第13話 契約

「……と、いうことなのですが。ダメ、でしょうか……?」


 アスティリアは至極簡潔に義兄ベリスに説明を終える。

 彼は重々しく溜息を吐いた。


「それで、トモナリとかいう男と一緒に日本へ行きたいと」

「はい」

「……却下だ。日本人とはいえ、信用できない輩に義妹を任せるほど、俺は腐っていない」


 きっぱりと、義兄ぎけいは切り捨てた。

 ……これは予想していたことだ。少なくとも、マフィアだのそういう組織の人間が家族を重んじる側とそうでない側に分かれている。

 その中ではこの男は前者のようだ……彼自身の性格が善人か悪人寄りかは今後判明することだろう。


「ですが、今回誘拐されてしまった件はどう処理なさるおつもりで?」

「……何が言いたい?」

「少なくともトモナリ様は私を助けてくださった方です。下手にお母様とお父様たちに心配をかけるより彼の元にいるべきかと思います。日本と言う国は他国よりも最も安全な国なのでしょう?」

「だからなんだ? 義父さんたちの気持ちをないがしろにする気か?」

「そのようなわけでは……」


 やはり予想していた結果になってしまった。

 ドイツ、ベルリンの治安がどの程度か知らないため、アスティリアとトモナリの情報閲覧で確認した程度の知識だから、知識不足で踏み込んだ説得をするのは難しい。

 だが、ここからが正念場だ。


「……ベリスお兄様、どうしてもお話したいことがあるのです。他言無用でお願いできますか?」

「……構わない」

「私は誘拐される直前、アスティリア・ウィル・ローゼンベルグであって、そうでない者となってしまったのです」

「……どういうことだ」


 ベリスは不審げにアスティリアを見る。

 脳内で本物の少女が声を荒げる。


『魔女様!? 一体何を』


 いいから、正直に彼に言うべきでしょう……でなくては、ここは突破できないわ。

 下手な言葉で説得を試みるよりも、こういう類の男にはわかっている真実と隠したい嘘を織り交ぜた言葉で説得力があれば必要以上に探ってこない。

 アスティリアは胸元に手を当ててはっきりと事実を告げる。


「……私は一度、死んでしまっているのです」

「……この話は終わりだ。義父さんと一緒に帰りなさい」


 ベリスは席を立つ。

 ティアレーゼは少女のことを知る彼ならしない、蠱惑的な笑みを向けた。


「なら、これならば納得していただけますか?」


 ティアレーゼはスカートの裾を掴み、疑似的にアスティリアの体をティアレーゼの姿に変貌させる。


「……誰だ、お前は」

『ま、魔女様!?』


 アスティリア、貴方は少し黙っていてくれる?

 これは好機なの……少し眠っていてね。


『あ……まじょ、さ、ま』


 アスティリアの意識が無くなったを確認したティアレーゼはベリスに商談を持ちかける。


「……これでもまだ信じてもらえないかしら? ベリス・ウィル・ローゼンベルグ?」

「……お前は何者だ?」

「ティアレーゼ……ここではない世界ロゴスティアードの住人よ。そうね、異世界の住人、と言えば納得してくださる?」

「……ティアをどこにやった?」

「ここにいるわ、この体がアスティリアの体よ……私がいなくては、彼女の蘇生は不可能だったでしょうね」

「……嘘ではない保証がない」


 ドスが聞いた声でベリスは眉を顰めものすごい形相で睨んでくる。

 一時的にとはいえ、彼の屋敷にはマナが溢れているのは確認してよかった。

 咄嗟だったから幻視させる程度……なんとかできたようね。流石私だわ。なんとか話を成立させられそうな気がするティアレーゼは少し舞い上がってしまっていた。


「えぇ、本来であれば彼女は遺体なって棺桶に入れられるところだったでしょう。ですが、私が生き返らせたのです……誄魂の魔女ティアレーゼの手によってね」

「信用できん」

「信じられないのも無理はないわ。でも、アスティリアの姿だったのに他の女の姿に変わるほど、この世界での変装技術は高いのかしら?」

「……なにが目的だ?」


 ぴくり、とベリスの肩が小さく揺れたのを魔女は見逃さなかった。


「なら、座ってお話をしてくれない? 長話になるもの。私も話しやすい方が助かるわ」

「……わかった」

 

 ベリスは着席し、ティアレーゼはにこやかに笑い返す。

 よし、まず第一関門は突破ね。

 いいわ、いいわね。案外穏便に行けそうじゃない? アウェス。


『魔女、油断は禁物』


 えぇ、わかっているわ。何も問題はない。

 言葉で私に勝てた人間なんて存在しないもの。


「話がはやくてたすかるわ、異世界の住人さん。貴方が私の要求を呑むならアスティリアを殺した犯人を探す手伝いをするわ。悪い条件ではないはずよ?」

「……お前はティアを殺した犯人は特定できているのか?」

「いいえ、でも本物のアスティリアを殺した犯人がいるのは確かよ。私が彼女の体に入り込んだから、衣服の再生までしてしまったせいで、彼女自身の衣服にはないけれど彼女の自室のカーペットの裏に血痕があったわ、後で確認することね」

