪化する一方で、少しもよくならない。しかも、トロイカを組んでいた仲間は、もう誰もいなくなった。

「皮肉なものだな」ゴルバチョフの声が沈んだ。「私は、恐怖と力による政治制度を改革しようとしたが…事態は少しもよくならない。そればかりか、すべての人間から嫌われてしまった。民衆のためにやったことなのに…」

「…わが国には…命令と脅しが必要なのだろうか…」彼は弱々しくいった。

 ゴルバチョフはひどく老けこんだ気分だった。さらに悪いことには孤独でもある。経済が破綻し、崖っふちに追いやられつつあるのだ。保守派のこしらえた牢獄にとじこめられてしまった。自分の安全のことばかり考えて、他人のことを忘れてしまった。ただトップになるために他人を利用し、自分は絶対に正しいと思い込んでいたのだ。ペレストロイカ…なんと偉大な計画だったことか。しかし、成功の見込みがまったく見えなくなってきた。

「自分のやってきたことは…正しかったのだろうか?」

彼はまばたきして涙をこらえ、悲しみをこめて呟いた。見るに耐えかねたライサが政界からの引退を勧めたが、彼は拒否した。自分が正しいと決めたことは、最後までやり通すこと…祖父の言葉が彼を支えたのだ。

「ペレストロイカを途中で挫折させるわけにはいかない」ゴルバチョフはいった。


 西側から送られた食料品を前に、涙を流している老婆の姿が何度もテレビに流れた。このまま冬を乗り切れず、大勢の餓死者がでるのではないか、ともレポーターはいっていた。 しかし保守派はそんなこととは関係なく、イラクに武器を密かに送りつけていた。(多国籍軍は発見し、ソ連船を引き返させている)保守派は、イラクへの軍事的影響力を失いたくなかった。主犯はヤゾフ国防相、クリュチコフ、プーゴ、モイセーエフ参謀総長らだ。

 パブロフ首相は一月、「高額紙幣の使用禁止令」を実施。本当の目的は、やみくもに刷り過ぎた紙幣を回収してインフレにそなえるために使用禁止にすること。小額紙幣との交換は三日間だけいうものだ。まさか紙幣を刷り過ぎたのでとはいえないので「マフィアの黒い金をつぶすため」といった。ソ連市民は政府を信用していないので国営銀行には預けず、タンスにしまっていたが、それを一瞬のうちに紙切れにしてしまった。このショックで、老人などが多数死んだという。(もちろんマフィアはとっくに両替を済ませていた)

 九一年二月、アジス・イラク外相をモスクワに迎え、ゴルバチョフは調停工作を行った。フセイン政権さえ残ればイラクの勝ちだ、ソ連の中東での軍事的な影響力を失わないですむ! イラクに大量に売りさばいたソ連製の兵器がアメリカの最新兵器にやられたらマズイ! 売れなくなってしまう! 

こうした保守派の浅知恵によって、操り人形と化したゴルバチョフは調停工作を行った。(フランスも同じような理由で調停に必死だったのだ)

 しかしアメリカはソ連の和平案を無効とし、地上戦を開始した。「湾岸戦争」はアメリカの軍産複合体に大きなボーナスをもたらした。アメリカはこれまでに190億ドル以上もの武器のビジネスを成功させている。湾岸戦争は死にかけていた軍産複合体を復活させてしまったのだ。このことは、これからもっと利益を追及するために、軍産複合体が横暴な行動に出てくる可能性は高くなったといえる。例えば「朝鮮半島」などはターゲットに入っているだろう。アフガニスタン戦争やイラク戦争も想定に入っていた。しょせん「湾岸戦争」など、新たな戦争の始まりでしかなかった。そして、まさかの9・11同時多発テロ。

(近代兵器がなければサダム・フセインはあんな暴挙に出ることは出来なかっただろう。だが、アラブ的残虐性を知っていながら、旧ソ連(現・ロシア)、中国、フランス、北朝鮮、ブラジルまでもが原油と引き替えに武器輸入を行った。日本政府のほうは無知をひけらかして5千億円もの援助をバラまき、そしてイラクは世界第5位の軍事力を持って「侵略・虐殺」行為を犯したのだ。この武器輸出こそが「新世界秩序」成立のカナメになることは間違いない)

「湾岸戦争」は石油のための戦争だった。しかし、正義の為の戦争であったことも間違いない。あの時、日本政府のような馬鹿げた対応を世界中がとっていたら、あの狂人サダムに中東の石油を支配され、クウェート人やサウジアラビア人などは虐殺されていたところだった。とんでもない前例をわれわれは作るところだったのだ。IS問題も構造は同じだ。

「正義の戦争なんてない! 結局ただの人殺しではないか!」などということを、年端もいかない子供だけではなく老人まで叫んでいたが、それは完璧に間違いである。

たしかに戦争とは人を殺すものだが、しかしその「戦争」によって、もっと強大な悪を叩き潰すことができる。もしも第二次世界大戦で連合軍がヒトラーやムッソリーニ、帝国日本を叩き潰さなければ今頃世界はどうなっていただろうか? 今のような自由な世界など出来なかったろうし、独裁の中での繁栄などけしてなかったであろう。

例えサウジやクウェートが民主主義国家ではないにしても、彼らがむざむざ殺されるのを黙って見ていてよかったのか? 独裁国家を攻撃せず、多国籍軍を撤退させていたら、どうなっていたか火をみるよりも明らかである。

現にあそこの国はクルド人を虐殺し、核兵器開発までしていたのだから。

例えそれがどこの国であろうと、その国民の自由と生命が存亡の危機にある時、自由の恩恵を受けている人間は立ち上がらなければならない。そうした自由、民衆を、独裁者の手から守ることこそが大事なことであり、その為の戦争は、確実に「正義の戦争」なのです。

「彼は戦略や軍事工作を学んだわけでもなく、戦略家でもなく、将軍でもなく、兵士でもない、これらの点を除けば、彼は偉大な軍人だ」

多国籍軍司令官ノーマン・シュワルツコフ将軍は報道陣の「フセインをどう思うか?」という質問に、強烈な皮肉をこめて答えた。こうして湾岸戦争は終結した。しかし、以前として中東の火は消えてはいなかった。

 ゴルバチョフのまわりには改革派はひとりも残ってはいなかった。シェワルナゼも、バカーチンもヤコブレフも去ってしまい、プーゴ内務相、ヤゾフ国防省、クリュチコフKGB議長、パブロフ首相、ヤナーエフ副大統領、ベススメルトヌイフなど保守派ばかりが変わりに彼の周りを囲んでいた。

もはや彼には、人事さえ自由にできる力がなくなっていたのだ。また、ソ連のモイセーエフ参謀総長はアメリカと条約を交わしたはずの軍縮をごまかし、ヨーロッパから引き揚げた戦車をウラルから東アジアに移してスクラップにせずに温存、また陸軍部隊三個師団と戦車千台を海軍に配備して条約を逃れさせた。

ニューヨーク・タイムズのインタビューでモイセーエフ参謀総長は「CFE条約はシェワルナゼが勝手に調印したもので、軍の預かり知らぬことだ」と発展途上国の将軍のようなことをいった。シェワルナゼ外相は辞めさせたのだから、その条約も無効だ! 

これではスターリンとなんら変わらない。ジム・ベーカー米国務長官がシェワルナゼにこのことについて問いただしたさい、シェワルナゼは「そのことについて何もしらない」と答えた。そしてさらに、「もしその話しが真実なら、われわれは条約違反をしていることになる」と語ったという。

ゴルバチョフもこのゴマカシを知らなかったろう。いや、知っていても何も出来なかったのだろう。もう彼は、ただ大統領ポストにしがみついていただけだったのだから。

 ソ連保守派はあからさまなアメリカ批判をするようになる。「湾岸戦争におけるアメリカの狙いは、中東における石油資源を独占することにある! これは冷戦後の世界で、経済的な競争相手、ヨーロッパや日本に対し圧倒的優位を得るための『新植民地主義』である」「アメリカはまさに帝国主義的な野心を実現していこうとしている。だが、それを止めるもう一方の超大国はもはや存在しない。このことは人類にとって悲劇的なものであることは疑いがない! こうなったのは、すべてシェワルナゼとゴルバチョフのせいだ」アルクスニスや保守派は、拳を振り上げてさけんだ。

 こうした保守派の連中に対して、アメリカは新SDIをスタートさせると発表。大気圏突入砲撃システム『FRIS』の実験に成功したと発表した。

「ソ連軍部は戦略核戦力の近代化を主張しており、アメリカの対ソ戦略は流動的な側面を抱えている。アメリカは、ソ連国内の不確定要素がもたらす脅威に備える必要がある」

 デイック・チェイニー米国防長官は深刻な事態を指摘した。極めて深刻な状態…。

 冷戦時代の揺戻しは、すぐそこまできていた。


     ロンドンサミット、そして…


 ゴルバチョフは、国家テレビの議長に保守派のレオニード・クラフチェンコを任命、政府機関紙の責任者にも保守派のグルシコなどを任命した。

アメリカの危惧は感じていたが、もう彼にはどうしようもなかった。

土地私有化案まで保守派につぶされ、民営化は大幅に後退し、軍産複合体が温存されることとなっていた。こうしたゴルバチョフの急速な右旋回に国民は反発、急進改革派エリツィンの支持はものすごい勢いで広がり、ついに彼はロシア共和国大統領になる。(ロシア共和国全土での国民投票で選ばれたものだった)

 ゴルバチョフは時代の移り変わりをその肌で感じとっていたに違いない。だが彼は保守派に降伏したわけではなかった。理想は持っていたが、ただ民族の反乱と経済の破綻から来る保守派の攻撃をしのぐために自重していたのだ。経済さえなんとかよくなれば不満もなくなるはずだ。そういう必死の期待が、七月のロンドン・サミットだった。

「私はどうしてもサミットに出席しなければならない。もうサミット用の原稿も書いているところだ」彼はサミットの一か月ほど前に、こう述べている。

 その「7プラス1」サミットでの問題は、ソ連経済への支援をどうするかということだった。だが、経済改革を進めない保守派の人形ゴルバチョフと、西側首相の間には以前として大きな隔たりがあった。予想どおり西側は技術援助だけで金融援助は見送った。

「東西関係は新しい「雪解け」の段階を迎えた。…今月末にも、ブッシュ大統領をモスクワに招待したい」ゴルバチョフはそう提案し、ブッシュ米大統領と笑顔で握手を交わした。

だが弱さもみせ、彼はある記者会見で机を拳で叩き、「ソ連は困難な局面に多々されている。だが、西側の援助がなかろうと、必ず解決してみせる」といきまいた。


 ゴルバチョフが実質的なおみやげもなしにモスクワに帰ってくると、「何しにいったんだ!」という感じでさんざん叩かれた。しかし彼は厳しい空気の中でも、もう冷静さを失うことはなかった。もう彼は信念を貫き通すことにしたのだ。

「いつまでも軍部・保守派に迎合していると永遠にペレストロイカを推敲することは出来ない」彼は完全に開き直り、しっかりした態度で正論を押し通した。このままでは永遠に西側からの援助が得られない! 彼はソ連共産党中央委員会総会で、保守派に対する妥協を一切捨てて、言い切った。

「ソ連共産党がこれまで実現しようとしてきた『社会主義』は実現しなかった。我々は、もっと現実社会の動きをしっかりとみつめて、新しい方向に向かって歩み出さなければならない。第二に、我々はこれまで「市場経済と社会主義は両立しない」と考えてきたが、現実はそうではないということを教えてくれた。市場と社会主義は両立するのだ、という新しい方向に向かって突き進んでいかなければならない。第三に、我々はこれまで混合経済に対して偏見を持っていたが、ソ連経済を根本から立て直すためには、国家所有と私的所有、あるいは株式形態と協同組合形態などを組み合わせた『混合経済』を導入するしか方法がないことが分かった。さらに我々は、現実的な社会主義の理論の源泉としてマルクス主義を唯一無二のものとあがめていたが、やはり世界の人道主義的な諸思想とあわせて取り入れていかなければならない」ゴルバチョフは一呼吸おいて、さらに強く主張した。「党名を社会民主党に変更することもあるし、ますます改革路線を強く押し進めていかねばならないが、この信念と異なる考えを持つ者は共産党から出ていってもかまわない」

 つまり、共産党による一党独裁を放棄し、社会民主主義路線を取り入れて西側世界と共栄共存の道を歩む、というのだ。

 アメリカの大統領をモスクワに迎え、七月末、「START(戦略核削減交渉)」に合意した。がっちりと握手するゴルバチョフとブッシュ(W・ブッシュの父親)は、国際的な交渉を具体的な中身のつまった実体にまとめあげてくれた。ゴルバチョフの心には、

「この機会を逃したら、二度とふたたびアメリカの信頼感をつなぎとめておくことができなくなってしまう」という必死の思いがあった。だから必死に努力したのだ。

 こうしたことに、保守派はとうぜん怒り狂った。ますます大人気のエリツィンをはじめとする急進改革派は「ロシア共和国内における共産党の活動を全面的に禁止する」と宣言し、新連邦条約(各共和国が独立し、連邦ではなく共和国に資金などの権限を移す)を打ちだし、ゴルバチョフは八月二O日から条約調印に向けて会議を開くことで合意した。

 これに対して保守派や軍部は怒りを爆発、大統領の政治生命を奪ってしまおう! とクーデター計画が持ち出される。その先頭にたったのが、ルキヤノフだった。

 ゴルバチョフ大統領とソ連民主主義の運命に、全体主義の足音が近付きつつあった。








第四章 新生ロシア革命








             ゴルバチョフ失脚

  

 十八日午後四時五十分、ボリジン大統領府長官は共産党の不穏分子を集めて、クリミアの別荘で静養していたゴルバチョフを拘束する計画を実行に移す。特別警備隊の守る別荘に突然の訪問した男たちは、「KGB議長クリュチコフの命令だ、お前たちは家に帰れ」といって警備隊を追い払い、何の許可もなく彼らは大統領の部屋にズカズカと入り込んだ。ゴルバチョフが驚いたのは、長年顔なじみだったボリジンが目の前に現れた時だった。

「大統領の権限を副大統領に委譲するよう求めます」

「誰の差し金かね?」ゴルバチョフは怪訝な顔できいた。「国家非常委員会の指令です」

「…そのような委譲は受け入れられん」

「ここに残るか、権限を移すか、選択はふたつだけです。祖国を転落の危機から救えるのは…非常事態委員会だけです」

 彼は長年連れ添ってきた部下に裏切られたのだ。彼は怒り狂い、部下を罵ったという。

「ペレストロイカの時代に、国民は独裁者を支持すると思っているのか?! 絶対に失敗する」

 一九九一年八月一九日、ゴルバチョフ大統領の健康状態の悪化のため、大統領職を続けられなくなった。代わりにヤナーエフ副大統領を「大統領代行」にするとモスクワから非常事態宣言が発令される。これを発令したのは、ヤナーエフ副大統領、パブロフ首相、ヤゾフ国防相、プーゴ内相、クリュチコフKGB議長、バグラノフ国防議会第一議長(軍産複合体の手先)、スタロドプツェフ農民同盟議長、チジャコフ国営企業協会議長(軍需産業代表)などからなる「国家非常事態委員会」というKGB・軍・保守派の代表たちだった。保守派は新連邦条約の締結を恐れたのだ。ソ連国内では外出禁止令がしかれ、保守派の手先となったテレビ局などは「新政権を承認する」とまでいった。これに対して、日本政府を除く西側諸国政府はただちに拒否反応を示し、対ソ経済支援などをすべて凍結すると発表した。世界中が、この保守派のクーデターに震撼した。

「非常に古いやり方ね。ブレジネフやスターリンと同じやり方だわ、こういうクーデターは決して許してはなりません!」と、サッチャーはインタビューで憤慨して述べた。

「非常事態だ。ソビエトに全体主義が敷かれつつある、我々はこうした連中に屈してはならない」エリツィンは愕然としたままいった。

この頃、国家非常委員会はエリツィン暗殺に乗り出していた。しかしKGB第7局は従わなかった。戦車や装甲車が放送局や新聞局に配置され、ロシア共和国最高会議ビルに進軍し、会議ビルを取り囲んだ。バルト三国には特殊部隊が進軍、ルキヤノフ最高会議議長は「新連邦条約の無期延期」を発表。

 エリツィン・ロシア共和国最高会議議長の呼び掛けに応じて、大勢の市民がロシア共和国会議ビルに集結、エリツィン支持派の戦車や兵士(タマン師団)も駆けつけ、バスや壁石などでバリケードをつくった。エリツィンら改革派は共和国議会ビル内に立て籠もり、会議を開いていた。エリツィン大統領にもしものことがあれば、レニングラードのロブフ第一副議長を中心に、ロシア共和国の権限を移すことで合意が出来ていた。…すぐそこまでスターリン主義者たちの戦車が迫っている。まさに、一振即発の状況だった。

「民衆はエリツィンを支持しているから。…我々は民衆を守るのが使命だからさ」なぜエリツィンを守りにきたのか?という質問に、兵士はそう素直に答えている。


 ゴルバチョフ一家はクリミアの別荘に軟禁されていた。電話も使えず、もちろんテレビも見れなかった。殺されるかも知れない、そういう恐怖は肌で感じていた。ボリシンに、そんなことをしたら国にも君たちにも不幸を招くだけだ、と警告したがすべて無駄だったのだ。彼らは、中央の命令なら誰もが従うだろう、とでも考えていたのだろう。

 ゴルバチョフは古い小型ラジオをなんとかなおして、必死にどこかに波長を合わせた。そして、聞こえてきたラジオ・ニュースに再び驚愕した。”ゴルバチョフ大統領が重病のため、ヤナーエフ副大統領が大統領代行になり非常事態が宣言されました。…”とラジオの声は伝えたのだ。ライサも孫娘も、ただただ恐怖に震えるばかりだった。


「これは右翼によるクーデターである。委員会の決定や指令は、すべて違法だと宣言する。我々の要求が満たされるまで、無期限のストを呼びかける!」

エリツィンは共和国ビルの前の戦車上に立ち、宣言文を読み上げた。(戦車は改革派支持としてロシア共和国の旗を掲げて集まったものだった。呼び掛けに応じ、アフガン帰還兵たちも集まっていた。

「この数日間で、この国の運命は決まるだろう。民主主義か、全体主義かだ!自由を守るために集まってくれた皆さんに感謝する! ロシア万歳! ロシアの自由に万歳!」

ロシア共和国最高会議ビル前に集まった市民の応援に駆けつけたシェワルナゼはいった。

「ロシア! ロシア! ロシア! ロシア!」群衆は拳を振り上げて叫ぶ。

 ロシア共和国会議ビルの近くに待機していたソ連戦車が動き出したのは、翌日深夜のことだった。カリーニン通りに轟音が響き渡る。戦車はロシア共和国とエリツィンを守ろうと集まった大勢の市民やバスなどのバリケードを蹴散らして進んでいく。民衆は火炎ビンなどを投げつけ、戦車に飛び乗りシーツで目隠ししたりして抵抗。機関銃の音が響き、ソ連軍兵士はあきらかに人に向けて撃っていた。道にぐったりと横たわる市民…。

「三人の人間が…戦車に引き潰されるのをみた」と、会議ビルを守るために駆け付けた市民がいう。「最初は空に向けて撃っていたが、しだいに人に向けて撃つようになった」

 戦車はバリケード用に並べられたバスやトラックに激突し、進軍しようとした。民衆は人の鎖をつくって戦車の前に立ちはだかる。集まった群衆は火炎ビンを戦車に投げつけながら、「人殺し! 人殺し!」と叫び、ある女性は「なんで撃つの? 気でも狂ったの?!」と涙声で叫んだ。ディーゼルエンジンの轟音に、時折銃声がまじる。

 この衝突で、三人が死亡し、大勢が負傷したという。戦車部隊は進軍を中止した。

 十二日、モスクワは雨だった。それでも何万という群衆はモスクワ共和国最高会議ビル前に集まっていた。午前八時、状況が変化しつつあることを市民たちは知った。モスクワに配備されていた戦車が、次々と撤退していったのだ。この朝、悩んだヤゾフ国防相が、部下シャポシュニコフ(新国防相)の説得を受けて「撤退」を決意したのだった。

 午後三時、ヤゾフ国防相、ヤナーエフ副大統領、プーゴ内相はクレムリンから逃亡、ゴルバチョフのいるクリミアの別荘にいった。なんらかの妥協を計ろうとした。だが、大統領は面会を拒否、その場で彼らは身柄を拘束された。

「私はここで隔離されてました。ほぼ4昼夜の間、緊張した状態が続きました警備の者たちは最後まで私に忠実でした」インタビューで彼は三日ぶりに、ホッとした顔を見せた。

 国家非常事態委員会メンバーは全員逮捕、国家反逆罪になった。

「なぜこんなことになったのかわからない。分からないまま、未知のゲームを始めてしまったのだ」パブロフ前首相はぼやいた。

今後、あなたはどうなるでしょう?「おそらく、表彰はされないでしょうな」ヤゾフ前国防首相はいった。

逮捕前にプーゴは自殺、アフロメーエフ軍参謀総長、ニコライ・グルーシン、クルーチナ党中央総務局長などの保守派も自殺し、ベススメルトヌイフ外相も解任された。そして国防相にはクーデターに加わらなかったシャポシニコフが、KGB議長にはバカーチンが選ばれる。しかし、彼はまだ共産党を捨てる決断はついていなかった。「共産党員すべてが悪いわけではない、一部の不心得者がいただけだ」と、党ぐるみのクーデターであることは誰の目にも明らかだったにも関わらずに、ゴルバチョフは述べたのだ。これには世界も幻滅した。

 自由と民主主義を守り抜いたエリツィンと民衆、共産党にしがみつくゴルバチョフ…時代は確実に、ゴルバチョフからエリツィンへと移りつつあった。彼は時代の先を読んでいたつもりだったが、いつのまにか時代に取り残されてしまっていたのだった。     



         独裁政党「共産党」の最後、新時代の到来

  

「ロシア! ありがとう! ロシア! アリガトウ!」ロシア共和国最高会議前の改革派支持戦車も、民衆の『民主主義、ロシアの勝利』を喜ぶ声に見送られて撤退し、バリケードも撤去された。ロシアの勝利だった。彼らは、侵略者に勝ったのだ。

 共産党だけではなく、連邦政府、官僚組織などもクーデターに加わっていたことが次第に明らかになってきた。最近まで、単なる人気とりの政治家とみられていたエリツィンは、この革命で「真の改革者」「民主主義のチャンピオン」とまでいわれていた。

 クーデターを自らの手で阻止したモスクワの市民たちは、二十一日「勝利集会」に参加、ロシア共和国最高会議前には、十万の民衆が集まった。「エリツィン! エリツィン!」 「皆さん、本当にありがとう! 皆さんのおかげで、クーデターを阻止することが出来ました! ロシア万歳! 民主主義万歳!」エリツィンは国民に感謝した。

「私は民主主義が勝つ、と辞任する時にいいました。その言葉を、もう一度私にいわせて下さい。私は、皆さんが立ち上がってくれたことに感謝します。そして真の改革者、エリツィン大統領に感謝します」シェワルナゼはいった。聴衆は大きな喚声をあげた。

 しかし、ゴルバチョフ大統領の姿はそこにはなかった。

「共産党を倒せ!」市民はその夜、抑圧のシンボルだったKGB本部前の『ジェルジンスキー像』を撤去し、宙吊りにされたKGBの創設者の姿に、市民たちは大きな喚声を上げた。夜空には鮮やかな花火が上がり、時代の変化をも映し出していた。

 八月二十三日、ロシア共和国最高会議議会に出席したゴルバチョフは、エリツィン・ロシア共和国大統領に、ロシアでの共産党の活動を停止する条令を承認するように迫られた。「この場において、社会主義の緊張緩和のために…ロシア共産党の活動を停止する大統領令に署名します」

 ゴルバチョフはあせった。「エリツィンさん!エリツィンさん!すべての共産党員がクーデターに参加し、非常事態委員会を支持したわけではありません」彼は冷静をたもとうと努力しながら続けた。「共産党の活動を禁止することは、ロシア共和国大統領の誤りです。なぜなら、民主主義の精神に反するからです」

 ゴルバチョフは述べ、会場は急激にシラケきった。彼はここでも、時代に乗り遅れたのだった。自分で始めた、ペレストロイカに。

 

 翌二十四日、いつまでも共産党の再生に期待を寄せるゴルバチョフを、かつての盟友シェワルナゼ前外相、ヤコブレフ前大統領顧問は説得を試みた。

「もはや共産党の再生は不可能です」ヤコブレフ氏は彼の目をみつめながらいった。「今回の事件で、そのことが明らかになった今こそ、党を見限るべきだ」ヤコブレフ氏は彼に詰め寄った。「もはや党は存在しないのです」

「クーデターは一部の不届者の仕業で、一部の為に党全体を犠牲にするには……あまりにもことが…重大だ」ゴルバチョフはうろたえた。

「一部などではありません、共産党員すべてがグルなのです」ヤコブレフ氏とシェワルナゼ氏は、共産党中央委員一人一人がどれだけクーデターに関わっていたかを、具体的な名前と役割まで上げてゴルバチョフに教えた。彼は不意に押し黙り、そして盟友たちに助けをもとめた。「今、私にはあなたがたの助けが必要だ。協力してほしい」

 ゴルバチョフらはひさしぶりに握手を交わした。ずっと前に断ち切られた絆を、やっと彼らは持てたのだ。真実の絆を。

「我々は、もう党にもどるつもりはない…すべては、あなた自身の決断にかかっている」

 八月二十四日夜。二人の説得に合意したゴルバチョフは、共産党中央委員会解体と、自ら書記長辞任を発表。大統領令として、全世界に発表した。

 共産党解体の動きはソビエト各地でも一斉に始まっていた。革命以来、社会主義のシンボルであったレーニン像も次々と倒され、民衆は喚声を上げた。自由万歳!民主主義万歳! 共産党解体の結果、一九一七年の革命以来、七四年に及んだソビエト共産主義の歴史に、終止符が打たれたのだった。

「まず、獲得したものは一つ残らず守らなければなりません。革命、革命が起きたのです。この革命によって獲得されたものは、守らなければならないのです」ヤコブレフ氏は冷静さを失わず、そうインタビューで述べた。「しかし、いまは第二の段階に入らなければなりません。すなわち、経済改革を迅速に進めることです。それが一番重要なことです」


 革命はゴルバチョフによってなされたものではない。彼は時代遅れの人物になってしまったのだ。歴史の波がソ連を変化させた。そして、より複雑な新しい時代がやって来ていた。バルト三国、ウズベク、モルドバ、ウクライナ、ベラルーシ(白ロシア)、アゼルバイジャン、グルジア(ジョージア)、アルメニア、トルクメン、カザフなどが次々と独立を宣言、連邦解体に向けて進んだ(現在・すべて独立「グルジア」は「ジョージア」と国名変更をした)。一方、各共和国は、共産党に変わる新しい政党をつくった。クーデターにみられたような民主主義の根が、この巨大な大地に大きく這うのかどうか? また内戦が起こり兼ねない不安定な社会となってしまうのか? ロシアのウクライナ侵攻……戦争……激動する世界情勢に、今後も世界の目がクギづけになることは確かである。エリツィンからプーチンへと世代交代で経済が好転するが、旧ソ連、いわゆるロシアではクリミア問題や独裁政権への批判が渦巻く。シリア内戦のアサド政権の後ろ盾がまさにロシア共和国、プーチン政権であった。そして、ウクライナ侵攻!

 共産党が解体され、レーニン像がつぎつぎ倒され、民衆が抱き合って喜んでいるのを見たゴルバチョフは笑みを浮かべた。保守派のクーデターはたった三日で失敗したが、そんな短い期間でも、民衆に、そして祖国にじつに好ましい影響を与えたようだ。

 これもペレストロイカのおかげだろう。私がこれまでやってきたことはすべて正しかったのだ。もちろんこれで終りではない。経済改革がまだ残っている。

「我が祖国は、やっと手に入れたのだ。自由と民主主義を…そして明日へのビジョンを」 ゴルバチョフは虹いろの空を見上げながら、期待に胸を膨らませ、いった。

「この革命によって獲得されたものは、守らなければならないのです」ヤコブレフ氏は冷静さを失わず、そうインタビューで述べた。「しかし、いまは第二の段階に入らなければなりません。すなわち、経済改革を迅速に進めることです。それが一番重要なことです」


 革命はゴルバチョフによってなされたものではない。彼は時代遅れの人物になってしまったのだ。歴史の波がソ連を変化させている。そして、より複雑な新しい時代がやって来ているのです。バルト三国、ウズベク、モルドバ、ウクライナ、ベラルーシ(白ロシア)、アゼルバイジャン、グルジア(ジョージア)、アルメニア、トルクメン、カザフなどが次々と独立を宣言、ソ連邦は解体した。KGBも廃止された。

 共産党が解体され、レーニン像がつぎつぎ倒され、民衆が抱き合って喜んでいるのを見たゴルバチョフは笑みを浮かべた。保守派のクーデターはたった三日で失敗したが、そんな短い期間でも、民衆に、そして祖国にじつに好ましい影響を与えたようだ。

 共産革命以来七十四年、ついにその理想を達成しえなかった。システムを崩壊させたのは誰あろう、共産主義を深く信仰していたソ連邦保守派グループだった。自らのシステムを守るためのクーデターで、共産主義をこの世界から抹殺してしまったのである。

 これもペレストロイカのおかげだろう。私がこれまでやってきたことはすべて正しかったのだ。もちろんこれで終りではない。経済改革がまだ残っている。

「我が祖国は、やっと手に入れたのだ。自由と民主主義を…そして明日へのビジョンを」 ゴルバチョフは虹いろの空を見上げながら、期待に胸を膨らませ、いった。

 ふと、祖父の言葉が心の耳にきこえた。…”自分が正しいと思ったら、例え相手が何万人いようと恐れることはない……”そして、いろいろな人達のことがゴルバチョフの脳裏にこだまのように響いた。ライサは彼の肩を抱き、「昔…あなたが書記長になるって信じていたのは私だけだった」と声をかけた。

「…信念が…あったんだ」

「あなたは…すごいことをしたわ」ライサはゴルバチョフにいった。彼女の瞳からは涙が溢れ出た。ライサはそれを、ゴルバチョフに学生時代にもらったハンカチでふいた。ライサはそのハンカチをとても大事にしていた。夫からの最初の贈物だから…。

 ひゅうううーっ。と寒風が吹き荒れて、ふたりの頬を掠めた。ソ連の赤旗がクレムリンのポールからゆっくり降ろされ、新しいロシア国旗がゆっくりとかかげられる。

 ライサとゴルバチョフはそれを万感の思いで眺め、やがてキスを交わした。それは永遠の、そしてかけがえのないキスだった。

  ……すべてはこれからだ。焦ってはいけない。ペレストロイカの成果は、少なくても10年、20年…いや、少なくても2世代過ぎた後に、民主主義の芽がロシアの国土に実る。私はすべてを失って、クレムリンを去る。しかし、ペレストロイカの芽は生き続ける。困難や辛い別れがあっても私はやっていく。努力する。だからロシア国民もそうあってほしい。私は去る。だが……すべてはこれからだ。…………


         ポスト・スクリプト




  すべてを失ったゴルバチョフは私費で『ゴルバチョフ財団』を設立し、現在も世界の平和や環境保護などのために世界中を飛び回っている。…しかし、彼に不幸が訪れる。

 愛しの妻・ライサが白血病にかかって死んだのだ。ゴルバチョフは病気の彼女に付き添い、病院で彼女を看取ったという。ライサは死ぬ前に、

「あなたは…すごいことをしたわ……世界のために…そして…ありがとう」といった。

 そういって、ライサは息を引き取った。1999年9月20日のことである。享年・67歳であった。「ライサ…ライサ!」ゴルバチョフは妻の亡骸に抱きつき、号泣した。


  葬儀はすぐにおこなわれた。棺のライサに声をかけて、キスをするゴルバチョフ…。そして、彼は彼女が大事にしていたハンカチを棺の中に入れた。それは、学生時代にゴルバチョフがライサにプレゼントした例のハンカチだった。

「ライサ……安らかにお眠り」ゴルバチョフはライサにいい、寂しく微笑んだ。

  やがて、葬儀は終わった。しかし、ゴルビーは墓から離れなかった。もう、誰もいない…。雨がざあざあと降ってくる。「すべて失ってしまった。国も…ライサも……ペレストロイカも…」ゴルバチョフは傷心して暗く呟いた。すると、ひとり、またひとりと貧しいひとやいろいろな男達や女達が、彼の回りにやってきた。ゴルビーは茫然として人々を見回す。と、ひとびとはいった。

「ゴルバチョフさん……ペレストロイカは間違ってなかった。……あなたも」

 そして、次々と歓声や拍手がおこる。…ペレストロイカは間違ってなかった!

 ゴルバチョフは息をのみ、そして、熱い涙を流した。

 …ペレストロイカは間違ってなかった!間違ってなかった!



   ゴルバチョフは、財団の仕事でアメリカにいった。そして、訪問先の子供たちにペレストロイカのことを…改革のことを話した。すると、子供のひとりが「改革って必要なの?」と彼にきいた。ゴルバチョフは微笑んでから、

「そう。必要だよ。何か間違いがあった時……ひとは恐れずに改革をしなければならない。例え、反対するひとが大勢いてもね。なぜなら、改革によって人々が幸せになるのだから…。だから君達も改革を恐れてはいけないよ。例え、反対する人間が大勢いてもそれを恐れて妥協したり、考えをかえたりしてはダメなんだ。自分の信念をもって、改革をやらなければ…何も良くならないからね」といった。

 そして、ゴルバチョフは窓の外に広がる青空をしんと眺めた。

 ……すべてはこれからだ……彼はいった。それは、希望の言葉、であった。

(ミハイル・ゴルバチョフソ連元大統領は2022年8月30日、モスクワの病院で死去した(享年91歳))






        [登場人物(いずれも役職は当時)]

 ミハイル・ゴルバチョフ……………… ソ連初代大統領

 ライサ・ゴルバチョフ………………… 大統領夫人

 エドゥアルド・シェワルナゼ……………元ソ連外相

 ロナルド・レーガン…………………… 元米大統領

 マーガレット・サッチャー…………… 元英首相

 ジョージ・ブッシュ…………………… 元米大統領

 ヘルムート・コール…………………… 元独首相

 ボリス・エリツィン…………………… 元ロシア共和国大統領

 ジョン・F・ケネディ………………… 反体制の米大統領。ダラスで暗殺。

 フルシチョフ、ブレジネフ…………… 元ソ連前書記長

 ビクトル・アルクスニス……………… 元ソ連タカ派青年将校代表

 ジェームズ・ベーカー………………… 元米国務長官

 ノーマン・シュワルツコフ…………… 元米中東派遣軍・国連軍、最高司令官

 サダム・フセイン……………………… 元狂気のイラク独裁者

 ウラジーミル・プーチン……………… ロシア共和国大統領(現職)

 ドナルド・トランプ…………………… アメリカ合衆国大統領(当時)






第二部

プーチン大統領と北方領土問題

 ウラジーミル・プーチン(Vladimir・Putin)の戦略と真実!





ロシア『新皇帝』ウラジーミル・プーチンの真実!すべての戦略戦術とロシアの権謀術数



簡単にウラジーミル・プーチン氏のプロフィールを述べたい。詳しいことはウイキペディアかプーチン氏の関連本を参照してもらいたい。ウラジーミル・プーチン氏は、1952年10月7日(旧ソ連レニングラード)サンクトペテルブルクで生まれた。支持率は80パーセント。2015年四選目。配偶者はリュドミラ・プーチナ氏(1983~ 2014)。

実はプーチン氏はマイクロソフトのビルゲイツ氏よりも大金を持っている。その隠れ資産は20兆円ともいわれている。実は世界一の金持ちはマイクロソフトの創業者であるビルゲイツ氏ではなく、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領である。プーチン大統領の保有する個人資産は、何と、約20兆円だという。パナマ文書には2兆円を置いていた、サンクトペテルブルクのシンフォニーオーケストラに所属するチェロ奏者の名前があった。なぜ一介のチェロ奏者が 2兆円も持っていたのか? 実はこの人は「プーチン大統領の親友」で、プーチン大統領の「隠し資産」の 2兆円分を、自分の資産と分からないように、彼の名義を借りていたのである。

ロシアのプーチンが抱える問題は、クリミア問題、シリア問題、ウクライナ情勢、そしてジョージア(旧・グルジア)そしてアメリカ・トランプ政権とのロシアゲート疑惑など、疑惑が尽きない。だが、プーチン政権は支持率80パーセント状態の人気政権である。サンクトペテルブルクの貧しい工業労働者の息子に生まれたプーチンは、子供の頃はケンカ三昧のきかん坊だった。不良少年で、スパイ映画が大好きで、アクション映画も、大好き。彼は学校をさぼっては映画館に入り浸ったという。そしてプーチンは、「KGBに入りたい」「入らせてくれ」というが、 KGBに「法学部大学へ行け」と言われる。大学に行った後に、KGBのスパイとなるプーチン氏。1989年ベルリンの壁崩壊。1991年ソ連崩壊。2000年にロシア大統領へ。大統領になったのは 48歳の若さであった。以後は四選当選。上半身裸で、男、マッチョ、を演じ、乗馬を楽しむ。優しく、男らしいプーチンを演じる。

東日本大震災の時に贈られた秋田犬を「ユメ」と名付けてかわいがる。“怖い人”が動物をかわいがる姿を“ギャップ萌え(笑)”。人気の秘密は、旧ソ連崩壊の「トラウマ」である。ソ連からロシアになって領土が減り、政治的な力も無くなり、弱くなった。

プーチン氏は「20世紀最大の悲劇」と呼ぶ。「(ソ連に戻すことではないが)強国だったロシアを取り戻す」とプーチン。軍事パレードで、飛行機に搭載された超音速ミサイル『キンジャル』(飛行機搭載型の自由発射 ICBMミサイル)を披露。どこからでもICBMミサイルを撃つことができる。恐ろしい『おそロシア』。この『キンジャル』という超音速ミサイル ICBM核ミサイルを持っているのは、ロシアだけである。さらに愛国心教育にも力を入れている。愛国心=プーチンに賛成する国民ということ。またテレビでも愛国心教育や“KGB仕込みの人心掌握術”で、テレビ番組『プーチンホットライン』で悩み相談にも応じている。

しかし、やらせではないか? ともいわれている。なぜなら生放送で「この建物は1927年建設の……」等と答えられるわけがないからだ。

プーチン氏の武器は“KGB仕込みの人心掌握術”である。(池上彰番組参照)


ロシア・旧ソ連問題解決への道  プーチンのロシア (毎日新聞記事参照)


ソ連崩壊から30年そして40年。どう見る日ロ首脳会談…という問題がある。安倍晋三首相(当時)とプーチンロシア大統領の会談は今回で 数十回目を数えた。最近は、通訳だけを入れた外交用語で「テタテ」(フランス語で一対一の意味)と呼ばれる会談が目立ち、山口県長門市では過去最長の 95分間にも及んだ。制度上プーチン大統領は、2018年の大統領選で再選し24年まで。安倍首相も自民党総裁選任期に伴い21年まで続投が可能になった。今のところ国民の支持率の高い両首脳。状況によっては接触する機会は今後も続く。

(2022年のロシアのウクライナ侵攻で、関係は最悪に)

また安倍晋三首相(当時)は 2018年11月16日の内外記者会見で、ロシアとの北方領土も交渉の進展や平和条約締結に改めて強い意欲を示した。平和条約締結のあと、歯舞諸島と色丹島を引き渡すと規定した日ソ共同宣言(1956年)を基礎に交渉を加速化することで合意した首相とプーチン大統領。しかし、プーチン氏は両島の主権も協議対象だと、日本をけん制し、引き渡し後の 2島に米軍基地がおかれることにも強い懸念を示している。日本が既定路線と考える二島の返還も、主権や安全保障問題などを巡って厳しい交渉となる見通しだ。

「私とプーチン大統領との間で双方に受け入れ可能な解決策を至りたい。平和条約交渉の仕上げを行う決意だ」。安倍首相は2018年11月16日、訪問先のオーストラリア・ダーウィンでの内外記者会見で北方領土問題解決への意欲を改めて示した。

北方領土をめぐる日露の立場

日ソ共同声明 (1956年10月)日本とソ連の「戦争状態の終結」を宣言し、「平和条約締結後、歯舞、色丹を日本に引き渡す」と明記

日本  「歯舞諸島、色丹諸島の主権」  2島が返還されることになれば当然日本の主権も確認される(菅義偉官房長官) ロシア 日ソ共同宣言では「2島を引き渡しについて」どちらの主権になるのかは記されていない(プーチン氏)

日本 「歯舞諸島、色丹島への米軍基地整備の可能性」 北方領土は非軍事化するのが日本の考え方だ(首相) ロシア この地域での軍事同盟(=日米同盟)の多くの点に心配せずにはいられない(プーチン氏)

日本 「国後島と択捉島の扱い」 日ソ共同宣言に基づいて二島の返還を確保した後、国後、択捉両島の帰属問題を決着   ロシア 日ソ共同宣言には国後、択捉両島の事実はなく国交交渉対象にならない


そこが聞きたい ロシア革命から100年

名古屋外国語大学学長亀山郁夫氏談(毎日新聞記事参照)



ロシア革命とは何だったのでしょうか ?

