第32話 人間の限界(※三人称)

 誰しもが考えた不安。いや、考えなかった事態か? どちらにしても、危ない事に変わりはなかった。豊樹令一の動けない場所に迷宮に現われれば、その解決が難しくなってしまう。雑魚程度の相手なら問題はないが、ボス級のモンスターと戦う場合は、「その犠牲も決して少なくない」と思った。


 事実、各組織からも相談が求められているし。対策室の長たる黄木も、その判断に迷ってしまった。黄木は自分の湯飲みに手を伸ばして、その中身をすぐに飲みほした。「参ったね、どうも。『迷宮の専門家が居ない』となれば」

 

 森口も、それに「こう言う事態になってしまう」とうなずいた。森口は彼の前から離れて、対策室の中を歩きはじめた。「戦士の居ない状況が。彼は世界の、厳密には人類の希望です。魔王の愚行に抗える戦士。彼は元の世界に戻って、魔王の力を削ごうとしている。ですが、それにも限界があって……。流石の彼でも、ダブルタスクは無理ですからね? 一人で、二つの仕事はできない。その身が分身でもしなければ、こう言う事態にも応じられないんです」

 

 黄木室長は、その言葉に溜め息をついた。それにまるで、ガッカリするように。


「偵察部隊を送ろうか? 迷宮の中が分かるだけでも」


「確かに良いかも知れません。ですが、そこから帰られる保証は無いでしょう? 我々が迷宮の中から帰られたのは、豊樹さんがそいつを潰してくれたからだ。迷宮の中に居る支配者を倒して、その呪縛を壊してくれたからです。向こうの世界で培った技術と経験を使って。彼は、今のところは間違えていませんが。攻略の正解をずっと出しつづけたんです」


 室長は、その言葉に押しだまった。確かにそうかも知れない。彼が迷宮のすべてを壊してくれたお陰で、その犠牲も最少に抑えられているのだ。あらゆる可能性を見出して、それに答えつづけたからである。室長は「事態の収拾」と「人間の命」を比べて、「その最善」と思われる策を考えた。


「とりあえずは、様子見だ。相手の意図が分からない以上、こちらも人員を割かない方が良い。向こうの意図が分からない以上は」


「なるほど。では、どうします? まさか、放っておくと? 迷宮の中に人間が飲まれていれば、その命も危ぶまれてしまいますし。前の時にも」


「分かっている。各組織には、機械の投入を頼むよ。今までは、対策室のカメラだけだったが。『迷宮の中からも情報が飛ばせる』と分かれば、これからの戦いにもきっと役立つ筈だ。余計な犠牲を出さないためにも、無人機の投入も試すべきだろう?」


「無人機の投入にも、金が掛かりますが。ふふふ、まあ良いでしょう。対策室の案は、国の責任。これで何かあっても、国が何とかしてくれるでしょう。我々はあくまで、国の駒ですから。駒の失態は、差し手の責任です」


 森口は「ニヤリ」と笑って、関係各所に連絡を入れた。関係各所の承認を得るために。「お疲れ様です、対策室の森口ですが。いつもお世話になっております。室長とも話しましたが、ここは無人機を使いましょう。前に某国から渡された物がある筈です。それを使えば」


 相手は、その提案にうなずいた。今後の事を考えても、「これは良い機会だ」と思ったらしい。彼の「どうでしょう?」に対しても、「手を回して置きます」と応えた。相手は森口との通話を切って、然るべき場所に連絡を入れはじめた。


 森口も対策室の電話を切って、室長の顔に向きなおった。二人は互いの立場こそ違うものの、真剣な顔で自分の職務に眉を寄せた。「まあ、何とかなるでしょう」

 

 そう微笑む森口に黄木も「そう、だな」とうなずいた。黄木は机の珈琲を見下ろして、その表面をじっと見た。珈琲の表面には、黒い空間が広がっている。「これが、良い方向に進めば良いが」

 

 俺にはどうも、分からないよ。そう漏らしてから数時間後、現場に件の無人機がやって来た。無人機は必要な物だけを付けられて、迷宮の中に進んでいった。迷宮の中は、暗かった。豊樹達が入っている迷宮の中と同じ、通路の明かりが灯っているだけで、大きな光源はまったく見られない。


迷宮の通路を曲がった時ですら、その光景が続いていた。無人機は内部のプログラムに従って、通路の先に敵が見えた時はもちろん、それが自分に襲ってきた時も、プログラムの内容に従いつづけた。


 が、やはり迷宮の中。人間の命を第一に考える作戦は良かったが、肝心の無人機には辛い作戦だった。機体の無線機能が働かない。外に自分の位置や状態は伝えられるが、それ以外は機能らしい機能が使えなかった。


