鬼宅部

星雷はやと

鬼宅部




「鈴木喜一郎です。宜しくお願いします」


 黒板を前に立ち、俺は形式的な自己紹介を口にする。


 両親の転勤により、この緑豊かな鬼土市に引っ越してきた。昔から転勤族と言われるほど、転校を繰り返しているため特に思うことはない。機械的な作業である。この高校にも何時迄居られるか分からない。


 俺に向けられる好奇の目線に気付かないふりをして、席へと着いた。





「はぁ……疲れた」


 溜息を吐きながら放課後の校庭を歩く。


 恒例の質問攻めに遭ったのだ。お祭りのように騒がしかったが、適当な返事を繰り返していると段々と沈静化した。これもいつも通りだ。慣れているとはいえ、人と接するのは億劫で疲れる。部活に入るつもりはない。帰宅をする一択だ。


「待って! おい、君!!」


 後方から男子生徒が大声を上げた。周囲には運動部が活動している、きっとその関係だ。俺には関係ないと思い校門を通る。


「待ってくれ!!」

「……っ!?」


 左肩を掴まれ強く後ろに引かれた。乱暴者が一体何の用だと、見上げるとウエーブのかかった茶色い髪の男が居た。肩で息をし、額には汗が浮かんでいる。何をそんなに急いでいたのか分からない。


「あっ……出ちゃったかぁ……」

「おい、何だよ」


 男は俺の足元を見ると溜息を吐く。俺は校門から数歩出ていたが、朝と違い遅刻など時間の制限はない筈だ。謎の男に掴まれていた肩を乱暴に振り払う。


「時間がないから簡潔に説明すると、君は過去最大に危険な状態にある。だから生き残りたかったら僕の言うことを聞いてほしい」

「……は? 何? 此処ではそういうのが流行っているのか? 俺が転入生だから、騙して笑おうとしているのか?」


 腕時計を確認しながら、突然意味不明なことを口にする男。伊達に転校を繰り返していない。こういう経験は何度かある。だから娯楽の少ない閉鎖的な土地は嫌なのだ。軽蔑するように目の前の男を睨む。


「違う! 本当だよ、お願いだから話を聞いて……!?」

「……っ?!」


 慌てた様子で男は再度口を開いたが、そのタイミングで学校のチャイムが鳴った。すると突風が吹き付け、湿った空気が体に纏わりつく。気持ち悪い感覚に思わず顔を顰める。


『遊ボウ……遊ボウ……』


 背後から響いた声に鳥肌が立ち、反射的に振り向く。学校前の信号の反対側に、赤黒い子どもの様な塊が立っていた。その塊は剝き出しになった白い歯を持ちその隙間から、子どもと老人の声を混ぜたような不透明で耳障りな声を発している。


「な……っ……」


 あれは一体何だ?数十メートル離れているのに、鉄臭くさが此処まで漂ってくる。異様な見た目と雰囲気に、その場を離れなければならないと分かっているが金縛りに遭ったかのように体が動かない。脈打つ赤黒い体に、規則正しく並んだ大きな白い歯から目が離せないのだ。


「マズイ! 逃げないと! 付いて来てくれ!」

「……っ!? はぁ? おいっ!?」


 男に左腕を掴まれると、体に自由が戻ってきた。そして男は俺の返事を聞かずに走り出す。聞きたいことが沢山あるが、今は逃げることに集中した方がいい。引っ張られながらも、俺は懸命に足を動かした。





「おい、なんだよ!? あの化物は!?」

「説明をするから、先ずは落ち着いてくれ。奴に気付かれてしまう」

「ちっ……分かったよ」


 赤黒い物体と遭遇し、謎の男に連れて旧校舎の教室に身を隠した。一段落したところで、俺は男を問い詰める。しかしまだ、危険を完全に回避出来たわけではないようだ。俺は口を閉じて床に座る。


「先ずは自己紹介からだね。僕の名前は鬼塚遊太。鬼土高校の二年生で君と同じクラスメイトだよ」

「………同じクラスなら自己紹介の必要はないだろう」


 爽やかな笑みを浮かべる男は、俺と同じクラスだと言う。しかし俺には全く覚えが無かった。興味がないからだ。俺の名前は朝礼時に伝えたから、改めてするものでもないだろう。


