後編
惨めな私は惨めなまま小屋に帰り、育てている薬草にちびちびと水をやった。城から貰えるお金で十分暮らせるのだがその金に手を付けることが耐えられないのでしていない。
朝あれだけの量を流し込まれた私はほとんど昼食を取らないし、気分が落ちている時は夜も食べない。そんなことをすれば不健康になるんじゃないと流し込まれる量を増やされるので悪循環だけどな。量を増やされたら後の食べる量は減るぞ。
このまま不健康になって死にてえな。
小屋裏の薬草畑の前で横たわる。晴れ渡った青空の下で、私は鎌を振り被った。
「駄目だ」
振り下ろす前に腕を止められる。立っているのは甲冑の兵士。私の見張りを任されている仕事熱心な存在だ。
私の手首を掴んだ兵士の顔は見えない。この人は私を死なせないのが仕事だもんな。
「死ぬな」
「いっぱい血が出ますよ」
「駄目だ」
「私がいなくても血液だけ増やせる魔法とかありませんかね」
「無いな」
平坦に言いきられて、胸の中心から感情が削られていく。
私だって死にたい訳ではない。ただ死ぬ以外で、現状を変えられる案が浮かばないと言うだけで。
「生きていればいいことがありますか」
「きっと」
「いいことはいつやってきますか」
「知らん」
「国から逃げて自分で環境を変えてもいいですか」
「駄目だ」
「今の状態のまま、ただ時を待てと言うのですか」
「そうだ」
私の腕から気力が失せる。握った鎌を兵士に投げつけようかとも思ったが、そんなことをしても無駄なのは分かり切っていた。
それでも私は鎌で兵士を叩き、つかない傷に鼻で笑った。
「地獄かよ」
兵士は答えない。私は鎌を地面に捨てて室内に入り、ベッドに全身で飛び込んだ。
こんな"係"に耐えられない私がおかしいんだろうか。もっと素直に流動食を飲んで、行儀よくコウモリを飛ばしていれば楽なんだろうか。
私が弱いのか。私は幼いのか。私は、駄目なのか。
枕を濡らして鼻をすする。俯せだった体を仰向けに変えれば、見慣れた木製の天井が広がった。
唇を噛み切る。微かな痛みが走った後、小さなコウモリが何羽も飛んだ。
《痛い》
《やだな やだな》
《しんどい しんどい》
《逃げたい 逃げたい》
《ここではない どこかへ》
《助けて 助けて 助けて》
赤く霧になって散ったコウモリ達。霧は天井に吸い込まれ、鼻の奥に痛みを覚えた私は切れた唇を舐めた。
作りかけていた朝食の残骸は、台所で固くなっている。
***
私の毎日は変わらず巡った。朝は聖女様がやってきて、私が料理させてもらえないと分かっていながら笑顔で施しの食材を手渡す。彼女からすれば朝食に必要なものを分け与えた善行なのだからおかしくも何ともないのだろう。
私はその材料を元に作られた流動食を済ませて謁見の間で血を流す。先読みのコウモリを羽ばたかせる。今日はなんだ、明日はどうだ。この案は、あの考えは、あの者は。コウモリの答えは聞けど、叫びは聞いてくれないくせに。
毎日毎日死にたくて、死のうとすれば兵士が止めた。「生きていればいいことがあるから」と。
それは尊い言葉だよ。知っている。知っているんだ。死んだところで無意味だと。
でもさ、なら環境を変えてもいいですかに「それは駄目」はないだろ?
