たとえばそれは、昼食だったり

 昼休み。中庭のベンチに座りながら、浅い深呼吸をする。

 そよそよと流れる穏やかな時間。何の気なしに上を見ると、雲一つない空の優しい日光が両目に飛び込んでくる。なんかもう、めっちゃ良い天気だった。

 僕の今の気分とは、真反対ではある。


「……はぁ」

 

 嘆息しながら、IPhoneを横にして持つ。ついでに人差し指をちょいちょいと動かして、アマプラで今期覇権アニメの三話を再生。そのまま流れでAirpodsを両の耳に挿し、購買から買ってきたBLTサンドの包装をぺりぺりと外す。

 一口囓ったタイミングで再生前広告が終わり、アニメ本編が流れ始めた。


 僕は基本的に、アニメを鑑賞しながら昼食を取っている。

 アニメは良い。一話がドラマや映画ほど長くないから学校の昼休みという隙間時間でも充分に楽しめるし、展開される物語を通じて感受性を養うことだってできる。

 うむ、素晴らしいコンテンツだ。

 ここまでは、いつものルーティーンとなんら変わっていなかったが……。

 昼の過ごし方の計画が、ほんの少しだけズレてしまった。


「なんたって、焼きそばパンだけが売り切れてるんだ……?」


 問題なのは、昼食のメニューが僕の脳内献立から逸脱したことだった。

 本当に、今日は焼きそばパン以外有り得なかった。あの暴力的なまでの炭水化物と炭水化物のコンボを片手に持ち、食し、アニメを鑑賞する。それが今朝、電車に揺られながら考えた昼の過ごし方だった。だから、そのために授業が終わった瞬間、速攻で購買まで赴いたというのに――結果はこの有様。

 

 無論、BLTサンドだって美味しい。というか『パン』という時点で外れは無い。僕が通っている公立高校の購買に卸されるパンは付近の老舗パン屋(しかも学生御用達らしい)のものだから、目を瞑って適当に選んだとしてもけれど味で不満が出ることはないだろう。

 それでも、今日は焼きそばパンが良かったんや……そういう気分だった。


 いや、わかる。

 くそどうでもいいことだってのは重々に理解している。

 しかし、どうでもいいことに拘るのが人間であり、僕もまた例外じゃない。

 なんなら、日々を計画的に、後悔しないように生きている僕は、他人よりもスケジュールをこなすということに固執している気がする――何が言いたいかって、この学校で今日一番焼きそばパンを食べたかったのは、この僕に他ならないということだ。

 

 BLTサンドは、アニメが三分の一くらいまで再生された辺りで完食してしまった。

 IPhoneを持ってない方の手だけで、器用に紙パックの青汁にストローを刺す。

 ずずーっと啜りながら、思う。

 ま、しょうがない。いくら緻密に、計画的に生きようとしたってこういうことは往々にしてあり得るわけで、肝心なのは、そこに最善を尽くせたかどうかだ。

 僕が全力を出した結果がBLTサンドならば、甘んじて受け入れるしか……。


「それ、面白いよね」

「…………」

「あれ? おーい、聞こえてる?」


 背後に人の気配を感じ、すぐに振り返る。

 本日の昼食の是非について悶々としていたせいで、気づかなかった。

 支倉はせくら彩莉さいりが、突っ立っていた。


 結論から言うが、僕は流暢に説明できるほど支倉のことを知らない。

 なので、とりあえずは客観的な事実を羅列するに留めておく。 


 支倉彩莉。

 僕と同じ理系クラスの女子。

 髪の色は黒。長さは両肩くらいまで伸びたストレートのミディアムヘア。ケアが行き届いているからか艶やかで、また、サイドに一本だけ入った白金色のメッシュが、どことなく印象的。

 身長は僕より10センチほど低いくらいの、160中盤くらい。次いでスタイルも良く、それでいて随所の柔らかな部分(上品な形容)が強調されている。

 顔立ちも整っている。琥珀色の大きな瞳に色素薄めの肌は遠目から見ても綺麗に思えるうえに、近くで見ると余計、造形的な美しさを感じる。美少女という熟語を擬人化させました、と言われてもまあ納得の、ビジュアルの良さだった。

 

