第33話


「君がリアムくんか。失礼。私はこの屋敷の主人代理、ヴィンセント・ブラッドフォードだ」

「リアムです。此度の突然の訪問、お受けいただき誠にありがとうございます。そして不躾ではありますが何分一介の平民の身、先の件を含めましても礼儀がなっていないこと、どうぞお許しください」

「許そう。娘から君の話は聞いている。出迎えが私ですまないな。共に出迎えたかったのだが、何分、昨日外から帰ってきた娘の様子がおかしい。もし何か原因を知っているのであれば、どうか少し私に時間をくれないだろうか」

「もちろんです。ヴィンセントさん、こちら手土産です。シンプルな焼き菓子ですが、友人から勧めてもらった品です。一度、私も食しましたが美味しい品です。是非、お召し上がりください」

「これは気を遣っていただきありがとう。では話がてら、茶の供としてこちらをいただこう。バット、茶の準備を」

「はい、それでは準備して参ります」


 屋敷の応接室に通されるまでもなく、玄関で迎え応じたのは、エリシアの父、ヴィンセント・ブラッドフォードだった。

 黒い髪に白い肌、血のように真っ赤な目の映える英気を携えた紳士だと見受ける。

 ヴィンセントの丁寧な応対で、応接室へと通された。


 会話が始まると、僕は昨日のことを根掘り葉掘り包み隠さずヴィンセントに話した。


「委細承知した。ただならぬ様子であったが、遂にやってしまったわけか」


 ヴィンセントは、話の内容を瞼の裏で反芻するように目を瞑る。

 

「あの、やってしまったというと原因ははっきりしているのでしょうか?」

「なんだ、娘は何も話していないのか?」

「お話によるかもしれませんが……」

「それは迷惑をかけた。であれば、娘に君の言葉は相当応えただろう」


 再び目をつぶって、感慨深そうに呟く。

 言い回しからして、僕の無知が彼女を傷つけた可能性があるのだろうか……そう思うと、少し落胆してしまう。


「すまない。なに、君を責めているわけではないよ。むしろ君の怒りは正しい。娘に信頼されていないというわけでもないだろう。そういった類の話ではない……エリシアの豹変については、ブラッドフォードという家の根の話だ。これから私が話すことは少々込み入ったものとなる。娘の将来にも関わる重要なことでもある……聞いてもらえるだろうか?」

「……聞かせてください」

「ありがとう」


 ヴィンセントは自らの出自と、ブラッドフォード家に生まれたエリシアについて、語り始める。


「私の父は魔族。それも魔国の大地7界の一つ、血界を統べるブラッドレイク家の吸血種に連なるものだ」

「……そうだったんですね。お祖父様が、すごい魔族だということだけは、エリシアから聞いたことがありましたが……」

「そうだ。魔族の父と人族の母は、100年前の聖戦にて勇者の傍で活躍し、死線を超えて結ばれた。母はアウストラリアの名家、火の精霊王パワーズ有するハワード家の派閥に属するヴィアー家の出自だった。一方で、雷の精霊王パトスと契約していた当時のアウストラリア王とも共闘し、父はアウストラリアの一代貴族として招かれた。ヴィアーより領地も割譲され、ブラッドフォードを領地の名、また、家名とした」

「では、ヴィンセントさんは、人族と魔族の血を引いているんですか?」

「私は人族と魔族のハーフ。そして我が妻もまた人族であり、エリシアは魔族と人のクォーターとなるわけだ」


 ヴィンセントの父にして魔族であるエリシアの祖父ブラックは、昔、人族と魔族の戦乱の時代に現れた勇者に惹かれ、正光教会の使節団に参加した。

 魔国との和平の後は勇者とともに咎竜を屠り、その功績が認められて当時のこの国の王より名誉貴族として男爵位を賜った。

 好色家かつ放浪癖があるため現在は家に姿を見せることもなく放浪している。

 ブラックの代わりにヴィンセントが代理として家をしきったり、エリシアの祖母に当たるローズは魔国のブラッドレイク家に身を寄せていたり、現在は魔道具などを取り扱う商売を担っていることなどをヴィンセントは語る。


