グロテスクでスプラッタでかなり赤くて、それで塵
在都夢
グロテスクでスプラッタでかなり赤くて、それで塵
あんたがあいつの姉ちゃんだって言うから教えるけどさ、あたしは別に友達って感じじゃないんだよね。同じバス乗るわけだし話さないわけにはいかんしで、話してたってだけ。園子ってベラベラベラうるさいっしょ? 好き勝手話させてるとクソうるせえから、あたしが遮らなきゃいけないってわけ。わかるよね? 少なくてもあたしが話す番のときは黙って聞いてるわけだし。他のお客様のご迷惑にならないよーに。
練習中でもうるせえの。顧問の宮澤毎回キレてるってのに全然懲りなくて、インターバルでいちいちこっち見てきて「あこちゃん遅いねえ」とか言いやがるわけ。
「レペやってるんだから真面目にやれよ」とか言ってみても聞かない。ふーらふーら騒ぎやがる。あんたの妹おかしいよ、ほんと。大会も近いんだし、少しは口閉じろって。
それで、7本目を走り終わったときに園子がまた変なこと言うわけ。
「赤」って知ってる? だって。
赤? 色っしょ?
知らない人なんていない、そんなの。
で、相手にしてらんないから「知ってる」って言って終わりにしようとしたんだけど園子がまだ「本当に?」とか言うから、あーこいつマジあたしのこと馬鹿にしてんなーってキレそうになったんだけど、割と真剣っぽかったからキレるのやめたんだ。声がすごく小さかったんだよ。信じられなかった。園子がこんな音量小さくできるなんて。何? 反省したの? まあそんなわけない。でも一応話聞こうとして近づいたら園子が、また小声で
「練習終わったらちょっといい?」
って言うわけ。
わけわかんないっしょ。
でもあいつがそんな風に言うのなんて初めてだったから、面白くてとりあえず付き合ってみることにした。これで恋愛相談だとかだったらクソウケるって思ったんだけど、何となくそうじゃないとはわかった。だって、別にあいつのそんな話聞いたことないし、別にあたしだってわざわざ聞きたいわけじゃないし。
で、練習終わったらマック行って、話を聞いた。ここでも園子の声が小さくて、あたしは、これはちょっとこっちも真剣にならなきゃいけないかもしれないって思った。あたしの方は練習終わりでお腹すいてたからパクパク食べてたけど、園子はさっぱりだった。陸部はほんと疲れるんだよ。一日五食でも六食でも食べたいくらい疲れんの。太る余裕なんてないし、それどころか腹筋割れてくるし、まあ女子が入るとこじゃないよね。とにかく、あのときの園子はおかしかった。別人みたいだった。どっかで事件起こして自首しようか迷ってるみたいだった。チラチラこっち見てきてさ、いつまで経っても話そうとしなかった。それであたし、ムカついたからもう帰るって言ったんだ。ちょうど食べ終わったとこだったし。そしたら慌てて「あこ、これどう思う?」って園子がスマホの画面を見せてきたんだ。
インスタぽいUIのSNSっぽかった。
でも見たことない感じのデザインで、ちょっと何のアプリかわからなかった。
「なんこれ?」
「Popping Red」
ぽっぴんれっどぉ?
わけわかんねーって顔してるあたしに園子が言った。
「私、これやろうと思う」
これって言ってもそれが何なのか知らねえよ、って園子に言っても、話すことで頭が一杯になってたみたいで、無視された。一刻も早く全部あたしに伝えなきゃって感じ。どんどん声がでかくなっていって、そのことに自分でも気づいてなかったみたいなんだよ。あたしが他の人見てるって言ったらようやく止まったんだ。話してただけなのに汗びっちょりになってた。「落ち着けって」って言ったら「う、うん」とかずいぶんしおらしかった。
それからお互いしばらく無言だった。
あたしの方は園子が言ってた話のことを考えてたんだ。
Popping Redはインスタみたいに動画とか写真を投稿したり、共有したりするアプリなわけだけど、インスタと違うのは、その投稿内容なわけ。ようするにそれ、大金もらえる代わりに命かけるってあれなんだよね。す、すなっふ? まあよく知らんけど、園子が言うにはそういうジャンルがあるらしくて、特に女子が出てると人気がめっちゃ爆上がりで、あっという間に金稼げるんだって。
運営から支払われる「撮影料」ってのがあるらしくて、それが動画撮るたびにもらえるんだけど、フォロワー数に応じてどんどん跳ね上がってくらしいんだよ。人気投稿者だと月収八百万だって。すごくない?