ロシアがたどった歴史をみると革命は一つの宿命だったと考えます。1917年主に第一次世界大戦に起因する、窮乏と不安で、国民の間に不満が蓄積し、アナーキー(無秩序)な状況が生まれていました。ロシア人には精神的なものへの過度の思い入れや、狂気に似た気質があります。私はとくに後者を「ベッソフシチナ(悪魔つき)」と呼んでいます。

当時、爆発した国民のベッソフシチナを抑え込むための「力」が必要とされ、それが革命に結び付いたのです。

ロシアのように領土が広く、民が分散している国家を支配するには、それだけ強大な権力が必要です。ベッソフシチナは個人から国家レベルまで存在しており、周期的に発生します。

ロシア革命の意義をどのように評価しますか ?

革命は人類史的な実験で世界に対するロシアの貢献ともいえます。人間が英知を持って生きている以上、試さざる得なかった実験でした。革命はロシアの精神性と歴史的な状況があってこそ可能になったのだと思います。また、革命は 20世紀のソ連に優れた芸術と文化を生み出しました。

一方、革命後のロシアでは、内戦や赤色テロ(反革命派への弾圧)、飢饉(ききん)などで一〇〇〇万人超の犠牲者が出ました。これは第1次大戦の犠牲者を大きく上回ります。

革命が生み出したソ連は 91年末になぜ崩壊したのでしょうか?

ソ連がハイテク革命に乗り遅れ、西側との軍拡競争で疲弊したためとするのが定説で、他方、私はゴルバチョフ(元ソ連大統領)が、革命の「原罪」を自覚したことが、崩壊の原因とみています。歴代の指導者は「レーニンの革命」が多大な犠牲によってなりたったという認識はなく、むしろそれを隠ぺいしてきました。革命が犯した「原罪」を初めて自覚したことで、革命の国家が終わりを迎えたのです。

ゴルバチョフは、どこかの段階で武力を行使してエリツィン(ロシア初代大統領)を拘束するなどすれば、ソ連崩壊を食い止めることができたはずです。しかし90年にノーベル平和賞を受賞していたゴルバチョフは、暴力を選びませんでした。ゴルバチョフはロシア国内でまったく人気がなく、優柔不断だと言われますが、現実をよく知っていたと思います。

ロシアで独裁者のスターリンを懐かしむ風潮があるようですが ?

私たちはスターリンを「悪の代名詞」とみますが、ロシア人にとっては「力」のイメージです。それは、神や信仰に代わる何かで、単に「強力なリーダーシップ」や「あの時代へのノスタルジー」とは違います。「あの時代へのノスタルジー」ではなく。ソ連崩壊後のロシア人は、自信喪失に陥りました。グローバリズムに取り残される中で、ロシア人が頼れるのは「伝統的な精神性」しかなく、その力を体現する存在がスターリンなのです。

プーチン大統領が国民から高い人気を得ているのも、経済制裁などで苦しむ今のロシアで「自分たちが強い国の中にいるんだ」という安心感を与え、ロシア人であることの誇りを何とか支えてくれるのがプーチン氏だからではないでしょうか。

ロシア革命から学ぶべきことは ?

ロシア革命を動かしただけでは最終的にはポピュリズム(大衆迎合主義)でした。ポピュリズムはただ「長いものに巻かれたい」というのではなく、夢や理想があります。その力やエネルギーは、良い方向にも悪い方向にも、動きます。革命後独裁化するボリシェビキ(レーニンが指導する社会主義急進派)の無軌道さに対して、労働者や農民は「レーニンなき革命を」と言い出しました。レーニンといえどもコントロールできない状態になり、暴力的な政策がとられるようになりました。しかし、プーチン氏などを見ていると「革命はまだ続いている」という指摘は大いにうなずけると思います。ロシア人にとって「権力」や「リーダーシップ」とはイコール「力」なのです。

 ロシアがクリミアを欲しているのは「不凍港」が欲しい、ということです。サハリン(樺太)も、北方領土もウラジオストクも、冬になれば港が凍ってしまいます。

 だからこそ、ロシアは不凍港を求めて、歴史的に南下政策をとるのです。

 また、「ロシアにとってウクライナは高天原のようなものだ」という麻生太郎財務大臣(当時)の表現は独特ですが、麻生さんはなかなかよくご存じです。

 ウクライナはボルシチの発祥地。また、ナイチンゲールやトルストイもウクライナです。

 プーチンの独裁政権ですが、「言論の自由」がないことより恐ろしいのはプーチンの敵を、スパイ組織や謀略が大統領に忖度して、次々に邪魔者を殺害していることです。

 本当はプーチン氏が暗殺命令をだしているのか?わかりませんが、本当に恐ロシア、です。これでは民主主義国家ではない。この問題こそ重要ですね。


日露首脳会談  北方領土をめぐる主な動き*肩書きは当時

                         (毎日新聞記事参照)

1945年8月~9月 ソ連が対日参戦。南樺太と千島列島・北方四島を占領

1951年10月 サンフランシスコ講和条約調印。日本はサハリン南部(南樺太)と千島列島を放棄するが、のちに北方四島は千島列島に含まれず、日本固有の領土と主張。ソ連は条約に署名せず。

1956年10月 *『日ソ共同宣言』。鳩山一郎首相が訪ソし、ソ連のブルガーニン首相との間で日ソ共同宣言に署名。日ソの「戦争状態」の終結終了とともに、「平和条約締結後、歯舞、色丹を日本日本に引き渡す」と明記した。両国議会の批准を得て同年十二月に発行し日ソは国交回復。

1960年1月 ソ連のグロムイコ外相が対日覚書。日米安保条約改定を理由に「日本領土からの全外国軍の撤退」を2島引き渡しの条件に追加。

1961年9月 フルシチョフ首相が池田勇人首相あての書簡で「領土問題は解決済み」と表明。

1973年10月 訪ソした田中角栄首相と会談でブレジネフ書記長が「戦後の未解決の諸問題」に北方四島の問題が含まれていると口頭で確認。平和条約締結交渉の継続に合意。

1990年1月 エリツィンソ連人民代議員大会代議員が①領土問題の存在を宣言②日本企業の一致を容易にする自由興業地帯化③非軍事化④平和条約締結⑤最終的な解決の5段階返還論を提唱。

1991年4月 ゴルバチョフ大統領が来日。日ソ共同声明で「歯舞、色丹、国後、択捉の帰属について双方の立場を考慮しつつ領土確定」を話し合ったと表現。対象は4島と明記。大統領がビザなし交流を提案。

1991年12月 ソ連崩壊。

1992年4月 渡辺美智雄外相が四島の主権を認めれば、国後、択捉、両島の施政権を一定期間認める「2段階返還」を表明。

1992年5月 ビザなし交流の日本側訪問団が国後、色丹、択捉の3島に発渡航。

1993年10月 *『東京宣言』。エリツィン・ロシア大統領が来日。東京宣言で、北方領土問題ついて「択捉、国後、色丹、歯舞の帰属に対する問題」と明記。「法と正義を基礎として解決する」との原則を示す。

1997年11月 *『クラスノヤルスク会談合意』 橋本龍太郎首相が訪ロし、エリツィン大統領との非公式首脳会談で「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」と合意。経済協力に関する橋本エリツィンプランも発表。

1998年4月 *『川奈提案』 橋本首相がエリツィン大統領に、北方四島の北側(択捉島とウルップ島の間)に国境線を引き、当面はロシアによる四島の施政権を認める解決案を提案。

2001年3月 *『イルクーツク声明』森喜朗首相が訪ロし、プーチン大統領との首脳会談で日ソ共同声明の法的有効性を確認。東京宣言に基づき、四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する方針で合意。

2003年1月 小泉純一郎氏が訪ロし、プーチン大統領との首脳会談で両国関係の指針となる日露行動計画を発表。平和条約交渉加速や経済協力など 6分野での関係強化を確認。

2004年9月 小泉首相が海上から初めて北方領土を視察。

2010年11月 メドベージェフ大統領が国後島を訪問。国家元首として初めて北方領土に上陸。

2012年3月 *『「引き分け」発言』 プーチン首相が一部外国メディアとの会見で引き分けという日本語を持ち出し、両国が受け入れられる形で最終的に解決したいと発言。

2012年5月 第2次プーチン政権発足。

2012年12月 第2次安倍政権発足。

2013年4月 安倍晋三首相がモスクワでのプーチン大統領との会談で、双方とも受け入れ可能な解決策を得るための交渉加速化を確認。外務、防衛閣僚級会談する閣僚級協議(2プラス2)の開催や幅広い経済協力でも合意。

2016年5月 *『新アプローチ』安倍首相がロシア・ソチでの首脳会談で、北方領土問題解決に向けた突破口を開くため、今までの発想へとわらとらわれない新しいアプローチをプーチン大統領に提案し合意。

2016年9月 ウラジオストクでの日露首脳会談で、安倍首相とプーチン大統領が十一月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会談に合わせてペルー・リマまで12月15日に山口県長門市で首脳会談を行うことで合意。

2016年11月 安倍首相とプーチン大統領がペルーで会談し、北方領土での共同経済活動について協議

2016年12月 *『共同経済活動』安倍首相とプーチン大統領が、15日に山口県長門市、16日に東京で会談。漁業、観光、医療分野などで共同経済活動の条件や形態を協議するよう両政府の関係省庁に指示。

2018年11月 日露首脳会談の共同宣言を基礎に、平和条約締結交渉を加速することで一致。

2022年ロシアのウクライナ侵攻で関係悪化。交渉どころではなくなる。



        ロシア問題「おそロシア」? 驚愕の暗黒帝国化?


現在のロシアは中東外交に腐心している。米ロ首脳会談では、内戦が続くシリアを中心とした中東情勢も主要議題となった。優位が鮮明なアサド政権の後ろ盾でもあるロシアに対し、働き掛けを強めているのがイスラエルとイランだ。ロシアは、シリアとシリアへの影響力を持つイランと友好関係を維持しながら、イランと敵対するイスラエルとの協調を模索。対米カードでの利用をにらんだバランス外交を展開している。またロシアは、ウクライナ問題、クリミア問題や、ジョージア(旧・グルジア)の問題なども深刻化を深めている。(毎日新聞記事参照)


近年ロシアの関与が疑われている主な案件(毎日新聞記事参照)

リトビネンコ氏毒殺 2006年十一月、英国に亡命していた元KGB職員リトビネンコ氏が猛毒を盛られて死亡。英当局はロシア情報機関員の犯行と断定したが、ロシア政府は暗殺を拒否

ボリス・ベレゾフスキー不審死 2013年3月。新興財閥ロゴバスの総裁でエリツィン、プーチン大統領を支援したロシアの政商(オリガルヒ)。その後、プーチンと対立の末、亡命先の英国の自宅浴槽で不審死。

ボリス・ネムツォフ射殺 2015年2月。エリツィン政権時代の第一副首相。その後、プーチン政権を批判する野党指導者に。ロシアのウクライナ軍事介入を厳しく批判。クレムリンの近くで射殺。

ロシアゲート ロシア当局が16年のアメリカ大統領選で民主党全国委員長から、ハッキングした疑惑など。ロシアとトランプ候補の癒着とも疑われている。米連邦大陪審は7月KGB情報部員12人を起訴した。

ロシア人暗殺未遂 2018年三月、英国に亡命していた元GRU将校と家族が、神経剤を盛られて、一時は意識不明。英国の捜査当局や報道によると GRUの情報部員や軍医が実行した疑いが浮上。

OPCW侵入未遂 2018年四月、GRU情報部員が、オランダのハーグにある化学兵器禁止条約禁止期間(OPCW)のハッキングを試みたとしてオランダ当局が4人を国外追放に

WADA侵入未遂  米司法省が 2018年十月、GRU情報部員が16年に世界反ドーピング機関(WADA)の関係者が宿泊したホテルにハッキングを試みていたとして起訴

アメリカ中間選挙介入   米司法省が2018年十月中間選挙に介入する目的で政治的な対立をあおった疑いでロシア人女性を起訴

ノルウェー・スパイ ノルウェー警察が2018年10月、スパイ容疑で交流していたロシア人の上院スタッフを釈放。

ロシア反体制派指導者ナバリヌイ氏暗殺未遂 2020年、ロシアの空港で紅茶を飲んだ後、搭乗した国内線の機内で、意識を失い入院。死の寸前までいったが、ドイツが亡命を認めて治療。命を取り留める。ドイツに亡命。毒薬ノビチェクでの毒殺未遂。


どうなる北方領土  東京宣言については「こうした硬直した発想では領土問題は一歩も進まない」という声が日露双方にある。「四島の帰属問題を解決」という表現は「返還」とは異なる中立的なもので、島の帰属は交渉次第ということだからだ。

日本にとってリスクもある。

ただ、そこにとどまらない重要な意味がある。すなわち、四島の帰属は未解決の領土問題であって、それを解決しなければ平和条約が締結できないことを両国は認めたものだ。56年宣言は歯舞、色丹の2島しか言及していなかった。

今になってプーチン氏は、 56年宣言と区別するために、東京宣言が国会の批准を得ていないことを持ち出すようになった。「国会の批准がないので法的拘束力がない」と言いたいのだろう。しかし、そうした国際合意はいくつもある。

プーチン氏は「56年宣言では国後、択捉は問題外」とし、2島を日本に引き渡すとしても、両島の主権がどちらの国のものか、どんな条件で引き渡すかは記されていない、とさえ述べている。

一方、「平和条約締結後も残された問題を話し合うつもりだ」とあいまいな言い方をするのは、日本に期待を持たせる必要があるからだ。日米を分断し、経済面では圧倒的に強い中国に対抗するカードとして日本を取り込みたい事情がある。

在命の元島民の平均年齢が 83歳になり、北海道の地域経済が疲弊していることも承知している。本質は国家主権の侵害にどう対応するか。尖閣諸島問題などにも悪影響が出かねない。首相官邸はロシア側の発想や対日政策の基本を把握せず、一方的幻想を抱いているのではないか。

つまり「2島先行」ではなく「2島ぽっきり」の交渉である。しかも、プーチンロシア大統領は「安倍晋三首相(当時)から『56年宣言』と言ってきた」「主権(の問題)はこれから」と話している。「日本から言い出した話につきあってはやるが、わが方の前提ではロシアに主権がある」というわけだ。

歯舞諸島と色丹の2島について仮にロシアが日本の主権を認めても、色丹には現在、約3000人のロシア人が住んでいる。引き渡しを渋るのが当然で、「歯舞(の返還)は即時で、色丹は50年後」などと時期に差をつけることも考えられる。色丹の引き渡しには補償を要求されるだろうし、排他的経済水域の交渉は島の帰属と切り離される可能性もある。さらに、ロシアによる島占領の合法性についての両国の「歴史認識」の違いに足を取られないか。正しい結論をつくれるか。

日本の教育では、日本がポツダム宣言を受諾した後に旧ソ連軍が北方領土を不法占拠したように教えているが、史実は異なる。

ヤルタ会談やカイロ会談などの戦勝権益に関する話し合いで、当時のスターリンは対日参戦の見返りとして北海道の北半分を要求した。しかしアメリカのルーズベルト大統領はこれを認めずに、「南樺太を返還して千島列島の内南クリル(北方四島)をロシアが取る」代案を示した。

最終的に決着したのはトルーマン大統領の時代で、旧ソ連は“正式な戦利品”として北方四島を含む千島列島を得たのだ。

明治以前の帰属は双方に言い分があって不明だが、明確な事実は日露戦争以降、日本が南樺太(南サハリン)と千島列島(クリル列島)を領有していたこと。そして第2次大戦の結果、戦勝国の旧ソ連は南樺太と千島列島を奪い取ったのではなく、“戦利品”として与えられたということだ。

おかげで敗戦国の日本はドイツのような「国土の分断」を免れた。

こうした視点が日本の歴史認識に欠けている。

こういった話は、尖閣問題における中国の姿勢と通じるところがある。

“日ソ不可侵条約に反して宣戦布告なく北方四島を占領した”と日本では信じられているが、樺太と異なり、旧ソ連軍の侵攻・占領は終戦後である。

北方領土の四島一括返還論にしても、「北方四島は日本固有の領土であり、四島が揃って返ってこなければ日ロ平和条約は結ばない」と外務省が言い出したのも、1956年のダレス米国務長官と重光葵外務大臣のロンドンでの会談がきっかけだ。

当時、領土交渉が進展して日ソ関係がよくなることを警戒したダレスは、沖縄返還の条件として、旧ソ連に対して「(呑むはずのない)四島一括返還」を求めるように重光に迫った。つまり、四島一括返還論は旧ソ連に対する“アメリカの嫌がらせ”から始まっているのだ。

戦争終了後、10年間もの間、日本はそのような要求はしていなかった。

外務省は長い間「北方四島返る日、平和の日」と書いた垂れ幕を、屋上から掲げていたが、アメリカの忠犬ポチとしての同省の性格がよく出ている。

安倍首相(当時)との首脳会談でプーチン大統領は、他国との領土問題を解決した方式として係争領土を等分する「面積等分」を紹介したという。北方領土問題に関しても「面積等分論」を持ち出す可能性は高く、日本政府と外務省は過去のペテンを国民にきちんと説明し、これを受け入れるべきだ。そして直ちに「日ロ平和条約」を締結すべきだ。

四島の面積等分なら、歯舞、色丹、国後の3島と択捉島の一部が還ってくる。択捉に関しては面積等分で島の3分の1程度で軍事境界線のような線引きをして中途半端に返してもらうのなら、「島全体を日ロの共同管理」にする手もある。

日ロが接近しすぎるとアメリカが妬くし、択捉上空は重要な航空路でもあるため、共同管理にアメリカを加えてもいい。

実は、北方領土問題でロシアの最大の関心は領土ではない。

そこで生活しているロシア人の処遇についてだ。旧ソ連が崩壊したとき、ウクライナやカザフスタン、ベラルーシ、バルト3国などに暮らすロシア人はロシアに引き揚げる場所も資金もなかったので、それぞれの国に残って国籍をもらった。

旧ソ連が横暴を極めていた時代の裏返しで、在留ロシア人が各国でいじめられたり、虐げられている話がロシアで伝えられている。親戚や友人などもひどく気をもんでいて、内政上は、大切な問題なのである。北方領土に暮らすロシア人が同じ憂き目に遭うことをプーチン大統領は憂慮しているはずで、解決策を提示しなければいけない。

それで、2022年のロシアによるウクライナ侵攻であったのだ。

キーワードは「寛容」で、少なくとも3つのオプションが考えられる。

第1は日本国籍を与える。第2は、グリーンカードのような形で居住権を与えて、ロシア国籍は残す。3つ目は一時支度金のようなものを支払って、本人が希望するところに移住してもらう。このような人道的な選択肢を与えて優遇する国はいまだかつてないから、ロシア人も感激するし、日ロ友好に前向きになってもらえるだろう。

領土問題を解決し、平和条約を締結すれば互いの行き来も投資も非常に楽になる。すでにエネルギー分野のビジネスは動き出していて、サハリンで発電した400万キロワットの電力を直流高圧送電で日本に送るプロジェクトがサハリン地方政府から出ている。400万キロワットといえば「原発4基分」である。

海底ケーブルを使えば、これを東北電力や東京電力の管内まで持ってこられる。サハリン側は25年の実動を目標にしているが、急げば5年以内に可能だろう。これに刺激を受けたのがウラジオストクで、バイカル湖から東のオイルやガスがパイプラインでウラジオストクに集まってくるプロジェクトが進行中だ。これをLNG(液化天然ガス)で輸出したり、海底パイプラインを敷設して直接日本に持ってきたり、現地で発電した電力を(東電の送電網が完備している)直流高圧送電で、新潟の柏崎・刈羽などに送る案が有力である。日本海側に受け入れ基地を造れば、福井や新潟など、退潮する原発を代替する産業拠点となり、環日本海経済圏の重要基地として期待できる。

そうすれば、新潟、富山、石川、福井などで、LNGやガスパイプラインの陸揚げ基地争奪戦となるだろう。「日ロ経済連携」の第1ラウンドはエネルギーであり、ガスパイプラインや直流高圧送電で日本とロシアがシームレスにつながる。

この意味は非常に大きい。

カタールなどからバカ高いLNGを買っている日本としては、価格交渉力がアップするだけでなく、アメリカのシェールガスに涎を垂らす必要もなくなるからだ。

第2ラウンドは、日本企業の輸出基地を極東ロシアに展開することだ。極東ロシアに工業団地を建設し、現地で組み立てて、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクなどの西部の主要都市、さらにヨーロッパに製品を送るのだ。

極東ロシアの生産拠点とシベリア鉄道による陸送ルートを確立すれば、対ロ輸出の枠組みが広がる。また、先々、ロシアがEUに加入すれば日本はEUの隣国となり、産業政策上、非常に重要な基地ができる。産業と仕事が少ない極東ロシアでの雇用創出は、願ったり叶ったりだ。

さらに、日本海を挟んで、子供や学生などの人的交流も活発に進めて、両国にある警戒感や猜疑心を解きほぐしていく。

第3ラウンドは原子力。日本は核廃棄物の最終処分場を持っていないし、中間貯蔵施設すら圧倒的に不足している。そうした施設の受け入れにロシアの広大な国土の一部を使わせてもらう。ロシアが不得意なことを日本が補完し、日本にできないことをロシアに助けてもらうのだ。

北方四島にこだわるあまり、関係の深化が手つかずだった日ロ関係には、互いの閉塞状況を打ち破って突破口となりうる経済的に魅力ある項目がいくらでもある。日本政府は気合を入れて今年中に平和条約を締結し、目玉の乏しい第3の矢(成長戦略)に本稿で述べたような前向きなロシアプログラムを加えるべきではなかろうか。

「領土を返せ! 返せ!」ではなく、ロシアとの間でシベリア共同開発や日露間の経済交流を密にしてから「ところで北方領土ですが…」という外交センスが欲しい。

「日露安全保障条約」「まずは二島返還」で「ひきわけ」「はじめ」ということ。

ロシアの極東発展相は北方領土問題について日露がまず四島の共同開発を通じて協力関係を築き、そのうえで解決を将来の世代に委ねるべきだとの見解を表明しました。またプーチン大統領と森喜朗元首相(当時)の会談について「首脳会談に繋がる建設的な会談だった」と評価し、首脳会談での成果に期待するという。

だが、大前先生はイシャエフ氏には申し訳ないが日露の共同開発を日本側が受け入れることはないだろうといいます。「共同開発」となれば「帰属問題」を明確にする必要もあり、パスポートの問題など細かい点の調整も必要となる。四島一括返還を主張しているだけでは堂々巡りになるだけなので意味がない。だから森氏とプーチン氏との間で「今年中にいくつかの策をだして、それをベースにまた話し合いましょう」と上手な言い回しをしている。

日本の北方領土の歴史認識はある意味尖閣に対する中国に似ている。

中国が最近トーンダウンしているのも「歴史的には台湾の問題だ」と中国人が気付いたからです。

森氏は正しく理解していますが、政治家やジャーナリストの中にもこの事実を知らないひとが沢山います。

あまりにも多くの論点を安倍政権のうちにクリアするのは難しいと考えざる得ない。おそらく、「残された問題を真剣に協議する」といった条項を入れた(平和)条約を先に締結して、さらに年月をかけて問題を協議するということになるだろう。

日本政府は、56年宣言のある段階まで「 2島返還」で決着する気だったが、その歴史を忘れて「そもそも四島返還を要求していた」という上書きした記憶に縛られてきた。

安倍首相(当時)は、北朝鮮との国交正常化と同様、歴代首相が果たせなかった外交課題を自らの手で解決したかったのだろう。安倍首相(当時)は「外務省が思い通りに動かない」と不満だったが、外務省は「いま交渉したら、2島も得られない」とわかっていたに違いない。そこで、官邸主導で四島での共同経済活動の日露合意など変化球をつかって動かそうとした。だが、うまくいくはずもなく、結局、主権という問題の出発点に戻ってきた。首相は、いずれ国会で「択捉、国後を捨てるのか?」と聞かれる。否定しなければ「国有の領土」を捨てた「売国奴」といわれかねない。四島を「国有の領土」だといえば、ロシアは安倍首相を交渉に値する相手とみなさなくなるだろう。また、「北方領土に日米安保を適用しない」となれば、尖閣諸島などでも他国に同様の理屈をつけつけられる余地が生まれてしまう。

安倍首相(当時)や菅義偉や後継者・岸田文雄首相にこの「地獄への道」を耐える覚悟があるのだろうか。下手をすれば、「領土問題で成果を上げて衆院解散」どころか、側近らも離反しかねない事態となる。結局は大山鳴動してネズミ一匹も出ず、となるのではないかと危惧している。(ウクライナ侵攻でもうロシアはそれどころではないが)

(毎日新聞記事参照)


  ロシア軍(プーチン)VS.ウクライナ侵攻『旧ソ連の歴史と弾圧・血の歴史』


 ウクライナはロシア連邦のとなり(東ヨーロッパの一部/かつてのソ連邦の一部)人口4千159万人。面積は日本の約1・6倍(出典外務省)。

 首都はキエフ(但し、キエフはロシア語読み。ウクライナ語では〝キーウ〟)ウクライナでは〝キーウ〟と呼んでほしいと。それで、〝キエフ〟が〝キーウ〟に名称がかわった。ウクライナの国旗は上半分が水色(空)、下半分が黄色(小麦畑)。ウクライナは『豊かな農業国』。ウクライナ発祥の料理は『ボルシチ(ウクライナ伝統の煮込みスープ)』。元々、ロシアとウクライナは同じ国だった。ウクライナのキエフとモスクワ辺りは(8世紀末~13世紀)までキエフ公国といって、そこを基点にのちのロシア帝国(帝政ロシア)へと発展していった。

 日本でいえば京都とか大和の国のような。

「ウクライナがNATOに加盟するのは許さない!」と、プーチン大統領。元々、百年くらい前はソ連だった。〝ソビエト〟とはロシア語で〝会議〟のこと。

 ソ連は、ロシア+バルト三国(リトアニア・ラトビア・エストニア)+ベラルーシ(白ロシア)+ウクライナ+モルドバ+ジョージア(グルジア)+アルメニア+アゼルバイジャン+カザフスタン+ウズベキスタン+トルクメニスタン+キルギス+タジキスタン。(ソ連15か国の巨大な連邦)。(ウクライナ戦争で、フィンランドとスウェーデンもNATOに加盟しようと動いた。ロシアへの脅威が原因である)。

 ソ連の正式名称は『ソビエト社会主義共和国連邦』(1922年~1991年)

 ざっくり説明すると、社会主義が「平等(悪平等)」、資本主義が「自由(格差の拡大)」。ソ連が世界で初めて社会主義を採用した。連邦は二つ以上の国や州が集まった国家(アメリカもそう)(日本の都道府県とは違う)。

 ソ連邦は連邦は建前で、中心はソ連共産党のコントロール下。もちろん、15か国の中には、「ソ連に入りたくない」と抵抗した国もある。軍事力で抑えた国も。

 レーニンは帝政ロシアと戦っていた。ウクライナも帝政ロシアと戦っていた。〝敵の敵は味方〟とレーニンは「ウクライナを国家と認めます」と仲間につけた。だから、ウクライナは帝政ロシアと戦った。だが、ロシア革命後、建国でレーニンは「いやいや、ウクライナはソ連邦の一部がいいよね?」と一部にした。武力で攻撃したという。

 ウクライナにはソ連と戦ったひともいるし、帝政ロシアと戦ったひともいるし、親ロシア系のひともいる。ウクライナは「ソ連がいい(親ソ連・ロシア派)」という国の東側と、「西側に入りたい」とする「反ソ連・ロシア派」の西側に二分されている。

 ベラルーシに関しては、〝ベラ〟が「白」、〝ルーシ〟が「ロシア」だから、親ソ連・ロシア派が多い。

 このソ連とアメリカが戦後、激しく対立したことを『東西冷戦』という。

 戦争というが、頭のおかしな人間が「どこで戦ったの?」ときくが、戦ったら「冷戦(冷たい戦争)」ではなく、「熱戦(熱い戦争)」である。

 アメリカとソ連(現在のロシア)はどこででも戦ってなどいない。

 ベトナムとかキューバとかアフガンとかで代理戦争はあったが。直接に戦わずに、睨みあっていたからこそ『東西冷戦』なのだ。

 第二次世界大戦終了すぐの頃は、ソ連の技術力・軍事力・経済力も物凄く発展していた。西側より、発展していた。世界初の人工衛星「スプートニク」。世界初の有人宇宙旅行「ガガーリンショック」。当時、ソ連が西側に攻めてきたら大変だ、と軍事同盟が西側・西欧州や米国でつくられた。これが、NATO(北大西洋条約機構)である。1955年のことだ。

「日本はNATOの〝グローバルパートナー〟」といわれるが、日本が北大西洋条約機構に入っているわけでもなく、日本は憲法で戦争を禁止していますし。NATO自体がソ連・ロシアと西太平洋で戦闘状態になることを想定した軍事同盟で、日本は戦争はしないけれど情報は〝やり取り〟しましょう。ということですね。

 ソ連はNATOに対抗するためにワルシャワ条約機構をつくった。(ポーランドのワルシャワでの発足だが、本拠地はモスクワ)(加盟国は東ドイツ・ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア(すぐに脱退))。

 その巨大な旧ソ連(現在のロシア)は三十年前くらいに崩壊(社会主義がうまくいかなくなった。働いても働かなくても給料は同じなので誰もがさぼる。国営企業ばかりで競争原理もなく、経済が低迷・停滞。アメリカとの軍事競争で軍事費が膨大となり、東欧などの西側脱退などで)した。

 きっかけは、ソ連の大統領・ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)。ソ連国民が「ソ連とは我が国はここまで酷いのか!」と目が覚め、のちに、ベルリンの壁崩壊、ソ連邦も91年に崩壊し、東西冷戦も終結した。

 バルト三国(現・NATO加盟)もソ連崩壊前に独立し、ソ連も国として独立を認めたのでプーチンやロシア軍がバルト三国に侵攻していない。

 当時、ゴルバチョフの頃のソ連(現・ロシア)は経済がガタガタで、バルト三国の独立も認めざる得ないほど行動がとれなかった(ゴルバチョフがバルト三国や東欧に軍事侵攻しないと約束した)。現在のロシアは石油や天然ガスで豊かな経済になったので、プーチンがウクライナやジョージア(旧・グルジア)に軍事介入している。

 ロシアではプーチン独裁というか。初代のロシア大統領はエリツィン大統領(当時)であったが、二代目がプーチン大統領で、次がメドベージェフ大統領だが、メドベージェフはプーチンの子飼いで、プーチンが首相になり、大統領の任期などかえてしまった。で、またプーチンの大統領に。ロシアでは国際社会の言う「ウクライナ侵攻」や「戦争」とはいわない。『(ウクライナの親・ロシア派への)平和維持活動』といっている。ロシア国内で「戦争」などといえば逮捕されるのだ。プーチンは野党の指導者で人気があったナワヌルイ氏を逮捕して、刑務所送りにした。

 地方のロシア国民は「(天然ガスや石油で)ロシアを経済大国」にしたプーチン、と人気が高い。でも、都心部の若者はそのペテンがわかっている。だが、ロシアのほとんどは地方都市ばかりなのでプーチンの人気はいまだに高い。まあ、戦争をやっているし、軍事侵攻を犯しているのだが。国際司法裁判所(国を裁く)や国際刑事裁判所(戦争犯罪人の人を裁く)にしても、ロシアは加盟していないからロシアにいるうちはプーチンは逮捕されない。

 逆に、欧米の経済制裁で、「悪いのは欧米」「われらのプーチン大統領頑張れ」と人気がもっと出て、プーチン大統領の独裁政権が永続する可能性があります。

 西側は、プーチンはもう終わりだ、というがそう簡単なことではない。

 ロシアは常任理事国だから〝拒否権〟もあるし。国連総会で非難決議も採択されたがごまめの歯ぎしりというか。中国はロシアから天然ガスや石油を買うが。ウクライナも怒らせたくない。

 中国はウクライナから空母を購入しているし、世界の消費の半分の豚肉の肥料(トウモロコシ)のほとんどはウクライナから買っている。そう簡単に、ロシアのプーチン大統領がおわる訳ではないということ。戦争が停止したとしても、ロシアのプーチン大統領がすぐに失脚とか暗殺されたりするわけではないということ。もうプーチン大統領はおわりだ、はあまりに甘い考えだ。

ウクライナの親・ロシア派住人、ジョージア(旧・グルジア)にも勝手に南オセチアとかもうひとつの国を勝手にロシアがつくって、ロシア軍をそこに駐留させ、軍事介入している。言いたいことは「NATOに入るな!」ということ。

 プーチンはソ連崩壊を『20世紀最大の地政学的悲劇』という。第二のソ連をプーチンは目指している。ソ連崩壊の時に、プーチンはKGBのスパイとして、東ドイツにいた。彼は三十代後半であった。

「西側にしてやられた」とプーチンのトラウマになった。

 東欧やウクライナは「ソ連が嫌だから、西側について独立した」だけだが、プーチンにしたら、「西側にしてやられた!」と感じたわけだ。

 ウクライナが「NATOに入りたい」と。それをプーチン大統領は「(ソ連を一緒につくった国が)西側NATOに入るのは許さない」と。

 ロシア軍をウクライナに侵攻させ、ウクライナの東部のルガンスク州に「ルガンスク人民共和国」を、ドネツク州に「ドネツク人民共和国」を勝手に作り、ロシア側がこれを勝手に承認し、「親ロシア派住民を守る」という大義名分のもとに軍事侵攻した。

(頭のおかしな人間は「ウクライナ軍がその親ロシア派住民を大虐殺した」というがデマである)(そいつは馬鹿で、ググった付け焼刃情報(ウクライナの〝ホロドモール・飢餓のトラウマ〟)がなんたらと学者ぶるのが精一杯であるだけ。)

 また、ロシア軍は2014年からクリミア半島に、「親ロシア派住民を守るため」という大義名分で駐留し、占領状態になっている。そこでのロシア軍とウクライナ軍の戦闘で一万八千人が戦死している。(ウクライナ軍からの大虐殺・ジェノサイドはデマだ)

 2014年に親欧米派の大統領(ゼレンスキー氏)誕生により、ロシア軍が〝正体不明の軍隊〟(プーチンは「民兵だろう」と嘘)侵攻した。そのニュースはそれほど大きく扱われなかったが、今回は、大ニュースになっている。

 その当時のウクライナ軍は全部で二万ほど。武器もほとんどなかった。

 だが、それからウクライナ軍は二十万になり、欧米から最新式の武器も提供されている。

 今回のウクライナへのロシア軍軍事侵攻で、ロシア軍がチェルノブイリ原発を占拠したり、ウクライナ最大の原発を占領したり………経済制裁にしても短期間で効く〝即効性〟はない。「輸出入禁止」「資産凍結」「航空機の受け入れ禁止」「銀行の取引からの排除」「SWIFT(世界的な金融決済ネットワーク)を凍結」……ロシアが妥協するか、ウクライナが妥協するのか? ……とにかく、戦争状態を脱するための世界の苦悩は続く。

ウクライナからの戦争難民も凄い人数になっている。

ロシア経済制裁は、日本にとっては「天に向かって唾を吐く」ようなもの。

ロシアVS.ウクライナ戦争。ロシア国家・軍と在日ロシア人は関係ない。差別やヘイトに騙されないで! 煽っているのは差別主義者! 絶対に、迎合しないで!

欧州連合(EU)などは先月26日、ロシアの銀行を各国の主要金融機関が参加する国際銀行間通信協会(SWIFT)から排除することで合意しました。

ロシア軍のウクライナ侵攻により被害が拡大していることを受け、足並みを揃えた。

ロシアに強い圧力をかける必要があると判断したのです。

ですが、ある銀行を米国は排除対象としているのに、同じ銀行を排除対象に含めない国もあるなど、足並みは揃っていません。

もしロシアをSWIFTから完璧に排除するとなれば、それは中国が得をすることにつながっていくだけです。

中国とロシアはお互いの通貨で交易が可能なので、天然ガスが売れなくなった場合は例えば中国に売ることになるからです。

ロシアも苦労はするでしょうが、何とかなってしまう可能性は高いと感じます。イランもSWIFTから排除されて長い間苦労していますが、耐えて生き残っていますし。

日本にとって決して他人事ではありません。

ロシアの原油問題が取り沙汰されていますが、それだけでなく、ロシアとウクライナは小麦、大豆、菜種油、トウモロコシなどの一大輸出国でもあるからです。

ロシアがSWIFTから排除されると、日本はモノを直接輸入することはできなくなり、(SWIFT以外の決済が可能な)インドや中国経由での輸入になります。

そうなると一気に値段が上がり、インフレを招く可能性もあります。

特に天然ガスでこのような現象が起こり、エネルギー価格も一気に上がることが懸念されます。

天に向かって唾を吐くような状況で、日本にとっても大損害になると理解しておくべきでしょう。

国際原油市場で代表指標となるWTI先物価格が一時1バレル100ドル台まで上昇しました。

100ドルを上回るのは2014年以来7年7ヶ月ぶり。ウクライナ侵攻でロシアからの原油供給に不安が広がったことが背景にあります。

今のLNG(天然ガス)の価格を見ていると、1バレル200ドルを超えてもおかしくない状況だ。

ロシアの原油に頼れなくなったからといって、米国のシェールガスには頼れません。

エネルギー供給国として米国は安定していないからです。

ロシア、ウクライナでビジネスを展開している日本企業は多い。

まさに、「天に唾を吐く」ことになりそうです。

IT関連企業で開発拠点としてウクライナに進出している企業もあります。

ウクライナそのものが戦場になってしまうとウクライナにおける操業がストップしてしまいますから、非常に深刻な状況になるでしょう。

また、最近、ヘイトスピーチなどでロシア人差別を助長するような差別的な発言が目立ちますが、絶対に、迎合するのはやめてください。ヘイトを煽っているのは差別主義者です。頭がおかしい人間です。まともに考えてください。ロシア国家・軍と、在日ロシア人・一般ロシア人(ロシア国内在住でも)はまったく関係がありません。ロシア人ヘイトを煽る行為は、いわれない差別やヘイト、憎悪、いじめを招きます。頭がおかしい彼らは、それがわかりません。

頭がおかしいので考えられないのです。絶対に、危険ですので、迎合しないでください!