「宜しく、鈴木喜一郎くん」

「宜しくする気はない。さっさとあの化物について話せ」


 差し出された手を無視して、話の先を促す。俺は鬼塚と仲良くする気はないのだ。


「……それについてなんだけど、本当に申し訳ない」

「何の話だ? 俺はお前の所為で、巻き込まれたということだよな?」


 鬼塚は床に正座をすると、俺に頭を下げる。人の命を危険に晒す事態に巻き込んだ為に、反省と後悔をしているようだ。俺は優しい人間ではない。男に攻撃するように再度確認をする。


「う、うん。あれは『鬼』と呼ばれる存在で、『子』と『遊戯』をする為にやって来る異形の者だよ。『子』とは『鬼』と『遊戯』をする為の存在で、僕は今代の『子』だよ。『鬼』は土地柄の問題だと言い伝えられているから、この町で神社をしている僕の家が代々『子』の役割を担っているのだけど……」

「はぁぁ……俺は縁もゆかりもない土地だというのに、何故か『子』と認識されたということだな?」


 説明を聞き頭が痛くなる。俺は盛大に溜息を吐く、何が悲しくて見知らぬ土地の怪異に命を狙われないといけないのだ。八つ当たりに鬼塚を睨む。


「凄い! そうだよ! 喜一郎くんは頭が良いのだね、凄いよ!」

「別に……おい、大声を出すな。反省をしろ」


睨んだというのに、何故か立ち上がり喜ぶ鬼塚。先程、自身で騒ぐなと言ったといのに、全く緊張感のない奴である。こいつの所為で命をかけた騒動に巻き込まれかと思うと、非常に腹立たしい。


「あ、ごめんね」

「それで『鬼』は『子』と他の人間を識別することが出来るのか?」


 鬼塚が大人しく床に座りなおしたところで、本格的な質問をする。あの対峙した『鬼』には明確な殺意を感じた。巻き込まれたからには、徹底的に情報収集をして備えに限る。頼りないことに、現在この状況で頼れるのは諸悪の根源である男だけだ。誠に遺憾であるが、命には変えられない。


「それは、この『鬼除けの鈴』を皆は、お守りとして持っているからで……」

「あ? 待て、そういえば校門の時にお前が追いかけて来たな? 『子』同士は認識出来るのか?」


 澄んだ音のする小さな金色の鈴を一つ取り出した。鬼除け?そんな物が存在するならば、何故早く俺に渡さない。そもそも、校門まで何故鬼塚は追って来た?『鬼』と遭遇する前だぞ?如何して俺が『子』だと分かったのか?


「ぐっ……いや、それは……出来ないよ。基本的に同時代に二人は存在しない。『子』は一人だよ。その……転入生が来るって聞いたから、万が一ということが無いように、この鈴を渡そうとしたけど忘れちゃって……。大急ぎで追いかけたら学校から出ちゃっていて、『子』として認識をされてしまったという訳です……」

「……は?」


 鬼塚の言葉を聞き、俺は固まる。こいつが『鬼除けの鈴』を渡し忘れたから、この命をかけた非日常ゲームに俺は参加させられているのか。思わず低い声が口から出た。


「だって! この高校では全員部活に所属しているから、チャイムが鳴る前に出る生徒はまず居ない。『遊戯』時以外『鬼』は学校に入ってこないから、だから喜一郎も『子』として認識されることはないと思っていたら……転入初日なのに直ぐに帰っちゃうし、鈴も渡せていなかったからで……」

「お前は巻き込んだのではなく、大戦犯だということだな」


 確定である。鬼塚が主犯だ。なんてことをしてくれたのだ。地元で『鬼』について知っているくせに、渡し忘れたとかうっかりするな。この男は人命が掛かっていることを理解しているのだろうか。


 それにしても気になる点がある。先程、鬼塚は『鬼』は土地柄の問題だと言い伝えられていると言っていたが、俺の親戚にこの町の出身者はいない。血縁関係が『子』としての認識でないならば、何が『子』として認識される基準なのだろう。

 一つ考えられるのは、『鬼』に視認されることだ。だが、鬼塚に校門で止められた際には既に『子』になっていた。『鬼』の出現はその後である。鬼塚の言葉を信じるならば、学校には入れない。では俺は何時、何処で『鬼』に『子』として認識された?タイミングが分からない。