「……信用できない」

「……疑うなら、死んでみせましょうか? それで今のこの姿からアスティリアに変わったら……真実だと理解してくださる?」

「脅しのつもりか」

「あら、なんのこと? 物わかりの悪い人じゃないことを期待するわ。まぁ、裏切るなら……ね?」


 ティアレーゼは彼の執務机に座りベリスの唇に指を当てる。

 不快そうにするベリスは溜息を吐いてからティアレーゼに尋ねる。


「……調査させる。何が欲しいんだ? 魔女」

「ふふふ、私はね? 退屈は嫌いなの……私はどこまでも刺激が欲しいだけ。アスティリアの意識は希薄でね。私がいないと簡単に人格を消せてしまうの……どういう意味か、わかる?」

「……お前の要求を呑もう。ただし、俺が認められる範囲ならばだ」


 よし、喰いついた。第三段階突破。後は流れるまま落としきるだけ。

 ここで畳みかければ。


「私、日本に行きたいの。私がいた異世界での情報は集め尽くしたから、色々な情報が飛び交っている国に行けるなら、アスティリアの体の保証はしてあげられるわ」

「……なぜ日本にこだわる?」

「ドイツや他の海外よりも安全圏に当たる国だと知ったからよ。少なくとも、日本人がアスティリアの誘拐事件に絡んでいるとしたら、可能性はゼロではないでしょう? ルオウトモナリが情報を握っている可能性もある」

「……だからルオウトモナリを助けた、といいたいのか?」


 ……勘が鋭いわね。流石ボス。


「ご明察……私も今、不安定な状態でね? 安全だと保障しやすい場所で拠点を作りたいの。そもそも私がアスティリアの命を握っているのよ? 襲われることが確実にわかっていて、彼女の両親が襲われることがわかっている状況で、本体である彼女自身のメンタル維持を保証できるほど私はメンタリストじゃない……ましてや、彼女を生かすメリットがないなら、彼女の本体を廃人化をする方が手っ取り早いと私は思っているわ」

「……させると思うか?」

「貴方が条件を飲まないならの話よ。本体であるアスティリアの体を生かすためには、彼女が七歳の誕生日までは確実に私も傍にいないといけない……理解してもらえる? たった1年と半年だけの条件としては、最良の選択肢だと思うのだけど」

「……」


 顎に手を当てて考え込むベリスはだんまりだ。

 まあ、当然だ。この世界の情報を入手できれば、知識魔の私としても情報収集できて、この男はアスティリアを殺した組織を掴むための条件としては悪くないはず。

 普通の、ごく普通の一般人として生きれなかった私にとってあの世界では傍観する神々に等しい立ち位置にいたのだ。

 この世界は私がいたロゴスティアードよりもマナが極限に薄い状況を見て、魔法使いや魔女といった存在が多いようには見えない。

 だからこそだ……最強のカードをこの男は入手できる。

 彼が結ぶ契約次第にはなるが、私が望む契約内容をふっかけるのは当然。

 ただ、この男がそこまでの馬鹿ではないように見えるのがネックだが……どんな契約内容でもなるべく私に有利にするように話術で落としてくれる。


「……条件はお前には日常的な刺激を、俺はアスティリアを殺した犯人を探るためにお前は俺に絶対的協力をする、それでいいな?」

「どうせなら、私に宣言をさせてちょうだい。私は魔女、怖い魔女なのだから」


 ……何かひっかかるが、まぁ悪くない条件だろう。

 私は黒い契約書を男に見せる。


「さぁ、取引をしましょう? ――――これは契約よ。絶対遵守の契約。貴方の生涯をかけて誓ってもらうわ。しないのならばアスティリアの命は保障はしない。代わりに貴方が私に刺激を与え続けるのであれば、彼女の命は永遠に保障し続けましょう」

「――――あぁ、その条件で飲もう」


 男の声に契約書は反応し、輝かしい銀色の紙となって、青い字が契約書に記入されると青い炎で燃えて消えていく。


「なら、契約はここで成されたわ――――私に、永続的な刺激を与え続けてね? ダーリン」

「……あぁ」


 ここから、ティアレーゼとベリスの契約が始まった。

 同時に、彼女の日本へ渡るための前準備が終了したのである。ティアレーゼは彼の目に宿る闇が魔女ティアレーゼにとって同類に一瞬映った。

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