楽しんで拝見させていただきました。
ウクライナとロシアの戦争の一句
絶え間なき母の祈りやキーウの春
この「母の祈り」という言葉が想像させてくれるものは、さまざまな時代の母親の子への思い(絶え間なき、というのは聖書に記された聖母マリアから、現在育児中の女性たちまで、ずっと地域や時代を問わず同じようにという意味ではないだろうか?)だと思われ、そこから切れ字の「や」でシーンが変わり、ウクライナの首都のキーヴの「春」と書かれるとき「絶え間なき母の祈り」と切れて離れている戦場の春とも読めるし、逆に母の祈りが強い場所は日本ではなく「キーヴの春」とも読める。
子を思う母というのは岸壁の母というのもあったように、日本では使われてきたなじみ深い感じかたではあるが、俳句の切れが心/現実を切る型とすれば、祈りが強い場所ということになる。
古池や蛙飛び込む水の音。
芭蕉の古池の一句の型だとすれば、キーヴの春が下五で適しているといえるでしょう。
俳句は型や間が大切だと実感できる一句だと思います。