「なっ!? 皆がクラスで話しかけても、適当な返事しか返さなかったくせに……」

「はぁぁ……黙れ、大戦犯。それで、お前が鈴を持っているのに追われたということは……今更、俺が持っても無意味だということだな?」


 再び溜息を吐く。確かにクラスでは適当に過ごしていた。過ぎたことは忘れよう。『鬼除けの鈴』について確認をする。これが使えれば俺は平穏な生活を過ごせるが、鬼塚の前例がある為望みは薄い。一種の賭けである。


「……うん、そうだね。効果はないと思う」

「で? 具体的な対策方法はあるのか? 代々『子』を担っているのだろう? 『鬼』は倒せないのか?」


 予想通りの肯定。避けることが出来ないならば、討つしかない。せめて苦手な物でもあれば良いが期待は出来ない。


「対策方法は殆どないよ。『遊戯』中に『鬼』から全力で逃げるこれだけさ。討伐は考えたことも無かったな……因みに僕は分家の捨て駒の『子』だから、神社に行っても無駄だよ」

「あ? 何だよ、それ……」


 今代の『子』からの情報は絶望的だ。唯一の頼みの綱である神社には、助けを求めることは出来ない。現時点では、逃げの一手しかない。時代錯誤の言葉に、思わず低い声が口から出た。


「……喜一郎くんも『鬼』を見ただろう? 異様な雰囲気だけど、身体能力も異常だ。『鬼』のそれぞれの『個性』の『遊戯』は正に初見殺しってやつだよ。そこに大切な跡取りを『子』としては差し出さない。その為の僕さ、僕がダメになったら別の分家から『子』が来る」

「おい、ムカつかないのかよ……人に自分の人生を決められて」


 諦めたように笑う鬼塚に苛立ちが募る。他人に良いように扱われて反抗しようと思わないのか、だがそれは俺もそうだ。両親の度重なる転勤に振り回されている。その所為でクラスメイトの約束を散々反故にしてきた。反抗すれば何か変わったのかもしれないが、変わらなかったかもしれない。


「ははっ……毎日生きる事ばかり考えていたからな……」

「なら、意地でも生き残れ」


 鬼塚に苛立つのは、流されて生きる俺を見ているかのようだからだ。自分に言い聞かせるように、両手を強く握った。


「……うん」


 小さく呟かれた返事に少しだけ、心が軽くなった。


「……じゃあ、作戦会議をするぞ」

「え? 作戦? さっきの話を聞いていた? 滅茶苦茶な奴が相手だよ?」


 生き残る意思があることを確認し、作戦会議を始める。すると鬼塚は怪訝そうな顔をした。


「だからだ。今まで生き延びている『子』とイレギュラーな『子』が協力すれば、現状の打開策も浮かぶだろう? 先ずは『遊戯』について知っていることを説明してくれ」


 『子』の平均的な残存期間を知らない。鬼塚が『子』として優秀かも分からない。だが初見な俺より『鬼』に対して経験と知識がある。そこに俺というイレギュラーの『子』が合わされば、何かを起こせる可能性があるのだ。情報共有を提案した。


「えっと……学校を中心として、チャイムが聞こえる範囲が『遊び場』だよ。町にも逃げることは可能だけど、チャイムは開始時と終了時しか鳴らない。つまり正確な『遊び場』の時間と範囲は分からない。端に追い詰められた場合、見えない壁にぶつかり詰むことがありえる。だから比較的に融通の効く学校で『遊戯』を繰り返している」

「『遊戯』が行われていない時に、範囲外に出れば『鬼』は近づいて来ないだろう。『鬼』は『遊び場』でしか活動出来ないのだろう?」


 中々に厄介な『遊戯』のようだ。一旦、戦闘の考えを捨て『鬼』を回避する方法を模索する。この情報を得るまで一体、何人の『子』が犠牲になったのだろう。そんなことが一瞬、頭の隅をよぎった。