今のまま、現状維持で、ただ耐え続けろって言うのかよ。私は変えたいって、逃げたいって思ってるのにさ。
私は今日も唇を噛み切って、痛みを呟くコウモリを飛ばした。
お前達がいなければ、お前達さえ生まれなければ、私は静かに暮らせるのに。
「――コウモリに怒ったところで無意味だぞ」
それはある夜のこと。妬ましくコウモリを見上げていた室内に声が響き、感情の失せた体でゆっくり反応した。いつ侵入したのか、出窓に腰掛けている一人の男がいるではないか。
黒い髪に血で染めたような赤い瞳。細身な体は適当なシャツとズボンを着て、口から八重歯が覗いていた。
私と同年代程の男は口角を上げてこちらを凝視している。私は外に兵士がいるはずだと思ったが、どうでもよすぎて確認しなかった。
「なんだ、えらく反応が薄いな」
指摘されたが私の感情は動かない。景色同然に侵入者を静観した。
何かに反応したり、感動したり。
心を動かすには、それだけ元気がいる。活力がいる。それが空っぽの状態では何もかもがどうでもよくて、感情なんて動かねぇんだよ。
私は文句もいう気力がなく、ベッドに座り直した。
「誰ですか、物取りですか。うちには薬草と……あぁ、大金がありますね。勝手に持って行ってください」
「そんなもんいらん。この家に薬草と大金しかないことも知っている」
「では何用で」
「傍観も飽きたのでな。お前が言う"いつか起こるいいこと"のきっかけになってやろうと思って現れてやったのさ」
何を言ってんだ。
私が反応せず変人の男を見ていれば、彼は「まぁまず手始めに」と出窓を開けた。上体を外に出して探るような仕草をした男は、金属が擦れる音を立ててそれを持ち上げる。
夜の暗闇に浮かんだ鈍色の兜。
掴まれた頭。
胴へ繋がる首から下はなく、粘度のある赤黒い血液が垂れている。
八重歯の男はボールのように兜――兵士の頭を室内に投げ、大きなそれはゴトゴトと歪な音を立てて転がった。
木製の床に赤黒い血溜まりがゆっくりと広がる。
いつも私を止めていた一人の兵士。口数少なく、生きていればいいことがあると告げていた男。
「まずは第一歩。変化を縛る兵士の打破だ」
出窓で足を組んだ八重歯の男が笑う。三日月を彷彿とさせる勢いで目と口に弧を描いた男は、楽し気に足先を揺らした。
「なぁ先読みの血脈。お前はこれからどうしたい? この小屋を捨てて国外逃亡するか? きっとあの聖女様がお前を見つけてしまうだろう。ならば聖女様や国王達に反逆の意思としてこの兵士の首を差し出しに行くか? 面白いことになりそうだが」
「はぁ……」
血溜まりの形成がゆっくりになる。頭部に溜まっていた血液が流れ出るだけ流れ出て、粘度を持って水気が失せていく。
「掃除」
「あ?」
「掃除してくださいね。汚したの貴方なので」
指でさした頭部から視線を移動させる。八重歯の男は一瞬だけ呆けた顔をすると、肩を揺らして笑いだした。
「掃除、掃除か、いま俺は大きな大きな話をしていたんだが!」
「大きさとかどうでもいいです。ここ、私の家なんで。汚さないでください」
「あぁ失礼失礼、では跡形もなく綺麗にしておこう」
立ち上がった男は兜に触れた。赤い双眼の瞳孔を男が一気に細めると、広がっていた血溜まりが急速に吸い上げられていく。男の白い指先は微かに赤みを帯び、転がった兜が傾く音がした。
「貴方、何ですか?」
「俺はしがない吸血鬼さ」
血液がどんどんなくなっていく。口角を上げ続けている男の目は爛々と輝いていた。
「適当に旅をしていたんだが、この国に先読みの血脈がいると小耳に挟んでな。お前のことを観察させてもらっていた」
「先読みの血脈……あぁ、コウモリの」
「そう、俺達とは似て非なる血脈の存在だ。俺たちは血を吸う事でその血の提供者について知ることが出来るが、お前たちは食べた物の記憶が血に流れ込むんだ」
何を言ってるのか頭が理解しようとしてない。ぼんやりと男を見ていれば、兜の中から原型が変わるほどしわくちゃになった兵士の頭が出てきた。何もかも吸われて兜が合わなくなったのかな。
