召喚勇者とエルフの精霊使い

新巻へもん

めでたしめでたしの後で

 パチパチと焚火にくべた枝が爆ぜる。

 どうも松脂に似た樹脂の多い樹木の枝だったらしい。

 なんという名前だったかな?

 何か長い名前だったような気がするけど。

 私はそれを教えてくれた人に目を向けた。

 焚火から少し距離をおいた地面に粗い布を敷いて横たわっている。金色の長い髪の毛の中から尖った長い耳が覗いていた。

 私と一緒に旅をしているシンディは着替えを丸めたものを枕にして、こちらに背を向けている。

 そのため、その美しい顔はここからは見ることができなかった。

 急にシンディの顔が見たくなって、私はそおっと立ち上がる。

 彼女の耳は音に敏感だ。

 寝ていてもちょっとでも異音を感じると目を覚ましてしまう。

 私の足元に置いた砂時計はまだ落ち切っていない。

 ということは不寝番の交代時間まではまだ時間がある。

 だから、シンディの眠りを邪魔したくはなかった。

 静かに回り込んでシンディの寝顔を拝見する。

 焚火の陰になっているが、それでもその顔立ちの繊細さは見て取れた。

 長い睫毛、細く通った鼻筋、透明感がある瑞々しい肌、可愛らしく艶やかな唇。

 同じ女性ではあるけれど、この世のものとは思えない容貌には、全く張り合おうという気すら起きない。

 まあ、私の住んでいたところとこの世界は違うので、私にとってみれば文字通りこの世のものではないのだけれど。


 日本に生まれてごくごく普通の女子高生をしていた私は何の因果か、こちらの世界に呼び出され勇者に祭り上げられる。

 世界を滅ぼそうとしている魔神を倒すために五人の仲間と共に旅だって、苦労の末にその目的を果たした。

 その五人は、王子で巧みに剣を操るマイルズ、巌のようなドワーフのカムリ、腕は確かだが酒を飲んでの失敗が多い神官のアンディ、三度の飯より魔法が好きなシャール、そして今私が見下ろしているエルフのシンディだ。

 魔神のもとにたどり着くまで、そして、魔神を倒すのにはひとかたならぬ苦労があった。それは一晩中語り続けてもネタが尽きないほど。

 何はともあれ、この五人が一人も欠けることなく本願を達成したことは誠に喜ばしい。

 喜びと安堵に包まれながら、依頼主の王様に魔神を倒したと報告をしに戻った。

 皆が浮かれる中、密かに私の心は晴れない。

 なぜなら、目的を果たしても元の世界に帰ることはできないということをすでに知っていたからだ。

 都に凱旋する道中で、私はこの先どうして過ごそうかということを人知れず悩む。

 困難な目的を達成することは素晴らしい。

 けれども、それだけをただひたすら望んでがむしゃらに生きてきただけに、ふと気づくとこれからの未来がノープランであることが恐ろしかった。

 他の皆には帰るところがある。

 でも、私にはそれがなかった。

 きっと、誰を頼っても私を客人として温かく受け入れてくれたとは思うが、なかなか言い出すことはできない。

 密かに苦しみ、ぽっかりと穴が開いたような心を持て余す私の隙間を埋めたのが、シンディの誘いの言葉だった。

 あと1日で都に着くという日、夕食後にお酒を飲みながら思い出話に話を咲かせているとシンディが側にやってくる。

 私はお酒を飲めないので果実の搾り汁をなめていた。

「これで長い旅も終わりだね。まるで昔話の主人公になった気分。モモタロウとか……」

「そのモーモターロウというのは?」

 シンディが少し発音しにくそうに聞いてくる。

「んー、私の世界で人々を苦しめていた存在、オニっていうんだけどね、それを退治するお話なんだ。悪いオニをやっつけて故郷に帰っていくの」

「その後は?」

「お話は家族と幸せに暮らしました、で終わってるんだ。オニ退治をしてもモモタロウの人生は終わらないし、物語は続くはずなんだけどね。そういう話は幸せに暮らしましたで終わりなんだ」

 私のこの後の物語はどうなるんだろう?