「それが、駄目だ……過去にそう考えた『子』も居たらしいけど、行方不明になったらしい」

「つまり、『遊戯』の予定があるのに逃げることは許さないってことだな?」

「……うん」


 俺にでも思いつく考えは、既に試した後だった。行方不明の理由が『鬼』による制裁か如何か分からない。失敗例があり、不確定要素があるものは実行に移すことは出来ない。こちらは身一つしかないのだ。鬼塚も頷き、この案は捨てることにする。


「それで? 『鬼』を倒すことは出来ない。『遊び場』からも出ることが叶わない。じゃあ一生、『遊戯』を続けるってことか?」

「……いや、もしかしたらだけど……『遊戯』を告げるチャイムは高校で鳴って、それを中心にしている。だから高校を卒業したら、『遊び場』から正規に出ることが可能かも?」


 この土地に来たばかりの俺には、これ以上の案を出すのは無理だ。鬼塚を見ると、顎に手を当てて何やら考え込んでいる。少し待つと、恐る恐る口を開いた。話の内容は一番可能性のあるものだった。


「そういうことか……つまり『子』が卒業したら『子』ではなくなるということだな?」

「あくまでも予想と可能性の範囲内だよ?」


 鬼塚の予想は、高校のチャイムが鳴ることを考慮すると信憑性がある話だ。本人は自身がなさそうだが、信じてみる価値はある。希望の一筋だ。


「だが、一番可能性が高い。試してみる価値は充分にある。卒業まで生き残るぞ、鬼塚」

「分家の僕に分かるのはこれぐらいの事だけだよ……って、今名前を……」


 名前を呼ぶと、茶色い瞳を見開き固まる鬼塚。俺の発言が意外だったようだ。


「一蓮托生なのだから『お前』なんて味気ないだろう……」

「………うん、ありがとう。改めて宜しく喜一郎くん」


 鬼塚から差し出された手を今度は握った。






「はぁ……はぁ……」


 息を切らしながら、無人の旧館の廊下を走る。今日の『遊戯』が始まってから一時間ほど経つが、ずっと走り続けている為に肺が痛い。今日の『鬼』は特に厄介である。


 登校初日のあの日は『隠れ鬼』だったようだ。鬼塚と握手を交わした後に、チャイムが鳴り無事に『遊戯』から解放された。あれからは、鬼塚と一緒に過ごすようになった。唯一、『子』として『遊戯』を共有し共感出来る相手だからだ。

そして毎日のように『遊戯』に参加しているが、今のところ大きな問題もなく生き延びている。


「大丈夫かい? 喜一郎くん?」

「大丈夫と言いたいところだけが……キツイ……」


 隣を走る鬼塚が心配そうに声をかけてくる。この男、運動神経がとても良い。そして体力が底知れないのだ。『遊戯』に関して体力自慢が居てくれることは嬉しいのだが、同級生として少しだけ悔しく感じる。


「分かったよ。僕が『鬼』を引き付けるから、その間に少し休憩をしてくれ」

「了解、ありが……うわっ!?」


 鬼塚の提案に返事をすると、俺の足が限界を迎え前方へと派手に転んだ。腕を使い上半身を起こすが、両足には力が入らず痙攣をしている。これでは逃げ切ることは不可能だ。


「喜一郎くん!?」

「……くっ! 俺に構わず逃げろ、鬼塚!」


 驚く声と共に、鬼塚が足を止め屈んだ。だが今は足を止めている場合ではない。俺たちの後ろには、『鬼』が居るのだ。

今日の『鬼』は特に厄介な相手だ。こんな場所で対峙したら、負けるのは確実だ。倒れたまま、鬼塚に叫ぶ。


『色……イロ……次ノ色ハ……』

「……っ!?」


 金切り声のような声が鼓膜を揺らし、廊下の窓が一斉に割れた。無数の大小の腕が重なり合い、肥大化した白い物体がゆっくりと現した。その巨体が揺れる度に、風船を絞ったような耳障りな音を立てる。


これが今回の厄介な『鬼』だ。『鬼』にはそれぞれ、特殊な『個性』を持ち『遊戯』で『子』に縛りを与える。『子』は『鬼』の『個性』に特化した『遊戯』を早く見破らなければ、対峙した際に対処出来ずに終わる。


