第三話 続きは黒の色
港町の片隅にある酒場に単身で入っていく。まだ真昼で準備中、しかも俺のような子供が入店しても、カウンターで準備中の大将は一瞥しただけで何も言わない。
俺も、そちらの方ではなく、店内の一番奥、日光が届かない薄暗い席に向かって行く。そこで、バックギャモンを一人指ししている小男の真正面に、椅子を引いて座る。
「やあやあ、伝説の盗賊の末裔さん。今回はどんな御用で?」
こちらを見上げて、あからさまな世辞を言いながら、口髭で隠しきれないほどの出っ歯でその小男は笑う。こいつは、この低身長と出っ歯と背中を丸めた姿勢で、
世界一大きな砂漠であるトッソトの、一番端の砂の一粒も知っている、と
「しらばっくれんじゃねぇよ。あんただったら、なんとなく、俺が来ることは知ってんだろ」
「いやはや、買い被ってもらえるのは嬉しいが、吾輩が知っているのは君が妙な動きをしているということだけ。これからどうしようかという、未来予知は範囲外さ」
「それを知ってたら十分だ」
話が早くて助かる。諸々は省略して、テーブルの上にアマランサスが身に付けていた金の首飾りと銀の指輪をガシャンと置く。あいつは影武者だが、装飾品等で怪しまれないようにと、これらも本物の金と銀だ。
「明日の朝一出港する船に、俺の同行者を乗せてほしい。首飾りがその代金で、指輪はあんたへの仲介料と口止め料だ」
「ふーむ。見た限り、報酬としては十分だが、少々注文が曖昧過ぎる。どんな船でもいいのかね?」
「あー、いや、海賊船は止めてほしい。というより、犯罪に関係ない奴ので頼む」
できればもう、アマランサスは俺のような日陰者と関わってほしくないので、そう付け加える。流石のファールにも難題かと思ったが、彼はバックギャモンで最良の一手を見つけた瞬間のような笑みをにやりと浮かべた。
「それなら、お
「よし、そいつに乗せてくれ」
今回の逃避行において、最大の難点が解消したので、俺は安堵の息を漏らす。
ファールも、明日の何時にどこの港に行けばいいのかを告げると、さっさとバックギャモンの続きを指す。しかし、俺にはまだ必要な情報があったので、テーブルの上に金貨の詰まった小さな袋をどさりと置く。
「……今度は何だい?」
「俺に売ってほしい情報がある。一つは、俺が抜けた後の盗賊団の動き。あともう一つは――」
⦿
「おかえりなさい」
とある喫茶店の奥の席で、アマランサスは待っていた。その膝の上には、茶虎の猫が丸まって、ごろごろと喉を鳴らしている。
俺がファールと手の内を見せないように探り探りの舌戦をやっていたのとは、正反対なのんびりとした様子に拍子抜けしてしまう。怒りが湧いてくることはなく、まあ、ここで気力を養えたのならいいかと思った。
「どうでしたか?」
「上手く話はまとまった。明日の朝一、ある船に乗ってここから逃げ出せる」
「……良かったです」
俺が椅子を引いて、彼の向かいに座ると、驚いた膝上の猫はさっと逃げていってしまった。それを惜しそうに見送ったアマランサスだが、俺の一言で喜びの表情に変わる。
ここで食事を摂った後、アマランサスを残して、俺はここのすぐそばの酒場へ向かった。何をしに行くかというのは、ざっくりと話している。
ミルクティーの残りを飲み干す。完全に冷たくなっていたが、それでも初めて飲んだ牛乳を使ったミルクティーは甘くて旨い。普通だったら行けないような高級店なんだなと、改めて思う。
隣のテーブルの足の下で、蹲って毛を逆立てているさっきの茶虎猫に、しゃがんだアマランサスは手を伸ばして、「ちっ、ちっ、ちっ」と声を掛けているが、全くこっちへ来ようとしない。落胆するアマランサスに、「そろそろ出るぞ」と声を掛けて席を立った。
「ごちそーさん」
キッチンの出入り口で、こそこそこちらを盗み見ている喫茶店の従業員たちに大きな声で叫んでから、アマランサスを伴って、外を出た。