 威嚇用として持たされた武器も、迷宮の怪物にはほとんど通じないし。内部のプログラムが優れていなければ、相手の攻撃に落とされるだけだった。無人機は相手の攻撃を何とか躱して、迷宮の中をまた進みはじめた。

 

 しかし、墜落。それも、一瞬の内に墜とされてしまった。無人機の正面に現われた、竜。竜は無人機の胴体に火を吐いて、そのすべてを焼きはらってしまった。無人機は人間側に「lost」の信号を送って、迷宮の中に散らばった。それに合わせて、人間側も「ううん」と唸った。


 人間側は無人機の撃墜を知って、その結果に「最悪の戦果」と漏らした。「やはり、人間でないとダメらしい。人間の護衛には付けられるが、肝心の人間が居なければ。人間のテクノロジーだけでは、魔物の迷宮に勝てない。そこに捕らわれた、人間達を助ける事も」

 

 ほとんど不可能らしかった。人間達は「それ」に苛立って、対策室の室長に連絡を入れた。「作戦は、失敗です。無人機の装備に不備はありませんでしたが、相手が『それ』を上まわっていました。相手へのダメージも少ないですし、迷宮の中に捕らわれた人達も救えていません。こう言う表現はアレですが、税金の無駄使いでした。無人機への連絡も、途中で途切れてしまいましたし。我々が拾えた情報も、無人機の撃墜だけでした」

 

 室長は、その報告に眉を潜めた。豊樹達もまだ、「迷宮の中から出てきていない」と言うのに。味方から伝えられた情報は、「無人機では戦えない」と言う情報だった。その情報に「ううん」と唸る、室長。室長は椅子の背もたれに寄りかかって、森口の顔に目をやった。森口の顔は、彼の反応に微笑んでいる。相手が今、何を考えているのか。それを室長の表情から察しているようだった。


 室長は彼の目から視線を逸らして、電話の相手に意識を戻した。「最悪の事態も考えられますが。今は、最善を尽くしましょう。無人機での救出はダメでしたが、それ以外の手なら……。とにかくやりましょう。豊樹君は、一人です。現状で唯一、魔王の力に抗える存在。破壊の使徒に立ち向かえる存在です。彼は救いの使者ですが、それに頼りっぱなしはいけません。だから」

 

相手は、その続きを遮った。そんな事は、言われなくても分かっている。豊樹は人類の希望だが、神のような存在ではないのだ。神に近い力はあっても、それをいつでも使えるわけではないのである。相手はそう考えて、室長との通話に区切りを付けた。


「無人機以外にも、手はあります。詳細の方はまだ、話せませんが。第一のプランがダメなら、第二のプランに移るだけ。作戦の中身をただ、変えるだけです。我々のできる範囲で。自分も、この世の終わりは御免ですから」


 室長は、その言葉にうなずいた。それは、自分も同じ。「今を生きる者」として、それはどうしても避けたかった。室長は相手の動きを推した上で、その通話を「では、また」と切った。「味方の厚意は、嬉しいが。それにずっと、甘える…。いや、甘えてもいい。甘えても良いが、相応の事はしなければならない。我々もまた、戦士の一人なのだから」


 諦めない。森口もそう、微笑んだ。森口は窓の近くに行って、その表面に掌を付けた。「それも大事な事ですが。現実は、そう甘くない。やる気と根性だけでは、どうにもならない事もある。特に今のような状況は、人間の手に負える物ではない。私達は豊樹さん以外の援軍、彼のような味方を増やす必要があります。相手が数で攻めてくる以上は、それに」


 室長は、その続きを遮った。彼の言わんとする事は分かったが、「それは、あまりに非現実的だ」と思ったからである。彼は椅子の上から立って、森口の隣に向かった。「神が選んだのは、一人だ。この世界を救う者として、向こうの世界から呼んだんだよ。彼以外の人間が、こちらに来られる筈はない」


 森口は、その意見に「ニヤリ」とした。室長の意見も分かるが、彼にも自分の意見があるらしい。室長が彼の顔を見た時も、その口には笑みが浮かんでいた。森口は横目で室長の顔を見ると、穏やかな顔で相手の目を見つめた。


「やらない後悔よりも、やった後悔。人間が神と関わる手段は分かりませんが、それでもやらないよりはマシです。今回のような事が、『今後も起こらない』とは限らないし。打てる手は、何でも打ちましょう。豊樹さんには、私の方からお話ししておきます」


 それにうつむく、室長。室長は彼の意見を「拒もう」としたが、やがて「分かった」とうなずいた。「君の判断に賭けよう。神と話せるかどうかは、別にして」

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異世界の英雄、今度は現実世界(こきょう)の迷宮(ダンジョン)に挑む 読み方は自由 @azybcxdvewg

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