「……まったく困ったものだよ」


 ため息をつくヴィンセントからは、哀愁のようなものが感じられる。


「お疲れ様です」

「ああ、気遣いをありがとう。すまないな。余計な愚痴を零した」

「いえ、僕でよければいつでも付き合いますよ。お酒にだらしない筋肉男と腹も血も臓物も全て黒色男の愚痴をしばしば聞いてますから」

「そうなのかい?では、次の機会にでも頼むとしようかな」


 ヴィンセントは表情を綻ばせた。

 果汁100%のジュースでも奢ってもらおう。


「それでは、我が家の成り立ちに軽く触れたところで、ここからが本題だ。君は、魔族の種族癖については知っているかな?」

「いいえ、初めて聞いた単語です」


 魔族の種族癖。

 残念ながら僕はまだ魔族の特性や世俗を習っていない。


「魔族はその昔、魔物が進化し、分類学的に言えば人と魔物の中間をなすような存在だと言われている。故に、魔族の中に魔物の時の名残を大きく残している者も結構いてね」


 ヴィンセントは、魔族の起源から丁寧に説明を始めてくれる。

 人族を基準とすれば、エルフやドワーフといった妖精族が精霊寄りであるのに対し、魔族は魔物寄りの存在であるらしい。

 妖精族は神に仕える精霊と、人という種の中間に当たる存在であるという話はエルフであるマレーネにこそっと聞いたことがある。


「魔族に伝わる7つの罪源、高慢・貪欲・嫉妬・怒り・色欲・貪食・そして怠惰。それらを体現したものはやがて死を経て悪神のイドラ様の元へと召され、更に高位の存在として昇華されるという古き伝承があり、一部の魔族には現在もこれらを利用してみせることで強さを得ようとするものもいる。このように──」


 両の掌が天井に向けられると、席を立ったヴィンセントの手に立派な装飾の施された鎌が握られた。


「これは魔装と呼ばれる高位の魔族が持つ一種の武器。エリシアが出したという不完全な闇の鎌を、完全に具現化したものだ」


 すごい。

 召喚されたのか、創造されたのか、これまで僕がみたことのない神秘性を持った新しい魔法だった。


「他にも私は体の一部を霧に変えることも可能だ」


 鎌を霧散させ仕舞うと、ヴィンセントは再び席に着く。

 

「一方で、高位の魔族ともなるとそれが誘因的に引き起こされる現象が起きる。それが魔族の種族癖。渇く欲を満たし続けなければ、表出した罪源に思考が支配される」


 種族癖とは、魔族の一種の属性であるらしい。


「話を聞いた限りでも、エリシアを襲った変化はそれだ。私たちの種族癖は血にまつわるもの。欲望を満たせなければ特に高慢と色欲が引き起こされる傾向がある」

「昨日のエリシアは……ゴブリンに対して執拗なプライドを翳し、暴走してからは他の罪源が一気に解放されたような印象を受けました」

「客観的な意見をありがとう。だとすると、気絶した後に魔力を含んだポーションを飲んだことが良かった。魔力は生命エネルギーの根幹をなす一つだからね。昂ぶった魔族の魔力がそれで薄まったのだろう」

「それじゃあやはりエリシアは、その欲?というものを満たすことができずに暴走してしまったと?」

「……申し訳ないことをした。あの子にも、君たちにも」


 これから先に鼻先を突っ込んでもいいことはないと考える。


 なぜ、エリシアをロガリエに行かせたのか。

 なぜ、種族癖を緩和するような対応をとっていないのか。

 なぜ、9歳の僕がこんなに理性的に話を進められるのかと聞かれても、僕は答えられない。


「君にこのような話をするのは大変心苦しい。同情を誘うようでね。しかし、これから君の協力が必要だと、私は考えている。覚悟して、聞いて欲しい」


 憂うことなど、しないで欲しい。

 ヴィンセントのただならぬ佇まいと、後ろに控えている執事のバッドがハンカチで目元を押さえているのを見ると、事の重大さがひしひしと伝わってくる。


「わかりました」


 僕は傷つけられたが、傷つけもした。

 エリシアとの関係を修復するためならば、彼女の重荷を知る事も怖くない。 

 受け止めるための覚悟もしよう。


「君に話した魔族の種族癖。それが私たち一族には、求血期と呼ばれる形で現れる。要は自らの罪源を縛ることのできる血を求め、満たさなければならぬ欲が体調の変化としてに現れる時期。それが一定周期で訪れ、その間に自分と相性の悪い血の匂いを嗅ぐだけで目眩を起こしたり、思考能力が低下したりもする」


 点と点を線でつなげて、重なった点を注視する。

 魔族の種族癖、罪源の衝動、ブラッドフォード家の求血期とその症状。


「そしてそれを解消するには自分と相性の良い者の血を、吸血行為によって体内に納めなければならない。私は、エリシアに君の血を提供してもらいたいのだよ」


 献血、みたいなものだろうか。


「血を提供すればいいんですね?」


 血なら、いくらでも抜いてきた。

 ダリウスから、度数の高いお酒でもかっぱらってくるか。

 蒸留すれば、消毒液が作れる。

 

「ありがとう……」

「……まだ、何か問題があるんですか?」

「……これは、大事な契約事項だ。包み隠さず話そう」


 契約?


