05(終) スカード&フローレス



 戦いだ。俺には全てが戦いだ。

 《スープ》依存からの脱却。肉体の改造。錆びついた技の研ぎなおし。生きること。歩むこと。思うこと。思われること。何もかもが戦いだ。

 倒れたことが二度。比喩表現でなく実際に血を吐いたことは三度。胃の内容物を吐いたことならもはや数え切れないほど。笑えてくるほどの馬鹿げたトレーニング・メニューで俺は自分の身体を痛めて痛めて痛めつけ、少しずつ力を取り戻していった。それでも往年の実力は半分も戻ってきやしない。失ってしまったものは、我慢しきれず投げ棄ててしまったものは、もう二度と手の中には戻らない。

 だから掴まなきゃ。新しい何かを。

 俺は仮面のようにヘルメットをかぶり、半年後、ランブリングの戦闘領域コンバット・エリアに無名の闘士ランブラーとして舞い戻った。緒戦は辛勝。二戦目は快勝。三戦目にして完勝し、俺は手ごたえを感じ始めた。ランキング12位。あと5ヶ月。俺は進む。さらに上る。8位。5位。2位――1位!

「喜べ、スカード。王座戦が決まったぜ」

「彼は何て言ってる」

 手ずからしらせをもたらしたアンダスンに、俺はチェストプレスの手を止めもしなかった。アンダスンは意味ありげににやりと笑い、

「てめえのこぶしくんだな」



   *



 そして今。

 俺は戦闘領域コンバット・エリアに進み出る。

 収まりきらない長髪をヘルメットの後ろから束ねて垂らし、今や黒々とした輝きを取り戻したそれを戦旗のようにたなびかせ、俺は歓声の中を音もなく歩んだ。『青コーナーァァッ!!』アナウンスがやかましく響く。『挑戦者! 無名の闘士ランブラーァァァッ!!』会場を埋め尽くしたチャンプ信者からの罵声の雨も、俺の耳にはそよ風の囁き。会場を埋め尽くした数万の観客、画面ごしに勝負を見ているその百倍もの観戦者たち、その何人が俺にベットし、俺の勝利を望んでいるか、若い頃はそういう数字がやたら気になった。人気が無情にも数字で可視化される世の中だ。それが自分自身の価値であるかのように、未熟な俺はずっと思い違いをし続けていた。

 今は、違う。

『赤コーナーァァァァッ!!

 無敵! 最強! 連続34回防衛の怪物ッ!!

 フローレス・チァァァァァンプッ!!』

 フローレス。

 なんて懐かしい、白銀色の装甲服。胸の前で両のこぶしを突き合わせる気迫の仕草。彼が俺に迫ってくる。すっかりチャンプの貫禄を身に着けた彼の歩みに、ランキング外を彷徨っていた頃の面影はない。俺はつい、笑いをこぼしてしまう。嬉しくて。楽しくて。彼を抱きしめたくなってしまって……

 戦闘領域コンバット・エリアの中央で、対峙する俺達。

 息を吸い、吐く。

 集中が高まり、歓声が――世界が――余計なものが――どこか遠くへ消えていく。

 フローレスが拳を構える。

 俺が低く腰を落とす。

 二人の間を、静寂が満たし――

戦闘開オープン・コンバッ……』

 ――来た!!

 速い!! フローレス!! 開始の合図が言い切られるのも待たずに全速突進! 俺の反応は一歩出遅れた。突き込まれた拳を辛うじてかわし、慌てて後退して間合いを――

 いや。下がっちゃダメだ。餌食になる。

 俺は進んだ。至近距離のフローレスに対して更なる前進を仕掛け、ほとんど奴の胸の中へ飛び込むように肉迫する。そこから脇腹めがけて打ち込む渾身の左フック。内臓へ炸薬パイルを叩き込んでやるッ!

 が。

 俺の拳は彼の肘に打ち落とされた。なんたる反応速度! わずかに体勢を崩した俺に、今度は彼の左拳が上から側頭部目掛けて振り下ろされる。さばくのは無理。回避は間に合わない。これは喰らう。

 ならば!

 俺は自ら身体を伸び上がらせ、彼の拳へ突っ込んだ。激突音が耳をつんざき、凄まじい衝撃が脳を揺らす。

 今俺がやったのは命中点ずらしだ。人間の手足で攻撃する以上、拳や近接武器は肘や膝が伸びきった瞬間が最も威力が高くなる。ゆえに俺はわざと彼の拳に近づき、肘が伸びきる前にパンチを浴びることで破壊力を軽減したのだ。

 とはいえ痛い。ヘルメットの吸引機能が動き出したのを見れば流血もある。だが生きている。まだ戦える!

「おッォオ!!」

 俺は叫び、拳を振るう。左、左、右、左、さらに右と見せかけてフェイントで膝。2秒に満たない短時間に俺が繰り出す5連撃、その全てをフローレスが見事にさばく。拳は腕にブロックされ、膝は半歩後退でかるがるかわされ、かえって彼の右拳の反撃を招く。上手い。速い。そして、強い。だがこれはどうだ!?

 俺は奴の右拳をギリギリのところで潜り抜け、再び胸元へ飛び込んだ。そこを狙って左拳が来る。今度は避けない。避けないが、このタイミングなら向こうも俺の打撃を避けられはしない。相打ち上等。向こうは左。俺は右。一発ずつの打ち合いなら、利き腕のほうが威力は上。

 ――来いフローレス! 一発お前にくれてやるッ!


