魔法少女は退廃になる

海沈生物

第1話

 最近心が疲れてきた。「健康のために野菜を毎日食べる」とか「仕事を上手くするためにビジネス書を読む」とか、社会生活において「大切」と言われていることをするのが嫌になってきた。どうせ百年経てば全てが無意味に還す人生であるのに、どうして頑張る必要があるのだろうか。


 別に「健康寿命を延ばすため」とか「老後の資金のため」とか、そういった合理的な理由が欲しいわけではない。これだけ頑張ったとしても、私は明日突然死ぬかもしれないのだ。そうなった時、私は自分の人生に「後悔」を抱く羽目にならないのか。


 死ぬ時に後悔を抱く羽目になるぐらいなら、自分の好きなことをやった方が良いのではないか。例えば、幼い頃の夢だったバッ〇マンみたいな「ダークヒーロー」になって悪人を退治するとか、かつての初恋相手に再アタックしてみるとか。


 そんなことを悩んでいた、ある日の夕方のことだ。私の家にポニーテールの女がやってきた。女は酷くやつれた顔をしていて、目には酷いクマが見える。まるで繫忙期の私を鏡で見ているようだなと同情の半笑いを浮かべた。


「あのー何かご用ですか?」


 どうせ保険の勧誘なんだろうなと思う。ただ、そんな気持ちを表に出して嫌な顔をするのも可哀想だ。そう思って「仕事」の時の顔で対応することにした。だが、彼女はそんな私の気遣いを無視して、突然私の服の袖を掴んできた。ギュッと掴んできた手の力は人のモノとは思えないほど強い。振り払おうにも振り払うことができなかった。


「おおおお食事時の時間に失礼します! 単刀直入に申しますが、あの……私と一緒に魔法少女をやりませんか!?」


「あっ……すいません。宗教勧誘は断っているので……」


「ちちち違います! 違います! 宗教勧誘じゃないんです! 魔法を使って世界を救うだけの仕事なんです! 誰でもない貴女に魔法少女になってほしいんです!」


 ふと彼女の目を見ると、そこには狂気と表現するしかない感情が見えた。感情なんて見えるものではないのだが、明らかに目がラリっている人間のそれだったのだ。この知らない女は、もしかすると怪しい宗教に嵌められて、ずぶずぶに脳を宗教思想に汚染されているのかもしれない。そんな憶測に頭を悩ませていると、突然彼女が手を放してくれた。


 一体どうしたのかと思って彼女を見る。初恋の相手みたいに白い肌の左手と右手をぱっちり重ね合わせる。重ね合わせた手をゆっくり離していく。すると、どうしたことだろう。彼女の手と手の間に丸い水が生成されたのである。目を擦ってもその夢のような現象は消えることはない。そっと触れてみると、ぱんっと丸い水は弾けた。ただ私の触れた手は濡れていて、目の前で顔を赤くした彼女の掌もびしょびしょだ。


「こここれで……認めて、くれますか? 私と一緒に魔法少女、やって……くれますか?」

 

 彼女は赤くなった顔を両手で顔を覆いながら、なんとか必死に私へ尋ねてくる。

 正直なりたかったのは、バッ〇マンみたいな「ダークヒーロー」だ。ぴちぴちのスーツに身を包み、孤高の中で人を助けるヒーロー。だが、魔法少女だって「ダーク」ではないにしても十分に「ヒーロー」足り得る職業である。


 ただここで妥協したのなら、私は自分が死ぬ時に「後悔」を抱くことになるのではないかという懸念があった。魔法少女だって実在したのだ。もしかすると、あと一年もすればバッ〇マン的な「ダークヒーロー」にならないかという勧誘が来ることだってあるかもしれない。私がどうするべきか決めあぐねていると、徐々に彼女の顔が暗くなってきた。


「あの……やっぱりダメ、ですよね。そうですよね。いくら月に数回とはいえ敵を倒すのには命の危険を晒す必要がありますし、忙しい日常の中でこんなキャリアの足しにもならないようなこと、やりたくないですよね……すいません。このことはもう、わす―――――」


「―――――ああもう。やるわよ、やればいいんでしょ? 私も前から魔法少女になりたかったし、ちょうどいいわ」


「ほほほ本当ですか!? それじゃあ、この契約書にサインを―――――」


 彼女がポケットから出してきた契約書とペンを奪い取ると、さっさとサインを済ませてしまう。それを彼女に突き返してやると、突然彼女は泣き出した。


「ありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございますありがとうございます」


「怖い怖い怖い! そんなお礼を言わなくてはいいわよ。最後に決断したのはあんたじゃなくて、私の方なんだから」


 そう言って止めようとしたが、彼女はお礼を言うのを止める気配はなかった。こういうのは経験上、無理に止めても無駄だ。お礼を言う装置と化した彼女を見下しながら、私は「あはは」と毒にも薬にもならない笑みを浮かべていた。



