超人見知りな私がカクヨムを続ける理由

みんと

超人見知りな私がカクヨムを続ける理由

 私は正当な理由がなければ、家族にすら連絡をするのが怖い超人見知り。

普段は一人暮らしの身だが、基本は会社と家を往復するだけの働く引きこもりだ。


そんな私は今日、誕生日を迎え、また一つ年を取った。

その記念と言うわけではないけれど、今まで誰にも言ったことがなかった本音を綴ってみようと思う。



***



 私の人見知りはたぶん、物心ついたころからずっとそう。

知らない人が怖くて、対面・非対面に関係なく、人と関わるのが苦手だった。


そんな私の人見知りに拍車をかけたのは、保育所に入ったころ。

幼いころは病気がちで、保育所に入ったのはいいけれど、はじめのころはしばらく通えなかった記憶がある。

回復して保育所に通い始めたころには、もう他の子たちはお友達の関係ができていて、元来人見知りな私は、その子たちに声を掛けることができなかった。

みんながホールで遊ぶ中、私は教室で一人、先生の傍で絵本を読んでいた。



 私が生まれ育った場所は、学校のクラスなんて一つしかない田舎町。

学校も一つしかないから、クラスメイトたちは基本的に保育所からの持ち上がり。

集団生活の中で、私はそれなりに周りと馴染むようにはなったけれど、小学生になっても、やっぱり自分から声を掛けるのは苦手だった。


もちろん、私は誰かとお友達になるのが嫌なわけじゃない。

声を掛けてもらえるのは嬉しいし、近所の幼馴染みと遊ぶ機会だってたくさんあった。

子供らしい好奇心で秘密基地を作ったり、楽しいこともたくさんした。


唯一苦手なのは、積極的に遊ぼうと「自分から誘う」こと。

それだけだ。


だが、どこかぎこちないながらも普通の小学校生活を送っていたある日。

私の人見知りと、今に続く価値観を決定付ける出来事が起きたのだ。



***



 それは、私が小学校四年生のときだった。

三歳年下の弟が、交通事故に遭った。


命に別状はなかったけれど、大腿骨を骨折した弟は、三ヶ月くらい入院することになった。

その間お母さんは付きっ切りで、とても辛そうだった。


突然家の中から母と弟がいなくなったことに、子供の私は寂しがった。

けれど、辛そうな家族の姿を見て、私は「家族の枷になりたくない」と、そう思ったんだと思う。

大好きなお父さんとお母さんに迷惑をかけたくなくて、それ以来私は、わがままと言うものができなくなってしまった。


もし私の発言がちょっとでも気に障ったらどうしよう。

困った姿を見たくない。

煩わしい思いなんてさせたくない。


そんな気持ちばかりが前に出て、私は家族を筆頭に、本音を出すことが不得手になった。

それは元来の人見知りと合わさって、中学になっても、高校になっても友達は居れど、周りに合わせるばかりで自分の本当なんて、どれだけ出せていたか分からない。


でも、周りに嫌な思いをさせるくらいなら、それでいいと思っていた。

自分から積極的に発言して、困らせたり、迷惑になったりするくらいなら、少しうわべの友達付き合いでも、当時の私は満足していたのだ……。



 高校を卒業した私は、東京の専門学校に進学した。

これは珍しく自我を通した進学で、昔から絵と物語が大好きだった私は、マンガの専門学校に入学した。

もちろん、家族への迷惑は最小限で済むように奨学金をもらって。


そうして東京に出た私は、有意義な専門学校生活を送り、そのまま関東での就職を決めた。

理由はもちろん、親の迷惑になりたくないから。


当初は漫画家になりたい気持ちもあったけれど、就職もせず、親を煩わせるくらいなら、一人で生きて行きたいと思った。


だが、社会に出ると当たり前のように、友達との付き合いは減っていく。

学生だったときとは時間割りが変わるから仕方ないけれど、相変わらず自分から行動できない私は、いつからか会社と家を往復するだけの働く引きこもりと化してきた。


これが良いことでないのは分かっていたけれど、長年の性格はそう簡単には変えられない。

人と関わるのが怖いから、SNSだってやりたくないし、そもそも自分から何かを発信するなんて、絶対にできない。


そう、思っていたときだった。

私が「カクヨム」と出会ったのは。



***



 昔から私が読む本はカドカワの本が多かった。

それで、カクヨムを知った。


