第四話 終わりは金の色


 右耳を屋上に付けていると、足音が今どこを歩いているのかを見ているかのように把握できる。コツコツと固くて重い足音が、二人分、こちらへ向かって行く。

 それらがすぐそばで止まると、ばっと乱暴に毛布が剝がされた。周囲はまだ薄暗いが、毛布の下でずっと目を開けて慣らしていた今の俺には関係がない。


 抜いたままの曲刀を、寝転んだ状態で水平に振るう。その手の先にある足首を、薙ぎ払った。ザクリと足首の腱が切れた男の、低い唸り声が聞こえる。

 そちらの方へ目を向けた。落ちていく毛布の前で、仰向けに転ぼうとしている右目に眼帯を付けた男――イナジンの姿が、芝居がかったかのようにゆっくりとした速度で見えている。


 逆境での戦い瞬間、世界がこんな風に見えることがある。まるで、第三の目が開いて、世界の全てを事細かに観察出来るような感覚。

 それを裏付けるかのように、毛布の下にいたのが俺一人だけで、隣に置かれていたのは人ではなく毛布の塊だということに驚いている、もう一人の襲撃者――槍を持ったハウジッドの姿も、しっかりと俺の目は捉えていた。


 我に返ったハウジッドが、槍で俺のことを突き刺そうとしてくる。しかし、間が悪い上に、捻りの無い真っ直ぐな攻撃なので、軌道が読みやすい。俺は、曲刀を上へ払うことで、槍の絵をぶった切る。

 一瞬、色を失ったハウジッドの隙を逃さずに、体を起こしながら、その懐に入る。柄の先端を鳩尾に押し込むと、ハウジッドはカハッと乾いた空気を吐き出しながら、白目を向いた。


「流石ですね、ジュアンさん」


 二人の襲撃者を凌いで、一息ついた俺の背後から、感心した声が届いた。振り返ると、貯水用の大甕おおがめの後ろから、アマランサスが顔を出している。俺はさっと血の気が引いて、彼の言葉で叫んだ。


「阿呆! まだ隠れていろ!」


 直後、アマランサスが盾にしていた大甕に一本の矢がが飛んできた。陶器の甕には刺さらずに下へ落ちて、アマランサスは慌てて引っ込んだ。

 野郎め。俺は怒りのあまり血走った眼で、矢が飛んできた方向を見る。俺たちが取った宿のベランダに、盗賊団の弓矢の名手・レフアがこちらを睨んでいた。


「ジュアンさん、落ち着いてください!」


 アマランサスの言葉で、我に返る。危ない。怒りに身を任せて、突っ走っていく所だった。昨晩、もしも盗賊団が追い付いても、人質であるアマランサスのことは、傷つけることはないだろうと本人に話していたのを、すっかり忘れていたのだ。

 俺が冷静さを取り戻した間に、レフアは二本目の矢をつがえていた。そのやじりは、俺を捉えている。それを見ていて、相手の呼吸も知っていたら、間一髪でしゃがんで交わすことも可能だ。


 レフアはギリッと悔しそうに奥歯を噛みしめる。弓矢隊には似つかわしくないほど、周囲が見えなくなっているレフアは、三本目を用意するために、俺から一瞬目を逸らした。

 その千載一遇の好機に、俺は素早く足元を転がっていたハウジットの槍の先を拾う。レフアが三本目を番えるよりも先に、放り投げた槍先が、彼の右手をざっくりと突き刺さった。


 痛みのあまり気を失ったイナジンとすでに大の字になっているハウジッドと、利き手の負傷で何も出来なくなったレフアに背を向けて、真っ直ぐにアマランサスの元へ走り出す。

 接近戦用の二人と、後ろから補助する弓矢係の一人。それが、俺のひいじいさんが生み出した、奇襲隊の構成だった。お頭がこれを忠実に守ってくれるお陰で、俺は自分がどう襲われるのかを予想することが出来た。


「アマランサス! 逃げるぞ!」

「は、はい!」


 その白くて小さな手を取って、俺は走り出す。この建物よりも少し低い隣の建物へ飛び降りて、右に曲がると、布製のひさしの上で跳ねて、そのまた下にあった卸売用の絨毯の山へと突っ込む。

 昨日、情報屋のファールから買った逃走経路は、無事に機能した。こんな無茶苦茶なことをやっているのに、アマランサスが黙って俺について来てくれたことも大きい。ともかく、盗賊団から逃げきれて、ほっとする。


