04 再起



 フローレス・ハンク、勝利! 勝利!

 無敵! フローレス ランキング1位

 期待の新星「チャンプを潰す!!」

 勝利翌日のスポーツ・ニュースに刺激的な見出しが踊る。趣味嗜好が極度に多様化した現代にあってさえ、ランブリングの新ヒーローに関する話題は驚くほど広汎な関心をもって受け止められた。誰もが刺激に飢えている。血を求め、暴力を望み、生贄の儀式という手頃な娯楽に沸き返っている。フローレスは王殺しの英雄か? はたまた犠牲の羊なのか? おそらく試合当日闘技場アリーナは超満員になるだろう。くそったれめ。

 フローレスがランキング1位に上り詰めてからの5週間、きたるべき王座戦にむけて俺は彼を徹底的に鍛え上げた。完璧に調整された練習メニュー。チャンプの癖を研究し尽くして繰り返したスパーリング。フローレスは、強い。驚くほどに強くなった。おそらくチャンプにすら引けは取るまい。だがフローレスがいくにつれ、傷口スカーうずきがいや増していく。

 痛え……

 クソッ! 痛え!

 ちくちくと四六時中身体を刺激する疼痛とうつうには本当に参った。悪態くらいつきたくもなる。つい《スープ》に手が伸びる。フローレスに叱られる。俺は痛みでイライラしていたのもあって、ついつい言葉が荒くなる。

「うるせえッ! 俺には《スープ》がるんだッ!」

 テーブルに拳を叩き下ろした俺に、フローレスはただ悲しげな目を向けるのみ。

 俺は……俺は何をこんなにイラついてるんだ?

 どうしてこんなに傷のうずきが止まらない?

 戸惑いの中で時間は流れ、王座戦の日はあっというまにやってきた。俺はフローレスを伴い、戦闘領域コンバット・エリアに入る。いつも以上にいきりたつフローレスの、白銀色した胸部装甲を叩いてやる。

「落ち着け。お前の実力なら負けはしない」

『ねえ、スカード』

 彼が俺を見下ろした。光沢あるヘルメットに隔てられてさえ、あの人懐っこい笑顔が目に浮かぶようだ。

『ぼく……勝ったら伝えたいことがあるんだ。聞いてくれる?』

 俺は言葉に詰まり、半歩後ずさり、

「……勝ってこい」

『うん!!』

 ああ。

 なんてやつだ。俺は。

 俺ははぐらかしたんだ。勝った後。伝えたいこと。それを聞くのがつらすぎて、曖昧な言葉で誤魔化した。フローレスが戦闘領域コンバット・エリアの中央に向けてのし歩いていく。向こうからチャンプの堂々たる影も迫ってくる。

 ふたりの激突が始まるより早く――俺はその場を逃げ出した。



 つらかった。俺はずっとつらかった。若いフローレスの若さそのもの、肉体と心の屈託なさ、すなわち無瑕フローレス性に嫉妬していた。過去の嫌な出来事に心を折られ、麻薬めいたくだらない薬に耽溺し、緩やかな破滅の淵へ、そうと知りつつのめり込んでいく俺……その弱さと情けなさと枯れきった性根が嫌で嫌でたまらなかった。感謝なんてしてほしくなかった。お礼なんか言われたくなかった。馬鹿にしてくれたほうがまだマシだ!! フローレスが俺に向ける好意の目、それが俺を突き刺しさいなむ。俺は彼に尊敬されるほど立派な男じゃないってことを、他ならぬ俺が一番知ってる。もうたくさんなんだ。つらすぎてここには居られないんだ。どのみち俺は必要ない。もうフローレスは充分強い。彼は勝つ。チャンプになる。ヒーローになる。

 それからどこをどう走ったか覚えてもいない。俺は闘技場アリーナを飛び出し、積層都市構造物群レイヤード・シティを転がり歩き、最終的に最下層ロウアモーストのゴミだめに舞い戻った。

 それから、どれだけの時間が経ったんだろう。

 俺はまた、以前の暮らしに戻ってしまった。ネズミどもと食い残しを奪い合い、わずかな布切れで寒さをしのぎ、夜が来れば湿ったマットレスにうずもれる暮らし。それで良かったんだと思える。俺にはここが似合いなんだ。