そんな連中こそ憎み、正義のために叩き潰してください。

すこしでも世の中がよくなるように。まずは、ウクライナのために祈りましょう。


【経済制裁の特集】池上彰のニュースそうだったのか?経済制裁って具体的に何??簡単な説明でニュースで学ぶ。2021年4月16日(土)テレビ朝日放送分


ロシアのウクライナ侵攻。首都キーウ(キエフ)からはロシア軍は撤退したが、東部戦線で攻勢をかけるとの噂がある。では、〝経済制裁〟の具体的なやり方はどういうものなのか??

たとえばプロパガンダとはなにか? それは『大衆操作』『政治的な宣伝工作』つまり、〝ウソ宣伝〟である。「あいつらの報道はプロパガンダだ!」というのは「あいつらの報道は〝ウソ宣伝だ〟」……ということ。

では、経済制裁の目的は、①経済にダメージを与える②軍事行動の前段階③国際的なルールを守らせる。(戦争にならない程度に制裁を与えて、戦争侵略行為をやめさせる)

経済制裁で駄目なら、軍事介入もありうる。(だが、今回はNATO(北大西洋条約機構)軍がウクライナ戦争に本格的に軍事介入したら『第三次世界大戦』なのでそれはしない)

だが、国によって経済制裁の加減やルールは違う。そこは自主性で。例えば、ロシアへの経済制裁は、欧米が開始し、日本は自発的な参加にとどまっている。

経済制裁とは主に(①輸出入(小麦、石油、自動車など他)の禁止②資産凍結③銀行間取引(SWIFT・スウィフト)排除)

輸出入の禁止は、民間の企業間での取引だが、国が許可権を握っており、国が輸出入をストップさせることができる。(罰則は個人が最低五千万円以下・懲役最低五年間、企業では最低五億円以下の罰金)自分たちもダメージを受けるが、そもそも経済制裁とはそういうものだ。

(値上がりは)小麦(ロシアとウクライナで世界シェア4割→値上がり)

牛肉(牛乳)・豚肉・鶏肉などの値上がり(家畜のエサ(ウクライナのトウモロコシや小麦・世界シェア4位))そばの生産もロシア世界一→値上がり。そばは(そば粉)天ぷら(小麦)食料油(ひまわりからの食料油(菜種油)日本はひまわりからではないが菜種油を使っている(ウクライナ世界シェア一位))

マンションも値上がり。(木材はロシアが世界シェア三位)

〝ウッドショック〟(2021~2022年)

歯医者の銀歯(パラジウム)も値上がり(ロシアからの輸入・世界シェア四割)(診療報酬で保険適用だが、歯医者が値上げ分をかぶり、診療値上げに)

SWIFT(国際銀行間通信協会)からロシア排除………

(約200の国・地域1万1000以上が参加)

 輸入できない。輸出できない。貿易できない。

(例えば、イランが〝核兵器開発〟?疑惑で2012年に経済制裁を受け、SWIFTから排除されて、経済的に困った。それで、2015年に核合意で〝核開発〟を中止にした)

(ロシアの場合は、SWIFTから排除されたが、まだ欧州(とくにドイツ)はロシアから天然ガスや石油などを買っているために、支払いのためにSWIFTの〝抜け穴〟がある状態だ)

資産凍結とは、海外の資産を凍結するもの。(やり方は〝国の手続き〟)

対象は、プーチン大統領、大物幹部、大金持ち(オリガルヒ)

オリガルヒは欧米に資産や高級クルーザーや別荘などを持っているから、経済的に困窮させ、プーチン大統領に「もうやめよう」といわせる目的。

プーチン大統領は2014年の『クリミア併合』のときのように、「経済制裁は受けるだろうが、SWIFT排除とかまではしないだろう?」と欧米の反応を甘く見た。

経済制裁でロシアはハイパーインフレ。経済危機。

いわばテレビ(情報)VS.冷蔵庫(生活・食糧)である。経済が深刻な悪化になれば、いくらプーチン大統領でも危ない。マスターカードやビザカードは国内ではまだ使えるが、今後は中国のユニオンペイになるかも。そうなればロシアは中国に頭があがらなくなる。

また、現在、ロシアのスマホのSNSが遅くなっているが、これは中国のように投稿をチェックして、自分たち(体制側)に不利な情報を削除しているからだ。

だが、プーチンの支持率は83%(国内・恐怖政治でホンネを言えず)。

また、経済制裁でキューバは六十年耐えてきたが、その反動で、経済が発展途上国以下の状態である。ナチスドイツが経済制裁を食らったときは、コーラが来なくなったので「ファンタ」が発明されたし、アウトバーン(高速道路)や庶民用自動車(ビーグル)も発明された。

経済制裁が悪い結果を生んだのが、帝国日本の、真珠湾攻撃とインドシナ侵攻(石油目的・当時の石油の輸入は中東はなくアメリカ。それを制裁でストップさせられて進退窮まった)。

経済制裁自体は紀元前432年にはあり、ペリクレス(経済制裁の父)が「女性が拉致された」として、貿易都市メガラに貿易禁止(経済制裁)を指示した、という。

ウクライナへの支援の募金も、「金を寄付しても戦争の〝人殺し〟のためにつかわれる」という懸念もわかるが。それは、寄付のやり方を工夫するべき。例えば、国境なき医師団とか赤十字や、ユニセフやUNHCR(国連難民高等弁務官)などである。

すべては知恵や戦略次第。考えて行動すれば「無力で何もできない」というようなことはない。

とりあえず、募金活動とか、国内SNSで〝ロシア人ヘイト〟をやっている輩を叩き潰す、とか。

まずは、ウクライナのために祈りましょう。平和のために祈りましょう。


臥竜 長尾景虎










2022年ロシアのウクライナ侵攻(2022ねんロシアのウクライナしんこう)は、ロシアが2022年2月24日に開始したウクライナへの軍事侵攻である。ロシアによるウクライナ侵略(英: Russian aggression against Ukraine)とも。


概要

攻撃は、長期にわたるウクライナ国境周辺(ベラルーシ側含む)への軍事力の増強、2月21日のロシアによるドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の国家独立承認、ウクライナ東部のドンバスへのロシア軍の派遣を経て始まった。

2月24日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がウクライナへの軍事作戦を行うと述べた演説が各メディアに対して公表された後、首都キエフの近くを含むウクライナ各地で砲撃や空襲が始まった。

ロシアは国連憲章51条の集団的自衛権を主張した。これを受けてウクライナの大統領のウォロディミル・ゼレンスキーは同日、戒厳令を布いて18歳から60歳の男性を出国禁止にする「総動員令」に署名し、戦争状態に入った。

現実空間の侵攻、サイバー戦争、情報戦、国際機関や国家レベルでの経済制裁に加え、民間企業や団体による事業撤退や停止という「経済制裁」が組み合わさった今までにない規模で行われているハイブリッド戦争となっている。

特に侵攻以後、ロシアは国際社会から強い非難を浴び、各国のロシアに対する制裁が拡大している。

侵攻後、ウクライナ国民を中心とした多数の難民が隣国などへ避難しており、2022年3月15日現在、300万人を超えた。


背景

侵攻前の動き

2021年10月26日、ウクライナ東部の紛争地域ドネツィク州グラニトノエにて、ウクライナ政府軍は親露派武装勢力に向けてドローンによる攻撃を初めて実戦で行った。ウクライナ国防省の主張によると、親露派側からの砲撃で政府側に死傷者が2人発生したことに応戦したものである。

ドローン攻撃により親露派は死傷者こそ出なかったが、122ミリ榴弾砲1門が破壊された。

2020年7月に強化されたドンバス戦争の停戦協定により、ドローンを含む航空戦力の使用は禁止されているため、ロシアは停戦協定違反としてウクライナを即日非難し、協定に関わったドイツも翌日にウクライナを非難した。

ウクライナ大統領ゼレンスキーは欧米諸国から忠告を受ける中、意に介さず「領土と主権を守っている」という声明を発表した。ドローン攻撃は、ロシア大統領プーチンの行動に口実を与えることになった。すなわち、ロシア軍が親露派を守り、ウクライナのNATO加盟を阻止するための行動である。

2021年12月21日、ロシアのプーチン大統領はアメリカと北大西洋条約機構(NATO)に対し、「ロシアの安全保障」という名目で、ウクライナをNATOに参加させないことに関する法的拘束力のある約束を交わすことを要求した。また、ロシア政府は、「ウクライナ政府はミンスク合意を履行していない」として非難した。

それについてアメリカ側は「ウクライナにはウクライナの主権がある」「ウクライナがNATOに加盟するかしないかはウクライナ政府が選ぶことであり、それについてロシアが口出しするのは間違っている」と指摘した。


ロシアによる侵攻計画の否定

国境付近へのロシア軍の増強にもかかわらず、ロシア当局は、ウクライナ侵攻計画を繰り返し否定した。

2021年11月12日、ドミトリー・ペスコフ報道官は「ロシアは誰も脅迫しない」と述べ、12月12日には「ウクライナ危機」を称する報道は、ロシアを悪魔化し、潜在的な侵略者とみなしていると非難した。

2022年1月19日、ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官は、「ロシアはウクライナに対して攻撃的行動を意図しておらず、いかなる攻撃的行動も起こさない。ウクライナが何といおうと、攻撃や侵攻や侵略を行うことはない」と述べた。

1月22日、イギリス政府が諜報機関からロシアがウクライナに親ロシア政府を設置する計画を持っているという報告を受けたと発表すると、ロシアは「イギリスはナンセンスを広め、挑発するのを止めよ」と非難した。

2月12日、バイデン米大統領がプーチンと会談すると、ユーリ・ウシャコフ外交顧問はウクライナ侵略というロシア脅威論はヒステリーだと述べた。

2月16日以降緊迫が報道されると、セルゲイ・ラブロフ外相は「ヨーロッパでの戦争が今度の水曜日に起こるなんてことはない」と噂を否定した。

2月20日、アナトリー・アントノフ(英語版)駐米ロシア大使は、ロシア軍は「誰も脅迫しない。侵略はありえない。そのような計画はない」と述べた。

こうしたロシアの否定に対して、米英側は、ウクライナ国境近くでのロシア軍の動向の衛星写真やロシアの侵略計画、侵攻後の殺害または拘留される主要なウクライナ人のリストが存在することなどの情報を公開した。


情報戦

侵攻の前段階として、印象操作やデマ情報の流布の情報戦、サイバー攻撃が行われた。

2021年12月9日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ロシア国外のロシア語話者に対する差別について「大量虐殺だ」と述べ、ウクライナを非難した。

2022年2月15日、プーチンはマスコミに「ドンバスで起こっていることはまさに大量虐殺である」と語った。

しかし、国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)、ウクライナへのOSCE特別監視ミッション(英語版)、欧州評議会を含むいくつかの国際機関は、ロシアの主張を裏付ける証拠を発見することはできなかった。

後に大量虐殺の主張は、ロシアによる偽情報として欧州委員会によって却下された。

ウクライナの米国大使館は、ロシア側による「大量虐殺」との主張を「非難すべき虚偽の情報」と指摘し、米国務省のスポークスマン、ネッド・プライスは、ロシアがウクライナ侵略をするための口実としてそのような主張を行っていると述べた。

2月18日、「ドンバスでのロシア人の虐殺」は事実ではないと指摘した米国当局者の質問に関して、アナトリー・アントノフ駐米ロシア大使は大使館のFacebookページに次のような声明を投稿した。

ここでは、米国の二重基準だけでなく、かなり原始的で粗野な皮肉を見ることができます。米国の主な地政学的目標は、ロシアを可能な限り東に押し戻すことです。そのためにはロシア語を話す人々を現在の居住地から追い出す政策が必要です。 したがって我々は、アメリカ人がウクライナでのロシア人の強制的な同化の試みを無視するだけでなく、政治的および軍事的支援を強く容認することを望んでいます。


ドンバスでの動き

ドンバスでの戦闘は2022年2月17日に大幅に激化した。2022年の最初の6週間の1日あたりの攻撃数は2から5であったが、ウクライナ軍は2月17日に60回の攻撃を報告した。 ロシアの国営メディアはまた、同じ日に分離主義者の地位に対する20回以上の砲撃を報じた。たとえば、ウクライナ政府は、ロシアの分離主義者がスタニツィア・ルハンスカ(英語版)で大砲を使って幼稚園を砲撃し、3人の民間人を負傷させたと報告した。 ルガンスク人民共和国は、その軍隊が迫撃砲、グレネードランチャー、および機関銃の発砲でウクライナ政府によって攻撃されたと述べた。

翌日、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国は、それぞれの首都からの民間人の強制避難を命じたが、完全な避難は完了するのに数か月かかることが指摘された。

ウクライナのメディアは、ウクライナ軍を挑発する試みとして、ドンバスでロシア主導の過激派による砲撃が急増したと報じた。

2月21日、ロシア連邦保安庁(FSB。ロシアの諜報機関)は「ウクライナの砲撃により、ロストフ州のロシアとウクライナの国境から150m離れたFSB国境施設が破壊された」と発表した。

これとは別に南部軍管区の報道機関は「ロシア軍がその日の朝、ウクライナから2台の歩兵戦闘車で国境を突破した5人の妨害工作員を、ロストフ州ミティアキンスカヤ村の近くで殺害した」と発表した。ウクライナは両方の事件に関与したことを否定し、それらを偽旗作戦と断定して批判した。さらに、ドネツクの北30kmにあるザイツェベの村で、2人のウクライナ兵と1人の民間人が砲撃により殺害されたと報告された。

調査ウェブサイトのベリングキャットを含む複数の調査報道機関は、ドンバスで主張された攻撃、爆発、および避難の多くがロシアによるものだという証拠を発表した。

2月21日、ルガンスク人民共和国のルガンスク火力発電所は未知の勢力から砲撃を受けた。ウクライナのニュースは、火力発電所の閉鎖を余儀なくされた、と述べた。


侵攻

ウクライナ侵攻

「2022年ロシアのウクライナ侵攻のタイムライン(英語版)」および「2022年ロシアのウクライナ侵攻における軍事衝突の一覧」も参照

2022年2月21日、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の同意を受けて、プーチン大統領はロシア軍(戦車等を含む)をドンバスに派遣するよう命じた。ロシア側はこの行動を「平和維持ミッション」と呼んでいる。その日未明、いくつかの独立したメディアがロシア軍がドンバスに侵入していることを確認した。

2月22日、アメリカのジョー・バイデン大統領は、プーチンがウクライナ東部への派兵の意向を表明したことを受け、「これはロシアのウクライナ侵攻の始まりだ」と述べ、ロシアに対する制裁を発表した。

NATO事務総長イェンス・ストルテンベルグとカナダの首相ジャスティン・トルドーは、「さらなる侵略」が起こったと述べた。

ウクライナの外相ドミトロ・クレーバは、「侵略に大きいも小さいも無い。侵略は侵略だ。」と強く批判した。一方欧州連合外交政策責任者ジョセップ・ボレルは、「本格的な侵略ではない」と述べ、「ロシア軍がウクライナの地に到着しただけだ」と述べた。

同日、連邦院は全会一致でプーチンにロシア国外での軍事力の使用を許可した。ウクライナ側では、ゼレンスキー大統領が予備軍の徴兵を命じたが、動員は停滞している。

2月23日、ウクライナは、ドンバスの占領地を除く全国で非常事態を宣言すると発表した。同日駐ウクライナロシア大使は大使館から避難し、掲げられたロシア国旗を降ろした。また2月23日中に、ウクライナ議会と政府のWebサイトは、銀行のWebサイトとともに、DDoS攻撃に見舞われた。

24日午前5時頃(ウクライナ時間)、プーチンはウクライナ東部で「軍事作戦」を開始すると発表。プーチンは国民向けのテレビ演説の中で、軍事作戦の目的を「ウクライナ政府によって8年間、虐げられてきた人々を保護するため」と述べた。

また、ウクライナの領土を占領する計画はないとし、ウクライナ国民の民族自決の権利を支持すると述べた。

その発表から数分以内に、キエフ、ハリコフ、オデッサ、ドンバスで爆発が報告された。これらの爆発の結果、東ウクライナの空域で民間航空の飛行は制限され、地域は欧州連合航空安全機関によって全体が活発な紛争地帯と見なされた。

午前6時半過ぎ、ウクライナのアントン・ヘラシチェンコ(英語版)国務大臣によると、ロシア軍はハリコフ市付近から陸路で侵攻してきたという。マリウポル市とオデッサ市では大規模な水陸両用車の上陸が報告され、ヘラシチェンコはオデッサ市付近への上陸を確認した(しかし、これはのちに誤報と発表された)。

午前7時を前にして、ゼレンスキー大統領は戒厳令(英語版)の導入を発表した。

ベラルーシからウクライナへと軍事車両が侵入し、ロシア、ベラルーシと接するウクライナの国境の検問所などが攻撃を受けている。

さらに、南部のクリミア半島との境界においても戦闘が発生している。

ウクライナの国境警備隊によれば、ロシア軍の戦車や重機類を伴った部隊がウクライナ北部の複数の地域のほか、ロシアが併合したクリミア半島からも侵攻してきたという。

また、ウクライナ軍は南部のオデッサにロシア軍が上陸したという報道については誤りだと述べている。

ウクライナの国防相は、「ウクライナ東部の部隊や軍司令部、飛行場がロシアからの激しい砲撃を受けている」ことを明らかにしている。

また、ウクライナ軍は、「空軍はロシアの空襲撃退に努力している」と述べた。ロシア軍は現地時間の24日の午前5時にロシア側から攻撃を行い、ベラルーシの支援によって、ベラルーシ側からも攻撃を始めた。

また、クリミア地域から攻撃も始まり、ウクライナは三方面からの侵攻にさらされている。東と南北からの侵攻の開始により、西方の隣国モルドバからの分離独立を宣言していて、ウクライナと直接国境を接する親ロシア派の沿ドニエストル地域の動向に注目が寄せられた。

同日、ゼレンスキー大統領はロシアとの外交関係を断絶することを発表した。また、ゼレンスキー大統領は90日間の総動員令に署名し、それにより18~60歳の男性は出国を禁じられた。

ウクライナ軍が、ロシアと国境を接するほぼすべての地域でロシア軍と戦闘を行っていることが明らかになった。ロシア軍は空から兵士を投入し、キエフの行政区へ侵入している。

ロシア軍が24日に開始したウクライナへの本格侵攻について、米国防総省高官は同日、ロシアがミサイル160発以上を発射し、軍事施設や滑走路を攻撃したと明らかにした。

また、ベラルーシ領内から弾道ミサイル4発が発射された。

キエフ市長を務める元プロボクシング世界ヘビー級王者のビタリ・クリチコはイギリスのテレビ番組『グッド・モーニング・ブリテン』に出演し、「武器を手に取り戦う」と徹底抗戦を宣言した。

元大統領ペトロ・ポロシェンコも「地獄を準備している」「ウクライナは勝利する」などとツイートし、ゼレンスキー大統領と対立した元大統領も、同盟国に武器供与を要請するなどウクライナ防衛に向けて協力を表明している。


経過

日時は特記のない場合、ウクライナ時間(UTC+2)。日本との時差は-7時間。

2月23日

21日~22日の戦闘経過は上記侵攻の節を参照

ブリンケン米国務長官はNBCニュースのインタビューに答え、ロシアが24日夜明けまでにウクライナに侵攻するとの見方を示した。ただし、ウクライナ本土へのロシア軍の侵入はすでに21日に始まっていたとみられる。

午後7時頃(モスクワ時間):アメリカ国防総省の高官は、記者団に「ロシア軍の部隊は最大限の準備ができており、部隊のおよそ80%がいつでも出動できる準備を終えた」と述べ、異例とも言える機密情報開示を行った。

2月24日

ボイス・オブ・アメリカによるウクライナ東部のハルキウの映像。2月24日時点。(0分25秒)

午前5時頃:プーチン大統領は「ウクライナ政府によって8年間、虐げられてきた人々を保護するため」として、軍事作戦を開始すると発表。(ただし、実際には無差別の大量虐殺を行なっている)

プーチンの演説から数分後、キエフ、ハリコフ、オデッサ、ドンバスで爆発が報告された。

午前5時頃:ウクライナ国防省の発表によると、ロシア軍が東部に展開するウクライナ軍部隊へ集中砲撃を開始し、ボルィースピリ、オジョルニ(英語版)、クルバキン(ウクライナ語版)、チュグエフ(ウクライナ語版)、クラマトルスク(ウクライナ語版)、チョルノバイフカの飛行場、および軍事施設へ爆撃を開始したと発表された。また、ロシア軍はウクライナ・ロシア国境周辺では大規模な砲撃を開始したとも発表した。

午前6時半頃:ロシア軍がハリコフ付近に侵入を開始。また、マリウポリとオデッサ地域にロシア軍の水陸両用車が上陸したされたという情報があったが誤報であったと訂正される。

午前7時頃:ロシア軍の車両がベラルーシ・ロシア国境からセンキフカ(英語版)より侵入を開始した。

午前10時頃:ウクライナ国防省の発表によると、現地時間10時半時点で、チェルニーヒウ地域においてロシア軍の進軍を停止させ、ハリコフ方面では激しい戦闘が行われているとした。また、マリウポリなどの都市を制圧し、ロシア軍の少なくとも6機の航空機、2機のヘリコプター、数十台の装甲車両を撃破したとしている(ただしロシア側はそれを否定している)。

午前10時頃:ロシア空挺軍がキエフ近郊の空港へ降下したが、ウクライナ軍は反撃の末、奪還したと主張している。

詳細は「アントノフ国際空港の戦い」を参照

午後1時半頃:ベラルーシ側からの弾道ミサイル発射が報告された。

午後4時頃:チェルノブイリ付近の廃墟でロシア軍とウクライナ軍が戦闘を開始したとウォロディミル・ゼレンスキー大統領が発表した。

午後6時頃:チェルノブイリ原子力発電所とその周辺地域を第41合同軍とみられるロシア軍が占領した。また、キエフでは夜間外出禁止令がキエフ市長のビタリ・クリチコにより宣言された。

午後10時頃:ウクライナ国家国境庁はロシア軍が黒海に位置するスネーク島を占領したと発表。戦闘の結果、島を防衛する守備隊は総員戦死し、ゼレンスキー大統領は、全滅したスネーク島守備隊員に対して、英雄勲章を授けると発表したが、後にロシア軍の上陸を2度阻止したものの、弾薬が尽きて投降し、全員無事であることを確認したとウクライナ海軍が発表した。

詳細は「ズミイヌイ島攻撃」を参照

午後10時頃:ウクライナ国防省はTwitterで「ロシアに占領されていたヘルソン近郊のドニエプル川にかかる橋の奪還に成功して防衛陣地を構築した」と発表した。

詳細は「ヘルソン攻勢」および「ヘルソンの戦い」を参照

ウクライナの内閣、外務省、インフラ省、教育省などのサイトがダウンした。ロシアによるサイバー攻撃の懸念が強まる。

米国防総省高官は、侵攻の目的はゼレンスキー政権転覆と、傀儡政権樹立であるとした。

ウクライナ政府は、ロシア軍がチェルノブイリ原子力発電所を占拠したと発表した。

詳細は「チェルノブイリの戦い」を参照

国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチは25日、ロシア軍が24日にドネツク州の病院付近にクラスター弾を搭載したトーチカ弾道ミサイルによる攻撃を行ったとする調査結果を公表した。

2月25日

午前1時頃:ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はウクライナ軍の総動員令を発令し、18歳から60歳までのすべてのウクライナ人男性が国を離れることを禁止することを発表した。

午前1時39分:24日未明より始まったスームィ郊外での市街戦の結果、ロシア軍が同都市から撤退したと報じられた。

詳細は「スームィの戦い」を参照

午前3時頃:チェルニーヒウに展開していたロシア軍の一部が降伏した。

詳細は「チェルニーヒウの戦い」を参照

午前4時25分:南部ザポロジエ州の国境検問所がミサイル攻撃を受けたとウクライナ国境警備当局は発表した。

午前6時47分頃:ウクライナ軍がキエフ近郊のイヴァンキフ(英語版)にかかる橋を爆破し、ロシア軍戦車部隊の進軍を停止させた。また、80台のロシア軍車両がキエフ州のデマル村へ移動している。

10時半頃に、ロシア軍はメリトポリ市(英語版)に侵入。同地は激しく砲撃され、市街地戦が続いた。メリトポリの指導部は同日午後に降伏し、都市はロシアの占領下に置かれたと、ロシア国防省は翌26日に発表した。メリトポリ市の近くには港湾都市マリウポリがある。

詳細は「メリトポリの戦い」を参照

イギリスのベン・ウォーレス国防大臣は、これまでにキエフで450人のロシア人兵士が殺害されたと推定した。

ロシア地上軍がキエフに侵攻したとウクライナ軍が発表した。また、それによるキエフの陥落が示唆されている。

詳細は「キエフ攻勢 (2022年)」および「キエフの戦い (2022年)」を参照

ベラルーシから侵入したロシア軍は、首都キエフに迫っており、数時間以内にキエフが陥落する恐れがあるという情報が出ていた。アメリカ合衆国政府は、ロシア軍がチェルノブイリ原発の職員を人質にとっているという情報を発表した。ロシア軍からのミサイルは住宅などの民間施設にも命中し、一般市民にも被害が出ている。

当初はロシア軍の総攻撃で数時間でキエフが陥落するとの見方もあったが、ウクライナ側の予想外の善戦より失陥は免れている。これに関しては市民を含むウクライナ側とロシア軍の士気の差、およびロシア軍の新兵の練度の低さが要因と見られており、米国防総省高官からはロシア軍の士気の低さが指摘されている。

2月26日

未明:ゼレンスキー大統領がfacebookに動画を投稿。動画内で「今夜は非常に難しい夜になる」と話し、ロシア軍のキエフへ近く予想される攻撃に対して警戒を呼びかけ、「今夜、敵はあらゆる力を使って我々の抵抗を破ろうとするだろう。彼らは今夜、攻撃をしてくる。我々は耐えなければならない。ウクライナの運命はいま、決まろうとしている」「私たちは皆、ここ(キエフ)で国の独立を守っている」と語り、自身が国外逃亡しておらず首都にとどまっていることを伝え、また高齢者など市民には危険があればシェルターに入るよう呼びかけた。在英ウクライナ大使館によれば、ゼレンスキーはアメリカ政府からの脱出の申し出に対し「自分が必要なのは、乗り物ではなく砲弾です」と断った。

詳細は「メリトポリの戦い」を参照

午後3時20分: ロシア国防省はウクライナ南東部ザポリージャ州の都市メリトポリ(英語版)をロシア軍が占領したと発表した。

午後3時30分:ロシア軍は、ウクライナ軍の軍事インフラを合計821箇所破壊したと発表した。破壊したのは軍事飛行場が14箇所、無線通信所を48箇所などとしている。

北大西洋条約機構(NATO)はウクライナに侵攻中のロシア軍に対応し即応部隊の一部を東欧加盟国に派遣を決定した。

イギリス時間午後0時33分(ウクライナ時間午後2時33分):イギリス国防省の確認した情報によると、1.ロシア軍はキエフ中心まで30kmの地点にいる。2.ロシア軍は依然ウクライナ上空の制空権を確保しておらず、ロシア空軍の有効性は低下している。3.ウクライナの武装勢力(おそらく軍のこと)は依然ウクライナ中で抵抗している。4.ロシア軍の死傷者数はクレムリンの想定を上回っていると考えられる。

ウクライナ軍はFacebookで、これまでの侵攻でロシア兵3,500人以上が死亡、約200人が捕虜になり、ロシア軍軍用機14機、軍用ヘリ8機、戦車102台を失ったと報告した。

ゼレンスキー大統領は、ロシア側の当初の計画では25日夜から26日にかけてゼレンスキー大統領を拘束する計画であったが、ウクライナ軍が阻止したと述べ、「ここへ来てこの国を守ろうと思う人は誰でも、来てください。武器は提供します」と徹底抗戦の構えを見せた。

ゼレンスキー大統領は国連のアントニオ・グテーレス事務総長と電話会談し、安全保障理事会でのロシアの投票権を剥奪し、ロシアの行為をウクライナ人に対する「ジェノサイド(集団殺害)」と認定するよう求めた。

停戦協議の開催地をめぐって、ロシアはベラルーシを、ウクライナはポーランドを提案。

2月27日

午前1時半頃:ロシア軍が北東部にあるハリコフのパイプラインを爆破したことをウクライナのメディアとロイター通信が伝えた。

また、北東部のハリコフにはロシア軍が入った。

夕方、キエフの戦闘は前夜よりは強度が低いと英国国防総省が伝えた。

ヴェルホーヴナ・ラーダ(ウクライナ最高議会)は、ウクライナ軍がキエフ近郊のホストーメリ空港周辺においてカディロフツィの一部隊を殲滅、ロシア国境軍第141連隊司令官マゴメド・ツシャエフを殺害したとTelegramの公式アカウントにおいて発表した。

激戦が続いていたハリコフにおいて、ウクライナ軍が市街戦の末、街に進撃したロシア軍を駆逐したとウクライナ当局が発表した。

詳細は「ハルキウの戦い (2022年)」を参照

ゼレンスキー大統領は、ウクライナが国際司法裁判所(ICJ)にロシアを提訴したとTwitter上で表明した。提訴の具体的な根拠は明らかになっていない。

プーチン大統領は「北大西洋条約機構(NATO)側から攻撃的な発言が行われている」として、核戦力を含む核抑止部隊の高度警戒態勢を取るよう軍司令部に命じた。

ゼレンスキー大統領は朝、動画を公開し、ロシアによる侵攻に加担しているとして、ベラルーシ南東部の都市、ホメリでの停戦交渉を拒否すると述べた。そして代わりとなる場所として、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、トルコ、アゼルバイジャンの都市の名前を挙げた。

ゼレンスキー大統領は「ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領と対談した結果、ウクライナの代表団が、ロシア側とベラルーシ国境のプリピャチ川地域で前提条件なしに会談することで合意した」と、自身のFacebookで明らかにした。

ロシア側は、交渉はベラルーシ南東部ホメリ州で行うと述べた。

2月28日

ロシア国防省は、セルゲイ・ショイグ国防相がプーチン大統領に対し、戦略核部隊、太平洋艦隊などが「特別態勢」に入ったと報告したと発表した。

これについてアメリカのバイデン大統領はアメリカ国民は核戦争を心配すべきかという質問に対し否定した。

また、アメリカ国防総省の高官は28日(日本時間)、記者団に対し「ロシア側を監視しているが、プーチン大統領の命令を受けた具体的な動きはまだ確認されていない」と指摘した。

国際刑事裁判所(ICC)のカリム・カーン主任検察官は、ロシアによる侵攻を含む近年のウクライナ情勢を巡り、戦争犯罪と人道に対する罪の疑いで近く捜査を開始する方針だと明らかにした。

「2022年ロシアのウクライナ侵攻における戦争犯罪(英語版)」を参照

午前11時頃:ベラルーシのホメリで、侵攻後初めてのロシアとウクライナの停戦交渉が開始。ウクライナ側は即時停戦とロシア軍の撤退を求めたとしているが、ロシア側の交渉目標は明らかになっていない。

1回目の交渉では合意に至らず、双方が結果を持ち帰って協議した後、2回目の交渉を行う見通しとなった。ロシア代表団高官によると、次回の交渉はポーランドとベラルーシの国境付近で行われる見通しだとした。

午前10時(米国東部時間):国連総会緊急特別会合の開催が決定。ロシアの安保理での拒否権発動を契機として開かれるもので、安保理の求めによって緊急特別会合開催が開かれるのは40年ぶり。

緊急会合の開催はウクライナが要請し、日米欧や韓国のほか、対ロ制裁に参加していないブラジルを含む29か国が賛成した。ロシア、中国、キューバ、ベネズエラ、エリトリアの5か国が反対し、インドなど13か国は棄権した。

3月3日に決議が採られ、193か国中141か国の賛成で可決された。

非難決議の圧倒的多数の賛成は、法的拘束力がなくとも国際社会でのロシアの孤立を浮き彫りにしたとされるが、敵対的行為自体にのみ反対表明しているUAEやサウジアラビア、ブラジルといった中立国も賛成を投じている点に留意。

詳細は「第11回国際連合緊急特別総会」を参照

プーチンロシア大統領は、フランスのマクロン大統領との電話会談で、ウクライナが「非軍事化、非ナチ化」されることで中立化し、クリミアのロシア支配が完全に承認された場合のみに和平となると述べた。

3月1日

午後8時43分頃:ゼレンスキー大統領を殺害するためにプーチンによって送りこまれたチェチェン共和国の独裁者ラムザン・カディロフの精鋭暗殺部隊がウクライナ国内から排除されたことが報じられた。

3月2日

ロシア国防省は、ロシア軍がヘルソン中心部を完全に掌握したと発表した。

12時(米国東部時間):国連総会の緊急特別会合で、ロシアを非難し軍の即時撤退などを求める決議案が賛成141、反対5(ロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、エリトリア)、棄権35(中華人民共和国、インド、キューバなど)の賛成多数で採択された。

ウクライナ政府関係者は、今回の侵攻以来初めてウクライナ軍が攻勢に転じ、ドネツク州ホルリフカ(英語版)へ進軍を開始したと発表した。同地域は、侵攻以前よりドネツク人民共和国による実行支配下にある。

詳細は「ホルリフカ攻勢」を参照

国際刑事裁判所(ICC)は、ウクライナ情勢に伴う戦争犯罪、人道に対する犯罪について、検察官による捜査開始の申立てを受け、日本の赤根智子判事を含む3名の裁判官による検討の段階に入った。

3月3日

ウクライナとロシアが行った2回目の停戦対話について、交渉にあたったウクライナ大統領府のポドリャク顧問は、期待した結果は得られなかったが、「人道回廊」を巡る協議が行われたほか、対話を継続することで合意したと発表した。

人道回廊についてはロシアによる都市攻撃の正当化に利用される可能性が危惧されている。

プーチン大統領は安全保障会議で、「我々はまさにネオナチと戦っている」と述べ、ロシア軍はウクライナの非武装化と非ナチ化のために戦っていると主張した。

ゼレンスキー大統領は「民間人によるロシア兵殺害」を合法化する法案にサインを行った。施行は翌4日からとなる。

3月4日

未明、欧州最大規模の原子力発電所と言われるザポリージャ原子力発電所周辺で戦闘が発生。原子炉が稼働中であるにも関わらず敷地内にて火災が発生した。

戦闘による原子炉への影響はなかったが、6機ある原発の内の1号建屋と2号建屋が損傷を受けたと同原発の報道官が発表した。

IAEAは周辺の放射線量に「変化はない」としつつ、原子炉に当たれば「重大な危険」を招くと警告、ロシア軍に攻撃をやめるよう求めた。

ウクライナのドミトロ・クレバ外相は「(最悪の場合)チェルノブイリの10倍の被害になる。ロシア軍は直ちに攻撃をやめよ。」と抗議した。

しかし、ロシアのワシリー・ネベンジャ国連大使は砲撃について「ウクライナ政府が人工的なヒステリーを起こそうとしている」とロシア軍による原発攻撃の可能性を否定し、「ウクライナの民族主義者やテロリストが核による挑発行為を行わないようにするためロシア軍の管理下に置いた」と原発占拠の正当性を主張した。

稼働中の原発への攻撃は欧州全体を危険に晒す行為で、明確な国際法違反でもあり、更に人類史上初でもあった。

朝、上記ザポリージャ原子力発電所がロシア軍に占領されたとウクライナ原子力規制当局が発表した。

詳細は「ザポリージャの戦い」を参照

英紙「タイムズ」は、ウクライナ当局者の話として、ゼレンスキー大統領が過去1週間の間に少なくとも3回、暗殺を仕掛けられていたと報じた。

暗殺を試みようとしたのはロシアの民間軍事会社「ワグナー・グループ」の傭兵部隊とされる。

3月5日

ウクライナのクレバ外相はブリンケン米国務長官との会談後、NATOにウクライナ領空を飛行禁止区域にするよう求めた。ロシアは、NATOが飛行禁止区域を設定すれば「武力紛争への参加」とみなし、「欧州のみならず世界全体に甚大かつ破滅的な結果」をもたらすと警告した。

プーチン大統領は、欧米の対ロシア制裁は宣戦布告に等しいと述べた。

また、ウクライナに飛行禁止区域を設ける試みは、世界に破滅的な結果をもたらすと警告した。

AFP通信は今後のシナリオとして以下を報じた。

西側の支援や制裁による膠着。

ロシア国内の変化によるプーチン政権倒壊。ただし、その可能性は低い。

ロシアの軍事的勝利。ただし、キングス・カレッジ・ロンドン戦争学部名誉教授のローレンス・フリードマンは「侵攻と占領は別物だ」と指摘しており、ウクライナ制圧後の占領は難しいとされる。

バルト三国、NATO、モルドバなどへの戦火拡大。プーチンはNATO加盟国のバルト三国のロシア系住民の保護についても語っており、NATO対ロシア戦争に発展するリスクもある。

ほか、核兵器の実戦使用について欧州外交評議会グスタフ・グレッセル研究員はロシアは核兵器を情報戦として使っており、実際に使用しないと予測する。

3月6日

チェルニーヒウにて生存者の捜索作業(3月6日)

プーチン大統領は、ウクライナが抵抗をやめてロシア側の要求を満たした場合のみ、軍事作戦を停止すると述べた。

ウクライナ原子力規制監督局は、ハリコフで小型研究用原子炉がある「物理技術研究所」がロシア軍の砲撃を受け、複数の施設が損壊したと発表した。

3月7日

ロシア政府は制裁に対する対抗措置として「非友好的な国家・地域」にウクライナ、アメリカ合衆国、カナダ、イギリス、欧州連合諸国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、韓国、アイスランド、スイス、ノルウェー、リヒテンシュタイン、モナコ、サンマリノ、シンガポール、モンテネグロの各国を認定した。

ロシアとウクライナは、3回目の停戦交渉をベラルーシで行った。ロシア側代表のメジンスキー大統領補佐官は交渉後、「(停戦に向けての)大きな進展はなかった」と説明した。

ロシアとの第1回停戦協議に参加したウクライナの情報機関の男性職員1名がロシアの二重スパイと判明し、反逆罪の容疑で身柄を拘束されそうになったところ、逃走を試みたために射殺されたことがイギリス・タイムズの報道で明らかになった。

