3話


 


 羽田空港の近くにある同人即売会の会場は多くの客でにぎわっていた。

「……イラッシャイマセー」

 人がゴミのようにあふれかえる中、蚊の鳴くような声で接客(客もいないが)している花江を、霧香はすぐに発見できた。。

 なぜならば、彼女のサークルには人っ子一人おらず、来場者はみな素通りしているにもかかわらず、両隣の島では長い列ができているからだ。

 というか長い列のせいで花江のサークルが見えなくなっている。

「ううっ……やっぱ、むりなんだ」

 花江は嗚咽を抑えていた。開始一時間、購入者は現れず、胃が痛くなる。

 書籍の購入は、冬休みまで待とうか。長期休暇であれば時間ができるはず。

 早くこのイベントの時間が終わってくれないだろうか。

 そんな花江の隣に霧香はたたずんでいた。

「ねえ」

 花江はうつむいたまま。

「ちょっと」

 自分に話しかけられているとは気づいていない。

「売れ行きはどうなの?」

 バシッ、友人の声だ気づけ、と肩を叩く。

「うぇっ、ききき、霧香ちゃん!?」

 パンクな服装にバッチリメイクで霧香は花江を見下ろした。

「き、来てたんだ」

「全然売れてないみたいね」

 在庫の山を眺め、霧香はため息を吐いた。

「えへへ、力不足で」

「ちょっと椅子貸しなさいよ」

「え?」

 荷物置きとなっていた予備のパイプ椅子にどっかりと座る。

「私も、参加するから。無配で」

 どさっ、と置かれたのは漫画の同人誌。

「でもサークルの準備してなかったから、あんたのと一緒にしてほしいの」

「あ、大丈夫だよ。場所は貸すけど」

「断んな!大丈夫じゃないでしょ!」

「ひぇ」

 霧香は花江の同人誌に無理やり漫画を押し込む。

「あんたのとジャンルかぶせて一緒にできるようにしたんだから」

「なんで内容知ってて」

「あんたの宣伝SNS特定してんのよ!こっちは!」

「あれ霧香ちゃんなの?!」

「だからおとなしく受け取っときなさいこの善意!」

 パラパラ、と花江の同人誌の中身を確認し、霧香はよし、とうなずく。

「おら!渋沢栄一×野口英世!偉人BL漫画!科学史と共に100円!100円よ!」

 霧香の宣伝文句にサークル前を素通りしようとしていた何名かがばっ、と振り向く。

「やめてよ、霧香ちゃん、せっかくの漫画を無配なんて」

「だったらあんたは半年かけて作ったものを100円で売ってんじゃない!」

 花江は止めにかかるもむなしく、霧香の手により同人誌が一冊売れてゆく。

 チャリン、と100円が売上金として置かれる。

「売れたわよ。あんたの同人誌」

「……霧香ちゃんの漫画で売れたんだもん」

 しゅん、とした花江に霧香はぐぬぬ、とうなる。

 だったら、ともう一度花江の同人誌を確認した。

「科学歴史同人誌!日本の科学偉人のあーんなことやこーんなエピソードが満載!」

「そ、そんなの書いて」

「お世辞を本気にして渡米した野口英世のエピも収録!」

 霧香の言葉に吸い込まれるように一人二人現れる。

「か、書いたかもだけど……」

 結果二冊売れた。

「ほら、あんたの書いたものに興味を持って売れたじゃない」

「でも、偉人さんのネームバリューで……」

「あんたが調べなきゃ埋もれてた情報よ。いいかげん自信持ちなさいな」

「あぃたっ」

 バシバシッと猫背を矯正するように背を叩かれる。

「ほら、また来たわよ」

「へ?」

 霧香に持たされ花江は自身の同人誌(と霧香の漫画)を100円と交換する。

「あ、ありがとうございます!」

 ぺこぺこと頭を下げる花江に、購入していった男性は軽く会釈し去った。

「売れたじゃない。あんたの本が」

「あ、うぅ、う、うん……」

 集まった5枚の100円玉を見やる。

「う、売れたんだね、私の本」

「ええ、そうよ」

 友人のへたっぴな笑顔を眺め、霧香も笑みを浮かべながら次の客へと同人誌を売った。


「ご、ごじゅういち……」

 花江の指が震える。

「霧香ちゃん、百円が一枚多いよっ」

「印刷所が一冊多く刷ったのよ」

 霧香は段ボールに封入されていた明細を示す。50+1で刷られていると書いてある。

「そ、そっかー!」

 よかったよかった、と笑う花江をよそに、霧香はさっさと片づけを進めた。

 イベントは終了時刻を迎え、周辺はすでに撤退している。残り僅かな人に紛れ二人は会場を出た。

 51枚の100円玉に花江はほくほくとした顔だ。

「半分は霧香ちゃんのぶんね」

「無配って言ったでしょ」

 いやいや、と譲らない花江に霧香は折れる。

「ま、本来の目的は果たせるものね」

 2600円で本は十分に購入できるはずだ。特別帯付きの本が。

「ようやく、ようやく……」

 じゃらじゃらと音を立てる小銭を撫でる。

「帰りに本屋さん寄ろうね……ん?」

 にこにこの花江は、スマホの通知に顔をしかめる。

「どうかしたの?さっそく感想?」

 花江の表情に霧香は悪い予感がした。

「……おばあちゃんが、動物アレルギーって診断されたって」

「え?」

 最近咳が多く、今日はようやく病院に行けた。そしてその先でアレルギーの診断が下ったらしい。

「動物の毛とかがだめで」

「う、うん」

「だから羽毛布団もダメだって」

「えっと……」

「それで帰りに化繊の毛布買ってきて欲しいって……最近寒いから……」

 毛布っていくらくらいしたっけ。霧香は考えるのを辞めた。

 羽毛布団の代わりとなると安くはない。

「やっぱり私お金は」

「返さなくていいよ」

 食い気味に花江は答えた。

「霧香ちゃんのおかげで売れたんだもん。私だけじゃだめだった」

「でも」

「お金はあとで建て替えてくれるし、楽しみが少し伸びただけだよ」

 致命的ではないが、出鼻がくじかれるようなこの状況に、霧香は眉をひそめた。

「そう」

 だがうまい言葉も見当たらない。

 果たして、勉強も研究も、介護も家事もやりこなしている大学生がどれほどいるだろうか。

「そんな顔しないでよ」

 花江は霧香に笑いかける。

「私以上に大変な人はたくさん。ううん。大学にも行けるんだから本当に恵まれてるよ」

 くる、と前を向いた花江の髪が軽やかに揺れた。

「それに、今日は楽しかったよ。霧香ちゃんといっしょにいろいろできたこと。私は友達にも恵まれるんだって」

 恵まれている。花江の口癖。

 自身に言い聞かせるような口癖。

 それが霧香は嫌いだし好きだ。

「じゃあ、またやる?」

 だからどうせなら楽しいことをしよう。

「今度はちゃんと、二人で作って売って」

 お金にしよう。

 跳ねるような声。

 霧香の言葉に花江は驚いたように振り向いた。

 そして、少しの間を置いて笑う。

「うん……うん!私もまた、やりたいな」

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お金もねぇ!時間もねぇ!当面問題やるしかねぇ! 染谷市太郎 @someyaititarou

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