でもさ、普通に考えて怪しすぎるよね。なんでそんな金出すの? そもそも命懸けで動画撮るって時点で、あたしだったらやらないんだけど。命よりも大切なものってないでしょ。まあ、園子の気持ちも多少はわかるよ。言ってもあたしたち、高二なわけだしさ、進路のこととか考えなくちゃいけないし。大学は行くとしても、大学卒業したら何すんのって話だし。別になりたいものも特にない。普通に生活してければいいけどさあ、でもそれを今の段階から決めちゃっていいのかなって思うわけ。無限の可能性とかバカみたいだけど、女子で高校生じゃん? 夢とか希望だって持ってみてもいいわけじゃん?
てなことを考えてあたしは「で? 何すればいいの」って園子に言った。正直言うと、あたし自身はやる気なかったよ? でもなぜかワクワクしてた。ほら、地元から有名人出るとなんか嬉しくない? そんな感じ。
「ゆ、勇気が欲しい」
園子の声は震えてた。
可哀想なくらい顔青くして、テーブルに置いてあるスマホを指差した。Popping Redの画面上に園子のプロフ画像が映ってた。そうだよ、あいつもうとっくのとうに登録済ませてたんだ。そのプロフ画像の下には、なんかゲームのステージ選ぶみたいにずらーっと「ミッション」が並んでた。マジでゲームっぽい。実際さ、指でやりたいミッションをタップすると、その動画の撮影に入るって感じなんだよ。
「こ、怖いんだ。あこ、代わりに押してよ」って園子。
まあやるつもりだったけど、一応聞いたよ。
「いいの? 自分でやれよ。その方が後悔しなさそうじゃん」
園子は下向いて首振るだけで、スマホに触ろうともしなかった。だからあたしがミッションを選ぶことになったんだ。あたしはどんなミッションが一番ましか見ていった。まあいくら何でも一緒に練習してたやつが死んじゃったら気持ち悪いじゃん? なるべく生存率高そうなミッションないかなあって画面をスクロールしていって、見つけたのが「武器」って項目。武器とか使えんのって思ったでしょ。使えるらしいよ、銃とか、爆弾とか。
じゃあ使えばいいじゃんって思うよね? 銃遠くから撃てよって。
まああんたも気づいたと思うけど、強い武器使うと、良くないんだよ、人気的に。ずるしてるみたいに観られるらしいって。当然、画面の向こうに観客っているわけじゃん? 観客的にはスリル味わいたいわけ。ぎりぎりで助かって、あー良かった〜ってなるか、ぎりぎりで結局死んじゃってニヤニヤするかって……まあこっちの方はマジ最低だけど、理屈はわかるでしょ?