 こんなところにも、フローレスの噂は流れてきた。週刊誌の切れ端、汚れた新聞、媒体を問わず、人々は新たな英雄ヒーローを讃えている。今やチャンプとはフローレスのこと。王座防衛とは彼の勝利に他ならない。見たくもないはずなのに、彼の名を見かけるたびにゴミ山から記事を掘り出し、ポケットへしまい込んだ。

 幾多の夜。

 幾多の昼。

 絶えることないスカーうずき。

 食も細り、金もなく、いよいよ命尽きかけた頃、不意に、横たわる俺の前にひとりの男が姿を現した。

無様ぶざまだな」

 アンダスン。奴は馬鹿げたことにブランド物の三つ揃いスリーピースを着て、このゴミだめに突っ立っていた。黒光りする革靴が汚泥に汚れ、彼は顔をしかめて足裏の汚れを石塊になすりつける。俺はその様子を、濁りきった目で見上げてる。

「まったく、どうかしてる。こんなところでよく寝られるな」

「やかましい」

「探したぜ。何も言わずに消えやがって」

せろアンダスン」

「いつまでそうしている気だよ、

「俺をその名で呼ぶんじゃない!」

 俺は跳ね起き、ありったけの声を張り上げた。自分のどこにこんな力が残っていたのか、自分でも驚くくらいだ。俺の体にまとわりついたゴミの欠片が剥がれ落ちてく。アンダスンに対する発作的な敵愾心が、疲労に凝り固まった俺の心を洗い流していくかのようだ。

「そうしてわざわざ俺を笑いに来たのか? フローレスへの嫉妬に駆られて醜くひねくれ果てた俺のありさまを!?」

「嫉妬ォォーっ? ハ! 何言ってやがる。お前さんがあいつに向けた思いが、そんな薄っぺらいもんであるものかよ」

「何を……?」

「なんだァ? ホントに無自覚だったのか? こいつァ恐れ入った。はたから見てりゃあんなに明々白々だったのに」

「何を言ってる!」

「分からねえなら教えてやる。簡単なこった。

 あの子のことが好きだったのさ。

 愛してたんだよ!! お前はな!!」

 俺は。

 俺は……言葉を……失った。

 馬鹿みたいに口をぽかんと開けたまま、呆然と見上げるばかりの俺に、アンダスンは溜息をよこす。

「あの子はお前を尊敬してた。お前もあの子を愛してた。だから弱い姿は見せられねえ。期待通りの自分でいなきゃあならん。

 『愛したものにはナメられたくねえ』……それが『男』って生き物じゃねえか……

 あの子は待ってるぜ。

 チャンプの座にしがみつき、あらゆる挑戦者を根性で退け、死ぬ気で勝利を重ねてる。

 なぜだと思う?

 戻ってくると思ってんだよ。勝ち続けてりゃ、いつか、お前が……」

「俺は……もうタイロウじゃない」

「ああ」

英雄ヒーローはもう、ここにはいない」

「知ってるさ。馬鹿なやつだよ。は事故だったんだ。挑戦者が死んじまったのは、決しておまえさんのせいじゃない」

「そうかもしれん。理屈は分かってる。でも俺は……俺の心は……傷ついてしまった。

 俺はフローレスの尊敬を受け止められるほど、立派な男じゃあないんだ……」

「そうかよ」

 アンダスンが背を向ける。うずく。うずく。スカーうずく。俺の鼻に、俺の胸に、俺の心の奥深くに刻まれ、《スープ》をってもっても決して忘れられなかったスカーが、突き刺すように俺をさいなむ。

 違うだろ。

 そうじゃないだろ。

 俺の、俺のやるべきことは――

「アンダスンッ」

 振り返った彼の顔が心なしか嬉しそうに見えたのは、俺の欲目じゃないはずだ。

「頼みがある」



   *



 一年だ。俺は自分で自分に期限を切った。一年でモノにならなきゃどのみち無駄だ。この一年で、俺は俺を鍛え直す。まず《スープ》を断つ。身を引き裂くような離脱症状を耐え抜き、まともな食事で体力をつけ、計算し尽くしたトレーニングで筋肉を取り戻す。口で言うのは容易いが、どれひとつとっても血反吐はくほどの大難事。それでも俺はやる。やると決めた。俺はもう一度、あの六角形の戦闘領域コンバット・エリアに立つ。

 現役復帰。やりとげる。

 一年だ。見てろフローレス、一年後。

 俺はお前に挑戦する。



(つづく)

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