光と影

【あの場所で会いたい】

 と、短いメッセージが届いた。


 すぐに駆け出す――自転車を漕いで、街灯を追い越して。

 夏の夜の風が、汗ばんだ肌をぬるくでた。


「来てくれてありがとう、心美ちゃん」

「おう、どういたしましてだ」


 河川敷、橋の下——まだ自分の部屋を与えられていなかったあたしと宝良が、

 隠れてラップの練習をした思い出の秘密基地。


 Jewelジュエルから宮本みやもと宝良たからに戻った、坂井心美あたしの親友がそこにいた。


「私、Jewelを演じ切れてた?」

「うん」

「本音が出ちゃった。『昔の自分みたいだ』とか」

「大丈夫だよ」


 宮本宝良——真面目でおしとやかな大和撫子やまとなでしこ

       虫も殺したことがないような、箱入りのお嬢様。


 Jewel——完全無欠のチャンピオン。ハイレベルなスキル、刺すような毒舌と、

        なによりじぶんを王と呼んではばからない、圧倒的な自信の持ち主。


 真面目で淑やか。毒舌な自信家。

 人は誰かの持つ二面性うらおもてを目のあたりにすると、ワルっぽい方こそが本性なのだと思いがちだ。

 

 あたしは知っている。この子の本質が、宮本宝良のほうであることを。

 無敵のチャンピオン・Jewelは、内気な宝良が生み出した虚像

 ——なりたい自分とでもいうべきものであることを。


 かつての宝良はその乖離かいりに悩み、折れかけていた。

 HIPHOPは、生き様の証明だ。

 人前で語った言葉が、いかに真実リアルであるかが問われる。


心美ここみちゃんが言ってくれたんだ。私を、かっこいいって。

 だから私も自信をもって、自分がHIPHOPだって言える」


 本心からそう思ったのを、口にして伝えただけだった。

 なりたい自分を演じ切る。見せたい理想の姿を、最後まで相手に見せ続ける。

 こうあってほしいという夢をかなえる。かっこよく可愛く、憧れさせる。

 それは決していやしいことなんかじゃない。

 誰しもがやっていて、でも誰にも完璧には成しがたい、キラキラしたことなんだって。


 あたしだけが、宝良Jewelの本当のHIPHOP価値を知っている。

 完全無敵で砕けないから美しいんじゃない。

 本当ははかなくちっぽけな硝子ガラスが宝石を演じる、そのつよさこそが美しいんだ。


「結局はみんな、他人だれかにありのままの自分のことを認めてほしいから、生き様の音楽HIPHOPを続ける。

 そうじゃなければ、鏡だけを眺めて満足すればいいんだもの」

 

 金が欲しくてやってるなんて、真顔で言うラッパーもいるけどな。

 ――なんて、宝良も分かってるような野暮は言わない。


真実しんじつかくされているほど、虚構にせものの光は明るさを増す。

 心美ちゃんさえそれを知っていてくれれば、私は宝石のままでいられた。

 あなたに唄う生き様が、わたしをJewelにしてくれた。でも――」


 ああ――過去形にしないでくれ。


 言うな、宝良たから。どうかその続きは言わないでくれ――


「怖かった。すごい感情を向けられて、王者っていう名前が重たかった。

 せめて――もう一人だけでいいから。

 本当の私を知って、この価値を認めてくれたら、どんなに心強いかと思う」


 ああ、終わってしまう。ほんの一点のくすみが入ってしまう。

 魔法の本質が、あたし以外にもあばかれてしまう。


「次の総選挙で勝ったら、私はもう一年間王者チャンピオンをやることになる。

 そうなったら、誰かに――できれば鏡花あの子に、知ってほしいと思う。

 あの子ならきっと、分かってくれると思うから」


 その宝石が放つあやしさの理由ひみつが、あたしと宝良だけの秘密たからものではなくなってしまう。


 薄々は気づいていた――だんだんと離れていく、Jewelとハーツの距離を。

 並び立つものではなく、リーダーと配下になっていくのを。

 あたしだけじゃ、輝きを増していく宝石ダイヤを支えるための、

 ハートとして物足りなくなっていることを。

 

 友人たちはあたしのことを優しいという。

 けど本当のあたしはみんなに良く思われたくて、誰かにとっての特別になりたくて。

 他人のためじゃなく、自分のためにそう振る舞っているだけだ。


 あたしはいつか宝良たからの特別じゃいられなくなる――そんな予感が確かにあった。

 それできっと、あたしは逃げ道を探して、無意識に別の誰かを求めて――

 友達で、少し退屈ヒマそうで、ラップ初心者だけど何でも要領よく器用にこなせる。

 そんな鏡花きょうかのことを見出した。


 あいつの中でくすぶって出逢であいを待つ、灼熱の存在にも気づかないまま。

 そのことが終わりの針を早めるとも知らずに。


 あたしだけが、宝良の真実を知っていたのに。

 あたしが最初に、鏡花を見つけたのに。


 二人の秘密が、三人の秘密になって。

 きっとそのまま、あたしが結び付けた二人が、

 並び立てなくなったあたしだけを置き去りにして、みらいへと進んでいく。


 力足らずで、節操なしで、不義理うわきなあたしに与えられる、それが報いかと思う。


 けど――あたしは欲張りだから、ここからまだあわよくばを探して、口にしてしまう。


「無敵のJewelを誰かが倒して、チャンピオンの座を奪っちまうかもな。

 そしたら……お前は強くて、可愛くて、自信家で、けどたまには負けちゃうこともある、

 『元』王者のJewelちゃんだ。

 それなら、いくらか負担も減るだろ?」


「……悪くないかも。ずっと無敵っていうのもいいけど、

 負けても立ち続ける不屈の王っていうのも、かっこいいものね。

 ――Jewelを倒すその『誰か』って?」


「たとえば……そうだな。四天王の一人が、虎視眈々こしたんたんとその座を狙っていたとか」


 ひとかけらの本気を添え――喜ばせたくて口にした、宝良ごのみの未来予想図シチュエーション


「……ふふっ。いいねそれ。

 最強の王者を待ち受ける運命シナリオは、それぐらい劇的ドラマチックじゃないと」


 それを現実にできる日がくるのだろうか。

 逃げず、挫けずに、あたしにもやり遂げられるだろうか。


 そしたらきっと、あたしはあの最強の殺し文句パンチラインを食らわせてやるんだ。

『とうとう来たな この時が』って。


 街灯の光を受けて橋が落とす影の下、あたしたちは拳を突き合わせて笑った。


 今はまだあたしだけが、Jewelの本当の価値を知っている。

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いのち短し、うたえよ乙女 霰うたかた @9_dokumamo

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