 今回の『鬼』は『色鬼』だ。今まで対峙した中で最高に相性が悪い。チャイムが鳴った時間も悪かった。旧館で作戦会議中だったのだ。旧館は物置と化している為、隠れる場所は多いが全体的に色が少ない。

 つまり今回の『色鬼』とは非常に相性の悪い場所での『遊戯』となってしまったのだ。場所を変えようとしたが、その巨体は予想外に緩急をつけては俊敏に動く。故に旧館からの脱出が叶わず消耗戦となり、俺の足が限界を迎えた。


『色ハ! アカ、赤! 赤ぁぁぁぁ!!!』

「逃げろっ! 早く逃げろ! 鬼塚!!」


 『色鬼』は悲鳴に近い金切り声を上げると、廊下いっぱいに広がる巨体を揺らし猛進したくる。俺には、この追撃を交わす体力も筋力も残されていない。だが、せめて鬼塚だけは逃がさなければならない。鬼塚だけならば、逃げ切る可能性は充分にあるからだ。


「喜一郎くん。大丈夫、絶対に君のことは守るよ。約束する」

「は……おい、鬼塚……」


 焦る俺とは反対に、鬼塚はその場に似つかないほど穏やかに笑った。場違いな表情に俺は呆然とする。何故そんな表情を浮かべるのか何故逃げないのか、言いたいことが沢山あるが名前を呼ぶことしか出来なかった。


『赤ァ! アカ、赤ァァ! アカ! 赤ァァ!!!』

「嗚呼、赤色なら此処にあるよ」


『鬼』の金切り声を制止するように鬼塚の静かな声が響き、皮膚が裂ける音と鉄臭さが鼻を刺激する。割れた硝子が一欠けら、床に捨てられた。


「さあ、喜一郎くんも掴んで」

「な……なんで……」


 微笑みながら鬼塚は俺の左手首を掴むと、自身の赤で染まった左腕を握らせた。触れた腕は生温かく彼が生きている証が、赤い傷口から絶え間なく溢れ出ている。それは、じわじわと彼の鼓動に合わせて俺の手を染めていく。


「ほら? 指定の『赤』だよ? まだやるのかい?」

『嗚呼ァァァァ……赤ァァァ……』


 鬼塚が挑発するような言葉を口にすると、チャイムが鳴る。『色鬼』は悔しそうな未練がましそうな声を上げると、白い霧に包まれて消えた。


「喜一郎くん、『鬼』は帰ったみたいだよ、良かったね」

「何が『良かった』だよ!? 何てことをしている!?」


 何事もなかったように笑う鬼塚に、俺は傷口を強く掴み腕を上げさせる。止血をさせないといけないからだ。怪我人を相手に些か乱暴かもしれないが、俺の胸中は大いに荒れていたから仕方がない。


「……え? 二人とも無事だったから、最善だったでしょう?」

「そうだが、だからって怪我をして言い訳ではないだろう!?」


 何てことは無いように笑う鬼塚に腹が立つ。ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、傷口に押し当てる。ハンカチを染める色に、眉間に皺が寄る。

 彼の機転により危機を回避出来たのは事実だが、その事態に陥ったのは俺の所為だ。鬼塚は俺に怒るべきである。


「見た目ほど深くない、軽傷だよ。それに……喜一郎くんだって、僕だけを逃がそうとしたじゃないか。『卒業まで生き残る』って、言ったのは君だろう?」

「っ! それは……そうだが……」


 拗ねた口調で追求され、俺は言い淀む。確かにあの時は、可能性が高い方を優先しようとした。それだけ心身ともに追い詰められていたのだ。


「僕はその言葉が嬉しかった。一人じゃないって、こんなにも温かくて嬉しいなんて知らなかった」

「……鬼塚」


 何かを思い出すように目を伏せる鬼塚に、先程の俺の選択が間違いであり彼を傷付けたことを理解する。こういう時、普通なら如何接するのだろう。俺には友達が居た経験がない。適切な接し方が分からず。ただ、彼の名前を呼んだ。