ゼレンスキー大統領はこの日の夜に放映された米ABCのインタビューで、通訳を介し、NATO加盟を断念する意向を示した。

3月8日

コーカサス地方のNGOであるOC Media(英語版)は、ウクライナ側の義勇兵としてチェチェン・イチケリア共和国勢力が参戦していることを報道した。

ゼレンスキー大統領の妻のオレナ・ゼレンスカ(英語版)は各国メディア宛てに公開書簡を送信。書簡の中で「ロシアの報道機関は侵攻を『特別軍事作戦』と呼び、市民の安全を保証しているが、実際にはウクライナ市民の大量殺人だ」と非難した。メディアはウクライナ大統領府にオレナ夫人がキエフにいるか問い合わせたが、回答は得られていない。

3月9日

ロシアの軍系テレビ局の報道に基づき、英国防省はロシアがウクライナでTOS-1Aから燃料気化爆弾を発射したことを認めたと発表した。

ロシア国防省はロシア軍の徴集兵がウクライナ侵攻に関与していたことを認め、後方支援任務を遂行する部隊のひとつが破壊工作員の襲撃を受けた際に一部が拘束されたことを明らかにした。

この前日、プーチン大統領が国際女性デーに合わせて兵士の母や妻を前に行った「皆さんが最愛の人を心配していることは理解している。徴集兵は衝突に参加しておらず、今後も参加しないと強調する」「予備役の追加招集もない」「侵攻に関わっているのは職業軍人のみ」という演説とはまったく異なる内容となる。

なお、現在は戦闘区域への徴集兵の動員防止や、拘束された要員の解放を目指して「包括的な措置」が取られているという。

3月10日

ウクライナのドミトロ・クレーバ外相とロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はトルコ南部のアンタルヤで会談した。会談にはトルコのメヴリュット・チャヴシュオール外相が仲介役として参加したが、停戦合意に関する進展はなかった。ラブロフは会談で「ウクライナを攻撃していない」と述べた。

ロシア国防省は「(米国の支援を受けた)ウクライナの研究所が、コウモリのコロナウイルスのサンプルを使った実験をしていた」と主張し、自国によるウクライナ侵攻を正当化する発言を行った。

EUはパリ郊外ベルサイユで非公式首脳会議を開き、ウクライナの加盟について協議したがフランスやオランダが難色を示し見送りとなることが濃厚になった。

オランダのマルク・ルッテ首相は「EU加盟は長期的プロセス」と述べ、特例で早期加盟を認めることに否定的な立場を表明。フランスのエマニュエル・マクロン大統領も「交戦中の国と加盟交渉できるとは思えない」と述べている。

プーチン大統領は閣僚会議で、ウクライナ侵攻を受けてロシアから撤退する外国企業の資産を国有化するとの政府方針を了承した。

3月11日

ロシア国営ノーボスチ通信はロシアと同盟関係にあるベラルーシのルカシェンコ大統領がモスクワ入りした、とSNSで速報した。

タス通信によると、ルカシェンコ大統領はロシアのプーチン大統領と会談し、両国関係や、ウクライナ侵攻にともなって世界各国が科している制裁措置などについて協議するとみられる。

ベラルーシ国営ベルタ通信は、「この会談でプーチン氏はベラルーシに近く最新の軍事装備を供与すると表明した」と報道した。

一方、ウクライナ内務省のデニセンコ顧問は同日、「ベラルーシ軍は少数で実戦経験がない上、ルカシェンコ氏は侵攻で国民の支持を失うことを恐れている」と指摘。同国軍参戦の可能性は現時点でそれほど高くないとする見方を示した。

ウクライナの戦略コミュニケーション・情報セキュリティーセンターはプーチンとルカシェンコの会談の結果、ベラルーシがウクライナへの攻撃に踏み切る恐れがあるとし、「暫定データによると、ベラルーシ軍は11日GMT19:00に紛争に巻き込まれる可能性がある」と述べた。

ウクライナ国家安全保障・国防会議のダニロフ書記は、ウクライナはこれまでベラルーシに対し抑制的な姿勢を示しているものの、「兵士1人がウクライナの国境を越えれば、反撃する」と言明した。

イェニン内務次官はウクライナでの紛争にベラルーシを引きずり込むためにロシアがあらゆる手段を講じているとテレビのインタビューで述べた。同時に「ベラルーシ政府が紛争への関与を避けるためにあらゆる手段を講じていることも理解している」と語った。

ウクライナ空軍は、ベラルーシの飛行場から離陸したロシアの軍用機がウクライナ領空を通過した後、ベラルーシのホメリ州レチツァ市郊外のコパーニ村を襲撃したとの情報を、 国境警備当局が午後2時30分に入手したと発表した。

また、同じ作戦でベラルーシの他の2地域も標的にされたという。ウクライナ空軍はオンライン声明で「これは挑発行為であり、ベラルーシ共和国軍をウクライナとの紛争に巻き込むことが目的だ」と強く批判。

国境警備当局も「ウクライナ軍はベラルーシ共和国に対する攻撃行為を計画していないし、する予定もないと正式に宣言する」との声明を発表した。

一方でウクライナの国際政治学者アンドリー・グレンコは12日未明Twitterに今回の空爆の目的を「ベラルーシ軍に対ウクライナ参戦の口実を与える為」「これからロシアのプロパガンダは『ウクライナ空軍はベラルーシの町を攻撃した』と主張します」「全てはルカシェンコの了承済み」と分析した記事を投稿した。

ロシア国防省は、ウクライナ東南部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ市を制圧したと発表した。

詳細は「ヴォルノヴァーハの戦い」を参照

ウクライナ国営通信は、ロシア軍の爆撃機がベラルーシ領内の複数の集落を空爆したと報じた。ウクライナの軍や内務省は、ロシアが同盟国のベラルーシに派兵を迫るため、ウクライナによる攻撃と見せかける偽装工作を行ったと指摘した。

ウクライナ南東部のメリトポリ(英語版)で、イワン・フェドロフ市長が同市の危機管理センターで物資供給問題に対処中、10人のロシア兵に拉致された。

「アメリカがウクライナと生物兵器を開発している」と主張するロシアの要請により国連安全保障理事会の緊急会合が開かれ、ロシアと擁護の姿勢を見せる中国の調査要請に対し、国連及びアメリカ、イギリス、フランス、アルバニアなどがロシアの主張を一蹴し、非難した。

ウラジーミル・プーチン大統領は安全保障会議の場でウクライナ軍との戦いに加わりたい志願兵の参加を認めるべきとの見解を示した。また、ウクライナから奪った西側のミサイルシステムを親ロシア派武装勢力に提供することを承認した。

3月13日

ウクライナ軍当局がポーランド国境から約20キロメートルと近いリヴィウ北西にある演習場がロシア軍の攻撃を受けたと発表した。30発以上のミサイルが発射され、35人が死亡、134人が負傷した。

ロシアがウクライナ西部の軍事拠点にも攻撃対象を広げていたこととなる。

ウォール・ストリート・ジャーナルは、「ロシアの検察当局が、同国事業の停止や撤退を発表した外国企業に対し、電話や書簡もしくは職員の訪問を通じて、ロシア政府を批判した関係者の逮捕・知的財産を含む資産の差し押さえなどを警告した」と報じた。

これらの企業にはコカ・コーラ、マクドナルド、P&G、IBM、ケンタッキーフライドチキンとピザハットの経営企業であるヤム・ブランズが含まれるという。

また対象企業のうち少なくとも1社は、従業員間の電子メールやテキストメッセージが傍受される恐れがあるとして、ロシア事業部門とそれ以外の部門との間の通信制限に乗り出した。

3月14日

チェチェン共和国のカディロフ首長はTelegramを通じ、ロシア軍と共にウクライナ入りしたと明らかにした。キエフ近郊の飛行場にいるというが、裏づけはとれていない。

3月15日

ロシア外務省は、アメリカなどによる制裁の報復として、同国のバイデン大統領、アントニー・ブリンケン国務長官、ロイド・オースティン国防長官、ヒラリー・クリントン元国務長官などアメリカ政府高官と関係者13人、さらにカナダのジャスティン・トルドー首相などを入国禁止としたことを発表した。

在英NGOのシリア人権監視団は、11日の義勇兵受け入れの表明に伴い、ロシア政府がシリア国内の体制支配地域で志願兵の登録事務所を開設、シリア軍や政権側民兵組織と調整し志願兵約4万人分のリストを作成したと伝えた。

このほか、シリアの政権与党バース党(Baath Party)を通じて、別に1万8000人が志願兵として登録されており、ロシアの民間軍事会社「ワグナー・グループ(Wagner Group)」が審査する運び。ただし、これまでシリアから志願兵が出発したとの情報は確認されていないという。

アメリカ政府は、欧州とアジアの同盟国に対し「中国政府はロシアからの軍事面並びに財政面での支援要請にある程度前向きな姿勢を示したとみられる」「支援が提供されたかについては明言できない」「軍事支援に関しては、中国は支援の提供を否定する公算が大きい」と外交公電を通じて伝えた。

同時に、西側の当局者と米外交官はCNNの取材に対して「中国がロシアに支援を提供するつもりなのかどうかはまだ判然としない」と述べた。また米国政府高官のひとりによれば、ローマで開かれた会合で、バイデン米大統領の最側近の1人は中国側に向け、「ロシアへの支援に踏み切ろうとするならそれに対する結果や影響が生じる可能性がある」と警告したという。

なお、ロシアが要請した支援の中には戦闘糧食が含まれており、「兵器供給と異なり西側から挑発的な動きととられる恐れがないため、中国側が糧食の支援要請に応じる可能性が高い」と情報筋の一人は示唆した。

さらに2人の当局者は「中国共産党指導部はロシアからの支援要請にどう応じるかについて合意しておらず、中国側に経済的な影響を避けたいとの願望から、ロシアへの支援は限定的なものになる可能性がある」と述べた。

ポーランド、チェコ、スロベニアの東欧3カ国の首脳はキエフを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談した。ロシアのウクライナ侵攻が始まってから、外国の首脳がキエフを訪れるのは初めて。3首脳は列車で現地入りした。

ロシア政府は欧州評議会に対して脱退を通告したことを欧州評議会報道官が明かした。

これに伴い欧州人権条約からも離脱するため、ロシア国民は欧州人権裁判所に救済を申し立てられなくなる。脱退通告を受けて翌16日、欧州評議会はロシアの除名を決定した。

3月16日

オランダ・ハーグの国際司法裁判所は、提訴したウクライナの求め通り、ロシアに侵攻を即時停止させる仮保全措置を命じた。

ロシア軍に拉致されていたフェドロフ市長が解放される。ティモシェンコ大統領府副長官は、フェドロフを奪還する作戦が行われたと述べた。

3月17日

ロシア大統領府は、前日に国際司法裁判所から出されたウクライナ侵攻即時停止の仮保全措置を拒否した。

英国防省の情報当局は、ウクライナに侵攻中のロシア軍の動きがここ数日、陸・海・空の全てでほぼ止まっているとの見解を示した。ロシア軍は甚大な損失を被り続けているという。同省は、ウクライナ側の抵抗は依然激しく、よく連携が取れていると分析。全ての主要都市を含め、ウクライナの領土の大半は引き続きウクライナの統治下にあると指摘した。

ウクライナ・プラウダ(英語版)は、モスクワのヴヌーコボ空港から政府専用機7機がロシア東部の都市複数へ向かったことを報じた。目的地域はオムスク、ノボシビルスク、ウファ、チュメニおよびシベリア方面で、いくつかの機体は着陸せず再びモスクワに帰還したり、上空でトランスポンダーをカットしたりしたという。

3月18日

ウクライナ軍はキエフへの主要2ルートを封鎖したと述べ、首都防衛に関し楽観的な見方を示した。

ウクライナ軍幹部のオレクサンドル・フルゼビッチ准将によると、ロシア軍は首都キエフの包囲制圧を目指しているとみられるが、同市を南北に流れるドニエプル川の両側で足止めされている。18日の時点で右岸側のロシア軍はキエフから約70キロの位置にとどまっており、対地ロケット弾以外での攻撃は不可能な状況にある。左岸でも進軍は停止、主な攻撃手段を無効化されている。加えてロシア軍はキエフ北東郊のブロヴァルィー周辺と南東郊のボリースピリでの攻勢行動を断念。2つの防衛線を構築したウクライナ軍はさらに遠方で3つ目の防衛線の強化を進めているという。

一方、巡航ミサイルについてはキエフ周辺の防空システムが依然健在ながら、やはり脅威であることを認めた。先んじてキエフ市議会は午前に発生した市内上空でのミサイル撃墜の際1名が死亡したと発表していた。また、西部域のリヴィウでは同日午前、黒海上空の軍用機から発射された巡航ミサイルのうち2発が防空システムによって撃破されたものの、4発が航空機部品工場に着弾した。フルゼビッチ准将は黒海とベラルーシからのミサイルへの対応が難しい事を認めつつも、迎撃のために有効なシステムが開発されたと説明。現在は民間人への被害を最小限に抑えるシステムを開発中だとしている。

同じく、リヴィウのアンドレイ・サドビー市長はTelegramを通じて巡航ミサイルが空港近郊に着弾したことを速報。UNIAN.NET(英語版)はKh-555と見られる巡航ミサイル6発が黒海方面から発射され、うち4発が操業停止中のリヴィウ州立航空機修理工場に着弾、一人が重傷を負ったものの命に別状はないと報じた。

UNIAN.NET(英語版)は、ロシアはミサイルと弾薬を損耗しており、とくに3M-54 Kalibr(英語版)とBM-30「スメーチ」の生産工場の操業を24時間体制に切り替えていると報じた。

プーチン大統領はこの日行われたモスクワ・ルジニキ・スタジアムで行われたロシアのクリミア半島併合から8年を記念するコンサート「クリミアの春」とハンティ・マンシースクで開幕した独自のパラリンピック代替大会の開会式に相次いで出席して演説を行い、ウクライナ侵攻を「人々を苦しみと集団虐殺から救うことが我々の特別軍事作戦の主な原因であり、動機だ」と正当化する主張を行った。

3月19日

NHKは、「ロシア軍は、東部の要衝マリウポリで都市を孤立させたうえで激しい市街戦を行っているとみられるなど、東部や黒海沿岸周辺の南部で攻勢を一層強めている」と報じた。

情勢の分析を続けるイギリスの国防情報当局のトップは、地元メディアに対して「ロシア軍は、ウクライナ軍の激しい抵抗などで、当初の目標が達成できていない。無謀で無差別な攻撃を含む消耗戦に移行し始めた」と指摘するなど、市民の犠牲がさらに増えることが懸念されている。また、避難所となっていたマリウポリの劇場が破壊されたことについてゼレンスキー大統領が「これまでに130人以上が救助されたと聞くが、いまだに数百人ががれきの下にいる」と述べるなど、救助は依然難航しているとみられる。

ロシアのプーチン大統領と18日に電話会談を行ったフランスのマクロン大統領は、マリウポリの情勢について「非常に懸念している」と伝えるとともに軍による包囲を解除し、すぐに停戦するよう求めた。一方、首都キエフをめぐる戦況についてアメリカ国防総省はロシア軍の地上部隊に目立った前進はみられず、ウクライナ側の激しい抵抗にあっていると分析している。

ロシアとウクライナは停戦交渉をオンライン形式で継続しているとみられるが、ロシアはウクライナの中立化や非軍事化など要求が満たされるまで停戦に応じないとみられ、市民の犠牲がさらに増えることが懸念されている。

ロシア国防省報道官は極超音速空対地ミサイル「Kh-47M2 キンジャール」を18日に使用し、イヴァーノ=フランキーウシク州デリヤティン(英語版)に所在するウクライナ軍の大規模地下武器貯蔵施設を破壊したと発表した。イタルタス通信によると、ウクライナでの軍事作戦で極超音速ミサイルが使用されたのは初めてという。米国や英国の国防当局が「ウクライナ軍の激しい抵抗によりロシア軍が想定外の苦戦を強いられている」と分析する中、最新鋭の極超音速兵器の投入を公表したのは軍事力を誇示する狙いではないかと時事通信は分析、これによりロシア軍が攻撃を一層激化させる懸念も高まっていると報じた。

キンジャールについては、ロシア軍は侵攻開始前の2月19日に発射演習を実施していた。

また、国防省報道官はオデッサ州にある軍の無線偵察施設を地対地ミサイル「バスチオン」で破壊したことも発表した。

ウクライナのメディアは、マリウポリの鉄鋼会社が所有する欧州最大規模の工場がロシア軍により破壊されたと伝えた。ロシア国防省は18日、マリウポリの包囲強化と市中心部での戦闘を発表し、攻撃拡大を予告していた。一方でウクライナ軍はマリウポリが面するアゾフ海へのアクセスが一時的にできなくなったと明らかにした。

マリウポリの市議会は、「この1週間で数千人の市民が強制的にロシア領へ連れて行かれた」と発表した。これに対し、ロシア側は「ロシアへ避難しているのは本人たちの希望だ」と主張している。

戦闘序列

詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻における戦闘序列」を参照

被害状況

ウクライナ

2月24日

トルコが所有する貨物船がオデッサ沖でロシアからのミサイルにより被害を受けた。翌25日には、黒海に面したユズニー港の南でモルドバ船籍の貨物船「ミレニアル・スピリット(英語版)」がロシア軍の発砲を受けたとウクライナ軍参謀本部が発表。同船の乗組員は全員ロシア人であり、うち2人は深刻な状態だとした。

また同日、黒海上でパナマ船籍で日本の日鮮海運が所有する貨物船「ナムラ・クイーン(英語版)」が、ユズニー港の停泊地でロケット弾の攻撃を受けたと発表した。これにより、乗組員1人が負傷した。

黒海沿岸の港湾都市オデッサ周辺では、ミサイル攻撃によって市民など少なくとも18人が死亡した。

2月25日

首都キエフで、住宅地に航空機が墜落した。

ロシア国防省からの情報として、キエフ周辺の飛行場占領の際にウクライナ特殊部隊200人以上を殺害したと報道した。

ハリコフ州では外れたミサイルがマンションに落下し、男児1人が死亡した。これを含めた、この軍事侵攻で亡くなった子どもの数は2月28日現在14人である。

首都キエフで、住宅地に航空機が墜落した。

ロシア国防省からの情報として、キエフ周辺の飛行場占領の際にウクライナ特殊部隊200人以上を殺害したと報道した。

2月26日

午後5時時点で、OHCHRはウクライナで64人の死者を含めて少なくとも民間人240人の負傷者が出ていると報告し、国際連合人道問題調整事務所(OCHA)は実際の人数はこれよりもさらに多い可能性を指摘している。また国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、16万人以上が国内避難民となり、11万6千人以上が近隣諸国への避難を余儀なくされているとした。

首都キエフにミサイル2発が撃ち込まれ、キエフ市政府は、1発は住宅用ビルに、もう1発はジュリャーヌィ空港近くに着弾したと発表した。

2月27日

ウクライナ政府は27日までに民間人210人以上が死亡し、1,100人以上が負傷したと伝えている。

ウクライナ政府は公式ツイッターで、同国のアントノフ航空(英語版)が運航する世界最大の航空機、アントノフAn-225「ムリヤ」が、ロシア軍によって破壊されたと投稿した。

3月1日、キエフではテレビ塔が砲撃され、5人の死者が確認された。近くにあるバビ・ヤールホロコースト慰霊地も破壊された。テレビ塔への攻撃は表現の自由と情報を広め受け取る権利を保護する目的で報道基盤への攻撃を回避する国連安全保障理事会決議 2222(2015)に反することや、慰霊地という文化遺産の破壊から、国際連合教育科学文化機関 (ユネスコ) は遺憾の意を後日表明した。ハリコフでは、地方行政官が地方庁舎がミサイル攻撃を受けた瞬間を撮影した動画を配信した。

3月2日、ロシア国防省は、今回の軍事作戦によるロシア軍の死者数を初めて公表し、498人が死亡、負傷者は1597人とした。またウクライナ側の死者は2870人以上、負傷者は約3700人としている。

3月4日午前2時(ウクライナ時間)、ウクライナ南東部にある欧州最大規模のザポリージャ原子力発電所がロシア軍の攻撃を受け、火災が発生していると、地元のエネルゴダールの市長がフェイスブックに投稿した。

ドミトロ・クレーバ外相も砲撃による原発の火災をTwitterで明らかにした。

国際原子力機関(IAEA)は、主要設備に影響はないとウクライナ当局から報告を受けたことを明らかにした。

妊婦・赤ん坊・医療従事者がいるにもかかわらずロシア軍が攻撃したマリウポリの病院(3月10日撮影)

3月9日

ウクライナ当局は、ロシア軍がマリウポリの産科・小児科病院を爆撃したと発表した。約10日間にわたりロシア側の包囲攻撃が続き、マリウポリのオルロフ副市長は、市民1170人が死亡したと明らかにした。ゼレンスキー大統領は「人々や子どもたちが残骸の下敷きになっている。残虐行為だ。世界はいつまでテロを無視する共犯者でいるのか」と声明を出した。

詳細は「マリウポリの病院への爆撃(英語版)」を参照

ロシア軍により占拠されているチェルノブイリ原子力発電所の電源がロシアの軍事行動により切断されたことをウクルエネルゴ(英語版)社とエネルゴアトム(英語版)社とが公表した。

これを受け、ウクライナの原子力規制監督当局は「チェルノブイリ原発には緊急用のディーゼル発電機が準備されており、48時間はバックアップが可能だ」と声明を発表。一方で、原発周囲での戦闘で電力ケーブルの補修作業が難航しているほか、停電の影響は他の町にも影響し、原発職員との電話による通信も途絶えている事を伝えた。

ウクライナ当局から説明を受けたIAEAのラファエル・グロッシ事務局長は「使用済み燃料貯蔵施設に関しては、プール内に十分な量の冷却水があり、電力の供給がなくても使用済み燃料からの効果的な熱除去を維持できる。

ディーゼル発電機とバッテリーによる非常用の予備電源もある」との具体的理由とともに「安全性に重大な影響を与えないとみている」とコメントした。

一方で、8日にチェルノブイリ、9日にザポリージャ原子力発電所の監視システムからのデータ送信が停止したことに触れ、グロッシ事務局長は2つの原発の状況を把握できない事に対し懸念を表明した。

3月10日、ロシア軍は、ハリコフにある核物質を扱う「物理技術研究所」を再び攻撃。ウクライナのメディアは、建物の表面が損傷し、付近の宿舎で火災が起きたと報じた。

3月11日、ロシア軍は、ハリコフ州イジューム近郊の精神病院を攻撃。同州のシネグボフ知事は戦争犯罪に当たると非難した。

ウクライナ政府はロシア軍が掌握したとする南部の都市メリトポリで同市のイワン・フェドロフ市長がロシア軍に拉致されたと訴え、「戦時に民間人を人質に取ることを禁じたジュネーブ条約などで、戦争犯罪に分類されるものだ」と非難する声明した。

ウクライナ政府が公開した監視カメラの映像では、男性が腕を捕まれて軍服を着た集団に連れ去られるような様子が確認出来き、ゼレンスキー大統領は、「明らかに侵略者の弱さの表れだ」と述べ、軍事侵攻を進めるロシア側が、新たな手法でウクライナ側に圧力を強めようとしていると非難した。

3月14日、攻撃は西部に及び、リブネのテレビ塔がミサイルで攻撃され9人が死亡した。

3月16日、ロシア軍は、数百人の民間人が避難していたマリウポリのドラマ劇場を空爆した(Mariupol theatre airstrike)。

AP通信によると、米国の宇宙企業マクサー・テクノロジーズが14日に撮影した衛星写真では、この劇場の建物の前後の敷地に、白い文字で大きく「子どもたち」とロシア語で記されていたという。

 3月16日、北部のチェルニヒウで、パンを買うために並んでいた市民10人がロシア兵による銃撃で殺害されたとして、地元のテレビ局が映像とともに報じた。キエフにあるアメリカ大使館もこれをツイッターに投稿し、「この残虐な犯罪の責任をとらせるために、あらゆる選択肢を検討する」としている。これに対し、ロシア国防省の報道官は「ウクライナ治安当局のでっち上げ」と反論。「現在もこれまでも、チェルニヒウにロシア兵はいない。全部隊が市外にいて道路を封鎖しており、攻撃的な行為を行ってはいない」と述べた。さらに、米大使館は「未確認の偽情報」を発表したと付け加えた。

3月17日、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ロシア軍がクラスター爆弾を南部のムィコラーイウで3月7日、3月11日、3月17日に「繰り返し使った」と発表した。同団体は「露軍はクラスター爆弾の使用を中止し、明白な無差別攻撃をやめるべきだ」と訴えた。

3月18日、ポーランド国境に近い西部の都市・リヴィウが初めてロシア軍の攻撃を受けた。リヴィウ市内にある空港の飛行機修理工場周辺に複数のミサイルが撃ち込まれ、建物が破壊された。

3月19日、マリウポリ市の当局によると、住民400人が避難している芸術学校がロシア軍に爆撃された。

難民

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)による難民数の発表によると、3月11日の時点で、250万人以上が難民として国外に避難した。3月15日、アントニオ・ヴィトリーノ事務局長はTwitterで、300万人を超えたと発表した。

避難先は3月3日時点で、ポーランドの旗 ポーランドで55万人、 ハンガリーで13万人、モルドバの旗 モルドバで10万人、スロバキアの旗 スロバキアで8万人、ロシアの旗 ロシアで5万人となっている 。

略奪・性的暴行

2月26日、ロイター通信は、コノトプ(英語版)北東部でロシア軍の兵站の問題から進軍を停止した際、町の商店がロシア兵に襲撃され略奪があったと報道した。

3月4日、ドミトロ・クレーバ外相は同国に侵攻した兵士が女性に対し性的暴行をはたらいていると非難。ロシアによる侵略行為を罰する特別法廷の設置の支持を表明。

フェイクニュース・デマ動画拡散

侵攻以後は、TwitterなどのSNSで、アメリカの戦闘機F-16をロシア戦闘機とする動画や、2020年の軍事パレードの練習風景の映像、ロシアのパラシュート部隊の映像は2016年制作の映像であったり、2011年のリビア国軍の戦闘機がベンガジで反政府組織に撃墜された際の映像、発電所への落雷を空爆の映像と称したり、中国語話者が2020年ベイルート港爆発事故の映像を「プーチン大王がウクライナを攻撃」と説明して投稿したりしており、これらはすべてフェイクニュースやデマであることがBBCの精査で分かった。

日本でも一部メディアが海外記事元の真偽不明な記事を取り上げた事例も発生している。

中日スポーツは、2月25日付でイギリスのタブロイド紙であるデイリー・メールが情報元とした「チェルノブイリ原発、再び放射能汚染の危機か ロシア軍が反応炉と核廃棄物の貯蔵施設を破壊、放射能レベル上昇の報道も」なる記事を、また、3月11日にロシアの政府系メディアであるスプートニクを情報元とした「米国がウクライナで「日本の731部隊似」の研究 露通信社報じる」なる記事をそれぞれ自社サイトおよびヤフーニュースに配信した。

が、デイリー・メールはセンセーショナルな記事内容で知られ信憑性が低く、スプートニクはロシアの政府系メディアであることからプロパガンダの要素が強いと識者から指摘されており、取材による新たな情報がないまま掲載したいわゆる「こたつ記事」としてメディア・リテラシーの面で批判されている。

なお、ヤフー及び中日スポーツはスプートニク発の記事は削除している。

ジャーナリストの犠牲

3月1日、ウクライナのテレビ局LIVEの撮影技師であるエウヘン・サクンは、キエフのテレビ塔をロシア軍が砲撃した際5人の犠牲者が出ており、その内の一人だった。

サクンはロシアのウクライナへの侵攻のニュースを担当しており、遺体は携帯していた記者証によって確認された。

3月13日、ウクライナ内務省によると、「ピーボディ賞」受賞歴がある米ジャーナリストでドキュメンタリー映画監督のブレント・ルノーが、爆撃が激化していたキエフの郊外のイルピンで避難する難民を取材中に射殺された。

過去には米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿していたことから、同紙の記者ではないかと情報が錯綜した。

が、同紙は取材を依頼しておらず、死亡時に携帯していた取材証はやはり過去に寄稿していた英紙タイムズのものだったが、同紙も今回は取材を依頼していなかった。

その後米雑誌タイムが同社の映像作成部門であるタイム・スタジオズの企画で取材を行っていたことを表明した。

同行していた赤十字国際委員会の「人道ビザドール賞」受賞歴があるフォトジャーナリストのホアン・アレドンドも銃撃を受けたが生き延び、検問所を通過したところで車中で銃撃にあった事を証言した。

3月15日、FOXニュースは、ウクライナで取材中だった同社のカメラマン、ピエール・ザクルゼフスキーとウクライナ人の女性記者、オレクサンドラ・クフシノワが死亡したと伝えた。14日にキエフ郊外のホレンカで車に乗っていたところ銃撃を受けたという。

一緒にいた同社のジャーナリスト、ベンジャミン・ホールも負傷した。米国の非営利組織「ジャーナリスト保護委員会」によれば、ウクライナ人のビクトル・ドゥダルとも取材中に死亡したという。

文化財

2月28日、キエフから約80キロ北方にあるイヴァンキフ博物館では民族画家マリア・プリマチェンコの絵画約25点が侵攻に伴う攻撃によって焼失したとウクライナ外務省が発表した。

3月3日、ユネスコはウクライナ政府との協力の下、「武力紛争の際の文化財の保護に関する条約」に基づき文化財の破壊と流失を防ぐべく国内の文化遺産への特殊標章の付与作業を調整していることを発表した。

3月8日にはユネスコは文化遺産の破壊を人工衛星によって監視していることを発表した。3月3日に発表していた文化遺産への特殊標章の付与作業を世界遺産に登録されているリヴィフ歴史地区から始めるとした。

ウクライナ国内での戦況

航空戦

侵攻後、1人のウクライナ空軍パイロットが複数のロシア軍機を撃墜したとする話がソーシャルメディア上に投稿され、「キエフの幽霊」という呼び名が付けられた。

侵攻開始からの30時間で、ロシア軍のSu-35戦闘機2機、Su-25攻撃機2機、Su-27戦闘機とMiG-29戦闘機各1機を撃墜したとされている。ウクライナ国防省は「キエフの幽霊」はロシア軍侵攻後にウクライナ軍へ復帰した数十人の予備役パイロットの1人である可能性が高いと主張した。

地上戦

ウクライナ軍は初期の攻撃によりC4Iシステムが破壊されたとみられるが、ドローンと対戦車ミサイルを効果的に利用する戦法でロシア軍の車両を撃破している。

ウクライナ軍はアメリカ軍のインテリジェンス支援によりロシア軍の動向を事前に察知できるようになり、車列を待ち伏せて攻撃することが可能となった。

戦死

3月3日、ウクライナのバイアスロン選手、ユージン・マリシェフがハリコフでの戦闘で死亡した。

3月4日、ウクライナの狙撃手によってロシア第7空輸師団長兼第41連合軍副司令官のアンドレイ・スホベツキーが射殺されたという報道がイギリスのインデペンデントからされた。ロシア日刊紙プラウダでは、ウクライナ内の特殊作戦中に死亡したと伝え、プーチン大統領の演説では「将軍の死亡は確認した」と話している。

3月8日、ウクライナ国防省はロシア第41軍(英語版)第1副司令官のヴィタリー・ゲラシモフ少将が3月7日にハリコフ付近で殺害されたと発表した。一方、米国は今回の発表について確認が取れていないとしている。

ウクライナ軍によりチュウイブ(英語版)が奪還された際、ロシア軍第61海兵旅団(英語版)所属の中佐二人が戦死した。

3月12日、ロシア陸軍東部軍管区第29軍指揮官のアンドレイ・コレスニコフ少将が交戦中に死亡したと複数の西側当局者が明らかにした。ウクライナ侵攻開始後2週間で、アンドレイ・スホベツキー少将、ヴィタリー・ゲラシモフ少将に続き3人のロシア軍将官が戦死した。

3月17日、ロシア軍の将官オレグ・ミチャーエフ少将が3月15日にアゾフ大隊によって死亡したとウクライナ内務省顧問が明らかにした。

同日、西部コストロマを拠点とする空挺部隊の連隊指揮官のセルゲイ・スハレフ大佐が戦死したと、ロシア国営テレビが発表した。

3月18日、ロシア軍南部軍管区第8連合軍の司令官であるアンドレイ・モルドビチェフ中将を殺害したとウクライナ軍参謀本部は報告した。

3月20日、ロシア海軍黒海艦隊副司令官(軍事政治活動担当)のアンドレイ・パリイ大佐が戦死したとタス通信などが報じた。

情報戦

ウクライナ側は国際世論を味方につけるため、ゼレンスキー大統領の声明、市民の被害、ドローン映像をソーシャルメディアで拡散させるなど、情報発信に力を入れている。(次節で詳述)。

3月11日、ロシア軍がベラルーシの対ウクライナ国境付近の村にウクライナ軍の仕業に見せかけるべく、ロシア軍機による空爆をウクライナ領空から行う「偽旗作戦」を敢行。

また、ロシアがウクライナに対し生物兵器を使う目的でアメリカがウクライナで生物兵器を開発しているとする主張を行った。

ロシア国内での状況

世論調査

侵攻開始後の2月25日から27日にかけて実施されたロシアの世論基金(FOM)による調査では、プーチン政権支持率は71%にのぼった。

侵攻前の2月20日には64%であり、前年の2021年の7月から8月にかけては57%ほどだった。また、ドネツク、ルガンスク人民共和国の国家承認については支持が69%であった。

情報統制とそれに対する対応

2月25日 - ロシア国内でのFacebookへのアクセスが制限された。

2月26日 - 通信規制当局は、国内メディアに対し、ウクライナ危機に関する報道で「攻撃、侵略、宣戦布告」と表現した記事を削除するよう求めた。

3月1日

AKKetが取得したロシア政府が発行したと見られる文書によると、国外からの制裁など外部の脅威が多いとして、ロシア政府は外国製のソフトウェアの自動更新を無効にし、情報システムのユーザーのパスワードを変更し、外国のドメイン名.com、.org、.netなどにあるすべてのウェブサイトを.ru、.su、.рфなどのロシア国内のドメインに移管すると促した。また、インターネットから切り離し、国内ネットワークサービスのRunetへの切り替えも示唆した。

ロシア連邦通信・情報技術・マスコミ分野監督庁(Roskomnadzor)は、ロシア語版ウィキペディアの「Вторжение России на Украину (2022)」記事においての、「ウクライナ民間人に多数の死傷者が出た」という記載が「違法に拡散された情報」だと検察当局がウィキペディアサイトの停止を警告した。

YouTubeは、ロシア政府系メディアの「RT」「スプートニク」の公式チャンネルをヨーロッパで視聴できない措置を取ったと明らかにした。

3月2日

ロシアの経済紙「RBK」は「国民は政権に規制されていない情報を得るため『VPNアプリ』を積極的にダウンロードしている」と報じた。

ロシアの情報統制を受け、BBCはのティム・デイビー会長は「ロシアの人々に真実を伝え続ける」と述べ、ウクライナとロシア国内で一日4時間、2つの短波放送を開設したと発表した。

3月3日

ウィキメディア財団は、ロシア政府の記事削除要求に対し、「ウィキペディアはこの危機における信頼できる重要な情報源である。私たちはウィキペディアのメンバーへの検閲や脅迫に対して後退しない。私たちは、世界に自由な知識を提供する使命を持つ」との声明を出した。ウィキメディア財団ロシア支部は、通信監督庁にウィキペディアは常時複数の編集者によって情報が更新され、かつガイドラインもあるなどの説明をした。

3月4日

ロシア下院議会は「ロシア軍の活動について意図的に誤った情報を拡散するなどした個人や団体に罰則を科す」とする法律の改正案を全会一致で採択した。

ロシア人だけでなく外国人も対象で、最大で15年の懲役や禁錮など自由はく奪の重い刑罰を科す可能性がある。

同日、上院での採択、プーチンの署名を経て改正法は発効した。

ロシアの通信規制当局は、BBCのロシア語放送、米国営放送「ボイス・オブ・アメリカ」、米政府系放送局「ラジオ・リバティー」、ドイツ公共放送「ドイチェ・ヴェレ」、ロシア語の独立系ニュースサイト「メドゥーザ」などへのインターネット上のアクセスを遮断したと発表した。

さらにFacebookとTwitterへのロシア国内でのアクセスを遮断すると発表した。

上記の措置がとられたため、BBC、ブルームバーグ通信、CNN、カナダのCBCなどはロシア国内での取材活動を一時停止すると発表。BBCのティム・デイビー会長は「スタッフの安全は最重要であり、仕事をしただけで刑事訴追を受けるリスクにさらす気はない」と述べた。ドミトリー・ムラトフが編集長を務めるロシアの独立系新聞「ノーヴァヤ・ガゼータ」は、ウクライナでの軍事行動に関する記事を削除する方針を示した。日本の朝日新聞もロシア国内からの報道を一時見合わせることを発表した。

3月6日

TikTokは、前述の法改正を受け、ロシアのユーザー向けの生配信と新コンテンツの提供を停止すると発表した。

3月8日

BBCはロシアからの報道を再開したことを発表した。同局は「新法の影響とロシア国内から報じる緊急の必要性を慎重に検討した結果、再開を決定した」とのコメントを発表している。その一方でニューヨーク・タイムズはロシア国内に駐在しているスタッフを国外に一時撤退することを発表した。

日本放送協会(NHK)は同局が放送している国際放送「NHKワールド JAPAN」の英語チャンネルが同日(現地時間同月7日夜)からロシア国内において、視聴が出来なくなっていることを発表した。

Twitter社は、TwitterのサイトをTor(The Onion Router)ネットワーク経由で閲覧できるようにした。これにより、ユーザーは匿名でTwitterを利用できるようになる。

3月9日

日本の外務省は「最悪の場合、身柄の拘束や罰金を課す可能性も排除できない」として、報道各社に対し、ロシア国内での報道活動は慎重に行うように注意喚起を行った。

ディスカバリーはロシア国内での番組配信を停止したことを発表した。

3月11日

ロシアの検察当局は、FacebookやInstagramを運営するメタを「過激派組織」と認定し、ロシア国内での活動を禁止するよう裁判所に訴えた。

YouTubeは、ロシア国営メディアと関連するチャンネルをブロックし、世界中で見られなくなるよう措置を講じた。これらのチャンネルはヨーロッパですでに見られなくなっていたが、全世界に広げた。

3月13日

ロシアの通信情報技術監督庁は、Instagramの国内での利用を停止した。

3月16日

国内のハイテク起業家らは、Instagramの国内遮断の措置を受け、ロシア独自の写真共有アプリ「ロスグラム」を立ち上げると発表した。サービス開始は3月28日とされる。

ロシア国内での反戦運動

詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻に対するロシアでの反戦・抗議運動」を参照

政府寄りの著名人の反応

ロシアのフィギュアスケート元選手で金メダリストで、以前からプーチンを支持する発言を繰り返しているエフゲニー・プルシェンコは3月1日、自身のInstagramで、ロシアとベラルーシの選手がフィギュアスケート世界選手権から参加を除外されたことについて「スポーツと政治を混同してはならないし、アスリートが今のように罰せられ、パフォーマンスや競技をする権利を奪われるようなことがあってはならない。これは差別であり、アスリートの権利を直接かつ著しく侵害するものだ」と決定を批判し、さらに「私は私たちの大統領を信じています」という投稿を行った。

