クリパスキュラー

星雷はやと

クリパスキュラー


「隣人が……暴力的な行為に晒されているとしたら如何したらいい?」


 大学の帰り道。交差点で信号待ちをしていると、隣の友人が不意に口を開いた。穏やかな午後には相応しくない質問である。


「おや、中々に穏やじゃない質問だ。友志」


 私は数回瞬きをした後に隣の友志を見る。心優しき友人から紡がれた言葉にしては、些か物騒な話だったからだ。友人は大学に入り、アパートに独り暮らしをしている。つまり彼の隣人に何かあったようだ。

 本人も自覚があるのか、快晴の空とは真逆の泣き出しそうな顔をしている。今朝から思い詰めた表情をしていたのは、この質問が原因だろう。早く話せばいいものをと思いながら話を促す。


「だからこそ参っている……僕は如何したら良いのかな? 健一」


 伺うような視線に溜息を吐きたくなる。彼が厄介事に首を突っ込みたがる気質は、持病のようなものだ。幼馴染みである私は、その病を治療不可と判断を下している。症状を抑制することも出来ない。ただその症状が出た際に、原因究明と解明に努めるだけである。


「では、君の家に行こう」


 信号が青へと変わり、友志のアパートへと歩き出した。





「それで、君が悩んでいる隣人について教えてくれ」



 友志のアパートに到着し、リビングで彼に話を聞く。この部屋に入る際、隣人の玄関ドアを観察したが特質して変わったところは見当たらなかった。


「えっと……隣の最上さんは、独り暮らしの女性で感じのいい人だよ。いつも笑顔で挨拶をしてくれて、大きな音とかトラブルもなく過ごしていたよ」

「ふむ、続けて」


 彼の説明を聞く限り隣人である最上氏には、人柄や生活状況に関しては問題がないことが分かる。因みにこの会話は小声で行われている。隣人の最上氏は休日で、在中だからだ。


「い、一週間ぐらい前に男の人が部屋を入るのを見て……。大きな声で言い合って……それから色々と……」

「つまり、男性が訪れてから彼女の様子が変わったということかな? 具体的には?」


 彼女の変化には、一週間前に訪れた男性が関係しているようだ。


「……毎日、物が倒れる音とか叫び声が聞こえて……。昨日会ったら、目を赤くして鼻声で……隈も凄くて……。手とか腕に大きな絆創膏を貼ってあるのが見えちゃって……それで……」

「何かあったと思ったわけだな?」


 隣人の様子を怯えながらも状況を説明し、俺の質問に頷く友志。状況を並べると、確かに彼が危惧する内容にも聞こえないことはない。だが断定することも出来ないのが事実だ。間違っていた際には、謝罪だけでは済まない。慎重な判断が要求される。それには、もう少し判断材料に詳しい情報が必要だ。


「では逆に質問だが、物音がするのは何時だ?」

「明け方と夕暮れ時かな? 講義が長引いて夕方に家に居ない時は分からないけど」


 物音がするのは、明け方と夕暮れ時。


「叫び声は最上さんの声だけか?」

「うん……『止めて』とか『危ない』とか……」


 声がするのは家主の最上さんのみ。


「男性が出入しているのを見たことは? 一度目だけか?」

「一週間前だけかな? でも最上さんが出掛けた後なのに、隣の部屋から物音がしたからあれから部屋に引きこもっているのかも……」


 男性を目にしたのは、一週間前の一度きり。


「他に彼女に関して気付いたことは?」

「えっと……今まで擦れ違うと良い香りがしていだけど、それも無くなって……あと、付け爪もしていなかったよ」


 私は細かな質問を幾つか重ね。隣人の奇行を整理してみると、ある一つの可能性が生まれた。確証はないが、可能性が最も高い答えが浮かんだ。


「……なるほど」

「健一? 何か分かったのかい!?」


 友志は私の呟きを聞き、身を乗り出した。隣人の奇行が心配なのは分かるが、彼は少し落ち着きを覚えた方がいい。人を気遣う心は彼の美徳だが、心と体の動きが連動するのは時に厄介事を生む。私は心優しき友人を安心させるべく口を開いた。


「嗚呼、友志。君の話を聞いて……」

「きゃあああああ!! やめて!! それだけはああああああ!!」


 突然、隣の部屋から女性の叫び声が響いた。続いて何かが倒れる重い音が鼓膜を揺らす。


「友志、この声は最上氏のものか?」

「そうだよ! ……っ! 助けないと!」

「おい! 友志!?」

「せい!!」


 声のした方向から最上氏であることは分かるが、念の為友志に確認を取る。すると彼は返事をしつつ、ベランダに通じる掃き出し窓を開けた。そして私が止める間もなく、ベランダに出ると仕切り板を蹴破った。

心優しき友人は行動力の塊である。

 きっと玄関ドアは施錠されている可能性があり、最上氏が負傷していた場合に開錠出来ないこと。更に言えば切迫した悲鳴により、彼女の安否確認には急を要することが分かる。ベランダから救出に向かうのは妥当だと言えるが、私の話を聞いて欲しい。ある意味で期待を裏切らない彼は今回も、見事に厄介事を引き起こした。