で、人気が出なくちゃ報酬も上がらない。
園子はそれじゃ困るって言うんだよ。
怖い思いを何回もしたくないから、武器は使わないで、早く人気上げようってことらしいの。
お前さぁ……それさぁ……死ぬやつじゃん。
って思わず言ったよ、あたし。
もっと安全にちまちまやれって、バカ。ギャンブルやったら速攻終わるタイプじゃん。
そしたらさ、園子笑ったんだよ。
もうそういう人見たってさ。
あんたの、園子のお父さんって借金やばいんだってね。返しても返してもなくなんない。というか日に日に増えてく。自分んちで体験済みだから、そんな風に笑ってたわけ。だからさ、とりあえずお金は減らないからギャンブルよりましなんてこと言えるんだよ。
なんかさ、その話聞いたらあたし、嫌になってきちゃって。食べたばっかなのに気持ち悪くなった。あたし、普通に大学行く気だったけど、園子は行けないのかもしれないと思った。だからこんなことやろうとしてるのかもしれないと思った。それで、何より嫌だったのは、園子があたしにそのこと黙ってて、わーきゃー騒いでたってこと。園子が実は可哀想なやつだったんだって、言ってしまえばそれまでだけど、あたしの中の園子のイメージが、完全に崩れてしまったのが嫌だった。あたしにとってただただうるさいだけのやつだったんだよ、本当に。
そういえば、あいつの騒ぎ方って、から元気だったかもしれない——とか思っちゃうとさ、園子に引っ張られてあたしまで変わっていく気がした。ずっと同じように続いてきたものが、こんな簡単にぶつんって途切れてしまうなんて思わなかった。
もうそのときには園子を止めようってなってた。こんなの間違ってるって言うつもりだった。でもできなかったんだよ。結局。
マックを出たとき、Popping Redの話はもうしなかった。ほとんど死んでた、あたし。結構店の中にいたから外は暗くて人通りも少なかった。雨の匂いがして今夜は雨なのかなあってぼんやりしてると、園子が「あーこあこあこ、あーこちゃん」とか歌い出すから一瞬で意識が戻ってきた。
「何?」
「ありがとね」
園子にそう言われたけど、あたしはマジで何もしてないんだよ。でも園子は何か決心したような顔で立ち止まってて、あたしの方を見るんだ。それでわかるんだよ。このありがとうってさ、今日、Popping Redの話に付き合ったのじゃなくて、今までありがとう的なやつだって。
心底不愉快。マジ死ねクソボケ。
「何諦めたような顔してんだよ! まだやれることあんだろ! 他のやつの動画でも見てさあ! 対策とか立てろよ! 最後の最後まで考えろよクソボケ!」
園子はそれで泣き出した。
困ったのはあたしだった。人少ないけど、ゼロってわけじゃない。園子の手を引っ張って急いであたしの家に帰った。
それから園子に、お風呂貸してパジャマに着替えさせて、最後はベッドに叩き込んだ。あたし? 別に一緒に寝るとかしなかった。大体狭いところで眠るなら、床で寝る。園子は疲れてたみたいですぐに寝息が聞こえてきた。寝転がりながら園子の顔を見た。何だかすっごく子供みたいな顔してた。
で、翌日からあたしたちが何をしたかっていうと、会いにいったんだ。Popping Redの参加者に。
そりゃあたしもあげられてる動画見たりして、対策とか考えようとしたんだよ? でもさ、結局よくわからない。あたしがそこで実際に死にかけてるわけじゃないじゃん。死にかけてるのは画面の向こうの知らん人でさ、実感なんてないよね。あたしが何か考えても、ちょっと違うなってなるんだよね。全く別のところに向かってるみたいな気がするの。浅いなーって自分でもわかったんだ。これじゃ園子死なせるって思った。ってことで何人かにDM送ったんだよ。初心者が生き残る方法教えてくれって。
誰も返事くれないよね、敵だし。
そんなに良い人いないんだよ。
まあでも、いるにはいるけどさあ、神山さんって言う人なんだけどね、フォロワー八万の人。少ないと思う? 八万人だよ? ま、いっかそんなこと。あんたには関係ないもんね。で、神山さんと会うことになって、待ち合わせの場所に行ったんだよ。路地裏のカフェの中でもう神山さんを見つけたんだけど、こっち見るなり「誰、そいつ?」って一緒に来た園子に向かって言うわけ。
「友達っす」
まあそっちの方がスムーズだと思って、あたしはそう言った。