「肉、魚、果物、野菜。そういった人間の食べ物には栄養と共に多くの土地の記憶が入っている。肉や魚は生前、陸や海で見聞きした情報を。果物や野菜ははばたく鳥の
男は兵士の頭の皮や骨を兜と一緒に掌で潰し、黒い欠片になったものを窓から外へ吹き飛ばした。
「そういった幅広い情報を摂取して作られた血は先読みの如く多くの事柄を保有し、流れ出る時に語るのさ」
八重歯を見せて男がしたり顔をする。私は自分の腕を摩り、流動食を思い出して吐き気がした。
「吸う事で読む俺たち吸血鬼と、食べる事で読むお前たち先読みの血脈。親戚の種族に当たるんだが、お前の両親のどちらかがそうではなかったか?」
「死んだんで知らないです」
「そうか、ならお前が無知なのも納得だ」
男は白く戻った指で天井を指す。私は顎を上げ、何の変哲もない木造の天井を確認した。
「上ってみるといい。面白いものが出来ている」
「はぁ……」
言われた通り梯子を準備して天井裏に上がる戸を開く。もう何年も入っていないそこは埃っぽくて暗い。
数回咳き込んだ私は、天窓から射しこむ月光を頼りに視線を走らせた。
すると、どうだろう。
《痛い 痛い 痛い》
《苦しい 苦しい》
《死にたい 消えたい》
《嫌だ 嫌だ 嫌だ》
いたのは、コウモリ。
赤黒い巨体。三角の耳。大きな翼で体を覆い、目も鼻もない。
いつも傷口から飛び上がるコウモリが、逆さに留まってそこにいた。
大きく顔を横断する凶悪な口。裂けたそこからは低く小さな声で、私が吐き出し続けた感情を繰り返していた。
屋根裏にぶら下がっているコウモリはもうすぐ床に頭がつきそうだ。耳の先は少し触れて曲がっている。口は永遠と言葉を吐き出して、私は無意識に唇を噛んだ。
《何 何 何》
理解できない感情が吐き出され、宙を舞って霧になる。その霧はゆったりと漂い、導かれるように巨大なコウモリの口に吸い込まれた。
《何 何 何》
巨大なコウモリは繰り返す。
かと思えば鋭利な爪のある足が屋根裏の柱を離し、狭い天井裏に立った。
翼の端を引きずりながら近寄って来たコウモリ。
見上げるほどの大きさに私が動けずにいれば、コウモリは首を九十度傾けた。
「これは今までお前が吐き出し続けた血コウモリの集約された姿だ」
また、何処からともなく現れた吸血鬼がコウモリの背後で手を振る。私は胸元を握り締めて、コウモリは反対へ首を傾けた。
「俺もここまで巨大に集約された姿は初めて見た。流れた血コウモリは徐々に感情を溜めて従者として血脈を守るとされているが、お前はコイツに気づかず、血を垂れ流していたからな」
吸血鬼はコウモリに触れようとしたが、コウモリがそれを身じろいで拒否する。肩を竦めた吸血鬼を一瞥した私は、頬擦りしてきたコウモリの温かさに視界が滲んだ。
「貴方はどうしてそれを知っていたんです?」
「言っただろ、お前を観察させてもらっていたと。先読みの血脈は俺たちよりも数が少ないからな。どうするかと思っていたが、自分のことも知らなかったとなれば納得だ。ここまで従者を育てておいて何も命令しないのだから」
あっけらかんと笑った吸血鬼。
私はコウモリを撫でて「命令?」と繰り返した。
「そのコウモリはお前の血で出来たお前だけの従者だ。何でもするし、元となった食べ物から得た情報も保有している。ハンターの間では知の宝庫として狙われることもあるな。血の宝庫だから、ってか」
一人笑った吸血鬼を見て、私は握り込んだ爪の先を掌に突き立てた。
「この子、私の言う事を聞いてくれるんですね」
「あぁ、その筈だ。試してみたらどうだ?」
「そうですね、では」
私は吸血鬼を指さす。
吸血鬼は首を傾けたので、私は初めて命令した。
「殺して」
私が口にした瞬間。
コウモリの巨大な口が裂けそうなほど開かれて、吸血鬼を頭から丸かじりにした。