「このまま、港まで止まらずに走るぞ」

「分かりました」


 いきなり現れた二人に驚いてざわつく朝市準備中の商人たちと駱駝らくだたちをよそに、絨毯の山から下りた俺たちは、再び走り出した。






   ⦿






 泊った宿から、風のようにいくつもの通りを過ぎ去って、やっと港へ向かう路地まで辿り着いた。あとはここを真っ直ぐ進めば、例の船へと潜り込める。


「良かった、これで……」


 ずっと手を引かれていたアマランサスが、ほっとした様子で呟いた。だが、俺は嫌な予感がして、船着き場の手前で速度を落としていく。

 ……思った通り、ざっと十人の盗賊団員が現れ、俺たちの行く先を塞いだ。すぐに立ち止まって、振り返るが、走ってきた道は、その倍の人数が集まっている。


 ご丁寧に、一列目の真ん中、俺と対峙する位置に、お頭が立っていた。抜き身の曲刀の峰を叩きながら、ニタニタと人の悪い笑みを浮かべている。


「まさか、お前が裏切るなんて、なあ、ジュアン?」


 その一言を皮切りに、朗々と演説を始めるお頭。その間にも、盗賊達が絶えず集まってくる。団の全員がいるんじゃないかってくらいの勢いだ。

 俺は、手を繋いだままアマランサスを背中に庇う。ここの言葉を知らないので、お頭が何を語っているか分からずに不安そうだ。


「これから、酷いことが起きる。だから、俺がいいと言うまで目を閉じとけ」


 アマランサスの言葉でそう話し掛けると、小さく頷き、ぎゅっと目を瞑った。

 俺が今まで誰も殺さなかったのは、奴らが元仲間だからでも、今さら品行方正ぶるわけでもない。ただ、アマランサスに人が死ぬ瞬間を見せたくなかった。


 とはいえ、この先もこう言ってはいられないだろう。俺は真っ直ぐにお頭を見据える。


「······ジュアン、もういいだろ、お姫様とのごっこ遊びは? ここから逃げられないことは、お前も分かっているはずだ」

「うるせぇ。何を言われても、俺の決意は覆されない」

「お前、恩を仇で返すようなことを······」

「違う! あんたが恩を売ったのは、俺の親父だけだ! 俺は、一度も盗賊になりたいと思ったことはない!」


 ああ、言ってしまった。お頭に引き取られてから、ずっと燻っていたいた本心を。だけど、声も体も震えなかったのは、アマランサスの手を握ったままだからかもしれない。

 当然、周囲の盗賊たちは大きく動揺した。言葉には出さないが、顔を見合わせたり、首を伸ばしてこちらを見ようとする音が、ざわざわと響く。


 だが、それ以上に驚いていたのはお頭本人だった。笑っちまうくらいに顔を真っ赤にして、目を剥いた。


「このガキ、調子に乗りやがって……」


 隣の副官の制止も聞かず、お頭はすらりと曲刀を抜くと、一歩一歩、こちらに歩み寄ってくる。

 怒りのあまり、体中から湯気が出ているような迫力のあるお頭だが、俺は真正面から対峙して、しかも睨んだままで動かない。


「いいか! お前なんかな、俺がくっ」


 お頭の怒鳴り声は、飛んできた一本の矢に中断された。側頭部から斜め下に貫通した矢によって、お頭は表情が固まったまま横に倒れていく。

 先程とは比べ物にならないほどの動揺が、盗賊団全員に波及した。だが、それを上回るほどのときの声が、左右から響いて来て、わっと砂糖に群がる蟻のように大勢の人間が路地から現れた。


 彼らは全員、警備隊の人間だった。見張りやぐらからお頭を打ち取った後に、満を持して、団員をひっ捕らえるつもりらしい。予想外の出来事に慌てふためく団員を、容赦なく薙ぎ払っていく。

 ……昨日、ファールから買ったもう一つの情報は、警備隊の動きだった。こいつらは、町に現れた俺の怪しい動きに気付いていたが、しばらく泳がせることで、お頭以下一門を、一網打尽にするつもりだと聞いた。


 町に入った頃から、わざと脅して服を奪ったり、ディコの鞍の裏についていた盗賊団の紋章を消さずに売ったり、警備隊御用達の喫茶店に行ったりしたのは、彼らに気付いてもらおうとしていたからだった。そうしてアマランサスを保護してもらおうと思っていたが、相手が俺を囮にしているのなら、こちらもそれを利用しようという計画に変更する。

 警備隊の櫓から見える場所に盗賊団を追い込み、お頭を撃ち抜かさせる。ただ、奴らが立ち止まった位置が悪かったのか、中々矢が飛んでこずに内心苛ついていた。そこで、わざと怒らせて、お頭が自分の手で制裁を下させる癖を利用してこちらへおびき出すことにして、やっと成功した。


 ――ただ、ここまで混沌とした状況になるとは。ガキンガキンと刃と刃がぶつかる音が絶えず聞こえ、四方八方で血が噴き出ている。俺たちの頭上をヒュンヒュンと矢が飛んでいく。……身長が低いため助かっているが、このままでは危ない。

 周囲の音で何が起きているのか、なんとなく察しているだろう。美しい眉を顰めたアマランサスに、俺はまた囁いた。


「これからまた走るぞ」


 小さく頷いたアマランサスを引っ張り、俺は抜いた曲刀で飛んでくる矢を切り落としつつ、人の波を縫って、この騒乱から小路地へと入っていった。






   ⦿






「アマランサス、もう目を開けていいぞ」


 俺の言われたとおりにしたアマランサスだが、しらばみ始めた空を見て、また目を細めた。少しずつその光に慣れてきたのか、辺りを見回して、周囲に人のいない海に出る路地だと把握する。


