No.1 狼と犬

風白狼

狼と犬

 仕事に向いた、細い月の夜だった。

 スマートフォンの時計がまだ予定の時間には早いと告げた。俺はひとつ息を吐いて時計を仕舞い、人気のない公園の脇にワンボックスカーを停める。

 本当ならば新月が最高だ。極限まで暗い夜に身を潜ませ、影すら残さず仕事を終えられる。何らかの事情で急にこのに入ってきた新参者や、いつまで経っても慣れないどん臭い奴なんかはそうするべきだ。

 しかし――俺は他の追随を許さないプロだ。プロは状況を選ばない。文句を言わない。そしてひとりで全てをやり遂げる。

 一匹狼こそ至上――その信条に従っているからこそ、こうして一度も足が付かずにやってこれているのだろう。今日の案件だってそれは変わらない。いつもの黒ずくめの服装を見回して、俺はひとり満足する。

 群れてでしか行動できない奴は三流――この世界では至極当然の摂理だ。


 予定の時刻が来るのを待ちながら缶コーヒーを傾けた。その時だった。

「もし」

 不意に声がかかり、助手席側の窓がノックされた。女性の声だった。

 既に0時を回った夜半、通りすがりの人間だとも思えない。であれば、駐車を不審に思った警察か。

 俺は精一杯の善人らしい表情を浮かべ、助手席の窓を開けた。

「こんばんは、どうされ――」

「邪魔するぞ」

 こちらが言い終わるより先に、助手席の扉が開かれた。「は?」と俺の間の抜けた声も気に留めることなく、声の主の女がひらりと車内に舞い込んでくる。

「晩春とはいえ、夜は冷えるな」

 まるで旧知の仲だとでも言うかのような軽い、しかしどこか気怠い調子で言う見知らぬ女。流線型の体型を強調するかのような黒のボディスーツを纏っている。ショートカットの表情は芯を感じさせつつも一切がつまらない、とでもいうかの如く涼しかった。俗っぽく一括りに言うなら、良い女だった。

「……春の夜は長いからな」

 突如相乗りを強行してきた彼女の胸に目を遣って俺は笑った。大切なのは不測の事態を理解し、呑みこみ、順応すること。それが長生きするコツだ。

 まあ警察なんかは論外だ。みすみす引き込んで捕まるような真似はしない。黙って彼女を招き入れたのは、彼女の放つ危険な「匂い」のせいだ。

 この女は恐らく――俺と同じ、強盗だろう。

 足を組み落ち着き払った態度も、窓の外に遣ったどこか鋭い視線も、とても堅気のものではない。それも一犯か二犯ではない、歴戦の猛者であると見た。

「今夜は盗み日和、ってか」

 流し目をくれて、女は特に感慨もなさそうに口を開いた。

「君もそうだろう」

「まあな」

 当たりだ。俺は口の端を曲げて笑った。犯罪者同士、どれだけ隠したって鼻が利く。お互い様だ。

 問題はどうして声をかけて来たかだ。

 俺を警察に突き出すつもりか。いや同じ犯罪者同士、そんなリスクの高いことをするだろうか。しかしただの井戸端会議ではないだろう。何か忠告でもしに来たのだろうか。

「俺は今夜あの家を狙う。邪魔する気か」

 公園の向かいにある邸宅を顎で指し、単刀直入にそう切り出した。

 今夜のターゲットはここらの名士の家で、その金庫には時価数十億の資産が眠ると事前の調べがついていた。これまでは空き巣まがいの小さな案件が多かったが、どうも単価が低くリスクに見合わないため、思い切ってターゲットを大きくしたのだった。

 資産の全部とはいかなくても、一部でも手中に収めることができれば将来は安泰だろう。

 しかし俺の身体には盗みのスリルが染みついてしまっている。忍び込む瞬間、獲物を鞄に詰める瞬間、警報を背に聞きながら家主に見つかる前に退散する瞬間。額がデカければデカいほどそれに伴う緊張でこの身が焦がれていく。俺は俺の美学を持って盗みを働くのが生きがいだと言っても過言ではない。