 不安がこみあげてくる。

 シンディは長い耳を少し垂れさせながら、そっと尋ねてきた。

「この後、チヒロはどうするの?」

「そうだねえ。お役目は果たしたから後は自由にさせて欲しいな。もう元の世界には帰れないらしいし、今まで見てこられなかったところを見て回る旅をしたいかも。きれいな所が一杯あるってマイルズが言ってたから」

 シンディは何か不満そうに唇を尖らせる。こんな表情をしてもちっとも魅力は失われず、むしろいつもの少し冷たい感じが消えて可愛らしい。

 表情を戻すとためらいながら次の質問をした。

「その……その旅にはマイルズと一緒に行くのだろう?」

「マイルズは王子様だよ。無理じゃないかな」

「でも仲がいいじゃないか」

「親切だし、紳士だからね。やっぱり育ちがいい人は違うって思う。私とは住む世界が違い過ぎる」

 シンディは咳ばらいをすると言葉を押し出す。

「都に戻ったら結婚するのかと思っていた」

 私は思わず笑ってしまう。

「やあねえ。シンディ。冗談が過ぎるわ。私にお妃が務まると思う?」

 そう。身分も違うし生活習慣も違う。

 そりゃ、剣を振るうのは上達したけれど、上品な仕草なんて絶対に無理。

 いろんな古くからのしきたりもあるはずで私が適応できるとは思えなかった。

「チ、チヒロ」

「なあに?」

 ちょっと雰囲気が変わったシンディを見つめる。

「もし、良かったら。チヒロの旅に同行させてもらえないだろうか。私も人間の世界のことは良く分からないし、かえって足手まといかもしれない。けど、私は……君の残りの人生を一緒に歩みたい。きみの物語になりたいんだ」

 白く透き通った頬が薄く紅色に染まった。

 色んな感情が渦巻いているのが感じられる。

 シンディは形のいい唇を噛みしめた。

 口の中で先ほど耳にした言葉をつぶやく。キミノモノガタリニナリタイ。

 自然と顔がほころんだ。

「それってまるで求婚の言葉みたい。またまた冗談を言って。本気にしちゃうぞ」

 とてもとても真剣な眼差しがまっすぐ私を射貫く。

「私は本気だ。私たちがこの戦いで培ってきた友情は本物だよ」

 うれしさと驚きと疑問と、色んなものがうわあっと頭の中を駆け巡った。

 頭を抱え眉根を寄せて考える。

「うーん。突然過ぎて混乱しそう」

 それでも感情の洪水は私の中にあった不安を一掃した。

 胸が訳もなくどきどきする。

 思わず言葉が漏れた。

「ま、いっか。どうせボーナスステージだし。刺激があっていいかも。よろしくね!」

 そして、私はシンディに抱きつく。

 花のような香しい匂いが広がった。

 こうして都での魔神を倒したお祝いが終わってから、二人で旅をしているのだけど、シンディの動機はなんなのだろう。

 友情を下地にした憐憫? 同情?

 いつも怜悧な顔は感情が読みにくい。

 感情を探ることを抜きにしてもシンディの顔は見ていて飽きない。

 美男美女も三日で飽きるなんていうけれど、そんなのは嘘だ。

 

 物思いから覚め、もうちょっと良く顔が見たいなと体を屈めた。

 その途端にシンディの目がパチッと開く。

 先日二人で訪れた秘境の湖の水よりも蒼く澄んだ瞳の焦点が私に合った。

「もう交代の時間?」

「ううん、まだ。ごめん、起こしちゃったね」

「別にそれはいいんだけど、何をしていたの?」

 寝顔を見てました、なんて言えない。

 頬が熱くなってしまう。

 焚き火の照り返しのせいだと思ってくれればいいのだけど。

 その願いも虚しく、シンディの顔が笑み崩れる。

 そんな場合じゃないけど、この表情は反則だよう。

 更に熱を帯びる私の頬に視線を移しながら、シンディは口を開いた。

「ひょっとして私の寝顔を観察していたの? やめてよ。勇者さまは無防備な女の子の顔をじっくりねっとり眺める変態さんだったのね」

「ち、違うから」

 シンディは身体を起こして立ち上がり、すっと両手を伸ばすと、私の頬を挟んだ。

「こんなに熱くなってるのに?」

 シンディの指と手のひらは冷たく乾いてすべすべしている。

「シンディって私と違って綺麗だから、どんなお手入れしているのだろうなって気になっただけ」

 つい適当な言い訳をしてしまう。

 シンディの指が私の耳たぶをなぞった。

「そんなことはないわ。私はチヒロの耳の形好きよ」

 ひゃあっ。

 指はそのままあごのラインに沿って降りてくる。

 あごから上がって唇に触れた。

「本当は自分が一番辛いのにみんなを気遣う言葉ばかり漏れてきた、この唇も」

 ためらいながらも指が唇を割って入ってくる。

「ねえ、私がその言葉を聞きながら、何を考えていたか分かる?」

 そこで、急にため息をついた。

 ええ? 私何か変なことをした?