「……だからね。君の為ならこんな傷なんて、へっちゃらさ!」

「っ、お前……馬鹿だろう……」


 弾んだ声と共に、鬼塚が明るく笑った。こんな時でも、悪態を吐くしか出来ない俺は可愛げがない。


「そうだよ。僕は馬鹿だからさ、一緒に居てよ?」

「嗚呼、一蓮托生の……と、友達で相棒だからな。……遊太」


 鬼塚は俺の不安を感じ取ったようだ。伺うように右手を差し出された。怪我人に気を遣わせて如何するのだ。俺は言葉足らずで、相手に配慮しない。今更変えることは出来ないが、努力することは出来る。呼び名で表現することにした。


「……っ!? な、名前! う、嬉しいよ! ありがとう!」

「あ……うん……」


 茶色の瞳を輝かせると、向日葵のような元気な笑顔を向けられる。昔の自分ならこんな心境の変化は信じられないだろう。だが友達も悪くない。今ならそう思うことが出来る。


照れ臭いが温かな気持ちで、遊太に差し出された手を握った。





「そっちが増えるのかよ! 反則だろう!?」

「仕方がないよ、喜一郎。相手は『増え鬼』だよ?」


 俺と遊太は渡り廊下を走りながら叫ぶ。背後にはカラフルな首だけの丸い物体たちが追いかけてくる。本日の『鬼』である。


 遊太と出会い、『子』として数々の『鬼』との『遊戯』を生き延び一年が経った。そして今日は卒業式である。つまり俺たちはゴール目前なのだ。

 しかし『鬼』は『子』が『遊戯』から抜けることが気に入らないのか、卒業式目前でチャイムを鳴らし『遊戯』を開始した。最近はチャイムが鳴るタイミングはランダムになっていることから、『鬼』側が焦っていることが分かる。

 加えて今日の『鬼』は『増え鬼』だ。数で押す作戦のようである。相当余裕がないようだ。


「ちっ! ギリギリで、足搔くなよ! ゲームクリアはさせたくないってかぁ? いい加減、大人になれよ!」

「喜一郎、屋内は不利だ。この先の美術室に入ろう。準備室の窓から出て外に出て隠れよう!」

「了解だ、遊太!」

「行くよ!」


 少し前を走る遊太からの指示に返事を返すと、美術室に飛び込んだ。





「普通、卒業式当日にこんな露骨なことする?」

「さあ、ただ『増え鬼』たちを如何にかしないと、式に出ることは出来ないよ」


 美術室から脱出した俺たちは裏庭で、満開の桜の木々の中に隠れている。こんな状況でなければ、桜を背景に遊太と写真を撮りたい。


「そうだよな……でも遊太の予想が当たっていたことが証明されたな。卒業が『遊戯』から脱出する唯一の方法だった。流石だな、相棒」

「……そうだね」


 一年前の仮説が正しいと証明されるというのに、遊太の顔は愁いを帯びている。何か気になることがあるのだろうか。それとも具合が悪いのだろうか。

 この一年間で俺には体力が付いて、疲れて転倒することは無くなった。遊太も怪我をすることはなくなり、無茶をしないようになった。だが相棒に元気がないと心配だ。


「遊太? 如何かしたか?」

「………」


 『遊戯』中の為、周囲を警戒しつつ遊太へと近付く。出会った頃は変わらなかった身長だが、今では遊太は見上げるほどに大きくなった。俯く遊太の顔を覗き込もうと、右手を伸ばした。


「捕まえた」

「………は? ……遊太?」


 右手首を掴まれ、元気があるなら良かったと思う暇はなく。俺を見下ろす瞳が酷く濁っていることに気が付く。遊太はこんな瞳をする奴ではない。こいつは誰だ?


「ふふっ! これで喜一郎も『鬼』だね!」

「……っ、離せ! 何を言っている!? 遊太は如何した!? まさか、入れ替わったのか!?」


 口を三日月のような弧を描くと、目の前の男は意味不明なことを口走る。乱暴に腕を振り払い男の手を外す。

 ただでさえ『遊戯』中であり、相手は『鬼』の数が増える『増え鬼』だ。だが他にも『鬼』が追加される可能性はある。今日は特に『鬼』側がイレギュラーを起こしているのだ。『鬼』の『個性』により、姿を変えることが出来る『鬼』が居てもおかしくはない。

 