誰でも物語を発信できる。

ペンネームだから「私」を特定されることはない。


物語を読まれる、読まれないなんて言うのはさておき、自分を変えるための一歩として、自分から何かを発信するためのきっかけとして、勇気を出そうと思った。


それでも、本当に勇気を出すのには覚悟が必要だった。

私は何日も何日も迷った挙句、震える手で「カクヨム」に登録した。


そうして第一作目となる物語を公開し始めることにしたのだが、当時は怖くて怖くて、「公開」のボタンを押すのにずーっと画面の前で固まっていた。


少し月日が経つと、公開する恐怖というのはわずかに減っていったと思う。

でも、結局のところ当時の私にとっては公開するだけが精一杯で、周りとの交流なんて全然できない。


突然物語を読みに行って、びっくりされたらどうしよう。

理由もないのに他の方の作品を拝読するなんて、どうなんだろう。


立場を逆にして考えれば、どんな方がどんな理由で読みに来てくれたって嬉しいのに、「私から」と言うことになると、どうしても極端なくらい臆病になってしまう。

そんな日々のまま公開だけを続け、一作目が完結。


結局誰とも交流出来ないまま完結して、ふりだしに戻った私はくじけてしまった。

そのあとはしばらく更新もなければページすら開かない日々。


こんなんじゃだめだ。

なんのために私は決死の想いでカクヨムに登録したんだ。

自分を少しでも変えたくて始めたのに、このままでいいはずがない。


分かっているのに手が動かない。


それでも少しずつ自分を鼓舞して、私はまた物語を書くことにした。

そして、物語の公開をしながら思った。


他の方の作品を”理由がないから”という理由で読めないなら、理由を作ればいいんだと。

私は意を決して「自主企画」をすることにした。



***



 「自主企画」を始めた私は、そこで初めて他の方の作品を拝読した。

それまでウェブ小説は見たことがなかったから、カクヨムに登録して一年以上経って私は、ウェブ小説がどういうものなのかを初めて知った。


普段書いている物語がウェブ小説っぽくないのはそれが原因だが、それはまぁ、一旦置いておこう。


ともかく、「自分が立てた企画に参加してくれた作品だから」という正当な理由を得た私は、少しずつだけど応援やコメントをするようになった。


もっとも、正当な理由を得たからと言って、すぐに積極的になれるわけじゃない。


今でもコメントをさせていただいた日は、作者様の気に障るようなことをしていないか、勝手に不安になって、おなかが痛くなって大概眠れないし、イラスト企画をして、描かせていただいたイラストをアップした日なんかは、イメージと違ったらどうしようと、怖くなって逃げたくなる。


でも、優しいお返事に救われる。

私の物語や絵に、コメントや反応をくださる方ももちろんだけれど、誰かと交流できたとき、それまであった不安は嬉しさに変わって、本当に、ご縁のあった皆様には言い切れないくらい感謝をしています。


まだまだ交流がへたくそで、そのくせ苦手ジャンルも多い、至らない部分ばかりな私だけど、カクヨムに登録を決めた二年前と比べたら、少しだけ人見知りは改善しています。


今までは職場に新しい人が来ると、震えて、委縮して、迎え入れる立場なはずなのに、借りてきた猫みたいに警戒心しか出せなかった部分が、少しマシになってきたと実感しているのです。

もちろん、知らない人に慣れるまでには、まだ時間がかかるけれど……。



 人見知りを治して自分を変えるためにカクヨムを続けるなんて、変な使い方かもしれません。

本気で小説家を目指している人にとっては迷惑かもしれません。

でも、私は今年もやめないと、ここで宣言しておきます。


一度は挫けてしまったけれど、やめないことで、理由がなくても人と関われるようになりたいから。

皆様と交流したいけれど、怖くてできないなんて自分はもう嫌。


変えたいと願っているだけじゃ、自分の世界はちっともよくならない。

怖くても、不安でも、私はカクヨムを続けることで、自分を少しでも変えていきたい。


これが、私がカクヨムを続ける理由。




*こんな私の一人語りを最後までご覧いただき、ありがとうございました<(_ _)>

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