第3話、AIなんていらない!……のか?
今回、第一話の冒頭で述べた通り、映画業界の皆さんがデモ活動をしているという話から文章が始まっているわけです。
他にも、イラストレーターの皆さんも画像生成AIを著作権違反として訴えたりなさっているとかいないとか。
何度も言いますが、私はこの訴訟・デモ活動は、暴力に訴え始めない限りは大賛成です。大いにやって、議論の機会をどんどんと増やしていってくだされば嬉しい限り。
ところで、このデモが起こる理由について、深く考えたことはありますか?
自慢じゃあありませんが、私は深く考えたことはありませんでした。
そこでちょっとここで考えてみましょう。
まず、AIが業界で働く人間に与えている問題は、主に次の二点。
「1・自分たちの作品がAIに模倣されている。(著作権の侵害)」
「2・自分たちの創作的な仕事が奪われていっている。(仕事機会の減少)」
他にも色々あるでしょうが、なんと言ってもこの二つが殊に大きな問題点となっているでしょう。
ではこの問題点について、イラストレーターさんの例を主軸にして、一つずつ見てみましょう。
一つ目の問題点、著作権が侵害されている点。
これについては、一つ考え方によって話が変わってきます。
もし、「自分のイラストと構図やキャラデザ、絵柄などがほぼ同じイラストが、AIの生成した画像なのを良いことにオリジナルとして公開されているから著作権の侵害」
という意図を以て著作権侵害を訴えるのなら、これはかなり真っ当な言い分です。
そもそも構図もキャラデザも絵柄も似ている絵というのは、人間が描いたとしてもかなり問題になることです。
それがAIというだけで免罪符になることはないでしょう。
しかしもし、「自分たちが描いたイラストをもとにして合成されているのがAIイラスト。自分たちの絵が元の素材になっているのだから著作権の侵害」
という意図で著作権侵害を訴えるのなら、これは本当にその通りなのか、少し身を引いて考えなければならなくなってきます。
実際問題、画像生成AIでは、インターネット上の膨大なイラストの中から選んだ一部分を切り抜き、寄せ集めて一枚のイラストにしている場合があります。
その場合簡単に考えれば、他人の絵を切り貼りしているのだから著作権侵害とも考えられます。イメージとしては、よくあるコラ画像とか思い浮かべてもらうと近いと思います。
ですが、皆さんが生成されたイラストを見ていたときに、ハッキリと「あ、この目はあのアニメのあのキャラだな」ってなった経験はあまりないのではないでしょうか。
それもそのはずです。なぜならAIは「足して2で割」れるからです。(第二話参照)
あらゆる絵から適した部分を引っ張ってくる、しかしそれは目なら目を全て切り取ってくるわけではありません。
瞼、瞳、影、それら全てを複数の絵からそれぞれ持ってきて、合成したものが絵になるのです。
また、イラストによっては、或いはそのまま持ってこられたものもあるかもしれません。
しかし、それは「数百ドットの集合でしかない」わけです。
「数百の色数」と「数百のドット」。
「たかだかそれだけのもの」なんです。
決してイラストレーターの皆さんを批判しているわけではありません。
しかし、これはデジタルと言う数値化されたものの限界でもあり、テセウスの船にも似た問題なのです。
今言った、テセウスの船と言う思考実験をご存知でしょうか?
ある古い「テセウス」と言う船は、長い間使われ続け、修理を重ねるうちに、とうとう造船当初の部品は一切が交換され、全て別物になってしまいました。
果たして全て別の部品で構成されるその船は、本当に「テセウスの船」なのでしょうか?
イラストと言うものもこれと似たものです。
「同じ色を使っている」としても違った絵。
「同じ形の線が一本ある」としても違った絵。
「同じ構図の絵」だって、有名な構図というのはあります。
「同じ絵柄の絵」だって、例えば同じ漫画家に師事すれば、自然と似通ってくることもあるでしょう。
「同じキャラクターデザイン」だって、正直偶然被っているものも珍しくないのが昨今のアニメ・ゲーム文化です。
AIが合成したからダメ、と言うなら、人間が描いたって誰かしらの真似は無意識にしているものです。
果たしてこれは「AIが悪い」と言えるのか。
今言ったことは、文章生成AIにもそのまま言えることのはずです。
今一度、改めて考えてみてください。
話が長くなりましたが、二つ目のお題いきましょうか。
AIによって仕事が奪われている、と言う話です。
これなんですけど、これから言うことは私の本意ではありません。私も言いたくないですし、認めたくありませんが、今の文明の流れを考えて言えば、こう言うしかないのが現状です。
「奪われるような仕事をしている方が悪い」
と。
第二話でも言いましたが、今の社会は文化を生産・消費しています。純粋な芸術はごく限られ、見て感動できるか、笑えるか、推せるか、そんなレベルになっているのです。
消費されるだけの生産物は、その品質が全て。
手作りされた民芸品より、工場生産されたものの方が質が良ければ、消費者は後者を買うでしょう。
ましてや、生産者個人が応援されて、あの人が作ったものが欲しい、などと言う理由は、
「その人の作るものが一番質が良い」
以外の理由にはなり得ないのです。
ですから、AIに質で負ける日が来たら、それはもう世代交代です。
現代の冷酷な消費者は、これまで努力を重ねて技術を磨いてきた「生産者」には目もくれてはくれないでしょう。
それに抗う術は、本質的にはありません。
ああ、いや、一つだけあるかもしれません。
それは、「その人自体のファンになる」と言う、消費者が応援者に変わる現象です。
現状「Chat-GPTの作品のファン」と言う人はいない、基、皆無なのですから、これなら、AIに人間が勝てるかもしれない。
……ところで、機械・プログラムでありながら、この問題に勝ってしまった存在がいることはご存知ですか?
ネットをやっていて、尚且つ日本文化を良く知る皆様なら、ほぼ全員が知っていてもおかしくありません。
それは「VOCALOID」と言う文化です。
初音ミクのファン、います。
鏡音リンのファン、います。
鏡音レンのファン、います。例えばここに。
他にも、MEIKOのファン、KAITOのファン、ボカロではないですが可不のファンだっています。
彼彼女らに、人格なんてありません。
所詮は音声合成プログラムです。
しかし、擬似的にキャラクターを付けたことで、あっという間にファンが出来てしまいました。
あとは簡単です。
文章生成プログラムの中の、とある文体を固定したアルゴリズム形態に、「名前」と「姿」をつけて仕舞えば、ファンが出来る作家になり得ます。
画像生成プログラムの中の、とある絵柄を固定したアルゴリズム形態に、「名前」と「姿」をつけて仕舞えば、ファンが出来るイラストレーターになり得ます。
たったそれだけのことです。
……ああ、なんならその「名前」はその文章生成AIに、「姿」はそのAIにプロンプトを書いてもらって、その画像生成AIに頼みましょうか。
ここまで、こんな風に考えてみて、いかがでしょう。
「天才的」な作家でさえAIに負け得るのです。
名人とされた棋士に至っては、既に大敗を記すこと数知れず。
質で勝てず、ファンの心理ですら負ける可能性が大いにある。
最早人間が勝つ手段、ほとんど残っていないのかもしれませんね……。
AIに凡人は勝てるのか? 夜河凡人 @Todays_Kyo
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