第19話 図書室少女のピンチ

 切石先輩から言いつけられた掃除を終えた俺と名張さんは図書室へと向かった。天之川さんも誘ったのだが、静かな場所は好きじゃないと言われて断られてしまった。


「千世がいると絶対に人が集まるから、図書室には呼ばなくて正解」

「確かに、天之川さんの周りには常に人だかりができてるからなぁ」


 静かな図書室が、一瞬にしてライブ会場になってしまう。それでは読書どころではないだろう。


 特に名張さんはそういう賑やかな雰囲気が好きではなさそうだ。


「二人ってさ、割と対極な性格してるよね」

「……私と千世のこと?」

「そう、仲良くなったきっかけとかあるの?」

「元々……千世は私と同じようなタイプだった。人の目が嫌いで、静かに過ごすのが好きだった。だから私たちは、自然と行動パターンが同じになって、話す機会も増えたってだけ」

「でも、天之川さんがアイドルになってからも仲はいいんでしょ?」

「……千世は、自分がアイドルになった後で近づいてきた人間を全員信用してないんだと思う。だから昔からの付き合いに固執してる。あの人気者が、私みたいな地味な女に拘るのはそういう理由」


 あのトップアイドルにも、何かと悩みの種があるんだな。それを気にせず接することができる唯一の相手が名張さんだと考えると、一見相反しそうな二人が親密なのにも納得がいく。


「なるほど、名張さんは裏表なさそうだしね」

「……そうでもない。私にだって隠し事ぐらいするし、嘘を吐くこともある」


 彼女はそう言って、俺の視線を遮るように、開いた本を顔の前まで持ち上げた。


「隠し事……か」


 俺の婚約者が誰なのか、それはまだわからない。だが、ひとつだけ、直感的ではあるのだが、確信していることがある。


 それは、恐らく俺と婚約者は、既に出会っているということだ。


 だってそうだろう。どれだけ正体を隠したくても、俺に記憶を取り戻してほしくなかったとしても、婚約者が記憶喪失になったと知ったら、近くで見守りたいと思うはずだ。

 だからその人は、必ず俺の身近にいる。今日までに出会った誰かが、俺の婚約者であるということは、ほとんど確定的であると言ってもいい。


 俺の目の前にいる名張さんが、俺と婚約を交わした相手であるかもしれない。その可能性は充分にある。


 でもなぁ、確かめる手段は今のところなし。金持ちって線から絞り込むのも本人が全力で隠してたら難しいし、記憶を取り戻すのも上手くいかないし、八方塞がりだ。


 記憶を失った状態で、純粋に好きになった人が俺の婚約者。もはやそんなおとぎ話のような展開にかけるしかないのかもしれない。


「名張さんさぁ」

「……うん?」

「恋愛に興味はある?」

「……ない。私は本が恋人だから」


 冗談交じりにそう言われてしまった。


 こんな簡単な質問で、彼女の気持ちを探ることなどできない。そして俺も、現時点で名張さんに惚れてはいない。


 だとすると、今のところは彼女を婚約者だと考える根拠はないってことだ。既に一度失敗しているわけだし、これ以上鎌をかけて探りを入れようとするのはやめておこう。


「……急に何の話だったの? ショコラに恋愛相談できなかったからって、私にするつもり?」

「いいや、別に。ただ雑談のネタとして聞いてみただけ」

「ここは図書室。お互いに本を読むために来てる。だったら、無言の時間が続いたからってクソつまらない話を振ってこないで。美容院じゃあるまいし」

「……美容院嫌いなの?」


 最後の一言にはやけにトゲを感じたな。具体的に特定の誰かの顔を思い浮かべてそうだった。知らない人と話すの嫌いそうだもんなぁ。


「……電話だ」


 名張さんは震えるスマホを手に、図書室を出て行った。


 あんまり考えすぎても逆に悩んじゃうし、俺も今は一旦読書に集中するか。趣味や休みの時間も設けることも重要だ。


 この学校に来てから、毎日のように婚約者探しで駆けずり回ってるからな。長い入院生活で体力落ちてるし、家のことは一通りやってもらえているとはいえ、流石に疲れてきた。

 しばらく、何も考えずにのんびり過ごす期間があってもいいじゃないか。案外そうしていると、ポッと良い感じのアイデアが浮かぶかもしれないし。


「本を読んでたら、何かヒントが得られるってこともあるのかな」


 適当に目についた小説を一冊手に取り、ページをめくっていく。その冒頭、一文字目を読もうとしたタイミングで、背後に名張さんが立っていることに気づいた。


「うおっ……何事?」

「……何でもするから、何でもしてくれる?」

「は?」

「千世とよくする約束。何でも頼みを聞いてあげるから、こっちの頼みを何でも聞いてほしい」

「あ、あぁ……まあ、別に、構わないけど」


 部屋の外へ出てから約五分。戻って来た彼女は心なしか焦っているように見える。


「何か困りごとでも?」

「私の新聞が……廃刊になるかもしれない」


 名張さんは切羽詰まった様子で、不安げな内心を隠さずそう口にした。

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記憶喪失になった俺は、婚約者が誰なのか思い出さないと詰む 司尾文也 @mirakuru888

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