上半身と肘から上を噛み切られた吸血鬼はあっけなく倒れ、どことも繋がりのなくなった二本の上腕が微かに痙攣した。
「傍観するだけで、助けてくれなかったんですよね、今まで。嫌な人」
勢いよく流れ出る血が天井裏に広がっていく。コウモリは吸血鬼を数回咀嚼して、広い喉で嚥下した。
「不味いものを食べさせたね」
頬擦りするコウモリに微かに笑う。何も気にしていないコウモリは、次の命令を待っているようだった。
私は天窓を見て、血の香りしかない部屋に別れを告げた。
勢いよく屋根を破ったコウモリの背に乗って風を切る。
雄大な翼を忙しなく動かして飛ぶコウモリはぐんぐんと、この国の中心、煌びやかな城へと向かった。
そして勢いを殺すことなく、王達が食事をする間の窓を突き破った。
煌めく硝子が舞っている。
甲高い音が私の感情を外す合図になる。
生きていればいいことがあるんだろ、兵士。
きっかけになってくれたんだろ、吸血鬼。
ならば私は動いてやるさ、この屈強な従者と共に。
先読みの血脈とかどうでもいい。知の宝庫とか血の宝庫とか知ったこっちゃない。
硝子が反射した光を受けた王族の皆々様。そこに混ざっている崇高な聖女様。
私は突き立てた爪で勢いよく掌を傷つけ、飛び散った血液がコウモリへ変容した。
耳に直接響くような籠った声。何羽も生まれたコウモリは、私の命令を発信する。
《「殺せ」》
巨体のコウモリは体の奥底から甲高い鳴き声を響かせる。部屋を揺らす高音はオペラ歌手顔負けであり、駆け付けた兵士や従事していたメイドの耳から血が噴き出した。
倒れる屋敷人たちの真ん中にコウモリは着地する。耳を押さえて固まっている王様達は顔面蒼白になっており、私はコウモリの背から下りた。
「リリー……?」
聖女様が私を呼ぶ。
私は彼女に視線を向け、強張る彼女の
私に向かって兵士たちが剣を向ける。だけど動く前に血のコウモリが口を開いているので駄目だ。バクリと閉じれば血潮が上がる。腕が無くなり足が無くなり、上半身も無くなって。
「や、やめてこんなこと、リリー!!」
「聖女様、私の名前覚えてます?」
「え!?」
兵士が倒れる間にコウモリは王族を
魔物を殺せばいいと言っていた第三王子、婚約者をコウモリに問いかけた第二王子、他国を攻めることで自国を守ろうとした第一王子。
「な、名前? 貴方はリリーでしょ? なに、」
青い顔で震える聖女様の後ろで、麗しの王妃様の上半身が無くなった。
血潮を浴びたの王の悲鳴に合わせて銃火器部隊が扉を蹴り破ってくる。
「お下がりください聖女様!!」
「反逆者め!!」
「あ、そ、そんな、皆さん待ってッ!! あぁリリー!!」
銃口と私の間にコウモリは翼を広げて立つ。しかし銃火器部隊はこちらを三百六十度包囲したので、私は天井を見上げたのだ。
ここはお城。私が問われ続けたお城。
私が、コウモリを飛ばし続けたお城。
だから、いるよね、そこにも。
「おいでー」
張った声で私が天井に呼びかけたと同時に発砲音が響く。
それより早く天井を破壊し、瓦礫で銃弾を潰し、翼を広げた赤黒い巨体。
床を揺らして着地したのは、私の家にいた子よりに二回り以上大きな血のコウモリ。
二体の子は私を銃弾から守り、どこからか「ぁ……」と気の抜けた声が聞こえた。
「待たせてごめんね」
ずっと、ずっと。このお城の天井裏で待ち続けていたであろう子の羽根を撫でる。体を私に擦り寄せたコウモリに笑えば、二体の体から小さなコウモリが溢れ出た。
それは消えない伏兵。従者の手足。忙しく羽ばたいて、部屋を覆っていく赤黒いコウモリの子たち。
どれだけ撃たれても問題ない。だってこの子たちは血で出来ている。元は液体だもの。
私は掌から湧き続ける子たちと、再び言葉を重ねた。
《「殺して」》
そして、蹂躙が再開される。
鋭い牙を向くコウモリ達の容赦なき捕食。圧倒的な暴力。泣いて喚けど許さない。逃げようとすれば両足を噛み千切ってしまおう。
私は、一人座り込んで震えている聖女様の元へ行き、彼女の前に片膝を着いた。