「帰らせなよ」
「いや、ちょっと、言ってなかったすけど、こいつがミッションやるんですよ」
じっと睨みつけられた。神山さんはプロフでは十六歳ってことにしてたけど実際には二十一歳で、いかつかった。つり目がちな瞳が、中学の頃退学になった同級生に似てた。
「ま、いいや」と神山さんが言ったのであたしはホッとした。
「陸上部だったっけ?」
「あ、そっす。二人とも」
ふーっと神山さんがため息を吐いた。園子はずっと黙ったままだった。
「……ま、いいや」とまた言って神山さんは「じゃあ、走るの得意なんだ?」
得意っていうか練習した結果なんだけどなあとか言いたくなったんだけど、余計なことは言わないことにして頷いた。そしたら神山さんが
「短距離選手?」
「はい、そうっす」
「体格いいね」
「あ、ども」
「ワニと走って勝てる自信ある?」
「はい、——————わにぃ?」
思わず聞き返したけど、ちっとも冗談を言ってる風ではなかった。神山さんは真顔だった。
「ワニに追いかけられながら、普通に走れるかって聞いてんの」
あたしは園子の方を見た。園子の手が小刻みに震えてた。あたしはテーブルの下の園子の膝を叩いた。それで園子はハッとしたみたいになって「はい!」って言った。
「今のは、はいってことでいい?」
「は、はい」と園子が言った。
「本当に? ワニに喰われたらぐちゃぐちゃだよ」
「は、い……」
「『赤』で出てくる動物って人間喰いたくて仕方ないんだよ? ワニが喰い終わるまで作業員入って来れないから、ほとんど何も残らないのわかんの? ごみだよごみ、埃とか塵とかそういうのだよ、それになんの、あんたが。想像できない?」
「……できます、想像」
「普通に働けばいいじゃん、普通にさあ……」と神山さんが言って、「ビビってたら死ぬけどいいの?」
「はい」
園子は頷いた。
神山さんはよし! わかったと言って声のトーンを上げた。さっきまでの低い声じゃなかった。で、こう言うんだ。「脅かしてごめんだけど、あんたたちがやれそうなの、それくらいしかなかったから」
あたしはDMのやり取りの中で、なるべく早く終わり、なるべく危険じゃなくて、なるべく高評価を得られそうなものがないか聞いてたんだ。まあ、もちろん結果はこうだったわけだけど。
でも神山さんが言うにはまだ、危険が足りていないそうなんだよ。やばいことに。ただワニに追いかけられるだけじゃ、観客は全然面白くないってさ。笑えるよね。
「重りを使わなきゃいけない」
と神山さんが言った。
「もちろん動けるくらいのやつだよ。ギリギリで走れるくらいのやつ。全く走れないんじゃ、観客だってつまらないからね」
これは、ハンデ戦って言うらしい。自分から運営に申請して、ミッションクリアにあたって不利な状況になるようにする。そうすると、運営の出す撮影料が1.5倍になるんだって。それだけじゃなくて、Popping Red内で広告出して集客してくれる。うまくいけば十万人くらい一気に集められるとか。調べたけど全然そんな情報出て来なかったよ。——まあようするにさあ、ハンデ戦のことをどっから、知れるってさ、運営からなんだよ。運営が売れてきた投稿者に打診してくんの。「もっと視聴者増やしませんか?」って。だから普通の視聴者とか始めたばっかの人とか知らないのも当然だったんだ。
「そのハンデ戦、あたしたちみたいなのもできるんですか?」
「できるよ。全然問題なし」と神山さん。
それでちょっと気になっちゃってさ、「神山さんはハンデ戦やったことあるんですか?」とか聞いちゃったんだよ。
「ない」
即答された。
「死んだら金もらえないから」
そりゃそうだ。
なんのためにやるかって、そりゃお金のためで、大学、それからあんたのとこの親父から逃げ出すために必要ってだけで、もらえないんなら園子はやる必要なんてないんだ。
「金、そっすよね」
と言うあたしに神山さんはテーブルに乗り出してきた。鼻先着くくらい近く。びっくりして目を見開いてると神山さんは「こんくらいの距離の相手が一秒後に頭吹っ飛ばされたことあるんだよ、脳みそ丸見え」と言って笑った。なんで笑っているのか理解できないあたしたちに「友達死なせないように『頑張らせろ』よ」と言った。
