ミクルマス

天使と猫とお月さま

「ぼくは天使じゃない」

「9月29日は、聖ミカエルの日です。ミクルマス—— 天使の祝日です」

「きみだって、天使じゃないぞ」

「名前が同じです。ミカエルとミシェルとミカエラは同じ名です。天使長も、天使の長でミカエルと同じ意味の名前です」

 天使長は、ミックの猫の名前だ。

「名前が同じだからと言って、なんで今夜、天使の日のお祝いをしなくちゃならないんだ。この忙しいときに」

 ミックは水火ミカと押し問答をしながら、嫌な予感がした。水火の季節の行事好きにはだいぶ慣れてきたが、天使の日のお祝いは嫌な予感しかしない。


「ミックは知らないと思いますが、日本では9月29日は、29ふくで招き猫の日なんです。天使長は、招き猫です。だから、そのお祝いも兼ねています」

「にゃーん」

「天使長が招き猫だと、だれが決めた」

「わたしです」


水火ミカの決めたことには、逆らえまい」ミックの育ての親のアンジュが、二人の仕事場に入ってくる。

 やっぱりだ。天使の日のお祝いに、水火がアンジュを呼ばないはずがない。アンジュは天使の意味だもの。ミックはアンジュの顔なんて見るのも嫌だ。できれば一生見たくない。


「なんで黙って勝手に入ってくるんだ、アンジュ。ここは、おれたちの店なんだぞ!」

「アンジュさま、来てくださったんですね! お忙しいのに、わざわざありがとうございます」


 でも、水火は違う。水火はアンジュを歓迎する。アンジュは水火には優しい。いつもお菓子やお花を持って来てくれる。だから、水火はダンディで優しいアンジュにすっかり懐いている。


水火ミカが天使の日のお祝いをすると聞いたからね。はい、お土産だ」

「わぁ、お月見団子とススキや萩まで! アンジュさま、ありがとうございます!」

「おい、アンジュ、なんで、天使の日に月見団子とススキなんだよ。十五夜じゃないんだぞ」

「技師さん、今夜は満月、十五夜ですよ。今年の中秋の名月は9月29日です。技師さんもアンジュさまに、お月見団子のお礼を言ってくださいな」水火がミックを嗜める。

「なんで、おれがアンジュなんかに礼を言わなきゃならない!」

「技師さん!」

「ミシェル、おまえ、今夜の月齢も把握していないのか。それで、よく機械時計の技師が務まるな。なにがここはおれたちの店だ。ミモザの館に戻って、ジョシュアに機械時計の基礎の基礎から叩き直してもらわなければ」

「うるさい、黙れ、アンジュ! あんたが拾ってきたややこしい魂のおかげで、他の機械時計のスケジュールまで狂って来ているんだ!」

「ミシェル、それはおまえの腕のせいだ。やはり、ジョシュアに叩き直してもらう必要があるな」

「機械時計のことをなにも知らないくせに! 黙れよ、アンジュ」


「技師さん、頭から湯気が出ていますよ」水火が言った。「だから、今夜は一旦休んで、お祝いしましょ。天使と猫とお月さまのお祝い。今年は天使の日と招き猫の日に、中秋の名月まで揃ったんですもの」

「そんな暇はない!」

「急がば回れ」

 ミックは作業の手を止め、水火の顔を見た。

「初めて会った日、技師さんは—— ミックは、わたしにそう言いました。急がば回れって。だから、今夜は、ゆっくり休んでお祝いしましょ」

「にゃーん」

「ほら、天使長もそう言っている。アンジュさま、そうですよね」

「あとから、ジョシュアも来ると言っていたよ」


 ジョシュアはミックと水火の兄で、今はアンジュのパートナーだ。ミックが少年だったころ、機械時計の教師をしていた。


「……おれに、機械時計を教えにか」ミックは自嘲気味に言った。

「おにいさまだって、そんなこと嫌ですよ。せっかくお祝いに来てくださるのに。わたし、お供えの用意をして、お茶入れますね。技師さんも手伝ってくださいな」


 水火に言われて、ミックはものすごく面倒臭そうに立ち上がった。だけど、心の中では泣きたいくらい水火に感謝していた。機械時計のスケジュールが狂えば、その皺寄せは全部水火に来る。機械時計を動かす運命の糸を探し編み上げる時間が減るのだ。それなのに……。


 十五夜の月の光が窓から差し込んで、ミックと水火を照らしている。

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仏蘭西菊洋装店掌編集 水玉猫 @mizutamaneko

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