が、プーチンを擁護しているとしてネット上で批判が続出した。

3月6日、プルシェンコはInstagramを更新し「ロシア人であることを誇りに思っている。ジェノサイドをやめろ。ファシズムをやめろ」とロシアに対する批判に反発する投稿を行い、さらに国際世論からの批判が続出している。

が、プルシェンコはウクライナ批判などをしているInstagramアカウントの複数投稿に「いいね」を押すなどプーチン政権を擁護する姿勢をとり続けている。

また、プルシェンコの妻でタレントのヤナ・ルドコフスカも自身のInstagramで夫の主張を擁護する投稿を行っている。

ロシアのイワン・クリアク(英語版)は、3月5日、カタールのドーハで行われた体操の種目別ワールドカップ(英語版)に出場した大会での国旗の使用が禁止されているため、ロシアで勝利を意味しロシア軍の戦車にも描かれている「Z」の文字を白いテープでつくり、胸のエンブレムを隠したユニフォームを着用して競技に臨んだ。

これに対し、国際体操連盟はクリアクの懲戒手続きを開始するよう体操倫理財団に求めると発表した。

この動きに対しクリアクは「『勝利のために』『平和のために』を意味している。私は誰かの不幸を願ったわけではなく、自分の立場を示しただけ。アスリートとして常に勝利のために戦い、平和のために立ち上がる」と釈明し、「もし、もう一度チャンスがあり、『Z』印をつけるかどうかを選ばなければならないとしたら、全く同じことをするだろう」と発言した。

経済

3月14日、ロシア政府は、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン旧ソ連4か国への穀物と砂糖の輸出を一時的に制限すると発表した。輸出制限は穀物が6月30日まで、砂糖は8月31日まで。国内の食料自給に万全を期すのが狙いとされる。

不明兵士の捜索

兵士とその家族の権利を守ることを目的に組織された団体「ロシア兵士の母の委員会連合」には侵攻の開始以降、音信不通となった兵士の家族らからの問い合わせが殺到している。代表のスヴェトラーナ・ゴルブによれば、今回の作戦について家族らにはほぼ何も知らされていないという。

また、ウクライナで戦いたくないという兵士の声を伝える家族らからの電話も多くかかってきている。例として、ロシア南部ダゲスタンのある母親は最前線にいる息子が上官に「自分は戦闘に加わりたくない」と告げたと語っていた。

しかし、上官は選択の余地はないと言ったという。「これはあってはならないことだ」とゴルブは言う。団体は独自のデータベースを用いて兵士の所在を突き止め、当局に安否情報の開示を要求している。

他には、死亡した兵士の遺体を自分たちの手によって回収することを検討している。国防省が返還を渋っているのだとゴルブが思い至ったためである。

ウクライナ内務省が設置したホットライン「生きてウクライナから戻る」にも2月24日以降、3月9日時点で6000件以上の電話が来ている。このホットラインは人道と戦争を止めるためのプロパガンダの両方の側面から、ロシア兵の安否情報の提供をしている。一連の録音からは、多くのロシア兵が自分の予定や派遣理由を知らない様子がうかがえ、またプーチン大統領が戦争に関する情報を統制していることがますます明らかになっている。

クリアク以外にもロシアのアスリートによる「Z」マークの着用の動きが続いており、3月18日にモスクワのルジニキ・スタジアムで行われたロシアのクリミア半島併合記念コンサート「クリミアの春」に、2022年北京オリンピックスキージャンプ団体戦銀メダリストのイリーナ・アブバクモワとエフゲニー・クリモフ(英語版)が胸元に「Z」の文字があるジャケットを着用し出席。同様に北京オリンピックアイスダンス銀メダリストのヴィクトリヤ・シニツィナとニキータ・カツァラポフも「Z」マークの入った衣服を着用して出席した。この動きに対し、他国のメディアやアスリートからの強い反発が出ている。

ロシアのピアニストであるボリス・ベレゾフスキーは3月10日、同国政権寄りのメディアであるチャンネル1のトーク番組に出演し、「素朴な質問がある。彼ら(ウクライナ)に情けをかけ、慎重に物事を進めているのは分かる。だが、彼らを気にかけるのはやめて(キエフを)包囲し、電力を遮断したらどうだろうか」と発言した。また「西側メディアが報じていることは真っ赤な嘘だ」「我々はこの戦争に勝ち、この国で何かいいもの、素晴らしいものを築かなければならない。最後には真実が人々に届くと確信している。1年後には真実が勝つ」などとプーチン政権によるウクライナ侵攻を擁護する発言を行った。

この発言に対し、ドイツ出身のピアニスト・指揮者のラルス・フォークト(英語版)は自身のTwitterで「私の元友人、ボリス・Bがこのような発言をしたとは信じられない。だが、私は彼の口からその言葉を聞いた。私たちの友情は正式に終わった」と絶縁を表明する投稿を行うなど、音楽関係者を中心に反発が広がっている。

ロシア正教のキリル総主教は、世界教会協議会総幹事代理のイオアン・サウカからの書簡に対する返書の中で、対立の起源は西側諸国とロシアの関係にあるとした上で、「あからさまにロシアを敵とみなす勢力がその国境に近づいてきた」「NATO加盟国は、これらの兵器がいつか自分たちに対して使われるかもしれないというロシアの懸念を無視して、軍備を増強してきた」「ウクライナ人やウクライナに住むロシア人を精神的にロシアの敵に作り変えようとした」と西側諸国の指導者らを非難。また、今回の経済制裁について、「ロシアの政治・軍事の指導者だけでなく、とりわけロシア国民を苦しめようとする意図が露骨に表れている」との認識を示し、「主の力によって、一刻も早く正義に基づく恒久的な平和が確立されるよう」「世界教会協議会が政治的偏見や一方的な見方から自由であり続け、公平な対話のためのプラットフォームであり続けることができるよう」求めた。

国際社会の反応

2022年ロシアのウクライナ侵攻に対する国際社会の反応。

侵攻を非難した国(ウクライナ支持)

中立の立場を取っている国

NATOが侵攻を誘発したと非難した国(ロシア支持)

不明

ロシア

ウクライナ

「2022年ロシアのウクライナ侵攻に対する国際社会の反応(英語版)」を参照

政府・公的機関の反応

ウクライナ支持の国家

ロシアによる二つの分離共和国の承認以降西側諸国はロシアに対する制裁を順次発表し、さらにロシアによるウクライナ侵攻以降は世界各国から様々なロシア(およびロシアに協力する立場にあるベラルーシ)に対する制裁が拡大している。

イギリス

2月19日、ボリス・ジョンソン首相は、ミュンヘンで開かれた安全保障会議に出席した際、同地でBBCの取材に応じ、ロシアが「1945年以降で最大の戦争」を計画していることを証拠が指し示していると述べた。ジョンソンへのインタビューは翌20日に放送された。

2月22日、ジョンソン首相は、ロシアの5つの主要銀行、およびプーチンらロシア上層部に対する制裁措置を発表した。

3月8日、同年末にかけてロシア産原油の輸入を段階的に停止すると発表した。

ドイツ - 2月22日、オーラフ・ショルツ首相は、ノルドストリーム2パイプラインの認証プロセスを停止すると発表した。また、「ロシアの攻撃はあからさまな国際法違反で正当化できない。プーチン大統領による無謀な行為を最も強い言葉で非難する」とツイッターに投稿した。3月7日、ショルツ首相は、ヨーロッパがロシアからの輸入に頼らずにエネルギー供給を確保することは不可能だとの見解を示した。

イタリア - 3月1日、イタリア政府はウクライナ国民への支援を確保することを目的として、2022年12月31日までの緊急事態を宣言した。3月5日、政府は、オリガルヒと呼ばれるロシア新興財閥5人が所有する邸宅やヨット1億4300万ユーロ相当を差し押さえたと発表した。

デンマーク - 2月27日、メッテ・フレデリクセン首相は、デンマーク国民が「国際義勇軍」に参加することについて「一見すると、これを妨げる法的な問題はない」と語り、容認する姿勢を示した。3月6日、国防予算を大幅に拡大し、ロシア産天然ガスの依存から脱却することを目指すと発表した。

フィンランド - 2月24日、サウリ・ニーニスト大統領は「仮面がついにはがされ、戦争の冷たい顔があらわになった」と述べ、ロシアの軍事侵攻を非難した。サンナ・マリン首相は、ロシアによる侵攻がフィンランドとNATO加盟国をとりまく論議に変化をもたらすだろうと述べ、自身のTwitterにおいて、ウクライナとウクライナ人に対し確固とした支援をすることを約した。2月28日、フィンランド放送協会(YLE)は、NATO加盟への支持が53%に上ったとの世論調査を発表。初めて過半数に達した。3月5日、マリン首相はヘルシンキでスウェーデンのマグダレナ・アンデション首相と共同記者会見し、両国の安全保障協力を強化すると発表した。

 スウェーデン - 2月24日、マグダレナ・アンデション首相は「ロシアの侵攻を最大限の強い言葉で非難する。ロシアが行った行為は同時に、ヨーロッパの安全と秩序に対する攻撃でもある」と述べた。

3月4日、大手日刊紙が委託した世論調査が発表され、NATO加盟支持は51%となり、初めて過半数に達した。

3月5日、アンデション首相はヘルシンキでフィンランドのサンナ・マリン首相と共同記者会見し、両国の安全保障協力を強化すると発表した。

3月8日、アンデション首相は記者団に対し、NATO加盟に否定的な見方を示した。

ノルウェー - 2月24日、ヨーナス=ガール・ストーレ首相は「ロシアの軍事攻撃を最大限の強い言葉で非難する」との声明を発表した。

2月27日、ストーレ首相は、政府系ファンドで保有している1兆3千億ドル規模のロシア資産を売却する方針を明らかにした。

スイス - 2月28日、イニャツィオ・カシス大統領はEUと歩調を合わせた対ロシア制裁として、国内の金融機関にEUの制裁対象となった個人や企業との取引を禁じ、関与したロシア人の資産の凍結を発表した。

また、ロシアがウクライナ東部の親ロシア派支配地域の独立を承認した際には非難を表明している。

バチカン - 2月25日、ローマ教皇フランシスコは、ツイッターを更新し「戦争は恥ずべき降伏。政治と人類にとっての失敗だ」と訴えた。また、教皇は同日朝の公務をキャンセルし、バチカンのロシア大使館を急きょ訪問。バチカン広報局によると、教皇はロシア大使と30分間会談して「ウクライナで起きていることに対する深い憂慮」を表明した。

ルーマニア - 2月28日、ルーマニア両院議会は、ロシアの軍事行動を非難する決議案を賛成339票、反対1票、棄権2票で採択した。同日、クラウス・ヨハニス大統領は、ベルギーのアレクサンドル・ド・クロー首相と協議した際、ベルギーが300人の部隊をルーマニアに派兵することに謝意を述べた。

ポーランド - 2月24日、ロシアのウクライナ侵攻は「欧州全体への脅威」を示すものだとして北大西洋条約第4条を発動し、安全保障上の懸念に関する同盟国との協議を求めた。

チェコ - 2月24日、ミロシュ・ゼマン大統領は国民向けの演説で、ウクライナ侵攻を「一方的な侵略行為」と呼び、ロシアは平和に反する犯罪を犯したため、厳しい制裁を受けるべきだと述べた。その上で、数日前までロシアがウクライナに侵攻することはないだろうと述べていた自身の主張が「誤り」であったと認めた。

スロバキアの旗 スロバキア - 2月24日、エドゥアルド・ヘゲル首相は「侵略と好戦性が形となって我々の前に現れ、ロシアの帝国主義が復活した」「今回の戦争の犠牲者はすべて、プーチン大統領による犠牲者である。彼は世界中の人々が注視する中で、すべての犠牲者に対し責任を負うことになる」と述べた。

 ハンガリー - 2月24日、オルバーン・ヴィクトル首相は「我々はEUおよびNATOの同盟国とともにあり、ロシアの軍事攻撃に抗議する」と表明。ところが3月7日、バルガ・ミハーイ財務相はフェイスブックへの投稿で「ハンガリー政府はロシア産エネルギーに対するいかなる制裁も支持しない」と述べた。

クロアチア - 2月24日、アンドレイ・プレンコビッチ首相はTwitterを更新し、「我々は、ロシアによるウクライナ侵略と侵攻を強く非難する。今回の一方的な攻撃はウクライナの主権と国際法に対し重大な違反を犯している」と述べた。

 ブルガリア - 2月28日、キリル・ペトコフ首相は、ロシアによるウクライナ侵攻を「戦争」ではなく「軍事作戦」と呼ぶなど、ウクライナ危機への関与に消極姿勢を示したステファン・ヤネフ国防相を罷免すると発表した。。3月2日、同国駐在のロシア外交官2人に対し、「外交官の立場と相いれないスパイ活動」を理由にペルソナ・ノン・グラータを発動した。

エストニア - 2月24日、ポーランドと同様に北大西洋条約第4条を発動した。

ラトビア - 2月24日、ポーランドと同様に北大西洋条約第4条を発動した。

リトアニア - 2月24日、ギタナス・ナウセダ大統領は緊急事態を宣言した。同日、ポーランドと同様に北大西洋条約第4条を発動し、安全保障上の懸念に関する同盟国との協議を求めた。

モルドバ - 2月24日、マイア・サンドゥ大統領は緊急事態の宣言を示唆した。

3月2日の国連総会での対ロ非難決議に賛成したうえで、翌3日にウクライナと同様にジョージアとともに欧州連合(EU)に加盟を申請した。

ジョージア (国)の旗 ジョージア - 3月2日の国連総会での対ロ非難決議に賛成したうえで、翌3日にウクライナと同様にモルドバとともに欧州連合(EU)に加盟を申請した。

アメリカ合衆国

2月22日、ジョー・バイデン大統領は、ロシア開発対外経済銀行(英語版)、プロムスビャジバンク(英語版)の2銀行と、ロシアのソブリン債務に対する包括的な制裁を発表した。

2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、ロシアに対する追加制裁措置を発表した。ロシア第2位のVTB銀行など新たに4行を制裁の対象とし、ロシアがドルや円、ユーロ、ポンドでビジネス取引を行う能力を制限した。

バイデン大統領は、NATO加盟国の支援を理由として東欧に7,000人規模の米兵の派遣を決定した。

3月1日、アメリカ政府はニューヨークに駐在するロシア国連代表部の外交官12名に対し「アメリカに居住する権利を乱用し、アメリカの安全保障に悪影響を及ぼす諜報活動を行った」としてペルソナ・ノン・グラータ(国外追放)を命令した。

3月1日、バイデン大統領は、就任後初めてとなる一般教書演説を行った。その中で「プーチン大統領はかつてないほど世界で孤立している」「彼は戦場では利益を得るかもしれないが、長期的には高い代償を払い続けることになる」と述べた。

3月8日、バイデン大統領は、ロシア産の原油、天然ガス、石炭などの輸入を禁止すると発表した。

これに伴う原油価格高騰への対策として、経済制裁しているベネズエラに、米国に直接供給することを禁輸措置緩和の条件として求めた。

しかし、制裁理由の人権問題がまったく改善していない中での交渉は、米議会の一部議員からは批判の声も上がった。

また、OPECのサウジアラビアとUAEからは電話会談を拒否された。

3月11日、バイデン大統領は、ロシアとの「恒久的正常貿易関係(PNTR)」を無効とし、世界貿易機関ルールに基づくロシアの「最恵国待遇」を撤回すると表明した。

追加の経済制裁としてロシアからのウオッカ、魚介類、非工業用ダイヤモンドなどの輸入禁止、ロシアへの高級時計や高級車の輸出禁止、暗号資産の監視強化などを打ち出した。

カナダ - 3月10日、ジャスティン・トルドー首相は、プーチン大統領がウクライナへの攻撃で民間人を「明確な標的」に選んだとの見方を示した。

オーストラリア - 2月24日、スコット・モリソン首相は、ロシアの国家安全保障会議のメンバー8人を対象とした渡航禁止と金融制裁を発表した。

ニュージーランド - 2月25日、ジャシンダ・アーダーン首相は、渡航禁止やロシア軍および治安部隊との商取引禁止からなる制裁措置を発表した。

ミクロネシア - 2月25日、ウクライナ侵攻に抗議するため、ロシアとの外交関係を断絶した。

日本

2月23日、岸田文雄首相は、二地域関係者の査証発給の停止および資産凍結、二地域との輸出入の禁止、ロシア政府による新たなソブリン債の日本での発行・流通の禁止などの制裁を行うと発表した。

侵攻を受けて林芳正外務大臣はロシアのミハイル・ガルージン駐日大使を外務省に呼び、この侵攻はウクライナの主権と一体性を侵害するものであり、明らかな国際法違反であるとし、日本人を含めた民間人の安全の保証を求めた。

これに対しガルージン大使は「大臣の発言はモスクワに報告する。同時にこちらから反論したい。ロシアによるウクライナの侵攻というようなことは起こっていない。今起きていることは、大統領の決定による特殊軍事作戦で、その目的は、ウクライナ政府によって『ドネツク人民共和国』と『ルガンスク人民共和国』で虐げられた人を保護することだ」と述べた。

25日、岸田首相は侵攻を受けた追加制裁として、プーチンを筆頭としたロシア政府関係者を含む個人や団体に対する資産凍結と査証の発給停止、ロシア開発対外経済銀行およびプロムスビャジバンク、バンク・ロシヤの3銀行の資産凍結、ロシアの軍事関連団体への輸出、国際合意に基づく規制品目や半導体など汎用品のロシア向け輸出の規制を行うと発表し、制裁の対象者・団体はこれ以降順次追加され、官報で告示された。

また3月3日には、ロシアのウクライナ侵攻を協力したとされるベラルーシについても、ルカシェンコ大統領を筆頭とした政府関係者を含む個人に対する資産凍結などの制裁措置を発表し、官報で告示された。

3月1日に衆議院本会議で「ロシアによる侵略を非難する決議」を賛成多数で採択し、翌2日に参議院本会議でも採択された。

両院ともれいわ新選組の議員のみが反対し、侵攻は非難するが決議だけでは不十分という理由だった。

3月2日には、国際送金・決済システムのSWIFT(国際銀行間通信協会)からのロシア排除について欧州と調整しており、制裁効果を確認した上で必要であれば追加策も検討する考えを表明した。

3月15日、松野博一官房長官は定例会見で、ウクライナの首都の名称表記をロシア語由来の「キエフ」からウクライナ語に基づく「キーウ」に変更すべきとの意見があることについて「適切な表記の在り方について不断に検討していきたい」と述べ、「キーウ」の表記は国民に定着しておらず、ウクライナからの指摘もないことから「現時点で改めることは考えていない」と語った。

同日、古川禎久法務大臣は記者会見で、岸田首相が3月2日にウクライナからの避難民の受け入れを表明して以来、3月13日までに47人のウクライナ人が「短期滞在」の在留資格で日本に入国したと発表した。

ウクライナの難民の総計が300万人を超えたとの発表がなされた頃でもあったため、ニューヨーク・タイムズは3月15日に報じた記事の中で、「日本は難民に対し世界で最も非寛容な国の一つ」「世界で3番目の経済大国であるにもかかわらず、日本は難民認定の実績数のあまりの低さで広く知られており、かつ批判を受けてきた」と指摘した。

3月16日、岸信夫防衛大臣とウクライナのレズニコフ国防大臣とテレビ会議形式で約30分間会談。岸大臣はロシアの侵攻について「決して認められない行為で、このような力による一方的な現状変更は国際秩序の根幹を揺るがす」と非難した。レズニコフ国防相から日本政府による防弾チョッキなどの装備品供与について謝意が示された。

大韓民国 韓国 - 2月24日、文在寅大統領は、ロシアへの経済制裁への参加を表明した。2月28日、外交部はロシアに対する経済制裁を含むウクライナ情勢への措置・対策の概要を発表した。

中華民国(台湾) - 2月25日、蘇貞昌行政院長は、ロシアへの制裁を発動する考えを表明した。また、半導体受託生産で世界最大手のTSMCは、全ての輸出管理規則を順守すると発表した。

シンガポール - 3月5日、外務省は、ロシアへの制裁として、ロシアの銀行4行との取引をシンガポール国内の金融機関に禁じると発表した。

インドネシアの旗 インドネシア - 2月24日、ジョコ・ウィドド大統領は自身のTwitterを更新し、「戦争をやめよ。戦争は人類に苦しみしかもたらさず、世界を危険にさらす」と述べた。

2月25日、外務省は、ロシアによるウクライナ侵攻は「容認できない」と表明した。

3月10日、ジョコ大統領は、日本経済新聞の単独インタビュー上で、ロシアのウクライナ侵攻に深い懸念を表明し、「主権と領土の一体性は全ての当事者に守られるべきだ」と述べ、停戦を求めた。一方で、ロシアへの経済制裁並びにロシアのG20からの排除には否定的な考えを示した。

トルコ - 2月24日、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は、ロシアの攻撃は容認できず、ウクライナ支持を明言した。

また、ロシアもウクライナもトルコにとっては友好国で、こうした対立は悲しいと語った。

ウクライナのヴァシリー・ボドナル(ウクライナ語版)駐トルコ大使は、黒海に通じるボスポラス海峡とダーダネルス海峡でのロシア船通航禁止をトルコに要請した。

2月25日、トルコの外務大臣は同国がロシアの経済制裁へ反対すること、両海峡のロシア船通行禁止を実施しないことを明言した。

しかし、2月28日、トルコ政府は一転、黒海沿岸国の軍艦が黒海沿岸にある母港に寄港すること以外の理由で、両海峡の通過を認めないとしていた。

イスラエルの旗 イスラエル - 3月1日のバビ・ヤールホロコースト記念地付近への空爆に対し、イスラエルの外相とディアスポラ事務担当相は名指しを避けながら、事件を非難した。

一方、名指しの非難はせず、経済制裁へも言及せず、武力行為は批判しながらもバランスを保っている。ベネット首相は、ゼレンスキーとプーチンの双方と会談し、仲介も申し出ている。

レバノン - 2月24日、外務省はロシアによる侵攻を非難し、モスクワに対し「軍事作戦の即時停止」を要求した。これを受けてレバノンのロシア大使館は、「こうした出来事において、一方の肩を持ち、一方を糾弾するというのは分離の原則を侵害するものである。レバノン共和国の発展と安定にロシアは貢献もしなかったし努力も払わなかった、と言っているのと等しく、我々としては驚かざるを得ない」と述べた。



軍事支援・武器供与

ロシア

ウクライナ

ウクライナに軍備を送った国

フランスの旗 フランス - 2月27日5:55(日本時間)、ウクライナへの追加の軍事支援を決定。

ドイツ - 2月27日(日本時間)、ウクライナへの1,000発の対戦車武器、500発のスティンガーミサイルの武器供与を決定。

イタリア - 2月28日、ウクライナへの武器供与の方針を表明。

オランダ - 2月27日(日本時間)、ウクライナへの200発のスティンガーミサイル、50発のパンツァーファウスト3、ミサイル400発の追加の軍事支援を決定。

スウェーデン - 2月27日、紛争当事国に兵器を供与しない国是を破り、ウクライナに対戦車砲AT4 5,000門や戦闘食糧13万5000食などを送ると発表した。

ノルウェー - 2月28日、紛争が起きているNATO非加盟国に武器を供与しないという従来の原則を転換し、ウクライナへの武器供与の方針を表明。

 フィンランド - 2月28日、ウクライナへの武器供与の方針を表明。

ポーランド - 3月1日、ポーランド空軍が保有するMiG-29、28機をウクライナへ提供すると発表。3月6日、ウクライナへのMiG-29提供の代わりにアメリカへF-16の提供を求めていることがわかった。3月9日、ポーランドはアメリカを経由してMiG-29をウクライナへ提供する案を提示したが、アメリカ側はこれを受け入れない意向を示した。

ブルガリア - 3月1日、Su-25を14機、MiG-29を16機提供することを発表。

スロバキア - 3月1日、MiG-29を12機提供することを発表。

 チェコ - 3月1日、チェコ国防省が武器弾薬をウクライナに送ったことをFacebook上で投稿。

アメリカ合衆国

2月26日(日本時間)、ウクライナに追加軍事支援として、対戦車ミサイルのジャベリンなど最大400億円の支援を行うことを決定した。

また、21年12月に中東派遣計画で米ノーフォークを出港した空母ハリー・S・トルーマン:CVN-75を中心とする第8空母打撃群を22年になりウクライナ情勢不安から計画変更し米国防総省は地中海域にて周辺国と協力し当面待機するとした。

3月12日、ウクライナに対し、約2億ドル(約235億円)の追加の武器支援を行うことを決めた。

3月16日、ウクライナに対し、追加で8億ドル(約950億円)の支援をすると発表した。

カナダ - 2月28日、ウクライナへの武器供与の方針を表明。

オーストラリア - 3月1日、モリソン首相は、ウクライナに対し5000万ドルの支援の一環としてミサイルを供与することを発表。

日本 - 3月4日、松野博一官房長官は自衛隊の防弾チョッキやヘルメット、医薬品等をウクライナへ供与する事を表明。同月9日未明、これら物資を積んだ第1便として輸送機KC-767が航空自衛隊小牧基地を出発した。同月10日に第2便の輸送機C-2が美保基地を出発した。

SWIFT排除

2月24日、EUはブリュッセルで緊急首脳会議を開催。ゼレンスキー大統領がオンラインで参加し、国際銀行間の送金・決済システムである国際銀行間通信協会(SWIFT)のロシア排除を求めたが、ロシアに天然ガス輸入を依存するドイツやイタリア、ハンガリーなどが難色を示した。

その後イタリアが容認姿勢を見せ、2月26日、ドイツがロシアを部分的に排除する考えを示した。

2月26日、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、カナダ、欧州委員会は、ロシアの分離共和国承認とウクライナ侵攻により金融制裁の対象となっているロシア大手銀行にSWIFT排除に合意したと発表した。

また、ロシア連邦中央銀行にも制裁を科し、外貨準備に対する制限を行う。

2月27日夜、岸田文雄首相が「暴挙には高い代償を伴うことを示していく。国際社会はロシアの侵略により、ロシアとの関係をこれまで通りにしていくことは、もはやできないと考えている」と述べ、日本も同様にSWIFTからロシアの一部銀行を排除すると表明した。

3月9日、EUは、ベラルーシについて、SWIFTから3銀行を排除することを決定した。ロシアの制裁逃れを防ぐ狙いがあるとされる。

3月12日、ロシア7銀行のSWIFTからの排除措置が発効。なお、ロシア最大手のズベルバンクや、国有ガス会社ガスプロム傘下のガスプロムバンクの排除は見送られた。

航行制限・船舶拿捕

フランス海軍は2月25日夜から26日未明にかけて、EUによる対ロ制裁の一環として英仏海峡を航行していたロシア船籍貨物船を拿捕した。

2月28日、トルコ政府はモントルー条約に基づき、戦争の当事国であるか否か、また黒海沿岸国であるか否かを問わず、すべての国に対して軍艦のボスポラス海峡とダーダネルス海峡の通過を認めないとする通告を発表した。ただし、条約により沿岸国の軍艦が黒海沿岸の母港に戻ることは例外的に認められているとしている。

中立の国家

中国

2月24日、中国外務省の華春瑩報道官は記者会見で「中国は最新の動向を注視している。関係国は自制を保ち、状況を制御できなくなる事態を避けるよう呼びかける」と述べた。

そのうえで「関係国は、平和の扉を閉ざすことなく対話と協議の努力を続け、事態をさらにエスカレートさせないよう願う」と述べた。一方、華報道官は、ロシア側の行動がウクライナへの侵略行為にあたるかどうか認識を問われたのに対し「ウクライナ問題は、非常に複雑な歴史的背景や経緯があり現在の状況に発展した」と繰り返し明確な回答を避けた。

ロシアとの関係が深い中国は仲介役としての期待もされ、3月1日には中国の王毅外相とウクライナのクレバ外相が1日電話会談を行い、クレバ外相は中国側に停戦に向けた仲介を求めた。これに対し、話し合いによる解決を目指すべきだという立場を改めて示した。

3月2日の国連総会の対ロ非難決議(以下「国連総会決議ES-11/1」)は棄権し、経済・金融制裁に関しては「ロシアと正常な貿易協力を進める」と反対する立場を表明している。

3月15日、中国がロシアに対する軍事協力に前向きな考えを示したとの情報を、アメリカのバイデン政権が入手していたことが明らかとなった。英フィナンシャル・タイムズによると、ロシアは中国に対して地対空ミサイルや軍用ドローン、装甲車など5種類の軍事装備品の提供を要請していたとされる。

インド - 一貫して中立を守っている。国連安全保障理事会のロシア非難決議案で棄権。国連人権理事会の緊急会合開催投票も棄権した。3月2日の国連総会決議ES-11/1も棄権している。

パキスタンの旗 パキスタン - 2月21日にロシアがドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の国家独立を承認すると、2月23日、イムラン・カーン首相はプーチン大統領と会うためにモスクワへ飛んだ。24日、プーチンと会談。パキスタン首相府の声明によると、カーンはウクライナ侵攻に遺憾の意を表明し、「紛争は対話と外交を通じ解決すべきだ」と強調したという。3月2日の国連総会決議ES-11/1は棄権している。

アフガニスタンの旗 アフガニスタン - 2月25日、ターリバーン政権はロシアのウクライナ侵攻について、双方に暴力の停止と対話による平和的な解決を求める声明を発表した。

なお、前政府の代表は3月2日の国連総会決議ES-11/1に賛成している。

カザフスタン - カシムジョマルト・トカエフ大統領は、ロシアからの軍派遣の要請を断ったことを明らかにした。なお、3月2日の国連総会決議ES-11/1は棄権している。

セルビア - 2月21日にロシアがウクライナ東部の親ロシア派支配地域の独立を承認すると、これに対しアレクサンダル・ヴチッチ大統領は2月23日、「ゼレンスキー大統領が1999年のNATOによるコソボ空爆(アライド・フォース作戦)を公共のテレビで非難するのであれば、私も共にウクライナ東部の独立承認を非難しよう」と述べた。

2月25日、ヴチッチ大統領は「ロシアがウクライナを含む多数の国で行った領土保全に対する侵害は非常な過ちだと考える」と明言したが、セルビアはロシアに対する経済制裁を拒んでいる。

アラブ首長国連邦  UAE - インド・中国とともに国連安全保障理事会のロシア非難決議案で棄権。両国に対し、ウクライナにおける敵対的行為の即時解除と停止を要求した。

なお、3月2日の国連総会決議ES-11/1は賛成している。

サウジアラビア- 侵攻の是非には言及せず、OPECプラスの一員であるロシアによるエネルギー市場への影響を懸念した。なお、3月2日の国連総会決議ES-11/1は賛成している。

メキシコ - 2月24日、マルセロ・エブラル外相は自身のTwitterに動画を投稿し、「メキシコはロシアの侵略を強く非難し、即時の停戦と外交的解決によりウクライナ市民の保護を実現するように呼びかける」とつづった。3月1日、ロシア政府系メディアのスプートニクが、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領に「メキシコに進出済みのロシア企業の操業やアエロフロート・ロシア航空便の乗り入れを制限する計画はあるか」と質問。これに対しロペス・オブラドール大統領は「対立する双方の国と対話が可能な状況を維持するために、ロシアに経済制裁を科すことはない」と答えた。

ブラジル - 2月27日、ジャイール・ボルソナーロ大統領は、ウクライナについて「国の命運をコメディアンに託した」と述べたうえで、ブラジルはロシアの肥料に依存していて、ロシアに敵対する行為は「ブラジルの農業に重大な損害をもたらす可能性がある」と言及。

平和を支持するとしながらも、「ブラジルにより多くの問題を持ち込みたくない」と述べ「われわれはどちらの側にもつかず、中立を保ち、可能な限り協力する」とした。一方でウクライナでの大虐殺の可能性を問われると「大虐殺と言うのは言い過ぎだ」と述べ、ロシアがウクライナ東部ルガンスク、ドネツク両州の親ロシア分離派の支配地域を独立国家と認めた動きを擁護した。なお、3月2日の国連総会決議ES-11/1は賛成している。

ロシア支持の国家

 ベラルーシ - 2月24日、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領はプーチンの要請に応じ、ロシアの短距離ミサイルや最新型防空ミサイルシステム「S400」を新たに配備する方針を示した。軍幹部を前に「可能な限りロシアを支援する」と述べた。

2月27日、国民投票が実施。ルカシェンコ大統領が提案した、核兵器を持たず中立を保つとの現行憲法の条項を削除する内容の改憲案が賛成65.16%、反対10.07%で承認された。これにより、ベラルーシにロシアの核兵器を配備することが可能になった。

同日、ベラルーシがロシアを支援するため、ウクライナに軍派遣を準備していることが判明した。

シリア - 2月25日、バッシャール・アル=アサド大統領はロシアの侵攻を「歴史の訂正」として賞賛し、ロシアの支持を表明した。

ミャンマー - 2月25日、国家行政評議会(軍事政権)のゾー・ミン・トゥン将軍は、ロシアの支持を表明した。一方で反政府勢力の国民統一政府ササ(英語版)国際協力大臣は自身のTwitterで「国連憲章と国際法に違反しており、ロシアの侵攻は容認できない」とロシアを非難した。国民統一政府の代表は3月2日の国連総会の対ロ非難決議に賛成した。

朝鮮民主主義人民共和国 北朝鮮 - 2月26日、外務省は「NATOの拡大でロシアの安全が脅かされている」と欧米を非難するとともに、ロシアを擁護する主張をウェブサイト上に掲載した。また、3月2日には外務省報道官がロシアによるウクライナ侵攻の原因は「他国に対する強権と専横をこととしている米国と西側の覇権主義政策にある」との立場を明らかにするなど、プーチン支持を鮮明にしている。

ニカラグア - 2月21日、ダニエル・オルテガ大統領は、ウクライナ東部の親ロシア派が支配する地域の独立をプーチン大統領が承認したのは正しいと主張した。。3月2日の国連総会の対ロ非難決議は棄権した。

キューバ - 3月2日、外務省は「ロシア国境付近への北大西洋条約機構の急速な拡大は、ロシアの安全保障や地域一帯の平和にとって脅威だ」と指摘し「アメリカ政府はここ数週間、ロシアを脅かすとともに、国際社会でウクライナへの『差し迫った大規模侵攻の危機』をあおっている」とアメリカを非難したうえで、ロシアを支持する姿勢を示した。

ロシアはキューバの債務の返済期限を2027年まで延長することに合意するなど関係を深めている。3月2日の国連総会の対ロ非難決議は棄権した。

ベネズエラ - 2月22日、ニコラス・マドゥロ大統領は「プーチン氏が地域の平和を守ろうとする試みを全面的に支持する」と発言している。2月24日、外務省は、ミンスク合意を侵害したとして、NATOとアメリカを非難した。3月1日、マドゥロ大統領はプーチンと電話で会談し、ウクライナ侵攻への「強い支持」を表明した。3月2日の国連総会の対ロ非難決議は自国の国連分担金の滞納が原因で投票権を喪失しているため、棄権となった。

エリトリア- 3月2日の国連総会の対ロ非難決議の決議において、ロシア、ベラルーシ、北朝鮮、シリアとともに反対票を投じた。

国際機関

欧州連合の旗 欧州連合

2月22日、ジョセップ・ボレル外相は、離脱地域の承認に賛成票を投じた国家院のすべてのメンバーをブラックリストに載せ、EU投資家によるロシア国債の取引を禁止した。

2月26日、アメリカとヨーロッパ各国はSWIFTからロシアの特定の銀行を締め出す措置を実行することで合意した。

2月27日、ウルズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長は、ロシアの航空機に対しEUの全空域を閉鎖すると発表した。これにより、ロシアの航空会社や個人のプライベートジェットはEU上空の飛行や域内の空港の利用が不可能となった。

2月27日、フォン・デア・ライエン委員長はウクライナのEU加盟に対する支持を明言した。

3月8日、欧州委員会は、ロシア産天然ガスの依存度を年内に約6割低下させ、「2030年よりかなり前に」依存をゼロにする計画を発表した。

3月11日、フランス・パリのベルサイユ宮殿で開かれたEU加盟国の首脳会談において、ウクライナのEU加盟については「ウクライナは欧州の家族の一員だ」と強調し加盟への協力を深める方針は確認しつつも、ウクライナの早期の加盟に関しては東欧諸国の積極論に対し、ドイツ、フランス、オランダなど一部加盟国からの慎重論もあるため明言しなかった。また、ロシアに対する追加制裁も示唆した。

同日、フォン・デア・ライエン委員長は首脳会議後の記者会見で、2027年までにロシアの化石エネルギーへの依存をゼロにすると発表した。

3月14日、ロシアへの追加制裁を導入。3人の外交官はAFP通信の取材に対し、制裁対象となるロシア人富豪のリストにロマン・アブラモヴィッチの名前が追加されたと明かした。

3月15日、ロシアのエネルギー部門への投資、高級品の輸出、ロシアからの鉄鋼製品輸入の禁止を盛り込んだ追加制裁を承認した。ロシアを支援する企業経営者の資産も凍結される。これらは即日適用された。

欧州連合の旗 欧州評議会

2月25日、欧州評議会はロシアの加盟資格を一時停止させた。

3月16日、前日のロシアの欧州評議会からの脱退表明を受けて、閣僚協議会がロシアの欧州評議会からの除名を決定、即時発効した。


総会決議案への賛否

賛成

反対

棄権

欠席

非加盟国

国際連合の旗 国際連合

2月24日、国連安全保障理事会(安保理)はウクライナ情勢を巡る緊急会合を開いたが、会合の最中にプーチン大統領がウクライナへ宣戦布告した。

2月25日、ウクライナに軍事侵攻したロシアを非難し、武力行使の即時停止と撤退などを求める安保理決議案を採決した。米欧など11か国が賛成、中国・インド・UAEの3か国が棄権したが、常任理事国のロシアが拒否権を行使し、否決された。

2月27日、安保理は、緊急特別総会の開催を求める決議案を11か国の賛成で採択した(安保理決議2623)。安保理の要請により緊急特別総会が開かれるのは40年ぶりとなる。

3月2日、第11回国際連合緊急特別総会で、ロシアを非難し、軍の即時撤退などを求める決議案が賛成多数で採択された。

3月4日、人権理事会は緊急会合でロシアのウクライナ侵攻に対し、「侵略を強く非難する」と表明する決議を賛成多数で採択した。日米欧、ブラジル、韓国など32か国が賛成、当事国のロシアとエリトリアが反対、中国、インド、パキスタン、キューバなど13カ国が棄権した。また、ロシアによる国際人道法違反の疑いを調査する委員会の設置を決議に含めており、今回のウクライナ侵攻及び2014年以降のウクライナ東部紛争について調査する。

3月14日、グテーレス事務総長は記者会見で「核戦争は有り得る」と発言した。

International Criminal Court logo.svg 国際刑事裁判所(ICC)

3月2日、国際刑事裁判所は、ウクライナ情勢に伴う戦争犯罪、人道に対する犯罪について、検察官による捜査開始の申立てを受け、日本の赤根智子判事を含む3名の裁判官による検討の段階に入った。

ロシア及びウクライナの両国とも、国際刑事裁判所の設置に関するローマ規程の締約国ではないが、ウクライナが2015年に国際刑事裁判所の管轄権を受け入れることを表明しているため、ウクライナ国内での戦争犯罪などについて、国際刑事裁判所は管轄権を有する。