「私たち吸血種の血を引く者は、求血期が訪れて一度吸血行為を行うと、同時に吸血者と提供者の間に魔力契約が生じる。血の盟約だ。我々は種族癖を満たすために吸血の際に特殊な魔力を纏い、提供者の魔力と血を混ぜ合わせて自分の体内に宿す。そして、宿した提供者の血は我々の欲を縛ると同時に、魔力も縛る。そうして、両者の間に魔力の繋がりが生まれる」


 ヴィンセントは、ワゴンに置かれたミルクピッチャーを手に取ると、紅茶の入ったカップにミルクを注ぐ。


「契約は血の提供者がこの世から旅立つ時まで続く。盟約により提供者が生き続ける限り、我々はその提供者の血でしか種族癖を満たすことができなくなり、また、提供者がいなくなった後は直ぐに新たな提供者を探す必要がある」


 カップの中身がスプーンでかき混ぜられる。


「魔族は生物界においては長命。平均でその寿命は500年ほどであるが、我が父は既に900を超えているらしい。故に今でも新たな出会いを求めて放浪している。エリシアは人とのクォーターであるから、常識に照らし合わせれば寿命はおそらく150〜200歳ほど。緩和された血のおかげで一度でも魔力契約を結びそれを成就した暁には善の神に認められ、もう種族癖に振り回されることもなくなる」


 カップに口をつけて山場を迎える前に一息、休まる。


「私の齢の離れた兄が一人、血の提供者を失った後だが、求血期を一度も迎えていない」


 ……待てよ、血の吸血者と提供者の間に魔力契約が生じるが、他種族の血が魔族の血に混ざることで求血期は一度乗り越えてしまえば再発しないのではないか。

 わざわざ、提供者の死について言及する理由はどうしてだ。


「魔装もそうだ。魔装は通常、純粋な魔族であれば生まれつき発現が可能なものだが、我々混血種は種族癖の欲を満たすことにより魔族の血が強く呼び起こされなければ自覚するきっかけには至らない」


 煩わしいだろ? と自身の種族について憂いを見せる。

 だが、それだけを聞くと、魔族混血は純粋な魔族に劣るかと言われ、一概には評価できないと思う。


「しかし、デメリットばかりではない。例えば魔族はその特性上、魔と対をなす精霊魔法に弱いのだが、我々人種の血が混ざった者はその限りではない」


 そんなメリットがあるのなら、むしろ、混血である方がメリットは多い気もする。


「まあ、話を戻すとつまり、私たちの吸血行為とは己の欲を抑えるものであると同時に、儀式でもあるのだよ」


 儀式という表現に、思わず、顔を歪めてしまう。

 ぶっちゃけ、回りくどい説明が多いと感じている。 


「そんなに複雑そうな顔をしないでくれ。先ほども言ったが、我々の種族癖で顕になる罪源の類は高慢、そして色欲。高慢は君も目にしたかもしれないが、しかし色欲はまた毛色が違う。我々に現れる罪源の色欲は常に纏わりつき、求血期とそれ以外で多少の増減が見られるものの、その性質はいたって静か。表立って悪さをすることはないが、私たちに特別な感情をもたらす」 


 ヴィンセントは僕の感情を見透かしているのだろう。


「その感情とは恋。自分と相性の良い血を持つものを第六感で嗅ぎ分け、やがて惹かれていく」


 心臓の拍動が、深呼吸したような感覚に襲われた。


「恋……」

「エリシアにはその自覚症状があったのかどうかは分からないが、家で君の話をする娘の姿はまさにそれであった。恋は人を盲目にする。もしかすると君の前で時折、頬を染めてはおかしな行動や態度をとったりしたことがあるのではないかな?」

「自意識……過剰でなければ」


 ないとは言えない。

 顔が熱くなる。


「ですが、もし仮にエリシアが僕に惹かれていたとして、それは本当に好意を抱いていることになるんでしょうか。その、それは、結局魔族という種族の本能的な野生に支配された状態と変わらないのでは」

「私も同じ種族癖に苦しめられ、今の妻と巡り合った。妻との出会いを喜びこそすれ、疑問に思うことはない。故に、私は恋とはもっと根幹的な部分で生まれる感情、動物的なものであり、直感的なものであると信じているよ」


 ヴィンセントは、ジっと僕の目をみる。


「でも……エリシアは望むこともない相手と半生を添い遂げることになるかもしれない」

「だからこそ、当人同士の気持ちを尊重する。他の誰の思惑よりも」


 では、あなたの思惑はなんですか……て、喉元から飛び出しそうになっている。

 蟠りも解けていないのに、性急すぎる。

 なぜ、ヴィンセントは、初対面の僕を指名する。


「まずは、エリシアと話をして、関係の修復を試みて欲しい。飛躍する話は、その後に話し合う時間を貰いたい……頼む」


 ……信頼を築くことを疎かにする人ではなさそうだ。

 一先ず、エリシアと会おう。

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Dr.ファウスト -Terminus Flores- @Blackliszt

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