「もう、盗賊団からは逃げ切れたのですね」

「あの騒ぎだからな。きっと、俺たちが姿を消したことも、気付いていないだろう」


 ここは、さっきまでいた路地から三つ分の路地を渡った場所だった。盗賊団と自警団の衝突が、遠くの竜巻のように響いている。


「あ、ちょうど来たぞ」


 海の方に顔を出した俺は、約束の商人の船がこちらへ向かっているのを見た。アマランサスもそれを確認し、「約束、守ってくれましたね」と安心した様子で言う。

 もしも、出港の時間から四半刻経っても俺たちが現れなかったら、道沿いに船を進めてほしい。そこで、合流したい。そんなあいまいな口約束を、商人たちは律義に守ってくれたのだから、こいつらはかなり信用できる。


 俺が手を振ったので、船はこちらの方へ少し舵を切った。それでも、たどり着くまで少しかかるのだろう。

 顔を引っ込めると、建物の陰で船からこちらは見えない。その状況で、俺はアマランサスと真剣な表情で向き合う。


「お前に一つ、見せたいものがある」

「何でしょうか?」


 俺のことを全く疑わずに、アマランサスは小首をかしげた。信用しすぎだろと噴き出してしまいそうになる。けど、アマランサスが俺に全てをゆだねてくれたからこそ、ここまで来れた。

 俺は、自分のシャツを捲し上げた。その下にあるものを見て、驚いたアマランサスは自分の口を両手で覆った。胸にサラシが巻かれ、それでも少しだけ膨らんでいるのだから、戸惑いも仕方ない。


「どうして……」

「単純な話だ。伝説の盗賊の子孫が、女だと知られたら、色々都合が悪いからな」

「では、私を逃がすと言ってくれたのは……」

「これを知っているのは、親父以外はお頭だけだった。色々誤魔化してくれたが、それもそろそろ限界が来ていた。俺も、瀬戸際だったんだよ」


 シャツから離した俺の手を、アマランサスは急に握った。これまで見たことのないほど、眉を吊り上げて、じっと俺を見つめる。

 そのまま、彼は俺の手を自分の唇に近付けた。まるで、俺の手に囁くように、口を動かした。


「一緒に逃げましょう。大丈夫。貴女のことは、私が守ります」


 その一言は、世界で一番愛する人から受けた愛の告白と同じくらい、俺にとっては嬉しいものだった。生まれた瞬間から、二本の足で立つことを定めづけられた俺にとっては。

 —―しかし、俺ははっきりと首を振る。


「無理だ。あの商人の船に渡したのは、一人分の料金だけ。水や食料が限られている船に、一人増えるのも死活問題なんだよ。断られるに決まっている」

「ジュアンさん……」

「心配すんなって。今までの俺の強さを見ただろ? この先の危機も華麗に切り抜けて、がっはっはと高笑いしてやるよ」


 一転、泣きそうな顔をになったアマランサスを勇気づけようと、俺は明るい声と表情で言い返す。それでも口を開こうとする彼だったが、丁度真横に商船が止まって、一人の船員が身を乗り出して叫んだ。


「おい! 早く乗れ!」

「ほら、出発の時間だ。あいつら、片言だが、あんたと同じ言葉話せるから、俺がいなくても大丈夫さ」

「……ええ、ありがとうございます」


 ほっといたら泣き出しそうなアマランサスの背中を、少々乱暴なくらいに押し出す。こちらに声をかけた、目つきと口の悪い船員が、アマランサスが差し出した手を取って、意外と優しく甲板に引っ張り上げた。

 船は、ゆっくりと進み始めた。俺に背中を見せていたアマランサスは、涙を拭って、こちらに笑顔を向けてくれた。


「さようなら、ジュアンさん! 星と同じ金色の糸が、私と貴女を再び繋げますように!」

「そうだな! また、いつか、会おうぜ!」


 流石貴族の影武者というのか、アマランサスの別れの一言は、非常に上品で、しかし砂漠に落ちた一滴の水のように、俺の心へ自然と沁み込んでいった。

 船は、少しずつ速度を上げていく。見えなくなる前に、俺は海の方を向いたまま、後ろへ下がった。自分の背後で、ガチャガチャとうるさい音が聞こえていたからだ。


「そこの小僧! 動くな!」


 引き絞った矢と殺意が、俺の方に向けられているのを感じる。警備隊が俺に追いついたらしい。

 ここで俺の命運は尽きたか。捕まれば、縛り首は逃れられない。そう思っているのに、何故か怖いとは感じなかった。


 アマランサスとの約束が、俺の心強いお守りになっているからだろう。ちょうど、あいつが母親の優しさを信じたように。

 俺は腰の曲刀を鞘ごと投げ捨てて、満面の笑みで警備隊の方を振り返った。
































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繋ぐ糸の色を教えて 夢月七海 @yumetuki-773

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