 女はそんなことには一切興味がないといった風に「いいや」と一言で否定した。

「君と話がしたいと思ってね」

 ますます分からない。俺自体に興味があるということか。俺もあんたの身体には興味があるけどな、と口には出さずにそのはち切れそうな黒いスーツの胸を見る。見れば見るほどいい女だ。

「君はひとりでやるのか。これからも」

 彼女の言葉に一瞬違和感を抱きつつも、俺はそれをコーヒーで飲み下した。

 俺と組もうってのか。やれやれ、今まで幾らも女を抱いてきたが、こうも脈がなさそうに見えるのに積極的になる奴はそういない。飄々としているくせに、その実俺に惚れてやがるのか。

 だが無表情を崩さない女に、俺は「当たり前だろ」と笑った。

「群れてでしか行動できない奴は三流、だからな」

 長い指で小さな顎を摩り、彼女は黙って聞いていた。表情が読みづらい。お澄まし顔も過ぎれば退屈だ。が、こういう女を押し倒して余裕をなくさせるのも悪くない。まったく良い拾い物をした。仕事の後が楽しみだ。

 逸る思いを呑みこみ、俺は面の皮に余裕を塗り込んで運転席の扉に手を掛ける。ポケットの中のアラームが震えていた。

「さて――そろそろ仕事の時間だ。続きはその後、ベッドの中で聞かせてやるよ」

「そうか。それは……残念だ」

 髪を掻き上げる女の言葉に眉根を寄せたその時。

 

「は?」

 彼らは手に手に中身を満載した大きなカバンを提げ、抜群のタイミングで滑り込んできた黒いハイエースに手際よく荷物を投げ込んでいく。恐らく中身は金塊、宝石、現金、美術品だろう。全て……全て俺が今夜手に入れるはずだったもの。

 いつから忍び込んでたんだ。まさか、俺がここに来る前から。

「忍び込む時間を決めていたようだがな、それは空想の中の怪盗なんかがやるものだ。プロならば事前にすべての調査と準備を整えた上で、家主が不在で手薄ならばいつでもやる」

「お前……仲間がいたのか……」

「人とつるむのを毛嫌いしていそうな君に、いくつかアドバイスをしよう」

 ふむ、と言った様子で俺を見下げる女。冷たい瞳だった。

「簡単に車の扉を開けられるな。エンジンをかけたままターゲット宅の前で待ち伏せするな。コーヒーのように臭いの残るものを口にするな。易々と己の仕事内容を明かすな。車のナンバーは毎回変えろ。そして――仕事はひとりでするな。チームでやった方が遥かに効率が良い」

 淡々と語る女の視線の先で、ハイエースのバックドアを閉め終えた男が手を挙げる。その合図に小さく頷いて、女は助手席の扉に手を掛けた。

「君は決して狼ではない」

 呆気にとられることしかできない俺に、彼女は言い放つ。

「狼は本来、群れで狩りをするものだ。野生の一匹狼は、ただの群れに溶け込めなかった負け犬だよ」

 言うが早いか女はひらりと降車し、俺が見守るその向こうでハイエースの助手席に飛び乗り、走り去っていった。テールランプはすぐに見えなくなった。彼らは無駄のない動きと鮮やかな手際だった。

 俺はこれまでの犯行を察知された上で、完璧に出し抜かれたのか――?

 状況を理解するより前に、後方からサイレンが鳴る。

 ――野生の一匹狼は、ただの群れに溶け込めなかった負け犬だよ

「あークソ……」

 女の残した捨て台詞を反芻しながら、呻くように呟く。遠吠えにはまるで及ばなかった。


 再び助手席と運転席を開けられ、俺は駆け付けた警察たちに取り押さえられた。

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