012 きょうの食(後)

泥猪どろいだ!」

「おにく?」

 ねいちゃの一言に弟くんが聞き返す。文字数だけで、他は何一つ合ってないが……。

 魔獣じゃなかったとほっとしたのもつかの間、あれも人を喰う魔獣だと言う。

 ニホンイノシシも雑食性(9割が草食で1割が肉食だが、食べても昆虫や蛇くらいまで)だが、人には噛みつく程度で喰ったりはしない。


      ***


 摩力というエネルギーを意志に応じて引き出すための触媒となっているのが“地気”である。

 地気は自然の深き所で生まれる。(地気が自然を豊かにするので、結果としてそのように見える)

 また、地気という名づけからも想像できるように水中に地気は存在しない。故に魚の魔獣は存在しない。(偽ワニやシャチ似のような水生魔獣は存在する)

 魔獣は地気を好むため、巣別れとか分蜂のような事象を除けば、自分から進んで縄張りテリトリーから出ることをしないようだ。

 もちろん、人種も地気の恩恵にあずかりたい。

 家畜は健康な仔を生み、田畑も豊作が期待できる。

 故に、森のすぐ側に村を作ったり、森に沿って街道を開いたりする。だが、それは恐ろしい魔獣の領域を広げないためという意味があることは否定できない。

 怖いけど近づきたい。豊かにはなりたいけど危険が増えるのも困る。加減がなかなかに難しい。

 地気が湧く場所には力あるモノが占め、弱きモノはおこぼれにあずかるようにその周りに集う。自然界でなくとも、それはどこにでも見られる構図だ。


      ***



 泥猪どろいは森の浅き地に住まうモノ。

 摩力の揺らぎを感じたので、それに誘われて森の外に出てきた。

 出てみたら食い物の匂いが嗅げたので、畑にまで脚を伸ばしてみた。



 泥猪が畑をほじくり返している。

 それを見たラザロが思ったのは脅して森に帰ってもらおうだったのだが、姉弟にはアレが“お肉”に見えるらしい。

 日本では人里に出現した害獣を特別な許可を持たない一般人が危険を冒して倒したとしても、役所に回収されるだけである。場合によっては、逆に法に裁かれることもあり得る。つまりは文字通りの骨折り損となる可能性が高い。

 日本ならば、ラザロの感覚で正しいのだが、ここでは違うようだ。

 アレを逃がしてはいけないらしい。姉弟の期待が重い。

 森で摩法の鍛錬を兼ねての狩りだって?

 数刻前の自分の見込みが如何に甘かったか、実物を前にすると分かる。

 だが、同時にいつかはやらなければならないという事にも思い至る。

 今が絶好のチャンスであることは間違いない。なにせ、相手が自分の領域フィールドを出て、こちらの領域にまで来てくれたのだから。

「よっし、行ってくるぞ。二人はここから声を出さずに応援できるかな?」

「できりゅ」

 背水の陣も敷いた。


 裏口から外畑に出る。

 結局、姉弟たちを呼んで戸締りをさせて、柵際に積んであった樽の陰に隠れさせた。

 手槍の一本でも欲しかったが……。

 と思ってみても手に持つのはすりこぎ棒だし、使ったことのない槍があったとしても役には立たないだろう。その場限りの安心感があるはだろうが、それだけだ。

 期待できるのは摩法だけだ。


 畑をほじくり返している泥猪に近づく。

 作物の実りがない状態の畑は、ただのだだっ広い運動場グラウンドである。

 見通しが良い。視線を遮る物がない。つまり、隠れる場所がない。

 さらには運動場ではなく畑なので、足場が悪い。土壌に足がとられるというか、一歩一歩が大変と言うか。まあ、それはそれで空気を含んだ良い畑ってことになるのだろうが……条件は最悪だ。