 だがそうすると、遊太は……。


「違うよ。僕は正真正銘、鬼塚遊太さ。ほら、本当は君が一番分かっているじゃないのか? 喜一郎?」

「……っ!?」


 最悪の考えが頭を過ると、目の前の男によってそれは否定される。ワイシャツが捲られた左手には、あの時の傷跡があった。つまり目の前の男は、遊太本人である。全て騙させていたのだ。

 芯が冷めていくのを感じながらも、ずっと完成しなかったパズルの一ピースが嵌った感覚を覚える。


「……なるほどなぁ……。だが、これで合点がいく。俺を『子』として認識したのはお前だな? 遊太」


 転入初日に感じた気になる点の正体は遊太だ。


 『鬼』は土地柄の問題だと言い伝えられているが、俺の親戚にこの町の出身者はいない。血縁関係が『子』としての認識でないならば、何が『子』として認識される基準は何だろうかと考えた。

  その中で思いついたのだ『鬼』に視認されることだ。だが、鬼塚に校門で止められた際には既に俺は『子』になっていた。『鬼』の出現はその後である。遊太は『鬼』は『遊戯』時以外は学校には入れないと言った。では俺は何時、何処で『鬼』に『子』として認識されたのか?


 答えは簡単だ。遊太が『鬼』で、俺を『子』として認識したからである。


「ふふふっ! 大正解だよ! 喜一郎! 流石だね! 素晴らしいよ!」

「補足を入れるならば、お前はこの土地に祀られている特別な『鬼』だろう?」


 子どものように無邪気な笑みを浮かべる遊太に、確信的な言葉を告げる。


「……へぇ、そんなことも分かるのかい?」

「他に『子』が居ないからと言って、情報を開示しすぎだ。分家の捨て駒の設定の割には、知り過ぎている。神社を避けさせたのも、不自然だ。なんだ? 社にお前の根源的な物であるのか?」


 俺の発言に表情を消した遊太は、濁った瞳で俺を見下ろす。赤子に言い聞かせるように、一つ一つ失敗を指摘する。初めての友達だと、相棒だと思った相手を前に俺の心は静かだ。


「ははっ! 凄いよ! 本当に! でもそこまで、分かっていて何故、逃げなかったのかな? 僕の言葉を信じたの?」

「逃げられないようにしたのはお前だろうが。信じた……いや、信じたかったのかもしれない……。遊太は、生まれて初めて出来た友達だったからな……」


 何時もと変わらない笑顔の後に、心底不思議そうに首を傾げた。思わずその表情に笑う。今は一挙手一投足が生死を分ける、人生最大の危機だということは分かっている。だが『鬼』のボスである存在が、変なところで察しが悪いのがおかしくて仕方がないのだ。

 危機的状況なのに、笑うなんて俺はきっと可笑しくなってしまったのだろう。


「僕だって! 喜一郎は特別な相棒だと思っているよ!? 嬉しかったよ!? でも、もっと遊びたい! もっと一緒に永遠に遊び続けていたい! それには喜一郎に、こっち側に来てもらわないとなんだ!!」

「餓鬼が……」

 

 狂気的な瞳を輝かせ熱弁を振るう様は、大きな子どもが駄々を捏ねているにしか見えない。


「だって、僕ら『一蓮托生』の『友達』で『相棒』だろう?」

「どうせ拒否権はないだろうが……」


 疑問形ではあるが、有無を言わせない圧を放つ遊太。この場において俺には拒否権はない。両手を上げて、降参を示す。逃げ道を完全に塞いでおいて、意見を聞くなど何を考えているのだ。


「歓迎するよ『鬼』一郎」


 晴れやかな笑顔と共に、右手を差し出された。


「このっ……やろぅ……」


 せめてもの反抗に強く遊太の手を握ると、目の前が真っ黒になった。





「ほら、鬼一郎。新しい『子』が来たよ」

「………」


 ぼんやりとする視界の中、遊太が指さす先を追う。すると、其処には他と違う制服に身を包んだ『子』が居た。何故か酷く叫びたい感覚を覚えたが、直ぐに消える。


「あの『子』で、一緒に遊ぼう!」

「うん!」


 優しい笑みを浮かべる、遊太が俺に手を差し出す。何もかもどうでもいい、ただ遊太とずっと一緒に遊べればそれで良い。遊太の手を握った。

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鬼宅部 星雷はやと @hosirai-hayato

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