「大丈夫ですか!? 最上さん!! あれ……?」

「えっ!? 友志くん!?」


 私は友志の後に続き仕切り板を潜り、呆然と室内を見る彼の隣に並ぶ。荒れた室内には予想通り、白い猫を抱き上げマスクをしている女性が居た。


「え?! 如何いう事だい!?」

「落ち着き給え、彼女は君が予想していたような危険には晒されていない」


 溜息を吐きたくなるのを我慢し、困惑する友人へと声をかけた。


「でも! この荒れようは……」

「嗚呼。端的に述べれば、最上氏の奇行の原因はその猫だ」


 友志は落ち着かない様子で、最上氏と私を交互に見てくる。私は彼女の腕に収まる白い猫を指差した。


「えっ!? その猫ちゃんが!?」

「そうだ。恐らくだが最上氏は一週間前に訪れた男性から、その猫を預かったのだろう。しかし猫は家に付くと言われるほどだ。慣れない同居人と環境に暴れた」


 白い猫を見て大きな声を上げる友志。窓越しだが、白猫は警戒するように私たちを見る。動物は環境に敏感で繊細な生き物だ。環境に戸惑い暴れたり、体調を崩したりすることもある。


「友志」

「あ……ごめん……」


 視線で声の大きさを指摘すると、背中を丸めて謝罪を口にした。


「……え? じゃあ物が倒れる音とか、叫び声とかは?」

「大方、家主の留守に悪戯をしたのを見ての怒りと悲しみだ。就寝時に騒がられれば、就業後に帰宅した際に散らかった部屋を目にすれば叫ぶだろう? 揉め事ならば、相手の声がするのが当然だがそれを君は聞いていない。つまり人間は最上氏しか居なかった」


 入眠中や仕事で疲れて帰って来た時に、部屋が荒らされていればヒステリーになるのは必須だろう。倒れた椅子や落とされた本、散らばるティッシュの山。部屋の惨状からして、先ほどの悲鳴は暴れ回る白猫を捕まえる為だったようだ。


「でも……朝方と夕暮れ時なのは?」

「猫は薄明薄暮性、クリパスキュラーだ。文字の通り、明け方と夕暮れ時に最も活発に活動をする」

「だから……音とか声がしたのが、その時間帯だったのか……」


 猫は夜行性だと誤解されることがあるが、正確には薄明薄暮性である。


「それから彼女の焦燥感は寝不足が原因だな。手や腕の怪我は猫に引っかかられたからだ」

「あ……そうか。寝ている時に起こされて、家に帰ってからは片付けていたからか……」

「加えて、猫が嫌がる香水を付けず。誤飲と傷つけことを回避する為に付け爪も取った」

「成程……」


 彼女の奇行の原因が猫だと分かれば、全ての行動が納得いく。友志から得ていた彼女の様子を一つずつ説明する。


「最後に最上氏は猫アレルギーだ」

「えっ? なんで?」

「目が赤く鼻声だったと言っていただろう? 現に彼女はマスクを付けている。風邪や花粉症ならば、君と会った時にも付けている筈だ。だが屋内に一人でマスクを着用し、猫を抱き上げている。猫アレルギーだ」

「す、凄いわぁ! 全て正確よ!!」


 全ての説明を終えると、ベランダの窓が開き最上氏が顔を出した。如何やら窓越しに私たちの会話を聞いていたようだ。何故か彼女は目を輝かせている。


「貴女のことを勝手に詮索してしまい申し訳ありません」

「あ! それは僕が健一に頼んだからで……」

「いいのよ! 私も周囲への配慮が色々と足らなかったわ。叫び声を聞いて心配してくれたのでしょう? 二人共ありがとう!」


 私たちは謝罪を口にする。本来ならば不法侵入として警察を呼ばれてもおかしくない状態だ。しかし私たちの会話から悪意がなかったとして、回避することが出来た。逆に笑顔で礼を告げられ私は首を傾げる。


「一週間前に旅行に行く弟から、この子を預かったのだけどなれなくてね……。急に預かったから、あの時も大声で弟に文句を言っちゃって……。でもやっと抱えれば大人しくなってくれるようになったのよ」


 優しく微笑み、腕の中の白猫を撫でる最上さん。その手を受け入れ、うっとりと瞼を閉じる白猫。微笑ましい光景だ。

 兎にも角にも、友人の誤解が解けて何よりである。


「でも流石ね。友志くんが自慢していた幼馴染くんは貴方のことでしょう?」

「あ……最上さん! その話は……」

「友志、何を話したのだ?」


 最上氏は声を弾ませ、友志は焦ったように声を上げた。彼女の意図が分からず、横の友人を見上げる。彼に関しては状況を整理しても、理解出来ないことが多い。


「いや……その……」

「友志?」

「うっ……何時も厄介事に巻き込んでも、助けてくれてありがとう……」

「なんだ。そんなことか、当たり前だ。『親友』だからな」


 照れたように笑いながら告げられた言葉に、私は数回瞬きをした。友人は厄介な持病を持っているが、それを見守ると決めたのは私自身である。彼を助けるのは当たり前だ。


「健一!」

「ふふっ、青春だね!」


 友志と最上氏の笑い声、それに応えるように白猫が楽しそうに鳴き声をあげた。


 翌日、仕切り板の請求書を持ち泣く友人にバイトを勧めたことで、新たな厄介事に巻き込まれることになるのだがそれはまた別の話である。


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クリパスキュラー 星雷はやと @hosirai-hayato

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