さて、そろそろ宿に行こうかと爪先を向けたが、隣のアマランサスは明後日の方向を見ている。何の変哲もない、路上で小さな机を置いて、客と向き合いながら商売をしている占い師が気になる様子だった。
「どうした?」
「いえ、あの方、何をしているのでしょうか?」
可愛らしく小首を傾げて、アマランサスが尋ねる。一瞬、何か追っ手を見つけたのかと緊張したが、単純に彼の文化圏にない風習が気になったらしい。
「あれは、糸占いだな」
「占い? どういうものなんですか?」
「占い師に、自分と気になる相手の名前を告げて、あの壺に入った糸の一本を引き抜くんだ。そしたら、その糸の先にある色を見て、自分とその相手が将来どんな関係になるのかを当てるっていう占いだ」
「へえ。色によって、結果が変わるんですね」
「ああ。例えば、炎のような赤色は、激しく燃えるがすぐに消えてしまう関係。海のような青色は、穏やかな分どこまでも続く関係。若葉のような緑は、初対面は悪い印象でも後にじっくりと育んでいく関係。砂のような茶色は、どこにでもありふれて進展のない関係。日光のような白色は、周りにも影響を与えるような眩い関係、そんな感じだな」
「では、一番選ばれて嬉しいのは、青色なんでしょうか? 白も素敵ですが」
「あー、一番良い色は、星の光のような金色だな。それは、何度生まれ変わっても、必ず出会える関係だからな」
「素敵ですね。私たちの間の糸は、どんな色なんでしょう?」
穏やかに微笑みながら、アマランサスはそう尋ねてくる。俺は、それを訊いて、一瞬言葉に詰まった。
アマランサスに教えていない色が一つだけある。それは、闇と同じ黒色だ。出会った後に、どちらかが死ぬという暗示を示している――俺は、アマランサスと自分を繋ぐ糸が、その色であるような気がしていた。
「さあ? 俺は占い師じゃないんで、全く見当もつかないな」
「もう。恥ずかしがり屋ですね」
肩を竦めた彼が、じゃれつくように俺に肩を寄せてくる。
こいつが楽しいのなら、俺はいくらでも我慢しよう。苦笑しながら、心の底では気持ちが渦巻いていた。
⦿
ベッドの上で曲刀の手入れをしていると、風呂場からアマランサスが戻って来た。ちらりと見ただけだが、まだ濡れている長い金髪にタオルを当てていて、湯で上気した頬が目に焼き付いている。
大通りに面した高級宿に俺たちは泊っていた。俺のような後ろ暗い奴は、裏通りのごみごみしたちっさくてやっすい宿によく泊まるので、こういう所とは縁がない。
「ジュアンさんも入りませんか?」
「俺はいいよ」
曲刀を鞘に戻しつつ、アマランサスの提案を突っぱねる。すると、彼はドカッと俺の真横に座り、怒った顔をこちらに向けた。
「最後にお風呂に入ったのはいつですか?」
「……さあ? わざわざ数えてないから知らねぇ」
「正直……匂いますよ」
「風呂入る習慣がねぇんだ。それとは別に、俺は風呂嫌いだし」
今度は無言で、ぐいぐいと顔を寄せてくる。たじたじの俺だったが、「ほら、俺の服ねぇし」とやっと言い返した。
すると、アマランサスは勝ち誇ったように笑うと、自分の荷物をまとめた袋へ歩いていった。そこを開けて、中から男物の黒シャツとズボンを取り出した。
「お前、いつの間に」
「貴方が情報屋さんとお話している時に、ちょっとあの喫茶店の外に出ました」
勝手なことをと舌打ちしかけたが、これで俺が風呂に入らない言い訳が無くなった。しょうがなく立ち上がり、アマランサスの手から服を貰い、風呂場へ入る。
……風呂から出ると、ベッドの縁に腰掛けたアマランサスは、ぼーと外を眺めていた。閉め切った窓の外では、すでに日が落ち、数えきれないほどの星が瞬いている。
「こんなにたくさんの星、初めて見ました。ここはとても空気が澄んでいるのですね」
振り返ったアマランサスがそう話しかけるので、俺は頷く。ベッドの近くまで寄ると、薄い毛布を手に取った。