その結果、国際刑事裁判所の検察官が戦争犯罪などについて、容疑者(個人)の起訴を決めた場合、ロシア国内での逮捕の執行等までは法的・現実的にできないものの、当該個人がウクライナや国際刑事裁判所加盟国の領域に入れば、逮捕等を執行することが可能となる。

International Court of Justice Seal.svg 国際司法裁判所(ICJ)

2月26日、ウクライナはロシアの軍事侵攻について、国際司法裁判所に提訴した。

3月16日、国際司法裁判所はロシアに対して、ウクライナでの軍事行動を即事停止するよう命じる仮保全措置を出した。ロシアは、ウクライナ東部でジェノサイドが起きていることを武力侵攻の理由にしているが、国際司法裁判所は、これを否定するウクライナ側の主張を認めた。

その他

トルコの防衛企業バイカル(英語版)は、ウクライナが既に購入したトルコ製の無人戦闘攻撃機(UCAV)バイラクタル TB2がロシア軍の防空システム襲撃に大きな効果を出したため、追加供給をした。

駐日エストニア大使館のTwitterアカウントは2月24日、SWIFTからロシアを排除するよう求めるバルト三国の共同声明を扱ったTBSテレビの報道に対し、バルト三国を「旧ソ連」と呼称しないよう求めるリプライを送った。同様に駐日ジョージア大使館も報道機関向けに自国を紹介する際のガイドラインを公表し、「旧ソ連という呼称は相応しくありません」と注意を促している。

各方面・個人の反応

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

ドナルド・トランプ前米大統領は22日、保守系ラジオ番組に出演し、ウクライナ東部の親ロシア派支配地域の独立を承認したロシアのプーチン大統領について、「天才だ」と称賛したうえで、このような事態はトランプ政権(英語版)の頃には起こり得なかったと述べた。

26日には、保守政治活動協議会でロシアのウクライナ侵攻を非難し、さらにウクライナやゼレンスキー大統領を勇敢だと称賛したうえで、プーチンがウクライナ侵攻を決断したのはバイデン政権の「情けない」アフガン撤退を見たからと主張した。

しかしなおもプーチンは”smart”だとした。

ショーン・ペンは、ウクライナ・ロシア情勢に関するドキュメンタリー映画の制作準備のため、2021年11月にウクライナを訪問。2022年、軍事衝突の危機が高まると撮影のためウクライナに入った。ロシアが侵攻を開始した2月24日(ウクライナ時間)、キエフで行われた政府の記者会見に出席。大統領府を訪れ、ゼレンスキー大統領、イリーナ・ヴェレシュチュク副首相と対談した。2月28日、ペンは公式Twitterで「私と2人の仲間は、道端に車を捨ててポーランドの国境まで何マイルも歩いた」とつづり、同国にたどり着いたことを明らかにした。

中央情報局(CIA)のウィリアム・ジョセフ・バーンズ長官は、下院情報特別委員会の公聴会で民主党のラジャ・クリスナムルティから「プーチンの精神状態をどう評価するか」と問われた際、「狂ってはいないが、時間の経過とともに彼の考え方が凝り固まり、彼に意見できる側近が減ったために扱うのが極端に難しくなっている」と述べた。

日本

2月25日、日本維新の会所属の参議院議員でロシアとの親交がある鈴木宗男は、自身のブログで「昨年10月23日ゼレンスキーが火遊びのごとく自爆ドローンを親ロ派地域に飛ばし緊張関係を作った」とゼレンスキーを批判したうえで、「ウクライナはじめ米欧の国々がどこまで話し合いの重要性を考えていたのだろうか。ここ2カ月、挑発と脅しの話が中心ではなかったか。今必要なのは対話である。日本政府は今こそロシアとの対話を絶やさないことが国益の観点から大事であることを考えるべきだ」と述べた。

なお、鈴木は3月2日の参議院本会議での対ロ非難決議においては賛成した。

2月26日、立憲民主党所属の衆議院議員である末松義規は、自身のTwitterでロシアによる侵攻を批判した一方で、ウクライナのゼレンスキー大統領について「ゼレンスキー大統領のケースは、人気者だし魅力もある方ですが、ロシアという獰猛な国家から国を常に防衛せざるを得ない立場を考えると、『若さ』が『馬鹿さ』となったようにも感じます」と投稿した。この投稿に対し批判が相次ぎ、最終的に投稿を削除している。

2月27日

橋下徹元大阪府知事はTwitterで、ウクライナが外国から兵士を募集し始めたことを受け、「ウクライナとともにあると威勢よく言っていた国会議員は直ちにウクライナに行って戦え。」「俺はウクライナに行く勇気はない。だからロシアに譲歩することになろうがNATOの指導者に政治的妥結を求める。」などの持論を展開した。

安倍晋三元首相はフジテレビの番組『日曜報道 THE PRIME』に出演。NATO加盟国の一部が採用している「核共有(核シェアリング)」について、「日本は核拡散防止条約加盟国で、非核三原則があるが、世界はどのように安全が守られているかという現実について、議論していくことをタブー視してはならない」と語った。

レギュラーコメンテーターの橋下も安倍に同調。「日本も核シェアリングの議論は絶対に必要だ」と述べ、核武装に前向きな考えを示した。

2月28日

岸田文雄首相は参議院予算委員会で、立憲民主党の田島麻衣子参議院議員の質問に応え、安倍晋三が前日のテレビ番組で発言した「核共有(核シェアリング)」について、「非核三原則を堅持していくことから認められるものではない」と否定した。

れいわ新選組代表の山本太郎は両院本会議での「ロシアによる侵略を非難する決議案」(3月1日・2日採択)に対して、ロシアの侵攻に対しては非難するものの「一刻も早く異常な事態を終わらせようという具体性を伴った決議でなければ、また、言葉だけのやってる感を演出する決議になってしまう」と形式だけの決議は「必要ない、意味がない」として決議反対を表明し、本会議で反対した。

また、参議院会派「沖縄の風」所属の高良鉄美は、「平和憲法を持つ日本が、欧米とは違う立場で、独自にロシア、ウクライナに平和的解決を求める積極的な外交を行うべきだ」と異論を唱え、採決は棄権した。

参議院予算委員会で外務省の宇山秀樹欧州局長が「北方領土が占拠されていること、今ウクライナで起こっているロシア軍の侵攻、いずれも国際法違反であると認識している」と答弁。

これを受けて駐日ロシア大使館は同日、TwitterとFacebookのアカウントに「日本は100年も経たぬ間に二度もナチス政権を支持する挙に出ました」「かつてはヒトラー政権を、そして今回はウクライナ政権を支持したのです」と投稿した。

この投稿に対し批判のリプライが殺到した。3月3日、林芳正外相は参議院予算委員会で、当該投稿に関し「ロシア側の主張はまったく根拠がなく、受け入れられない」と述べ、ロシアの侵略に対し「国際秩序の根幹を守り抜く」と述べた。

3月1日、鳩山由紀夫元首相は、Twitterで「私はあらゆる戦争を非難する。ロシアは一刻も早く停戦すべきだ」とした上で、「同時にウクライナのゼレンスキー大統領は自国のドネツク、ルガンスクに住む親露派住民を『テロリストだから絶対に会わない』として虐殺までしてきたことを悔い改めるべきだ。なぜならそれがプーチンのウクライナ侵攻の一つの原因だから」と持論を展開し、ゼレンスキー大統領を批判した。

3月2日、ウクライナのセルギー・コルスンスキー駐日大使が林芳正外相に面会を要請していたものの、約1カ月にわたり実現していなかったことが判明した。

この日に開かれた参議院予算委員会の質疑で国民民主党の川合孝典参議院議員が明かした。林は「私自身は大使からの面会要望は承知していなかった」と釈明。川合は「危機管理対応として極めて緩慢な動きだ」と批判した。

同日、林は委員会後にコルスンスキー駐日大使と面会し、犠牲者に対する弔意を伝えたほか、1億ドルの緊急人道支援などについて説明した。

翌3日、コルスンスキー駐日大使は自身のTwitterを更新。「It is his deputy Ms. Suzuki who did not want to meet.」と書き、面会要請を拒んでいたのは林ではなく、外務副大臣の鈴木貴子であると明かした。

当該ツイートは同日中に削除され、鈴木は自身のTwitterで「事実無根」であると弁明した。

3月4日、衆議院外務委員会で立憲民主党の青山大人衆議院議員が鈴木に事実関係を確認すると、鈴木は「口頭での要請はあったものの、書面での要請が届いていなかった」と説明した。

なお、鈴木は同月4日の外務省主催の「日本国際漫画賞」の授賞式に出席したコルスンスキーと面会し、コルスンスキーから直接、Twitterでの発言と発言が拡散されていることに「申し訳ない」と謝罪があったことを明らかにしている。

3月4日、日本共産党の田村智子政策委員長は記者会見で、ウクライナ支援のため、政府が自衛隊が保有する医薬品や防弾チョッキなどの防衛装備品を供与することについて「人道支援としてできることは全てやるべきだ。

今回、私がこの場で反対と表明するようなことは考えていない」と述べた。

しかし、翌5日の会見で前日の発言について「昨日の私の発言については、党内で必要な相談をしないで行ったものであったということも述べておきたい」としたうえで、党としては「わが国のウクライナへの支援は非軍事の支援に全力をあげるべきだ。防弾チョッキであっても防衛装備品の供与はわが党が反対してきた武器輸出にあたる。

さらに、今回の政府の決定は、紛争当事国への供与になる。わが党として賛成できないということを明確に述べておきたい」と一転して反対の意思を示した。

3月8日、参議院外交防衛委員会で、立憲民主党の羽田次郎参議院議員が「岸田首相や林芳正外相が訪ロしたり、プーチン大統領との信頼関係を醸成したと評される安倍元首相らを特使としてロシアに派遣したりする外交努力を日本政府は行うべきではないか」と述べる。

と、林芳正外相はこれに対する答弁で、安倍を含む要人のロシア派遣は検討していないことを明らかにした。

首脳会談を積み重ね、プーチン大統領と個人的信頼関係を築き上げた安倍はロシア訪問に消極的とされる。

3月11日、松野博一官房長官は衆議院内閣委員会で、ロシアとの8項目の経済協力プランに関係する政府の事業を当面見合わせたいと述べた。

8項目の経済協力プランは2016年5月6日にロシアのソチで行われた首脳会談で安倍首相がプーチン大統領に提示したもので、同年12月16日に合意文書が日ロ間で交わされている。同プランに基づく日本側の投融資の規模は約3千億円。

松野の発言があった3月11日、田村智子は記者会見し、政府の新年度当初予算案に経済協力プランに関する予算(約21億円)が計上されていることについて、「安倍元首相に忖度せず、早急に見直すべきだ」と述べた。

3月14日、参議院予算委員会で森裕子参議院議員が「ロシア経済協力関連の予算をやめるべきだと思いませんか」と質問。

これに対し岸田首相は「状況が不透明である」などとして、修正の求めを拒否した。

3月13日、鈴木宗男参議院議員は札幌市内で開かれた講演の中で、ロシアのウクライナ侵攻に関して力による主権侵害や領土拡張は断じて認められないとした上で、「原因をつくった側にも責任がある」との認識を示し、ウクライナ側が東部での停戦維持に向けた「ミンスク合意」を履行していないなどとし、ウクライナの対応を2月25日のブログに続いて再度批判した。

3月15日、ゼレンスキー大統領はウクライナ大使館を通じて、日本政府に対し、国会でオンライン形式での演説を行いたいと打診。

ゼレンスキー大統領はイギリスやカナダの議会ですでにオンライン演説を行っており、報道機関は「ロシアによる侵攻に抗議するものとみられる」と報じた。3月16日、自民党は衆議院議院運営委員会理事会で、ウクライナ側の打診内容を各党に説明した。

政府・自民党内からは、日本の国会ではオンライン演説の前例がないことに加え、スクリーンやプロジェクターなどの設備がないことや、審議日程などを理由に否定的な声も挙がった。

また、野党側からも立憲民主党代表の泉健太衆議院議員は自身のTwitterで「他国指導者の国会演説は影響が大きいだけに、オンライン技術論で論ずるのは危険。

私は日本の国民と国益を守りたい。だから国会演説の前に『首脳会談・共同声明』が絶対条件だ。

演説内容もあくまで両国合意の範囲にすべき。それが当然だ。」

と慎重な構えを見せた一方、国民民主党代表の玉木雄一郎衆議院議員は自身のTwitterで「ウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン演説、日本の国会でもやったらいいではないか。前例が無いとの理由で断るなんてあり得ない。モニターかスクリーンを持ち込めばいい。前例にないことが起こっているのだから、柔軟に対応すべき。議員運営委員会で問題提起したい。」と積極的な構えを見せるなど賛否両論の状態となっていた。

同日、自民党の高木毅国会対策委員長と立憲民主党の馬淵澄夫国会対策委員長が会談し、ゼレンスキー大統領の国会での演説を実現させる方向で合意した。

オンラインもしくはビデオ演説の方式を検討する。

3月16日、岸信夫防衛大臣とウクライナのレズニコフ国防大臣とテレビ会議形式で約30分間会談。

岸大臣はロシアの侵攻について「決して認められない行為で、このような力による一方的な現状変更は国際秩序の根幹を揺るがす」と非難した。

レズニコフ国防相から日本政府による防弾チョッキなどの装備品供与について謝意が示された。

大韓民国

2月25日、投票を間近に控える韓国大統領選挙のテレビ討論会で、与党「共に民主党」候補者の李在明は「初歩の政治家が大統領となりNATO加入を公言してロシアを刺激したことで結局衝突した」と発言。

ロシアの侵攻の原因がウクライナ側にあるかのような発言をしたため、野党「国民の力」候補者の尹錫悦はSNSへの投稿で「深刻な無知の所産です」と李を強く批判した。

そのほかにも批判が相次いだため、李は「ウクライナ国民の皆様に誤解を与えたとすれば私の表現力が不足していた」と述べた。

中華人民共和国

中国版Twitterである微博において、「戦争が長引けば、ウクライナの美女が中国に来る」などとの書き込みが相次ぎ、それらの投稿がウクライナ国内でも拡散されたため、ウクライナにおいての対中感情が悪化し、ウクライナ在住中国人の出国にも支障を来す事態になった。中国やウクライナを始めとする世界各国での批判を受けて、微博は3月5日、他者の書き込みを転載したアカウントを含む1000件以上のアカウントを投稿禁止の処分にしたことを発表した。

駐日大使

3月8日、駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバは自身のTwitterに、「ジョージアと日本は非非友好国である」との趣旨のツイートを投稿した。ABEMA TIMESは「非を二回重ねる二重否定により日本とジョージアの友好性を主張したものと思われる」との見解を示し、テレビ朝日は、ロシアが日本を「非友好国」指定したことに対しての皮肉」と報道した。

反戦・抗議運動

詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻に対する反戦・抗議運動」を参照

ウクライナ侵攻がはじまった2月24日以降、世界各地で反戦・抗議運動が展開している。また、ロシアやベラルーシでも反戦運動が発生した。


ウクライナへの支援

各種支援

2月25日

ポーランドのゲームスタジオ・11 bit Studios(英語版)は、同日から1週間に得られるゲーム『This War of Mine』および同作のダウンロードコンテンツによる収益の全額を、ウクライナ赤十字社(英語版)に寄付すると発表した。

ポーランドのゲーム開発企業・CD Projektは、ポーランドの人道支援組織・Polska Akcja Humanitarna(英語版)に100万ズウォティ(日本円で約2800万円)を寄付したと発表した。

駐日ウクライナ大使館は人道支援を目的とした募金活動を開始。3月1日には合計金額が20億円近く集まっていることを明かした。

2月26日

スペースX社CEOのイーロン・マスクは、ウクライナのミハイロ・フョードロフ副首相兼デジタル転換相の要請に応じ、同社の衛星インターネットアクセスサービスであるスターリンクをウクライナ国内で利用できるようにしたとTwitter上で表明した。また、送受信のための端末を同国へ輸送していることも明らかにした。

2月27日

楽天グループ会長の三木谷浩史は、ウクライナ支援のため、個人として同政府に10億円を寄付することを明らかにした。

2月28日

イギリスのブロックチェーン分析会社のElliptic(英語版)は、ウクライナ政府が26日にTwitter上でビットコイン、イーサリアム、テザーの各暗号通貨のウォレットのアドレスを公開し寄付を呼びかけた結果、日本時間の27日19時30分までに約790万ドル相当の暗号資産を受け取っていると分析した。

3月2日

ソニーグループは、ウクライナおよびその周辺地域で被災した人たちへの人道的支援のため、国連難民高等弁務官事務所と国際NGOのセーブ・ザ・チルドレンへ合計200万ドル(約2.3億円)の寄付を実施すると発表した。

3月3日

ドイツはこの日までに、ウクライナを避難したすべての同国国民を迎え入れる方針を明らかにした。

ポルシェは、ウクライナの人道支援のため、100万ユーロを寄付することを決定した。そのうち75万ユーロを国連難民高等弁務官事務所に、25万ユーロをフェリー・ポルシェ財団に寄付する。

3月4日

ナイキの財団は、国連児童基金と国際救済委員会に100万ドルを寄付すると発表した。

ファーストリテイリングは、ウクライナなどの支援に当たる国連難民高等弁務官事務所に1千万ドル(約11億5千万円)を寄付すると発表した。また、ヒートテック毛布やヒートテックインナー、エアリズムマスクなど約10万点と、日本国内のユニクロ店舗で回収したリサイクル衣料のうち防寒着など約10万点をポーランドなどにウクライナから避難してきた難民に提供するとしている。

資生堂は、ウクライナへの緊急支援として100万ユーロ(約1億3000万円)を国連難民高等弁務官事務所に寄付すると発表した。

株式会社ポケモンの子会社『The Pokémon Company International』は、NPO『GlobalGiving(英語版)』に20万USドル(約2,300万円)をウクライナへの人道支援の目的で寄付したと発表。

3月7日

日産自動車は、ウクライナへの人道的支援のため、総額250万ユーロ(約3億1000万円)を拠出すると発表した。100万ユーロは赤十字社などに寄付し、必要に応じて、日産の車両の提供も行う。残りの150万ユーロは「日産ケア基金」の創設資金、従業員の食料や衣類などの生活費や医療費に充てるという。

3月8日

国際テニス連盟、男子プロテニス協会、女子テニス協会と四大大会の主催者は、ウクライナへの人道的支援のため、70万ドル(約8000万円)を寄付したと発表した。

アンディ・マリーは、2022年の賞金をウクライナの子供の教育支援などのために寄付することを表明した。

デビッド・ベッカムとヴィクトリア・ベッカム夫妻は、ウクライナの子供たちのために、ユニセフに設置した基金を通じて100万ポンド(約1億5900万円)を寄付した。

日立製作所は、ウクライナ人道支援として、グループ全体で総額300万ドル(約3億5000万円)を寄付すると発表した。

イオンは、ウクライナの子供たちを支援するため、同社の公益財団法人イオンワンパーセントクラブから、日本ユニセフ協会に1億円の寄付を行うと発表した。

3月9日

コーエーテクモホールディングスは、国連難民高等弁務官事務所に50万米ドルの義援金寄付をすると発表した。

日清食品は、ウクライナから近隣諸国に避難している人々に対し、インスタントラーメン10万食を無償提供すると発表した。現地の赤十字を通じて届ける予定。また、国際連合世界食糧計画(WFP)に対し、1億1500万円の寄付も行うと発表した。

レオナルド・ディカプリオがウクライナに1000万ドル(約11億5000万円)を寄付したことが、英紙インデペンデントなどの報道により明らかとなった。ディカプリオの母方の祖母はウクライナのオデッサ出身とされる。

産業用ロボットメーカーのアイエイアイは1億円の寄付を決定。在日ウクライナ大使館に寄付を申し出た。

トヨタ自動車は、国連難民高等弁務官事務所などに最大で計250万ユーロ(約3億2000万円)を寄付すると発表した。現地で働くウクライナ人従業員と家族の生活や移住を支援する基金も設立する。

セイコーエプソンは、ウクライナへの人道支援のため、100万ドル(約1億1千万円)を寄付することを決定した。

3月10日

バンダイナムコグループは、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに1億円の寄付を決定した。

ノジマは、日本赤十字社へ1億円の寄付を行った。

マリア・シャラポワはセーブ・ザ・チルドレンに寄付することを表明した。

3月11日

花王は、国連難民高等弁務官事務所に50万ユーロ(約6400万円)を寄付したことを明らかにした。また、自社の紙おむつや生理用品を寄贈することを決めた。

3月14日

ブリヂストンは、ウクライナへの人道支援のためにグループ全体で計約5億円を寄付すると発表した。

3月16日

レアル・マドリードは、ウクライナの避難民のために100万ユーロ(約1億3000万円)を赤十字社や国連難民高等弁務官事務所などに寄付すると発表した。

3月18日

カインズは、ウクライナへの人道支援のために国連難民高等弁務官事務所に1億円寄付すると発表した。

義勇兵募集の呼びかけと呼びかけへの応答

2月27日、ゼレンスキー大統領は、ウクライナのために戦うことを望む外国人は両手を広げて歓迎され、武器も与えられる、と発表したところ、その呼びかけに応じて即座に数百名の応募する人々があり、世界各地からいわば「波」のようにウクライナに続々と到着しはじめたので、ゼレンスキー大統領は「ウクライナ領土防衛部隊」という名の外国人部隊(義勇軍)を設立した。

ウクライナのクレーバ外務大臣は「ウクライナの外国人部隊に参加したい人は誰でも、自分が住む国の最寄りのウクライナ大使館で登録してください」「ウクライナへの入国手続きは可能な限り簡素化されます」と述べた。

たとえばスコットランドからだけでも100名以上が義勇兵としてウクライナで戦うために駆けつけている、ということをBBCは把握している。3月4日、第1陣1万6000人が既にウクライナに到着していることがウォロディミル・ゼレンスキー大統領の発表で明らかとなった。さらに3月7日時点で義勇兵は2万人に到達した。

日本でも駐日ウクライナ大使館がTwitterにて募集し、元自衛官50人とフランス外国人部隊経験者2人を含む70人が志願した。日本政府や自由民主党はウクライナ国内に退避勧告が発令されていることを理由に外国人軍団への応募をやめるよう注意喚起をしている。

また、弁護士の田上嘉一や横粂勝仁は日本人が外国人軍団に応募した場合、刑法93条に規定されている私戦予備・陰謀罪に抵触する可能性があるとも指摘したが、この法律が実際に適用された判例はなく、どうなるかはっきりしないという。なお、ウクライナ大使館はこの投稿を3月2日付で削除した。

ロシアを支持・賛同する動き

「#ロシア支持の国家」も参照

3月2日の第11回国際連合緊急特別総会でのウクライナ侵攻への非難決議案に反対したのはロシア以外ではベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、シリアであった。この4か国以外ではミャンマー軍事政権がロシア支持を表明し、ニカラグア、キューバ、ベネズエラはウクライナ東部の親ロシア派地域の独立を支持した。ただし、侵攻後の国連非難決議ではキューバは棄権し、ベネズエラは欠席した。

日本

広島県呉市の市議会では、2022年3月4日の本会議にて、ロシアのウクライナ侵攻を「暴挙」と非難し、平和的解決を求める決議案が賛成多数で可決された。しかし谷本誠一市議(会派:自然共生党)はこの決議案に唯一の反対票を投じた。

その理由として、谷本市議は採決の前に行われた反対討論の中で「現地の人々はロシア軍により解放されたと喜んでいるとの情報も届いている」などと主張している。

セルビアの旗 セルビア - ベオグラードでは、2022年3月4日にロシアのウクライナ侵攻への支持を表明するデモが開催された。セルビアの右派グループが主催したとされる。

このデモには約1000人が参加した。

参加者はプーチン大統領の顔写真をプラカードにして掲げたり、ロシア国旗を振りながらEU旗を踏みつけるなどした。デモ隊から「セルビア人とロシア人は永遠の同志」とシュプレヒコールが上がったり、デモ参加者の一人は「ウクライナはネオナチから解放されつつある。

われわれの同志ロシア人がウクライナを解放している。願わくば世界も」と語ったともAFP通信は報じている。

影響

経済

詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻による経済的影響」を参照

西側諸国のロシアへの制裁処置、および各種企業による制裁・対応によって、ロシアと世界経済に多大な影響が及んでいる。


交通


ロシア

 ウクライナ

 クリミア半島、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国

 侵攻に伴いロシアの航空機の領空通過を禁止した国

日本航空は2022年2月24日以降、羽田空港/モスクワ線を欠航させている。渡航先の治安情勢を理由に欠航するのは異例のことである。また、全日本空輸も3月2日のバイオ燃料をはじめとする「持続可能な燃料」(SAF、Sustainable Aviation Fuel)国産SAFの商用化と普及・拡大に取り組む有志団体「ACT FOR SKY」の設立会見後、ANA、JAL両社長ぶら下がり会見で「安全が担保できるという情報が取れる状況においては運航」とし「ロシア上空を避けるルートも検討中」としてJAL社長も同意していたが、同日夜になりANAは3日の欧州便全便旅客便2便、貨物便6便の計8便をロシア・ウクライナ情勢に鑑み欠航とし、今後ロシア上空を避ける中国、中央アジア、黒海を経由する南回り航路を検討するとしている。

JALはモスクワ線以外は運航するが欧州側の制裁抵触の恐れがあるため3月26日までコードシェア運航を単独運航へ変更するとしていた。

が3日になりJALも欧州便全便旅客便5便、貨物便3便の同じく計8便をロシア・ウクライナ情勢により、今後発生しうるさまざまなリスクを考慮し、欠航を当日決定した。

その後ANAは20年夏ダイヤで就航予定していたイスタンブール線の航路で中央アジアを予定し、トルコから先もオーストリア/ウィーン線乗り入れもあり比較的容易に変更可能だったこともあり、4日は成田=ブリュッセル線を往路旅客便をロシア上空を避けて中央アジアを飛行する南回りで3時間遅延運航し、復路はワクチン輸送も兼ねた貨物便として運航され、暫くは運航する欧州線は同経路を選択していた。

が、貨物需要が多く迂回することで搭載燃料が増え、旅客貨物など有償運送重量制限が出ることがあるため、16日以降は途中オーストリア/ウィーンでの給油体制が整ったこともあり、便によって往路のみ経由(テクニカルランディング:給油のみ)するよう運用を変更し更に2時間程度運航時間延長見込み。

JALも4日は羽田=ロンドン線を北米経路を上空での偏西風などによる追い風や目的地ロンドンの地理的位置や上空通過経路の地域支配政権のロシアとの関係(上述、国連決議案で棄権したカザフスタン、中国上空通過が必要)による安全性も総合的に考慮し、約3時間遅延運航している。

が、今後、ANAと同じ南回りは復路日本に向かうとき追い風となるため状況によって往復経路を変えで航路的に東回りで北半球世界一周便(ロンドンのみ経由)運航する可能性があるとしている。

また、日本貨物航空も3日以降暫く欧州線をロシア領空を通過しない航空ルートの選定・調整を進める間、運休することを決定している。

2月27日までにドイツ、イギリス、フランス、オランダ、イタリアなどの欧州各国がロシア航空機の自国領空の通過を禁止することを発表し、ロシアも報復としてこれらの国の航空会社のロシア領空の通過を禁止した。

このためロシア領空を通過する日本便も含めた国際便の一部引き返しや欠航をした。

その中、ルフトハンザ、スイス国際航空、エールフランスなど一部エアラインはロシア上空を避け黒海、中央アジア、中国を経由し運航するルートで通常便より1,2時間遅延で777-300ERやA350など超長距離運航可能機材を使用して運航している。

ロシア国内線もウクライナ国境に近いロストフ、クラスノダール空港などの閉鎖により運航停止便が生じている他、飛び地カリーニングラード/フラブロヴォ空港発着便は公海上航路でロシア領内まで迂回する経路をとったり、南部のソチーモスクワ線なども本来のルートとは違い、大きく東に迂回して運航をしている。

3月5日、アエロフロート・ロシア航空はヨーロッパ各国の企業からリースしていた515機の航空機を、経済制裁によりリース料支払いが困難になったことで契約が終了した為返却をする必要が出たが拒否した。

スポーツ

スポーツ団体による抗議声明については「#ロシアへの反戦・抗議活動」を参照

ヨーロッパサッカー連盟はUEFAチャンピオンズリーグ 2021-22決勝のスタジアムについて、当初予定していたロシアのガスプロム・アリーナ(サンクトペテルブルク)からフランスのスタッド・ド・フランス(パリ・サン=ドニ)に変更することを発表した。

さらに、2月28日にはロシアのガス会社であるガスプロム社とのスポンサー契約を解除した。

ウクライナサッカー協会(UAF)は、元ウクライナ代表主将で、現在ロシア・FCゼニトのコーチを務めるアナトリー・ティモシュチュクに対し、侵攻への公の声明を出さなかったとして非難。フェアプレーに反するとして、これまで獲得したタイトルを剥奪する処分を下すとした。

ラグビーヨーロッパは、男子15人制ラグビー・ヨーロッパ選手権2021-2022(兼ラグビーワールドカップ2023・ヨーロッパ予選)のうち2022年2月27日にジョージア・トビリシで開催を予定していたジョージア対ロシア戦を延期し、同日および28日にモスクワで開催を予定していたスノーラグビー選手権を中止した。その上でロシア領内での主催試合開催を無期限で取りやめた決定を下した。

フォーミュラ1は、国際自動車連盟(FIA)および参戦チームと2月24日に協議を行い、2022年9月23日-25日にソチ・オートドロームで開催を予定している第17戦ロシアGPについて「現在の情勢では、開催は不可能である」との声明を発表。

後日ロシアGP主催者との契約を打ち切った。

また、2023年末まで締結されていたロシアでのテレビ放映権も打ち切り、オンラインプラットフォームの「F1 TV」へのロシアからのアクセスも禁止した。

同レースに参戦しているハースF1チームはロシア人ドライバーのニキータ・マゼピンとドライバー契約、ニキータの父ドミトリー・マゼピンが所有するロシアの肥料メーカー「ウラルカリ」とタイトルスポンサー契約を結んでいた。

が、バルセロナで実施したプレシーズンテストの最終日の走行に際し、2022年シーズンの使用車両「VF-22」からウラルカリのロゴとロシア国旗を模したカラーリングを除去。後日ニキータならびにウラルカリとの各契約を破棄した。

なお、ドミトリー、ニキータの父子ともEUの経済制裁リストの対象者に加えられている。

フォーミュラ2およびFIAフォーミュラ3(英語版)に参戦しているハイテック・グランプリ(英語版)もウラルカリとのスポンサー契約を解消した。

FIAは世界モータースポーツ評議会の緊急会合を開き、ロシアとベラルーシの両国内でのレース開催を国際・地域別を問わず無期限停止し、両国のドライバー個人に対しては中立参加を認めた。

一方でイギリス国内の自動車レースを統括するモータースポーツUKは、両国の自動車連盟が発行するライセンスの承認を停止し、対象のライセンスを持つドライバーに対して英国内で開催するレースへの参加を禁止した。

国際スキー連盟は、2022年2月25日から3月20日にかけてロシア各地で開催を予定していたスキーワールドカップの6大会について、開催を中止し代替会場・日程の検討に入った。

イングランドプレミアリーグのプロサッカークラブマンチェスター・ユナイテッドFCは、アエロフロート・ロシア航空とのスポンサー契約を解消したと発表した。

さらに3月10日にはイングランドサッカー協会がロシア人オーナーであるロマン・アブラモビッチ氏が所有するチェルシーに対して、資産凍結のため販売済みのチケットを除く新規チケット販売停止および、選手の契約延長や移籍獲得の禁止、さらに公式グッズの販売も禁止された。

ドイツブンデスリーガのシャルケ04は、スポンサーであるガスプロムのロゴをユニフォーム胸から外し、代わりに「Schalke 04」のロゴを入れることにすると決定したことを明らかにした。

国際競技連盟連合は、ロシアのエカテリンブルクで5月に開催予定だったスポーツアコード国際会議を中止すると発表した。

国際柔道連盟は、2022年5月20日-22日にロシア・カザンで開催を予定していたグランドスラムの中止を発表した。

また、同連盟の名誉会長・アンバサダーとなっていたプーチンの資格を一時停止した後に、3月6日にすべての役職から解職した。また同連盟理事会メンバーでオリガルヒであるアルカディ・ローテンベルクも解職となった。

さらにヨーロッパ柔道連盟は、ロシア人である会長のセルゲイ・ソロベイチクが辞意を表明したうえで、プーチンの同連盟名誉会長の職位を取り消した。

国際フェンシング連盟は、2022年2月25日-27日にロシア・ソチで女子エペワールドカップを予定通り開催した。日本フェンシング協会は選手団をソチに派遣していたが、次戦開催地であるハンガリーへの移動の安全を確保するようFIEと大会統括者に求め、その確約が取れたことから同月26日に団体戦の参加辞退、ならびにソチ大会の中止または延期を申し入れた。

同連盟は3月1日、ロシア人のアリシェル・ウスマノフ会長の職務停止を発表した。ウスマノフはプーチン大統領に近い人物としてEUから制裁を受けていた。

世界ボクシング協会(WBA)、世界ボクシング委員会(WBC)、世界ボクシング機構(WBO)、国際ボクシング連盟(IBF)は各団体の会長4名の連名で、ロシア国内でのタイトルマッチ開催を認可せず、紛争が合意により解決するまでロシア国内でのボクシング試合開催を認可しない意向を表明した。

国際サッカー連盟は、当初はロシアに対して国際試合の主催を禁止する事を発表した。ロシアがホームゲームの試合は中立地で無観客試合として開催する他、国名・国旗・国歌の使用も認めず、ロシア代表はロシアサッカー連合として出場する方針であったが、その後ヨーロッパサッカー連盟との連名で、ロシア代表及び全てのクラブチームの国際試合参加禁止を命じた。

これにより、ロシア代表チームは2022 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のプレーオフ出場は不可能となった。

国際オリンピック委員会(IOC)の理事会は2月28日、ロシア政府によるオリンピック休戦やオリンピック憲章への重大な違反を理由に、全ての国際競技連盟に対してロシアとベラルーシの選手や関係者の参加の禁止を勧告したと発表した。

両国の選手や関係者は国名・国旗・国歌などの使用はできず、中立の選手またはチームとしてのみ受け入れるべきだとしている。また、プーチンを含むロシア政府関係者が受賞していたオリンピック功労賞をすべて撤回すると明らかにした。

国際パラリンピック委員会(IPC)は3月4日に開幕する2022年北京パラリンピックについて、ロシアパラリンピック委員会(RPC)およびベラルーシ選手の参加を除外した。同月2日時点では大会から除外せず「中立選手」としての個人参加を認め「パラリンピックの旗の下で競争し、メダルテーブルには含まれない」と決定した。

が、IPCの決定に対し各国のオリンピック・パラリンピック委員会からの反発が強かったこともあり、開催前日の翌3日に決定を覆した。

パラリンピックから除外されたロシアは、3月18日から同国主催で独自のパラリンピックを開催することとなった。同様に除外されたベラルーシ選手のほか、アルメニア、タジキスタンの選手の参加が見込まれており、連邦政府関係者も出席する予定となっている。

欧州バスケットボール連合のユーロリーグではVTB銀行とのスポンサー契約を停止、ロシア国内の3クラブの参加停止、CSKAモスクワからは5人のロシア籍以外の選手が契約破棄を行った。

ワールドテコンドーは、ロシア軍によるウクライナ侵攻を非難したうえで、プーチンに授与していた名誉9段黒帯を剥奪した。

国際アイスホッケー連盟は、ロシアとベラルーシの2ヶ国に国家代表、クラブの全ての年代の国際試合への出場禁止と2023年世界ジュニア選手権のロシア開催権を剥奪した。

国際スケート連盟(ISU)は3月1日、IOCからのロシアとベラルーシの国際大会除外勧告を受けて、両国選手の世界選手権を含む国際大会からの除外を決定した。

世界野球ソフトボール連盟(WBSC)は3月1日、ロシアとベラルーシの国際大会からの除外を求めるIOC理事会の発表を支持する声明を発表した。

なお、現在両国内での開催や両国が出場を予定しているWBSC主催大会は無い。また、WBSCヨーロッパはすでにロシアで予定されていた大会の移転を決めていたが、IOCの発表を受けて2022年に開催される全大会において、両国のナショナルチーム・クラブチームを除外すると決定した。

ワールドラグビーはIOC勧告を受け、ロシアとベラルーシに対して無期限の国際試合およびクラブマッチ出場停止、ロシアラグビー協会に対して無期限の資格停止を決定した。

ワールドアスレティックス(世界陸連)は、ロシアとベラルーシの選手を個人参加・国家代表参加を問わず、主催大会から無期限で除外した。また、新たにベラルーシ陸上連盟を資格停止処分とした。なお、ロシア陸上連盟はドーピング問題により2015年から資格停止中。

国際自転車競技連合はIOC勧告を受け、ロシアとベラルーシのナショナルチームに対してUCIカレンダー上の大会への参加を認可しない決定を下し、二国の国名・国旗・国歌、ナショナルチャンピオンジャージを使用禁止とした。

また、二国を登録国とする6つのUCIチームに対する認可を破棄した。自転車メーカーのLOOKサイクルインターナショナルと自転車用ホイールメーカーのコリマは、ロシアを登録国とするUCIプロ・チームのガスプロム・ルスヴェロとの機材供給契約を破棄した。

世界レスリング連合はロシアおよびベラルーシの選手および関係者の国際大会への参加を禁止した。また2022年中にロシアおよびベラルーシで開かれる国際大会を中止することを決定した。

国際スポーツクライミング連盟はロシアおよびベラルーシの選手および関係者の国際スポーツクライミング主催の大会参加を禁じた。またモスクワで開かれるワールドカップや 2023年に開かれる世界ユース選手権の中止を発表した。

さらに3月18日と19日に開く総会でウクライナへの支援策について協議することを決定した。

国際馬術連盟はロシアおよびベラルーシの選手、馬、役員の大会参加を認めないことを決定した。

国際リュージュ連盟はロシアでの大会開催禁止やロシア選手の大会からの除外を発表した。

国際バイアスロン連合はロシアおよびベラルーシの選手および役員の大会参加を認めないことを決定した。

国際ボブスレー・スケルトン連盟はロシア連盟を資格停止とした。

アメリカのプロレス興行団体WWEは、ロシア国内で契約を結んでいた同国の放送局「マッチ」との契約を終了し、全世界で視聴可能な動画配信サービス「WWEネットワーク」をロシアから除外することを発表した。

国際モーターサイクリズム連盟は、ロシアとベラルーシのライセンスを取得している選手に対して、MotoGPを含む全てのレースへの出場を禁止した。

北米プロアイスホッケーリーグNHLは3月8日にロシアを中心としたプロアイスホッケーリーグのKHLとの取引を停止すると決めた。他にKHLではフィンランドから参戦していたHCヨケリトがプレーオフを前にした2月25日に、ラトビアから参戦のディナモ・リガが2月27日に撤退をしている。

世界空手連盟はロシアとベラルーシの選手、役員について、主催大会への参加を認めないと発表した。

国際大学スポーツ連盟はロシアとベラルーシの選手、役員について、少なくとも年内は主催大会への出場を認めないと発表した。

放送・文化・芸術

「2022年のテレビ (日本)」も参照

2月24日、ウクライナの公共放送であるUA:PBC(英語版)は欧州放送連合(EBU)に対し、全ロシア国営テレビ・ラジオ放送会社と第一チャンネル両放送局の会員資格の剥奪を求めた。承認された場合、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2022にロシア代表は出場できなくなる。