「思い出しました? 私の名前」
「だ、だから、あ、あなたはりりー、」
「違いますよ。それは私を育てた祖母がつけた
「え、あ、あ、ッ」
「リリーと呼んでいいのは、お婆ちゃんだけだった」
私は聖女の髪を掴んで歩き出す。廊下を埋め尽くす勢いのコウモリは阿鼻叫喚の中を羽ばたき、メイドも執事も、男医も体を噛み千切られていた。
私は血潮を横目に足を止めない。抵抗する聖女様は耳障りな悲鳴を上げている。
「聖女様を離せ!!」
威勢よく立ち塞がった騎士団長は一番大きなコウモリが首を噛み千切った。
「彼女を傷つけるなんて許さないぞッ」
勇敢に飛び出してきた年若い大臣の上半身を二番目に大きなコウモリが飲んだ。
「その子だけは、駄目だ!!」
飛び掛かってきた宮廷魔導士の全身に小さなコウモリたちが群がった。
「大人気ですね、聖女様って。流石です。老若男女問わずに好かれるなんて才能ですよ。女神様の生まれ変わりでしょうか」
「あ、あ、いや!! 離してリリー!!」
聖女様の体が聖なる光で包まれる。私は痛みを感じた手に力を込めて彼女の髪を引き、小さなコウモリが聖女様の両足を食い破った。
可愛い声が濁った悲鳴を上げる。彼女は条件反射の如く両足の治癒に奇跡の力を使うが、治った所からコウモリ達が細かく噛み千切った。どれだけ暴れても、細い足を追って牙を立てるなんて簡単ですよ。
私は見慣れた白い部屋に行き、持ってきた材料を器用にミキサー機にかけるコウモリたちの姿を見た。可愛いね。喚く聖女様を椅子に留めて、両足は食い荒らし続けた。
「やめてやめてッ、嫌いや嫌!!」
「聖女様」
「いやだ嫌だ!! 怖いのやめてリリー! 痛い痛い痛い嫌ぁ!!」
聖女様の大きく開いた口に漏斗を差し込む。群がるコウモリ達は彼女の頭を押さえつけ、両足は骨が見える前になんとか治癒を続けられていた。
浅い呼吸で、涙を溜めた美しい瞳が私を見上げている。
「そう言って、私はやめてもらったことなんてありませんけど」
聖女様の顔から血の気が引く。
私の本当の名前も知らず、知ろうともしなかった聖女様。
みんなに愛される優しい人。見たい事だけ見て、関わりたくない事は無視をして、多くに愛されたせいで勘違いした哀れな一人。
王様も王妃様も、王子様たちも一緒だった。この城にいた誰もが自分に良いこと、面倒くさくないことだけを聞いて、耳当たりの良い解答だけを求めていたんだから。
私はドロドロになった食材を見下ろして、躊躇なく聖女様の漏斗に流し込んだ。
美しい人が溺れる音がする。
「飲まないと息が出来ないですよ、最初は難しいかもしれませんけど」
尊い人が汚い声を漏らして藻掻いている。
「足の奇跡、止めたら出血死かショック死ですね」
神様に愛された人を泣かせる私は地獄行き確定だろう。地獄に住んでいる奴らは私の生き様を見ていただろうか。
「あぁ、そう、私の本名。思い出しました?」
聖女様の口から漏斗を抜いた瞬間に嘔吐される。内臓の奥から胃液と共に床に散らばる水っぽい音は汚くて、初めて自分が吐いた時に殴られた事を思い出した。高級な食べ物を無駄にするなって。私はそんなこと言わないけどね。
涙と鼻水と吐瀉物で汚れた聖女様が弱々しく顔を上げる。足に使い続けている奇跡は輝きが弱くなっており、コウモリが骨まで食べる方が早そうだ。
「ぃたい……いたいのやめて、やめてりりぃ……おねがぃ」
「不正解」
再び聖女様の口に漏斗を突っ込んで上を向かせる。怯える彼女は目一杯両足に奇跡を使い、コウモリ達はむさぼった。
私が思い出したのは、私の傷を撫でてくれた、血の繋がらないお婆ちゃんだ。
「私の名前はアマリリス。リリーは貴方が呼んでいい名前じゃない」
目を見開いて震える聖女様が、喋りにくい口で謝罪する。「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい」って。
「謝罪で私の気持ちは晴れないんですよ」