「今夜は外に出て、寝ようか?」
「え? 大丈夫ですか?」
「信用できる情報屋によると、盗賊団はまだこの町に来ていないようだから、平気だよ」
戸惑うアマランサスをよそに、俺は窓を開ける。そのままベランダに出たのを見て、アマランサスも躊躇いながらも後に続いた。
けれど、俺が寝たいのはこのベランダでではない。宿の一番左端にあるこの部屋の、左手側の手すりを足掛かりに、隣の家の屋根によじ登る。俺を見上げて驚いているアマランサスに、手を伸ばした。
「ほら、手ぇ出せ」
「でも……」
「そんな大した高さでもねぇだろ。ほら、早く」
ぎゅっと両手を重ねて握るアマランサスを急かすと、やっと決断して、自分の右手を出してくれた。それを握り締め、グイッと引っ張り上げる。キャッと小さな悲鳴をアマランサスは上げたが、危なげなく、屋根に二人登った。
この屋根の真ん中くらいに進んで、ゴロンと並んで横になる。今夜は珍しく、さほど気温も下がらなかったので、毛布一枚で寒さを凌げた。
目線の先には、降っていきそうなほどの星が輝いている。その中心には、白い天の川が、一際美しく白い光を投げかけていた。
アマランサスは、右手を空に伸ばす。まるで、星の一つを掴もうとするようだったが、あっさりとそれを下ろしてしまった。
「なあ、アマランサスって、俺たちが狙った姫様とは違う名前だけど、お前の本名なのか?」
「ええ。そうです。私が、唯一母からもらったものです」
「なんか、由来とかあんのか?」
「花の名前だそうです」
「変わってんよな。男なのに、花の名前って」
「……どうしてそう名付けたのかは分からないんです。物心ついた時には、母と離れ離れになっていたので」
「あ、悪い」
打ち解けていたと思っていたので、つい、土足で相手の心に踏み込み過ぎてしまった。そっとアマランサスの顔を覗き込むと、意外と平然とした顔をしていた。
「どうして、私が母と離れたのか、覚えていないんです。とある貴族の姫に似ているからと、売られたかもしれませんし、誘拐されたのかもしれません。でも、私はぼんやりとですが、優しかった母の姿を記憶しています。だから、きっと後者なんだろうと、素直に信じているのです」
「そうか……」
自分の心の内を、
「俺も、生まれた時に母親を亡くしたんだよな」
「まあ……」
「あ、別に同情しなくてもいいよ? 確かにそれは不幸かもしれないが、俺の運命だからって、受け入れているから。ただ、それ以降が大変でな……。
俺のひいじいさんは、あの盗賊団を立ち上げた伝説の盗賊でな、俺のじいさん、親父も、
「では、ジュアンさんは、お頭になるはずだったんですか?」
「いや、盗賊の世界は世襲制じゃなくて、実力主義だからな。俺が必ずお頭になるとは限らない」
とはいえ、先代お頭の子だからと、大分贔屓してもらった部分は多大にある。例えば、これからは世界に目を向けた盗賊になれと、異国の言葉を学んだりしたのも、この影響だろう。
「このまま、盗賊として一生を終えるのが普通だと思っていた。それこそ、昨晩、アマランサスにあんな提案されなかったら」
「後悔していますか?」
「……いや、全然」
「耳まで真っ赤ですわよ」
「あんま見んなよ」
言ってしまった後から恥ずかしくなっている俺を、アマランサスはにやにやしながら凝視しているらしい。俺は、その視線から逃れるように、アマランサスとは反対側に向けた。
すると、今度はアマランサスが、布団の下で手を握ってきた。心臓がどきんと高鳴ったが、反射的に強く握り返してしまう。
「私、今夜のことは一生忘れないと思います」
……このまま寝てしまおうと目を閉じた直後に、アマランサスの独り言だけが聞こえた。
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