―――――それから、私は会社員兼魔法少女(明らかに少女という年齢でもないが)として生きることになった。



 魔法少女としての仕事は思っていた以上に過酷だった。就業中・睡眠中問わずに敵が発見されると、問答無用で白い光に包まれ、特別なフィールド(結界)の中で戦わなければならなかった。その中にいる間は時間が経たないものの、彼女曰く、あくまでも「結界の力で体感時間を遅くしている」だけらしい。敵を倒せば結界は解除されるが、戦闘後も疲労は受け継がれてしまう。


 一度取引先での仕事中に召喚された時などは、帰宅後に酷い疲れからその場で爆睡してしまうことをやらかしてしまい、仕事が一つ流れてしまったことがあった。そのことを誤って彼女に口を滑らしてしまった時などは、泣きながら「やめないでください! 私が取引先を増やしてきますから!」と無茶なことを言っていた。


 だが、そのような大きな失敗があったとしても、私はこの魔法少女という仕事を辞めなかった。それは普段のお金を稼ぐための社会人としての仕事よりも、このお金を稼がない魔法少女としての仕事の方が「やりがい」を感じたからだ。もちろん「やりがい搾取では?」と言われたら、それはまぁそう、と思う。


 ただどうしてもお金というものが介してしまうことから楽しくないこともしなければならない仕事と違い、報酬が「彼女と一緒に戦うのが楽しい」だけでやる趣味みたいな魔法少女は、利益を出すことを考えなくていいという点で心がとても楽だった。仕事しかなくて心が疲弊していた人生に、ゆとりが生まれたような気がした。


 だが、幸せというものは長くは続かないものである。


 ある日の夜、睡眠中に結界の中に召喚された。外の寒さで目を起こされた私はすこぶる機嫌が悪い。さっさと敵を倒してベッドで寝直そう。そう思って周囲を見たが、どこにも敵はいなかった。ただそこにあったのは、ボロボロになった町とその上に立っている彼女の姿だった。


 五年前に作られた町のシンボルの時計塔は真っ二つに割られていた。昔あった商店街を潰して作られた大規模商業施設があった場所には、ぽっかりと大穴だけが残っていた。ただ、ちょうど小学生の頃に好きな女の子に告白しようとしてすっぽかされ小学校の屋上だけが残っていた。その上に彼女の姿があった。

 私は両手と重ね合わせて銃を生成すると、後ろのポケットに差しておく。そうして、彼女の背後まで歩を進めた。


「これは……貴女が、やったの?」


 私の声を聞くと、彼女は静かに頭を縦に振った。


「そうです。私がやりました」


「ど、どうして……?」


「理由は簡単です。貴女と一生添い遂げたいから、です。貴女が好きだから、この町をめちゃくちゃに破壊して結界を発生させました」


「添い遂げる……? 貴女、もしかして私のこと……」


「はい、好きです。この町を破壊するのが惜しくないぐらいには好きです。魔法少女になったのだって、昔からヒーローが好きな貴女といつか出会えるかもしれない、と思ったからです」


「昔……? 私たち、一体どこで」


 その言葉の返事を返す代わりに、彼女は両手を重ね合わせた。そっと手を離していくと、彼女は青い薔薇の花束を生成する。その花束を両手で持つと、目の前の私に差し出してくる。


「私は貴女に昔、この場所で告白されかけました。でも、怖くて逃げたんです。あまりにも都合の良い展開に、これは誰か……クラスのヒエラルキーの高い人たちが、私を嵌めて遊んでいるんじゃないかって。でも、もう逃げません。私は貴女に”好き”って感情を、ちゃんと今、伝えたいんです!」


 彼女はゴムを外し、髪をおろした。その姿を見た時、私は「全て」を思い出した。彼女は……確かに、私が告白しようとしていた、初恋の相手だった。あの時はすっぽかしてきた相手こそが、今目の前にいる彼女なのだ。

 

 私は彼女の目を見た。そこには狂気しかなかった。その瞳には私しか映っていない。私という存在に縋り、それしかなくなってしまった、哀れな生き物ヒーロー。けれど、私のことを最も思ってくれているであろう相手。私がこれからどんなことをしたとしても、きっと受け入れていれるのだろう。


「……はぁ」


 私は彼女の青色の薔薇の花束を受け取った。この選択は確実に間違っている。きっと、私は彼女を切り捨てるべきなのだ。それなのに、私は彼女の花束を受け取った。間違っていると理解している選択肢を、自らの手で選び取った。今すぐ彼女を殺して結界を解くべきなのに、私は彼女の存在を受け入れてしまった。

 これは最も愚かな行為だ。これから、もはやどうなるのかわからない。突然結界が消えて、私たちは町を滅ぼした大悪党になるかもしれない。


 けれど、それで良かった。今の私の心はとても満たされていた。彼女がくれた魔法少女になれるというチャンスが、私の破滅しかない人生を変えてくれたのだ。だから、彼女が望むのなら地獄だって一緒に行ってあげよう。彼女が望むのなら、どこへでも行ってあげよう。


 いずれ未来に来たる破滅に背を向けると、私たちは荒れ果てた町にデートへ出かけた。

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