蹂躙を終えたコウモリたちが部屋に集まる。真白い部屋は赤黒いコウモリで埋め尽くされ、ガタガタと震える聖女様の両耳に巨大なコウモリが口を近づけた。
大きな口が鋭利な牙を覗かせ、聖女様の耳の付け根に沿わされる。
「聞かぬ耳なら、いらんでしょ?」
コウモリが口を迷いなく閉じる。
聖女様の絶叫が漏斗を通して天井にぶち当たる。
私は吹き出る血潮に瞬きし、聖女様の声を最後に、城の中は静かになった。
***
「美味しいものがいっぱい食べられる国に行きたいね」
《美味しい 美味しい》
《いっぱい いっぱい いっぱい》
「着替えて荷造りしたら出発しようか。指名手配とかされるかなぁ。私を追ってくる人は殺してね」
《殺す 殺す 殺す》
《殺す》
一番大きな子の背中に乗って、二番目に大きな子と小さい子達を引きつれて小屋へ戻る。
小屋の前には上半身裸の男が立っており、私は目元が痙攣した。
「よー、大立ち回りして来たようだな」
《殺す》
二番目に大きな子が勢いよく旋回し、復活していた男の上半身を食いちぎる。
しかし吸血鬼は直ぐに流れた血を集めて体を再生し、あっけらかんと立ち上がった。二番目の子は何度も何度も吸血鬼を噛み千切るが、遠縁の種族は死んでくれないらしい。
「いいよ、止まって」
《止まる 止まる 止まる》
二番目の子が勢いよく羽ばたいて私の隣に戻る。着地した私の周りでは沢山のコウモリが舞っていた。
何度も死んだ吸血鬼は骨を鳴らして「容赦がないなぁ」と笑っていた。
「しぶといんですね、吸血鬼って」
「まぁな。噛み千切られた程度では死なないさ」
「嫌な人」
「変わるきっかけを与えてやっただろ?」
「それまでを傍観していたのでマイナス評価です」
「では美味しいものが沢山ある国へ案内すれば許されるか?」
笑った吸血鬼が人差し指を振り、草木が伸びて彼が羽織るマントになる。濃い緑色のマントを整えた吸血鬼は至極楽しそうだ。
「まだプラスになりません」
「ほー、では何を望む?」
私は夜明けの近づく空を見上げ、鼻にこびりついた血の香りと、血で出来たコウモリを目で追った。
「私を城に売った魔術師を見つけてください。殺します」
目を瞬かせた吸血鬼は噴き出して高らかと声を上げる。寝ていない頭に響く声だと感想が浮かび、吸血鬼の「そりゃいい!!」という同意もどうでもよかった。
「いいな、いーい暇つぶしになる! おっと、」
「暇つぶし」
「悪い悪い、吸血鬼は長生きで娯楽に飢えていてな、訂正しよう! いい罪滅ぼしになる!!」
意気揚々とした吸血鬼に流石に溜息が出る。
私は忙しなく飛ぶコウモリたちに周囲を守られ、吸血鬼は小屋の扉を開けた。
「では支度をして行こうじゃないか。生きるに値するいいことを求めて」
「……そうですね」
その日、私は血のコウモリを引きつれて長年住み続けた小屋を離れた。資金として薬草を抱え、護衛は数多のコウモリと簡単には死なない吸血鬼。
「吸血鬼さん」
「なんだ?」
「まずは、美味しい朝ご飯が食べたいです」
朝日が昇る。
一つの国が終わった日。
私が血潮の魔女として追われることになった最初の日。
お腹が減った私のお願いに、吸血鬼は声を上げて笑った。
「あぁ、食べに行こう」
「流動食以外で」
「安心しろ。俺はきちんと美味い店を知っている」
「それは良かった」
コウモリに乗って国を出る。
白む空の中、赤黒い子に混ざって。
私は久しぶりのまともな食事を思い浮かべて、お腹が鳴った。
――――――――――――――――――――
目には目を、歯には歯を。
美味しいものを食べる為、血潮の魔女は傍観者の吸血鬼と、可愛い血コウモリ達と飛び立ちました。
我慢して我慢して、溢れた彼女の感情を見つけて下さってありがとうございました。
藍ねず
君の生き様が牙を剥く 藍ねず @oreta-sin
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