ワニって結構早いんだよ。時速三十キロくらいで走んの。人間もさ、それくらいで走れるけどさ、園子はそれに加えて重りまでつけなきゃいけないんだ。正直厳しいレースってことは間違いない。
でもやるしかない。
神山さんの家に通ってさ、練習したよ。部活も休んだ。神山さんの家めちゃくちゃ広くて、庭に練習場あんの。マジですげえ。神山さんが練習中によく言うんだけどさ、結局自分の体鍛えてないやつはすぐ死んでくって。
あたしの腹筋割れてるって言ったけどさ、神山さんはガチだよ。腹筋バキバキだった。それだけじゃなくて、服脱いだらボディビルかってくらいだった。言うの忘れてたけどさ、神山さん、筋肉隠すために撮影のときはロリ系のふわふわしたやつ着るんだって。ゴツい女はあんま人気出ないからってさ。
練習だとあれやったね、あれ。腰にロープ巻き付けてタイヤ引くやつ。本番はタイヤより軽いわけだから、負荷をかけるにはちょうどいいわけ。部活に戻ってもしばらく苦労するなと思ったよ。筋肉のつき方が結構変わってきたから。
練習が終わったらさ、アイシングのためにプール貸してくれるんだ。プール! 神山さんどんだけ稼いでるんだよ! で、あたしはプールサイドから助走をつけるわけ。どうしてって、飛び込むためだよ。監視員も先生もいないから誰も注意しない。ほんと気持ちいい。まだ六月だったけど夏休みが来た気分。そう言う気分のまま園子に声かけるんだ。「はよ飛び込め!」そう言ってんのに園子は飛び込まないんだよ。ゆっくりと、つま先からぽちゃんって入水する。あいつ泳ぐの苦手なんだよな。初めて知ったわ。プールの縁に手をずっとかけてんの。手引っ張るとすごく慌ててさ、「死ぬ死ぬ!」だって。笑えるっしょ? こんなところで死ぬわけないんだから。
あいつが死ぬとしたらワニに喰われて死ぬんだ。
溺死じゃない。
そう思ったら泣けてきちゃってさ。あたし人前で泣いたことないんだよ? そのあたしが園子みたいにわんわん泣いたんだ。そしたら園子が「あれのこと考えるだけで怖かったんだけど……」とか言い出した。だけどなんだよ? あたしの泣き顔見て勇気出しちゃった感じ? その通りだった。泣いてたからよく聞こえなかったけど、園子は実際そういうことを言ったんだ。
撮影場所に行ったのはその二日後だった。
リハーサルみたいな感じ。
園子が走る場所は水が抜かれたプールだった。ただし神山さんのところとは違って水深が相当あった。五メートルくらいはあったんじゃないかな。落っこちたら終わりだなって思ったよ。縦幅も長くて、端に百って数字がペイントされてた。そう、園子がやるのは百メートル走なんだよ。百メートルのゴールの先、壁にさ、はしごがかかってるんだよ。見渡してもはしごはその一つしかなかった。あたしが唾を飲み込むと運営の黒服が言うんだよ。「参加者様がはしごを登り切り、プールサイドに足を踏み入れた時点で、ミッションクリアとなります」って。
それからゴール側に回るとスタート地点の壁の一部が鉄柵になってるのが見えた。その柵の奥にチラチラ動くやつがいた。一匹じゃないよ、何匹もいた。あたしは柵から目が離せなくなった。そしたら園子があたしの手を握ったんだ。
「大丈夫」
自分が走るってのにそう言った。ワニのいる柵の方をスッと見通してた。ワニどもからは、あたしたちの姿なんて見えないはずなのに、ガシャガシャって柵に体当たりする音が聞こえた。
「ワニの餌は、参加者様からご提供頂いたもののみを摂らせることになっております。そのため、人の出入りに敏感なのです。ご容赦ください」
なーにがご容赦くださいだよ。
あたしは思いつく限りの暴言を吐いたけど、黒服はどこ吹く風だった。今思えば、あれはあたしたちを不安にさせるためのものだったんだ。あいつらからしたら園子のミッションは成功しない方がいい。
「装着していただく重りはこちらになります」
そう言って黒服が持ってきたのは鎖付きの鉄球だった。
「一つにつき、八キログラムの荷重がございます。阿達園子様には、これをそれぞれの足首に装着し、ミッションに参加していただくことになります」
両方で十六キロ。持ち上げようとすると、ジャラジャラと鎖が鳴った。走れることには走れそうだけど、もちろんスピードはグッと落ちる。それよりヤバいのは音だった。ちょっと動かしただけで相当うるさい。あたしたちは色々用意してたんだよ、ワニの気を惹くためのものを。生肉とかそういうの。でもこれじゃ失敗するかもしれないと思った。下にいるワニの反応がさっきよりも激しくなったんだよ。ぐわしゃーん! って。柵ぶち破れるかと思った。
