夕顔の詩

深川我無@「邪祓師の腹痛さん」書籍化!

夕顔の詩

「高橋さん。この書類なんですけど…ここの仕入先の担当さんって名前分かりますか?」


 同じ部署の山本さんが書類を指差して尋ねてきた。


「ああ、確か足立さんだったと思うよ」


「ありがとうございます!助かりました!」


「いえいえ」


 そう言って僕はデスクに向き直る。


 だけど山本さんは去らずに横に立っていた。


「どうかしたの?何かまだ問題があるとか?」


 僕は再び山本さんの方に向き直った。


 彼女は覚悟を決めたように僕に言う。


「あ、あの!!良かったら今夜どこかに食事でも行きませんか…!?」


 僕は少し言葉に詰まってしまう。


 部署内でも人気の山本さんからの誘いを無下にするのも気が引ける。


 だけど今日だけは駄目だった。


「ゴメンね。凄く有り難いお誘い何だけど、今夜はどうしても外せない用があるんだ」


 僕は顔の前で両手を合わせて目を閉じた。残念がる山本さんの顔を見たくなかった。


「そうですか…残念ですけど、仕方ないですね。いつなら空いてますか…?」


 彼女は伺うように僕の目の奥を覗き込む。


「今夜じゃなければいつでも大丈夫だよ」


 僕は彼女が悲しむのが居た堪れなくて、なるだけ優しい笑顔を浮かべてそう答えた。


 彼女は顔をパァと明るくすると、さっそく手帳を確認し始めた。


 こうして三日後、僕は山本さんと食事をすることになった。




 「それじゃお先に」


 足早に会社を抜け出して駅に向かう。


 疲れているのに、満員の普通電車に乗り込む足取りまで軽い。


 最寄り駅の一つ前の駅で僕は降りて、僕はいつものコンビニに足を運んだ。



 レジには青いシマシマ模様に身を包んだ彼の姿がある。


 少し長い髪とそれに似合う優し気な二重瞼。


 笑った時の目尻の皺がたまらなくキュートだ。


 私服はどんなのを着るのか僕は知らない。


 だけどきっとセンスが良いと思う。


 年の頃は僕と同世代くらいだろうか。




 運動不足解消のために、一駅歩こう。そう思い立ったのが五ヶ月ほど前の話。


 ひんやりとした夜風に吹かれながら歩いていると、コンビニの明かりが目についた。


 ちょっと飲み物でも。そう思って立ち寄ったコンビニの窓辺に彼がいた。



 コンビニのバイト店員でありながら、真剣な眼差しで月刊ワールド・トレードを食い入るように読んでいる彼を見て、僕は一目で恋に落ちた。



 彼がどんな事情でバイトをしているのか、なぜ金融関係の雑誌をあれほど真剣に読んでいるのか、当然僕は何も知らない。



 だけど、なんとか彼と接点を持ちたくて、詳しくもない金融雑誌を発売日に必ず買いに来ては、ほんの一言二言の言葉を交わす。



 それだけが僕に許された彼との繋がり。



「あっ高橋さん!」


 彼が目尻に皺を作って僕の名を呼んだ。


 それだけで僕の胸はいっぱいになって、笑顔が隠しきれなくなる。


 格好を付けてワールド・トレードの新刊と好きでもないソイ・ラテを差し出した。


 「さっそく新刊買いに来たんですか?」


 彼は最高のスマイルで僕に尋ねてきた。


「直人君に会いに来たんだよ」


 緊張で声が震えそうになりながら僕は平静を装おって言う。できるだけ冗談に聞こえるように。


「あはは! ありがとうございます!!」


 直人君は人懐こい笑顔で答えた。


「直人君はもう読んだの?」


 会話を続けたくて、僕はワールド・トレードを指差しながら言った。


「まだなんですよ~。でも今日は夜勤も入ってるんで、誰も居ない夜の間にガッツリ読もうと思って!」


 トクンと心臓が音を立てた。


「そうなんだ…じゃあこれ夜勤の時にでも食べな」


 そう言って僕はレジの横に置かれたチョコバーを取って彼に手渡した。


「いいんですか!? なんか申し訳ないなぁ…」


「いいの!いいの!」


 そう言って僕は会計を済ませると、じゃあと手を振ってコンビニをあとにした。


 一人歩く夜の帰り道、僕の心臓はずっとドキドキと音を立てている。


 彼は今夜、一人で店にいる…。


 そのことが頭の中でぐるぐる回っていた。


 どうしよう? どうしよう?


 こんな機会は二度と訪れないかもしれない。


 彼に本当のことを打ち明ける、最初で最後のチャンスかもしれない。


 望みがないことは解っている。


 だけど、もし叶うならば、許されるならば、彼に想いを打ち明けたい。


 彼はどう思うだろうか?