「チヒロ、招かれざる客よ。まったく無粋なんだから」

 ホーホーと鳴いていたフクロウの声が途絶える。

 ガサガサと音を立てて十人程の男たちが灌木をかき分けて飛び出してきた。

 彼我の距離は十メートルほどか。

「こいつは上玉だぜ」

 途中立ち寄った村で聞いた逃亡兵崩れの人さらいらしい。

 シンディが私を押しやりながら、何かを呟く。そして叫んだ。

「ミ、シン、ベロール!」

 焚き火が閃光を発してひときわ大きな炎をあげ、そこから何本もの火線が伸びる。

 火が当たった部分が即座に炭化して男たちがバタバタと倒れた。

 他の男を盾にした男二人が驚きに顔を歪めながらも突っ込んでくる。

「今度は私が!」

 私は前に出ると腰に差した剣を抜き放った。

 名工の手による細身の直剣は全てのものを貫くと言われている。

「武器を捨てなさい」

 私の警告の声は無視された。

 ううう。童顔だから舐められやすいのよね。仕方ない。

 真っ向から斬り降ろしてくる相手の剣と打ち合った。

 男の剣は鍔の根元でぽきりと折れる。

 足払いをかけて倒したその男を捨て置いて、次の男と向き合った。

 腰が引けながら振り回す剣に私の剣をからめて弾き飛ばす。

「ベロール!」

 振り返ると短刀を持った男が顔を焼かれて崩れ落ちるところだった。

「チヒロ、油断しないで!」

 視線を最後の男に戻す。

 怯えながら両手を上げていた。

 側にきたシンディがお小言を言う。

「チヒロ、前と違って背後を守ってくれる戦士は居ないんだから。あなたの優しさは素晴らしいけど、それを向ける相手は選ばなきゃ」

 一応気配は察知していたし、十分に対応できるつもりだったんだけどな。

 でも、素直に謝ることにする。

「ごめんね。シンディ。心配させちゃって」

「怪我が無かったからまだ救いがあるわね」

 シンディはいつもそっけないように見えるけど、本当はとても優しい人だ。

 最初は美しさに憧れて密かに観察していたのだけど、他人が言うほど心は冷たくない。一見冷淡に見える態度は自分を守るための仮面なんだよねえ。

 私は生き残りの男に問いただす。

「誘拐した子供たちはどこに居るの? 案内しなさい」

「チヒロ、時間の無駄よ。どうせ私たちを案内するふりをして罠にかけられるのがオチ。自発的な協力を求めるよりもっといい方法があるわ」

 シンディの口から私の知らない言葉が紡がれた。

 男はとろんとした目になる。

 ああ。森の精霊の力を借りた魅了の魔法か。

 シンディはすっかり従順になった男から、子供たちを閉じ込めている場所や残りの仲間の数などを手際よく聞きだした。

 必要なことを聞き終えると、シンディはまた数語聞きなれない言葉を発する。

 男はとろんとした目のまま森の中へと消えていった。

「あれって?」

「そうよ。力を借りた森の精霊に与えたの。魅了の魔法は便利なんだけど、森の精霊は執着心が強いから安易には使えないのよね。あの男は森の深いところに連れて行くって。大丈夫。もう誰かを傷つけることはないわ」

 ぞくっとするほど冷たく美しい笑みを浮かべる。

 焚火の方へと戻りながらシンディはため息交じりに言った。

「聞き出しちゃった以上は助けに行かないわけにはいかないわよね。折角、チヒロとお互いの理解を深めているところだったのだけど」

 二人で身支度を終えると、シンディは荷物の中から大きな革袋を取り出して口を開く。

 呪文を唱えると革袋から滑り出た直径二十センチほどの水の塊は薄い膜となって広がり火を包んで消してしまった。

 荷物を背負って移動する。

 聞き出した洞窟までは歩いて一時間ほどだった。

 弓を携えた見張りが二人見える。

 洞窟の周囲は開けており、身を隠して近づけるのは一番近いところでも五十メートルほどまでだった。

 今まで歩くには良かった明るい月がここでは恨めしい。

 シンディは顔をしかめる。

「さっきの焚火をランタンに移して持ってくるべきだったわ。この状態だと火の魔法が使えない」

「さっき、だいぶ魔法を使って疲れてるでしょ。ここは私の出番じゃないかな。矢を切り払いながら距離をつめればいいだけだし。大丈夫。もう無用の情けはかけないから。子供を誘拐して売り飛ばすような悪人ですもの」

