05(終) スカード&フローレス
戦いだ。俺には全てが戦いだ。
《スープ》依存からの脱却。肉体の改造。錆びついた技の研ぎなおし。生きること。歩むこと。思うこと。思われること。何もかもが戦いだ。
倒れたことが二度。比喩表現でなく実際に血を吐いたことは三度。胃の内容物を吐いたことならもはや数え切れないほど。笑えてくるほどの馬鹿げたトレーニング・メニューで俺は自分の身体を痛めて痛めて痛めつけ、少しずつ力を取り戻していった。それでも往年の実力は半分も戻ってきやしない。失ってしまったものは、我慢しきれず投げ棄ててしまったものは、もう二度と手の中には戻らない。
だから掴まなきゃ。新しい何かを。
俺は仮面のようにヘルメットをかぶり、半年後、ランブリングの
「喜べ、スカード。王座戦が決まったぜ」
「彼は何て言ってる」
手ずから
「てめえの
*
そして今。
俺は
収まりきらない長髪をヘルメットの後ろから束ねて垂らし、今や黒々とした輝きを取り戻したそれを戦旗のようにたなびかせ、俺は歓声の中を音もなく歩んだ。『青コーナーァァッ!!』アナウンスがやかましく響く。『挑戦者! 無名の
今は、違う。
『赤コーナーァァァァッ!!
無敵! 最強! 連続34回防衛の怪物ッ!!
フローレス・チァァァァァンプッ!!』
フローレス。
なんて懐かしい、白銀色の装甲服。胸の前で両の
息を吸い、吐く。
集中が高まり、歓声が――世界が――余計なものが――どこか遠くへ消えていく。
フローレスが拳を構える。
俺が低く腰を落とす。
二人の間を、静寂が満たし――
『
――来た!!
速い!! フローレス!! 開始の合図が言い切られるのも待たずに全速突進! 俺の反応は一歩出遅れた。突き込まれた拳を辛うじて
いや。下がっちゃダメだ。餌食になる。
俺は進んだ。至近距離のフローレスに対して更なる前進を仕掛け、ほとんど奴の胸の中へ飛び込むように肉迫する。そこから脇腹めがけて打ち込む渾身の左フック。内臓へ炸薬
が。
俺の拳は彼の肘に打ち落とされた。なんたる反応速度! わずかに体勢を崩した俺に、今度は彼の左拳が上から側頭部目掛けて振り下ろされる。
ならば!
俺は自ら身体を伸び上がらせ、彼の拳へ突っ込んだ。激突音が耳を
今俺がやったのは命中点ずらしだ。人間の手足で攻撃する以上、拳や近接武器は肘や膝が伸びきった瞬間が最も威力が高くなる。ゆえに俺はわざと彼の拳に近づき、肘が伸びきる前にパンチを浴びることで破壊力を軽減したのだ。
とはいえ痛い。ヘルメットの吸引機能が動き出したのを見れば流血もある。だが生きている。まだ戦える!
「おッォオ!!」
俺は叫び、拳を振るう。左、左、右、左、さらに右と見せかけてフェイントで膝。2秒に満たない短時間に俺が繰り出す5連撃、その全てをフローレスが見事に
俺は奴の右拳をギリギリのところで潜り抜け、再び胸元へ飛び込んだ。そこを狙って左拳が来る。今度は避けない。避けないが、このタイミングなら向こうも俺の打撃を避けられはしない。相打ち上等。向こうは左。俺は右。一発ずつの打ち合いなら、利き腕のほうが威力は上。
――来いフローレス! 一発お前にくれてやるッ!
炸裂!!
二発同時の轟音が
まあいい。戦うために、顎なんて不要。
俺は床に手を突き、どうにかこうにか身を起こす。見れば、フローレスも四つん這いになり、震えながら必死に立ち上がろうとしている。よし……狙い通り。俺は顎をやられたが、奴は内臓をいかれた。骨折の痛みは麻酔で無効化できても、臓器の損傷は確実にダメージとして勝負に影響する。
『ははっ……やるね、スカード』
懐かしい声が聞こえた。フローレス。通信機能が、彼の囁きを拾っている。
「ひづいへ……」
と喋りかけて、顎骨が砕けていたことを思い出す。これじゃまともに喋れやしない。脳波読み取りの音声合成をコマンドし、俺は細く溜息をついた。
「気づいてたんだな、フローレス」
『戦い方を見れば分かるよ。
「……いつから知ってた?」
『わりと最初から。戦い方を教わり始めて、あ、これ
フローレスが脇腹を押さえながら立ち上がる。俺もまた、振るえる膝を叩いて背を伸ばす。観客たちが狂おしく叫ぶ。「
『ねえ、スカード』
「ん」
『どうして?』
「……弱かったのさ。防衛戦で挑戦者を殺しちまった。それまでなんともなかったのに、それ以来……怖くなった。戦うことが。人生とか、そういうものに、挑みかかっていくことが……」
『そうじゃない』
目に浮かぶようだ。フローレス。あの白銀色のヘルメットの奥で、真摯に訴えかける彼の表情。
『どうしてぼくを置いて行ったの』
ああ。
静かだ。
なんて静かな気持ちなんだろう。
俺は砕けた顎の隙間から胸いっぱいに息を吸い込み、拳を強く握り固めた。
「俺は、お前に、負けたくない」
彼もまた、俺を見据えて、拳を構える。
『うん、スカード、ぼくも一緒さ』
あらゆる音の消え去った世界に、俺達は二人、見つめ合い――
走る!!
同時に前進。打ち込みも同時。互いの左の拳と拳が空中激突、弾けて
敗けるものか、フローレスッ!!
俺は老いた。パワーはない。スピードもない。だが俺には経験がある。ライバルたちと
「フローレスッ!!」
俺の叫びに、
『スカァァァァードッ!!』
彼が応え、
俺達の拳が今、交差する!
*
倒れた。
俺達は、ふたり、同時に。
そこで俺の意識は、飛んだ。ふと気が付けば俺は
ダブル・ノックアウト。相打ち……なのか?
勝敗の審判は、どう下された……?
「スカード」
「喋ってはいけません」
隣からフローレスの声が聞こえ、次いで医師のきっぱりとした制止が耳を刺した。それでもフローレスは俺の方へ首を向け、あの人懐っこい笑顔を俺に向けている。
「もうやめなよ。《スープ》だけは」
「もう飲まないよ」
俺は苦笑し、天井を見上げる。
「お前のことを忘れたくない」
俺達は笑った。医師に叱られながら、いつまでも笑った。審判が何事かアナウンスし始めたが、勝敗が結局どういう扱いになったのか、俺もフローレスも、もう聞いちゃいなかった。
俺に見えてるものはただひとつ、天井に輝く
THE END.
スカード & フローレス 外清内ダク @darkcrowshin
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