 ゆっくりと確実に近づいていく。途中、泥猪にギロリと一瞥いちべつされたが、それだけだ。

 相手にするまでもないってか、それは都合が良い。

 どんどん間合いを詰める。

 少なくとも、摩法の届く射程まで接近しなければ話にならない。

「ブヒッ」

 泥猪が鋭く鳴声を放つ。言葉は通じなくとも、意味は判った。それは威嚇だ。

 これ以上、近づいたら、どうなるか分かってんのやろうな、ワレ!と鼻を鳴らしたのだ。

 間合いは充分だ。

 こちらもそれに応えよう。

「“下降気流ダウンバースト”」

 本日、3回目ともなれば、もう慣れたものだ。もっとも、これの連発が泥猪を誘引する原因となったことをラザロは気付いていない。

 爆発的に吹き降ろされた気流は土壌をめくりあげ、水平方向に押し払う。

 寄せられた土壌は円環状にリムを作ったが、それは壁のように見えるものの酷く脆い。当然だ、それはふわふわ土壌がさらにふわふわに吹溜(ふきだま)っただけなのだから。

 ラザロは即座に左の手の平から気流を発し、自身の身体の廻りに回転させる。それは手首ほどの太さで相手には見えない防護柵カードレールとなるが、これを越えられたらラザロの負けがほぼ確定する。

 ちなみに気流は手の平から生み出されているのではなく、手の周囲の空気を送り出す感じだ。それを自身を中心に固定する。心細いが、“風の結界”である。

「ブヒッィィーー」

 なめとんのか、ワレ!

 泥猪さん激オコである。背中の毛を逆立てて、全身でモヒカンを表現している。

 海は涸れ、地は裂け、あらゆる生命体は絶滅したかに見えたっ……ナレーションの絶叫が空耳に聞こえるようだ。

 確かに地は少しばかり裂いたかも知れないが、世紀末の荒くれ者ばりに憤らなくてもいいじゃないか。

 こちらに照準を合わせて突進してきた。

「きゃっ」

 弟くんの悲鳴がラザロの気持ちの揺れを抑える。

 ラザロは少し前に出て、横に避ける。円環の縁が距離を測るのにちょうど良い。

 泥猪は“風の結界”に阻まれて、直進を逸らされる。

 さらに追風の一撃がラザロの右手から繰り出される。

「来い。アウトレンジでボコボコにしてやるよ」

 気張る。強い言葉で、己を奮い立たせる。

“風の結界”は気流が流れる接線方向の力が一番強い。逆に法線方向の力には貫通される可能性が高くなってくる。

 泥猪の突進を側方で受けるような立ち位置に身構える必要がある。“下降気流ダウンバースト”は足元を均すために必要だったのだ。


 泥猪は平然としている。追風の一撃は、見えないが威力が弱いらしい。

 が、それで良い。

 狙うのは、カウンターだ。そのための一撃は考えている。

 問題はそこまで、足(体力)と風(摩力)が持つかどうかだ。


 泥猪の突進。

 風の結界で勢いをそらして、追風の一撃を加える。

 繰り返されること数度。

「きゃー」が消えて、「らじゃろ―」の声援がよく通るようになった。

 避けるのも実は必死だ。精神がすり減る。足ももつれてきた。

 が、不思議なことに息は続く。応援の成果だろうか。

 一方、泥猪は繰り返される軽い攻撃にうっとうしそうに首を振る。まるで身にたかるハエを払うかのようにだ。


 泥猪はバリバリのインファイターだ。

 これが試合ならだいぶ点数差が開いたことだろう。

 が、泥猪も学習する。

 相手を倒すための必殺を狙う。

 stop-and-go

 ラザロの間合いを狂わす。急激な停止。

 が、それをラザロは待っていた。

「喰らえ」

 袋の鉄粉を振りまく、それを飲み込んだ追風の、いや、渾身の突風ストレート

 泥猪の左前脚が音を立てて砕けた。

 さらに、間合いを詰める。

 小回りに薄く、結果、速力を増した“風の結界”が残りの鉄粉を巻き込んで、動きを完全に止めた泥猪の首筋を狙う。

 半円の風刀が落とされた。

 首から血を流す泥猪が倒れながらも前脚を駆く。その度に命がこぼれていく。

 ギロリとラザロを見る目から力が失われていった。

「悪いが、勝ったのは僕たちだ。その命、有難く頂かせてもらう」

 そう言って、ラザロは倒れ込んだ。


筆者注)この後、

SS 003 反魂…大いなる存在によるラザロ召喚の伴う閑話

SS 001 姉弟乃尾…両親との別れ~ラザロとの出逢いまでの閑話

の投稿の予定ですが、読み返してネタバレが気になるので、書き直すか、後に回すか、少し考えさせてください

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(仮称)Kousoku no -第1部- 橘樹 紫仁 @tachibana-s

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