しかし、ユーロビジョン・ソング・コンテストの主催側はロシアにもウクライナにも参加資格があると表明した。

これに対し、北欧を中心とした国々の放送局および参加者らが異議を示した。

25日、EBUは本年度のロシアの参加を取り止めると発表した。26日、ロシアの全てのEBU加盟放送局はEBUを脱退した。

ユーロビジョン・ソング・コンテスト2016の優勝者、クリミア・タタール人歌手のジャマラは子供たちと共にウクライナを脱出し、ルーマニアを通じてトルコに亡命した。

日本ロシア学生交流会の主催、東急の特別協力により、2022年3月12日に東京カルチャーカルチャー(東京都渋谷区)にて開催を予定していたイベント「ロシアの日 ~Powered by 渋谷渦渦~」は、同年2月24日に中止を発表した。

米ニューヨークのカーネギー・ホールにて2022年2月25日から3日間の日程で予定されていたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の公演の指揮者について、ロシア人のヴァレリー・ゲルギエフからカナダ人指揮者のヤニック・ネゼ=セガンに交代された。

伊スカラ座もゲルギエフが指揮予定だったピョートル・チャイコフスキーの『スペードの女王』を、ウクライナ侵攻に対して沈黙を貫くゲルギエフの姿勢を理由に公演中止とした。

ゲルギエフはプーチン大統領の友人とされている。

3月1日には「ロシアの支配者への肯定的評価を修正すると期待したが、そうはならなかった」ことを理由として、ミュンヘン市がゲルギエフが首席指揮者を務めていたミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団からゲルギエフを解雇した。

2月27日、モスクワのダンチェンコ劇場で監督を務めるローラン・イレールが、辞職する意向をAFP通信に明らかにした。

小樽市総合博物館主催、北海道・サンクトペテルブルク市・ロシア鉄道博物館の協力により、2022年3月2日に開催を予定していたイベント「ロシア鉄道・オンラインセミナー」は、同年2月27日に中止を発表した。

2月28日、ウォルト・ディズニー・カンパニーはピクサーの新作『私ときどきレッサーパンダ』を含む新作映画のロシアでの公開を一時停止すると表明。「ウクライナへのいわれのない侵攻と悲劇的な人道危機」のためと述べた。

ワーナー・ブラザーズは、3月3日からロシアにて劇場公開する予定だった『THE BATMAN-ザ・バットマン-』の上映を一時保留にすることを発表した。

3月1日、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントが傘下のコロンビア ピクチャーズ作成の4月公開予定映画『モービウス』のロシア国内での公開を中止すると発表した。

同月、パラマウント・ピクチャーズやユニバーサル・ピクチャーズはロシアでの新作作品の公開を取り止めることを発表した。

3月1日、明石フィルハーモニー管弦楽団は同月21日に開かれる定期演奏会でチャイコフスキー作曲の「序曲『1812年』」の演奏を取り止めることを発表した。

理由としては、内容が1812年ロシア戦役を描いたものであることから団員から「今の状況では演奏するのは抵抗がある」という声が多く上がったことによるものとしている。

また、中部フィルハーモニー交響楽団も3月26日に開かれるプロムナードコンサートの曲目を「序曲『1812年』」からシベリウス作曲の「フィンランディア」に変更することを発表した。

3月1日、カンヌ国際映画祭は、2022年5月開催の映画祭にロシアの公式代表団や政府関係者の参加を受け入れないと発表した。

3月2日、エレクトロニック・アーツは「FIFA 22」などのスポーツゲームからロシアとベラルーシの代表やクラブチームを排除することを発表した。

3月3日、AXNミステリーは同月に放送予定だった『貴公子探偵ニコライ』を『名探偵ポワロ』に差し替えることを発表した。

3月4日、テレビ東京は『午後のロードショー』で8日に放送予定だった「ワルキューレ」を「メジャーリーグ」に変更することを発表した。また、同月8日には「ネイビーシールズ」と「ハート・ロッカー」の別作品への変更も発表した。

3月6日、オペラとバレエで名声を誇るボリショイ劇場の音楽監督で首席指揮者のトゥガン・ソヒエフがウクライナ侵攻への態度表明に対する圧力により辞任を表明した。

翌7日にはボリショイ・バレエ団の人気プリンシパルでイタリア人のジャコポ・ティッシとソリストでブラジル人のダビジ・モタ・ソアレスがウクライナ侵攻に抗議して退団を表明した。

ツリー・オブ・ザ・イヤーは、ロシア産の木を排除することを決めた。

ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはボリショイ・バレエ団の公演を夏シーズンの企画として話を進めていたが、企画はお蔵入りとなった。

3月11日から札幌市内の書店で開催予定だったパネル展「疫病とロシア文学」を、札幌大学は「イベントへの嫌がらせが懸念される」として無期限で延期した。

3月16日、かねてからTelegramでウクライナ侵攻に反対の意を公言していたボリショイ・バレエ団のプリマバレリーナ、オリガ・スミルノワが、同バレエ団に所属し続けることが困難であると退団を表明しオランダ国立バレエ団に移籍することが発表された。

渡航と在外日本人

在ウクライナ

3月8日の記者会見において、松野博一官房長官は3月6日の時点で約80人の日本人がウクライナに滞在していることを把握していることや、安全確保や出国支援に全力をあげることを表明した。

3月14日の記者会見において、磯崎仁彦官房副長官は3月12日の時点で約60人強の日本人がウクライナに滞在していると述べた。

在ロシア

1月26日と2月17日に日本外務省はウクライナとの国境付近でロシアの軍備増強等により緊張が高まっているとし、その周辺に近づかないよう、また可能であればその地域から離れるよう注意を喚起した。

3月3日、外務省はウクライナとの国境周辺地域の危険度をレベル4に引き上げ、退避を勧告する渡航情報を発出した。その他のモスクワを含むロシア地域はレベル2に引き上げられ、不要不急の渡航中止が勧告されると同時にロシア国内滞在者に商用便による日本帰国を促した。

3月7日にはウクライナとの国境周辺地域以外のロシア全域の危険度がレベル3へ引き上げられ、外務省による渡航中止勧告が発出された。

ロシア連邦航空局によりロシアの航空会社の3月6日以降のロシアからの国際便運航が停止されたことを受け、3月9日には在ロシア日本国大使館はホームページに空路と陸路によるロシア出国が可能とされる経路候補のリストを掲載した。

在外ロシア人

タイのプーケット、コ・サムイ、パタヤ、クラビなどのリゾート地を訪れていたロシア人観光客は、制裁措置のためロシアへの国際航空便の多くが運航停止となったため帰国の目途が立たなくなった上、ロシアの銀行が国際決済システムの国際銀行間通信協会(SWIFT)から排除されたため、ロシアで発行されたVISAやマスターカードでの宿泊施設や新規航空券への支払いが不可能になり、更にはルーブルの急落も相まって2022年3月8日時点で約7,000人のロシア人が立ち往生を迫られた。

差別・ヘイトクライム

ウクライナ出国者への人種差別

ウクライナからの出国を目指すインド人やアフリカ人が、国境で人種差別に直面したと訴えた。特に、アフリカ諸国からは越境を妨げられたなどとする訴えが相次ぎ、アフリカ連合(AU)は2月28日「衝撃的な人種差別」だとする声明を出した。

過去のアフガニスタンやイラク、あるいは現在まで続くシリアやソマリアなど、世界中で大国による侵攻が発生してきた中でも、欧米諸国のメディアが特にウクライナについて取り上げていることには、差別意識が根底にあるという指摘もある。

それは、ウクライナをイラクやアフガニスタンなどの中東と比べたうえで、より「文明化された国」という文脈に落とし込もうとするものである。

アメリカでは、CBSニュースの特派員が「ウクライナは、失礼ながら紛争が何十年も続くイラクやアフガニスタンとは違います。ここは比較的文明化した、比較的ヨーロッパ的な国なのです。」と発言し、後日謝罪文を出す羽目になった。

イギリスでは、ITVニュースの特派員は、「ここは第三世界の途上国ではありません。ここはヨーロッパなのです」と発言。BBCでも、出演者が「青い目と金髪のヨーロッパ人が、子供たちが殺されているのです」と語った。

NATOも難民発生の一因となった2015年頃のシリア難民を拒絶した欧州諸国が、ウクライナからの難民は温かく迎えていることに対して疑問や不満の声を上げている。

ロシア人やロシア文化に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)

世界各地で、侵略的なロシア人やロシア文化に対する憎悪の感情は過剰になっており、無実の各国にあるロシア料理店に対して、ネット上で誹謗中傷の書き込みがなされたり、ロシア政府が行っている軍事行動を「殺人者」などと指摘する投稿などが相次いでいる。

建物や看板が破壊される実害も発生しており、東京にあるロシア食品を取り扱う店の看板も何者かに破壊された。

なお、同店の経営者はウクライナ人である。また、カナダのカルガリーにあるロシア正教会が赤いペンキで汚された。

バンクーバーでは、ロシアのコミュニティセンターがウクライナの旗の色である青と黄色の塗料で汚された。ドイツではロシア語学校のロシア人オーナーが、彼女の同僚や学生が虐待や嫌がらせを受けたと言ったと報じられた。

米国のエリック・スワルウェル下院議員は「すべてのロシア人学生を米国から追い出す」と主張し、イギリスのロジャー・ゲイル下院議員は同国に住むすべてのロシア人を「家に送るべきだ」と主張した。






ウラジーミル・プーチン

Владимир Путин

Vladimir Vladimirovich Putin (2nd Presidency).jpg

ロシアの旗 ロシア連邦

Emblem of the President of Russia.svg 第2・4代大統領

任期 2000年5月7日 – 2008年5月7日

2012年5月7日 – 現職

連邦政府議長 ミハイル・カシヤノフ(2000年5月 – 2004年2月)

ミハイル・フラトコフ(2004年3月 – 2007年9月)

ヴィクトル・ズプコフ(2007年9月 – 2008年5月)

ドミートリー・メドヴェージェフ(2012年5月 – 2020年1月)

ミハイル・ミシュスティン(2020年1月 – )

ロシアの旗 ロシア連邦

Emblem Security Council of Russia.svg 第2・4代安全保障会議議長

任期 2000年5月7日 – 2008年5月7日

2012年5月7日 – 現職

ロシアの旗 ロシア連邦

Government.ru logo.svg 第5・9代連邦政府議長

任期 1999年8月16日 – 2000年5月7日

2008年5月8日 – 2012年5月7日

大統領 ボリス・エリツィン

ドミートリー・メドヴェージェフ

ロシアの旗 ロシア連邦

Emblem of the President of Russia.svg 大統領代行

任期 1999年12月31日 – 2000年5月7日

大統領 ボリス・エリツィン

Flag of the Union State.svg ロシア・ベラルーシ連盟国

初代閣僚会議議長

任期 2008年5月27日 – 2012年5月7日

最高国家会議議長 アレクサンドル・ルカシェンコ

ロシアの旗 ロシア連邦

Emblem Security Council of Russia.svg 第8代安全保障会議書記

任期 1999年3月9日 – 1999年8月9日

安全保障会議議長 ボリス・エリツィン

(大統領兼任)

ロシアの旗 ロシア連邦

第4代連邦保安庁長官

任期 1998年7月25日 – 1999年3月29日

大統領 ボリス・エリツィン

出生 1952年10月7日(69歳)

ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦

ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 レニングラード

政党 КПСС.svg ソビエト連邦共産党(1975年 - 1991年)

無所属 (1991年 - 1995年)

我が家ロシア (1995年 - 1996年)

無所属(1996年 - 2008年)

統一ロシア (2008年5月 - )

出身校 レニングラード大学法学部

前職 諜報員

配偶者 リュドミラ・プーチナ (1983年7月 - 2013年6月)

子女 2人

宗教 キリスト教ロシア正教会

署名 Putin signature.svg

ウラジーミル・プーチン

Владимир Путин

所属組織 ソビエト連邦の旗 KGB → ロシアの旗 FSB

ロシアの旗 ロシア連邦軍

軍歴 1975年 - 1991年

1998年 -(現在)

最終階級 最高司令官

武官としての最終階級は大佐


ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン(ロシア語: Владимир Владимирович Путин, [vlɐˈdʲimʲɪr vlɐˈdʲimʲɪrəvʲɪtɕ ˈputʲɪn] 、英語: Vladimir Vladimirovich Putin、1952年10月7日 - )は、ロシアの政治家、元諜報員。

ロシア連邦第2・4代大統領(2000年 - 2008年、2012年 - 現在)である。また、1999年から2000年まで、2008年から2012年まで首相を務めた。欧州ではベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコに次いで2番目に長く現職の大統領を務めている。

プーチンはレニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれ、レニングラード国立大学で法律を学び、1975年に卒業した。KGBの対外情報部員として16年間勤務し、中佐まで昇進したが、1991年に辞職し、サンクトペテルブルクで政治活動を開始した。

その後、1996年にモスクワに移り、エリツィン大統領の政権に参加した。

連邦保安庁長官、連邦安全保障会議事務局長を経て、1999年8月に首相に就任した。エリツィン辞任後、プーチンは大統領代行に就任し、4カ月足らずで大統領に初当選、2004年に再選を果たした。その後、憲法上、連続2期の大統領就任が制限されていたため、2008年から2012年までドミトリー・メドベージェフの下で再び首相を務め、2012年の大統領選挙では不正疑惑と抗議行動により大統領に復帰し、2018年に再選された。

2021年4月、国民投票を経て、あと2回再選に立候補できるようにすることを含む憲法改正案に署名し、大統領の任期を2036年まで延長する可能性がある。

最初の大統領在任中、ロシア経済は8年連続で成長し、購買力平価で測定したGDPは72%増加、実質所得は2.5倍、実質賃金は3倍以上、失業と貧困は半減以上、ロシア人が自己評価する生活満足度は大幅に上昇した。

ロシアの輸出の大部分を占める原油価格・ガス価格が5倍になったこと、共産主義後の恐慌や金融危機からの回復、海外投資の増加、慎重な経済・財政政策の結果である。

また、プーチンは第二次チェチェン戦争でロシアを勝利に導いた。

メドベージェフ政権下で首相を務め、大規模な軍事改革や警察改革、南オセチア紛争でのロシアの勝利を指揮した。

3期目の大統領時代には、2014年初頭のウクライナへの軍事介入とクリミア併合に伴う国際制裁と相まって原油価格が下落し、2015年のGDPは3.7%縮小した。

が、2016年には0.3%のGDP成長率と回復した。

その他、プーチン政権下では、パイプラインの建設、衛星測位システムGLONASSの復旧、2014年ソチ冬季オリンピックや2018年FIFAワールドカップなどの国際イベントのためのインフラ整備などが進められた。

プーチンの指導の下、ロシアは権威主義にシフトしている。

専門家は、政敵の投獄と弾圧、自由な報道機関の脅迫と弾圧、自由で公正な選挙の欠如を挙げ、一般的にロシアを民主主義とはみなさない。

ロシアでは、トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットの民主主義指数およびフリーダム・ハウスの世界の自由度指数のスコアが低い。




年譜

1952年10月7日

レニングラード(サンクトペテルブルク)に生まれる。

1975年

レニングラード大学法学部を卒業し、ソビエト連邦国家保安委員会に勤務。KGBレニングラード局第1課(人事課)に配属。

1984年

KGB赤旗大学に入校。

1985年

東ドイツに派遣。ドレスデンのソ独友好会館館長をカバーとして、ソ連人学生を監督。 KGBドレスデン支部で北大西洋条約機構(NATO)の情報収集などの任務にあたる。

1990年

故郷レニングラードに戻り、国際問題担当レニングラード大学学長補佐官。

1991年12月

サンクトペテルブルク市対外関係委員会議長。

1992年

中佐の階級で予備役編入。サンクトペテルブルク市副市長。

1994年3月

サンクトペテルブルク市第一副市長。

1996年6月

ロシア連邦大統領府総務局次長に就任し、中央政界に転じる。

1997年3月

ロシア連邦大統領府監督総局長。

1998年5月

ロシア連邦大統領府第一副長官。

1998年7月

ロシア連邦保安庁長官に就任する。

1999年3月

ロシア連邦保安庁長官とロシア連邦安全保障会議書記を兼任。

1999年8月9日

当時の大統領ボリス・エリツィンにより第一副首相に指名される(同日に首相のステパーシンが退陣したため、そのまま首相代行となる)。8月16日に首相に就任。

1999年12月31日

引退を宣言したボリス・エリツィンにより大統領代行に指名。

2000年3月26日

大統領選挙にて過半数の得票を受けて当選。

2000年5月7日

第2代ロシア連邦大統領に就任。

2004年2月24日

ミハイル・カシヤノフ内閣を総辞職させる。

2004年3月5日

ミハイル・フラトコフを首相に指名。

2004年3月14日

大統領選挙にて再選を果たす。

2005年12月

ヨーロッパ柔道連盟名誉会長に就任。

2007年9月12日

ミハイル・フラトコフ内閣を総辞職させ、ヴィクトル・ズプコフを首相に指名。

2008年4月

ルードヴィ・ノーベル賞を受賞。

2008年5月7日

大統領を退任し、同日に統一ロシア党首に就任した。翌日に首相に就任。

2012年3月5日

大統領選挙で2度目の再選を果たす。

2012年5月7日

第4代ロシア連邦大統領に就任。

2018年3月18日

大統領選挙にて得票率76パーセントで圧勝した。

来歴

生い立ち


1952年10月7日、ソビエト連邦の一部であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)にて父ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン(1911年2月 - 1999年8月)と母マリア・イワーノヴナ・シェロモーワ(1911年10月 - 1998年7月)との間に誕生する。

母は工場などで働いていた。

父は活動に熱心な共産党員の無神論者で、母は信仰心が深いロシア正教徒だった。

父はソビエト連邦海軍に徴兵され、1930年代には潜水艦隊に配属となり、第二次世界大戦では内務人民委員部(NKVD)の破壊工作部隊に所属し、独ソ戦(大祖国戦争)で傷痍軍人となった。

戦後は機械技師としてレニングラードの鉄道車両工場で働いた。

2人の兄はいずれもプーチンが生まれる前の1930年代に死亡(1人目は幼くして、2人目はレニングラード包囲戦の間にジフテリアで死亡)していたため、プーチンは一人っ子として育つ。

プーチンの父方の祖父であるスピリドン・イワノヴィチ・プーチン(1879年12月 – 1965年3月)はプロの料理人であり、ヨシフ・スターリンのダーチャ(別荘)の1つにて給仕しており、それ以前はウラジーミル・レーニンに仕えていた。

プーチンは自伝で少年時代を振り返り、家庭環境はあまり裕福で無く、少年時代はレニングラードの共同アパートで過ごしたと語っている。

1960年9月1日に共同アパートと同じ通りにある第193小学校に通い始める。

小学生だったプーチンにドイツ語を教えていた教師によると、プーチンは母親似であるが、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいたという。

また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言している。プーチン自身も後に幼少時代は相当な悪童であったと告白している。

しかし6年生になると変化し、成績も上がり、ピオネール入団も許可された。この頃にはサンボと柔道も始めている。小学校卒業後、プーチンは化学の中等専門学校に入学した。

KGB時代

やがてプーチンは小説や映画で、特にフランスが製作したリヒャルト・ゾルゲの映画を見てからスパイに憧れを抱いたとされる。

ソ連国家保安委員会(KGB)への就職を考え、14歳の9年生(日本の中学3年生に相当する)の時に彼はKGB支部を訪問し、応対した職員にどうすればKGBに就職できるのか質問した。

職員は少年の質問にきわめて真率に対応し、KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しないため、今後は自分からKGBにコンタクトしてはならないこと、大学の専攻は法学部が有利であること、言動や思想的な問題点があってはならないこと、スポーツの実績は対象者の選考で有利に働くことなどの現実的な助言を与えた。

プーチン少年は以後そのアドバイスを忠実に守り、柔道に打ち込み、レニングラード大学では法学部を選択し、在学中も自分からはKGBに接触しなかった。

そして大学4年次にKGBからのリクルートを受け、プーチンは1975年に同大学を卒業後、KGBへ就職する。

KGB職員であるためにはソビエト連邦共産党への入党が条件だったため、プーチンは共産党員になっている。

KGBでは最初にレニングラード支部事務局、その後訓練を経て対諜報活動局に配属される。

さらなる研修を受けた後、第1総局(対外諜報部)レニングラード支部に勤務する。

そして外国で諜報活動を行うためにKGB赤旗大学で学び、1985年に東ドイツのドレスデンへと派遣される。

東ドイツには1990年まで滞在し、NATOをはじめとした政治関係の情報を集める諜報活動に従事したとプーチン自身は語っている。

その際にはKGBと協力関係にあった東ドイツの情報機関・秘密警察である国家保安省(シュタージ)職員の身分証明書も持っていたことが2018年に明らかになっている。

しかし東西ドイツ統一によりレニングラードに戻り、母校のレニングラード大学に学長補佐官として勤務した。

この頃に大学生の頃に教わっていたアナトリー・サプチャークと懇意になる。

政界へ

1990年、プーチンはKGBに辞表を提出し、同年5月にレニングラード市ソビエト議長だったサプチャークの国際関係担当顧問となった。

1991年8月の共産党解体までは共産党を離党せず、本人曰く党員証は今も持っているという。

1991年6月、サプチャークがレニングラード(同年11月にサンクトペテルブルクに名称を変更)市長に当選すると、対外関係委員会議長に就任する。

その後、1992年5月にサプチャークによりサンクトペテルブルク市副市長、1994年3月にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命された。

サンクトペテルブルク市の職員としてプーチンは外国企業誘致を行い外国からの投資の促進に努めた。またサプチャークの下で陰の実力者として活躍したため、「灰色の枢機卿」と呼ばれた(ロシアでは、ゲンナジー・ブルブリス(享年76歳・2022年6月19日死去)など陰の実力者に対し、このようなあだ名が付けられることがある)。

1996年8月、サプチャークがサンクトペテルブルク市長選挙でウラジーミル・ヤコブレフに敗北して退陣すると、プーチンはそれに伴い第一副市長を辞職する。

ヤコブレフによる慰留もあったが、結局はそれを拒否した。

その後、ロシア大統領府の総務局長パーヴェル・ボロジンによる抜擢で(アナトリー・チュバイス説もある)ロシア大統領府総務局次長としてモスクワに異動した。プーチンはこの職に就任して法務と旧共産党の資産移転と管理 を担当した。

1997年3月にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。

1997年6月、プーチンはサンクトペテルブルク国立鉱山大学に「市場経済移行期における地域資源の戦略的計画」という論文を提出し、経済科学準博士の学位を得る。

この論文の内容は、「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」というものだった(この論文に関しては、2007年にアメリカの学者が盗作説を主張するも、その後立ち消えとなる)。

1998年5月、プーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。ここでは地方行政を担当し、地方の知事との連絡役を務めたが、後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている。

同年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。この時、当時の大統領ボリス・エリツィンのマネーロンダリング疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ(ロシア語版、英語版)検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相だったエフゲニー・プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。

この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになる。


首相職(1999年)

大統領代行就任に伴いボリス・エリツィン(左)からロシア連邦憲法の大統領専用の複写を渡されるプーチン(1999年)

プーチンはエリツィンによって1999年8月9日に第一副首相に任命された(同日首相であったセルゲイ・ステパーシンが解任されたためそのまま首相代行に任命)。

この時、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明していた。

さらに1週間後の8月16日には正式に首相に任命される。首相に就任するとロシア高層アパート連続爆破事件をきっかけにして勃発した第二次チェチェン紛争の制圧に辣腕を振るい、「強いリーダー」というイメージを高め国民の支持を獲得した。

記者会見で言い放った「テロリストはどこまでも追跡する。便所にいてもぶち殺す」という発言の容赦なさや下品さが話題になったのもこのころである。

当時、次期大統領選のプーチンの有力な対抗馬として元首相のプリマコフがいたが、同年12月19日に行われたロシア下院選挙で、プーチンを支持する与党・「統一」の獲得議席数がプリマコフらによって結党された「祖国・全ロシア」の議席数を超えてロシア連邦共産党に次ぐ第2党となったことにより、プーチンは次期大統領の座にさらに近づいた(後にプリマコフは次期大統領選挙への出馬を断念した)。

そして同年12月31日に健康上の理由で引退を宣言したボリス・エリツィンによって大統領代行に指名される。


大統領職

1期目(2000年~2004年)

大統領就任式典で就任宣誓を行うプーチン(左)。右は前大統領のエリツィン(2000年)

大統領代行となったプーチンが最初に行ったのは、大統領経験者とその一族の生活を保障するという大統領令に署名することだった。

これは、エリツィンに不逮捕・不起訴特権を与え、エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの追及をさせず、引退後のエリツィンの安全を確保するものであるとともに、 プーチン自身が大統領職を退いた後の、政敵からの「保身」を見据えたものと思われる。

プーチンは2000年ロシア連邦大統領選挙で過半数の得票を受けて決選投票無しで当選した。

正式に第2代ロシア連邦大統領に就任したプーチンは「強いロシア」の再建を目標とした。

まず地方政府が中央政府の法体系と矛盾した法律を乱発するなど地方政府への制御が利かなくなっていたため、プーチンは中央政府の権限を強化する政策を打ち出す。2000年5月にロシア全土の85地域を7つに分けた連邦管区を設置し、各地域の知事を大統領全権代表に監督させた。

他には知事の上院議員兼務禁止・大統領への知事解任権付与などの政策を実行した。

プーチンはこれらの政策により中央集権化を推進し、「垂直統治機構」と呼ばれるシステムを確立した。

さらに、同年12月にソビエト連邦の国歌の歌詞を変えて新国歌に制定した。

これはロシア国民に「強かった時代のロシア(ソ連)」を呼び起こすためだとする意見がある。このような強い指導力は反対派からは「強硬である」と批判されたが、ロシア国民の支持を受けた。

1998年8月のロシア金融危機で打撃を受けた経済が回復し成長を続けたことも、多くのロシア国民がプーチンを支持する一因となった。

経済成長は原油価格の上昇によるところが大きいが、プーチン政権下でさまざまな経済改革が行われたことも理由として挙げられる。

所得税率を3段階による課税から一律13パーセントのフラット・タックス制に改革したり、法人税や付加価値税(消費税)を引き下げたりするなどの税制改革は税負担の軽減により横行していた脱税を減少させ、国家財政再建に寄与した。

また、これらの税制改革や土地売買の自由化など法制度の整備によって外国からの投資を呼び込み、ロシア経済が活性化した。


財閥との対決

2001年、オリガルヒの代表格だったミハイル・ホドルコフスキー(右)と

エリツィン時代はエリツィンと側近および支持基盤の新興財閥「オリガルヒ」の時代であった。

エゴール・ガイダル、アナトリー・チュバイスの急進的資本主義化は、混乱を招いていた。

このような状況の中で台頭したのは国有財産であった企業を資本主義化の過程において、国有企業経営陣が、タダ同然で私物化して発生したのが、新興財閥オリガルヒである。

オリガルヒはエリツィン政権と癒着して、出身企業以外の国有財産も買収またはタダ同然で払い下げを受けて私物化するようになり、エリツィン政権との癒着と、マスコミ支配によって政治的影響力を強めていった。

こうした癒着は腐敗を生み、オリガルヒの納税回避により国家財政は危機に陥り軍の崩壊や金融危機の原因となった国債乱発を引き起こした。

ガイダルの「中央銀行引き受け国債」乱発と急激な価格自由化はハイパーインフレを招き、年金生活者を中心に民衆が大打撃を受けたり、金融危機を招くなどロシア経済の混乱と国民の経済格差拡大を招いた。

また中央が地方政府への補助を打ち切ったことと、ロシア連邦軍の崩壊のために中央集権の箍が緩んで、ロシアの各共和国は中央政府の威令を軽んじ 独立傾向を強めてロシアは第二次国家分解寸前の状況になった。

しかしエリツィンに首相として引き立てられたKGB出身のプーチンが大統領になると、プーチンは警察・軍出身者のシロヴィキを登用し、財政再建のため新興財閥オリガルヒの脱税を取り締まり始め、財閥と対決した。

オリガルヒは所有するメディアでプーチンを攻撃したが、プーチンは脱税・横領などの捜査でウラジーミル・グシンスキーやミハイル・ホドルコフスキーといったオリガルヒを逮捕して制圧。恭順を誓った企業と和解し、恭順企業にメディアを支配させた。

プーチンは企業の政治介入を排除し、恭順を誓ったオリガルヒに納税させ国家財政と崩壊寸前だったロシア軍を再建した。

そして右派連合等オリガルヒ系政党を少数派に追いやり、与党・統一ロシア(前述の「統一」と「祖国・全ロシア」が合併して結成)に支持され権力を確立した。

プーチン政権当初に首相を務めたミハイル・カシヤノフなど、プーチン政権内のオリガルヒと密接な関係にあるとされた政治家も遠ざけ、代わってシロヴィキやプーチンと同郷のサンクトペテルブルク出身者(サンクト派)を重用した。

しかし、アルカディ・ローテンベルクとボリス・ローテンベルクのローテンベルク兄弟に代表されるようなプーチンと個人的に親しいオリガルヒは救済措置(ローテンベルク法)がとられるなど優遇された。


2期目(2004年~2008年)

クレムリンにて当時の首相ミハイル・フラトコフ(左)、セルゲイ・ミロノフ上院議長(右)と(2005年)

クレムリンにて閣議を行うプーチン(2007年)

2007年、世界経済フォーラムロシアCEO円卓会議にて主宰のクラウス・シュワブ(右)と

2008年、クレムリンで行われた国家会議にて「2020年までの発展戦略」を発表するプーチン2008年ロシア連邦大統領選挙に勝利したドミートリー・メドヴェージェフ(右)とともにロックコンサート会場で支持者の声援を受けるプーチン(2008年)

2008年、第9回統一ロシア党大会にて拍手の中で立つプーチン

プーチンは2期目となる2004年ロシア連邦大統領選挙に70パーセント以上の圧倒的な得票率で再選した。

再選後の同年9月にベスラン学校占拠事件が発生したことからロシアの国家統一の必要性を理由として、地方の知事を直接選挙から大統領による任命制に改め、より一層の中央集権化を進め、大統領権限を強化した。

ロシア経済は原油価格の高騰に伴い2期目も実質GDP成長率で年6~8パーセント台の成長(2004年 – 2007年)を続けた。

ただしその多くがエネルギー資源に依存していたため、その経済構造を是正し、より一層の経済発展を達成することを目的として、プーチンは2005年7月に製造業とハイテク産業の拠点とするための経済特区を設置する連邦法に署名した。

それによって同年12月に6箇所の経済特区が設けられた。8年間のプーチン政権でロシア経済は危機を脱して大きく成長し、ロシア社会から高い支持と評価を受けている。

国内総生産(GDP)は6倍に増大(購買力平価説では72パーセント)し、貧困は半分以下に減り、平均月給が80ドルから640ドルに増加し、実質GDPが150パーセントになった。

また、ロシア政府は2005年に国際通貨基金(IMF)からの債務、2006年にパリクラブからの債務を完済し、ロシア経済は安定して国際的な信用を取り戻した。この対外債務返済に大きく貢献したのが2004年に創設した政府系ファンドの「安定化基金」である。

この基金は原油価格下落のリスクに備えるのを目的とし、原油の輸出関税と採掘税の税収を原油価格の高いときに基金に繰り入れ、資金を積み立てる構造になっていた。

が、この基金を利用することにより対外債務が返済された。

その後2008年に安定化基金は原資となる税収に天然ガスと石油製品の輸出関税と天然ガスの採掘税を追加した上で「準備基金」と「国民福祉基金」に分割された。

前者は従来のように原油価格下落時の対応を目的とし、後者は年金支払いの補充など国民福祉向上のために使われることを目的としている。

それでも依然として多くのロシア国民(2009年の時点で6人にひとりとも)が最低生活水準を下回る生活をしていることや、死亡率の高さにより人口が減少傾向にあることを憂慮し、2005年10月に「優先的国家プロジェクト」を大統領令によって立ち上げた。

これは保健・教育・住宅建設・農業の4分野で改革を行って社会基盤を整備し、生活水準向上を目指す計画である。

具体的には、このプロジェクトに沿って、保健分野では子育て支援や医師と看護師の給料増額など、教育分野では新大学の設立や奨学金制度の確立など、住宅分野では住宅ローンの規模拡大や住宅建設への融資など、農業分野では若い農業専門家に対する住宅の保障などが計画された。

このプロジェクトを推進するため、大統領府長官のドミートリー・メドヴェージェフを同年11月に第一副首相に任命した。

しかしプーチン政権の2期目は経済成長の達成の裏で、その政治手法が強権的・独裁的だとして欧米諸国から強い非難を浴びることになる。オリガルヒが逮捕・投獄された後にオリガルヒが所有していた天然資源会社を政府の強い影響下に置いたことは大きな波紋を呼んだ。

前述のように、2003年にユコス社の社長ミハイル・ホドルコフスキーが逮捕された後、ユコス社は脱税による追徴課税が祟って2006年8月1日に破産に追い込まれ、2007年5月3日に資産が競売により国営企業のロスネフチに落札された。

だがこのような手法は、オリガルヒに膨大な富が集中したことに対して不満を持っていたロシア国民から支持を受けている。

また、経済についてはロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入に反発する米国からの経済制裁により近年経済成長率が低下しつつあり、年金制度改革を巡り国民から強い反発を受けている。

第二次チェチェン紛争での人権侵害などにより、ロシア国外の政府や人権団体からロシアの人権と自由について追及されている。

また、非民主的(反民主的)で、非合法な(謀略的な)手法で支配力を行使し政治を行っていることも様々な調査で明らかになっている。

また統計上は良くなったともされるロシア経済についても、その実態としてはウラジーミル・ヤクーニンのような一部のプーチンと親密な関係にある人物たちによって統制が行われてしまっていることがマスメディアの取材で明らかになっている。

こうした統制は、ボリス・ネムツォフらプーチン政権の反対派によって厳しく批判されている。

また、プーチン政権を批判していた人物が次々と不審な死を遂げ、ロシア政府による暗殺説が浮上したことも、欧米諸国にマイナスイメージを持たれる一因になった。

2006年10月、反プーチンのロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤが、自宅アパート内にてルスタム・マフムドフによって射殺された。

この事件にはロシア政府による何らかの関与があったとする見方がある。一方、プーチンはこの事件を「恐ろしく残酷な犯罪」としたうえで、「犯人が罰せられないことがあってはならない」と述べた。

なお、この事件は2008年6月に容疑者4人が起訴され、捜査の終了が発表された。この事件のほか、プーチンを批判してイギリスに亡命し写真が公開されたKGB・FSBの元職員アレクサンドル・リトビネンコが2006年11月に死亡している。

死亡原因として、「多量の放射能物質ポロニウムを食事などに混合されて摂取したため」とイギリス警察が発表し、当時の首相トニー・ブレアがロシア政府に対し協議したいと要望した。FSBによる暗殺だとする説も浮上した。

イギリス政府内では、ロシア政府による暗殺との見方が強い。イギリス警察当局は、この事件で主犯とされる旧KGB元職員アンドレイ・ルゴボイ容疑者と実業家のドミトリー・コフトゥン容疑者の身柄引き渡しをロシア政府に求めた。ロシア側はこれに対し身柄引き渡しを拒否した。

さらに、2007年6月21日にはイギリスに亡命したオリガルヒであるボリス・ベレゾフスキーへの暗殺計画が発覚し、その容疑者がロシアに強制送還される事件が起こっている。

ロシア連邦大統領は連続3選が憲法により禁止されているため、大統領退任後の去就が注目されていたが、2007年10月に開かれた与党・統一ロシアの第8回党大会で、大統領退任後は首相に就任して政界にとどまることに意欲を示した。

同年12月2日に行われたロシア下院選挙では統一ロシアの比例代表名簿第1位に記載され、同党の選挙大勝につながった。

12月10日には後継として第一副首相のメドヴェージェフを指名し、2008年ロシア連邦大統領選挙で支持することを表明。

2008年2月8日には「2020年までの発展戦略」を発表し、大統領退任後も政界にとどまる姿勢を見せた。

この中でプーチンはエネルギー資源依存型経済からイノベーション主導型経済への移行と、そのための人的資本蓄積を教育改革と福祉の充実によって達成する必要性を説いている。

同年3月に大統領選挙でプーチンが支持したメドヴェージェフが70パーセント以上の得票を集め大勝した。

同年4月15日の第9回統一ロシア党大会でプーチンは同党の党首に就任することを受諾した。


首相職(2008年~2012年)

2008年、首相承認に先立ち、連邦議会下院で演説を行うプーチン

2008年、メドヴェージェフ、第2次プーチン内閣の閣僚たちと

2008年5月7日に大統領を退任したが、新しく大統領となったメドヴェージェフによって首相に指名され、翌日連邦議会下院で承認された。

承認の前に下院で行った演説では、年金・最低賃金の引き上げや免税、インフレ率の抑制に努め、ロシアが世界有数の国際金融センターになることを目標にすると発言し、近い将来にロシアがイギリスを凌ぐ経済大国になると予測した。

首相就任によりメドヴェージェフとのタンデム体制となったが、プーチンは大統領を退いた後も事実上最高権力者として影響力を行使していると見なされることとなった。

5月15日には、首相が議長となる「政府幹部会」を設置。この会は副首相だけでなく大統領が管轄する外相や国防相も参加する、事実上の最高意思決定機関である。

また2000年に制定していた連邦管区大統領全権代表は代表権を失って首相のコンサルタント的な地位になり、さらに大統領による任命制に改められていた地方の知事を国家公務員にして首相の管轄下に置いた。

2008年11月5日に大統領のメドヴェージェフが年次報告演説を行い、その中で大統領の任期を4年から6年に延長することを提案したため、プーチンの大統領復帰説が流れ始めた。

同年11月20日の第10回統一ロシア党大会では世界金融危機の対応に積極的な姿勢を見せ、外貨準備や前述の「準備基金」と「国民福祉基金」を利用して景気対策を行うことを提言した。

また、「準備基金」からIMFに10億ドル(約950億円)を拠出する意向を示した。

このような積極的な姿勢も、プーチンの大統領復帰説を強くする一因となった。

プーチンは自身の大統領復帰説に対し、同年12月4日に行われた市民とのタウンミーティングにおいて、「2012年になれば分かる」として明言はしなかった。

翌2009年には2012年ロシア連邦大統領選挙について出馬を最も強く示唆する発言を行い、経済危機にも関わらず、有権者の間ではプーチンの人気は絶大で政界に君臨し続けた。

2010年1月30日、カリーニングラードにて、9,000人から12,000人に及ぶ人々が抗議集会を行った。 彼らは、「プーチンと彼の政府は違法行為と虚偽で出来ている」と主張した。

この抗議には様々な団体が参加しており(多くの団体の旗が掲げられた)、「連帯」、「ヤブロコ」、「ロシア連邦共産党」、「ロシア自由民主党」などが抗議に参加した。

2010年12月17日、プーチンは2015年までにロシア政府が使用するコンピュータのソフトウェア(OSを含む)を、Linuxをはじめとするフリーソフトウェアに置換するよう命じた。コンピュータのソフトウェアをアメリカの企業であるマイクロソフトに依存している現状からの脱却を目指すものであるとされている。

