あわない人がいるから幸せを感じることもある

TiLA

あわない人がいるから幸せを感じることもある

 先日とあるチェーン飲食店でひとりご飯を食べていたところ、目の見えないお客さんが来られました。


 タッチパネルで注文するシステムのお店だったため、メニューを教えてほしいと大きめの声でお願いをされました。


 当時お店は少し混み合っており、店員さんは忙しくされておられました。すかさず近くに座っておられた女性のお客さんが彼にメニューを読んで聞かせてあげました。


 少し遅れて店長さんらしい方がやって来られて対応を引き継ぐと、目の見えないお客さんはその親切な方が、店員ではなかったことに気付かれ凄くびっくりし、感謝されていました。店長さんみたいな人もお礼を言っておられました。


 という良いお話でした。


 なのですが、私その日は少しやさぐれていたのでしょうね。

 ふとそこから考え始めてしまいました。


 私のような人間は困った人がいたなら助けてあげたいと、心の中では思うものの、実際には行動に移す勇気がありません。


 なので彼女の行動はとても素晴らしいことだと思いましたし、一方で意気地のない自分を恥ずかしく思ったりしました。


 しかし一方では無関心で全く気にしない人もいれば、目の悪いのにこんな店にひとりで来るんじゃねぇ、とか思ったりする価値観の人も世の中にはおそらくおられると思います。


 私のような心で感心していても自分で行動に移す勇気のない人間は、親切な彼女とはケンカにはなりませんが、一方で文句を言う人とも不快には感じてもケンカにまでは至らないと思います。


 ですが、おそらく親切な彼女とその文句を言う彼とが、まともにぶつかってしまうとケンカにまで発展する恐れがあるでしょう。


 これは正義という価値観が人によってそれぞれ違うからだと思います。


 ここでもう一つ例をあげます。


 同じように困っていた人がいて、親切に助けてあげた方がまたおられたとします。しかし、もしその方が更に、どうしてあなた方は見て見ぬふりをして助けてあげないんだ! と、周りにいた他のお客さん達を責めるようなことを言い出したりしたらどうでしょう?


 仮にさっき親切にしていた女性もそこにいたなら、ご自身はそこまでは言うような人ではなくても、その正義心の強い人とはケンカまでには至らないんじゃないかと思います。


 一方で、さっきは中間的なポジションで両方ともケンカになりそうになかった私の場合はどうでしょう? ことによっては、その親切の押し売りはどうなんだ? 周りにまで自分の正義感を押し付けるんじゃねぇ、とか言って、その日のテンション次第ではその正義心の強い人とケンカするかもしれません。


 結局、正義の価値観って持って生まれた性分と育ってきた周りの環境で、特に後者の影響が強いんではないかと思いますが、ある程度の年齢で固まってしまうものではないのかなと思います。


 そしてその環境も海を越え、違う国とかに行けばよりいっそう変わってくるかと思います。あと、生きている時代もですかね。戦国時代と今では違いますでしょうし、昭和と令和でも違うところが多々あると思います。程度はあれど。


 だから自分とあわない人がいて当然なんだ。それをひと言ふた言なにか言ったところで変えることなんてできないんだ。はじめから変わってもらおうなんて期待なんかしない。そんなの自分が疲れるだけだから。


 だって相手は悪くないんだもん。


 その相手を悪く思っている基準って結局は自分の正義感なわけでしょ? でも、その自分が当たり前だと思っている正義感だって、さっきの正義心の強い人から見ればケンカになるくらい十分ストレスフルなわけです。


 大多数ならそう思うだろうといった基準? マジョリティなら正義なのでしょうか? 戦争に反対していた当時のマイノリティの方々の意見はどうなるのでしょう?


 結局は相対的なものであるのだろうと思います。

 ただし、世の中には時代や国は違えど普遍的な正義は一定あるとは思います。親は子供を愛しますし、勝手に他人から奪ったり、傷つけてはいけません。それに反する行動を私たちは受け入れることができないルールは一定存在すると思います。


 話戻って、だからあわない人とはどう付き合っていくとか、その現実を自分が心で受け入れるとき、どう思えばしんどく感じないんだろうとか、そういうふうに考えるほうがいいんじゃないかって、そう思ったんですね。あわない人にわかりあえるようになってもらおうとか期待しないで。


 見方を変えれば、価値観の違う人がたくさんいるから、環境の変化があっても耐えられる多様性を兼ね備えているといえますし、それがイノベーションの源泉となっている部分もあるかと思います。それが自然なんだと。当たり前の世界なんだと。


 そう思ったとき、一瞬ちょっとだけ世界に自分がひとりぼっちになったような孤独感に襲われました。でも次の瞬間、これまでの人生で人とわかりあえたこと、そんな人と巡りあう奇跡が得られたこと、はじめはわかりあえないと、こいつとは無理だよと思っていた人とわかりあえるようになったときの感激、そういった思い出が走馬灯のように、幸福感とともに波のように押し寄せてきたのでした。


 あぁ、ほんとに自分は果報者で幸せなんだなぁ。でも、今こうやって幸せだと思えるのって、世界中に自分とあわない人たちがいっぱい生きていてくれたからなんだなぁ、とそう思いました。


 世界にひとりぼっちでもさみしいだけですし、みんながみんな同じ価値観でもつまらないですし、この幸福感は得られませんでしたからね。


 あわない人がいるから幸せを感じることもある、のお話でした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あわない人がいるから幸せを感じることもある TiLA @TiLA_k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る