 以上。会話したこともなければ関係性を築きたいと思ったこともないので、僕にとっては『容姿に優れた無関係の女子』ということで説明が終わる。


「なんか用?」

 僕は座った状態のまま、首だけで支倉の方を向いた。


「ん、別に用って用はないよ。ただ、ちらっとそれ見えたから」


 僕が手に持っているIPhoneの画面を、ちょこんと指差してくる支倉。

 覇権アニメと言われているだけあって、どうやら支倉も知っているらしい。まあ、漫画原作だし、駅に広告も出ていたりするしな。それ自体は別に引っかかない。

 そうなんだ、とだけ返して、特に気にせずアニメ鑑賞を再開する。 


「…………」

「……え、三話でもうここまでやってるんだ。へえ」

「…………」

「だったら、やっぱあのへんで次回の引きにするのかなあ」


 内容が、頭に入ってこない。

 なんでって、それはもう理由は明らか。

 支倉は、僕が一度指摘してなお、突っ立ったままだったから。なんなら音も聞こえていないはずなのに、小声で実況めいたことまでしてくる始末。

 言いたかないが、結構鬱陶しい。ついでにこいつ、口ぶり的にたぶん漫画の方履修済みっぽいし、それも嫌だった。ネタバレされたらキレそうだった、って意味で。

 ……何が目的かは知らないが、ここはビシッと言うべきだな。他のやつならともかく、生憎僕は僕のライフスタイルを守るためならば、時として強い言葉も厭わない。


「なあ。一人で楽しみたいから、どっか行ってほしいんだけど……はっ!?」


 頭のなかの文句が、丸ごと吹っ飛んでいった。

 呑気な様子で支倉はパンを――焼きそばパンを、それも『購買で売られている焼きそばパン』を、もぐもぐ食べていたから。


「支倉。そ、それをどこで……」

「あ、名前覚えててくれたんだ。ふうん……和泉くんって他人に興味無さそうなのに、なんか意外だなあ」

「まさか購買から買った、なんて言わないよな?」

 

 飄々とした様子の支倉だったが、そんなことは本当にどうでもいい。

 僕が購買の人から聞いた話だと、今日は焼きそばパンは一個しか入荷してなくて、それはもう売り切れちゃった、という説明だった――だからこそおかしい。僕はクラスのなかでもいの一番に購買に向かった。もちろん、支倉よりも。

 矛盾。支倉が瞬間移動でもしない限り、このロジックの説明がつかない。

 とまあ、僕の疑心が支倉にも伝播したらしく、彼女は再び口を開く。


「実はね。購買の人に頼んで、取り置きしてもらったの」

「なん――だと――?」

「結構、他の人もやってるみたいだよ。ほら、早い者勝ちだといっつも同じ人が狙ってるパン貰っていけることになるでしょ? それじゃ不平等だよねって話」


 インサイダー取引もびっくりの不正だった。ふざけんなよお前、正々堂々戦えよ。そんなんされたら、購買まで律儀に小走りした僕が馬鹿みたいじゃないか。

 ……だが。情報収集が遅れていたのは僕の非でもある。

 なるほど、最近はそんなことになっているのか。なら今後は僕も、朝の段階でパンの予約(?)をするべきか……。


「ねえ、そんなに食べたかったの?」


 一人静かに反省していたところ、そんな愚問を飛ばされた。


「ああ。それはもう、無茶苦茶に」

「なんで? 別にパンくらい、他のでも良くない?」

「良くない。僕はもう、今日の昼は焼きそばパンにしようって決めてたんだよ」

「ふうん」


 返事をしてから、口いっぱいのパンを咀嚼する支倉。ガキみたいな食い方だ。そして、整った風貌に対して、その様子はひどくアンバランスに見える――あと、これ見よがしに食ってる風に映るせいで、徐々に僕のストレスゲージも蓄積されていく。ほんとになんなんだよ、こいつ。どっか別のところで食えよ。


「てか、いっつもここで食べてるの? 一人で? なんで?」


 咀嚼を終えたタイミングで、支倉はそんなことまで聞いてくる。

 たまりかねた僕。そのせいで思わず質問に対しての返答ではなく、薄らと募っていた本音が漏れ出てしまう。

 

「……支倉にも」

「うん」

「これはこうしようとか明日はこれをしようとかって、決めることあるだろ? それが何かしら事情があって上手くいかなかったりしたら、ちょっとがっかりするだろ? ……僕にとっては、それが今回は焼きそばパンだったんだよ」

 

 きょとんとする支倉。


「大げさだし、なんかよくわかんないや」

「わかれよ! いや、別にわかんないとしてもふうんそうなんだくらい言って、僕を慮れよ! ただでさえこっちは、お前のせいで昼食メニューが狂ったんだから!」

「……」


 言ってから案の定、僕は後悔した。

 今さらこんなこと主張して何になるんだろう。そもそもが支倉の言うとおり、たかが昼食だ。高校生のくせにこんなことでいちいち腹を立てる方がどうかしている。柄にもなく、大きな声まで出してしまったし……こんなのはスマートじゃない。


「……悪い、なんでもない。じゃあ、僕はこれで……」


 勝手に接触してきたのは支倉だったものの、なんとなくばつが悪くなった僕は逃げるようにして中庭から去ろうとした。くそ、なんでこんな目に……。

 が。

 一方の支倉は、意味不明なことをしてきた。


「むぐっ」


 一瞬だけ、呼吸が止まる。

 何故か?

 焼きそばパンを、口に突っ込まれたから。


「半分あげる」

「っ……お、お前、急に何してくれて……」

「和泉って、結構喋る人なんだね」

「はあ?」

「せっかくなら、クラスの人とももっと話したらいいのに」

「よ、余計なお世話すぎる……それに、食いかけのもの押し付けてくるな」

「なに、そんなこと気にしてるの? 潔癖だなあ」


 衛生面じゃねえよ。心の話だよ。


「食べたかったんでしょ? なら良いじゃん、これで満足できるだろうし……そんじゃね」


 僕がそれ以上のことを言う前に、支倉はひらりと手を振ってから、立ち去っていった。しかも去り際の表情は、小さく笑っていた気すらする。

 ……なんだったんだ、いったい。


     ◆


 これが、支倉との初めての会話だった。

 些細なファーストコンタクト。思い出にもならないような出来事。

 ただ――一つだけ気に留めるべきことが合ったとするならば。

 

 支倉彩莉は、ちょっと変な奴だった。

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計画的な僕の人生が彼女にぐちゃぐちゃにされる @myyyyyy22

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