 気持ち悪いと思われるかもしれない…


 それに…


 誰にも言わず、ずっと隠してきた本当の自分の姿。


 どれだけ世間が理解を示したとしても、芸能人がカミングアウトしたとしても、僕はそれを表明するつもりはなかった。


 少なくとも今日までは…。




 誰も傷付けたくなかったし、誰かに気を遣わせるのも嫌だった。


 僕が僕として生きるだけで何処かで何かが上手くいかなくなる。


 それならば隠し通そう。


 そう思っていた。




 僕はドキドキを抱えたまま玄関のドアをくぐり、部屋の明かりをつけた。


 こざっぱりと纏められ、生活感の無い、いかにもビジネスマンの部屋。


 ステンレスの天板が張られたキッチン。そこに置かれた大手のコーヒーメーカー。


 コーヒーメーカーのスイッチを入れて、僕はシャワーを浴びた。


 紺色で揃えたタオル類も、置かれたアメニティも、何処でも買える大量生産にして、生活感を排した家。


 そんな生活感の無い家の、ウォークインクローゼットの奥に隠した秘密のドレッサー。


 楕円の鏡の周りに丸い蛍光灯が九つ並んだ、真っ白なドレッサー。


 引き出しをそっと開けると、中にはメイク道具一式が、使われる時を待っていた。


 何度も動画サイトとにらめっこしながら覚えたメイクの方法。


 下地を塗り、ファンデーションをあてる。


 ハイライトを入れ、アイラインを引き、眉を整え、まつ毛をカールさせる。


 

 ウィッグを被って、最後に震えながら紅を引いた。


 鏡に映る自分は今にも泣きそうな顔をしている。


 一着だけ買ったワンピースに着替え、一足だけ買ったパンプスを履き、玄関の姿見に映る姿を最終確認した。


 そこに映るのは夕顔の花。


 だれの目にとまることもない、夜にだけ咲く夕顔の花。


 深く息を吐いてからは直人君のいるコンビニへと向かって歩き出した。


 

 深夜のコンビニ。シンデレラはもう随分前に家に帰った頃、コンビニの窓から直人君の姿が見えた。


 あの日と同じ真剣な眼差しでワールド・トレードのページをめくる彼の姿に鼓動がさらに速くなる。


 覚悟を決めて自動ドアの前に立った。


 ティロリロリロリロリロン

 ティロリロリロリロリロン


 わたしの入店を告げる電子音。


 心臓は今にも飛び出しそうだった。


 直人君は入店に気が付いて雑誌を閉じるとレジの中に入った。


 わたしはさっきまで直人君がいた雑誌コーナーに向かい、ワールド・トレードを手に取った。


 雑誌には直人君の体温が残っている。


 それを胸に抱えてレジに向かった。


 そっとそれを差し出し、わたしは直人君の顔を見た。涙が出そうになるのをぐっと堪えた。


 直人君は少し驚いた顔をしてからわたしの顔を見た。


 「1200円になります」


 にっこり笑ってそう言う直人君の目尻には、いつもと同じ素敵な笑い皺が出来ていた。



「わたしです…」


 消え入りそうな声で言った。


「え?」


「わたしです…高橋です…」


 直人君はハッとした表情を浮かべワールド・トレードを見てからわたしの顔を再び見た。


「た、高橋さん!? どうしたんです!? あっ!! もしかしてドッキリですか!?」


 優しい笑顔でそこまで言ってから、直人君は全て理解したように真顔に戻った。



「もしかして、俺に会いに来てくれたんですか…?」


 わたしは何も言えなくて、彼の顔も見ないで何度もコクコクと頷いた。



「今までも、ほんとに俺に会いに来てくれてたんですね…?」


 わたしはもう一度、何度も頷いた。



「ハハハ…どうしたらいいのかな…俺もこういう経験は初めてで…」


 そう言って彼は少し困ったように笑いながら頭を掻いた。



 その途端わたしの両目から涙が溢れ出した。



「ご、ごめんなさい…困らせてしまって…もう二度とここには来ません!! 今日のことも忘れて下さい…!!」


 そう言って急いで立ち去ろうとするわたしの腕を直人君がグッと掴んだ。



「待ってください…!! 高橋さんとこんな形でお別れしたくないです…!!」


 わたしは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、彼の顔を見た。


 そこにはいつもと同じ優しい笑顔を浮かべた直人君がいた。



「高橋さんがどんな人か僕は全然知らない。それに高橋さんの気持ちには応えられないかもしれない。でもそれは相手が誰であっても同じことです。良かったらお友達から始めませんか…?」


 そう言って笑った直人君の顔を見て、わたしは声を出して泣いた。


 そんなわたしを見て困ったように笑いながら、直人君はハンカチを差し出した。



 わたしが踏み出した小さな一歩は、想像もしなかった幸せに繋がっていた。


 大好きになった人に、わたしという存在を認めてもらえた。


 スマホの中には彼と交換したラインのアイコンが光っている。


 小さな小さな繋がり。


 先は無いかもしれない。


 それでも別れ際に彼が言った言葉が胸を熱くする。


「見慣れないがワールド・トレードを持ってくるんだもん。俺、びっくりしましたよ」



「また…この姿で…わたしの姿で来てもいいですか…?」


 恐る恐る尋ねた。


「はい!ワールド・トレードをお取り置きしておきます」


 直人君は笑顔でそう言ってくれた。


 わたしが夕顔であることを認めてもらえた気がした。

 

 朝顔にも昼顔にもならない。


 わたしは夕顔として、来月の今頃、またここに来るだろう。



「夕顔の詩」


Fin.....

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