 炸裂!!


 二発同時の轟音が闘技場アリーナを揺るがして、俺とフローレスは互いに背後へ吹き飛んだ。脇腹に炸薬パイルを受けたフローレスは横に錐揉み回転しながら倒れ、顎の急所に喰らった俺は背中から床に崩れ落ちる。ダウンを宣言する声。観客たちの熱狂の声。俺は頬のあたりにとした痛みを覚えた。ヘルメットの自動制御による麻酔注射だ。これは顎の骨が砕けたな。

 まあいい。戦うために、顎なんて不要。

 俺は床に手を突き、どうにかこうにか身を起こす。見れば、フローレスも四つん這いになり、震えながら必死に立ち上がろうとしている。よし……狙い通り。俺は顎をやられたが、奴は内臓をいかれた。骨折の痛みは麻酔で無効化できても、臓器の損傷は確実にダメージとして勝負に影響する。

『ははっ……やるね、スカード』

 懐かしい声が聞こえた。フローレス。通信機能が、彼の囁きを拾っている。

「ひづいへ……」

 と喋りかけて、顎骨が砕けていたことを思い出す。これじゃまともに喋れやしない。脳波読み取りの音声合成をコマンドし、俺は細く溜息をついた。

「気づいてたんだな、フローレス」

『戦い方を見れば分かるよ。穿天流ヒンメルクンストの達人なんて、もうこの街にはたった一人しかいるはずがない……そうでしょ。

「……いつから知ってた?」

『わりと最初から。戦い方を教わり始めて、あ、これ穿天流ヒンメルクンストだって気付いて。その時はひょっとしたらって思っただけだったけど、確信したのは必殺技リーサル・ブロウを習った時』

 フローレスが脇腹を押さえながら立ち上がる。俺もまた、振るえる膝を叩いて背を伸ばす。観客たちが狂おしく叫ぶ。「戦えランブル! くたばれタンブル! 戦えランブル! くたばれタンブル!」やかましいぞ。知ったことか。

『ねえ、スカード』

「ん」

『どうして?』

「……弱かったのさ。防衛戦で挑戦者を殺しちまった。それまでなんともなかったのに、それ以来……怖くなった。戦うことが。人生とか、そういうものに、挑みかかっていくことが……」

『そうじゃない』

 目に浮かぶようだ。フローレス。あの白銀色のヘルメットの奥で、真摯に訴えかける彼の表情。

『どうしてぼくを置いて行ったの』

 ああ。

 静かだ。

 なんて静かな気持ちなんだろう。

 俺は砕けた顎の隙間から胸いっぱいに息を吸い込み、拳を強く握り固めた。

「俺は、お前に、負けたくない」

 彼もまた、俺を見据えて、拳を構える。

『うん、スカード、ぼくも一緒さ』

 あらゆる音の消え去った世界に、俺達は二人、見つめ合い――

 走る!!

 同時に前進。打ち込みも同時。互いの左の拳と拳が空中激突、弾けてねる。俺と彼とは額をぶつけ合うほどに肉迫し、超至近距離戦へと突入した。ほとんどノーガードのまま叩きつけ合う拳の連打が俺達の身体を突き刺し、貫き、その痛みと衝撃と血が俺たちに生きてる実感をくれる。左が来る。次は右。ここで足技? それは迂闊うかつだろ! 互いの意図を読み切り、受け合い、最適の一手でさばき合う拳の応酬は俺達だけに通じる意思疎通コミュニケーション。俺には分かる。彼の考えが。彼も知ってる。俺という男を。分かり合った俺達だけが、今、無数の拳を戦い合わせられる!

 敗けるものか、フローレスッ!!

 俺は老いた。パワーはない。スピードもない。だが俺には経験がある。ライバルたちとしのぎを削った幾多の勝負。地をい泥をすすった幾千の夜。そしてなによりお前と交わした幾万の拳が俺という男を強くした。俺は敗けない。敗けたくない。他の誰に敗けたって、!!

「フローレスッ!!」

 俺の叫びに、

『スカァァァァードッ!!』

 彼が応え、

 俺達の拳が今、交差する!



   *



 倒れた。

 俺達は、ふたり、同時に。

 そこで俺の意識は、飛んだ。ふと気が付けば俺は戦闘領域コンバット・エリアへ仰向けに横たわっていて、隣には、やはり仰向けになったフローレスの上下さかさまな顔がある。俺と彼のヘルメットは既に外されており、医療チームによる応急手当がどうやら始まっているらしかった。

 ダブル・ノックアウト。相打ち……なのか?

 勝敗の審判は、どう下された……?

「スカード」

「喋ってはいけません」

 隣からフローレスの声が聞こえ、次いで医師のきっぱりとした制止が耳を刺した。それでもフローレスは俺の方へ首を向け、あの人懐っこい笑顔を俺に向けている。

「もうやめなよ。《スープ》だけは」

「もう飲まないよ」

 俺は苦笑し、天井を見上げる。

「お前のことを忘れたくない」

 俺達は笑った。医師に叱られながら、いつまでも笑った。審判が何事かアナウンスし始めたが、勝敗が結局どういう扱いになったのか、俺もフローレスも、もう聞いちゃいなかった。

 俺に見えてるものはただひとつ、天井に輝く瑕ひとつないフローレスな太陽だけだ。



THE END.

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スカード & フローレス 外清内ダク @darkcrowshin

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