2011年9月24日、モスクワで開催された統一ロシアの党大会で2012年ロシア連邦大統領選挙に立候補を表明した。

2011年12月4日投開票の下院選挙において、プーチン率いる統一ロシアの不正を示す動画がユーチューブに投稿された。

また、下院選挙に国際監視団を派遣した欧州安全保障協力機構は「水増しなどの不正操作が行われた」、欧州会議は「多くの不正が行われ、政府による監視活動妨害があった」と発表した。

ロシアの民間団体「選挙監視団」も統一ロシアの得票率が中央選管発表の49.3パーセントを大幅に下回る30パーセント以下だったとする調査結果を発表した。

政府高官も「選挙違反はあったが、大規模で無い」と一部で不正があったことを認めた。このため選挙直後から不正疑惑をめぐって政権を批判するデモが開かれた。

12月24日のデモにおいては、主催者側は12万人(警察発表3万人)が参加したと発表した。

またこの頃に「全ロシア人民戦線」を結成し、党首を務める統一ロシアより距離をおき始めた。

2012年3月4日に実施された2012年ロシア連邦大統領選挙で約63パーセントの得票率で当選した。4月には大統領就任後に統一ロシア党首を辞任する意向を示した。


大統領職再登板(2012年5月7日~現在)

ウクライナ侵攻に反対するデモ

3期目(2012年~2018年)

2012年5月7日にクレムリンで行われた就任式典を経て、正式に第4代ロシア連邦大統領に就任した。

2008年の憲法改正により、今任期からロシア連邦大統領の任期が6年となったため、任期満了は2018年となる。

2017年7月21日にロシア南部ソチで開かれた青少年との対話集会で、今後について「(大統領選挙再出馬を決めるまでの)時間はまだある」「大統領職から去るかどうかはまだ決めていない」「大統領退任後も政治活動は可能だ。回顧録を書くだけにはならない」「希少生物の保護など環境保護に興味がある」などと語った。

2017年12月6日に翌年実施予定の2018年ロシア連邦大統領選挙に出馬することを表明した。

2018年3月18日の2018年ロシア連邦大統領選挙では得票率76パーセントで圧勝 し、任期満了は2024年となった。


4期目(2018年~)

2020年1月15日に行った年次教書演説で大統領権限の一部を議会に移管すると共に、国家評議会の権限を強化する方針を表明し、大統領を退任する2024年以降も権力を保持するための布石とも推測された。またこの権限強化により事実上終身大統領となる事が可能になるため、国内では野党から懸念が示されている。

2022年2月24日、ロシア軍にウクライナの非軍事化を目的とした特別軍事活動を承認し、軍は全面侵攻を開始した。

詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻」を参照

選挙

詳細は「ウラジーミル・プーチンの選挙戦歴」を参照

人物・政治姿勢

内政

2000年、救世主ハリストス大聖堂にてロシア正教会モスクワ総主教のアレクシイ2世(右)と

ロシア国内の宗教指導者達と。左から仏教・イスラーム・正教(アレクシイ2世)。(2001年2月)

プーチンはソビエト連邦時代の「強いロシア」の再建を標榜しており、ロシアの伝統的政治手法として、ソ連国歌のメロディ復活やレーニン廟の埋葬に反対 などに代表されるように国民の愛国心に訴え、政府に対する求心力を強化しようとする政治家として知られる。

ウラジーミル・プーチンとマレーシアの首相マハティール・ビン・モハマド (2003年8月5日)

他方で宗教を徹底的に弾圧したソ連時代とは一線を画し、ロシア正教会を保護してもいる。2007年のロシア正教会と在外ロシア正教会の和解を斡旋し、和解の聖体礼儀に出席もしてスピーチを行った。イスラームに対してはロシア正教会ほどに結び付きはなく、ロシア国内でのイスラーム主義勢力の監視・活動制限、コーカサス地方では武装イスラーム主義勢力との対決姿勢を鮮明にしてもいる。

が、タタールスタンのカザン・クレムリンにおいて巨大なモスクも再建したシャイミーエフのような穏健的な存在とは協力関係を築くなど、硬軟織り交ぜた対応がみられる。また、ユダヤ教も庇護しており、ベレル・ラザル首席ラビとは友好関係を築いている。

プーチン政権は独裁色が強いとロシア国外のメディアで報じられることがある。

ロシア情報公開擁護財団によると、ロシアでは1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡・もしくは行方不明となっており、プーチン政権がこれらの事件に関わっているのではないかとの疑惑が浮上している(この点に関してゴルバチョフは、ロシアではジャーナリストが不審な死を遂げる事件がエリツィン政権時代から頻発しており、いずれも真相が明らかにされていないため、政権の関与が疑われてしまうと発言している)。

この件に関しては、国際社会でもチェチェン勢力への人権侵害と相まって非難されている。

また、その圧倒的な支持を背景に自身の強いリーダーシップをもって中央集権化を推進するプーチンの姿勢は権威主義的であると言われ、「ツァーリ」と呼ばれることもある。

しかし、TIME誌に「自由より先に秩序を選択した」とあるように、エリツィン政権で治安が悪化し経済も崩壊したロシア社会に強力な指導力で秩序と安定をもたらしたという見方もできる。

プーチン自身は「法の独裁」という言葉を用いて、自らの立場をよく説明する。


アメリカ合衆国・ヨーロッパ

戦勝60周年記念式典にて各国首脳と。左から日本の首相小泉純一郎、フランスの大統領ジャック・シラク、ドイツの首相ゲアハルト・シュレーダー、プーチン、アメリカの大統領ジョージ・W・ブッシュ(役職は全て当時のもの・2005年)

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来プーチンはテロとの戦いにおいてアメリカとの協調姿勢を見せた。

同時多発テロ後にアメリカ軍がアフガニスタンに侵攻を行う際には、ロシア国内の保守派からの反発があったにもかかわらず、同年9月24日のテレビ演説でかつてソビエト連邦を構成していた中央アジア諸国にアメリカ軍の駐留を認めることやその他の具体的協力を掲げる「対米協力五項目」を謳ってアメリカへの支援を行った。

アメリカとの協調路線を選んだのは、ロシアもチェチェン勢力によるテロに悩ませられていたため、アメリカと協調して国際的なテロ包囲網を構築することでチェチェン勢力のテロ攻撃を封じ込もうとしたからであった。

しかし次第にプーチンはアメリカの一極支配に抵抗する構えを見せるようになる。

2003年に勃発したイラク戦争においてロシアは戦争に反対してアメリカと距離をおき、同じく戦争慎重派のフランス・ドイツ・中国との連携を強化した。

2007年2月にドイツのミュンヘンで行われた「ミュンヘン国防政策国際会議」では、アメリカの一極支配体制は受け入れられないだけで無く、その行動は紛争の解決手段にならず、むしろ人道的な悲劇や新たな緊張が生じる原因となっている。

として、アメリカの一極支配体制を批判した。

アメリカが東ヨーロッパ諸国と接近して影響力を高めようとする行動には警戒感を示し、「アメリカにとっても東ヨーロッパ諸国にとっても良いことでは無い」と発言している。

特に、アメリカが「イランと北朝鮮への対抗」としてチェコとポーランドにミサイル防衛(MD)システム配備を計画していることに対しては、このシステムが対ロシア用だという疑念を持ち、強い反発を示した。

プーチンはこの代替案としてアゼルバイジャンにあるロシアのレーダー施設の共同使用や、トルコやイラクへの配備を促したが、結局アメリカはチェコと2008年7月に、ポーランドと同年8月にMDシステム配備協定に調印した。

ハイリゲンダムサミットにてアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領(左)と(2007年)

2019年8月にフィンランドのニーニスト大統領とプーチン

北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大(東ヨーロッパ諸国と旧ソ連諸国に加盟国を拡大)については強く反発している。

そのためプーチンは2007年4月の年次教書演説で、ヨーロッパ各国による通常兵器の配備の上限を定めたヨーロッパ通常戦力条約をNATO諸国が批准していないことを理由に、同条約の履行を停止することを表明した。

そしてプーチンは同年7月に履行停止の大統領令に署名し、上下両院で採択された履行停止法案に同年11月署名した。

2008年4月のNATO首脳との会談では欧米諸国が妥協した場合は再び同条約を履行する意思を示したが、NATOの東方拡大に対しては「ロシアにとっての直接的な脅威」だとして反対の姿勢を崩さなかった。

ロシアにとって欧州連合(EU)諸国は最大級の貿易相手である。

その中でプーチンはドイツの首相シュレーダーとの個人的な友好関係からドイツと緊密な関係を築いた。

その後首相がメルケルと交代しても、ドイツとは「戦略的パートナーシップ」を維持している。

しかしEU諸国とはコソボの地位問題などで意見の相違も見られる。

アメリカと共にEU諸国が支持したコソボ独立には、セルビアに同調して独立に反対し、「コソボはセルビアの一部」だという立場を取っている。

プーチンは、EU諸国やアメリカによるコソボ独立の承認について、長期間にわたって構築されてきた国際関係を崩壊に追い込む「恐ろしい前例」になると発言した。

旧ソ連諸国


2008年、ウクライナの首相ユーリヤ・ティモシェンコ(左)と

旧ソビエト連邦の構成国だったグルジアで2003年にバラ革命、同じく構成国だったウクライナで2004年にオレンジ革命が発生し、以降両国がロシアよりもアメリカとの関係を重視するようになる。

と、両国に対してプーチンは強硬な手段で臨むこともあった。

ウクライナには、2006年1月に天然ガス価格を引上げを表明し、これを拒否したウクライナへの流量を減らすなどの強硬手段をとってロシア・ウクライナガス紛争を引き起こした。

グルジアには、プーチンが北京オリンピックの開会式に出席してる最中に起きた2008年8月7日にグルジアが同国自治州の南オセチアに侵攻したことに対し、南オセチアの独立を支持する立場から「報復」を宣言し、翌8月8日、ロシア連邦軍を派遣して南オセチアに軍事介入を行った。

グルジアの侵攻の原因については、同年8月28日にアメリカのテレビ局CNNとのインタビューで、「2008年アメリカ合衆国大統領選挙で共和党候補者のジョン・マケインを優位にするためにブッシュ政権がわざと起こしたものだ」として、アメリカのブッシュ政権を厳しく非難して新冷戦と呼ばれる様相を呈した。

2011年10月にはベラルーシ・カザフスタンとロシアがEU型の地域統合をおこなうユーラシア連合を構想する寄稿を行っている。


アジア太平洋

日本

APEC首脳会議にて、日本の首相安倍晋三(左)と(2006年11月)

2009年5月12日、連邦政府議長在任時のプーチン(左)と内閣総理大臣麻生太郎(右)

2017年11月10日、大統領在任時のプーチン(右)と内閣総理大臣安倍晋三(左)

大統領就任当初から戦略的に投資の誘致や天然資源の輸出先として日本市場を重視し、2005年11月の来日時には100人以上の財界人を引き連れて日本側に投資の促進を訴えた。自衛隊とロシア連邦軍の救難訓練も毎年行われるようになり、日本と平和条約を締結することに意欲的な姿勢を示しているものの、基本的に日ソ共同宣言を根拠にした2島返還論を推奨しており、未だ解決には至っていない。

来日時には日ソ共同宣言に基づき、2島を「譲渡」することで日本側を説得しようとした。その後も北方領土問題の解決と平和条約締結に意欲を見せるものの、問題が解決に至らないのは日ソ共同宣言を履行しない日本側の責任であるとしている。

2001年の日露首脳会談には、当時の日本の首相森喜朗とともに「イルクーツク声明」を発表し、同宣言が平和条約締結の交渉の出発点であることを確認した。

ただし、同宣言にある2島返還論は主権返還ではないとしている。

北方領土はソ連が領土回復させたとする歴史認識を述べており、プーチンが監督するロシア地理協会は北方領土の島に対日戦を指揮したソビエト連邦軍将校の名前を名づけた。

2005年の来日時前、ロシア国内向けテレビ番組に出演した際には「北方領土の主権が現在ロシアにあることは国際法で確立され、第二次世界大戦の結果であるので、この点については交渉するつもりはない」と発言。

2016年5月20日には会見で「北方領土は1つとして売らない」とも発言しており、北方領土で軍事演習や対日戦勝記念パレードを行い、北方領土の基地化も進めて日本政府の抗議を受けており、北方領土を経済特区に指定し、北方領土に新型ミサイルも配備し、北方領土の土地無償分与を始めるなど、日本の領土返還要求を牽制する態度も示している。

なお、2022年3月1日、ウクライナ侵攻に伴う制裁の一環で日本国政府より資産凍結の対象者に指定されている。


中国

   中国の胡錦濤国家主席(左)と(2007年)

中国の習近平国家主席(左)と(2015年)

アメリカへの対抗上同じ国際連合安全保障理事会常任理事国であり、ヨーロッパ連合に代わってロシア最大の貿易相手国にもなった同じ中華人民共和国との提携をより重視しており、プーチンは度々「中国とは戦略的パートナー以上の関係にあり、日本とはその域に達していない」と述べており、日本との領土問題で取引はしないとする。

一方で「中国と同じ程度の高度な信頼関係」を築ければ妥協できる可能性も示唆している。

中露国境問題も実効支配地域を割譲することで中華人民共和国に譲歩する形で解決し、平和条約である中露善隣友好協力条約を結んでいる。

中国の協力でロシア国内のネット検閲を推し進め、サハリンと北方領土を結ぶ通信網を中国企業のファーウェイに敷設させた際は中国とロシアは日本政府からともに抗議されており、2019年2月に開通させた。

2019年6月にはロシア初の5G通信網の開発でファーウェイと合意し、プーチンはファーウェイ問題でのアメリカの動きを「デジタル世代で初のテクノロジー戦争」と批判した。

地続きの中国とは同江鉄路大橋と黒河・ブラゴヴェシチェンスク大橋を結び、東シベリア・太平洋石油パイプラインやパワー・オブ・シベリア(英語版)(シベリアの力とも呼ばれる)を建設して天然資源を積極的に輸出し、ロスネフチやヤマルLNGに中国企業は出資した。

日米が推進している環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)やインド太平洋戦略に否定的で、中国の習近平国家主席の唱える一帯一路を支持し、「大ユーラシア・パートナーシップ」構想を提唱して第一段階として中国と連携する方針を2016年6月のサンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)で発表。

2017年5月、北京での一帯一路国際協力サミットフォーラム(英語版)(BRF)でプーチンは同構想を演説し、2018年5月にユーラシア経済連合(EEU)と中国の貿易経済協力協定が締結され、翌2019年のBRFとSPIEFに出席したプーチン大統領と習国家主席は一帯一路と同構想への協力で一致して中露共同声明で一帯一路と同構想の共同構築を掲げた。

軍事的にもS-400やSu-35などのようなロシアの最新鋭兵器も供与し、NATOの対抗軸ともされる上海協力機構(SCO)を結成して中国人民解放軍とは日本海の海域と空域で長距離戦略爆撃機による初の共同警戒監視活動や海上合同軍事演習で上陸訓練も行い、ミサイル防衛でも共同演習を実施し、米露のみが有していた弾道ミサイル早期警戒システム(BMEWS)の中国での構築を秘密裏に支援していることも明かしている。

2015年のモスクワの対独戦勝70周年記念パレード(英語版)と北京の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典の何れも中国の習国家主席の隣に座って歴史上初めて赤の広場と天安門広場にロシア連邦軍と中国人民解放軍の兵士が行進した。

2018年9月にロシア極東で行ったロシア史上最大の演習「ボストーク2018(ロシア語版)」は中国とSCOのオブザーバーであるモンゴルが初参加してソ連史上最大の演習である「ザーパド81」を超える規模となり、その際にロシアのセルゲイ・ショイグ国防相がモンゴルと中国を「同盟国」と呼んで注目され、視察に訪れたプーチンも「我々は必要であれば同盟国を支援する」と演説して中国人民解放軍兵士4名とモンゴル国軍兵士2名に褒章のメダルを与えた。

プーチンは緊密な中露関係を理由に中国との軍事同盟は2020年時点で必要無いとしつつ「理論的には十分想像でき、原則として排除するつもりは無い」とも発言している。

また、プーチンはロシア最高位勲章の聖アンドレイ勲章(ロシア語版)を初の旧ソビエト連邦構成共和国では無い外国要人である習近平国家主席に授与し、中国の最高位勲章の友誼勲章(中国語版)の初の授章者にもなっている。


安全保障

チェチェン共和国のアフマド・カディロフ大統領(当時)(左・2002年)と

2005年、長距離戦略爆撃機・tu-160に搭乗するプーチン

就任直後からチェチェン人の武装集団によってロシアの主要都市へテロが頻発すると、これを口実にチェチェンへの武力侵攻を強化した。

ロシア軍はチェチェン各地で殺戮・強姦などの人権侵害を行い、これが更なるテロを誘発する原因となった。

2002年のモスクワ劇場占拠事件では、立て籠もるテロリストを鎮圧するために有毒ガスの使用を許可した。その結果テロは鎮圧されたが、人質の市民も巻き添えとなり、100名を超える市民が死亡する惨事となってしまった。

2006年に首謀者であるシャミル・バサエフをロシア特務機関が殺害してからチェチェン情勢は一応の安定を見せているものの、今でもチェチェン独立派の犯行と見られる小規模なテロが頻発している。

このように独立派に対しては武力を以って制する一方、第二次チェチェン紛争時にはイスラム原理主義の浸透に反感を抱くアフマド・カディロフ等の帰順に成功し、彼らの非正規部隊をロシア連邦軍や内務省の指揮下にあるロシア国内軍などの正規軍に編入している

2007年1月まで投降者には刑事訴追の免除等の恩赦が約束されていた。

また有力者には行政府の地位やロスネフチの子会社であるグロズネフチを通して利権が振舞われており、「アメとムチ」を使い分けていると言える。

2007年8月に1992年以来中断してきた長距離戦略爆撃機によるロシア国外への常時警戒飛行をロシアが再開していたことを初めてプーチン自身が公式に上海協力機構の軍事演習会場チェリャビンスク(Chelyabinsk)で発言することにより明らかになった。

これは、同年8月17日イギリス空軍所属のユーロファイター タイフーンがロシアの長距離爆撃機を北大西洋上で捕捉したことと符合する。

その経歴から「冷酷な性格」や「粗野」という批評を受けることが多い。

が、ロシア国内ではメディアを通じて非常に紳士的な姿勢をアピールしており、ロシア国民からの人気もきわめて高い。日本では「冷酷な紳士」で、なおかつ「有能な元工作員」と言う、スパイ映画などにおける定番のKGB職員のイメージで見られることが多い。

2018年3月には極超音速ミサイル「アバンガルド」を開発し、同年11月よりロシア軍に配備した。

2007年、グアテマラで行われた国際オリンピック委員会の総会にて英語でスピーチをし、ソチオリンピック誘致を訴えるプーチン

人物

ミハイル・ゴルバチョフ(左)と(2001年10月)

元KGBのエージェントであり、現在のロシア連邦の政治家の中でも特に大きな影響力を持っている政治家である。

最終学歴はレニングラード大学(現在のサンクトペテルブルク大学)法学部卒業。学位は法学士(サンクトペテルブルク大学)、経済学博士候補(1997年)。階級は予備役大佐。ソ連崩壊後しばらくの間は生活苦から無認可タクシーの運転手のアルバイトを行って糊口をしのいでいた。

 サンクトペテルブルク市の職員時代に共に働いていたサプチャークやコザクによれば、プーチンは礼儀正しく、遠慮深く、落ち着いた人物であったという。また権力欲が無く、地位よりも仕事を重視し、仕事一筋に生きるタイプであると見られていた。

カメラの前では無表情で振舞っているが、実は取り留めないほどの冗談好きである。諜報員時代の上司から「お前は冷静すぎる」と言われたことがあるのだが、この逸話もプーチン自身にかかると「本当は『お前のようなおしゃべりはシュピオン(スパイ)には向かない』と言われたんです」になってしまう。

KGB時代に東ドイツに派遣されたためドイツ語に堪能であることはよく知られているが、大統領任期期間中に英語の勉強を本格的に始めており、現在では各国首脳とも英語で会話している光景が見られる。2007年の国際オリンピック委員会の総会でも、ソチオリンピック誘致のために英語でスピーチを披露した。

エリツィンに抜擢されたのでエリツィン派だったと思われているが、寧むしろ政治家としてはゴルバチョフに敬意を表している。しかし、ゴルバチョフに師事したことは無く、サプチャークからの間接的な影響だと思われる。サンクトペテルブルク時代に仕えた市長(当時)のサプチャークは、プーチンが学生時代に指導をうけた恩師でもあり、生涯の尊敬と忠誠を捧げている。

歴史上の人物で尊敬するのはピョートル1世とエカテリーナ2世。また、外国の政治家で興味があるのはナポレオン・ボナパルト、シャルル・ド・ゴール、ルートヴィヒ・エアハルトであるという。

2007年、アメリカのニュース雑誌『タイム (雑誌)』が年に1回、その年の出来事に最も影響を与えた人物(最も活躍した人物)として世界でただ一人を選出する、パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)に選出された。

2013年、アメリカ合衆国の世界的に有名な経済誌『フォーブス』が毎年年末に発表する「世界で最も影響力のある人物」ランキングにおいて世界ナンバーワンとなった。

この記録は 2016年まで続き、4年連続で世界で最も影響力がある人物に選ばれた。

2017年と2018年には日本も含めて、プーチン大統領のカレンダーである通称「プーチンカレンダー」が、有名人のカレンダーの売上として世界ナンバーワンとなった。

幾度と無く大切な会談に遅刻をする人物として知られる。2013年・2015年・2018年と3度に渡りローマ法王を1時間近く待たせた他、2014年にドイツの首相メルケルを4時間15分待たせた。また、シリア問題の話し合いでアメリカのジョン・フォーブズ・ケリー国務長官を3時間待たせた例が出された。一方2013年11月に韓国を訪問したプーチンは朴槿恵(パク・クネ)大統領との首脳会談に向かう途中で既に時間に遅れているにも関わらず武術愛好者と語らい30分遅刻したという例や、2012年のウクライナ訪問の際にバイクライダー団体との交流を優先してビクトル・ヤヌコビッチ大統領との会談に4時間遅れるという例など、故意に遅刻をする場合もある。プーチンの遅刻癖は「国際政治の場面で皇帝になりたい」という野心の表れだと専門家は指摘する。

大統領就任後は暗殺(後述)を回避するために影武者を利用することも検討されたが、本人は影武者の利用を断ったとしている。ただし影武者の存在の臆測は幾度と無く囁ささやかれている。


アスペルガー症候群説

2015年2月5日、プーチンにはアスペルガー症候群(高機能自閉症)があると結論付けたアメリカ国防総省の2008年の研究報告書が公表された。

国防総省はこの研究を重視しない姿勢を明らかにしている。

が、報告書の著者であるアメリカ海軍大学のブレンダ・コナーズ(Brenda Connors)は、プーチンの体の動きや表情などの写された映像を分析した結果、彼は幼児期の神経発達障害によって体の不安定感や対人不安を抱えていると判断でき、これが原因で、危機的状況に直面した場合に「極端な統制」を行使する必要に迫られると主張している。

この中で、社会からの刺激を閉ざしてしまった実例として、2000年にバレンツ海でロシア原子力潜水艦クルスクが沈没した事例を挙げ、社会からの刺激を閉ざしてしまう症状の一つとして起こり得るとしている。

コナーズは、各国首脳の体の動きを分析し、こうした体の動かし方などの特徴が、行動や決断を予測できる可能性が高く、それを考えることは、「兵器システムの開発と同じくらいの効果を持ち得る」戦略だと主張している。

この研究報告書について、オックスフォード大学の発達神経心理学科教授であるドロシー・ビショップ(英語版)は、体の動きの分析に基づいて自閉症の診断を下すことの誤りを指摘した上で、コナーズによる主張は「本当にアスペルガー症候群と自閉症を持つ人々に怒りを抱かせる」ものであると批判した。


健康不安説

ウクライナ侵攻以降、プーチンの健康不安説が急速に広まった。

パーキンソン病説、行き過ぎた権力によって性格全般が歪んでしまい、認知能力の減退、判断力の低下など症状を示すヒューブリス(傲慢)症候群(hubris syndrome)説などがある。

パーキンソン病の場合、経過中に幻覚や妄想が出現することがある。

また、新型コロナウイルス感染症には非常に神経質になっており、非公開でスプートニクワクチンを接種。プーチンに面会をする者は誰であろうとホテルで2週間の自宅隔離を命じられ、消毒剤が噴射されるトンネルを通過してようやく事務室に入ることが許される。

英国テレグラフは2022年3月1日、プーチンの健康不安を裏付ける5つの根拠を示し、説得力を与えた。

また、メディアはプーチンの容貌に顔と首がひどくむくんでいる点に注目し、プーチンがステロイド治療を受けている可能性に言及し、ウクライナ侵攻には多量のステロイド剤服用(せきや、風邪などの感染リスクを高めたり、性格や行動を変えてしまう場合がある)や、その他のプーチンの個人的な問題にも関連した緊急の状況があるとみている。

テレグラフは、プーチンが首脳会談の際に取る長いテーブルも健康不安説の根拠としているほか、インターネット上ではテーブルをカーリング会場に風刺するミームが拡散したが、これについて英紙ガーディアンは「権力を誇示して緊張感を高めようとする戦略的手段」であり「相手に侮辱感を与える物理的道具」と分析した。

電子版ワシントン・ポストは、情報機関がプーチンは「妄想に陥り、追い詰められると暴発する危険性のある指導者」と解析していると伝えている

プーチンは2021年夏頃、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」に関する論文を発表したが、現在の国際情勢からして到底無理である帝政ロシアあるいは旧ソ連の時代の強大なロシアへの回帰を目指しているとされる。

が、精神科医の片田珠美はプーチンはスターリン同様にパラノイアである可能性やヒトラー同様に誇大妄想にとりつかれている可能性、また、前頭側頭型認知症(ピック病)を罹患している可能性も指摘している。

2022年1月には、ベラルーシのルカシェンコ大統領とモスクワでの対面の会談の席上、プーチンは足をバタつかせたが、筑波大学の中村逸郎教授によると、これは2016年頃から噂されるパーキンソン病の影響で足が痺れて、感覚がなくなっていることが原因で、かなり進行していると見られている。

さらに中村は2020年にプーチンに20年間仕えた警備隊員の一人が大統領府内で銃殺されたが、その理由について、パーキンソン病の症状を見られたことによるのではないかと推測されているとしている。


家族

プーチンが「最も気に入っている」という妻リュドミラの写真

1983年7月28日に元客室乗務員でレニングラード大学で文献学専攻の学生だったリュドミラ・シュクレブネワと結婚した。

1985年4月に長女のマリーヤ、1986年8月にはドレスデンで次女のカテリーナが誕生している。

ロシア大衆紙『モスコフスキー・コムソモーレツ』(電子版2005年8月4日)によると、2人は父母の母校であるサンクトペテルブルク大学(旧レニングラード大学)に合格し、マリーヤは生物土壌学、カテリーナは日本史を専攻すると報じた。

また、マリーヤは2005年3月にギリシャで結婚式を挙げた。結婚相手は不明である。

2013年6月6日にはリュドミラと離婚したことを国営放送で明らかにした。


私生活

釣りを趣味とし、競馬のファンでもある。

煙草は吸わず、酒もほとんど飲まない。

また犬好きで、自身もラブラドール・レトリーバーを飼っている。

その愛犬は「コニー」という名前であり、徹夜でお産の世話をしたこともある。愛犬家だということもあってか、2003年5月の日露首脳会談では当時の首相小泉純一郎から犬語翻訳機「バウリンガル」を贈られている。

2008年10月には副首相のセルゲイ・イワノフからコニー用にロシアの衛星測位システムであるGLONASS(グロナス)の受信機がついた首輪を贈られ、コニーにその首輪が装着された。

2012年7月には秋田県より雌の秋田犬1頭が贈られ、自ら「ゆめ(夢)」と名付けている。

2021年1月には野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイが主宰する団体「汚職との戦い基金」がYouTube上で、プーチンがクラスノダール地方に1000億ルーブル相当の費用が投じられた豪邸を所有していると告発した(プーチン宮殿)。

同団体によれば、宮殿はプーチンと密接な関係がある複数の実業家が管理しているが、陸海空に治安当局による警備が行われており、プーチンのためのものであることは明らかであるとしている。

政権側は「無根拠でナンセンスだ」と否定しており、プーチンの盟友で知られるロシアのユダヤ人実業家であるアルカディ・ローテンベルクが宮殿の所有者を名乗り出ている。

愛車は母親が抽選で当てたZAZ・968やラーダ・ニーヴァなどのロシア及び旧ソ連圏の自動車である。2005年にはGAZ-21ヴォルガを購入し、アメリカのブッシュ大統領を乗せて運転している。


格闘技

柔道着姿のプーチン

東海大学体育学部教授山下泰裕(左)から嘉納治五郎の直筆の書を献上されたプーチン(2005年11月)

日本を訪問した際に講道館で柔道の技の型を演武するプーチン(2000年)

少年時代から故郷サンクトペテルブルクの道場に通い、柔道の達人となった。KGBに入るためにもスポーツ(格闘技)を身につけるのは有利であり、ソビエト連邦時代にはソビエト連邦で3位となった。

段位は柔道八段である。称号は、サンボと柔道のロシア連邦スポーツマスター。2005年12月よりヨーロッパ柔道連盟名誉会長を務め、また国際柔道連盟(IJF)の名誉会長でもあったが、後述の2022年のウクライナ侵攻により解任されている。

特に山下泰裕(東海大学教授、1988年ソウルオリンピック柔道金メダリスト、日本オリンピック委員会(JOC)会長、国民栄誉賞受賞者)を可愛がっている。

11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ソビエト連邦大学選手権で優勝、1976年には柔道のレニングラード市大会でも優勝した。

政治家には珍しい逞しい肉体や戦闘技術を保有していることから、インターネット上では一部でカルト的な人気を博しており、自国ロシアのメディアも2008年8月31日に「研究者らによる野生のトラの監視方法を視察するため国立公園を訪問していた際、カメラマンに向かって走ってきたトラにプーチンが麻酔銃を撃ってカメラマンを救出した」などと報じるほど 、超人的なイメージが前面に打ち出されている。なお、プーチンの身長は168cmとの事。

柔道について「柔道は単なるスポーツでは無い。柔道は哲学だ」と語っている。

また、少年時代は喧嘩ばかりしている不良少年だったが、柔道と出会ってその生活態度が改まったと述懐している。

大統領になってからも、大統領以前に書いた『Учимся дзюдо с Владимиром Путиным (プーチンと学ぶ柔道)』という本を出版しており、その中で嘉納治五郎・山下泰裕・姿三四郎を柔道家として尊敬していると記している。柔道の師は、2013年に逝去のロシア柔道連盟副会長のアナトリー・ラフリン(ロシア語版)。

2000年7月の九州・沖縄サミットでは沖縄県具志川市(現在のうるま市)を訪問し、柔道の練習にスーツの上着を脱いだYシャツ姿で飛び入り参加した。

掛かり稽古(お互いが交互に投げる練習形式)を行い、相手の中学生を投げた後に今度は同じ相手に投げられるというパフォーマンスを披露した。

中学生は大統領相手にためらったが、プーチンに促されて投げた。投げられるプーチンの姿は印象的で、その写真や映像は世界中に報道された。

警備員やSPは稽古とはいえ大統領が投げられるとは考えられなかったようで、非常に驚いたという。

2000年9月の来日時には、講道館で技の型を当時の首相森喜朗の前で演武した。当日、講道館より柔道六段の名誉段位贈呈を提示されたが「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、1日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」と述べて丁重に辞退した。

2012年8月2日、ロンドン五輪男子柔道をイギリスの首相キャメロンと共にサプライズ観戦。ロシアのタギル・ハイブラエフが決勝戦を一本勝ちで金メダルを確定させた瞬間には飛び上がって大歓喜。

ハイブラエフ退場時に駆け寄り祝福した。

2022年ロシアのウクライナ侵攻により、国際柔道連盟(IJF)名誉会長及び欧州柔道連盟(EJU)の名誉会長の地位の取り消し、ワールドテコンドーから授与された名誉9段黒帯の剥奪の処分を受けた。


名前

プーチンは元KGB情報部員であり、その過去についても不明な点が多く、首相就任時には影の薄かった彼が大統領に就任した時は、その謎に包まれた経歴から帝政ロシア末期の怪僧「ラスプーチン」に引っかけられ、「ラス・プーチン」と揶揄されたことがある。

ただし、プーチンという姓はロシア語で道を意味するプーチ(Путь, Put')を思わせ、ラスプーチンのラス(Рас, Ras)は(さまざまな意味があるがその1つとして)「逆」という意味があるため、ロシア人の間では、プーチンは「道」、ラスプーチンは「道が無い」という逆の意味だと好意的に捉える者もいる。

また、OPECに対抗して天然ガス輸出国の国際機構GECF(英語版)の設立をイランなどと主導するなど資源外交を行うことから、同じくラスプーチンと引っ掛けて「ガスプーチン」と揶揄されたこともある。

その他にもアメリカ外交公電ウィキリークス流出事件ではアメリカの駐ロシア大使がプーチンをバットマンと発言したこともある。

 

暗殺未遂事件

プーチンに対しては明らかになっているだけで過去5度暗殺が試みられたが、いずれも未然に阻止されている。

2000年2月24日 - サンクトペテルブルクでのアナトリー・サプチャークの葬式時。ロシア連邦警護庁(FSO)によれば、チェチェン独立派が背後に立つ某組織が計画した。「標準より際立った保安措置」により計画は阻止された。

2000年8月18日~19日 - ヤルタでの非公式のCISサミット時。国外より情報がもたらされ、チェチェン人4人とアラブ人数人が拘束された。

2002年1月9日~10日 - アゼルバイジャン、バクーの公式訪問時。アゼルバイジャン国家保安省により阻止。アフガニスタンで訓練を受け、チェチェン独立派と関係を有するイラク人、キャナン・ロスタムが逮捕され、懲役10年を言い渡された。

2008年3月2日 - モスクワでのロシア大統領選当日。ロシア連邦保安庁(FSB)が察知し、直前に阻止した。現場からはライフル銃やカラシニコフ銃などが発見され、タジク人1名が逮捕された。

2012年2月27日 - チェチェン共和国などの出身の男2人がイスラム過激派の武装勢力の指導者の指示を受けてウクライナで爆弾の製造など暗殺計画を進めていたところ、ロシアとウクライナの捜査当局による別の爆発事件に関連した調査から発覚。(ただし2012年ロシア大統領選挙に先駆けた時期であることから政府による意図的なリークではないかという見方もある。)





<参考文献>

なお、この作品の参考文献は、『ゴルバチョフ回想録』ミハエル・ゴルバチョフ著作・工藤精一郎・訳(新潮社)、『ゴルバチョフ暗殺1、2』落合信彦著作(光文社)、落合信彦著作、藤子不二雄(A)著作、さいとう・たかを著作、小学館SAPIO誌、毎日新聞記事参照などです。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作、無断転載ではなく「引用」です。

著書

ウラジーミル・プーチン、ワシーリー・シェスタコフ、アレクセイ・レヴィツキー(共著) 『Учимся дзюдо с Владимиром Путиным (プーチンと学ぶ柔道)』 ОЛМА-ПРЕСС(オルマ・プレス)、2002年1月 ISBN 522403325X (ロシア語の著書。ラテン文字転写の例;Uchimsia Dziudo S Vladimirom Putinym)。

※1. 英訳では『JUDO』というタイトルで出版されている(North Atlantic Books、2003年2月 ISBN 1556434456)。

※2. 邦訳では原著を編集、抜粋して『プーチンと柔道の心』という題名で出版されている(朝日新聞出版、2009年5月 ISBN 4022505931)。

関連文献

中澤孝之 『エリツィンからプーチンへ』 東洋書店、2000年7月 ISBN 4885952972

西村拓也 『過去を消した男プーチンの正体』 小学館、2000年7月 ISBN 4094046119

ナタリア・ゲヴォルクヤン、アンドレイ・コレスニコフ、ナタリア・チマコワ(共著) 『プーチン、自らを語る』 扶桑社、2000年8月 ISBN 4594029604

ロイ・メドヴェージェフ 『プーチンの謎』 現代思潮新社、2000年8月 ISBN 4329004135

梅津和郎 『プーチンのロシア その産業と貿易』 晃洋書房、2000年9月 ISBN 4771011982

袴田茂樹 『プーチンのロシア 法独裁への道』 NTT出版、2000年10月 ISBN 4757120516

木村汎 『プーチン主義とは何か』 角川書店、2000年12月 ISBN 404704010X

上野俊彦 『ポスト共産主義ロシアの政治 エリツィンからプーチンへ』 日本国際問題研究所、2001年7月 ISBN 4819303864

木村明生 『ロシア同時代史権力のドラマ ゴルバチョフからプーチンへ』 朝日新聞社、2002年2月 ISBN 402259795X

永綱憲悟 『大統領プーチンと現代ロシア政治』 東洋書店、2002年3月、ISBN 4885953804

徳永晴美 『ロシア・CIS南部の動乱 岐路に立つプーチン政権の試練』 清水弘文堂書房、2003年3月 ISBN 4879505617

木村汎、佐瀬昌盛(共編) 『プーチンの変貌? 9・11以後のロシア』 勉誠出版、2003年5月 ISBN 458505085X

山内聡彦 『ドキュメント・プーチンのロシア』 日本放送出版協会、2003年8月 ISBN 4140808098

池田元博 『プーチン』 新潮社<新潮新書>、2004年2月 ISBN 4106100541

小林和男 『白兎で知るロシア ゴルバチョフからプーチンまで』 かまくら春秋社、2004年3月 ISBN 4774002577

江頭寛 『プーチンの帝国 ロシアは何を狙っているのか』 草思社、2004年6月 ISBN 4794213166

中村逸郎 『帝政民主主義国家ロシア プーチンの時代』 岩波書店、2005年4月 ISBN 4000240137

アンナ・ポリトコフスカヤ 『プーチニズム 報道されないロシアの現実』 日本放送出版協会、2005年6月 ISBN 4140810548

エレーヌ・ブラン 『KGB帝国 ロシア・プーチン政権の闇』 創元社、2006年2月 ISBN 4422202634

加藤志津子 『市場経済移行期のロシア企業 ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンの時代』 文眞堂、2006年8月 ISBN 4830945532

ロデリック・ライン、渡邊幸治、ストローブ・タルボット(共著) 『プーチンのロシア 21世紀を左右する地政学リスク』 日本経済新聞社、2006年11月 ISBN 4532352290

寺谷ひろみ 『暗殺国家ロシア リトヴィネンコ毒殺とプーチンの野望』 学習研究社、2007年6月 ISBN 4054034586

アレクサンドル・リトヴィネンコ、ユーリー・フェリシチンスキー(共著) 『ロシア闇の戦争 プーチンと秘密警察の恐るべきテロ工作を暴く』 光文社、2007年6月 ISBN 4334961983

林克明 『プーチン政権の闇 チェチェン 戦争/独裁/要人暗殺』 高文研、2007年9月 ISBN 4874983901

木村汎 『プーチンのエネルギー戦略』 北星堂書店、2008年1月 ISBN 4590012359


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ウクライナ戦争論 プーチンとゴルバチョフ~独裁者の決断・第二のヒトラーへ~ 長尾景虎 @garyou999

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