「チヒロ、ちょっと待って」

 シンディはまた精霊に呼びかける呪文を唱えた。

「風の精霊にお願いして、矢避けの魔法をかけたわ」

「ありがとう。それじゃあ、ちょっと待っていて」

 私は木陰から走り出す。

 見張りたちは大きな警告の声を出しながら素早く弓をつがえて放ってきた。

 駆ける私にまっすぐ向かってきた矢だったが、当たりそうになる直前で逸れてくれる。シンディさまさまだね。

 二の矢をつがえさせず私は見張り二人を斬り倒した。

 軽やかな足音に振り返るとシンディがもうすぐそばまで来ている。

 眉をひそめて私の周囲の空間に手を振りながら精霊に何か言っていた。

 なんとなく怒っているような感じ。

 それから洞窟に入って子供たちの番をしていた三人もやっつけて子供たちを救いだした。

 ほっとして泣きじゃくる子供たちをなだめすかし村まで連れて帰るとすっかり日が昇っている。

 子供を取り戻して歓喜する村人が村で休んでいけと熱心に勧めると、シンディがご厚意に甘えようと主張した。

「私は少し眠れたけど、チヒロは徹夜でしょ。少し休んだ方がいいわ。そうそう。エルフにはこんな言葉があるのよ。睡眠不足は美肌の大敵って」

 わあ、それは大変だ。

 村長さんの家の客間を提供され、カーテンをぴたりと閉じて眠る。

 ぐっすりと眠って目が覚めた。

 やっぱりふかふかのお布団は最高。

 目をつむったまま柔らかな感触を堪能する。

 でも、そろそろ起きた方がいいかな。今はどれぐらいの時刻なのだろう。

 目を開くと割と近くにシンディの顔を見出して、思わず小さな声をあげてしまった。

 シンディは口角をあげる。

「どうしたの、チヒロ。昨夜はあなたが観察していたから、今度は私が同じことをしていただけじゃない。寝顔、とってもかわいかったわよ」

 恥ずかしさのあまり、とっさに薄手の上掛けで顔を隠してしまった。

「あら? 私の顔を見るのも嫌なのね。ひどいわ」

 上掛けをずらして目だけ出す。

「違うわよ。整ったお顔のシンディに見られて恥ずかしいだけ」

「何が恥ずかしいの? チヒロもとても素敵じゃない」

「えー。全然違うわ」

 シンディは思案顔になった。

「もう。それじゃあ、昨夜、無粋な男たちが乱入する前の会話覚えてる? 私がチヒロの激励の言葉を聞きながら何を考えていたかって質問よ」

「聞いていたけど……」

 そんなこと分からないわよう。

 ふるふると首を横に動かした。

 シンディは笑みを浮かべる。

「それじゃあ、教えてあげる。あのね。チヒロの気持ちを独占したいって考えていたの。励ましも慰めも気遣いも信頼も、全部全部私だけに向けてって。それでね、二人だけで旅をしてきたでしょう? そしたらね」

 な、なんでしょうか? 幻滅したとか?

「増々、その気持ちが強くなってきちゃった」

 気が付くと上掛けを引っ剥がされているし、シンディは椅子から腰を浮かして私の方に顔を近づけていた。

「はひ?」

「もうずっと魅了の魔法をかけられているようなものよ。ちょっと辛いわ」

 両手が私の頬を包む。

 うわわわわ。えーと。

 私は慌てて洞窟前での行動を質問した。

「あ、えっと。ちょっと気になっていることがあるのだけど。シンディが洞窟前でちょっと怒っていたみたいだけどあれは何をしていたの?」

「ああ、あれね。チヒロを守るようにお願いした風の精霊がチヒロを気に入っちゃったみたいで、こんなことをしようとしていたから止めたの」

 覆いかぶさったシンディの唇が私の唇に軽く重なる。

 思い切り頭を枕に預けてほんの少しの隙間を作った。

「この世界だと友達同士でもこういう……」

「しないわよ。で、チヒロは嫌?」

 切なげな表情が間近にあるのは心臓に悪い。本当に。

「嫌じゃないです」

 シンディの面輪が再び接近し、さっきよりもうちょっとだけ強く長く唇が重なる。

 はわあ。

 もう、心臓が飛び出しそうなんですけど。

 これが私たち二人の長い長い旅の本当の始まりだった。


-完-

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