運営もさ、こっちがそういうことやるのはわかってたんだよ。というかやったやついたんだよ。ひょっとしたらプール自体にも何か罠があるかもしれないと思った。かもしれないじゃない。絶対ある。でも下に降りることは許されなくて、あたしたちは撮影スタジオに連れてかれた。広告動画用だってさ。黒服がうじゃうじゃいてあっちこっちで声が聞こえた。廊下を歩いているとさ、あたしらと同じか少し上くらいのやつを見かけるんだよ。ひっきりなしにすれ違うんだ。みんな無表情だった。服とかさ、こだわりありそうなのばっか着てるのに、首から上は固まってるんだよ。全然汚れのない清潔なスタジオなのにさ、なんだかじとっとしてて、霊園にでも来てるみたいだった。
「こちらです」
と黒服が言って、園子は撮影室に入っていった。あたしも後に続こうとしたらさ、あたしの後ろで誰か倒れたんだよ。見たけど知らない人だった。でも参加者だとすぐにわかった。可愛かったから。
その人がさ、地面にへばりついて「嫌だ帰る!」って叫んでた。それをさ、周りの黒服が「ここまで来たんですから頑張りましょうよ、ね?」とか宥めてたんだ。優しい声だった。そんな声で言うんだよ。あなたはよく頑張ってるだの、みんながあなたを待ってるだの、あなたには才能があるだの嘘くさいことをさ——でもそれだけでその人立ち上がっちゃった。泣きながらよろよろ歩いて、廊下の奥の方まで消えてった。見なきゃ良かったって思った。その人——まあ名前なんて知らないけどさ、きっとあの人は、これから本番なんだよ。目隠しで人と殺し合うのか、冷凍室で脱出ゲームするのか、硫酸のプールで綱渡りするのかわからないけどさ、でも上手くはいかないんだろうってあたしは思っちゃうんだ。だって上手くいくような人間があんな態度とると思う? きっと上手くいかない。ゴミになっちゃう。あの人とはもう二度と会えない。でも最悪なのはあたし自身なんだ。そんな風に想像してしまうあたし自身が問題なんだよ。
撮影室に入ると、もう園子の自己紹介は始まってた。グリーンバックの背景に園子が立たされて、名前だとか年齢だとかぺらぺらやってるんだよ。あたしには園子がリラックスしてるように見えた。ここがどこかなんて感じさせないみたいに、背筋をピンとして立ってた。それからあたしが入ってきたのに気づいたみたいで目が合ったんだよ。ウィンクされた。そしたら、周りの音が消えたんだ。ほんとだよ。嘘じゃない。その一瞬が切り取られたみたいに、園子があたしのことを見るんだ。ゆっくりゆっくりとさ、口が動くんだよ。
「友達と一緒に大学行きたいです」
園子はそう言ったんだ。
広告動画の撮影が終わると車でスタジオから帰された。行きも帰りも運営が用意してたよ。ちょうど夕方でさ、車の中から赤い夕陽が見えんの。綺麗だったけど、血みたいに真っ赤で気味悪かった。まあ今日とほとんど変わんない感じだったよ。
園子とは何を話したかな。
「来週テストだけど勉強した?」
「してない。園子は?」
「あこと同じくらいしかしてない」
「ダメじゃん」
「じゃあ、あこもダメだね」
こんな感じ。大した話はしなかった。そんなもんなんだよ。
ま、これくらいだよ、園子との思い出なんか。
園子はあたしのことを友達だって呼んでくれたけど、あたしには引っかかるんだよね。こんなに友達って何にもできないのかって。そりゃ成功するように祈るよ? でもそれだけなんだ。それだけしかできないんだ。
あんたもさ、どうして今になってやってきたのかはしらないけど、祈ってよ。園子のためにさ。それくらい良いでしょ?
スタートの合図はピストルだよ。外にいるこっちにも聞こえる。その時まで祈ろうよ。園子ならきっとできる。上手くいく。絶対死なない。だってさ、認めたくないけど、あいつはあたしよりも脚が速いんだよ? ワニからなんて絶対逃げ切れるんだ。こっちのこと遅いなんて言えるくらいなんだよ、あいつは。大丈夫、あたしはそう信じてる。
グロテスクでスプラッタでかなり赤くて、それで塵 在都夢 @kakukakuze
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